鉄道ホビダス

2013年8月アーカイブ

岡田誠一さん急逝。

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▲星 晃さんに寄り添われる岡田誠一さん。本誌で連載された「国鉄車輌誕生秘話」では毎月のように尊敬される星さんから聞き書きをされ、また、生前の星さんも岡田さんに全幅の信頼を置かれていた。'08.3.29 P:名取紀之

本誌誌上で「一枚の図面から」を連載されていた岡田誠一さんが、昨日8月28日16時39分急逝されました。まだ48歳。あまりに突然の訃報に言葉もありません。

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▲岡田誠一さんの遺されたRMライブラリーの数々。

岡田誠一さんは1964(昭和39)年川崎市のお生まれ。横浜市交通局にお勤めになり、乗務経験を経たのち広報担当としてご活躍されました。のちに同交通局を退かれて、かねてより健筆を奮っておられた鉄道車輌に関する執筆に専念。RMライブラリーの第1巻『キハ41000とその一族』をはじめ、弊社やJTBパブリッシングなど各社から数多くの著作を世に送り出されてこられました。
また、鉄道友の会客車気動車研究会の代表として、鉄道友の会の運営はもとより、後進の育成にも実に細やかな心配りをされておられ、今回の訃報の喪失感ははかり知れません。精力的に蒐集されてきた膨大な資料類も、研究の一助となればと分け隔てなく公開されるなど、そのおおらかなお人柄は誰からも慕われるものでした。これから十年、二十年と、わが国の鉄道趣味界を代表するお一人として活躍を続けられると思っていただけに、返す返すも残念でなりません。

なお、ご葬儀はご遺族のご希望で家族葬として営まれるそうです。これまでのご交誼と、この趣味界へのご功績の数々に深く感謝申し上げ、心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

※ご年齢を49歳としておりましたが、11月のお生まれで正しくは48歳です。謹んで訂正させていただきます。

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▲昨年の「汽車フェスタ」の様子。夕張の地もこのフェスタが終わると一気に秋が深まってゆく。P:三菱大夕張鉄道保存会
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過激な猛暑もようやく峠を越えたのか、多少なりとも過ごしやすくなってきた東京ですが、不順な天候が続いた北海道はもう秋の気配が漂っているようです。毎年この季節にご案内いただいている南大夕張駅跡の「汽車フェスタ」が、今年も今度の日曜日9月1日に開催されます。三菱大夕張鉄道保存会の奥山道紀さんからのメッセージをご紹介いたしましょう。

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▲往時の三菱大夕張鉄道。シューパロダムにより廃線跡の大半が湖底に沈む。'70.11 南大夕張-明石町間 P:伊藤保則
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北海道では例年8月を過ぎると一気に秋の気配が深まります。今年も9月1日(日)に、南大夕張駅跡を会場として汽車フェスタを開催します。南大夕張駅跡には石炭輸送に活躍したセキ1、2(形式セキ1、セキ1000)や、地域の人々の交通手段となった客車が保存され、「近代化産業遺産」「北海道遺産」として認定されていますが、今では「炭鉱」や「林業」で栄えた地域の貴重な歴史の証人となっています。

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近くで建設が進められていた夕張・シューパロダムも完成段階を迎え、来春には試験たん水が開始され、三菱大夕張鉄道の旭沢橋梁や、下夕張森林鉄道の三弦橋も水没の予定です(これらの橋梁群は「夕張シューパロダム湖周辺の橋梁群とその景観」として、平成24年9月「夕張市指定文化財」に指定されており、ダム渇水期の眺望が期待されます)。

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▲今回Nゲージキットが頒布されるセキ1、2。P:三菱大夕張鉄道保存会
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130825n005.jpg「汽車フェスタ2013」では昨年に引き続き「シューパロダムカレー」を提供します。
また、同所に保存されているセキ1、2のNゲージキットも登場します。これはモデルアイコンさんのセキ1000キットに特製デカールを付けたセットです。なお、セキ1000は南大夕張保存車輌セキ2になりますが、セキ1については形式がさらに古いセキ1ため、"タイプ"モデルとなります。また、当日会場で新規グッズの頒布を開始しますので、こちらもご期待下さい。前日8月31日の夕刻には前夜祭として列車のライトアップも行います。初秋の南大夕張に多くの皆さんの来場をお待ちしています。
▲今年も登場する「シューパロダムカレー」。P:三菱大夕張鉄道保存会
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▲前夜祭にライトアップされる保存車輌。駅名標にある「明石町」のあった地区は来春にはダムに水没する。P:三菱大夕張鉄道保存会
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長谷川 章さんの訃報に...。

130826n201.jpg創刊号から1989年5月号(№66)までRM本誌の副編集長を務めていただいた長谷川 章さんが、8月25日(日曜日)にお亡くなりになりました。
長谷川さんは1948(昭和23)年のお生まれ。学生時代から蒸気機関車の撮影に熱意を傾けられ、ことにC62重連の急行「ていね」、「ニセコ」の撮影にはなみなみならぬ情熱を燃やされました。のちに鉄道ジャーナル社が制作されたドキュメンタリー「雪の行路」のスチル撮影も担当され、その一連の成果は本誌連載『感動の所在地』でも使わせていただき、多くの皆さんの心に残っているものと思います。また、1970年代から足しげく台湾に通われ、撮影のみならず黎明期の台湾鉄道趣味界と交流を深められました。古 仁榮先生をはじめ長谷川さんを慕われる重鎮の方も多く、日台の趣味の架け橋ともなってこられました。
1976(昭和51)年から1983(昭和58)年までは月刊(のちに季刊)『Railguy』(のちに『RAILGUY』 )の編集長をお務めになられ、のちに弊社を辞められてからは編集プロダクション「あっぺるばうむ」を設立、造詣の深かった台湾関係の旅行ガイドブックをはじめ、数多くの鉄道関係ムックの編集にも携われました。RMの別冊ポケットシリーズとして発行した『スーパートレインブック』(1991年)、『ALL ABOUT JR LOCO』(1992年)、『ALL ABOUT JR特急』(1993年)なども長谷川さん編集によるものでした。
多くのカメラマンや著者の皆さんを育てられたのも長谷川さんの大きな功績でした。その包容力溢れる温和な人柄もあって今もって長谷川さんを慕われる方は多く、このたびの訃報は大きな衝撃となって伝わっています。
ここ数年は難病を患われて闘病生活を送っておられたそうです。享年65歳。編集室で机を並べた日々を思い返しつつ、ご冥福をお祈り申し上げます.

▲100系新幹線量産車試乗会を取材中の長谷川 章さん。1986年 P:名取紀之

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▲今月21日より営業運転を開始した2100形車体・機器更新車2101編成。初日は〈ウィング1号〉の運用に充当された。'13.8.21 金沢文庫 P:進林雅彦(RM Newsより)
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京浜急行電鉄創立100周年を迎えた1998(平成10)年に登場した2100形に、車体・機器更新車が登場しました。
2100形は2000形の後継車輌として、「Casual & Free」をインテリア・コンセプトに8輌固定編成(4M4T)×10本が製造され、2133・2141編成を除いてVVVFの更新工事が既に実施されており、また2157編成は"BLUE SKY TRAIN"として青色塗装となっているので、ご存知の方も多いでしょう。ちなみに、2100形の形式名の由来は、創立100周年と21世紀をかけたものだそうです。

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▲車体・機器更新工事により、車体妻部の優先席のシートが赤色に変更されたほか、妻部の側窓が下降窓となった。なお、座席の腰掛は跳上式のままとなっている。
'13.8.20 京急ファインテック久里浜事業所 P:RM(小野雄一郎)

今回の車体・機器更新工事は京急ファインテックにて、2101編成を対象に施工されました。
まず車体関係では、排気扇を各車輌とも1台ずつ撤去したほか、車側戸閉表示灯の電球式からLEDへの変更、正面貫通扉の「けいきゅん」ステッカーの貼り付けが行われました。

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▲側引戸の内装板には黄色の視認性向上ラインが付けられており、床面部には黄色の床識別板が新設されるなど、バリアフリーに配慮したつくりに変更されている(左)。また、液晶表示器がかもい部に取り付けられており、日本語ならびに英語で次駅案内や乗換案内、主要駅設備情報、運行情報が表示される。ちなみに「京急線をご利用いただきましてありがとうございます。」の文言とともにお辞儀をする「けいきゅん」の姿も登場する。室内灯もLEDに変更された (右)。車内の山側海側それぞれに2本ずつLED管が使用されており、間接照明方式で車内を照らす。'13.8.20 京急ファインテック久里浜事業所 P:RM(小野雄一郎)
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次に車内関係では、側引戸かもい点検フタのLED車内表示器を液晶(LCD)表示器に変更して各種案内を表示するほか、表示器の隣には路線図を新設し、扉開閉チャイム装置の新設、側引戸部分は黄色の視認性向上ライン付内装板への変更および床識別板の新設、妻部側窓の下降窓化とロールカーテンの新設、優先席シートの赤色化、室内灯のLED化、客室スピーカーを8台から6台にしたこと(音圧は同等)が変更点です。

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▲車内妻面上部に掲出されている車番標記。東急車輛(現・総合車両製作所)で1998年に新造され、京急ファインテックで2013年に更新工事が施工されたことが読み取れる。'13.8.20 京急ファインテック久里浜事業所 P:RM(小野雄一郎)
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最後に乗務員室関係では、運行情報などの乗務員支援情報の車上情報管理装置と車上情報表示装置の新設、ならびに乗務員室灯もLEDに変更されました。
車体・機器更新工事を終えた2101編成は8月14日より試運転を行い、21日より営業運転を開始しています。「けいきゅん」のステッカーを付けた同編成は、ファンや利用客に親しまれることでしょう。

取材協力:京浜急行電鉄株式会社

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▲会場は東京ビッグサイト西3ホール。巨大なホールが狭く感じられるほど、高校生たちの熱気が溢れている。'13.8.23
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5回目となる全国高等学校鉄道模型コンテストに初めての全国大学鉄道模型コンテストを加えた「鉄道模型コンテスト2013」(→こちら)が、23日(金曜日)、24日(土曜日)の2日間、東京ビッグサイト(東京国際展示場)の西3ホールで開催されています。

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▲女子中高生の参加が増えたのも注目される。写真は横浜富士見丘学園中等教育学校地理研究部の1畳レイアウト部門のエントリー作品。'13.8.23
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▲こちらは白梅学園清修中高一貫部鉄道模型デザイン部のエントリー作品。「神様たちのいるところ」と名付けられたファンタジックなレイアウトは「千と千尋の神隠し」をモチーフとしている。'13.8.23
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今回の参加校は各部門合わせて実に137校。全国から集った鉄道模型レイアウトに情熱を燃やす高校生たちの熱気で、会場は午前中からたいへんな盛り上がりようでした。次第に女子高や女生徒の参加も増えてきており、従来のモデラーにはない感性に、まさに"目から鱗"状態でエントリー作品を見て回りました。とにかく膨大な作品数ですので、詳しいご紹介は『RM MODELS』本誌に譲るとし、ここではダイジェストをご覧ください。

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▲「東北震災復興プラン -町を重ねて津波を受け流す-」を発表したのは国立舞鶴工業高等専門学校鉄道研究同好会。'13.8.23
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▲高校生の作品とは思えない作り込みも随所に見られる。これはモジュール部門にエントリーした灘中学校・灘高等学校鉄道研究部の「アドリア海の女王」。昨年に続いて海外をテーマにし、今回はベネチア市街地の運河をモジュール化。'13.8.23
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▲逗子開成高等学校・中学校鉄道研究部はタイムリーな東急東横線代官山駅の地下線切り替え工事を再現。地上線には工事資材が配置され、地下線側は走行風景が見えるようにアクリル板でシースルーにする凝った造作がなされている。'13.8.23
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とにかく驚かされるのはその発想の柔軟さです。「こうあらねばならない」という固定観念を払拭して作品作りに取り組む姿勢は高校生ならでは。しかも予算的にも制約があるためか、身近は材料を工夫してイメージを具現化しようとする様は、実に清々しいものがあります。

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▲千葉県立千葉高等学校は京急神奈川駅をリアルにスケールダウンしたモジュールを出展。JR線側にZゲージ用軌道を用いて狭軌感を演出し、さらに架線や停車車輌の開扉(ダミー)を見せるなどその拘りたるや驚き。'13.8.23
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▲奇想天外な発想が、アクアリウムの中を列車が通り抜ける大阪府立佐野工科高等学校電子工作部の「佐野海溝」。水槽そのものに透明パイプを貫通させたものではなく、実作は手前と上面にのみ水をはっているものの、それでも4㎏近い水量となっているという。手前側のエアポンプは"魚"が沈まないための役目も担っている。'13.8.23
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▲水面(?)のサーファーは楊枝による手作り。スイスイと滑るためにサランラップを付けるアイデアが光る。'13.8.23
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▲トークショーも人気。いすみ鉄道の鳥塚社長と由利高原鉄道の春田社長のトークに会場が沸く(左)。右は会場内で実に7年ぶりに再会した米国サウンド・トラックス社のナンシー・ウォークマンさん(編集長敬白アーカイブ「ナローゲージ・コンベンションの旅」参照→こちら)。KATOが開発中の「サウンドボックス」(仮称)のビジネスパートナーとして来日している。ちなみにこの写真は社長のスチーブン・ドミンゲッツさんに撮っていただいたもの。感謝!'13.8.23
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思えば私が初めて『鉄道模型趣味』誌の誌面を飾らせていただいたのも高校生の時。高校鉄研の仲間と製作したレイアウトが山崎主筆の目にとまり、当時としてはあまり類例のなかったエンド・トゥ・エンドの分割式セクションレイアウトに、さらにナローをドッキングさせた点をご評価いただいたのか、高校生の作品としては異例のカラー5頁を含む15頁にもわたってご紹介いただきました。取材前日はあまりの嬉しさに一睡もできなかったのを昨日のことのように思い出します。同様に、今日の「鉄道模型コンテスト2013」も、きっと生涯忘れられない日となる皆さんが少なくないのでしょう。

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▲会場内には5インチゲージの体験乗車コーナーや、全国の鉄道事業者のブースなども並んでいる。24日(土曜日)までの開催で、日曜日までではないので要注意。'13.8.23
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▲JR土讃線(上)との交差部の現状。下は中央部が琴電琴平線。左側の開口部に琴平急行電鉄線が走っていた。'13.8.16 P:宮武浩二
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続いて琴平急行電鉄です。聞き慣れない鉄道会社名かと思いますが、琴平急行電鉄は1930(昭和5)年に坂出町(現在の坂出市)から飯野山を経由して琴平までを結ぶ鉄道として開業しました。当時すでに琴平に向かう鉄道は鉄道省、琴平電鉄、琴平参宮電鉄に続くものでした。

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▲琴平急行電鉄琴平駅跡に立つ琴平郵便局。'13.8.16 P:宮武浩二
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しかし不幸なことに、戦時中の鉄材供出による不要不急の鉄道に指定され、1944(昭和19)年に線路は撤去され、車輌も名古屋鉄道へと売却されました。会社自体も戦後の1948(昭和23)年7月には琴平参宮電鉄に吸収合併され、書類上の鉄道としても1954(昭和29)年8月末に廃止申請がされています。

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▲当時の沿線案内。裏側(右)を見ると、やはり飯野山と信貴山讃岐別院を大きくPRしているのがわかる。所蔵:宮武浩二
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▲鉄道線休止(撤去)後の株主総会通知書。所蔵:宮武浩二
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現在、琴平急行電鉄を偲ぶものは構築物の一部以外まったく残されていませんが、車輌を譲渡した名古屋鉄道を介して豊橋鉄道東田本線の3202、3203号の直接式制御器が残っています。台車も近年までモ600形の保存車に残っていましたが、今ではこの豊橋鉄道の直接制御器のみとなってしまっています。

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▲豊橋鉄道赤岩口車庫。左端の庫内で休む3202号の直接制御器が琴平急行電鉄由来のもの。'13.8.16 P:宮武浩二
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▲豊橋鉄道3202号に現存する琴平急行電鉄の忘れ形見、日立製作所製直接制御器DR型BC-447。'13.8.16 P:宮武浩二
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鉄道線が休止されて来年で70年。琴平急行電鉄を利用した地元の方もほとんどいなくなってしまった今、わずかに残る鉄道廃線跡を偲ぶぐらいしかできなくなってしまいました。せめて豊橋鉄道東田本線の直接式制御器が、琴平急行電鉄由来の品として長く現役で残ってほしいと願わずにはいられません。

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▲緩い勾配を登るとかつての琴平参宮電鉄の岩崎隧道が見えてくる。'13.8.16 P:宮武浩二
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勢力的に軌道線や鋼索線の遺構を訪ね歩いておられる宮武浩二さんから、今回は琴平参宮電鉄と琴平急行電鉄の遺構・遺物のレポートを頂戴しました。

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▲戦前の沿線案内(左)と鉄道線廃止時を前にして配布された趣意書(右)。所蔵:宮武浩二
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まずは琴平参宮電鉄から。宮武さんは2年前にも善通寺赤門前駅舎の遺構を見に行かれたそうですが、その際にもすでにかなり建物が老朽化しており、再訪せねばと気になっておられたのだそうです。今回はその善通寺赤門駅前と岩崎隧道の現況です。

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▲正面から見たかつての善通寺赤門前駅。日本家屋の正面を西洋風に飾りつけたもの。しかし家屋の老朽化進んでいる。琴平参宮電鉄の現存する唯一の駅舎であり、保存を期待したい。'13.8.16 P:宮武浩二
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130820n002.jpg琴平参宮電鉄は1963(昭和38年)年9月に全廃となりました。廃止から50年という歳月が経過しましたが、善通寺赤門前駅の当時の駅舎が現存しています。琴参が全廃になった後は用途が変更され飲食店として営業していました。それも鉄道敷地内ではなく街角の駅舎であったことが幸いしたのでしょう。歳月は流れ善通寺赤門前の繁栄は徐々に失われ、飲食店も退店して現在は使用されておらず、屋根も一部崩壊しているようです。しかし建物の装飾は電車が走っていた当時のまま残っています。いずれは老朽化のため解体されてしまうのでしょうか...。
▲善通寺赤門前駅の当時のままの壁飾り。'13.8.16 P:宮武浩二
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▲善通寺赤門前。交差点にはポイントがあり、真っ直ぐ行くと多度津港、右に廻ると丸亀、坂出に軌道が続いていた(左)。左手が善通寺赤門前駅(右)。まっすぐ進むと善通寺の参道が続く。'13.8.16 P:宮武浩二
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岩崎隧道は長らく線路を撤去した状態で捨て置かれていましたが、近年道路として整備されて車の通行も可能となりました。隧道の入口には「岩崎隧道」の扁額や煉瓦も残り、歴史を感じさせます。内部は崩落防止のためスレートで覆われており、架線の吊金具などは撤去されています。ただ、この岩崎隧道の前後は道路の形状など電車が走っていた当時を髣髴させてくれます。

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▲岩崎隧道の琴平側を見る。'13.8.16 P:宮武浩二
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▲掲げられた岩崎隧道の扁額は琴平参宮電鉄時代のもの(左)。右は岩崎隧道の善通寺側。'13.8.16 P:宮武浩二
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多度津線の桃山隧道は道路が幹線道路になっているので隧道も改修されて電車が走っていた当時の痕跡は探し出すことが出来ませんでした。また土讃線を超える跨線橋も新橋に架け替え中で、電車が走っていた当時の橋げたなどはすでに撤去されていました。

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▲岩崎隧道を抜けると軌道跡は琴平に向けて続いている。前方に見える右手の高層のホテルが琴参琴平駅跡に建つ「ホテル琴参閣」。'13.8.16 P:宮武浩二
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▲所沢駅の屋上庭園「トコニワ」に敷設された軌道。車止めや転轍標識などが芝生の上にレイアウトされている。'13.8.14
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7月19日に発売した『写真で見る西武鉄道100年』はたいへんご好評をいただき、今月初旬にはさっそく重版が完成いたしました。2,800円と絶対金額が決して安くはないにも関わらず、西武鉄道駅売店(TOMONY)でも初版納品分が一週間ほどでほぼ完売というありがたい情報もいただいています。

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▲「トコニワ」の全景。決して広くはないが、いかにも鉄道事業者の本社所在駅にふさわしい施設。'13.8.14
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さて、同書の編集中は打ち合わせや校正の出し入れなどで足しげく所沢の西武鉄道本社にうかがっていました。そんななか4月26日には所沢駅新駅舎の連絡通路が完成、あわせて屋上庭園も誕生しましたが、「ぜひご覧になってください」とおすすめいただいたにも関わらず、いつも時間に追われて急ぎ足で改札を通過するばかりでした。

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▲「トコニワ」の看板はついこの前まで所沢駅ホームの上屋を支えていた古レールが支柱となっている。'13.8.14
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今回、姉妹誌『鉄おも!』の9月1日発売号が巻頭で所沢駅をフィーチャーしており、私も先日ようやく話題の屋上庭園をのぞいてきました。2009(平成21)年より続いてきた所沢駅改良工事では改札前の中央自由通路と南側自由通路をつなぐ連絡通路が完成、この回廊状のコンコースの上に「とこてらす」と名付けられたオープンテラスが設けられました。ゆったりとくつろげるこのテラスには、ベンチや野球観戦ができる大型モニターなども備えられ、憩いの場としての新しい所沢駅が提案されています。

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▲「トコニワ」から飯能・西武新宿方面をのぞむ。望遠レンズがあれば池袋線が新宿線を乗り越える有名ポイントも撮影できる。'13.8.14
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▲屋上庭園「トコニワ」へは中央改札横の階段を上がる(左)。右は「トコニワ」から見下ろした中央改札周辺。'13.8.14
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そして何よりも驚きなのが「トコニワ」と称する屋上庭園です。芝生やハーブに彩られた庭園には線路が敷設され、そればかりか矢羽根付き転轍機や各種線路標識などがディスプレーされています。まさに鉄道会社の本社のお膝元に相応しい屋上庭園と言えましょう。

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▲現在はまだ芝生の養生中だが、遠からず屋上の癒しのスポットとなるに違いない。'13.8.14
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また、一昨年まで所沢駅のホーム上屋を支えていた1917(大正6)年米国カンブリアアイアン社製の古レールが「トコニワ」の看板支柱として解説を伴って使用されているのも心憎い演出です。今週末24日(土曜日)には「南入曽車両基地電車夏まつり2013」(→こちら)が開催され、所沢方面に足を向ける方も少なくないかと思います。ぜひ一度この「トコニワ」ものぞいてみてください。

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▲今回「島秀雄記念優秀著作賞」単行本部門を受賞することになったRMライブラリー『日本の食堂車』。現在第3版と重版を重ねている。背後はこれまでに同賞を受賞した弊社刊行物の数々。

毎年一回、趣味的見地に基づき鉄道分野に関する優れた著作物または著作物に関わる功績を選定し、鉄道および鉄道趣味の発展に寄与することを目的として、鉄道友の会が2008年に新設した「島秀雄記念優秀著作賞」の発表があり、RMライブラリーの『日本の食堂車』が2013年単行本部門を受賞いたしました。

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▲車輌のみならず、当時のメニューや実際の料理写真まで掲載し、多面的に食堂車の時代を浮き彫りにしている。 (RM LIBRARY『日本の食堂車』より)

RMライブラリー150巻記念として発行した『日本の食堂車』は、鉄道友の会客車気動車研究会の皆さんの長年にわたる弛みない研究の成果で、今回の授賞理由は以下のように発表されています。

120120nrml150h1sn.jpg「鉄道友の会客車気動車研究会のメンバーによる共同執筆で、採り上げる車両の網羅性を重視して初出資料と写真を多用しており、わが国の食堂車の歴史が、これ1冊にすべて集約されている点が高く評価されました。また、車両形式の特集にありがちな形式や番号変遷の解説のみにとどまらず、室内やメニューの写真をカラーで豊富に掲載した独自性はこれまでの類書にもほとんど見られないもので、当時の世相をしのぶための歴史資料としても優れています。日本の食堂車を網羅し、これを体系的にまとめた点を高く評価し、受賞作にふさわしい著作と判断しました。」

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▲「動くホテル」とうたわれた20系寝台車の食堂車ナシ20形。中でも日立製のものは外部のデザイナーに依頼したという現在見てもきわめて斬新な意匠だった。 (RM LIBRARY『日本の食堂車』より)

「島秀雄記念優秀著作賞」は今年で6回目。ありがたいことに今回の受賞で、弊社はRMライブラリー5点(『日本の蒸気動車』、『国鉄EF13形』、『出石鉄道』、『銚子電気鉄道』)、それに『門鉄デフ物語』と、5年連続で計6点が島賞をいただいたことになります。

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▲151系でスタートしたビュフェは、急行電車でも取り入れられ、それまでの客車食堂車に取って代わった。中でも特徴的だったのが東海道の電車急行における「寿司カウンター」。上のメニューからは寿司以外にも多種多様なメニューを小さなカウンターから提供していた事が読み取れよう。 (RM LIBRARY『日本の食堂車』より)

なお2013年「島秀雄記念優秀著作賞」は以下のように単行本部門4件、定期刊行物部門1件、特別部門1件の合計6件が選定されています。
■ 単行本部門(4件) ※発行日順
・辻村功『鉄道メカニズム探究』JTBパブリッシング(2012)
・鉄道友の会客車気動車研究会『日本の食堂車』ネコ・パブリッシング(2012)
・小関和弘『鉄道の文学誌』日本経済評論社(2012)
・鉄道の「知」を探る編集委員会『鉄道の「知」を探る』山川出版社(2012)
■ 定期刊行物部門(1件)
・澤内一晃、星良助「北海道の私鉄車両」(鉄道友の会『RAILFAN』2007年8月号~2012年6月号掲載)
■ 特別部門(1件)
・「機関車史研究会の一連の著作」(近藤一郎)に対して

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▲技能試験当日、緊張した面持ちで国土交通省の試験官(左)の点呼を受ける...といったシーンの撮影。右から梅宮辰夫さん、石黒 賢さん、そして吹石一恵さん。'13.4.17

NHK千葉放送局が制作した千葉発地域ドラマ「菜の花ラインに乗りかえて」が10月9日、BSプレミアムで全国放送されます。脚本は真柴あずきさん。"千葉"+"菜の花ライン"でお察しのように、ドラマの舞台はいすみ鉄道。主人公の本多かおり役には吹石一恵さん。その周りを石黒 賢さん、梅宮辰夫さん、浅田美代子さん、渡辺正行さんといった名優の皆さんが固める期待のドラマです。

nanohanaline05.jpgNHKのホームページからそのストーリーを簡単にご紹介すると...

恋も仕事も順調な、国際線のキャビン・アテンダント、本多かおり。彼女に襲いかかるリストラ、失恋などの不幸の数々。失意の中、帰省したかおりが出会ったのは、少女時代に乗った懐かしい黄色の列車だった。美しい田園や里山を縫いながら、房総半島をゆっくり横断するローカル線。かおりは貯金をはたいて訓練費の700万円を捻出し、鉄道運転士を目指す一大決心をする。かおりは新たな夢をかなえることができるのか...?
▲わずかなカットの撮影にも大勢のスタッフが駆け回る。'13.4.17
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▲同じシーンの撮影でも複数の角度、さらにはアップと、いくつものりテイクが重ねられる。'13.4.17

ロケ地となるいすみ鉄道が撮影に全面協力。タイトルのように菜の花の季節、今年4月には沿線各地で撮影が行われました。実はこのドラマの鉄道監修を私が仰せつかり、その関係もあってロケ現場にお伺いいたしました。NHK千葉放送局がテレビドラマを制作するのは何とあの「澪つくし」(1985年)以来とのこと。前作は銚子電気鉄道が背景で、奇しくも二作続けてローカル私鉄が舞台となったわけです。

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▲大多喜の車輌基地を借りての撮影。横に並行道路があるため、予期せぬ通過車の音などでNGが出てしまうことも...。'13.4.17
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nanohanaline03.jpg大多喜の車輌基地では、吹石一恵さん演じる主人公の本多かおり、同期の訓練生役の石黒 賢さん演じる神崎和也、梅宮辰夫さん演じる鴨川善三郎が、国土交通省の試験官を前に技能試験を受けるシーンの撮影が行われていました。ほんの数秒のシーンの撮影でも、照明、音声、大道具、小道具、持ち道具、さらにはメークや記録等々、スチル撮影とはまったく異次元の世界で、日常的に"流し見"ているドラマの制作がどれほどたいへんなものなのかをあらためて思い知りました。
▲大多喜の検修庫内もスタッフや撮影資材で時ならぬ雰囲気。'13.4.17
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なお、NHK千葉放送局のホームページ(下)ではクランクアップまでの裏話や、予告編ムービー(動画)等も配信されています。ぜひ一度ご覧になってください(→こちら)。


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残暑お見舞い申し上げます。

連日、残暑とは名ばかりの記録的な暑さが続いております。皆さん、どうかご自愛のうえ良い夏休みをお過ごし下さい。なお、弊社は8月13日から15日まで全社休業となります。小ブログも休載させていただきますのでご了承ください。

▲おおさか東線延伸整備のため、この秋に閉鎖が予定されている赤川仮橋(城東貨物線淀川橋梁)。間もなく長年親しまれてきた大阪の原風景が消えてゆく...。'10.7.17

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▲展示の目玉、由利高原鉄道YR-1500形の運転台。この運転台は搬入するために左右で2分割してから室内に入れ、展示室内にクレーンを設置して組み立てたという苦心の末の展示。P:山田和昭
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由利高原鉄道のITアドバイザーとして積極的な情報発信をされている山田和昭さんから、現在開催中の秋田県立博物館の特別展「秋田大鉄道展」の様子をお送りいただきました。7月6日に開幕して一か月、来場者数は同博物館の企画展としては前例のない1万人を突破したそうで、その人気ぶりがうかがえます。

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▲YR-1500形のカットモデルは、運転台に入り前面展望動画を見ながら機器を操作できるため大人気で、土日は長い行列ができるという。P:山田和昭
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この特別展は由利高原鉄道、JR東日本秋田支社などが協力、明治時代から今日に至る秋田の鉄道史を多くの貴重な展示資料によって振り返るもので、会期は10月20日まで。前期開催の7月6日から8月25日は、小特集「機関車・電車のものがたり」、後期開催の9月10日から10月20日は、小特集「ふるさとの駅舎」として、前期と後期で一部展示品替えが行われる予定です。

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▲運転台は現役時代のまま。運転時刻表、ブレーキ弁ハンドル、逆転ハンドルも付いており、制帽もそなえてあるので実車さながらに運転操作も記念撮影も可能(左)。もう一つの目玉、由利高原鉄道のタブレット閉塞機。実際に触って操作する事ができる。P:山田和昭
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展示の目玉は、由利高原鉄道のYR-1500 形ディーゼルカーの実物運転台のカットモデル。実際に運転台に乗って運転席からの風景も楽しめます。また、同じく由利高原鉄道のタブレット閉塞機も実際に触って操作することが可能です。同社の職員の皆さんが時間をかけてレストアし、ペンキを塗り、電池ボックスを作り稼働するように仕上げたものだそうで、「送信」ボタンを押すと「チンチンチン」「ボンボンボン」と音が鳴ります。それだけに大人気で、こちらも週末は鳴りっぱなしとのことです。

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▲なんと会場限定で秋田臨海鉄道の「運転体験申し込み」が行われている。P:山田和昭
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そしてもうひとつ、入り口を入ってすぐ、いきなり驚かされるのが秋田臨海鉄道の「運転体験申し込みゾーン」。この大鉄道展の会場でなければ申し込みができないプレミアム企画です。ことに秋田港~向浜間はDD56形の重連で、両方の運転台にそれぞれ1組ずつ乗車し、片道ずつ運転体験と乗車体験を行うそうです。普段乗車できない臨海鉄道で、重連での運転体験ですから、これはほんとうに驚きです。1家族1応募のみ、20組限定となります。震災で被害を受けた仙台臨海鉄道にいち早く機関車を提供した秋田臨海鉄道、ファンに対してもなかなかな心意気を見せてくれています。

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▲秋田区所属車輌の愛称幕を幕の順番に撮影した写真もある。ちなみに、展示されている愛称幕で国鉄型特急として現存するのは「いなほ」のみ。この秋から485系も置き換えが進むだけに感慨深いものがある(左)。右は壁面いっぱいに展示された圧巻の方向幕。485系、12系、701系の方向幕の一部が並べられている。P:山田和昭
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▲1967(昭和42)年に東能代で廃車となったD51 1161の履歴簿(左)や、土崎工場ゆかりの蒸気機関車部品(右)も展示されている。P:山田和昭
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▲羽後交通横荘線関連では、OB横荘会が大切に保存していた部品類が展示されている。P:山田和昭
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▲秋田市電の展示も。会場には秋田のあらゆる鉄道が網羅されており、動画も見ることができる。余談ながら、その上映が当時のSONYの真空管テレビというのも気が利いている。P:山田和昭
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▲東北森林管理局による森林鉄道の展示もある。仁別森林博物館に展示されていた路線図(左)や、東洋一と言われた巨大な天神貯木場の配置図(右)など必見。P:山田和昭
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土崎工場の蒸気機関車関連の貴重な資料や、羽後交通横荘線、秋田市電、さらには県内に数多く存在した森林鉄道など、消えた鉄軌道に関する展示も充実しており、これまでにない魅力的な特別展となっています。

■秋田県立博物館特別展「秋田大鉄道展」
会期:2013年7月6日(土)~10月20日(日)9 時30 分~16時30 分
※休館日:月曜日(月曜日が祝祭日の場合は翌日休館)
会場:秋田県立博物館企画展示室
入場料:大人500 円、大学生・高校生300 円、中・小学生100 円、幼児無料
問い合せ:秋田県立博物館(HP→こちら
〒010-0124
秋田県秋田市金足鳰崎字後山52
TEL:018-873-4121
FAX:018-873-4123

※本日の記録的豪雨で、秋田県・岩手県地域に大きな被害が出ており、衷心よりお見舞い申し上げます。

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竜ヶ崎線を歩く。(下)

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▲竜ケ崎の駅本屋を出て右手にささやかな車輌基地がある。周辺道路と地続きの車庫線にはキハ2002が休んでいる。中央の矩形庫は蒸機時代からのもの。'13.8.3 竜ケ崎
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終点の竜ケ崎駅には開業以来の伝統ある車輌基地があります。車輌基地といっても、在籍車輌3輌の今では矩形庫を含めた3線の検修線があるのみのささやかなものとなってしまいましたが、かつては倍以上の線数を持つ4.5㎞のミニ路線としては立派な車輌区でした。

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▲逆側、バス車庫のある側の線にはキハ2001が留置されていた。'13.8.3 竜ケ崎
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▲37年前の同地点。キハ41302の検査中で、取り外されたTR26形台車の修理が行われていた。背後の矩形庫は今とほとんど変わらないことがわかる。'76.3.9 竜ケ崎
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中央に位置する矩形庫はまだ4号機や5号機が現役だった蒸機時代からのもので、今でも外観はほとんど変わっていません。しかし、ふと気づいて昔の写真と比べてみると、なんと庫内の線数が2本から1本に変わっているではないですか。かつてこの庫内で4号機を撮影した際にかなり窮屈だった覚えがありますから、作業スペースの確保のため、その後線路位置を移動して1線にしたようです。

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▲竜ケ崎線の車輌はこの庫で検修を受けるため、リフティングジャッキが備えられている(左)。奥のキハ2001の手前に"だるま"となった有蓋貨車の車体が見えるが、これは明治生まれのテ1の廃車体で、現在でも油庫として利用されている。車庫線の佐貫方には給油設備が備わる(右)。'13.8.3 竜ケ崎
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嬉しいことにこの車輌基地の周囲は一般道となっており、遮蔽壁のない状態で留め置かれた車輌や検修設備を観察することができます。かつての竜ケ崎駅構内はそれこそ模型のジオラマにうってつけの好ましいものでしたが、今でも充分に魅力的で、まだお出でになったことのないモデラーの方も、ぜひこの夏休みに足を運ばれることをおすすめします。

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▲竜ケ崎駅はかつての広々とした構内とはうって変わって片側ホームの頭端式1線のみとなってしまった。'13.8.3 竜ケ崎
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▲竜ケ崎駅の駅舎は1974(昭和49)年に完成した建物。売店で販売されているたい焼きは古くからの名物。'13.8.3 竜ケ崎
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▲竜ケ崎駅入口(左)と出改札付近(右)。掲げられた駅名標の表記が「竜ヶ﨑」となっているのに注意。'13.8.3 竜ケ崎
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ところで、竜ケ崎という地名は実にややこしく、RMライブラリーの新刊『関東鉄道竜ケ崎線 -龍崎鉄道・鹿島参宮鉄道竜ケ崎線-』でも白土貞夫さんがわざわざ「"龍ケ﨑"と"竜ヶ崎"」と題したコラムを設けて詳述されています。"龍"と"竜"、"ケ"と"ヶ"、"崎"と"﨑"がさながら順列組合せ的に入り乱れており、実際に駅頭に立って周囲を見回してみても異なる表記が乱立しています。ちなみに本書では現行路線名は「竜ケ崎」としています。

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▲竜ケ崎駅構内上り方の今昔。現在は跨線橋ができて上の写真のような展望が可能。票券閉塞式を用いていた(現在はスタフ閉塞式)旧写真を見ると色灯式信号機が建っているのがわかる。'13.8.3/'76.3.9 竜ケ崎-入地
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東京のベッドタウンとしても発展を遂げてきた竜ケ崎線沿線ですが、まだまだ信じられないような長閑な光景を目にすることができます。山手線内からでも半日あれば充分堪能することができますので、お盆休みのミニトリップに訪れてみられてはいかがでしょうか。

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竜ヶ崎線を歩く。(中)

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▲入地駅に到着するキハ532の44レ。唯一の中間駅である入地はもちろん無人駅だが、非接触式ICカードの簡易改札機が備わっている。'13.8.3 入地
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▲小さな待合室に掲げられた駅名標はレトロなデザイン(左)。ちなみに平仮名表記はいつの間にか「いれぢ」から「いれじ」となっている(右)。'13.8.3 入地
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路線総延長4.5㎞と極めて短い竜ケ崎線にもたったひとつ中間駅が存在します。ほぼ中間、佐貫起点2.2㎞に位置する入地駅です。ホーム1面に小さな待合室がポツンと建つだけの無人駅ですが、驚いたことに戦前に宮松金次郎さんが撮影された写真(RMライブラリー『関東鉄道竜ケ崎線 ―龍崎鉄道・鹿島参宮鉄道竜ケ崎線-』14頁所収)を見ると、対向式ホームを持つ交換駅で、お粗末ながら駅舎も備えられています。1927(昭和2)年の気動車導入とともに、ここ入地駅での列車交換が行われるようになったと白土貞夫さんが同書に書かれておりますが、この短い線区で...と驚きを禁じ得ません。

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▲入地駅の今昔。見渡す限りの農地だったこの駅周辺にも宅地が増え始めて雰囲気は大きく変わったが、コンクリート造りの待合室だけは変わっていない。'76.3.9/'13.8.3 入地
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さらに驚くことに、中間駅はこの入地だけではなく、かつて佐貫-入地間には「南中島」、入地-龍ケ崎間には「門倉」という中間駅が存在したのだそうです。戦時中に休止となり、結局復活することなく廃止されましたが、一時はほとんど1kmおきに停留場が並んでいたことになります。

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▲上り方から見た入地駅全景。ホーム端に見えるブルーのブースが非接触式ICカードの簡易改札機。左側が交換設備の跡。'13.8.3 入地
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130806n211.jpgさきごろ発行した寺田裕一さんの『改訂新版 データブック日本の私鉄』によれば、入地駅の一日平均乗降客数は65人(平成23年度)。現在の竜ケ崎線の列車本数が82本(上下合わせて)ですから、いかに入地駅の乗降が少ないかが知れます。実際、今回も竜ケ崎から150円の乗車券を購入して改札を通ろうとしたところ、わざわざ「入地までしか行けませんが...」と声を掛けられたほどです。
▲駅を少し外れるととても東京近郊とは思えない牧歌的な光景が広がる。'13.8.3 入地-佐貫
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▲快走するキハ532。平日はキハ2000形が運用に就いており、このキハ532は第1・3土曜日と第2・4日曜日の午前中を中心に使用されている。'13.8.3 入地-佐貫
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駅の南側には県道竜ヶ崎潮来線が走っており、こちらはたいへんな交通量です。商業施設もこの県道沿いに集まってしまっており、入地駅の周辺には飲食店も見当たりません。ただ。駅を一歩出ると周辺にはとても東京近郊とは思えない広々とした風景が広がっており、どこか再訪したくなる魅力に満ちている駅なのです。

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竜ヶ崎線を歩く。(上)

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▲東京から一時間圏内とは思えない長閑な情景の中を走るキハ532。わずか4.5㎞の路線ながら、竜ヶ崎線は開業以来延長も短縮もなく113年にわたって走り続けている。'13.8.3 竜ヶ崎-入地
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RMライブラリーは7月、8月と2ヶ月続けて白土貞夫さんの大作『関東鉄道竜ケ崎線 ―龍崎鉄道・鹿島参宮鉄道竜ケ崎線-』をお届けしています。今月発売の下巻の校正も一段落した先週末、所用のついでにひさしぶりに竜ケ崎線をのぞいてきました。

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▲トップの写真とほぼ同地点。車輌は現在のキハ532と10番違いのキハ522だがまったく別モノ。関東鉄道スタイルの車体を持つものの、足回りはキハ07系のTR29のままだった。'76.3.9 竜ヶ崎-入地
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▲JR佐貫駅は橋上駅となり、関東鉄道佐貫駅も駅ビルとなって周囲の様子は一変した。橋上駅の階段を下りると駅ビルの従業員通路のような連絡通路(左)が竜ヶ崎線の佐貫駅(右)へと続いている。'13.8.3 佐貫
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関東鉄道竜ケ崎線は同常総線とともに首都圏の身近な非電化私鉄として1970年代から度々訪問しています。ロケーション的には全線が平坦で、さほど見どころがあるわけではないものの、終点の竜ケ崎駅の風情はまさに模型のレイアウトそのもので、その魅力が再訪を促す大きなファクターになっていました。

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▲佐貫駅ホームは1面1線。竜ヶ崎線のホームはすべて下り進行左側にあり、そのためこのキハ532の下り方運転台も右側運転台となっている。'13.8.3
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▲構内下り方の踏切付近から見た竜ヶ崎線佐貫駅の今昔。残念ながら現在では旧写真(下)のポジションには立ち入れない。'13.8.3/'76.3.9 佐貫
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その竜ケ崎駅が近代的な駅に改築され、何本もの側線を擁していた構内が埋め立てられてしまうと次第に足が遠のくようになってしまい、ことにここ十年ほどはすっかりご無沙汰をしてしまっていました(編集長敬白アーカイブ「龍ヶ崎、あのころ」参照→こちら)。

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▲同じく佐貫駅構内の下り方を見る。踏切手前からかつては国鉄との連絡線がのびていたことがわかる。'13.8.3/'76.3.9
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近代的な橋上駅となったJR佐貫駅の東口に竜ケ崎線の起点となる関東鉄道の佐貫駅があります。つい5年ほど前までは駅舎があったのですが、その後駅ビルに改築されて、竜ケ崎線の駅はこの駅ビルの端に同居するようなかたちとなっています。もちろんJR線との連絡線もなく、片面1線のホームにポツンと単行の気動車が停まっている様は、往年を知る者には少々寂しくも思えます。

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▲キーンベルク・ガミングのナロー用ホームで発車を待つルンツ・アム・ゼー行き。秋風の吹くイプスタールバーンは観光シーズンも終わりなのか、乗客もまばらでのんびりとした時間が流れる。'12.9.16 Kienberg Gaming
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※「今日の一枚 The Movie」に動画をアップしましたが、手違いでリンクができていませんでしたので再掲いたします。一番下のリンクからご覧ください。

キーンベルク・ガミング(Kienberg Gaming)を出た列車は、しばし道路と並行したのち険しい山の中へと入ってゆきます。ほとんど取付道路もないような山中の、ガミング(Gaming)からしばらく進んだところに2基のカーブしたトレッスル橋(79mと94m)があります。古くからイプスタールバーンを代表する景観となっていますが、残念ながら今回はこの有名な橋梁に辿りつくことはできませんでした。

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▲廃駅となったホルツアップフェル駅を通過するUv.1牽引のルンツ・アム・ゼー行き。この日は現役時代を彷彿させる落ち着いた塗色の2軸貨車4輌の編成だった。'12.9.16 Holzapfel
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またこの区間には34.4‰という急勾配があるそうです。これはオーストリアの760㎜ゲージナローの最急勾配でもあり、2軸客車数輌とはいえ、齢110歳の老クラウスにはさぞや過酷な道のりに違いありません。

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▲1903(明治36)年にグラーツのWaggonfabrik Weitzerで製造されたという客車Ci 204。現在は編成に組み込まれてバー・カーとしてドリンクやスナックを提供している。それにしても110年前の博物館級の客車が実用されているのはお見事。'12.9.16 Kienberg Gaming
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▲好ましい形態の"ワフ"D33。こういったブレーキバンも車齢を感じさせないほど見事に整備されている。'12.9.16 Kienberg Gaming
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この日は、ほんの二ヶ月前に開通したばかりのLunz am See-Göstling 間が延長運転される予定と聞いていたのですが、機関士に尋ねると従来通りルンツ・アム・ゼー(Lunz am See)折り返しとのこと。いかんせん言葉が通じないのでなぜなのかはわかりませんでしたが、とにかく終点のルンツ・アム・ゼーを目指すことにしました。

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▲キーンベルク・ガミングに戻ってきて転車台前で給水・給炭をするUv.1。こういったワーキング・スペースにも自由に立ち入って見学することができる。'12.9.16 Kienberg Gaming
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ルンツ・アム・ゼーはサマーリゾートとして知られる町で、駅の東側に静かな湖(ルンツ湖)があります。ちなみに1970年まではこのルンツ・アム・ゼー駅を起点とした700㎜(2ft3 9/16in)ゲージの森林鉄道があり、搬出した木材を駅構内に設けられた土場でイプスタールバーンへと積み替えていたと聞きます。

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▲ラッセルヘッドは外されているものの、ÖBB(オーストリア国鉄)のナロー用ラッセル車98503‐1も保存されている。1955年製で、1998年に保存が決定したとのこと。'12.9.16 Kienberg Gaming
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▲左はÖBBのナロー用ロータリー除雪車(1964年製)。右は運材台車で、わが国の森林鉄道のものと良く似ている。'12.9.16 Kienberg Gaming
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現在この保存鉄道区間はNÖLB (Niederösterreichische Lokalbahnen Betriebsges.m.b.H)がÖBB(オーストリア国鉄)から借り受けるかたちで運営されています。NÖLBはかつて小ブログでご紹介したヘレンタールバーン(編集長敬白アーカイブ「ヘレンタールバーンとナスバルトバーン」参照→こちら)も運営しており、現在3輌のC1タンク機(1890年製StB 4 MOLLN、1898年製U.1、1902年製 Uv.1。いずれもKrauss-Linz製)を有しています。

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▲Kienberg Gamingを出て力行するUv.1牽引のルンツ・アム・ゼー行き。画面左後方に遮断機もない主要道との踏切があり、しきりに汽笛を鳴らすが、近所の犬がその汽笛につられて鳴き始めた。'12.9.16 Kienberg Gaming-Gaming
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※「今日の一枚 The Movie」の動画(再生時間1分10秒)は→こちら

本線のうち両端が辛うじて生き延びているイプスタールバーン。あと数年早ければ営業路線としての本線を目にすることができたはずで、その面では残念でなりません。なお、グシュタット(Gstadt)とイプスイッツ(Ybbsitz)を結ぶ5.7㎞の支線の線路は、今月から撤去が始まる予定だそうです。

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▲まるで時の流れが止まったかのような風景の中を行くUv.1牽引の列車。手前の車は偶然通りかかったビンテージカー。'12.9.16 Pfaffenschlag
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かつてオーストリア国鉄には数多くの760㎜(2ft5 15/16in)ゲージの軽便線が存在していましたが、ご多分に漏れず櫛の歯が抜けるように廃止されてゆき、残された路線も民営化、さらには保存鉄道化されて、ふた昔前とはかなり様相を異にしています。

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▲イプスタールバーンの位置図。保存鉄道区間は昨年夏に延伸開業している。
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そんな旧国鉄ナローのうちで地味ながら気になる存在がイプスタールバーン(Ybbstalbahn=イプスタール線)でした。モデラーの間で人気の高い電化路線マリアツェールバーン(Mariazellerbahn=マリアツェール線)の西側の谷筋を縫うように走っていた路線で、イプス川渓谷から産出される木材運搬線としての森林鉄道的性格も持っていました。

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▲Lunz am See-Göstling 間が昨年の延伸区間。こうやって見ると東側のマリアツェールバーンとの位置関係がわかりやすい。
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これまで過去形で書いているのには訳があり、本来の路線はヴァイトホーフェン(Waidhofen)からガミング(Gaming)を結ぶ全長70.9㎞の本線と、途中のグシュタット(Gstadt)とイプスイッツ(Ybbsitz)を結ぶ5.7㎞の支線からなっていましたが、2006年以降相次いだ水害で大きな被害を受け、2010年には一般営業路線としての運行を休止してしまったのです。

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▲保存鉄道区間の主力機関車であるUv.1は1902(明治35)年生まれのクラウス。ちょうど生誕110年にあたるはずだが、その矍鑠とした姿からは車齢が想像できない。'12.9.16 Kienberg Gaming
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▲Uv.1のナンバープレートとその製造銘板。惚れ惚れするほどに手入れがされている。'12.9.16 Kienberg Gaming
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現在は起点側のヴァイトホーフェン-グシュタット間がシティバーン・ヴァイトホーフェン(Citybahn Waidhofen)という名称で営業運転を行っているほか、逆端のルンツ・アム・ゼー(Lunz am See)-キーンベルク・ガミング(Kienberg Gaming)間(1988年5月営業運転廃止)が1990年から"Ybbstalbahn-Bergstrecke"という名の保存鉄道として再起しています。今回ご紹介するのはこの保存鉄道として生き延びたイプスタールバーンです。

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▲留め置かれた客車や貨車を横目に入換え中のUv.1。こうして見るとまるで現役当時のようでさえある。'12.9.16 Kienberg Gaming
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▲キーンベルク・ガミングの駅本屋(左)と国鉄側の標準軌構内(右)。壁から出ている給水スポートに注意。'12.9.16 Kienberg Gaming
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▲キーンベルク・ガミングには保存蒸機関連の設備が揃えられている。左は矩形庫裏で現役の転車台、右は構内外れで見かけた「GRAZ 1895」の陽刻がある古レールの車止め。開業が1896(明治29)年なので、創業時のレールということになる。'12.9.16 Kienberg Gaming
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マリアツェールから山越えをしてキーンベルク・ガミングに到着すると、ガランとした構内外れに煙が立ち上っているのを確認、さっそく近づいてみますが、乗客らしき姿はほとんどなく、ウォーミングアップするC1タンク機Uv.1と乗務員の姿があるのみです。営業列車が来なくなってしまった標準軌の本線構内がだだっ広いだけに、その片隅で出発を待つ2軸客車を連ねた列車がなおさら小さく見えるのでした。

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▲ルンツ・アム・ゼーで折り返しを待つ列車。手前の転車台前には予備機(?)のディーゼル機関車2091が留め置かれている。'12.9.16 Lunz am See
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