鉄道ホビダス

2013年6月アーカイブ

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▲大阪南港を出港してから約2か月、フランクフルト軽便鉄道博物館に到着したマッファイ製Dタンク機。フィリピン→松山→宮崎→京都→大阪とまさに流転の末に生まれ故郷ドイツへ帰郷を果たした。P:Rüdiger Fach, フランクフルト軽便鉄道博物館
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先週「松山の"ポーター"の仲間たちは今...」(→こちら)で、流転の日々を送っていたマッファイ製Dタンク機がドイツのフランクフルト軽便鉄道博物館に引き取られたことをお伝えしましたが、その仲人役をお務めになられたフランクフルト軽便鉄道博物館日本支部長の花井正弘さんから現地の貴重な画像をいただきましたので、花井さんの詳しい解説とともにお目に掛けましょう。

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▲コンテナ詰めのためクレーンで吊り上げられるマッファイ。ボイラは中空のため思いのほか軽かったという。P:花井正弘

まずこの機関車は、フィリピン・ネグロス島最大のビクトリアス製糖会社の1-M号として、ロンドンのコッペル・インダストリアル・カー&イクイップメント会社が輸出したものです。ビクトリアス工場時代(改造前)の写真はチャールズ・S・スモール氏の『夕陽に映える鉄道』にも掲載されています。

130625n206.jpgまた、クラウス・マッファイのワークス・フォトを見ますと、オリジナルの銘板はキャブ側面上部、側窓横に付いていました。さらに、名取様もご存知のとおり、この機関車のボイラは偽物で中身は空っぽですが、なぜかボイラ銘板だけは本物でした。製造1924年、製造番号は打刻のとおり4135で、ブログに書かれていた「4136」は同時に製造されたテンダの製番です。なお、キャブ側面に付けられていた銘板2枚は偽物で、どうもむかいだ小児科の"ポーター"と一脈通ずるもののような気がします。
▲トレーラーに載せられたマッファイ。オリジナルはテンダ付きだったという。P:花井正弘

フィリピンの製糖工場ではゲートガードのように廃車の蒸気機関車を展示しておりますが、このマッファイと同じような、いかにもな「鋼管ボイラ」の機関車もあるようですので、マッファイも展示用に整備されたように思われ、その際にこのようなフェイク銘板を製造したのではないかと考えています。

130625n207.jpgこのマッファイは当初はヘンシェルと一緒に亀岡にあり、その後大阪の金属会社へ運ばれて展示されていました。ところが昨年2月にオーナーの方が亡くなり、マッファイの展示状況が不安定であったため「ドイツに里帰りさせて復活させるのなら」ということで、私の提案をすんなり受け入れていただけました。
▲搬出を待つマッファイ。ちなみにヘンシェルのサドル+テンダ機はインド(本来はパキスタン)から来ものらしい。P:花井正弘

運転整備重量16.4トン、空車重量12.6トンとされていますが、ボイラが空なので、昨年クレーンで吊った時は9トン半でした。所有されている金属会社さんとの交渉では、当初は適正価格での買い取りを前提としていましたが、ご好意により最終的にはフランクフルト軽便鉄道博物館へのご寄贈という、願ってもない形となりました。

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▲フランクフルト軽便鉄道博物館に到着、今後の整備を待つマッファイ製Dタンク機。P:Rüdiger Fach, フランクフルト軽便鉄道博物館
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昨年2012年12月6日に大阪南港を出港し、台北で積替えの後、ドイツのハンブルク港には予定通り2013年1月11日に到着いたしましたが、寄贈品のため税関で足止めされ、フランクフルト軽便鉄道博物館には1月30日の朝到着いたしました。実に89年ぶりの里帰りです。

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▲こちらはニューボイラを取り付けられた鉄聯E103。今年4月の時点でメインロッドやサイドロッドが出来ており、失われていた煙室扉も正規の形に復元されている。P:Rüdiger Fach, フランクフルト軽便鉄道博物館
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フランクフルト軽便鉄道博物館では欠番になっていた10号機となりますが、現在は16号機(もと鉄道聯隊E103)の復元が佳境に入っており、また、コッペル4号機の煙管交換や他の機関車のオーバーホールなど輻輳しており、10号機の復元は2020年以降になる予定です。
なお、ネグロス島・ビクトリアス製糖会社時代の写真をお持ちの方がもしいらっしゃいましたら、ぜひフランクフルト軽便鉄道博物館にご提供いただけますようこの場を借りてお願い申し上げます。

※明日は不在のため小ブログは休載させていただきます。

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▲洋館造りの谷地駅(右)や、現存する谷地軌道の社印、さらには竣工式で配られた落雁の型(左)まで収録されているのには絶句...。 (『いもこ列車 ~谷地軌道物語~』より)

近年、鉄道史というよりは地域史のアプローチで失われた鉄軌道の研究に秀逸な成果を上げる例がたびたび見られますが、今回ご紹介する「いもこ列車」こと谷地軌道を掘り下げた『いもこ列車 ~谷地軌道物語~』も、まさに地元ならではの究極の研究成果と言えましょう。

imoko009nn.jpg谷地軌道は現在の奥羽本線神町駅と最上川の水運で栄えた谷地間5.6㎞を結んだ2フィート6インチ軌間の蒸気鉄道で、1916(大正5)年開業、1935(昭和10)年廃止と実際に運行されていたのは20年に満たない短い期間でした。雨宮製5t機が装備していた火の粉止め煙突の形状が里芋の形に似ていたことから「いもこ列車」と愛称された谷地軌道は、わずかな運行期間であったにも関わらず今もって地元・河北町に語り継がれ、河北中央公園に敷設された線路では台湾の渓湖製糖から購入した347号機が動態保存されているのはご存知の通りです。

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▲起業目論見書などの一次資料も細大漏らさず収録されている(右)。左は「いもこ列車」の名前の由来ともなったドラモンド式煙突の略図。 (『いもこ列車 ~谷地軌道物語~』より)

しかし廃止から80年近くを経た鉄道を調査するのは極めて困難で、認可書類や営業報告書などの公文書類が唯一の拠り所といった例も少なくありません。本書を出版された「谷地軌道研究会」は地元の4名の研究者の方が3年ほど前に立ち上げたもので、谷地軌道の発案者でもあり敷設も行った地元の建設会社に段ボール箱3箱分の一次資料が保存されているのを発見、鉄道誘致の動きから起業、輸送状況の変遷、廃止の経緯までを事細かに読み解き、まさにその全容を詳らかにされました。

imoko014nn.jpg谷地軌道で働いた人びとの手記や「いもこ列車の思い出」と題されたオーラルヒストリー集、さらには山形の森林軌道に関しての記述まであり、わずかな営業距離の軌道でこれだけのコンテンツが集められたことに驚きを隠せません。
当初は500部のみを製作したそうですが、申し込みが多く、現在は東京の「書泉グランデ」でも購入することが可能です。A5判334ページの労作で価格は1,500円(税込)。機会があれば一度お手にとってみられることをおすすめします。

▲「いもこ列車」の復活を夢見た青年会議所の努力が実って1988(昭和63)年に蒸気機関車の運転を開始した。 (『いもこ列車 ~谷地軌道物語~』より)

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▲一昨年見学に行った際の復活した「いもこ列車」の庫とデモ走行用の線路。残念ながこの日は動いている姿を見ることはできなかった。'11.7.24
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▲「いもこ」列車の由来を記した説明看板。廃止から80年近い歳月が流れているにも関わらず、谷地軌道がどれほど地元の皆さんに愛されているかがわかる。'11.7.24
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▲昨年の受賞作品から...島田市長賞「春の笹間川をわたる」。松浦俊宏さんの作品。 (SLフェスタ2012『SL写真コンテスト』より)

昨年第1回が開催されて実に1,106枚もの作品が寄せられたSLフェスタの『SL写真コンテスト』が今年も開催されます。わが国の蒸気機関車動態保存のパイオニアとして1976(昭和51)年7月にC11 227号機の運転を開始した大井川鐵道は、大井川流域の貴重な歴史的資源として、全国に向けて広くその魅力を発信し続けています。

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▲川根本町長賞「汽笛一発!」。早川一茂さんの作品。 (SLフェスタ2012『SL写真コンテスト』より)

今年で3年目となる「SLフェスタ」は島田市・川根本町・大井川鐵道が共催、「SLフェスタ2013実行委員会」が主催し、小誌も協賛する秋の一大イベントで、『SL写真コンテスト』はその目玉のひとつでもあります。応募開始は来週7月5日(金曜日)からとなりますが、エントリーを心待ちにされている方も少なくないようです。

130625n002.jpg ■応募要項
〔テーマ〕作品はSLを題材とした写真であればどのようなものでもテーマは問わない。
〔応募点数〕制限なし。
〔応募期間〕平成25年7月5日(金)~平成25年8月31日(土)
〔応募方法〕SLフェスタ2013ホームページ上の『SL写真コンテスト』サイトから応募。
詳細はhttp://www.sl-festa.jp/photo/ ※7月5日オープン
*インターネットでの投稿のみのエントリー。
*デジタルデータであれば、携帯電話を含め撮影機種は問わない。ただし、入賞作品は、印刷する関係で600万画素相当以上の画像サイズが必要となる。
*入選後に改めて正式なデータの提出が必要。対応できるデータがない場合は入選が取消しとなる場合があるので注意。
〔応募資格〕プロ・アマ等問わず、だれでも応募可能。
▲中井精也特別賞「今日は顔が青白いな~」。小宮山仁志さんの作品。 (SLフェスタ2012『SL写真コンテスト』より)

130625n005.jpg■審査 審査員長 中井精也氏(写真家)
■賞及び賞品
・大賞 1点 
賞状・デジタル一眼カメラ・島田のお茶
・中井精也特別賞 1点 
賞状・デジタルコンパクトカメラ・島田のお茶
・島田市長賞 1点 
賞状・島田市特産品詰め合わせ
・川根本町長賞 1点
賞状・川根本町特産品詰め合わせ
・大井川鐵道賞 1点 
賞状・大井川鐵道グッズ・島田のお茶
・レイル・マガジン賞 1点
賞状・蒸気機関車関連書籍・島田のお茶
・ニコン賞 1点 
賞状・デジタルコンパクトカメラ・島田のお茶
・マイブック賞 1点 
賞状・マイブック制作券・島田のお茶
・入選 15点 賞状・島田のお茶
*受賞者全員にSL写真コンテスト受賞作品集(マイブック)を進呈
■発表 入賞作品については、平成25年10月13日(日)にSLフェスタ2013会場にて受賞発表が行われる。また、SLフェスタ2013ホームページ、月刊『レイル・マガジン』に各賞を掲載。
■作品の展示 入賞作品については、SLフェスタ2013会場内に展示予定。
▲レイル・マガジン賞「摘採間近の横を」。鷲巣茂男さんの作品。 (SLフェスタ2012『SL写真コンテスト』より)

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▲そして...SLフェスタ2012『SL写真コンテスト』大賞「静寂」。村田 茂さんの作品。 (SLフェスタ2012『SL写真コンテスト』より)

■主催 SLフェスタ2013実行委員会
■協賛
株式会社 ニコンイメージングジャパン
株式会社 アスカネット
株式会社 ネコ・パブリッシング
■問合せ先
島田市役所政策推進課内
「SLフェスタ2013実行委員会事務局」
〒427-8501 静岡県島田市中央町1-1
0547-36-7197
e-mail:seisaku@city.shimada.shizuoka.jp

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日本石灰石開発のDC35-1。

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▲田海鉱山の機関庫前で顔を揃えたDC35-1(左)と日立製DD35(右)。こうやって並んだだけでもDC35-1の巨体ぶりがわかる。'80.7.18
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週末にポジフィルムの整理をしていた際に、自分では写した記憶のない写真に出くわしました。北陸本線の青海駅から分岐していた日本石灰石開発専用線のDC35-1のカラーです。スリーブの前後関係から見ると、どうやら当時アシスタントをしていたキネマ旬報社の『蒸気機関車』誌編集部から取材用に借りていたニコンFM2で撮影したもので、モノクロの合間に塗色の記録にと貴重なコダクロームで数カットだけ撮ったもののようです。

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▲DC35-1のプロフィール。キャブの造作などは1950年代の三菱三原の典型的なデザイン。'80.7.18
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▲足回りはジャック軸式。35tの自重で3軸、しかもカウンターウェイトを必要とするロッド式とあって軌道への負担はかなりのものだったはず。'80.7.18
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北陸本線の青海駅というと、古典蒸機の時代から電気化学工業の専用鉄道が広く知られていましたが、デンカとはちょうど逆方向、駅から見て南東側へ分岐しているのが日本石灰石開発田海(とうみ)鉱山の専用線でした。

130623n003.jpg「専用線一覧表」では路線延長5.0㎞と記録されているこの専用線、田海川に沿ってとりたてて特徴のない風景の中を山へと分け入って行くだけで、使われている機関車も当時としては珍しくもない日立製の35tB-B機でした。それにも関わらずこの専用線に興味を持ったのは、終点にある田海鉱山の坑内軌道で複数のディーゼル機関車を使用していると聞いたからです。果たしてその坑内軌道に辿りつくまでは、思い出すにおぞましい毛虫だらけの山を大汗をかいて登らねばならなかったのですが、今回"発見"されたカラーポジはその道中にパチ撮りしたもののようです。
▲エッチング製の三菱三原の銘板。打刻ではなくすべてをエッチングにした手の掛かったもの。'80.7.18
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渋いマルーンの車体にランボードの白線が印象的なこの機関車は三菱三原製のDC35-1。1957(昭和32)年製の35t機で、本線仕業に就いている2輌の日立製B-B機と同じ自重ながらこちらはC型。単純計算でも軸重11.6tとこの手の専用線には不似合いなヘビー級機でした。

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▲終点・田海の構内全景。ヤード部分のみレベルで、青海駅(画面前方)へと向かう本線は構内を出ると一気に下り勾配となる。'80.7.18
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このDC35-1、もとは日本カーバイド工業魚津工場にコッペル機(編集長敬白アーカイブ「日本カーバイド工業1号機を訪ねる」参照→こちら)の後任として就役した2輌のうちの1輌です。日本石灰石開発そのものが日本カーバイド工業、昭和電工、信越化学工業の出資によって設立された会社ですので、田海鉱山の専用線開設にあたって魚津の本機がトレードされたのも頷けます。

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▲DD35-2に牽かれて青海駅へと向かう日本石灰石開発専用線のトキ列車。この当時は一日3往復ほどの列車設定だった。'80.7.18
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田海鉱山には2度訪れる機会がありましたが、思えばついにこのDC35-1が動いている姿は見ず仕舞いで、専用線そのものも1982(昭和57)年に廃止されてしまいました。
蒸し暑い夏の夕方、駅までは遠いから...と乗せていただいたDLのキャブに吹き込む田海川の涼風が昨日のことのように思い起こされます。

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▲八高線電化に伴う検測時のオヤ31 13。オヤ31 13はこれを最後にスヤ50形と交替した。 (RMライブラリー『建築限界測定車-オイラン車のバリエーション-』より)
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今月のRMライブラリーは、本シリーズではお馴染みの藤田吾郎さんによる客車シリーズの新作『建築限界測定車-オイラン車のバリエーション-』をお届けします。

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▲初の鋼製客車改造による建築限界測定車となったオヤ31 1。新潟鉄道管理局に配置され、廃車後も新津で保管されていたが、残念ながらその後解体された。 (RMライブラリー『建築限界測定車-オイラン車のバリエーション-』より)
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検測用の腕木を出した独特の姿を、かんざしで飾った"花魁"に見立て、オイラン車と通称される建築限界測定車ですが、日本における起源は1919(大正8)年の大型ボギー客車導入によるものだったと伝えられています。当初は専用の車輌はなく、一般の木製ボギー客車に検測用の腕木を仮設したものでした。

130621_rml167n.jpg専用の建築限界測定車として図面が確認できるのは1928(昭和3)年に改造されたオケン7541が最初であり、その後木製車改造のものが2輌改造された後、1949(昭和24)年に初の鋼製客車による建築限界測定車オヤ31 1が登場。その後、オヤ31形は1961(昭和36)年改造のオヤ31 13まで計7輌が登場、北海道から九州まで全国各地で配備され、新線開業や電化開業時などに活躍することになります。現在でもJR北海道、JR西日本に1輌ずつのオヤ31形が在籍しているほか、JR東日本ではオヤ31 13の後継として登場した光学式の建築限界測定車マヤ50 5001が使用されているのはご存知の通りです。

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▲現在もJR西日本に在籍するオヤ31 32。誕生時はスハ32形ながらその後軍用接収されラジオ車や部隊料理車に改造された過去を持つ。 (RMライブラリー『建築限界測定車-オイラン車のバリエーション-』より)
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▲巻末では70~90年代の運転時の編成例を紹介。その時々で編成はバラエティーに富んでいて模型的にも興味をそそられる。 (RMライブラリー『建築限界測定車-オイラン車のバリエーション-』より)
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本書はこれら日本における歴代の建築限界測定車のプロフィールを解説するもので、検測装置を仮設したスイネ28103を含め木製車4輌、オヤ31形7輌、新幹線輸送用の車輌限界測定車コヤ90形、JR発足後のスヤ50形→マヤ50形のほか、私鉄で唯一車輌としての建築限界測定車であった東武鉄道ヤ1形も紹介しています。数ある客車の中でも異色の存在をまとめた一冊、ぜひ書架にお揃えください。

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▲初夏の朝日に輝く南アルプスを望む高原、C56 150牽引8135レ「八ヶ岳高原号」が歯切れのよいブラストを響かせて急坂を登る。小海線甲斐小泉-甲斐大泉 P:髙橋和男 (『国鉄時代』vol.34より)
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お待ちかねの方も多いと思いますが、『国鉄時代』vol.34が21日に発売となりました。今回の特集はローカル線。今週末にでも書店へ...とお考えの皆さんに、山下編集長から今号の見どころを紹介してもらうことにいたしましょう。

kj34_hin.jpg「ローカル線」という定義は厳密にはないようですが、国鉄で言えば1968年に国鉄諮問委員会により「使命を終えた」とされた赤字83線が思い浮かびます。根北線、幸袋線、臼ノ浦線、世知原線、篠山線、鍛冶屋原線...、若いレイルファンには読み方すら「?」となってしまう方も多いのではないでしようか。『国鉄時代』的には定義・基準はさておいて、地域の人々の暮らしとともにある「田舎」の鉄道路線という、大らかに雰囲気で構成した内容となりました。

表紙のC58がは故・細川延夫さん撮影の快速「ちどり」広島出発シーン。ヘッドマークも燦然と、ローカル線の列車の中では輝ける存在と言えます。C58は芸備線備後落合までで、C56牽引で木次線を走り抜け山陰本線の米子に向かいます。

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▲留萠本線増毛〜舎熊間を行くキハ40の2連。朱色がモノトーンの世界の中で存在感を示す。北の漁村には列車は時計代わりとなっていた。'82.3 P:佐々倉 実 (『国鉄時代』vol.34より)
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巻頭カラーは佐々倉実さんの80年代の北海道の旅の風景が印象的なアングルでよみがえる「北の旅愁」。それに続く、ベテラン齊藤晃さんの士幌線の9600は、蒸機廃止直前に終点・十勝三股まで運転された客車列車の記録です。

8620_02n.jpg花輪線は多くのローカル線の中でも最も華やかな蒸機の活躍が見られた路線。堀越庸夫さんの「龍ケ森の冬」は、龍の絡み合うがごとく、煙を高々と吹き上げ厳寒の峠に挑む2輌または3輌の8620の姿に息をのみます。
里の風景なら会津盆地が馴染み深いという方も多いと思います。C11の活躍は蒸機全廃近くまで続いていましたから、多くのファンの心にその風景が色褪せず残っていることでしょう。C11の撮影のため会津若松に「住んだ」こともあるという長津 徹さんの「会津逍遥」は、そんないかにも日本的な眺めに溶け込んだC11の息吹が感じられる作品です。
▲雪晴れの朝、凍てついた峠を制し龍ケ森に進入する盛岡行1926レ。'69.2.15 P:堀越庸夫 (『国鉄時代』vol.34より)
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▲岩手松尾-赤坂田間における8620の牽引定数は120トン。客車3輌を従えて渾身の力でよじ登る8620のブラストが新雪の峠に響く。1326レ 赤坂田-龍ケ森 '65.12.27 P:堀越庸夫 (『国鉄時代』vol.34より)
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▲四季の移ろいの中でC11が会津盆地の日常風景の一部となっていた時代。人々は大らかで、時もゆっくりと流れていた。P:長津 徹 (『国鉄時代』vol.34より)
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世の中が置き去りにしてしまった光景を時を超えて拾い集めたのが川本紘義さんの「追憶の風景を旅する」です。粟生で入換え作業を行うC12、最北の湖畔を走る天北線、地吹雪の大湊線...、子供の振る手の彼方に混合列車を牽いたC11が走る生保内線の作品は、現在同線(田沢湖線)を秋田新幹線が走っていることを思えばそれこそ狐につままれたような心持ちになります。

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▲三段スイッチバックを登るC56牽引425レ(左)。上の段では出雲坂根で交換する米子行急行「第1ちどり」が勾配を下る。 '67.2.5 出雲坂根 P:伊賀正孝 (『国鉄時代』vol.34より)
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流氷寄せる厳寒のオホーツク沿岸を旅した寺沢秀樹さんの「オホーツクの詩」、四国南端に生き残ったC12を記録した佐竹保雄さんの「宇和島線のC12」はデフを装備した珍しい姿が記録されています。また、伊賀正孝さんの「雪の出雲坂根」は、我が国有数の山岳線を行くC56を捉えたもので、三段スイッチバックを登るC56の上をキハ58の「ちどり」が行く模型を見るような楽しい作品です。
そのほかにも、松前線、富内線、阿仁合線、米坂線、小海線、相模線、信楽線、美祢線大嶺支線、倉吉線、宮原線など、懐かしい情景が詩情豊かによみがえります。

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▲この日、東京機関区の臨A191仕業でお座敷列車を牽引し早朝の東海道本線を下っていったロクイチが、ブルトレタイムの隙間を縫って東京駅まで回送されてきた。早春の朝の綺麗な光線を浴びて軽やかにカーブを切って目の前を通り過ぎていった。ロクイチの窓の向こうに見える緑色の水筒には機関士さんの朝食用の暖かいお茶でも入っていたのだろうか。 EF58 61 回9942レ 81系お座敷6輌 '79.3.5 P:松広清 (『国鉄時代』vol.34より)
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一般記事ではまず松広 清さんの「EF58"団臨"に燃えた日々」。昭和50年代のゴハチフリークが一心不乱に追いかけた"華"とも言える団体臨時列車、それもグリーン帯が貫禄十分なスロ81系お座敷列車を中心に据えたもの。時代の熱気を今に伝える11ページです。おなじく電気機関車を主役に据えた記事では犬山徹夫さんの「幹線用貨物電気機関車EF15」があります。登場後まもなくEH10の誕生で東海道を追われて行ったEF15、その意外に短かった黄金時代を軸に39年間の生涯を振り返った力作です。東海道本線での写真は久保敏さんにご協力を仰ぎ、貴重な場面を掲載することができました。

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▲配管にロープをかけて助士側のデフを撤去されるC58 385と助士側が北海道タイプの切り詰めデフという姿のC58 33。P:小林保則 (『国鉄時代』vol.34より)
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元釧路機関区職員の小林保則さんからご提供いただいたC58 33とC58 385のデフ交換シーンの写真。長年、交換時期が特定できませんでしたが、切り取り除煙板研究の第一人者である関 崇博さんが写真から分析、時期も含めベールに包まれていたデフの交換に光を当てることができました。折しも秩父鉄道では関 崇博さん分類G−2がC58 363に装備され人気を博していますが、これも縁と言えましょう。

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▲服部重敬さんの「孤高の気動車キハ90系」は中央本線・高山本線における試作大出力気動車キハ91の短かった生涯を綴っている。'70.3.15 P:服部重敬 (『国鉄時代』vol.34より)
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vol34DVDn.jpg服部重敬さんの「孤高の気動車キハ90系」は大馬力エンジン搭載の試作気動車キハ91の中央本線・高山本線における活躍の記録。短命に終わった生涯の中でもっとも輝いていた時期の姿を追ったものです。元キハ90 1であるキハ91 9が先頭に立つ姿は貴重です。
特別付録DVDは函館本線・室蘭本線を中心にD51・D52・C57を追った瀧藤岩雄さんの「北海道南部の蒸気機関車」、岩見沢〜苫小牧間のキャブ添乗をメインにした中村信雄さんの「室蘭本線C57 144添乗」の2本立て60分です。

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▲清水沢駅で開催されている「写真展・汽笛の響く街 夕張」を見るギャラリー。P:三菱大夕張鉄道保存会
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わが国最後の蒸気機関車牽引列車となったのは、1975(昭和50)年12月24日19時10分夕張駅を発車した夕張線貨物6788列車でした。6年後の1981(昭和56)年10月の石勝線開通により、夕張線の名称は消滅、夕張・新夕張駅間は石勝線の支線となり、現在では一日数本の列車が行き来するだけとなっています。

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▲最後の夜、夕張駅で待機する6788列車の牽引機D51 241。'75.12.24 P:伊藤保則
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その石勝線支線では唯一の有人駅となっている清水沢駅で、三菱大夕張鉄道保存会(→こちら)とNPO法人・炭鉱の記憶推進事業団 (岩見沢市→こちら)により、1960年代の夕張の鉄道情景にテーマにした「写真展・汽笛の響く街 夕張」が開催されています。

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▲写真展会場の清水沢駅。石勝線支線では唯一の有人駅となってしまった。P:三菱大夕張鉄道保存会
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130619n004.jpg国鉄の動力近代化により、蒸気機関車がそれこそ櫛の歯が抜けるように消えてゆくなか、1970年代に入るといわゆる"SLブーム"が高まりましたが、そのピークが室蘭線・夕張線の蒸機最終列車でした。ご連絡いただいた三菱大夕張鉄道保存会の奥山道紀会長からのお手紙では、今回の写真展では貨物6788列車の写真を中心に据え、まだ9600やD50形が活躍する夕張線、11形牽引の臨客が走る最盛期の夕張鉄道、8100形や4110形の活躍する北炭真谷地専用鉄道、そして三菱大夕張鉄道などの貴重な写真を解説パネルを伴って展示しているそうです。

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▲夕張鉄道から真谷地へと回送される8100形5051号 鹿ノ谷 '63.8 P:中西進一郎
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また、かつては大夕張鉄道線で通学した学生などで賑わった駅前の書店「文化堂」では往年の走行音を収録した三菱大夕張鉄道保存会オリジナルCD「汽笛の響いた街・夕張」を販売しているそうです。ちなみに、もとは鉄道弘済会の経営で撮影に訪れたファンのお腹を満たした「駅前食堂」も場所を変えて営業を続けており、写真展を見ていただき「炭鉱」と「鉄道」と共に歩んだ清水沢の街並みも歩いていただければ...と奥山さんは仰っておられます。

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▲清水沢駅前の文化堂。大夕張鉄道現役時代からの老舗。P:三菱大夕張鉄道保存会
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▲イタリアンレストランと観光案内所が入る夕張駅舎(左)とレストランが入る沼ノ沢駅舎(右)。P:三菱大夕張鉄道保存会
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▲今も営業する「駅前食堂」。P:三菱大夕張鉄道保存会
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ちなみに夕張駅舎には観光案内所とイタリアンレストランが入居し、駅前には屋台村ができているそうですし、沼ノ沢駅舎にもレストランが入居しているそうです。そう聞くと時代の変化に驚くばかりです。なお、財政再建と集落の集約化が課題となっている夕張市ですが、JR北海道が開発を進めるDMV導入を検討し、石勝線支線での試験運転も進んでいるそうです。

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▲石勝線支線で試験中のDMV。 新夕張駅前にて。P:三菱大夕張鉄道保存会
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▲宮崎の空き地に放置されていた頃のヘンシェル(左)とマッファイ(奥)。何ともシュールな光景で『トワイライトゾ~ン・マニュアル14』の表紙にも別カットを使っている。'04.10.24
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昨日ご紹介した「むかいだ小児科」の"ポーター"と同時に輸入されたと思われるのが、以前ご紹介したことのある宮崎・高鍋の2輌です(編集長アーカイブ「空き地のマッファイ発見!」参照→こちら)。詳しい経緯はわかりませんが、かれこれ30年以上前に四国の材木商がフィリピンから輸入したとされる機関車で、その後なんらかの経緯で2輌は九州に渡り、1輌(ポーター)は松山の学習塾に引き取られたようです。

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▲なぜか並べて置かれているのではなく90度互い違いになったかたちで放置されていた2輌。'04.10.24
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早いもので9年も前のことになりますが、宮崎の2輌を発見した時の驚きは計り知れませんでした。21世紀の日本に知られざる放置蒸気機関車があろうとは夢想だにせず、ご一緒した齊藤 晃さんとともに暫し立ちつくしたのを覚えています。

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▲マッファイのDタンクは製造銘板も残されていた。どうやら製糖工場のプランテーション・ロコだったようだ。'04.10.24
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▲サドルタンクも備えた謎の機関車。ヘンシェル製とされるが確証はない。端梁にはバッファーが装備されている。'04.10.24
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130616n202.jpgこの2輌はマッファイ製のDタンク機とヘンシェル製とされるサドルタンク機で、後者は後付けと思われるテンダーを伴っています。マッファイの方は1924年製番4136と打刻された小さな銘板が残されているものの、ヘンシェル(?)の方は何の手掛かりも見出せず、松山のポーター同様にその素性を詳らかにすることはできませんでした。
▲マッファイの小さな製造銘板。ミュンヘンの文字も見える。'04.10.24
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いずれにせよ宮崎のこの2輌がその後どうなったのか気になっておりましたが、何と4年後、件のヘンシェルとは予期せぬ再会を果たすこととなります。京都の亀岡駅付近で活動している保津川ライブスチームクラブの運転場を訪ねた際、その敷地内にあのヘンシェルが展示されているのに気づきました。見違えるように綺麗になった個体は確かにあの宮崎にあったものに違いありません。

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▲ひるがえって保津川ライブスチームクラブに移設されてからのヘンシェル。再塗装を施されて美しい姿となっているが、首を垂れたバッファーは宮崎時代のまま。'08.12.7
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そして同様にマッファイの方は大阪市内の金属工場に引き取られて、モニュメントとして飾られていることを知りました。四国・松山に上陸した3輌は、数奇な運命ののちにそれぞれの安住の地を見つけたかに思えました。

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▲ヘンシェルの後ろにはシキ555なども連結されており、列車状態に見える。'08.12.7
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ところがところが、この兄弟噺にはさらにもう一幕が用意されていました。国際的にも貴重なマッファイ製Dタンク機に興味を持ったドイツ・フランクフルトの軽便鉄道博物館が現車を引き取ることになったのです。フランクフルト軽便鉄道博物館といえば、丸瀬布に保存されていた鉄道聯隊のE103を引き取って現在レストア中なのは小ブログでもご紹介したことがありますが(編集長敬白アーカイブ「鉄聯E103は今...」参照→こちら)、大阪の金属工場のマッファイもレストア対象として引き取られることになったのです。昨年末に大阪南港を出港し、今頃は故郷ドイツの地で修復を待っているはずです。

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▲保津川対岸から見た保津川ライブスチームクラブの保存車たち。ご案内いただいたのは冬晴れの保津川からの風が冷たい日だった。'08.12.7
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▲まるでトイトレインのような黄色い塗装が目をひく「むかいだ小児科」の蒸気機関車。おそらくテンダー機であったのだろう。'13.5.25
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松山に行く機会があればぜひ一度見てみたいと思っていたのが、松前町にある「むかいだ小児科」に保存されていると聞く"ポーター"です。先日、家内が参加するシンポジウムのお供で松山を訪れた折に、フリーの時間を見つけて訪ねてみることにしました。

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▲キャブ後部には頑丈な階段が設けられて子どもたちも運転室内に自由に入ることができる。'13.5.25
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幸いなことに向田隆通理事長自らご案内いただいて現車をゆっくりと拝見することができました。もちろんご自身もレイルファンの向田理事長のお話では、かなり前に愛媛県の材木商がフィリピンから輸入した何輌かの蒸気機関車のうちの1輌で、その後、松山市内の進学塾に保存されていたものの、不要となったため十年ほど前に小児科のシンボルとして引き取られたとのことです。

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▲シリンダー周り(左)とキャブ内(右)。運転台は右側が機関士席。どこも奇麗に整備されている。'13.5.25
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黄色く塗られているのは進学塾時代からで、むかいだ小児科でも子どもたちに親しまれるこの塗色を踏襲されたようです。幹線道路沿いにあり、一見するとその色からして作り物のようにさえ見えますが、現車は歴としたホンモノの古典蒸気機関車です。

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▲"PORTER"の陽刻が入れられたシリンダー・弁室(左)と給排気管ケーシングに取り付けられた謎の銘板。'13.5.25
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ただその素性は謎だらけで、今回手掛かりはないものかと細部まで丹念に観察しましたが、見れば見るほど不思議な個体です。まずはその銘板。「H.K.PORTER COMPANY №1008 1919 CHCAGO U.S.A」と鋳込まれた立派な銘板が付いているものの、まず第一にポーターの所在地はシカゴではなくピッツバーグです。クレスト調の銘板は確かにポーター流ですが、よくよく観察すると字体や字間などもどうも怪しく...? ちなみに製番が1番違いの№1009は、鉄道博物館で保存されている「辨慶」の仲間7100形の1輌(幌内鉄道9)で、製造年は1889(明治22)年...これまた??

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▲そのサイドビュー。ボイラー中心高がかなり高い。なお、今回の実測では第一動輪と第二動輪間の軸距は1265㎜、第二動輪と第三動輪間の軸距は1200㎜、動輪径は880㎜であった。'13.5.25
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▲フランジレスの第二動輪(左)。弁装置は内側スチブンソンで、台枠間からスケルトン状態で観察することができる(右)。'13.5.25
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過日『新編H.K.ポーターの機関車』を上梓されたわが国ポーター研究の第一人者・近藤一郎さんにもご意見をうかがいましたが、銘板に鋳込まれた製造年と製造番号も整合性がなく、現車が"ポーター"であることは間違いなさそうなものの、その素性は今のところ詳らかではありません。

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▲むかいだ小児科(右奥)の駐車場に展示されている"ポーター"。塗装も定期的に行われているそうで、状態はすこぶる良い。'13.5.25
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実測によると軌間は3フィート6インチ(1067㎜)。その巨大なダイヤモンドスタック(ポーターのカタログではtaper stack)からして製糖工場あたりで働いていた機関車なのかも知れません。いずれにせよ、子どもたちのマスコットとして遙か遠い異国の地で余生を送っている貴重な機関車だけに、いつの日かその出自を明らかにしてあげたいものです。

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▲川越車両センターで並ぶE233系7000番代ハエ101編成と205系ハエ19編成。埼京線に205系が投入されたのは1989(平成元)年のことで、24年間にわたり埼京線の通勤輸送を支えてきた同形式もいよいよ置き換えとなる。'12.6.12 川越車両センター P:RM(小野雄一郎)
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JR東日本では、来たる6月30日より埼京・川越線に新型車輌E233系7000番代を投入します。それに先立ち、同車の報道公開が川越車両センターで開催されましたので、その模様をダイジェストでお伝えしましょう。

130614n002.jpgE233系7000番代は、E233系グループの製造コンセプトである「故障に強い車輌」「人にやさしい車輌」「情報案内の向上」を引き継ぎ、車体の外観は京葉線用の5000番代などとほぼ同等です。車体前面と側面には、埼京線のラインカラーである濃緑色がラッピングされています。
7000番代ならではの特徴としては、主に以下の項目が挙げられます。
・JR東日本では初めて、全編成にLEDの車内照明を導入した
・ATCとATS-Pを搭載した
・E233系では初となる、防犯カメラを導入した
・車内案内表示器(LCD)には、アニメーションを用いた案内を表示
・AM・FM放送車内輻射装置は設置していない
▲クハE233-7001(10号車/大崎・新木場方)の1位側。ATS-Pの他に、ATCを搭載している。'12.6.12 川越車両センター P:RM(小野雄一郎)
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■E233系関係のアーカイブリンク ※タイトルをクリックすると当該アーカイブにとびます。
・E233系がデビュー!
・E233系試運転に乗る
・常磐緩行線にもE233系
・京浜東北・根岸線用E233系1000番代登場
・E233系1000番代が正式にお披露目
・E233系「ローレル賞」受賞式典
・東海道本線用E233系3000番代登場
・常磐緩行線用E233系登場
・E233系2000番代報道公開
・京葉線にもE233系
・E233系5000番代誕生
・E233系中間車に新番代登場
・E6系量産と埼京線・横浜線用E233系を発表

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▲客室内の一般座席および優先席部分。基本的な構造は従来のE233系とほぼ同一だが、一般座席のシートモケットにはE233系としては初めてのカラーのものが採用されている。車内照明はすべてLED。'12.6.12 川越車両センター P:RM(小野雄一郎)
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▲1号車(川越方)の乗務員室側天井には、総計4個の防犯カメラが設置されている(左)。客室内側扉上部には車内案内表示器(LCD)が2台設置されており、アニメーションを多用して運行情報や路線図、停車駅などを案内する。日本語と英語が交互に表示されている(右)。'12.6.12 川越車両センター P:RM(小野雄一郎)
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E233系7000番代は6M4Tの10輌編成。合計31編成が投入され、205系を置き換えます。運用区間は、埼京・川越線の川越~大崎間の他、東京臨海高速鉄道りんかい線大崎~新木場間にも乗り入れます。ちなみに、205系10輌編成の定員は1,424名ですが、拡幅車体のE233系7000番代の定員は1,564名。混雑緩和も期待できそうです。
なお、本誌6月21日発売号では、編成写真を大きく掲載するほか、各車の形式写真や特徴的な床下機器なども掲載します。どうぞご期待ください。

取材協力・資料提供:東日本旅客鉄道株式会社大宮支社

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▲前面の大型ガラスや上下に大きく広がる側面展望窓が印象的な新型車輌3000形。 提供:箱根登山鉄道
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昨年5月に新型車輌の導入を発表(編集長敬白アーカイブ「箱根登山鉄道3000形(仮称)を発表」参照→こちら)した箱根登山鉄道から、この新型車輌のデザインが発表されました。新形式車の導入は1989年以来実に25年振りとなり、デザインコンセプトは「伝統と現代性を併せ持ち、箱根の風景に溶け込むデザイン」とリリースされています。

車輌デザインは岡部憲明アーキテクチャーネットワークが担当し、車輌前面には大型ガラス、側面には上下に大きく広がる展望窓を採用、また外観の色彩は、従来から登山電車のイメージカラーである「バーミリオンはこね(Vermillion Hakone)」を基本色にシルバーを配色したものとなっています。

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▲ボックス席の大型テーブルには掘り込み式のカップホルダーも備わる。 提供:箱根登山鉄道
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室内には木目調化粧板や強化木を採用し、暖色系をメインに配色した落ち着いたやさしい雰囲気を醸成しています。さらに、箱根登山電車初となるVVVFインバータ制御の採用による使用電力の削減に加え、室内照明・前照灯などの照明にLEDを採用、オイルフリー型電動空気圧縮機も搭載し、環境対策への取り組みも積極的に進めています。

なお、当初計画よりも竣功・営業開始は半年ほど遅れる見込みで、現時点では来年2014年4月頃の竣功、11月頃の営業運転開始を予定しているそうです。
■車輌概要
・形式     3000形
・編成     1輌固定編成(編成長約14.0m)
・製造輌数   2輌
・総製作費   約8億円(2輌分)
・竣功     2014年4月(予定)
・営業運転開始 2014年11月(予定)

※2013年6月5日時点の計画であり、今後、営業開始までの間にそれぞれの計画に変更等が生じる場合あり。

資料提供:箱根登山鉄道

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阪神国道線の敷石。

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▲奈良県高取町の土佐街道に敷設された阪神国道線の敷石。'13.3.5 P:宮武浩二
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これまでにも大阪市電の敷石(→こちら)、四国水力電気の敷石(→こちら)、神戸市電の敷石(→こちら)と勢力的に廃止路面電車の敷石の行方を追ってこられた宮武浩二さんから、今度は阪神国道線の敷石についての報告をいただきました。

130612n006.jpg阪神電鉄国道線の敷石については、意外に神社仏閣で再利用されたという話題がありません。それもそのはず、大部分は線路の撤去を行わないままその上にアスファルトを被せてしまったためのようです。ところが1995(平成7)年の阪神大震災で国道2号線の路盤が大きく損傷し、これを改修する際に軌道敷のレールと敷石が掘り出されました。
そして、その一部が壷坂寺で有名な奈良県高取町に引き取られ、街中の土佐街道に敷設されました。近鉄壷坂山駅近くの土佐街道2キロほどの道路の路肩部に阪神電鉄国道線の敷石が2列で敷設されて、良い景観となっています。ちなみに訪れた時は「町家のひなめぐり」を開催中で、土佐街道沿いの町家には「雛人形」が展示されて自由に見ることができました。
▲土佐街道まちなみ作法 七つの心得。'13.3.5 P:宮武浩二
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▲高取城の城下町の名残が色濃く残る。'13.3.5 P:宮武浩二
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ところで、大阪市福島区の阪神野田駅に隣接する阪神電気鉄道本社前にも国道線の敷石が活用されています。こちらは阪神電気鉄道100周年を記念して2005(平成17)年に設置されたもので、公道から自由に見ることができます。中央に100周年の碑文があり、敷石は高低差をつけて設置されています。一度ご覧になることをおすすめします。

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▲阪神電鉄本社前に設置された100周年記念碑。国道線の敷石は立体的に配置されている。'13.3.11 P:宮武浩二
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▲阪神国道線の敷石の説明板もしっかりと付けられている。'13.3.11 P:宮武浩二
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最後に、敷石ではありませんが、淀川大橋の東詰、西詰めに阪神国道線のものと思われる架線柱が残っています。残念ながら確証はありませんが、画像をお目に掛けます。

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▲おそらく阪神国道線の架線柱と思われる柱が淀川大橋両端に残されている。'13.3.17 P:宮武浩二
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▲涼やかな風が吹き抜ける浦山口駅。道路から一段高くなった駅舎へ続く坂道も実に味わい深い。'13.5.4 浦山口
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何度か秩父鉄道を訪れた方ならお分かりかもしれませんが、C58 363号機の「パレオエクスプレス」をしっかりと狙おうとすると、意外と鉱石列車が撮れなくなってしまいます。前者の撮影ポイントの多くが長瀞以遠なのに対して、鉱石列車の大半は武州原谷(貨)までの運転だからです。

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▲JNRマークも誇らしげにパレオエクスプレスの先頭に立つC58 363号機。今月いっぱいはこの後藤デフで活躍する。'13.6.1 樋口-野上(5001レ)
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今回はあくまで鉱石列車を見ようという趣旨でしたので、「パレオエクスプレス」の方は樋口駅付近で軽く流すに留めましたが、JNRマーク入りのG-2タイプ後藤デフに換装された姿はなかなか勇壮で、むしろこちらをメインに据えるべきだったかとの思いも湧いてきました。

130610n207.jpgところでこのC58 33号機を彷彿させる後藤デフ、なかなかの評判だそうで、秩父鉄道さんのお話では換装後はめっきり50代以上のファンの姿が増えたとか...。それもそのはず、無煙化直前の道東を訪れた世代にとっては決して忘れることのできない1輌だったはずです。ことに北見区に転じてからは、かの"大雪くずれ"1527列車の先頭に立つことさえあり、自らの青春と重ね合わせて、「パレオエクスプレス」にあの日の道東を垣間見ている方も多いのかもしれません。
▲かつてC58 33が装備して話題となったJNRマーク入りの後藤デフG-2タイプが忠実に再現されている。奇しくも363の"6"を抜けば機番も"33"。'13.6.1
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なお、今月発売の『国鉄時代』では、これまで詳らかでなかったC58 385号機からC58 33号機への後藤デフ"移植"の状況を、関 崇博さんが今回新たに発見された決定的写真を交えて解説して下さっています。

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▲武甲山をバックに行き交う鉱石列車たち。手前の7105レの牽引機は茶色塗装となったデキ505。'13.6.1 和銅黒谷(7105レ・7006レ)
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▲ヲキの"ヲ"はオア(ore=鉱石)が由来という。模型的視点も交えて細部を観察すると、これまた興味が尽きない。ちなみに鉱石列車はヲキの2編成で組成されており、車端の車輌には編成番号札が入れられている(左)。右は汽車会社の製造銘板。'13.6.1
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▲昭和3年の銘のある汽車会社の橋梁製造銘板。沿線を歩くと随所に思わぬ発見がある。'13.5.4 白久-三峰口
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この日の鉱石列車の運転は武州原谷(貨)-武川-三ヶ尻間10往復。まさに貨物街道の面目躍如といった感があり、各駅で見られる鉱石列車同士の交換シーンも大きな魅力です。ことに和銅黒谷の交換シーンは背後に秩父の象徴でもある武甲山が入り、まだデキ1形が活躍していた時代からお気に入りのポイントでもあります。

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▲近年では特別塗色のデキも登場しているが、個人的には長く親しまれてきている秩父鉄道色のデキが一番しっくりくるような気がする。'13.6.1 波久礼-樋口(7403レ)
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▲ヲキの姿もなくガランとしてした影森のヤードを横目に三峰口行きが到着しようとしている。昼下がりの長閑なひととき。'13.5.4 影森
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C58 363号機のJNRマーク入り後藤デフの装備は今月いっぱいとのこと。梅雨の合間を縫って初夏の秩父鉄道にお出でになってみてはいかがでしょうか。土・日・祝日限定の全線フリー乗降可能な一日乗車券「秩父路遊々フリーきっぷ」(大人1400円)が便利で、ゆっくりと楽しむことができます。

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▲初夏の風の中を駆け抜けるデキ102の鉱石列車。ここ秩父鉄道では頻繁に見られる貨物列車だが、今や旅客営業私鉄で定期貨物列車が運転されているのは三岐鉄道と秩父だけになってしまった。'13.6.1 野上-樋口(7204レ)
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梅雨入りとは名ばかりの好天が続くなか、先週、趣味の大先輩方に誘われて秩父鉄道へ行ってきました。秩父鉄道といえば、先般C58 33号機仕様の後藤デフに換装されたC58 363号機が話題ですが、今回はもちろんC58も楽しみながら、むしろデキの牽く鉱石列車を堪能しようという目論見です。

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▲影森構外側線横の道路から本線の浦山口方面を見下ろす。お気に入りのポイントのひとつで、折しも西武鉄道から乗り入れてきた4000系三峰口行きが走り去ってゆく。'13.5.4 影森-浦山口
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本誌最新号の別冊付録では秩父鉄道さんのご協力により最新のダイヤグラムを掲載させていただいており、訪問に際してはさっそく有効利用させていただきました。単線でそれなりに列車密度のある秩父鉄道では、貨物列車は交換や退避などで結構複雑な動きをしており、通常の時刻表ではなく、面として時空間を見られるダイヤグラムは実に有用です。

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▲秩父鉄道はその風情あるストラクチャーの数々も大きな魅力。'13.5.4 三峰口
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▲決して"やらせ"ではなく、こんなサインが随所で現役なのも嬉しい限り。ちなみにこればミラーレス一眼にズミルックス50㎜F1.4を装着しての撮影。こんな被写体にはAFではなく、一枚一枚ピントを合わせながらの撮影がぴったり。'13.5.4 影森/上長瀞
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残念ながらこの日の鉱石列車の運転は太平洋セメントの工場のある武州原谷(貨)と武川間、それに武川-三ヶ尻間のみで、期待していた影森構外側線へ入る列車はありませんでした。通称「影森貨物」は近年は土曜日にはほとんど運転されないようで、かつての影森の賑わい(編集長敬白アーカイブ「影森、魔境の残り香」参照→こちら、「秩父鉄道に鉱石列車を訪ねる」→こちら)を思うとなんとも寂しい限りです。

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▲ヲキが踏みしめ続ける影森構外側線のレール。生きた貨物側線のレール踏面の表情は、格別の説得力を持ってファインダーに迫ってくる。'13.5.4 影森構外側線
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ところで、『模"景"を歩く』にも収録しておりますが、秩父鉄道の大きな魅力のひとつが沿線各駅の佇まいにあります。しかもどの駅も有人駅で、丹精込めて清掃された駅施設と、驚くほど親切な駅の人たち...これだけでも再び足を向けさせるに充分な魅力と言えましょう。

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▲かつての黒谷駅は和同開珎に因んで和銅黒谷と改称したが、その好ましい佇まいは変わっていない。彼方には秩父の象徴である武甲山の姿が...。'13.6.1 和銅黒谷
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▲そして定番の親鼻橋梁。石畳でのんびりと橋梁を渡る貨物列車を眺める...なんと贅沢な時間だろう。'13.5.4 親鼻-上長瀞(7204レ)
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▲櫛の歯が抜けるように運用離脱しつつある1000系だが、オレンジバーミリオン(2代目)の1003Fはまだ現役。今の季節、あえて非冷房の中間車で窓からの風に夏の匂いを感じるのがおすすめ。'13.6.1 樋口-野上
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▲新型通勤車輌1000系の外観イメージ。 (阪急電鉄プレスリリースより)
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阪急電鉄株式会社は新型通勤車輌、神戸・宝塚線用「1000系」と京都線用「1300系」の新製を発表しました。開発コンセプトを「すべてのお客様に快適な移動空間~さらなる環境性能の向上~」としたこの新型通勤車輌は、外観イメージは9000系・9300系の開発コンセプトを継承しつつ、「静かさ」や「省エネルギー性能」といった環境性能のさらなる向上を目指したものとなっています。

130607n002.jpg外観は伝統のマルーンとアイボリーの車体色を継承しながらも、前照灯を一体的に見せることにより、すっきりとした印象を与えるデザインとしています。また、前面ガラス上部と標識灯下部のカーブのバランスを取り、新しさを感じるデザインとしています。
内装は木目調の化粧板やゴールデンオリーブ色のロングシートといった阪急車輌の伝統を踏襲し、落ち着きのある車内環境を提供します。
「静かさ」については全閉式高効率主電動機の採用によって、前形式車輌と比べて客室内の騒音レベルを約4dB(A)低減(音量に変換すると、約40%の低減)しているほか、低騒音型駆動装置、フラット防止機能付きブレーキシステムを採用することにより、さらなる騒音低減を図るとしています。

▲車内イメージ。※4は大型化された座席端部仕切り板、※5は側位置口部に設備された握り棒。 (阪急電鉄プレスリリースより)
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一方、「省エネルギー性能」については全閉式高効率主電動機、最新のVVVFインバータ制御装置を採用するほか、前照灯を含む全ての照明機器をLED化し、既存車輌と比較して約50%、前形式車輌と比較しても約20%の消費エネルギーの削減を達成しています。
安全面では車体正面の強度を向上したほか、座席端の仕切り板の大型化と併せて握り棒を設備し、万一の急ブレーキの際も車内のお客様の安全が確保できるよう考慮されています。さらに、車いすスペースの拡大や車内案内ディスプレイの大型化による視認性の向上など、バリアフリー設備の充実も図られるそうです。

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▲1000系・1300系主要車輌諸元表。 (阪急電鉄プレスリリースより)
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これら新技術を積極的に採用する一方、マルーンとアイボリーを組み合わせた車体色、木目調の化粧板、ゴールデンオリーブ色の座席など、「阪急車輌」のアイデンティティーを堅持している点は阪急ファンにとっても嬉しい限りではないでしょうか。
なお、運用開始は本年秋以降とリリースされています。

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▲晴海の国際展示場の鉄道博会場に展示された「坊っちゃん列車」の伊予鉄道1号機。煙室両脇のボトムタンクへの太い給水口や、丸形のバッファー、安全弁形状など現在保存されている状態とは各所が異なる。'62年 P:向山賢寿
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先週ご紹介した一連の「坊っちゃん列車」の記事をご覧になられた向山賢一郎さんから、1962(昭和37)年に東京・晴海で開催された鉄道博覧会に展示されていた「坊っちゃん列車」の貴重な写真(お父様撮影)をお送りいただきました。

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▲そのサイドビュー。タライのような煙突上部の火の粉止めは鉄聯の「双合」を連想させる。それにしても開けっ放しになってしまった煙室扉など、他の車輌と比べてかなりぞんざいな展示に見える。'62年 P:向山賢寿
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東京・晴海の鉄道博とは1962(昭和37)年6月15日から7月10日にかけて晴海埠頭にあった国際展示場を会場に行われた鉄道博覧会で、主催は毎日新聞。正確には「鉄道開通/毎日新聞創刊90周年記念 鉄道博 伸びゆく鉄道科学大博覧会」というもので、同じ90周年の毎日新聞と国鉄の、今風に言えばコラボレーション企画といったところでしょうか。

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▲1号機とともに編成状態で展示されていた2軸客車。手すりの形状やバッファー回りも酷似しており、これが子規堂のハ1(編集長敬白アーカイブ「子規堂のハ1」参照→こちら)なのだろうか? '62年 P:向山賢寿
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それにしても今さらながらに驚かされるのはその規模の大きさです。全国から集められた新旧の実物車輌はまさに博物館級。東海道新幹線開業を2年後に控えて、国鉄もなおさら力が入っていたのかも知れません。

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▲「あさかぜ」のヘッドマークを掲げ、20系を従えて展示されていたC62 1号機。同機の廃車は1967(昭和42)年で、この時点ではまだまだバリバリの現役機だった。'62年 P:向山賢寿
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数々の名車輌が展示された中に「坊っちゃん列車」があったとは寡聞にして存じませんでした。お送りいただいた写真を拝見すると、展示されたのは1号機関車と客車。道後公園に保存されていた編成をそのまま晴海に持ってきたようですが、はるばる愛媛から運んでわりには化粧直し程度の手直しも施されておらず、ほとんど廃車体状態。晴海の鉄道博にお出でになった方々がほとんどこの「坊っちゃん列車」を撮影されていないのにも、そんなところに遠因があったのかもしれません。

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▲ロータリー式除雪車キ621と、後方はこの年に試作されたアンヒビアン・バス「043形」。軌陸車、DMVのご先祖様にあたる。'62年 P:向山賢寿
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向山さんは当時の展示について...「義経からC62、C51、D51、EF60、EF55、ED72、401系、DD13、キロ28、20系客車、オハ31系、マックレー車、ロータリ車、ラッセル車、クモヤ93000、鉄軌バスなどなど、結構面白いものがありました。
C62 1は現役だったですし、またすぐそばの尾久にまだC62の配置があったにもかかわらず、わざわざ広島から持ってきたのはなぜでしょう。しかもC62 1はロッドの位置が途中で変わっていますので、展示中に何らかの理由で移動させたようです。
それにしても、写真を見返すと空いていますね。もし今だったらどうなるのでしょうか」。と述懐されておられます。

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▲架線試験車クモヤ93000。この展示の2年前に高速度試験で当時の狭軌鉄道世界最高速度記録となる175㎞/hを達成、記念のチャンピオンプレートが付けられた歴史的名車であった。'62年 P:向山賢寿
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なお、この伊予鉄道1号機関車はこの晴海の展示終了後に戻され、3年後に本格的に修復されて、現在では見違えるような美しい姿となって梅津寺公園で保存されています(編集長敬白アーカイブ「梅津寺公園の伊予鉄道1号機」参照→こちら)。

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▲列車イメージ(外観)。 ※時間と空間の移り変わりを楽しむ列車をコラージュイメージしたもので、実際の車輌とは異なります。 (JR東日本プレスリリースより)

昨日、東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)がまったく新しい超豪華列車クルーズトレインの新製を発表いたしました。これは同社が昨年10月に策定した「グループ経営構想V(ファイブ)~限りなき前進~」の中で、観光立国の推進の一環として「豪華列車の導入」を表明したことを受けたもので、詳細はまだ発表されていないものの、実にインパクトのある外観イメージパースが発表されました。

このJR東日本のフラッグシップとなるクルーズトレインは、「日本を楽しむあなただけの上質な体験」の提案を目的として、2016年春以降の運行開始を目指して開発されるもので、世界的な工業デザイナーでKEN OKUYAMA DESIGN 代表の奥山清行氏のプロデュースによるものと発表されています。

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▲列車イメージ(室内)。 ※時間と空間の移り変わりを楽しむ列車をコラージュイメージしたもので、実際の車輌とは異なります。 (JR東日本プレスリリースより)

運行エリアは東日本エリアを中心にしたものとなり、これまでの鉄道の旅にない、上質で洗練されたサービス・おもてなしや特別感のある非日常的な体験を提供する事で、ご利用のお客さまに感動体験をしていただける旅を提供するとしています。

注目の車輌と編成ですが、列車編成は10輌の専用編成とし、パブリックスペースとしては、ダイニングやラウンジを用意。またプライベートスペースとして1輌当たり2~3室の客室とし、2クラスのスイートルームを設定予定だそうです。
そして最も特筆されるのが国内初となる「EDC方式」が採用されることです。このEDC方式は電化区間では架線から供給される電力によって走行し、非電化区間では、車輌に装備した大出力のエンジン発電機を稼働させて発電機からの自給電力によって自力走行するものです。いずれの区間も、一般的な電車のようにモーターを駆動して走行し、安定した走行性能と高い冗長性の両立が可能となります。

(資料提供:JR東日本)

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▲上越線でEF58 61のあかぎ国体お召が走った翌週末、特に何も目玉はなかったがふらっと掛川に行き、来る列車にシャッターを切っていた。ごく普通の形態の158号機が2CC2のジョイント音を残して走っていった。'83.10.23 荷38レ P:松広 清(国鉄時代アーカイブスvol.3『日本の電気機関車 2』より)
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ご好評いただいております季刊『国鉄時代』ですが、vol.20以前の巻は大半が品切れとなり、再版をとの声も多く頂戴いたしておりました。ご要望にお応えすべく再編集いたしましたものが『国鉄時代アーカイブズ』で、昨年より『日本の電気機関車1』、『D51形蒸気機関車』を発売いたしました。テーマを絞り込んでいるだけに本誌とはまた別の充実感のある本に仕上がっております。

130604n002.jpg6月3日に発売いたしました第3巻は『日本の電気機関車 2』。EF57、EF58から交流電機まで、多角的にまとめた一冊です。ファンによる形態分類、もと機関士の回想録、昭和の線路端で生まれた交友録、そして多くの電機ファンの方々の思い出に共鳴する撮影記など、熱気に包まれた時代が凝縮された誌面となりました。

巻頭カラーグラフ「昭和50年代の荷物列車」では、東海道・山陽本線に最後の光彩を放っていたEF58が誌面狭しと疾駆いたします。正面窓のHゴム化、パンタグラフのPS22Bへの交換、一体型ヒサシの取り付け、ヘッドライトの2灯化...、多くの改造を受けたゴハチですが、それでも我々ファンにはかけがえのないスター機関車でした。当時一心不乱に追いかけた皆さんにはあの2CC2の豪快なジョイント音が耳に蘇ってくるはずです。

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▲夕日を浴びて北に向かうEF57のデッキは、遠足帰りと思しき子供たちで鈴なりだった。今ではとても考えられない、なんと楽しそうな光景だろうか...。'76.6.16 赤羽 P:渡邉健志(国鉄時代アーカイブスvol.3『日本の電気機関車 2』より)
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▲スイスの山岳地帯を思わせる雄大な風景の中を前補機EF13の力を借りてEF58牽引の上り列車が誇らしげに峠へ向かう。背景は飯士山(1,111m)。'55.4.10 越後中里 P:田部井康修(国鉄時代アーカイブスvol.3『日本の電気機関車 2』より)
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新規の記事・資料も数多く盛り込んでいるのが大きな特徴です。巻末には髙橋和男さんのキャビネ版フィルムによるED級の旧型電気機関車の写真をまとめました。ビスやリベットまで浮き出したような精緻な写真に旧型電機ファンならずともため息が漏れることでしょう。ED16・ED17・ED18・ED19・ED21・ED26を収録しておりますが、撮影にあたっては機関区のご好意で場所を移動させていただいたりしたことも一再ではなかったとのこと。

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▲山陽方面から宇都宮運転所に転属したEF58は、多くが原形を保った機関車だった。電暖改造されまでの約半年、東北本線は原形大窓の11・12号機を筆頭に美しいEF58が百花繚乱と輝いていたのだった。(国鉄時代アーカイブスvol.3『日本の電気機関車 2』より)
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そして資料として1973(昭和48)年10月1日改正の広島鉄道管理局運用表の中から、広島機関区、下関運転所のものを抜粋いたしました。EF58、EF61、EF65、EF15の運用表の中の列車番号から、瀬野八越えや富海の海岸などの懐かしい風景やそれにまつわる出来事まで蘇ってくる方も多いことでしょう。

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▲ED19 1〔伊〕(←ED53 3←6012) 前面窓は原形に近い大きなもので、パンタグラフはPS15。現在は長野県箕輪町の「箕輪町郷土博物館」に保存されている。'75.3.30 上片桐 P:髙橋和男(国鉄時代アーカイブスvol.3『日本の電気機関車 2』より)
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国鉄時代アーカイブスvol.3『日本の電気機関車 2』
定価:2000円(税込)
A4判変形/128頁(うちカラー16頁)
■主な内容
昭和50年代の荷物列車/EF57デッキ添乗記/わが友EF58/宇都宮機関区のEF58を讃える/ED16奥多摩の細道/板谷峠協調運転小史/晩秋の板谷峠に181系「つばさ」とEF71を求めて/凸の肖像 上越国境のEF13/青春譜 蓮田行進曲/麗しき谷とED19の行く小道/「津軽」撮るなら黒田原で/雪国からの便り/遅れて来たゴハチフリーク/みちのくの赤い三重連/ED級電気機関車形式写真
〔巻末資料〕
昭和48年10月1日改正 広島機関区・下関運転所 機関車運用表

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▲撤去用の桁が架けられて着々と準備が進む葛袋3号橋。関越自動車道上の「トワイライトゾ~ン」として長年親しまれてきたこの橋も、今夜から撤去が始まる。'13.6.1
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本誌1月号(№352)の「トワイライトゾ~ン」で川崎久雄さんが「間もなく撤去か...」とレポートくださった関越自動車道に架かる鉄道橋「葛袋3号橋」が、ついに今夜から撤去されます。

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▲葛袋3号橋撤去に伴う6月3日・4日の通行止めを告知する幕が各所に掲げられている。'13.6.1
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「トワイライトゾ~ン」の初期に何度か取り上げたのがこの「葛袋3号橋」です。関越自動車道下り線を走っていると、高坂サービスエリアを過ぎたあたりで路線図には見当たらない電化路線がオーバークロスしているのに気づきます。しかも架線柱らしきものはあるものの、肝心の架線が張られておらず「あれは一体何?」という素朴な疑問が当時の誌面を賑わせたました。

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▲まだ架線柱が残っていた頃の葛袋3号橋。NEXKO東日本のプレスリリースより。

この「葛袋3号橋」は東武東上線の高坂駅から分岐して高本へと至る日本セメントの専用鉄道の橋梁で、専用線一覧表(昭和50年版/『トワイライトゾ~ン・マニュアルⅡ』所収)によれば作業キロ5.5㎞と記録されています。運転開始は1971(昭和46)年7月30日。高本で採掘された粘土などセメント原材料を積載した貨車は東武鉄道の電気機関車に牽引されて東上線を遡り、下板橋駅に隣接したホッパービンへと運ばれていました。

そして、関越自動車道の建設工事に伴って1974(昭和49)年に架橋されたのがこの「葛袋3号橋」で、鉱業所そのものは後年、秩父鉱業に代わったものの、1984(昭和59)年に輸送を追えるまでの約十年間にわたってこの橋を電気機関車に牽かれたトキ列車が渡っていたことになります。

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▲今から22年前、1991(平成3)年1月号(№86)掲載の第5回「トワイライトゾ~ン」より。「東上線常備車」と標記されたトキが入線していた1977(昭和52)年時点での状況との定点観測を交えて詳しくレポートしている。
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NEXCO東日本によると今日と明日(3日・4日)の21時から翌朝6時まで、鶴ヶ島ジャンクションと東松山インターチェンジ間上下線が通行止めとなり、この「葛袋3号橋」の撤去と坂戸西スマートインターチェンジの新設工事などが行われる予定だそうです。
関越自動車道を通るたびに来るはずのない列車の幻影を見ていた「葛袋3号橋」も、もう二度と再び目にすることはできなくなってしまいます。

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