鉄道ホビダス

2013年5月アーカイブ

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▲レモンイエローの車体が眩いデビュー時の1000系。正面と側面戸袋部にはデビュー告知のラッピングが貼られていた。'12.4.4 中野車両基地 P:RM
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鉄道友の会から2013年ブルーリボン賞とローレル賞の発表があり、ブルーリボン賞には東京地下鉄1000系(編集長敬白アーカイブ「東京メトロ1000系に試乗」参照→こちら)が選ばれました。同賞の55年にわたる歴史のなかで地下鉄車輌が受賞するのは初めてです。また、性能・デザイン・製造企画・運用などの諸点に卓越したものがあると選考委員会が認めた車両を選定するローレル賞は今回該当なしとなりましたが、こちらも同賞制定から52年にして、1968(昭和43)年、2004(平成16)年に次ぐ3度目の椿事です。

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▲浅草駅で盛大に行われた1000系出発式。初列車を見送るのは武井 咲さん。'12.4.11 浅草 P:RM
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あらためてご紹介すると、ブルーリボン賞は鉄道友の会(会長 須田 寬、会員約3,300 名)が毎年1 回、前年中に営業運転に就いた新車および新車と見なせる車輌(改造車等)のなかから、会員の投票結果をもとにして選考委員会(鉄道車輌に精通する鉄道友の会会員10名)が優秀と認めた車輌に与えられるもので、今年は下記の7形式がノミネートされていました。
1.わたらせ渓谷鐵道WKT-550形
2.千葉都市モノレール0形
3.東日本旅客鉄道E657系
4.東武鉄道634系
5.東京地下鉄1000系
6.黒部峡谷鉄道EDV形
7.京阪電気鉄道13000系

120404n202n.jpg今回の選定理由を鉄道友の会は以下のように発表しております。
「東京地下鉄1000 系は、2012 年4 月から銀座線01 系の後継車両として営業運転を始めています。銀座線の車両には、1927 年の開業以来、急曲線が連続するトンネルの中という厳しい条件でも安全に運転ができるように、その時代の最新の技術を採り入れた車両が使用されてきました。急曲線が多い銀座線での走行性能向上策については、今までにも順次実施されてきましたが、今回製作された1000 系は、走行性能のさらなる向上と振動・走行音などの低減に効果が大きい、操舵台車を採用したことが最大の特徴です。この台車は、曲線走行時に台車と車体間で生じる変位量に応じて操舵装置(リンク機構)によって輪軸が自動的に舵を切る仕組みとなっており、自動車がカーブに沿ってハンドルを切るのと同じ様に、曲線をスムーズに走行することが可能になり、さらに、曲線走行時の振動・走行音も低減して、乗り心地が向上しました。「リンク式片軸操舵台車」と呼ばれるこの台車の開発にあたっては、試作台車を車両に取り付けて試験を重ね、その結果、全ての輪軸に操舵装置を付けるのではなく、車両1 両に2 つある台車のそれぞれの2 つの輪軸のうち1つを非駆動の操舵輪軸とし、もう一方の輪軸は非操舵の駆動軸とする片軸操舵の方式でも、優れた曲線走行性能を発揮することが確認され、今回1000 系に採用されました。操舵台車としては比較的簡単な構造であるためメンテナンス性は良好です。しかし、駆動軸にはユニットブレーキ、非駆動軸にはディスクブレーキと、1つの台車に異なるブレーキ装置が混在しているため、ブレーキ力制御が複雑になりますが、新技術を用いて編成全体のブレーキ力を演算制御することで、所定のブレーキ力を得るとともに電力回生ブレーキの有効活用による省エネを図りました。このほかの省エネ対策として、駆動モータには効率の高い永久磁石同期電動機を、前部標識灯と車内照明にLEDを採用しました。一方、車体外観は銀座線開業当時の1000 形を思わせるレトロ調で、これは、アルミニウム合金製の車体にラッピングフィルムで開業当時の1000 形のカラーを再現したものです。また、やや小型な銀座線の車両ながら、明るく開放的な客室になるように、天井構造を見直すとともにクーラーを薄型にして極力天井を高くしたほか、貫通扉や座席横の仕切り、荷棚に強化ガラスを用いるなどの工夫を凝らしてあります。鉄道友の会は、日本で最初の地下鉄である銀座線特有の厳しい走行環境に対して、走行性能及び快適性を新技術により向上させ、併せて省エネ性も高め、さらに外観は開業当時に在籍した車両を彷彿とさせるものであることなどを高く評価し、東京地下鉄1000 系を2013 年のブルーリボン賞に選定しました」。
▲試乗会で配布された1000系の立派なパンフレット。
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この4月には第2編成が完成した東京地下鉄1000系(RM News参照→こちら)。ブルーリボン賞受賞車の栄誉を背負って、これからいよいよ銀座線の顔として活躍してゆくはずです。

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▲大阪市交通局に里帰りしたヘルブランド台車。実は車軸には松山電気軌道由来のGE-1000が装備されている。P:宮武浩二
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「坊っちゃん列車」関連で松山の話題が続きましたが、ご覧になられた宮武浩二さんから短命に終わった「松山電気軌道」に関しての興味深いレポートを頂戴しました。

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▲松山電気軌道道後駅の全景。松山電気軌道は現在の三津浜港付近の江ノ口と道後温泉を結んでいた標準軌の電気軌道で、1911(明治44)年に開業、10年後にはライバルの伊予鉄道に合併され、さらに改軌されてしまった短命な軌道だった。この絵葉書に見える1形8号・10号はのちに能勢電気軌道21形となっている。絵葉書所蔵:宮武浩二
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松山電気軌道といえば道後温泉をはさんで伊予鉄道と熾烈な乗客奪い合いを行っていたのは有名な話です。しかし松山電気軌道は伊予鉄道の軍門に下り、旧松山電気軌道の軌道(1435㎜ゲージ)は伊予鉄道の軌道軌間である1067㎜ゲージに統一されることになり、旧松電系の車輌は全車失業することになりました。

130530n006.jpg幸いなことにその内の電動客車10輌と、大阪市電が出自の無蓋電動貨車(番号不詳)が1923(大正12)年に能勢電気軌道に引き取られて、電動客車は21号~30号となり使用されたことはわかっています。その後この電車に使用されていたGE-1000主電動機1輌分が大阪市電由来のヘルブランド台車をはく105号電動貨車に再利用され、数奇な運命を経て現在大阪市交通局に保存されている二階付電車ヘルブランド台車に装着されたまま保存されているわけです。

▲ヘルブランド台車に装備されたGE1000主電動機2台。宝塚ファミリーランドに展示されていた時にモーターケースは黄緑色に塗装された。P:宮武浩二
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▲GE1000主電動機のケーシングの陽刻。パテントがぎっしりと記されている。P:宮武浩二
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ではいつごろから105号電動貨車に使用されていたのか足取りをたどると、1955(昭和30)年度の能勢電車輌表では105号電動貨車の主電動機はすでにGE―1000に置換されていることから、能勢電21形が廃車になった1937(昭和12)年から休車された1950(昭和25)年までに置換したというほかは判明しませんでした。この主電動機、おそらく松山電気軌道時代のものとしては現存する唯一のものであり、貴重な遺産といえましょう。

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▲能勢電気軌道21形竣功図。前所有者欄には「伊豫鐵道電気」の文字が見える。所蔵:宮武浩二
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▲少々埃を被ってしまってはいるものの、しっかりと保存されている"蒸気機関車版"の1号機。説明板にも「正確には四輪連結タンク機関車(伊予鉄道甲一号形)=重量六・八一トン、動輪直径六八五ミリ、シリンダー径×行程 一八○ミリ×三○○ミリ、使用圧力一二・三七キロ/平方センチ、弁装置スチブンソン式、ゲージ七六二ミリ=と客車が、後の世、坊ちゃん列車とユニークなニックネームをいただいた...(後略)」と詳述されている。'13.5.26
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引き続き「坊っちゃん列車」関連の保存車輌をご紹介しましょう。これまでにも見てきたように伊予鉄道1号機関車は実に多くのデッドコピーが作られ、その数は5輌にもなります。昨日ご紹介した伊予鉄道本社前の複製機、愛媛県総合科学博物館に展示されている複製機(編集長敬白アーカイブ「愛媛県総合科学博物館の"坊っちゃん列車"」参照→こちら)、2001(平成13)年から市内線で運転されているディーゼル機関車版2輌(D1、D14)、そして今回ご紹介する"蒸気機関車版"の本機です。

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▲石炭も残るキャブ内。水面計など運転機器類はもちろんフェイクではなく実際に機能するもの。なお、製造元の米山工業はモノラックレール(いわゆるみかん山モノレール)で全国的に知られるメーカー。'13.5.26
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松山随一の繁華街・大街道にほど近い駐車場に保存されているのが1976(昭和51)年に地元の米山工業によって製造されたレプリカで、ほかの複製機と決定的に異なるのはボイラー検査を受けた本物の蒸気機関車である点です。1988(昭和63)年には山田洋次監督の映画「ダウンタウンヒーローズ」にも"出演"。同年5月には旧内子線五十崎駅付近でロケ、同年8月には映画のプロモーションでなんと東京の越中島貨物駅でデモ走行を行っています(編集長敬白アーカイブ「越中島の"坊っちゃん列車"」参照→こちら)。

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▲キャブ側面に取り付けられた銘板(左)とセンターバッファーの連結面(右)。'13.5.26
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その後も門司港駅(1989年)や宇和島駅(2000年)、さらには松山駅構内(2001年)で公開運転され、2001(平成13)年には北海道に渡って穂別町のイベントで旧富内線富内駅構内を走行しましたが、その後は再び火を入られることなく松山市内で保存されています。

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▲客車も見事に再現されている。ちなみに客車は2輌あったはずで、もう1輌の消息は...。'13.5.26
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保存展示されている駐車場の説明看板には...
「現在、この坊ちゃん列車のうち機関車は鉄道記念物に、さらに客車を含めて県文化財にも指定され、梅津寺パークに陳列されている。また同型の客車は子規の墓所、正宗寺にもある。伊予鉄道本社前にも機関車の模型が飾られている。
 此処に展示している「坊ちゃん列車」は昭和五十年に発足した「坊ちゃん列車を走らそう会」(世話人代表 米山徹朗)の有志により、往時の設計図に基づき忠実に復元したもので、昭和五十一年完成。また客車二両は昭和五十五年に完成した。
 ちなみに、映画"ダウンタウンヒーローズ"(演出 早坂 暁 出演 薬師丸ひろ子)で銀幕にも登場。また平成十二年五月には鉄道唱歌誕生百周年記念(JR四国主催)として宇和島駅構内で実走した。
企画展示 坊ちゃん列車をはしらそう会
     ふるさと市民会議」
と記されており、また別の看板には...
「昭和29年に引退して以来、蒸気機関車としての「坊っちゃん列車」はこの地を走っていない。展示しているのは市民の有志と全国から募金を集めて最近復元したもの。「坊っちゃん列車を走らせる会」が粘り強く運動しているが運行のメドは立っていない」
との表示も見られます。

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▲伊予鉄道の社紋も再現された軸受部、リンク式になっている点にも注目。'13.5.26
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ご存知のように現在ではディーゼル機関車版の「坊っちゃん列車」が観光の目玉として大活躍をしており、本機はこのDL版に後を託したようなかたちとなってしまっていますが、いつの日か、道後温泉駅で煙を上げる姿を見てみたいものではあります。

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▲本物と見間違うばかりの1号機レプリカ。手前の表示板には「原寸模型」と記されている。'13.5.26
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昨日ご紹介した子規堂の目と鼻の先、松山市駅横にある伊予鉄道本社ビルの前には1号機関車のレプリカが展示されています。レプリカといっても流石に鉄道事業者の本社前にディスプレーされるだけあって、どう見ても本物にしか見えず、よくある"○○風"とはレベルの違う完成度です。

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▲正面から見た1号機レプリカ(左)と伊予鉄道本社ビル全景(右)。正面入口にディスプレーされている。'13.5.26
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本物の1号機はすでにご紹介したように梅津寺公園で手厚く保存されており(編集長敬白アーカイブ「梅津寺公園の伊予鉄道1号機」参照→こちら)、本機はこの保存機を詳細に再現したものだそうです。展示解説板には1977(昭和52)年9月14日の日付がありますから、創立90周年を記念して製作されたもののようです(本社ビルの完成自体は同年11月)。

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▲後ろからみた全景。画面左、道路を渡った先が松山市駅の駅ビル。'13.5.26
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▲現在は梅津寺公園に保存されている"実物"を詳細に採寸して復元したというだけあって、足回りも見事に再現されている。ロッド類にはメッキが施されている。'13.5.26
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▲キャブ内(左)と刺賀商会の銘板のレプリカ(右)。ボイラーはケーシングのみでもちろん中身はない。'13.5.26
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流石に外観のみの再現で、火室内やボイラー内部は空っぽのようですが、それにしても良く出来ています。現在であれば話題の3Dプリンターでデッドコピーができるかもしれませんが、35年以上も前に本機が複製された際は、まさに実機を新製するのとたいして変わらない手間と費用が掛かったに違いありません。

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▲キャブ側面には特徴的な形状の切り抜き数字と、カタカナの「イ」を放射状に4つ並べた伊予鉄道の社紋が再現されている。'13.5.26
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考えてみると全国の鉄道事業者でも本社前に自社の歴史的車輌を展示している会社はほとんどないようです。磨き込まれた本機を見ていると、自社の歴史への誇りが伝わってきて、実に清々しい気分になることができました。

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子規堂の「ハ1」。

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▲子規堂の真向かいに保存されている伊予鉄道ハ1とされる客車。観光バス・ツアーのお客さんなどがひっきりなしに訪れる記念撮影スポットとなっており、誰もいない状態での撮影はなかなか難しい。'13.5.26
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先週末は所要でひさしぶりに松山へ。時間を見つけていくつかの保存車輌を見て回ってきました。まずは正岡子規が17歳まで過ごした住居を復元した資料館「子規堂」の敷地内に保存されている客車ハ1をご紹介しましょう。

130527n007.jpg愛媛県指定史跡となっているこの子規堂は、松山市駅から徒歩数分の正宗寺境内にある屈指の有名観光地で、資料館内には正岡子規はもとより、同窓の夏目漱石に関する資料なども展示されています。そしてその向かい側に鎮座しているのが、夏目漱石の小説『坊つちやん』に登場したことから、「坊っちゃん列車」として全国的に有名となった伊予鉄道の2軸客車です。
▲34歳で早世した正岡子規が17歳まで過ごした住居を再現したのが「子規堂」。客車は画面左側にある。'13.5.26
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▲その車内。保存車輌というよりは観光用ディスプレーといったイメージ。右上に伊予鉄道から寄贈の額が掛かる。'13.5.26
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▲伊予鉄道社長名で正宗寺宛に記された寄贈目録(左)と昭和40年11月と刻まれた石碑(右)。'13.5.26
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「ハ1」と標記があるこの客車、車内には「この客車は現在たゞ一つ残っているその当時のものである(1888年独逸製)」とありますが、その来歴は謎で、一説にはかつて1号機とともに道後公園に保存されていたものとされています。道後公園の1号機は1965(昭和40)年に本格的なレストアを施されて梅津寺公園に保存されており(編集長敬白アーカイブ「梅津寺公園の伊予鉄道1号機」参照→こちら)、現在ペアを組んでいる客車はその際に貨車の足回りを流用して製作されたレプリカです。いっぽう、子規堂の「ハ1」が伊予鉄道から寄贈されたのも同じ1965(昭和40)年ですから、この時になんらかの錯綜があったのかもしれません。

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▲その足回りを見る。軸受蓋には伊予鉄道の社紋が見られる。床下中央にはセンターバッファーの緩衝バネが見える。'13.5.26
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▲特徴的なセンターバッファー。連結器はもちろんリンク式。端梁には「伊豫鐵道」の銘板が取り付けられている。'13.5.26
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松山の街を歩くと、驚くほど至るところで「坊っちゃん列車」と出会います。この子規堂のハ1も、「坊っちゃん列車」を語り継ぐ貴重な観光資源として日々多くのお客さんを集めています。

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▲貴志川沿いの深い谷を渡るデ13。長閑な沿線風景はその廃止までほとんど変わることはなかった'84.4.14 紀伊野上-動木 P:寺田裕一 (RMライブラリー『野上電気鉄道』より)
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RMライブラリー今月の新刊は寺田裕一さんによる『野上電気鉄道』をお届けします。野上電気鉄道というと、私たちの世代にとってはつい先日まで動いていたかのような感がありますが、廃止されたのは1994(平成6)年ですから、かれこれ19年も前のことになります。

1305123nrml166.jpgこの鉄道について改めて概要をご紹介しますと、紀勢本線海南駅近くの日方駅から東側の山間部、野上谷に沿って登山口駅までの11.4kmを結んでいた電気鉄道です。ちなみに紀勢本線(当初は紀勢西線)に接続する和歌山県下の地方鉄道は、いずれも紀勢西線の開業(大正13年)よりも先に開業していたことが特徴であり、野上電気鉄道の最初の区間も1916(大正5)年に開業しています。

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▲阪神・阪急からの譲渡車が入線する前はこんな個性豊かな車輌が活躍していた。左は善光寺白馬電鉄から江若鉄道を経由して入線したデハ22。右は目黒蒲田電鉄から譲渡されたデハ21。2枚とも昭和20年代後半に高橋 弘さんが撮影された貴重な写真。 (RMライブラリー『野上電気鉄道』より)
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開業後もさらに奥地への延伸が計画され、1928(昭和3)年には生石口(後の登山口)までが開業、さらなる延伸のための工事にも着手していましたが、もともと沿線人口は決して多くはなく、戦後の混乱期が過ぎ自動車交通が発達してくると、他の私鉄同様、苦しい経営を強いられることになります。昭和40年代には段階的な廃止が計画されるに至り、1973(昭和48)年、ついに一部区間の廃止申請が出されます。

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▲廃止申請を撤回した野上電鉄は富山地方鉄道からデ5010形を購入し、ステップを撤去するなどの改造を加え、主に昼間時の運用に充てた。 (RMライブラリー『野上電気鉄道』より)
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野上電鉄が他の多くの私鉄と違ったのは、ここで即廃止、とはならなかったことです。オイルショックによるガソリン不足の影響もあって、野上電鉄は欠損補助金制度を利用した存続を図ることになります。しかし、これ以降、野上電鉄の経営は欠損補助金に頼ったものとなり、そしてこの欠損補助金が打ち切られたことが鉄道廃止のみならず会社そのものの解散に直結することになりました。

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▲二代、三代と車輌番号の変遷が複雑なのも野上電鉄の特徴。中段は藤井信夫さんが撮影された阪急1形の車体を利用したモハ24(二代)。1957(昭和32)年に登場したが、1961(昭和36)年には早くも阪神601形の車体を利用したモハ24(三代)(写真下段)に機器を譲り姿を消した。 (RMライブラリー『野上電気鉄道』より)
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本書ではこれら開業から廃止に至る顛末を、輸送人員や貨物輸送量などの詳細データ、そして昭和50年代以降の臨場感あふれる乗車ルポとともに解説します。また各駅の紹介、変遷の複雑な車輌群についても、高橋 弘さん、藤井信夫さんからお借りした昭和20年代からの貴重な写真とともに紹介します。野上電鉄の魅力が満載の一冊、ぜひ、書架にお揃えください。
なお、続く6月刊は本シリーズではお馴染みの藤田吾郎さんによる『建築限界測定車-オイラン車のバリエーション-』をお届けする予定です。どうぞお楽しみに...。

※明日は不在のため小ブログは休載とさせていただきます。

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山を降りた屋島ケーブル。

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▲車止め一杯まで下げられた1号の後には2号が寄り添うように下山していた。前が「義経」号、後が「辨慶」号。'13.5.14 P:宮武浩二
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このところ"ケーブル行脚"を続けておられる宮武浩二さんから、かつて小ブログでも紹介いただいた「屋島ケーブル」(編集長敬白アーカイブ「屋島と八栗 ふたつのケーブル」参照→こちら)の、山上駅側に留置されていた車輌が山を降りたという情報をいただきました。

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▲運行を休止して間もなく10年。人通りの無くなった駅前は寂しい。交換駅と隧道のほか、山上駅の一部が見える。'13.5.14 P:宮武浩二
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四国新聞ニュースで、屋島ケーブルの山上駅にあった2号車「辨慶」が登山口駅に降りたという記事を見つけた宮武さんはさっそく現地に飛び、その様子を確認してこられました。単線2輌交走式、いわゆる"つるべ式"ケーブルカーの場合、途中の交換設備以外で2輌が並ぶことはあり得ませんので、2輌編成にしたかのような光景は実に奇妙です。

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▲戦後復活した日立製作所製車輌の形式図。所蔵:宮武浩二
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四国新聞によれば、山上駅に停まったままになっている2号車「辨慶」については、災害時に滑落する恐れがあるとして地元住民から不安を訴える声が上がっており、山麓一帯を管理する四国森林管理局香川森林管理事務所が今年1月に作業員7人を使って全長856m、高低差264mの軌道を下したとのことです。

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▲絵葉書に見る屋島ケーブル。左は開業当時の軌道。立派なコンクリート製の軌道は戦後の復活に役立ったことだろう。円内は屋島神社前駅舎で、モダンな駅舎は現存している。右は開業当時の屋島山上駅。屋上の鉄塔は未設置のころ。駅前の駅員の人形が面白い。所蔵:宮武浩二
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▲開業当時の車内。前面5枚窓に大きな手ブレーキハンドルが特徴。所蔵:宮武浩二
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写真を見ると、ケーブルカーのケーブルが外されて、2号車「辨慶」は1号車「義経」にぴったり寄り添う形で登山口駅ホームに止まっています。危険防止のためか両方の車輌の間はベニア板で塞がれているのもわかります。営業休止から来年で10年。「このまま朽ち果てていくのか、それとも完全撤去される時が来るのかはわかりませんが、先日ご紹介した生駒ケーブル(編集長敬白アーカイブ「」参照→こちら)の保存車のように、どこかで保存されてほしいものです」と宮武さんは書き添えられていました。

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▲本牧の機関庫内でたいせつに保管されているC56 139号機。ボランティアの皆さんの努力もあって 、その状態はとても静態保存機とは思えないほど良好。'06.4.15
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今週末の日曜日(5月26日)、神奈川臨海鉄道「創立50周年記念イベント」に通常は公開されることのないC56 139号機が登場します。

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▲錆ひとつないその足回り。今回のイベントではDLの力を借りて構内を"走る"姿も目にすることができるという。'06.4.15
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神奈川臨海鉄道は京浜工業地帯の貨物輸送を目的に1963(昭和38)年6月1日に第3セクター方式で設立されました。ご存知のように貨物専業の民鉄で、川崎貨物駅を中心とした川崎地区と、本牧埠頭を擁する横浜地区の2エリアにわかれて鉄道貨物輸送を行っています。前者、川崎地区には水江線(2.6km)、千鳥線(8.6km)、浮島線(3.9km)の3線が、後者、横浜地区には本牧線(5.6km)が第一種鉄道事業線と存在しますが、両者は自社線路では結ばれておらず、それぞれが独自の輸送形態となっているのが大きな特徴です(編集長敬白アーカイブ「神奈川臨海鉄道を訪ねる」参照→こちら)。

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▲本牧の2線矩形庫に格納されているDD55とC56 139号機。通常はシャッターが閉まっており、中の様子は伺い知れない。'06.4.15
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130521n002.jpg今回のイベントは創立50周年を祝う特別なもので、横浜本牧駅構内(横浜市中区錦町15)を会場にさまざまな催しが企画されています。そのなかでもとりわけ注目なのが、同社が保管しているC56 139号機の特別展示です。C56 139号機は1938(昭和13)年日立製。戦後は津山、宇部、鹿児島と転籍後、横浜機関区で十年近くを過ごして1965(昭和40)年7月9日付けで廃車となったヨコハマゆかりの機関車で、その後、国分寺市にあった中央鉄道学園で教材として保存されていたものです。
▲大宮工場(OM)施工のX線検査標記プレート。「29.12」の打刻が読み取れる。'06.4.15
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▲本牧地区に配置されているDD5517。 富士重工業1981年10月製の56t機。'06.4.15
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当日はC56 139号機がDL牽引で構内を"走る"姿も目にできそうで、普段は間近に見ることのできない臨海鉄道の機関車や貨車などの展示とともに、見逃せない一日となりそうです。

■開催日時
5月26日(日)10:00~15:00(最終入場14:30)雨天決行
入場無料
■開催場所
横浜本牧駅構内(横浜市中区錦町15)
■イベント内容
・車輌及びコンテナの展示
 C56 139蒸気機関車、DD55ディーゼル機関車、DD60ディーゼル機関車
 コキ50000形、コキ100形、タキ1000-1形、タキ1000-2形、タキ143645形、シキ1000形、ヨ8000形(予定)
・ディーゼル機関車牽引によるC56 139の展示運転
 1回目:11時30分~、2回目:14時00分~(予定)
・トップリフター、フォークリフトの展示運転
・写真で見るかなりん50年の歴史
・鉄道模型の展示運転
・ミニSLの運転...ほか
 ※都合により、予告なしにイベント内容の変更または中止となる場合あります。

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▲本牧地区に配置されている神奈川臨海鉄道のトップリフター。「かなりん」の文字が見える。'06.4.15
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■アクセス
JR根岸線根岸駅より無料シャトルバス運行 根岸駅⇔横浜本牧駅会場
JR根岸線根岸駅より市営路線バス 三井物産前停留所下車 徒歩1分
JR根岸線横浜駅、桜木町駅、石川町駅より市営路線バス 和田山口停留所より徒歩10分
※駅構内には自動車駐車場、オートバイ・自転車駐輪場は無いので公共交通機関を利用してください。

詳しくは→こちら

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▲26日に開催される創立50周年記念イベントのポスター。同社としてはこれまでにない大規模なイベントとなる。
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▲宮崎県総合福祉センター児童交通遊園に保存されている宮崎交通1号機。後方に見えるのはC11 191号機。現在大井川鐵道で動態保存されているC11 190号機の僚機である。'04.10.23
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今から50年前の1963(昭和38)年5月8日、日南線南宮崎~志布志間が開業しましたが、その一年前に日南線に後任を託すかたちで廃止となったのが南宮崎~内海間を結んでいた宮崎交通(鉄道部)でした。

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▲煙突上に付けられた火の粉止めが目を引く本機はバッファー&リンク式カプラー装備の姿で展示されている。片側のバッファーが垂れてしまっているのは残念。'04.10.23
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▲そのバックビュー。ホイールベース1100㎜のグループに属し、いわゆるコッペル弁を用いた軽便機そのもの。キャブ側面には代理店オットー・ライメルスの銘板も残る。'04.10.23
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日向灘沿いの景勝地を縫うように走る宮崎交通は、戦後いちはやく蓄電池動力を採用して「電化」を行い、気動車然とした蓄電池車チハ101やDL然とした蓄電池機関車ED1などを有したことで知られています(RMライブラリー69 田尻弘行著『宮崎交通鉄道部』参照)。

130519n005.jpgその宮崎交通ではなぜか廃止時まで蒸気機関車を後生大事に維持しており、1962(昭和37)年6月30日に行われたおわかれ運転の先頭に立ったのも蒸気機関車でした。この時の主役が1号機(?)ですが、実はこの1号機の正体は4号機で、おわかれセレモニーに際して4の切り抜き文字の一部を欠きとって"1"に変身(?)させたという冗談のような曰く付きでした。実際の1号機は十年以上前の1951(昭和26)年に廃車されており、宮崎大学に寄贈保管ののち、現在でも宮崎県総合福祉センター児童交通遊園でその姿を目にすることができます。
▲児童交通遊園の展示場を逆側から見る。C11 191号機は九州のC11らしくコールバンカに通風孔が開けられている。'04.10.23
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▲最後は行橋区で廃車となったC11 191号機。比較的良好な状態を保っており、サイドタンクの揺れ止め梁など小倉工場受け持ち機の特徴を残している。'04.10.23
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現車は1912(大正元)年コッペル製の8.5tBタンク機で、ゲージは3フィート6インチながら、その大きさは極小。さきごろご紹介した井笠鉄道の1号機(編集長敬白アーカイブ「井笠鉄道 鉄道記念館を訪ねる」参照→こちら)より一回り小柄なのですから、現役時代はよくぞこの小さな体で20キロもの路線を行き来していたものだと感心してしまいます。いずれにせよ、廃車から62年あまり経っても、宮崎交通鉄道部の忘れ形見として残っているのは嬉しい限りです。

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東武野田線60000系登場。

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▲野田線の現在の主力8000系と並んだ60000系。当面はこれに転入が始まった10000系の3系列で野田線は運行されることになる。'13.5.10 南栗橋車両管区七光台支所 P:RM(高橋一嘉)
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昨年11月に発表されて以来、「野田線用新造車」として話題になっていた東武鉄道60000系が完成、野田線の基地である南栗橋車両管区七光台支所で報道公開されました。

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▲いよいよ野田線に登場する60000系。車体色は東武グループのグループロゴカラーであるフューチャーブルーと、ドア脇に視認性の高いブライトグリーンを配している。'13.5.10 南栗橋車両管区七光台支所 P:RM(高橋一嘉)
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この60000系はこれまでの最新系列である50000系シリーズをベースに「人と環境にやさしい車輌」をコンセプトに新設計されたものです。まず外観で目立つは、カラーリングが50000系のシャイニーオレンジから東武グループのロゴカラーであるフューチャーブルーを基調としたものに変更されている点。さらに前照灯にLED灯が採用されている点でしょうか。また見えない点として、主電動機は密閉式のものが採用されており、車内外の騒音の低減が図られています。細かなところでは、台車の側梁がプレス構造から溶接構造に変更されている点も、ファンとしては気になるところでしょう。

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▲LED照明が採用された車内。一般の腰掛は水の流れをイメージしたブルー系となった。野田線用車輌としては初めて案内用のLCDが各扉上に設置されている。'13.5.10 南栗橋車両管区七光台支所 P:RM(高橋一嘉)
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▲木目調の壁面と全面ガラスの貫通路で50000系とはイメージが一新された車端部。車イススペースは6輌中4輌に設置される。'13.5.10 南栗橋車両管区七光台支所 P:RM(高橋一嘉)
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130516_DSC_4414n.jpg車内は室内灯にLED灯が使用されているのが大きな特徴。また東武の車輌としては初めて公衆無線LANサービスが導入されています。カラーリングは50000系と同じくホワイトを基調としたものですが、車端部壁面が木目調になっているのが大きな変化と言えましょう。また、ガラス張りとなった貫通扉には、各車間で異なる、沿線8市の花や花木がデザインされています。そのほか、バリアフリー対策では、6輌編成中4輌に車椅子スペースが設置されています。
▲台車は住友金属改め「新日鐵住金」製のSS181M(M車)およびSS181T(T車)。50000系シリーズのSS167/SS067に比べ台車枠側梁が溶接組立となり縁が付いたような形状となっている。'13.5.10 南栗橋車両管区七光台支所 P:RM(高橋一嘉)
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ファンにとって気になる運転台は、50000系に比べ計器類が2画面のLCDに集約。通常は中央側画面に速度計運転関係を、右側画面にドア開閉状態などの車輌状態を表示しますが、片側画面に不具合が生じた場合には一方の画面でバックアップが可能とのことです。

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▲2画面のLCDに計器類が集約された運転台。他社線への乗り入れなどはないためか、運転台上は非常にスッキリした印象を受ける。'13.5.10 南栗橋車両管区七光台支所 P:RM(高橋一嘉)
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ちなみに電気使用量は8000系に比べ約40%削減されるとのこと。現在の野田線の主力が8000系であることを考えると、その効果は決して小さくはないでしょう。この60000系は6月9日の「60000系デビューイベント」(事前予約制)を経て、6月中には営業運転を開始する予定。2012年度製造の2本12輌に加え、2013年度も6編成36輌の増備が予定されており、名実ともに野田線の新しい「顔」となることはそう遠くなさそうです。

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▲インパクトのある「SLキューロク館」の建物をバックに試運転中の49671。'13.4.24 P:RM(山下修司)
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さる4月28日に真岡鐵道真岡駅に隣接した「SLキューロク館」が開館しました。この新たな展示施設は、真岡市が「SLの走るまち」という魅力を活用した拠点施設として、観光振興、交流人口の増加及び周辺地域のにぎわいの創出を図ることを目的として設置したもので、面積2,826㎡の敷地に「SLの形」を模した特徴的な外観の鉄骨造平屋建559.9㎡の建物が建てられています。

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▲機関士席から身を乗り出して試運転を行う真岡鐵道湯浅陽三担当課長。'13.4.24 P:RM(山下修司)
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真岡市が運営するこの「SLキューロク館」は49671を整備・保存するとともに、同機を圧縮空気を動力源にして走行させる、いわば動態博物館となっています。この圧縮空気で動く"蒸気機関車"は長野・御代田町のD51 787、群馬・川場村のD51 561(編集長敬白アーカイブ「川場村のD51に再会」参照→こちら)、若桜鉄道のC12 167(編集長敬白アーカイブ「日本鉄道保存協会2012年度総会より」参照→こちら)に続いてこの49671が4輌目となります。

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▲非公式側に備わる動力逆転機。函館航送桟橋で活躍していた時代の名残である。'13.4.24 P:RM(山下修司)
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▲特徴的な右側運転台(左)。動力逆転機のレバーに注意。右は入念な整備を行う「SLキューロク館」の皆さん。'13.4.24 P:RM(山下修司)
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▲テンダー上に設置されたコンプレッサー(左)。火室横には圧縮空気の配管が見える。'13.4.24 P:RM(山下修司)
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49671は1920(大正9)年、川崎造船所兵庫工場で竣功、新製配置は黒松内で、以後、岩見沢、函館、五稜郭、北見、滝川と道内で活躍、1976(昭和51)年3月1日付で廃車となり、廃車後は真岡市の井頭公園に保存されていました。なお、同機の特徴は右側運転台となっていることで、それにともない加減弁ハンドルや逆転機など運転機器も非公式側に移設されています。これは函館駅構内で青函連絡船の航送貨車の入換えを行う場合、構内が右カーブの連続のため機関士の前方視界を確保すべく改造されたもので、作業の効率上、逆転機も動力逆転機に換装されています。

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▲公式側から見た49671。こちらが機関助士側となり、ランボードもすっきりと直線を描いている。'13.4.24 P:RM(山下修司)
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この49671の運転日は毎週日曜日と祝日で、10:30、12:00、14:30の3回、100mほどの区間を往復します。なお、「SLキューロク館」には他にスハフ44 25、キハ20 247 、ヨ8016、ト1形ト60、ワフ15形ワフ16、ワ11形ワ12が整備保存されています。

■SLキューロク館
開館時間:10:00~18:00
休館日:毎週火曜日(火曜日は祝日の場合は翌日)
    年末年始(12月29日から1月3日) 
入場料:無料
(49671の自走運行日及び運行時間)
運行日:毎週日曜日及び祝日ともに1日3回
運行時間:1回目 午前10時30分(2往復運転)
      2回目 正午(2往復運転)
        3回目 午後14時30分(2往復運転)

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▲C58 33号機を思い出させる「G-2タイプ」切取式除煙板を装備したC58 363号機。ナンバープレートは形式なしのものが装着される。P:秩父鉄道

2009(平成21)年秋にサプライズで「K-7タイプ」(のちにCH-1タイプと命名)の切取式除煙板(いわゆる門鉄デフ)に換装され、さらに2010(平成22)年秋にはC58 112号機が装備していたのと同じ「K-9タイプ」切取式除煙板を期間限定で装備して大きな反響を呼んだ秩父鉄道のC58 363号機が、今度はなんとC58 33号機を模した「G-2タイプ」切取式除煙板を装備してお目見えすることとなりました。

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▲現役時代のC58 33〔北〕。1972(昭和47)年の鉄道100年を記念してステンレス製のJNRマークが入れられた。P:武田忠雄
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「G-2タイプ」切取式除煙板は、名付け親でもある関 崇博さんのご著著『門鉄デフ物語 -切取式除煙板調査報告-』(弊社刊→こちら)によれば、1957(昭和32)年に米子機関区所属であったC58 385号機に装備されたもの。サフィックスの"G"が表すように後藤工場が施工したもので、後藤デフもしくは後藤工デフなどと呼ばれる独特の形状のデフレクターです。

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▲今回新しく作られた「G-2タイプ」のデフレクター。もちろんJNRマークも33号機同様に入れられている。P:秩父鉄道

C58 385号機はこの「G-2タイプ」に換装後3年ほどで釧路機関区に転じ、さらにデフレクター自体は1971(昭和46)年には五稜郭機関区から釧路に転じたC58 33号機に"移植"されます。翌年は鉄道百年に当たるためデフレクター中央にはステンレス切り抜きの「JNR」のロゴが入れられて当時のファンの度肝を抜きましたが、その後はかえってこのJNRマークがチャームポイントとなって人気を博しました。その後北見区に転じて"大雪くずれ"1527レの先頭にたつなど、無煙化直前の道東を訪れた多くのファンの心に青春の1ページとして刻み込まれることとなります。

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▲現役時代の33号機のデフレクターを側面から見る。かつて385号機に装備された当時は中央に後藤工場の「GTマーク」が貼られていた。P:武田忠雄
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さて今回、秩父鉄道では今週末5月18日(土曜日)に広瀬川原車両基地で開催される「2013わくわく鉄道フェスタ」でこの「G-2タイプ」後藤デフを装備したC58 363号機をお披露目します。当日はナンバープレートも形式なしの黒字のものを装備、貨車を連結した姿での公開も予定されています。なお、この「G-2タイプ」装備での営業運転入りは翌5月19日(日曜日)からで、6月30日まで計13回運転される予定。また、その後の7月6日(土)~7月15日(日)は以前装備した「K-9タイプ」+形式なしナンバープレート(赤)で運転し、7月20日(土)からは、標準デフと形式入りナンバープレートに復される計画です。

ED38n001.jpgところで、この5月18日の「2013わくわく鉄道フェスタ」では1000系車輌3編成(1001号・1003号・1010号)の展示(同フェスタで1000系車輌が3編成揃うのは今回が最後)、さらにはED38 3のナンバープレート・オークションなども予定されており、これまでにない盛り上がりを見せそうです。
■日時:5月18日(土) 10:00~15:00 雨天決行
 入場無料
■場所:秩父鉄道 広瀬川原車両基地(熊谷市)
■交通:秩父鉄道 ひろせ野鳥の森駅下車 徒歩15分
 イベント会場への直通臨時列車を運行。
※開場時間、展示車輌、イベント内容等は急きょ変更となる場合あり。
※駐車場は無いので、公共交通機関を利用すること。

▲今回ナンバープレートがオークションにかけられるED38 3。P:秩父鉄道
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◎来場者先着3,000名に来場記念品「オリジナルボールペン」をプレゼント。
詳しくは→こちら

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▲爽やかな峠の春風を浴びて走る"あぷとくん"のグリーンブリーズ号。写真は"シェルパ君"の車内から見た光景。'10.5.15
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3年ほど前のちょうどこの季節、5月15日に碓氷峠鉄道文化むらの園内軌道"あぷとくん"を訪ねました。というのも、かねてからじっくりと拝見したいと思っていた英国製蒸気機関車グリーンブリーズ号が全般検査を終えて美しい姿で再稼働を始めたというご連絡を頂戴したからで、素晴らしい好天の下、ひさしぶりに再会を果たすことができました。

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▲遙か英国はノーサンプトンシャー州からやってきたグリーンブリーズ号は自重13tの2-6-2機。グリーンブリーズ(GREEN BREEZE)とは緑のそよ風を意味する。'10.5.15
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先日は園内と「峠の湯」の間2.6㎞を結んでいるトロッコ列車"シェルパくん"に新しい機関車が登場したことをお伝えしましたが(編集長敬白アーカイブ「新シェルパくん登場」参照→こちら)、"あぷとくん"は園内を一周する2フィート(609㎜)ゲージ軌道で、1999(平成11)年春のオープン以来、本格的な蒸気鉄道として活躍を続けています。

130514n001.jpg使用されているのは英国ノーサンプトンシャー州ダベントリーにあるウインソン・エンジニアリングに特注された石炭焚きの本格的蒸気機関車グリーンブリーズ号(1998年製/製番19)。全長6180.3㎜の2-6-2(1C1)機で、かつてのアプト機3900形などと同様のアウトサイドフレームを持ち、煙室前端までのびたサイドタンクやキャブ前方まで突き出した屋根、磨き出されたドームなどいかにも英国機を感じさせる端正なスタイルが特徴です。ちなみに機関車のネーミングは、車体の色が「ブリティシュグリーン」であること、横川のきれいな空気、緑豊かな碓氷峠からのさわやかな風、高架橋の上を走るイメージから名付けられたそうです。
▲エンドレスの西側に位置する"あぷとくんのりば"で発車を待つグリーンブリーズ号。'07.9.20
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▲屋外展示場南側には専用の機関庫と転車台が備えられている。'10.5.15
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牽引される客車3輌も同時に輸入されたもので、全長8800㎜、定員44名(うち座席定員24名)のボギー客車には「妙義」「赤城」「榛名」と碓氷峠ゆかりの名前が付けられています。

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▲こちらは10000形(EC40形)をモチーフとしたディーゼル機関車。イメージの掌握が秀逸。'07.9.20
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そしてひと足遅れて増備されたのが10000形(EC40形)を模したスタイリングのディーゼル機関車です(編集長敬白アーカイブ「EC40(10000)形を見る」参照→こちら/編集長敬白アーカイブ「もうひとつのEC40」参照→こちら)。北陸重機工業製のこのロッド式ディーゼル機関車は、なかなかチャーミングで、場所柄、グリーンブリーズ号にも負けずに風景にマッチしています。

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▲牽引機交代をするグリーンブリーズ号と10000形DL。これからの季節、このミニ鉄道も多くの歓声に包まれるに違いない。'10.5.15
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この園内軌道"あぷとくん"は約43000㎡という広大な文化むらの外周を巡る約800mの軌道で、一日に13~14回運転されていますが、土・日曜・祝日、そして8月を除く平日は基本的にDLでの運転となっています。現在発売中の本誌最新号ではEF63の体験運転も詳細にお伝えしておりますが、これからの季節、"あぷとくん"に会いに新緑の碓氷峠を訪れてみられるのも良いのではないでしょうか。

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喜多方、1971年5月16日。

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▲喜多方を発車するC57 1〔新〕の牽くオールグリーンの臨客8222レ。まさか42年後にも磐越西線でC57の姿が、そしてこの1号機の姿が遙か山口線で見られようとは思ってもみなかった遠い初夏の一日...。'71.5.16 喜多方
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先日、磐越西線を訪れた際(編集長敬白アーカイブ「ひさしぶりに磐越西線へ」参照→こちら)、あらためて42年前の喜多方界隈が懐かしく思い出されました。時は1971(昭和46)年5月16日。前夜の「ばんだい5号」で上野を発ち、早朝の会津若松で乗り換えたのは5時18分発の熱塩行き621列車でした。

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▲当時、会津若松運転区には磐越西線用に3輌のD51が配置され、会津若松〜新津間2往復の貨物列車を受け持っていた。喜多方を後に田付川橋梁を渡る262レのD51 238〔会〕。本機はこの翌年に中津川機関区に転じ、現在でも木祖村村民センターに保存されている。'71.5.16 喜多方−会津豊川
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「日中走らぬ日中線」と揶揄された同線に興味を持ち訪れたのはこの時が最初でした。終点の熱塩のさらに先にある日中温泉からその名をとった日中線は、C11の牽く混合列車が一日に3往復しかしない超閑散線で、この早朝の1往復の次は夕方まで列車がないという、まさに揶揄そのものの路線でした。

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▲会津加納に到着した会津若松発熱塩行き621レ。この時点ではまだ加納鉱山が閉山(1972年)しておらず、右手にはホッパービンと架空索道が見える。'71.5.16 会津加納
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621列車の牽引機は会津若松運転区のC11 323。戦後一貫して会津若松で働いてきた機関車です。編成はオハフ61 2619〔仙コリ〕+オハ61 2516〔仙コリ〕+ワラ11679+ワラ12121。一日3往復とはいえ、まだこの時点では貨物輸送も担っており、午後の下り列車では機関車(逆機)の次位に加納鉱山へのトキ車3輌が編成されていました。

130512n003.jpg終点の熱塩に到着した列車はすぐに機回しを開始します。ところがこの熱塩駅は無人駅。気動車列車であればエンド交換するだけで折り返せますが、当然、転線に際しては転てつ器を扱う必要があります。日中線は全線1閉塞の「通票式」(後年のスタフ閉塞式)。この場合、キャリアに入れられた通票のいわゆる"タマ"をダルマ転てつ器の施錠部に入れることによって転てつ器が転換できるようになっており、逆に正位に復元させないと今度は"タマ"が抜けない仕組みになっています。機関士からキャリアを受け取った車掌がこの転てつ操作を行うのですが、その後も何度となく熱塩駅を訪れていながら、なぜこの貴重なシーンの詳細を撮影しなかったのか、悔やまれてなりません。
▲熱塩に到着した621レは13分ほどで622レとなって喜多方へと折り返す。無人駅のため車掌が機回しの誘導も行う。'71.5.16 熱塩
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▲発車準備が整ったC11 323〔会〕の牽く混622レ。'71.5.16 熱塩
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さて、7時35分、622列車で喜多方に戻ってくるとサプライズが待っていました。何ともうすぐ会津若松行きのオールグリーン臨客が来るというのです。しかも牽引機は半年前に磐越西線から姿を消したはずのC57。ただ、喜多方発は7時56分。移動している余裕はまったくなく、やむなく構内外れでカメラを構えるはめとなってしまいました。

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▲日中線の午後の運用は会津若松運転区からの逆機の送り込み回送単623レから始まる。午前中の1往復と異なり、午後の2往復は上り列車がチムニーファーストとなる。磐梯山をバックに喜多方へ向かうのは朝と同じC11 323〔会〕。'71.5.16 会津豊川−喜多方
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しかも姿を現したのはなんと1号機。現代と違って事前情報などない時代だけにやむを得ないこととはいえ、何とも惜しい結果となりました。

余談ながら、この時の機材・感材はマミヤフレックスⅡにネガカラーの「エクタカラープロ タイプS」(CPS)。今回、自宅で改めてスキャニングしてみて、E-3プロセスのエクタクロームなどよりよほど退色・劣化が少なく、あらためてそのポテンシャルの高さに驚かされました。

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▲桜の季節、黒川駅から見た妙見の森ケーブル。山上駅には2号ときめき号が見える。'13.4 P:宮武浩二
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今年は能勢電鉄開業100周年に合わせて、特に妙見山の観光に力を入れているそうで、黒川駅はレトロ調に改修され、さらにトイレの改修、妙見の森広場なども一連の施設が改修リニューアルされました。

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▲1号ほほえみ号はイエローに窓廻りブラックといういでたち。'13.4 P:宮武浩二
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妙見の森ケーブルの妙見山上駅では、戦前の妙見鋼索鉄道の絵葉書が発売されているほか、兄弟分となる十国峠ケーブルカーのグッズも購入できます。

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▲入口に掲げられた時刻表と運賃表。'13.4 P:宮武浩二
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▲1号ほほえみ号の車内。'13.4 P:宮武浩二
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一方の十国峠ケーブルカーについては、マニアックツアーが5月の連休中に開催され、機械室でテオドルベルの巻上げ機(制動装置、減速機など事業者によって呼称が異なる)が見られる貴重なチャンスも設定されました。

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▲妙見の森ケーブル山上駅から続く上部線の線路跡。'13.4 P:宮武浩二
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▲上部線廃線跡を進んでいくとリフト駅が見えてくる。'13.4 P:宮武浩二
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また、駅構内にはケーブルカーの貴重なパネルも展示されています。
なお、幸いにも私はご厚意で両方の機械室を見ることができましたが、やはりまったく同じもので、「THEODORE BELL&Co.LTd KRIENS-SWITZERLAND 1924」の銘を確認することができました。

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▲廃止された妙見山駅。現在は駅跡にリフトの機械室が設置されている。
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▲上部線妙見山駅跡に設置されているリフトの機械室(左)。機械室の支柱下の凹みはケーブルカー機械室の跡といわれている(右)。'13.4 P:宮武浩二
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▲現在の上部線離合場所。'13.4 P:宮武浩二
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▲廃止された上部線の離合場所(左)。架線柱は木柱。上部線に残る木柱架線柱の切断跡(右)。
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▲十国峠ケーブルのグッズも販売されている。'13.4 P:宮武浩二
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鋼索線(ケーブルカー)はその運転形態も特殊で、振り返られる機会も決して多くはありませんが、今回ご紹介したふたつの路線のように、数奇な歴史を秘めたものもあり、興味は尽きません。それにしても、宮武さんのケーブルカー行脚はまだまだ続きそうです。

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▲今年レトロ調にリニューアルされた黒川駅。戦前からの建物である。'13.4 P:宮武浩二
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つづいて妙見の森ケーブルカー(平成25年春の運行開始時から妙見の森ケーブルに名称変更)をご紹介しましょう。妙見鋼索鉄道から軌道敷きと機材を購入した能勢電鉄が1960(昭和35)年に運転を開始しました。その際に残されていた巻上げ機を下部線の復活にあてて、上部線はリフトによる運転にあらためています。

130509n018.jpg現在運転されている下部線について紹介すると、黒川駅(旧滝谷駅)から妙見山上駅間を1号かがやき号と2号ときめき号で運転しています。登山口にあたる黒川駅は戦前の妙見鋼索鉄道の滝谷駅の駅舎がそのまま使用されているため、木造のレトロな建物は必見といえましょう。軌道敷きは運転再開時にコンクリートで固められていて、架線柱もその際に作られたものです。
▲建物内部の梁などもリニューアルされている。'13.4 黒川 P:宮武浩二
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▲妙見鋼索鉄道時代の黒川駅(当時は滝谷駅といった)。駅舎の左手が事務所のようだが、現在建物は撤去されて能勢電鉄の駐車場となっている。
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▲黒川駅から見た離合場所。降りてくるのが1号ほほえみ号。登って行くのは2号ときめき号。'13.4 P:宮武浩二
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▲2号ときめき号はピンク色。昨日ご紹介した十国峠とは兄弟関係といったところ。'13.4 P:宮武浩二
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▲妙見ケーブルの車輌は山上駅の勾配に合わせているため、黒川駅ではこのとおり足元がふらつくぐらい傾斜がある(左)。入り口ステップに残るナニワ工機の文字(右)。'13.4 P:宮武浩二
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妙見山上駅は、妙見鋼索鉄道時代は中間駅と呼ばれて、上部線の軌道が下部線と並行に設置されて乗換えが行われていたようです。中間駅の駅舎は戦前の機材供出時に解体されたので、現在の駅舎は運転再開時のものです。妙見山上駅から続く登山道が元の上部線の軌道敷跡で、登っていくと妙見の森広場があり、ここからリフトが妙見山駅まで運転されています。もちろんリフトの足元は上部線の軌道敷跡で、リフト乗車してすぐのところの切り通し部分に旧離合場所跡が残っています。

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▲再開時に建てられた山上駅駅舎。改札口の左側が機械室。戦前は建物右手あたりから上部線が発車していた。'13.4 P:宮武浩二
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▲山上駅の運転室。改札口横なのでよく見える場所にある。'13.4 P:宮武浩二
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終点の妙見山駅手前には、戦前に撤去された架線柱(木製)の切り倒された跡が一部残存しています。妙見山駅も戦前は立派な駅舎があったそうですが、現在は簡易なリフトの巻上げ機と切符売り場がある簡素なもので、巻上げ機の真下に、戦前のケーブルカー巻上げ機の跡が少しだけ残っています。

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▲十国登り口駅で出発を待つ2号十国号。はるか離れた妙見の森ケーブルとの不思議な縁とは...。'13.2.18 P:宮武浩二
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このところ勢力的にケーブルカーの調査をされている宮武浩二さんから伊豆箱根鉄道が運行する十国峠ケーブルカーと、能勢電鉄が運行する妙見の森ケーブルカー、この一見何の関係もなさそうなふたつのケーブルカーの不思議な縁に関するレポートをお送りいただきました。

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▲2号車内。新造時からあまり手が加えられていない分、今日ではレトロ調に感じられる。'13.2.18 P:宮武浩二
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なんとこのふたつのケーブルカー、実は生まれは同じ兄弟ケーブルカーだったのだそうです。もと妙見鋼索鉄道が運行していた妙見ケーブルの上部線と下部線が、戦時中の不要不急路線休止のあおりをうけて鉄材を国に供出するために線路、巻上げ機を取外したものの、搬出直前に戦争が終結し、かろうじて溶鉱炉行きを免れました。

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▲十国峠駅の巻上げ機。この奥に1924年スイス製テオドルベルの機械が鎮座している。'13.2.18 P:宮武浩二
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山から下ろした機材はそのまま黒川駅付近の広場に赤錆びた状態で野積みされていました。本来なら妙見ケーブルの路線復活に使用されるべきものでしたが、なかなか復活の兆しの見えないまま、1956(昭和31)年に上部、下部のいずれか片方の巻上げ機が駿豆鉄道に譲渡され、十国峠ケーブルカーに転用されることになったのです。

130508n003.jpg妙見ケーブルカーの復活は1960(昭和35)年で、上部線はリフト、下部線は残された巻上げ機を使用して再開されました。よって今でも両社のケーブルカーは1924年スイス製テオドルベルの巻上げ機が使用されています。

▲十国登り口駅に展示されている写真パネル。珍しいケーブルカーの搬出作業風景。'13.2.18 P:宮武浩二
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▲時刻表は不定期運行中を表示(左)。つまりお客さんがいなければ運休する。右は珍しいケーブルカーの安全性の告知板。'13.2.18 P:宮武浩二
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▲2号は十国の愛称が付けられている(左)。1号は日金山にちなみ日金号の愛称で呼ばれる。展示されているワイヤーの見本(右)。'13.2.18 P:宮武浩二
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十国峠のケーブルカーは現在ライオンズカラーを装い、1号が日金号(ケーブルカーのある日金山にちなむ)、2号が十国号(山頂では十の国が望めるという意味)の愛称が付けられています。製作は日立製作所1956(昭和31)年製で、戦前の妙見ケーブルカーの台車(テオドルベルの制動装置)を再利用したため、軌間も同じ1435㎜になっています。

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▲2号十国号。妙見の森ケーブルとは窓配置など共通点が多い。'13.2.18 P:宮武浩二
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車体は製造当初から大きくは手が入れられておらず、昭和30年代の香りが懐かしいレトロな雰囲気が残っています。デザインもなぜか妙見ケーブルに酷似しており、戦前の妙見ケーブルの台車寸法からこのようになったものと推測しています。

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▲入間川を渡る道路橋・八瀬大橋をくぐった先は通路として利用されている。ほとんど併用軌道状態となった線路が入間川の河原を目指して続く。'13.3.9
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ちょうど二ヶ月前になりますが、故あってひさしぶりに西武鉄道安比奈線を訪ねました。
トワイライトゾ〜ンの"原点"として、時には新しく仕入れたレンズの試写にと、これまでにいったい何回「安比奈」へ足を運んだことでしょうか。しかし、ついこの前訪れたばかりと思っていたのに、気づいてみると丸4年もご無沙汰していたことになります。

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▲八瀬大橋から起点の南大塚方はきれいに線路が残るが整備されて立入禁止となっている。'13.3.9
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▲南大塚起点2.2㎞付近にある池部用水橋梁(左)もウォーキングイベント時に整備されて欄干も付けられた。ちなみにこの周辺はマムシが多いらしく注意看板が立つ(右)。'13.3.9
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その"故"とは昨年、鉄道友の会京都支部の支部報『車両基地』の69号を理事の加藤幸弘さんから頂戴したことが発端でした。いつもながら多岐にわたる内容を興味深く拝見していた中で、小平貴詞さんの「鉄道連隊のレール」と題された記事に思わず釘づけになってしまいました。1ページのみのささやかな記事ですが、そこには鉄道聯隊の紋章がくっきりと浮かび上がったレールの写真が...しかも「2004年3月28日 西武鉄道 安比奈にて」とキャプションが入れられているではないですか。

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▲安比奈駅構内に残るピット。すでに自然に還りつつあり、夏草が生い茂る季節には発見することさえ難しいだろう。'13.3.9
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1970年代からあれほど幾度も訪れていながら、まさか安比奈に鉄道聯隊のレールが残されていようとは...。安比奈線は由緒ある古レールの宝庫で(編集長敬白アーカイブ「安比奈線再訪」参照→こちら)、これまでにも充分に注意を払ってきたつもりだったのですが何とも不覚でした。とはいえ3.2㎞ある安比奈線のいったいどこにこの鉄聯のレールが残されているのか雲を掴むような話で、やむなく加藤さんを介しておうかがいを立てることにしました。

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▲ピットに残るレールに期待してみたが、残念ながらお目当ての鉄聯レールではなかった。なおこのピット部は実測ではゲージが800㎜ほどと辻褄があわず、線路そのものがずれてしまったのかもしれない。'13.3.9
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その結果、どうやら安比奈駅構内周辺で発見されたものらしいことがわかりましたが、季節は夏。現地は鬱蒼とした草に埋もれているに違いありません。そこで下草が枯れ、しかも芽吹く前の3月初旬を狙って機会を狙っていたというわけです。

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▲積込桟橋の土台も残る。かつてはこの上に鋼製のガーダーが載り、600㎜の軌道上を鉄道聯隊のEが走っていたはずだ。'13.3.9
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▲列車が来なくなって半世紀近く、河原に残された架線柱は今や樹木と一体化してシュールな造形を創っている。'13.3.9
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▲架線柱にはまだ碍子が残っているものもある。風雨に耐えてきたその姿はなんとも感動的。'13.3.9
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休止の扱いの安比奈線は、近年では産業遺産としても注目を浴びつつあり、地元観光協議会によるウォーキングイベントなども行われています(編集長敬白アーカイブ「西武安比奈線を歩く開催」参照→こちら)。それだけに整備も進み、南大塚駅から八瀬大橋付近までの区間は立入禁止となっています。一方、八瀬大橋から安比奈駅構内までの区間はグランドへのアプローチ道路やモトクロス場への通路などとして利用されており、安比奈駅構内は荒涼とした河川敷の一部として残されています。

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▲「安比奈」は時空を超えてトワイライトゾ~ンの原点であり続けている。'13.3.9
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しかし、記事中の写真からもすでに9年の歳月が流れており、安比奈構内の遺構を丹念に捜索しましたが、残念ながらお目当ての鉄道聯隊の紋章付きレールを発見することはできませんでした。そのまま河原の土砂に埋もれてしまったのか、はたまたまだどこかに潜んでいるのか、いずれにせよ現地はもう緑の絨毯に包まれてしまっているはずです。

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▲突如「新世界」に出現した大阪市電のワンマンカー2201号。道行く人も思わず足を止める。'13.4.29 P:宮武浩二
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大阪市交通局は1903(明治36)年9月12日に路面電車の営業を開始してから今年で110周年を迎えることから、さまざまな記念事業が予定されていますが、そのプレイベントとして「市電霞町線開業100周年記念イベント」や「大阪市営地下鉄開業80周年記念イベント」が行われています。

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▲通天閣をのぞみ、大阪名物づぼらやのフグのちょうちんとのコラボレーションも一興。'13.4.29 P:宮武浩二
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「市電霞町線開業100周年記念イベント」ではなんとあの新世界に特設会場を設け、通常は森之宮車両工場内で保存(非公開)されている市電2201号が去る4月20日から展示されています。あの通天閣のお膝元、串カツのいい匂いのたちこめる一角に市電が鎮座している様は一見の価値があります。

130502n006.jpgただし、このゴールデンウィーク期間中はイベントそのものは開催されておらず、市電の車内などを見学することはできないようですので、その点は注意が必要です。
開催日時:5月11日(土)、12日(日)、18日(土)、19日(10時~16時)
実施イベント:昭和29年から昭和43年まで活躍した市電2201号車の展示(10時~16時)。車内では関連パネルや部品等の展示なども行われます。
▲イベントを知らせる広告も市電の広告枠の寸法で収まっているのが愉快。'13.4.29 P:宮武浩二
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また、創業当時の「2階付電車」など、市電車輌6輌を保存している「市電保存館」(大阪市住之江区緑木1-4-160・緑木検車場内)の特別一般公開(5月12日(日)・19日(日) 10時~15時まで)も予定されています。
(詳しくは大阪市交通局特設ウェッブサイト→こちら

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▲市役所玄関前に展示された105号。今回の展示は車体だけで足回りは展示されていない。行き先板は心斎橋行きを表示している。'13.4.29 P:宮武浩二
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さらに、「大阪市営地下鉄開業80周年記念イベント」が去る4月15日から始まっており、5月1日からは大阪市役所玄関前に地下鉄開業時の昭和8年から活躍し、現在は指定有形文化財に指定されている旧100形車輌が展示されています(5月24日まで)。
また、5月17日(金)まで大阪市役所玄関ホールで市営地下鉄開業に向けた建設工事風景や、開業当時の様子などを、さまざまな写真で紹介するパネル展も開催されています(9時00分~17時30分/土・日・祝は閉庁)。
(詳しくは大阪市交通局特設ウェッブサイト→こちら

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▲夜の闇に幻想的に浮かび上がる105号。期間中に一度は瞼に焼き付けておきたい光景だ。'13.5.1 P:髙間恒雄
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▲郷愁 9600が煙の尾を引いて米沢盆地の雪原を走っていく。汽笛が郷愁を誘う冬の夕暮れ。'71.12.18 羽前小松-中郡 P:島貫隆夫 (『わが国鉄時代vol.10』より)
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写真の数だけドラマがある...。渾身の一作からアルバムやネガの片隅で半ば忘れ去られた写真まで、懐かしさ溢れる作品を投稿いただき、エピソードを交えたコメントとともに紹介する、鉄道ホビダスオフィシャルブログ「わが国鉄時代」。アップを始めたのが2005年5月ですから、もう8年も続いていることになります。現在WEBページにアップした作品は約3500枚。ますます充実したアーカイブに成長しています。

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▲(左)朝の入換え作業 山陰本線の蒸機最後の秋、日の出直後の長門市駅構内。入換え中のD51が吐き出す煙と蒸気が、昇る朝日に照らされて黄金色に輝いていた。'74.9.21 P:永井修二
(右上)夕暮れ 夕陽の中で待ったあの日、客車を牽いたD51が現れたのは陽が沈んだ後だった。'74.10.20 山陰本線 福江-吉見 P:永井修二
(右下)里の秋 藁葺き屋根の民家の傍をD51が通り過ぎる。晩秋の里に響く汽笛が郷愁を誘った。長工式デフが特徴のD51 473。'74.11.4 山陰本線 特牛-滝部 P:永井修二
 (『わが国鉄時代vol.10』より)
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wagakuni10nn.jpgお寄せいただいた思い出の車輌や鉄道風景などは、どこか心和む写真が多く、添えられたコメントがさらに懐かしさをかき立てます。もちろん、車輌や駅の風景など記録としても大変貴重なものも少なくありません。そんな鉄道情景の数々をまとめたのがMOOK『わが国鉄時代』です。この本も5月7日発売の巻でめでたく10巻目となりました。ちなみに、この本は「写真集」ではなく「青春記」ですから、まだご投稿いただいていない方々も、どうかお気軽にお寄せください。

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▲EF64試運転列車 雪中撮影のため奥羽本線板谷に立ち寄った日、偶然EF641、2の試運転列車と遭遇。板谷がスイッチバック駅だった関係から停車時間が長くタップリ撮影、おまけに次の列車で峠駅まで先行し、再び撮影することができた。'65.1.17 奥羽本線 板谷 P:中島正樹
 (『わが国鉄時代vol.10』より)
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さて、『わが国鉄時代vol.10』の特集は「特急列車」です。「L特急」全盛期、新幹線博多開業前の昭和50年の在来線全国特急網を振り返ります。ベテランファンの成田冬紀さんに解説していただきました。「つばめ」「はと」「かもめ」「しおじ」「日向」「なは」...、長距離昼行特急が百花繚乱と咲き誇った時代は、鉄道が最高に輝いていた時期とも言えます。もちろん、東北方面、日本海縦貫線、北海道、四国、九州、世界に誇る優等列車ネットワークは、誰しも胸高鳴るものでした。「ひばり」「はつかり」「やまびこ」「つばさ」、東北方面の特急が到着しては発車する上野駅の活気もつい昨日の出来事のように思い出される方も多いことでしょう。

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▲今回の特集はずばり「特急列車」。昭和50年の在来線全国特急網を成田冬紀さんの解説で振り返る。 (『わが国鉄時代vol.10』より)
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第二特集では古いフィルムのデジタル化講座を誌上で展開。褪色の一途をたどるカラーフィルムを精密複写しデジタル画像とすることにより、貴重な写真を護ることに主眼を置き、この方式の第一人者である写真家の諸河 久さんに問答式で分かりやすく解説していただきました。HDR合成など一歩踏み込んだ色補正や画像修正などの応用も行います。

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▲カラーフィルムの画像再生は必見! 諸河 久さんがその"極意"を誌上で伝授してくれる。 (『わが国鉄時代vol.10』より)
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今回の前書きは写真集『北辺の機関車たち』(キネマ旬報社刊)の著者3人の1人である堀越庸夫さん。失われた駅前風景や待合室の情景についての思いを綴っていただきました。
メインとなる一般ぺージはもちろん、全国から寄せられた貴重な記録が満載です。今回ご寄稿いただいた方は約70人。車輌や列車だけではなく、懐かしい情景がちりばめられて、国鉄、昭和に「自分」が混ざり合い、この本固有の香りが穏やかに立ち上ります。
「あのころ」を知っている方も、遠く思いを馳せる方も、どなたにも馴染んで楽しんでいただける一冊です。

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▲(左)さようなら列車到着 C12重連で人気のあった足尾線にも終焉の時が来た。「さようなら列車」運転当日は生憎の悪天候にもかかわらず沿線には多くのファンが集まり、ここ水沼駅ではファンに混じって地元の人が到着列車を取り囲んだ。'70.10.4 足尾線 水沼 P:中島正樹
(右上)日曜日の朝 今も蒸気機関車のことは覚えているだろうか。 米坂線 犬川-今泉 P:島貫隆夫
(右下)遠い日の記憶 ワー汽車だー...。という歓声が聞こえてきたかも。写っている園児たちも、今は50歳くらいになっているでしょう。'69.10 桐生 P: 岸 芳夫
 (『わが国鉄時代vol.10』より)
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▲(左)校外授業(左頁) 昔から子供たちは機関車と大の仲良しだった。校外での写生授業なのだろう。若松機関区で見かけたひとコマ。C55 52が健在だった頃。'68.12.2 若松機関区 P:岸 芳夫
(右上)改札口 若松機関区を訪れた後、若松駅で列車を待っていた時の風景。正面が機関区で、石炭の香りが漂っていた。ゆっくりと時が過ぎる夏の午後だった。'68.7.24 筑豊本線 若松 P:岸 芳夫
(右下)補機単機回送 苅田港へ向う重量列車を押し上げて 19696〔後〕は単機、勾金へと戻って来る。勾金は幹線の駅のように中線があって貨物側線を多く持ち、さらには石炭積込設備もある中核駅のような貫禄がある。長い石炭列車のため構内の有効長も立派に確保されている。単 461レ '71.4.3 田川線 勾金 P:小野和俊
 (『わが国鉄時代vol.10』より)
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