鉄道ホビダス

2013年11月アーカイブ

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▲すっかりお馴染みのギャルリー トラン・デュ・モンドは西武新宿駅北口正面のKM新宿ビル9階。'13.11.28 
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2年おきに開催され、今年で4回目となる鉄人会の写真展「線路はつづくよ...」が今日から始まりました。会場はすっかりお馴染みの東京・新宿のギャルリー トラン・デュ・モンドです。

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▲宮澤孝一さんの展示から、須賀貨物線のEB10と都電27系統の出会い。'13.11.28 
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あらためてご紹介すると、「鉄人会」はこの趣味界の大先輩である宮澤孝一さんを中心に、写真コンテストで入賞を果たし、そこで出会った有志で構成されています。メンバーは石澤潤一、志水 茂、西山明徳、長谷川博美、馬場典明、松村 寛、宮澤孝一、本村忠之(五十音順)の各氏、年齢も40代から80代まで幅広く、ご職業も多種多様。写真関係の仕事に就かれている方もおられますが、もちろん皆さん鉄道写真を職業としておられるわけではなく、純粋に趣味として楽しまれ、その中で気さくなコミュニケーションをとられているところが特筆されます。

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▲こちらは宮澤孝一さんの新作「ドイツ2都 ブッパータール、ベルリン」。'13.11.28 
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もともと協同でひとつのテーマを追うのではなく、宮澤さんの言葉を借りれば、「パルコのように」専門店がひとつのビルに軒を連ねるかたちだけに、展示作品が100点を超える今回も、それぞれのパーソナリティーが構成する「My favorites」な8者8様の世界を見せてくれています。

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▲特急型電車を今回のテーマに定めた西山明徳さんの作品。'13.11.28 
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▲都会の鉄道が織りなす人々とのさりげない関わりを温かいカメラアイでまとめられた長谷川博美さんの作品。'13.11.28 
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▲「One scene of the movie」と銘打った本村忠之さんの作品は光を印象的に扱ったものが多い。'13.11.28 
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131128n104.jpgメンバーの皆さんの主なテーマをご紹介すると、まず中心メンバーである宮澤孝一さんは、1960年代、まだEB10が活躍していた時代の須賀貨物線で幕を開け、ドイツの2都をテーマにした近作を出展。ポストカードにもなっている西山明徳さんは、これまでの寝台列車から一転して今回は特急型電車にフォーカスを当て、さらに一貫したテーマである光の演出に拘られた作品を披露されています。長谷川博美さんは「人間生活の営みと密接に関係し発展してきた鉄道」を念頭に、都会のさりげないシーンなどをオムニバス調に展開されています。本村忠之さんの作品は「One scene of the movie」。さながら動画のワンカットのような印象的なシーンの数々が新鮮です。また、前回は小田急ロマンスカーの世界をさまざまな角度から作品に仕上げられた石澤潤一さんは、今回は「101年目の広電」と題して、お仕事でたびたび訪れられるという広島をテーマに選ばれています。
▲形式写真あり、面相あり、そしてクリスマスシーズンの街角スナップありと、石澤潤一さんは広電にさまざまな角度からアプローチ。'13.11.28 
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▲B全判ほどの巨大なプリントが圧巻な馬場典明さんの新作。今回も中国蒸機に拘っての作品の数々。'13.11.28 
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前回も中国蒸機をテーマにされた馬場典明さんは今回も印象的な作品の数々を出展されています。また、志水 茂さんは存廃が取り沙汰されている寝台特急「あけぼの」をテーマとされて、タイムリーな撮影地マップも添えられています。前回ヨーロッパの鉄道再訪の旅を披露された松村 寛さんは今回もヨーロッパ。しかもドイツの103形電気機関車に絞った展示は、20年前の同機との邂逅を含め、連綿と続く情熱を感じさせてくれます。

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▲寝台特急「あけぼの」をフィーチャーした志水 茂さん。もちろん長年にわたって撮りためた成果にほかならない。'13.11.28 
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▲1970(昭和45)年生まれの名機103も今では風前の灯。松村 寛さんは1993年の出会いからの日々を振り返る。'13.11.28 
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この第4回鉄人会写真展「線路はつづくよ...」は12月4日(水曜日)までの開催。今週末の土日にはほぼメンバー全員が会場に詰めておられるそうですので、ぜひゆっくりと鉄道写真談義に花を咲かせられてはいかがでしょうか。

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※明日は不在のため小ブログは休載させていたたきます。

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▲新製される8600系特急型電車のエクステリアパース。(JR四国プレスリリースより)
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四国旅客鉄道(JR四国)は予讃線の主力である特急「しおかぜ」に使用している2000系特急型気動車の老朽取替のため、新たに8600系特急型直流電車を製造することになり、このたびその量産先行車の概要が発表されました。
この8600系が充当されるのは「しおかぜ」と併結運転を行っている予讃線(高松~松山間)の特急列車「いしづち」で、量産先行車は2輌編成2本、合計4輌が来年6月以降に営業運転入りする予定です。

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▲Tc車インテリアパース。カラーイメージはShine Orange Interior。(JR四国プレスリリースより)
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この8600系の大きな特徴のひとつが、従来、開発担当者と車輌メーカーで行っていた車輌デザインに建築デザイン経験のある社員が加わったことで、メーカーと共同で開発が行われたそうです。

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▲Mc車インテリアパース。カラーイメージはFresh Green Interior。(JR四国プレスリリースより)
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コンセプトは"レトロフューチャー"。ノスタルジックな鉄道車輌のイメージを「未来特急」としてデザインしています。最高運転速度は130km/h。制御方式には発電・回生ブレーキ付VVVFインバータ制御が採用され、主電動機は全閉外扇式三相かご形誘導電動機が用いられて省メンテナンス化が図られます。また、車体傾斜機構に空気バネ車体傾斜方式を採用することで、台車構造の簡素化による省メンテナンス化と、到達時分の確保の両立も図られるそうです。

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▲8600系特急型電車の機器配置。(JR四国プレスリリースより)
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客室設備に目を転じると、腰掛は、背もたれと連動して座面が前方にスライドするリクライニング機構を採用し、各座席にはコンセント・可動式枕・ドリンクホルダー・コートフック等を設置するほか、モバイルパソコン等の利用を考慮してテーブルの大型化も図られています。 もちろんバリアフリー整備ガイドインを考慮した車内設備となっており、客室照明にはLED照明が採用されます。

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▲初の高架区間を下りて平面クロスで進行方向の左右を入れ替える7号車。なお、本車は車体全面がオールドタイマーのラッピングになっている。'13.10.5 Süßenbrunner Straße P:真柳哲也 
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オーストリアのさまざまな情報を発信されているウィーンネット(Wien-net Corporation)を主宰され、いつも貴重な現地の鉄道情報をお伝えいただいている真柳哲也さんから、ウィーンの路面電車に新区間が誕生したというニュースを頂戴いたしました。しかも高架区間だそうで、その少々不思議な運転方法とともにご覧いただきましょう。

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▲とても路面電車用とは思えない立派な高架線。'13.10.5 P:真柳哲也 
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去る10月5日に地下鉄U2のSeestadt延伸に合わせて、ウィーンの路面電車26系統の新区間であるKagraner Platz-Hausfeld Straße間4.6キロが開業しました。完全な新規路線ですが、注目されるのはウィーンの路面電車では初めてとなる専用高架区間がForstnergasse-Süßenbrunner Straße間にあることです。

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▲路線図に見る延伸区間と高架区間。 
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途中にあるGewerbeparkStdlauも高架駅(停留所というより立派な駅)です。高架線になった理由は、ÖBBの本線を横断する必要があったからです。また、この駅はショッピングセンターの中心にあるため、高架化することで、人の流れを阻害しないという効果も期待されているものと思われます。

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▲開業を記念して旧型車も運転されたが、高架へのアプローチ勾配は吊掛けモーターの音を響かせて、必死に登ってゆく。'13.10.5 Süßenbrunner Straße P:真柳哲也 
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▲路面電車とは思えないGewerbeparkStdlau駅の高架ホーム(左)と電停を示すアイコン(右)。'13.10.5 P:真柳哲也 
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img_2013_10_1674An.jpgところで、GewerbeparkStdlauは島式ホームを採用しているのですが、ご存じのように、ウィーンの路面電車は進行方向右側しか乗降口がないため、島式ホームには対応できません。そこでWiener Linienが考えたのが、ForstnergasseとSüßenbrunner Straßeの両停留所で進行方向を左右入れ替えるという裏技です。ここまでして島式ホームを採用した理由は、バリアフリー対策のため、エレベーターなどの付帯設備に費用を削減するためかと思われます。同駅にはエレベーター2基が設置されていますが、ホーム長が短いため、エスカレーターはありません。
▲クロス部には信号も設置されている。'13.10.5 P:真柳哲也 
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なお、ポイントではなく、単純なクロスですが、ForstnergasseとSüßenbrunner Straßeの両停留所には専用の信号も設置されていました。この方式は、こちらでも珍しいらしく、開業時にはファンが大勢、詰めかけておりました。

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▲開業当日は珍しいクロスを撮影しようとファンが集まった。'13.10.5 Süßenbrunner Straße P:真柳哲也 
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ちなみにBadenへ行くWLBの車輌は島式ホームがあるため、両側に扉が設置されています。26系統の場合、わずか一箇所なので、そのために車輌を改造もしくは新製するより、地上設備で対応した方が良いと判断したのでしょう。

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▲車体全面がオールドタイマーのラッピングとなった7号車。'13.10.5 P:真柳哲也 
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真柳さん、ありがとうございました。旧型車の全面ラッピングなど意表を突いたアイデアもあって驚かされます。私もヨーロッパ各都市の路面電車の中でも、ウィーンは好きな路線のひとつです。今の季節、機会があればクリスマスを前にしたリンクを行く路面電車をゆっくりと楽しんでみたいものです。

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▲夕日を正面から浴びて終着・都城に急ぐ1211レ急行「日南3号」。昭和48年10月改正でC57が定期急行列車牽引に奇跡の復活をとげた。'74.2 日向沓掛-田野 P:中川弘一 (国鉄時代アーカイブズ『C57形蒸気機関車』より) 
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年に4回、発行しております『国鉄時代』も、お蔭さまをもちまして来月の発売号で36巻、創刊からまる9年となります。ただ、バックナンバーのなかにはすでに品切れとなってしまっているものも多く、再版をお望みの声も耳にいたします。そこで、そんなご要望にお応えする意味も込めてこれまで記事をテーマ別に再編集したものが「国鉄時代アーカイブズ」です。

c57_h1n.jpg昨年12月の発行の第1巻『日本の電気機関車1』に続いて、第2巻『D51形蒸気機関車』、第3巻『日本の電気機関車2』を発行し、ご好評をいただいております。そして第4弾として11月21日に『C57形蒸気機関車』を発行いたしました。人気機種だけに過去多くの記事を掲載いたしましたが、その中から厳選して1冊にまとめたものです。

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▲C57四次形12輌の足跡をたどった成田冬紀さんの「C57四次型を語る」。/青井岳の朝は1526レから始まる。この列車の20分あまり前に青井岳に到着する夜行の1521レ(宮崎以北、下り急行「みやざき」)は、当時、九州での撮影の「定宿」としているファンが多かった。夜行の眠気もこの豪快な発車で吹き飛ぶ。 C57 117 1526レ  青井岳-門石(信)'73.11.15 P:谷口孝志 (国鉄時代アーカイブズ『C57形蒸気機関車』より) 
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表紙は中川弘一さんの日豊本線日向沓掛のC57 196。牽引する列車は冬の日没直前にやってくる都城行きの1527列車です。左下に撮影者の影が長々とのびているのが微笑ましいですね。
アーカイブからの記事で構成した本ですが、もちろん新たに盛り込んだ記事もあります。まず、巻頭の「日向路の汽笛」は日豊本線のカラーグラフ。年輪を感じさせる発色の中で宮崎の地を駆けたC57たちが懐かしく蘇ります。見開きの「日南3号」は四次型の199牽引の貴重なカットです。佐竹保雄さん、髙橋和男さんのお二人によるC57形式写真も圧巻で、20〜30年代のまだ原形をとどめる姿から、集煙装置・重油併燃装置を搭載し煙室前端を直角にした40年代の近畿地方を代表する姿まで、C57の美しさと個性を写しとった作品集となっています。

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▲C57 11、C57 65など美しく装飾を施されたC57を追った佐竹保雄さんの「北九州の美しきC57装飾機との出会い」。 (国鉄時代アーカイブズ『C57形蒸気機関車』より) 
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また、巻末には鹿児島鉄道管理局 鹿児島機関区、宮崎機関区、吉松機関区のC57形の運用表を掲載しました。昭和46年10月、昭和47年3月、昭和47年10月、昭和48年10月と蒸機撮影は華やかなりし頃のもので、馴染みの列車番号に遠い日記憶が蘇ってくると思います。

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C57 69〔盛〕 美しく整備された盛岡区配置機。非公式側ランボードに沿ってフロントデッキまで伸びているのは暖房管である。1955年頃はまだ盛岡区はC60よりC57の配置の方が多かった。'55.3.29 尻内機関区 P:佐竹保雄 (国鉄時代アーカイブズ『C57形蒸気機関車』より) 
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定価:2,000円(税込)
A4判変形/128頁(うちカラー16頁)

主な内容
日向路の汽笛/西海だより/南国旅情/C57四次型を語る/特急24レ「彗星」C57重連!/「日南3号」日向路の奇跡/霧島越えの印象/北近畿のC57/中国山地を越えたパシフィック/くろがねの駿馬/運用からみた宮崎機関区の蒸気機関車/北の大地を駆けたC57 130/週末臨時列車「たるまえ」/北九州の美しきC57装飾機との出会い/首都圏最後の「急客機」/C57形蒸気機関車形式写真集
〔巻末資料〕
鹿児島鉄道管理局 機関車運用表
昭和46年10月、昭和47年3月、昭和47年10月、昭和48年10月 
鹿児島機関区/宮崎機関区/吉松機関区

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▲95年振りに里帰りを果たすことになった札幌市電22号。札幌市電の前身である札幌電気軌道が1918(大正7)年の改軌・電車運転開始に合わせて名古屋電気鉄道から譲り受けたもので、29号として活躍。一旦引退したが、1960(昭和35)年に22号として復元され、1977年までイベント時などに運行された。 '10.8.29 交通資料館 P:髙橋一嘉
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9月から3ヶ月にわたりお届けしてまいりました服部重敬さんによるRMライブラリー『名古屋市電』の下巻が完成しました。本書は上巻で名古屋市電の沿革と路線・運転の概要を解説し、中・下巻では廃止時期順に各路線を紹介するとともに、その時期に全廃された電車各形式を解説するものです。

131121n001.jpg今月発売の下巻では1971(昭和46)年4月1日分から最後の路線廃止となった1974(昭和49)年3月31日分までを収録しております。収録区間は以下の通りです。
●1971(昭和46)年4月1日廃止
 八事~安田車庫前間・黒川~東新町間・秩父通~八熊通間
●1971(昭和46)年12月1日廃止
 熱田駅前~西稲永間
●1972(昭和47)年3月1日廃止
 笹島町~稲葉地町間・浄心町~鶴舞公園間・東新町~堀田駅前間
●1974(昭和49)年2月16日廃止
 沢上町~大江町間・沢上町~船方間
●1974(昭和49)年3月31日廃止
 金山橋~市立大学病院間・矢田町四丁目~昭和町間・大久手~安田車庫前間

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▲大江町~加福町間を行く61系統の1550型。この区間は名鉄築港線と並走した。'73.10 大江町-加福町 P:服部重敬 (RMライブラリー『名古屋市電(下巻)』より) 
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今回収録の範囲には最大のターミナルであった名古屋駅前や、長閑な風景の中を走っていた八事線、さらに臨海部などが含まれ、変化に富んだ情景が展開されます。また、毎年10月の「名古屋まつり」の名物でもあった花電車についても表紙のカラーをはじめ言及しています。車輌については1700型、1600型、1800型B車、2000型、1900型、1150型、1400型、1500型、1550型、そして花電車について解説しています。

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▲市街地とは一転、旧街道の長閑な風景の中を走っていた八事線。もともとは八事電車と呼ばれた尾張電気軌道→新三河鉄道の路線であった。 (RMライブラリー『名古屋市電(下巻)』より) 
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▲市電最大のターミナルであった名古屋駅前とその周辺。この駅前から市電が姿を消したのは1972(昭和47)年のことであった。 (RMライブラリー『名古屋市電(下巻)』より)。 
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なお、来年は本書の題材である名古屋市電の前身であり、現在の名鉄の前身でもある名古屋電気鉄道の創業120周年にあたります。名鉄ではこれに合わせ、現在札幌市の交通資料館に「22号」として保存されている旧名古屋電気鉄道の電車を借り受け、修理のうえ来年開村50周年を迎える明治村で2014年6月から一般公開すると発表しました。どのような姿で里帰りを果たすか、こちらも注目されます。

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▲修復されたデボ1の車内。これはあやめ池遊園地に保存されていた頃の状況。'99.3.24 P:宮武浩二 
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あやめ池遊園地に保存されたデボ14(モ212号)あらためデボ1号ですが、その後の長年の屋外展示で傷みが目立つようなったことから、1999(平成11)年に園内にある鉄道神社の横に新たに上屋付きで保存されることになりました。

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▲デボ1の運転席(左)。肘掛部には彫刻が施されている(右)。'99.3.24 P:宮武浩二 
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▲優雅な意匠が美しい櫛桁部。'99.3.24 P:宮武浩二 
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▲あやめ池遊園地内の鉄道神社の横に移設され、車体の改修工事中の状況。P:宮武浩二 
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この際にあわせて車体も本格的に改修されましたが、その近鉄あやめ池遊園地も2004(平成16)年に閉園が決まり、同年、近鉄五位堂検修車庫に移されて現在に至っています。あやめ池遊園地時代には車内も公開されたことがあり、その貴賓ある車内の様子もお目に掛けましょう。

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▲五位堂に移設後初公開された際にはヘッドライトが点灯されていた。P:宮武浩二 
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最後に、このデボ1号の仲間ということで、かつて高安工場で倉庫として使われていたモワ2832をご紹介したいと思います。これはデボ61形の車体を貨物電車に転用したモワ1800のなれの果てで、モワ2832となって廃車後もしばらくその姿を留めていました。優雅な装飾が櫛桁部に残っており、歴史的にもたいへん貴重な車輌でしたが、残念ながら私が撮影してすぐのちに解体されてしまいました。

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▲1967(昭和42)年から長く高安で倉庫として残っていたデボ61型の廃車体。P:宮武浩二 
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▲旧車号と貨物電車時代の塗装が残る(左)。デボ1と比較してRのついたデザインは失われている部分が多い。反対側の窓にはRがないので無骨な感じがする(右)。P:宮武浩二 
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▲デボ61形の運転台。五位堂のデボ1とはデザインが異なっている。P:宮武浩二 
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▲今年の「きんてつ鉄道まつり」で公開されたデボ1。デボ14を1960(昭和40)年に玉川工場で復元、その際に1号に改番されている。'13.11.2 P:宮武浩二 
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去る11月2日・3日に近鉄五位堂検修車庫で「きんてつ鉄道まつり」が開催され、同所で保存されている大阪電気軌道デボ1号が公開されました。この公開に参加された宮武浩二さんから当日の様子、そして同車が紆余曲折の末に五位堂検修車庫に安住の地を得るまでの流転の記録をお送りいただきましたのでご紹介いたしましょう。

131120n007.jpgデボ1とは近畿日本鉄道の前身、大阪電気軌道が開業時に用意した当時最高峰の性能を誇る車輌でした。保存車の説明看板には「この車両は近畿日本鉄道の前身、大阪電気軌道が1914年(大正3年)4月30日に営業を開始した時に登場した最初の電車です。当時としては最も進歩した電車で、上本町・奈良間30.6キロを55分で走り。1964(昭和39)年まで実に50年間、奈良、京都、橿原線などで活躍し、多くの人々から親しまれました。当時の姿をしのぶために1965年(昭和40年)に復元し、1999年(平成11年)に修復したものです」と記されています。
▲反対側には前照灯は取り付けられていない。前面窓には行き先幕(鉄板)が時代考証のうえ復元された。'13.11.2 P:宮武浩二 
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▲「きんてつ鉄道まつり」ではデボ1の周りはいつも見学者で賑わっていた。'13.11.2 P:宮武浩二 
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▲大阪電気軌道の社紋(左)とその説明看板(右)。'13.11.2 P:宮武浩二 
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また同様にそのスペックは以下のようなものです。
製造年月 1913年(大正2年)2月
製造会社 汽車製造株式会社
車両形式 デボ1形
軌  間 1,435㎜
定  員 100人(座席48人)
車両寸法 長14,820㎜×幅2,590㎜×高3,708㎜
重  量 22.44t
主電動機 123kW(アメリカGE社製)×2台

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▲あやめ池遊園地時代は屋根は鉛丹色、台車床下機器は灰色であった。P:宮武浩二 
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▲米国ボールドウィン社製BW-78-25A台車。イコライザー部には汽車会社の改造銘板が付いている。なお、あやめ池遊園地当時は車輪は大軌式特殊外輪という焼きバメ式ではない12箇所のボルトで固定したものであった(左)。現在は台車と床下機器は黒色に塗装されている(右)。P:宮武浩二 
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現車は1965(昭和40)年に廃車になったデボ1形のうちでもっとも原形に近かったデボ14(モ212号)で、現在の八戸ノ里にあった近鉄玉川工場で復元され、当初は近鉄あやめ池遊園地に保存されました。その頃の写真もあわせてお目に掛けましょう。

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▲あやめ池遊園地で屋外展示されていたころのデボ1。前面の窓には行き先幕が設置されていない。P:宮武浩二 
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▲弁天ケ浜の波打ち際を知人駅へと向かうDE601。セキ車には石炭が満載されているのがわかる。'13.11.9 
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6回にわたった道東の鉄道遺産を巡る旅のエピローグは、太平洋石炭販売輸送臨港線の知人駅での荷役作業の段階写真をお目に掛けることにいたしましょう。現役バリバリのこの光景を"鉄道遺産"と称するのはいささか違和感がありますが、少なくとも2013年の今、運炭列車が石炭桟橋上で荷役をする様子を目にできるのは全国でここだけです。

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▲知人駅の石炭桟橋へ進入する列車。貯炭場の石炭は地下ベルトコンベアで画面後方の南埠頭に接岸した石炭専用船に積み込まれる。。'13.11.9 
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▲知人駅の石炭桟橋は2本。DE601の牽引する先頭12輌分が自動解放・分割されて手前の桟橋へと進んでゆく。'13.11.9 
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▲ポイント操作ののち、D701の推進する残り12輌が奥の桟橋へと入ってゆく。それぞれ炭質の異なった石炭が積載されている。'13.11.9 
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▲A車・B車ともに桟橋上でとり卸しが始まる。機関車からの無線指示で1ペア2輌ずつのホッパが開放されて石炭が落とされる。'13.11.9 
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▲とり卸しの終わったD701牽引の12輌が一旦本線へと進む。なお、セキ荷台部のブルーのシートは石炭の滑りを良くするためのもの。'13.11.9 
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▲ポイントを交換ののち、手前の桟橋で荷役を終えたDE601が推す12輌が後部に自動連結。'13.11.9 
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▲再び24輌のプシュプル編成となった空車列車は、すぐに春採へと取って返してゆく。'13.11.9 
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現在、日本の電力の約4分の1は石炭による火力発電で賄われていますが、その石炭の実に99%は海外からの輸入炭です。釧路コールマインで採掘された太平洋炭は臨港線によって知人駅の桟橋へ運ばれ、ここから地下ベルトコンベアによって南埠頭に停泊した輸送船へと積み込まれます。そして苫小牧、勿来、高砂などへと航送されてわが国の電力の一翼を担っているのです。資料によれば現在の釧路コールマインの出炭量は年間約55万トン。"シャトルトレイン"の活躍はまだまだ続くはずです。
最後に、アテンドいただいた釧路臨港鉄道の会をはじめ、道東の皆さんにあらためてお礼申し上げます。

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▲きらめく弁天ケ浜の海面をバックに春採へと帰ってゆくDE601。キャタピラーエンジンの独特のエキゾーストノートが潮騒に乗って聞こえてくる。'13.11.9 
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▲弁天ケ浜の海岸を大きく回り込むように知人駅を目指すシャトルトレイン。ご案内いただいた釧路臨港鉄道の会の皆さんもめったにないと仰るほどの好天で、画面左後方には遙か日高山地の雪山も望める。'13.11.9 春採-知人 
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釧路公立大学地域分析研究委員会のセミナーに出席した翌日は、釧路臨港鉄道の会の皆さんのアテンドで太平洋石炭販売輸送臨港線の沿線を見学させていただきました。ご承知のようにもと釧路臨港鉄道の太平洋石炭販売輸送臨港線は、国内唯一の海底炭鉱として操業している釧路コールマインの石炭を南埠頭へと搬出する重要な役割を担っています。

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▲朝8時30分、D701を先頭にした一番列車が積込場へと向かう。ボンネットサイドには"Shuttle Train since 1977"の文字が描かれている。'13.11.9 春採 
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"シャトルトレイン"の愛称のとおり、太平洋石炭販売輸送臨港線の運炭列車は石炭車24輌の前後にディーゼル機関車を連結したプシュプル方式で運転されています。なおかつこの1列車は12輌編成の2列車を背面合わせで連結したような状態となっており、それぞれが"A車"、"B車"と呼ばれ、知人駅の桟橋で自動解放・分割されるシステムです(アーカイブ「太平洋石炭販売輸送を訪ねる」参照→こちら)。

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▲釧路名物(?)のディーゼルエレクトリック機DE601は知人側の先頭を務める(アーカイブ「DELと3連接電機、後日談」参照→こちら)。1970(昭和45)年製とは思えないほど美しい姿でこの日も主力として活躍していた。'13.11.9 春採 
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▲松山重車輌工業(MJK)製のかわいらしいモーターカー(左)はインスペクションカーとして始発の前に本線を巡察する。右は連接構造が特徴のセキ6000形。'13.11.9 春採 
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原則として平日4往復ほどの列車が設定されていますが、あくまで荷主である釧路コールマインでの出炭状況に左右されるため、毎日必ず運転されるとは限らないのが実態です。この日は土曜日とあって果たして動いている列車に出会えるものか懸念されましたが、幸いなことに午前中だけで2往復の"シャトルトレイン"を目にすることができました。

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▲春採湖湖畔に架かるささやかな春採川橋梁を行くDE601。奥に見える近代的な建物は釧路市立博物館。'13.11.9 春採-知人 
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▲春採の選炭工場全景。工場群や手前のシックナーなどほとんどが太平洋炭礦時代のままの風景。丘の上にはかつてのっぽ電機が活躍した坑外軌道の架線柱が残る。'13.11.9 春採 
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それにしてもこの春採の地を訪れるたびに思い出すのが、運炭用坑外軌道のスライスチーズのような電気機関車たちのことです。坑口と選炭工場を結んでいた複線2フィート軌道は実に活気溢れるもので、宅地化が進む市街地を抜けてひっきりなしに運炭列車が走り回っていました。

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▲運炭用2フーターが敷きめぐらされていた選炭工場の丘の上は、今では広大な空き地となっている。前方に桟橋と架線柱が残されているのがわかる。'13.11.9 春採 
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▲上の写真と同地点の38年前。さながらスライスチーズのような奇妙な電気機関車に牽かれた運炭列車がひっきりなしに走り回っていた。'75.4.2 春採 

残念ながらその電気軌道の末裔も昨年春に架空線を取り払われてバッテリー化されてしましました(アーカイブ「ついに運転を終えたノッポ電機」参照→こちら)が、とはいえ現役の鉱山軌道を目にできるのも、ここ釧路ならではと言えましょう。

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▲釧路コールマインの現役の春採坑を敷地外の公道から見る。ラッキーなことに、近年導入された新トモエの10t蓄電池機関車(中央)、古参の5t蓄電池機関車(右)、そして斜坑を下る人車(画面左奥の白っぽい車輌)とスリーショットを目にすることができた。'13.11.9 
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▲今は"花咲線"の愛称を持つ根室本線の茶内駅。簡易軌道のなかで最後まで残った浜中町営軌道の起点でもあった。駅舎は当時のままほとんど変わってはいない。'13.11.8 茶内 
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根釧台地に路線をのばした多くの簡易軌道は、1970(昭和45)年度をもって農林省の整備事業が終了したこともあって、次々と廃止されてゆきました。そして最後まで残ったのが根室本線茶内駅を起点とする浜中町営軌道でした。

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▲かつてはC58の牽く列車が頻繁に行き交ったこの線路も、今では一日7往復ほどの旅客列車が走るのみで、すっかり人気もなくなってしまった。'13.11.8 茶内 
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▲茶内駅の事務室内にはささやかながら浜中町営軌道に関する展示もある。'13.11.8 
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浜中町営軌道は茶内~西円朱別間13.0㎞の茶内線、茶内線の途中の秩父内から分岐し上風蓮間まで13.4㎞の円朱別線、それに同じく中茶内から分岐して別寒辺牛へと至る7.7㎞の若松線からなり、自走客車(気動車)も4輌を揃えるなど比較的規模の大きい簡易軌道でした。廃止は1972(昭和47)年3月末(書類上は5月)で、この浜中町営軌道の廃止をもって大正年間より続く殖民軌道・簡易軌道の歴史は幕を閉じました。

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▲駅前横に広がる浜中町営軌道茶内停留所の跡地。前方の工場は今はタカナシ乳業となっている雪印乳業のミルク工場で、軌道はこの工場へとれたての原乳を運び込んでいた。'13.11.8 
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廃止から40年以上の歳月を経て、残念ながらその痕跡はほとんどなく、起点であった茶内駅の駅前にも茫洋とした空地が広がるばかりです。それでも、今は無人となった茶内駅の駅務室内にはささやかな資料展示があり、面白いことに、駅前通りの金物屋さんに頼むと鍵を貸してくれて見学することができます。

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▲茶内駅にほど近い"ふるさと広場"に保存されている釧路製作所製8tディーゼル機関車。かなり荒廃してしまっている。'13.11.8 
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▲その後ろには運輸工業製自走客車も保存されていたが、車体の傷みがひどく、現在では台車のみがその痕跡を留めている。'13.11.8 
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街中の公園には釧路製作所製のディーゼル機関車と自走客車の台車だけが保存されています。かつては自走客車も丸ごと展示されていましたが、補修が追いつかなかったのか、車体は解体されてしまい、今ではその台車だけが取り残されています。機関車の傷みも進んでおり、最後まで残った簡易軌道の貴重な遺産だけに、何らかの対応を望みたいものです。

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▲浜中町営軌道円朱別線の終点・上風蓮は別海村に入る。奥行臼からの別海村営軌道の終点も上風蓮だが、両者は離れており、残念ながら接続はしていなかったという。写真は別海村営軌道の上風蓮車庫で、現在も倉庫として残る。'13.11.8 上風連 
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▲札幌市内に昨年より10日早い初雪が降ったこの日、道東は快晴に恵まれた。冬枯れの木立をバックに「自走客車」が佇む。'13.11.8 
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旧国鉄奥行臼駅前の国道243号線を挟んだ向かい側には別海村営軌道風蓮線の奥行臼停留所があります。かつて別海村営軌道はここを拠点として根釧原野のど真ん中、上風蓮まで路線をのばしていました。

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▲加藤製作所製のDLが牽くミルク缶輸送用ボギー無蓋車。きれいに整備されたその姿はまるで現役時代そのまま。'13.11.8 
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現在は別海町の指定文化財ともなっているこの奥行臼停留所跡には自走客車、ディーゼル機関車、そしてミルク缶積載用のボギー無蓋車各1輌が残されており、一年を通して見学が可能です。昨年再塗装を施されたそうで、メーカーの釧路製作所が提供した解説看板とともに、今にも動き出しそうな素晴らしい状態で展示されています。

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▲釧路製作所製の自走客車もすっかりきれいになって展示されている。'13.11.8 
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▲自走客車の車内。ロングシートの客席は小さいながら3'6"軌間の気動車のそれと変わらない。'13.11.8 
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▲クルマの運転台のようなインパネを装備した運転台(左)。右はエッチング製の製造銘板で、釧路製作所釧路工場「形式:KSC-8、昭和38年11月製造、製造番号304」と打刻されている。'13.11.8 
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展示されている線路はかつての本線に相当する部分で、手前には比較的大きな転車台のピットも残されています。展示線と転車台を挟んでちょうど直角の位置にはかつての機関庫やミルク缶の積み替え設備の跡も残されており、点ではなく面としてかつての簡易軌道の営みを感じることができます。

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▲同じく釧路製作所製のミルク缶輸送用ボギー無蓋車。木製車体にも関わらずよく原形を留めている。'13.11.8 
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▲転車台のピットも残されている(左)。桁長8420㎜とかなり大きい。右はかつての車庫とミルク缶積み替え用の設備跡で、ピットを含めてこれだけの遺構が残されているのは驚き。'13.11.8 
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131114n012.jpgまた、国道脇には軌道事務所兼待合室も残存しています。住居にしては比較的大きめな平屋で、手前半分が軌道の待合室となっていたようです。ちなみにこの風蓮線はもともと厚床を起点にした馬鉄線(アーカイブ「『昭和三十四年二月 北海道』ついに完成」参照→こちら)で、奥行臼起点の内燃軌道に路線変更されたのは1963(昭和38)年のことでした。つまりこの軌道事務所兼待合室もその際に建造された比較的新しいもので、軌道廃止後も職員住宅として利用されていたことから、比較的傷みも少なく現在まで残存しているものと思われます。
▲かつての軌道事務所兼待合室も残っている。'13.11.8 
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▲別海町教育委員会のご案内で軌道事務所兼待合室の室内も見学することができた。軌道廃止後は職員住宅として再利用されていたというが、出札窓口(?)などもしっかりと残っている。'13.11.8 
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先述のように、別海町ではこの軌道事務所兼待合室や旧国鉄奥行臼駅周辺、さらに奥行臼駅逓所を含めた一体を史跡地区として活用しようと検討しているそうです。これまでにもフットパスツアーなど(アーカイブ「第2回標津線フットパスツアー報告」参照→こちら)鉄道遺産を活かした町づくりに積極的に取り組んでいる別海町だけに、今後の展開が注目されます。

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▲別海村営軌道風連線奥行臼停留所は別海町の指定文化財ともなっており、今後は標津線奥行臼駅や奥行臼駅逓所などと合わせての利活用が検討されている。'13.11.8 
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▲標津線西春別駅の跡地に建てられた別海町鉄道記念公園。残念ながら屋外の展示車輌は10月末をもって冬籠りのためシートに包まれてしまっていた。'13.11.8
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人口15,788人(本年10月末現在)に対して牛の頭数が114,764頭と、人より牛の方が圧倒的に多い町・別海町。根釧台地に広がる香川県より広い町域には、かつて国鉄標津線や簡易軌道風蓮線が走っていました。その標津線を後世に語り継ごうと造られたのが、別海町鉄道記念公園です。

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▲立派な鉄道記念館の展示室内。インドアの記念館は通年(月曜・年末年始は休館/無料)見学することができる。'13.11.8 
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▲標津線廃止時のさよなら列車のヘッドマーク(左)や、通票閉塞機なども美しく保存展示されている。'13.11.8 
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旧西春別駅後に設けられたこの記念公園には、車輌展示を主としたアウトドアの公園部分と、標津線に関わる用具や資料を展示したインドアの記念館があり、さらにそれらを取り囲むように噴水や散歩道などが整備されています。

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▲ホームを模した展示スペースには軌道自転車や富士重工業製モーターカーがディスプレーされている。'13.11.8 
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屋外展示場にはサハリンからやってきた旧ソ連国鉄のD51-27、国鉄のキハ22 239、キ276、ヨ4642などが保存されていますが、残念ながら訪問一週間ほど前に冬籠りのためにシートで厳重に梱包されてしまっており、その姿を目にすることはできませんでした。一方、記念館の中に入るのは今回が初めてでしたが、想像以上に展示内容が充実しており、別海町が今はなき標津線に抱く思いがいかに大きいかがうかがい知れます。

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▲昭和初期の駅舎の面影を色濃く残す奥行臼駅本屋。別海町指定文化財にもなっており、今後の利活用が検討されている。ちなみにかつてはこの駅前まで簡易軌道風蓮線が乗り入れていた。'13.11.8 
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次に足を向けたのは旧奥行臼駅。8年ほど前にも訪問しておりますが(アーカイブ「奥行臼、見果てぬ夢...」参照→こちら)、今回は別海町教育委員会にご案内いただき、駅舎の中なども拝見することができました。

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▲構内はまるで廃止時のまま時間が止まったかのよう。ただし、線路はいったん撤去されたのちに再び敷設されたもの。'13.11.8 
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▲構内厚床方に残る腕木式の場内信号機(左)。右は待合室内で、こちらも廃止時のまま残されている。'13.11.8 
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驚いたことに線路が残されているのは駅構内のみならず、構外まで総延長1キロ以上にもなるそうです。すぐ近くにある国指定史跡の旧奥行臼駅逓所(開拓時代の人馬の中継および宿泊施設)や、駅前に残る別海村営軌道の奥行臼停留所や車輌たちとあわせ、この一帯を史跡地区として利活用することはできないか...町ではそんな模索も始まっています。

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▲構内厚床方の線路は藪に吸い込まれてゆくが、実際はかなり先の国道243号線踏切跡まで線路が残されているという。'13.11.8 
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▲鶴居中学校のグランド脇に用品庫として残る釧路製作所製鋼製有蓋貨車の車体。'13.11.8 
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先週末はひさしぶりに道東を巡りました。釧路公立大学地域分析研究委員会のセミナーに招かれたためで、ついでと言ってはなんですが、道東に点在する鉄道遺産を慌ただしく駈け廻ってきました。

131112n201.jpgまず訪れたのは鶴居村に残る簡易軌道の保存車輌たちです。根室本線の新富士駅前から鶴居村へ至る簡易軌道雪裡線・幌呂線は鶴居村営軌道として1968(昭和43)年まで残り、廃止後も数輌の車輌が再利用もしくは保存されています。丸瀬布いこいの森で動態保存されている運輸工業製6tディーゼル機関車(アーカイブ「丸瀬布いこいの森を訪ねる」参照→こちら)も鶴居村出身で、簡易軌道廃止後は釧路市内の木材防腐会社・新宮商工のストックヤードで入換えに使用されていたものです。
▲釧路公立大学ではわが国の鉄道研究の系譜、とりわけ北海道における鉄道研究の足跡を1時間半にわたって講演させていただいた。なお、この日は釧路市交流プラザで北海道鉄道遺産ネットワークの年次総会も開催されており、道内各地の保存団体の皆さんにも参加いただくことができた。'13.11.8 
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▲鶴居中学校の有蓋貨車(左)とその銘板。「昭和35年3月 釧路製作所 積載量8瓲」とある。'13.11.8 
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鶴居村内には泰和車輌製ディーゼル機関車と自走客車と呼ばれるディーゼル動車、それに釧路製作所製の鋼製有蓋貨車の車体が残されています。前者はかつての郷土資料館前に保存されており、2004(平成16)年と2007(平成19)年にも現地を訪れています(アーカイブ「鶴居村営軌道の忘れ形見」参照→こちら)。6年ぶりの再訪となりましたが、別の場所に「ふるさと情報館」という図書館や郷土資料館を兼ねた立派な複合施設ができ、2輌が置かれている場所は残念ながら取り残されたような雰囲気となってしまっています。

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▲泰和車輌製のディーゼル機関車と自走客車。6年前に訪れた時には再塗装されたばかりだったが、さすがに傷みが目立ち始めている。'13.11.8 
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▲同じく泰和車輌製の自走客車39号。背後の郷土資料館は「ふるさと情報館」の新設とともに閉鎖されている。'13.11.8 
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▲台車はホイールベース1000㎜と超小型。日野DS60形エンジンを含め機器類はほとんど欠品もない様子。'13.11.8 
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その「ふるさと情報館」の常設展示場を入るとすぐに「村を支えた軌道」と題する展示があり、雪裡線・幌呂線の歴史や貴重な写真の数々が美しくディスプレーされています。取り残されたようなかたちとなったディーゼル機関車と自走客車の展示場に何の解説板もないことを考えると、せっかくこれだけ立派な「ふるさと情報館」を造るのであれば、旧郷土資料館前の保存車輌も移設展示してくれればよかったのにと思わざるを得ませんでした。

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▲立派な「ふるさと情報館」の常設展示場内の簡易軌道コーナー。ぜひとも保存車輌との連携を望みたいところ。'13.11.8 
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▲かつては雄別鉄道や鶴居村営軌道の接続で賑わった根室本線の新富士駅構内。閑散としたコンテナ荷役場横に単機のDF200 121〔鷲〕が休んでいる。'13.11.9 
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131112n102.jpg多くの簡易軌道は根釧原野に路線をのばしていただけに痕跡は残りにくく、鶴居村営軌道の場合もその大半は原野に還ってしまっています。そのなかで顕著に痕跡を留めているのが雄別鉄道を乗り越えていた地点のコンクリート製橋台でしょう。かつての雄別鉄道鶴野駅付近の原野にオブジェのごとく残るこの遺構が、車輌以外では鶴居村営軌道を偲ぶ縁となっています。
▲新富士駅の上り方には雄別鉄道鶴野線が根室本線を跨いでいた橋台が残る。'13.11.9 
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▲原野に忽然と現れる鶴居村営軌道の橋台。手前の舗装路は雄別鉄道の軌道跡を利用した道道835号釧路阿寒自転車道。'13.11.9 
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▲1994年の開設以来、20000形の所属基地であった喜多見検車区で執り行われた小田急電鉄から富士急行への譲渡式。引退から1年以上が経つがその姿は現役当時のまま。'13.11.7 喜多見検車区 P:RM(高橋一嘉) 
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去る10月11日に富士急行への譲渡が発表され、引退から1年以上を経て再び注目を集めている小田急電鉄の20000形ロマンスカーですが、11月11日の譲渡を前に、11月7日小田急電鉄喜多見検車区において小田急電鉄から富士急行への譲渡式が挙行されました。

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▲塩とお神酒によるお清めが執り行われた。'13.11.7 喜多見検車区 P:RM(高橋一嘉) 
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RSEこと20000形は、3000形SE車以来の連接構造を止めたことや、2階建て車輌によるスーパーシートと呼ばれるグリーン席およびセミコンパートメントの設置など、それまでの特急ロマンスカーとは一線を画す存在として1991(平成3)年にデビュー、JR東海371系とともに特急「あさぎり」を中心に使用されてきましたが、昨年3月に「あさぎり」運用を60000形MSEにバトンタッチし、小田急電鉄での役目を終えていました。

131107_03n.jpg今回の譲渡式では小田急電鉄、富士急行の両社からの挨拶、塩とお神酒によるお清めの後、20000形の所属基地である小田急電鉄株式会社喜多見検車区の瀬下区長から富士急行株式会社鉄道技術センターの勝俣副センター長へ図面・マスコンキーの譲渡が執り行われました。
▲小田急電鉄株式会社喜多見検車区の瀬下区長から富士急行株式会社鉄道技術センターの勝俣副センター長へ20000形の図面が手渡された。'13.11.7 喜多見検車区 P:RM(高橋一嘉) 
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▲拍手に見送られ、譲渡式の会場を後にする20000形。「あさぎり」の表示ももう見納めか。'13.11.7 喜多見検車区 P:RM(高橋一嘉) 
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今回譲渡されるのは7輌編成×2本あった20000形のうち20002編成で、富士急行では3輌編成化およびバリアフリー対策等の改造をし、現在2000形で運転されている「フジサン特急」の後継車輌とする予定で、来年2014年夏のデビューを目指すとしています。

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終着駅上野 夕方16時過ぎ、福島発東北本線上り124レが終着上野駅に到着。宇都宮から牽引してきたEF57 8が疲れをいやすように、秋の斜光を浴びて佇んでいた。 東北本線 上野 '74.9.3 P:遊川 清 (『わが国鉄時代』vol.11より) 
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ご紹介が少々遅くなりましたが、『わが国鉄時代』vol.11が発売中です。例によって山下編集長より今後の見どころをご紹介いたしましょう。

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除雪作業 幌内駅に到着した空セキは機関車転換後、すぐに推進運転で幌内炭砿石炭積出場へと推し上げられた。その煙を見送ると何事もなかったように、また人手による線路除雪が始まった。 59609 '75.1.30 幌内線 幌内 P:中島正樹 (『わが国鉄時代』vol.11より) 
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季刊『国鉄時代』も来たる12月21日発売のvol.36で丸9年を迎えます。正直、vol.1を発刊した時には、10年という節目は遥か遠くにあって、たどり着くことさえおぼつかなく思えたものでしたから、振り返れば感慨深いものがあります。
その『国鉄時代』に連動、2005年7月にタートしたホビダスブログ「わが国鉄時代」も8年を越え、今やアップ数は約3500枚という膨大な数に上ります。これもひとえにご投稿いただく皆様のお力添えあればこそ。本当にありがとうございます。そのブログから発展したムック『わが国鉄時代』もvol.11を数えるまでになりました。写真集ではなく「青春記」という位置づけで、時代の熱気のこもった一枚にエピソードを添えるというブログの手法をそのままに展開、多くの方の支持をうけています。

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▲阪 哲朗さんが語る音楽家への"原点"。 (『わが国鉄時代』vol.11より) 
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今回の前書きはドイツ・レーゲンスブルク歌劇場音楽総監督の阪 哲朗さんです。京都生まれの阪さんは幼い頃からのレイルファンで、最寄りの駅の脇の踏切でよく電車を眺めて「特急・急行7連までのリズム感が徹底的に体に叩き込まれた」と、音楽家への道の途中にある鉄道とのふれあいを振り返っていただきました。カメラを持ってからの鉄道少年時代の純粋な喜びもまた初々しく、つい親しみを覚えてしまいます。

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雪晴れの上目名 後志の山々に轟音を響かせて上目名を行くC62 2+C62 16牽引の「ニセコ1号」。次位機は45・10改正ではるばる糸崎区から転属してきた山陽タイプの16号機で、砂撒き管がボイラケーシングの外側に剥き出しとなっている。 C62 2+C62 16 104レ急行「ニセコ1号」 '70.12.25 目名-上目名 P:成田冬紀 (『わが国鉄時代』vol.11より) 
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特集は「追憶の函館本線客車急行」はC62が北海道で運用についてから、DD51「ニセコ」が廃止となるまで、成田冬紀さんの解説でその長い物語をたどります。東海道本線から小樽築港機関区にやってきた7輌のC62が奮闘した「大雪」「まりも」「アカシヤ」時代から蒸機ファンが陶酔した「ていね」「ニセコ」、そしてDD51牽引へ。山線客車急行の通史は記録として価値の高いもの。写真は多くの方々からお寄せいただいた力作で、C62独特のジェット音にも似たブラストや後志の山々に轟いたターボノイズが蘇るようです。

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▲8㎜の修復のプロの語る修復術とは...。 (『わが国鉄時代』vol.11より) 
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また、8㎜フィルムの修復を手がける京都「株式会社 吉岡映像」の 吉岡博行さんには8㎜の修復について、詳細に語っていただきました。カーリングや固着、乳剤の剥離など経年変化によるフィルムの劣化に、もはや打つ手なしとあきらめている方には朗報です。

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忙中閑あり 沼宮内は十三本木峠の補機の解結駅である。大幹線だけに過密ダイヤで運行される補機が慌ただしく連結、解放され活気に満ちていた。忙中閑あり。出発を待つ下り列車の乗務員がポイント脇で休憩している。折しも峠を制した上り列車が構内に進入してきた。電化開業を半年後に控えているが、構内にはまだ架線柱は建っていない。 '68.4.3 東北本線 沼区内 P:高橋孝一 (『わが国鉄時代』vol.11より) 
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東京駅13番線 ナハネフ22の「展望室」で談笑する女の子は修学旅行の学生のようです。これから旅立つのでしょうか、それとも帰路? 一夜の夢をむすぶ寝台特急はまもなく発車です。 '76.6 東海道本線 東京 P:鈴木達也
出札口 活気あふれる昭和の出札口の風景。大駅では硬券がぎっしり詰まった大型の乗車券箱がずらりと並び壮観なものでした。 '78.8 山陽本線 岡山 P:鈴木達也
お茶の香り(右頁上) 静岡県らしい写真を撮りたいと思い、茶畑の広がる丘の中腹で次々にやって来るブルトレを撮影した。14輌編成の「みずほ」は貫録十分。やっぱりロクゴPのブルトレは風格がある。 '76.4.3 東海道本線 島田-金谷 P:寺沢秀樹
初物づくし(右頁下) 「明星」は59・2改正から初めてヘッドマークが取り付けられた。また、14系15形客車も同改正から鹿児島方面への初運用となったが、61・11改正までの短い活躍だった。 '59.4.30 鹿児島本線 肥後田浦ー海浦 P:石原裕紀
 (『わが国鉄時代』vol.11より) 
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日本セメント専用線 高麗川郊外の旧日本セメント埼玉工場へ高麗川からセメント製品運搬用の専用線が延びていた。線路に沿って歩くと大きな煙突の工場が見え、折しも工場から戻って来た国鉄の9600と遭遇した。今は廃線になり沿線も宅地化が進んでいるようだ。 '69.6.1  埼玉工場-高麗川 P:中島正樹
通勤列車 9600が活躍していた当時から川越線随一の撮影地だった荒川橋梁。家路につく通勤客で満員の821レが49613に牽かれて行く。ジョイント音が夕暮れ迫る川面を渡っていった。ここを現在はE233が走っているとは...。 '69.9.13 川越線 指扇-南古谷 P:岸 芳夫
入換作業(右頁) 現在の埼玉新都心付近で、入換信号確認中の59654。当時は96やD51が走り回っていた。左上は与野駅。 '68.9.21 大宮操車場 P:岸 芳夫
 (『わが国鉄時代』vol.11より) 
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さて、今号の本編も多くの方々からご投稿いただき、重厚な誌面となっています。被写体も車輌だけにとどまらず、鉄道をとりまくほのぼのとした風景が多く、「最近こんな光景を見なくなったなぁ」と懐かしく記憶をたどる方も多いと思います。この本の中では、26年前に消えてしまった「国鉄」も、まだ熱く息づいています。
■『わが国鉄時代』vol.11
B5判180ページ/定価1,800円(税込)

※明日は不在のため小ブログは休載させていただきます。

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思い出の蒸機オイラン列車。

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▲測定用腕木を開き、まさに"オイラン"状態のオヤ31 11。'69.1 荻窪-西荻窪 P:古村 誠 
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RMライブラリー第167巻では『建築限界測定車 -オイラン車のバリエーション-』をお届けしましたが、先日、古村 誠さんからご自身の強烈な思い出となっている都会の蒸機オイラン列車の写真をお送りいただきました。

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▲高架線上の真新しい線路をゆっくりと進むD51 515〔八〕。'69.1 荻窪-西荻窪 P:古村 誠 

オイラン列車のこと、私には大きな思い出があります。小学3年生の冬、父の仕事の都合で関西から東京に引っ越しました。転校先は中央線荻窪駅近くの小学校でした。6年生のある日のお昼ごろ、蒸気機関車の汽笛が聞こえました。最初は空耳かと思いましたが、下校時、今の環状八号線を渡るときに中央線方向に煙が見えました。驚いて駆け足で帰宅、買ってもらって間もないオリンパスペンSを持って環状八号線が中央線をアンダークロスする辺りに行くと、いました! 初めて見るオイラン車を従えたD51です。

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▲D51 515号機は長らく八王子機関区に所属し、八高線の蒸気機関車さよなら列車の先頭にも立った東京のファンにとってはお馴染みの1輌。加減弁クランク下のスケール汚れが目立つ。'69.1 荻窪-西荻窪 P:古村 誠 
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今から思い返せば、中央線荻窪~三鷹間の緩行線開通直前の限界検査でした。職員の方々もひさしぶりで荻窪まで来た蒸気機関車になんとなく楽しげで、カメラを持って集まってきた私たちを線路上に招き入れてくれました。すぐ横の快速線は列車が行き来しており、今では考えられない暖かな配慮でした。機関車はD51 515、のちに八高線でさよなら列車をひいたカマです。
本当に楽しいひと時でした。この時の印象は強烈で、今でも時々夢に見ます。

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▲右側には測定関係の職員に交じって小学生たちの姿が...。'69.1 荻窪-西荻窪 P:古村 誠 

生活圏での現役蒸気機関車との邂逅...これはほんとうに一生の宝物ですね。しかも写真を拝見するに、高架線上の工事区間であるにも関わらずなんと長閑な光景なのでしょうか。職員に交じってカメラを持った小学生が自由に歩きまわっているなど、もう二度と再びありえない光景です。古村さん、なんとも心温まる写真をありがとうございました。

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▲遠来の参加者を交えて追分鉄道記念館のD51 320号機を前に記念撮影。D51 320号機は圧縮空気での動態化が計画されている。'13.10.6 P:三菱大夕張鉄道保存会 
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さる10月6日に開催された三菱大夕張鉄道保存会企画による「夕張の廃線跡バスツアー」は、大阪や横浜など道外からの参加者も含めて40名が参加して盛大に開催されたそうです。同会の奥山会長より当日の様子をお送りいただいておりますので、遅ればせながらご紹介いたしましょう。

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▲明石町駅のホーム跡を見学するツアー参加者。この遺構も来春には水没してしまうという。'13.10.6 P:三菱大夕張鉄道保存会 
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4回目となる今回の「夕張の廃線跡バスツアー」は、札幌・江別からは高架索道による石炭搬出等、開発期に夕張とのかかわりも深かった万字線・万字炭鉱跡を経由して夕張市入りしました。石炭の歴史村では、閉館中の「SL館」を特別に公開、夕張鉄道14号機、ナハニフ151号や三菱大夕張鉄道№4を見学。その後JR石勝線清水沢駅で開催中の写真展を見たのち、南大夕張駅跡で昼食となりました。

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▲閉館中の「SL館」の特別見学も行われた(左)。右は旭沢橋梁を見学するツアー参加者。'13.10.6 P:三菱大夕張鉄道保存会 
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その後、三菱大夕張炭鉱坑口を見学し、夕張シューパロダムの試験湛水で、いよいよ来春には水没する三菱大夕張鉄道明石町駅跡や旭沢橋梁、下夕張森林鉄道の三弦橋を見て回りました。

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▲優美な姿を見せる下夕張森林鉄道の三弦橋。この姿を目にできるのもあとわずか。'13.10.6 P:三菱大夕張鉄道保存会 
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最後は安平町の追分鉄道資料館でD51 320号機を見学しました。何時も綺麗に整備されたD51320ですが、近々圧縮空気で自走する計画が進んでいます。

131101n6015.jpgバスツアーは無事終了しましたが、清水沢駅で開催中の「写真展・汽笛の響く街 夕張」(編集長敬白アーカイブ「清水沢駅で"写真展・汽笛の響く街 夕張"開催中」参照→こちら)も会期が11月中旬と迫っています。夕張が炭都として隆盛した、1960年代の鉄道情景をテーマとした写真展ですが、このほど寄せられた写真を中心として来年度のカレンダー「Memory in the 60's"」が、当会により制作されました。
▲清水沢駅での写真展も見学。盛りだくさんな内容のツアーとなった。'13.10.6 P:三菱大夕張鉄道保存会 
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▲完成した三菱大夕張鉄道保存会のカレンダー「Memory in the 60's"」表紙。 
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9600形やD50形が活躍する夕張線や、11形による夕張鉄道の臨時列車、9200形・8100形等の古典輸入機関車が最後の活躍を続ける三菱鉱業大夕張鉄道、北炭真谷地専用鉄道等、写真展同様、黄金期の夕張の鉄道を彷彿とさせる内容となっています。益金は夕張市の鉄道文化財の保全・活用に使用させていただきますので、この機会にお求めいただければ幸いです。
購入希望の方は、500円分の受取人無記名の定額小為替と、送料分の200円切手を郵送で下記の三菱大夕張鉄道保存会事務局までお送りください。
〒069-0855 江別市大麻宮町4-6-502
三菱大夕張鉄道保存会事務局
http://www.geocities.jp/ooyubari_rps/index.html →こちら

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▲現役時代を彷彿させるキハ85-1の走りっぷり。立派な保守基地(車庫)内に保管されていることもあって状態はすこぶる良好。'13.10.20 大畑 
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東京の人間にとって、青森県を二分する南部地方と津軽地方、さらにその南部地方の中の上北地域と下北地域を分つの境界がどこにあるのかは俄にわかりません。そこで今回の視察をエスコートしてくれた青森県上北地域県民局にうかがったところ、行政的には下北半島の横浜町や六ヶ所村までが上北地域、それ以北が下北地域ということになるそうです。しかし、どうも実感としては大湊線が野辺地を離れた瞬間に"下北"に来たと感じてしまいがちです。

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▲車庫内に並んだキハ85-1(左)と旧国鉄色に塗られて車番も旧番号のキハ 22 150となったキハ85-2(右)。気動車はこの2輌が動態で維持されている。'13.10.20 大畑 
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さて、その下北地域では大畑線の保存に取り組んでいる「大畑線キハ85動態保存会」が素晴らしい活動を続けています。第一次特定地方交通線に指定された大畑線(下北~大畑間18.0㎞)が下北交通に経営転換されたのが1985(昭和60)年7月。本州最北のローカル私鉄として孤軍奮闘を続けていましたが、2001(平成13)年春についに全線廃止となり、命脈尽きたかに思われました。ところが廃止直後から現在の大畑線キハ85動態保存会の皆さんがその保存に奔走され、翌春から旧大畑駅構内を使っての動態保存運転が開始されました。

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▲キハ85-1の車内。キハ22形の内装をしっかりと留めている。'13.10.20 大畑 
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▲腕木式の出発信号機も保存されている(左)。側面の車体標記(右)は下北交通を示す"SKK"、形式の"85"は開業年を示している。'13.10.20 大畑 
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その後、同駅構内の上り方に100mほど線路を延長し、腕木式信号機を建植するなど着々と整備を続け、現在では5月から10月までの毎月第3日曜日に保存運転会が開催されています(大畑線キハ85動態保存会HP→こちら)。

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▲大畑駅ホームに懐かしいDMH17のアイドリング音が響く。毎月一回の運転会は地元の皆さんにも好評。'13.10.20 大畑 
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▲下北交通時代からの検修庫(保守基地)はたいへん立派なもの(左)。庫内には協三工業製の10t貨車移動機(06-28-01-450/動態)の姿もある(右)。'13.10.20 大畑 
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存じ上げなかったのですが、庫内に静態保存されているキハ85-3の車内には1/80スケールの巨大なシーナリィ付きレイアウトが設置されています。全長17m×幅2.6m、線路延長は実に90mに及ぶ大規模なもので、布原信号場、中在家信号場、そしてもちろん大畑駅など懐かしい国鉄時代の情景がきっちりと再現されています。

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▲庫内で静態保存されているキハ85-3の室内にはなんと巨大な模型レイアウトが設置されている。座席の上部空間を有効利用してのもので、ちょうど線路が目線の高さとなる。'13.10.20 大畑 
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そしてもうひとつ感動したのが、構内に隣接するお宅の"おもてなし"です。大畑線キハ85動態保存会の皆さんが黙々と作業をしておられるのを横目にしつつ、何とか力になれないかと庭先に野点(のだて)の席を設けられたのが最初だそうで、今では地元産の食材を駆使した料理など、さまざまな"おもてなし"で保存会の皆さんを励ましておられます。今回の旅のなかでも、向山駅の皆さんが掲げるメッセージカードとともに心温まるエピソードでした。

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▲ひさしぶりに大湊線にも乗車。今や新幹線ともJR在来線ともまったく接続していない離れ小島となった異色のJR線である。'13.10.20 大湊 
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▲大湊線の起点・野辺地駅(左)。右側のホームには青い森鉄道の列車が見えるが、かつてはこの跨線橋を渡った先に南部縦貫鉄道の乗り場があった。右はモダンな駅舎に生まれ変わった終点の大湊駅。'13.10.20 野辺地/大湊 
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ところで、大畑を訪れるに際して、ほんとうにひさしぶりに大湊線に乗車しました。大湊線は無煙化まで好きな路線のひとつで、ことに有戸-吹越間の海沿いをゆくC11を何回かファインダーに収めました(編集長敬白アーカイブ「吹越のこと」参照→こちら)。陸奥湾の波が線路を洗うがごとき情景は今日も変わっていませんでしたが、有戸-吹越間は駅間が13㎞以上もあり、車窓を眺めながら、よくぞこんなところを歩いたものだと40年前の自分にあきれ返ることしきりでした。

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▲有戸から吹越へ、陸奥湾の波に洗われるように走る大湊線の醍醐味はいまだ変わってはいない。'13.10.20 有戸-吹越 
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▲今から40年前、同じ有戸-吹越間で捉えたC11牽引の大湊線貨物793列車。今さら思えば吹き付ける強風の中をよくこのポジションまで歩いたものだ。'73.3.24 有戸-吹越 
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131101001.jpg2日間の視察を終え、20日(日曜日)の夕方には東北新幹線七戸十和田駅に隣接する七戸町交流センターでのパネルトークに参加いたしました。今回は青森県上北地域県民局地域連携部の主催で保存鉄道2か所を含めた4カ所のスタンプラリーも開催され、いわば横の繫がりが芽生えはじめたわけですが、パネルトークでは点の活動を面に広げる連携、そして情報発信の重要性などが提起されました。身の回りにある"普通"は、地元の方にとっては気づかなくても、全国区ではまたとない観光資源なのかもしれません。上北・下北の鉄道遺産が地域の宝物として再び光を放つのを期待してやみません。
▲東北新幹線七戸十和田駅に併設された七戸町交流センターで行われたパネルトーク。'13.10.20 七戸十和田 
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