鉄道ホビダス

2013年2月アーカイブ

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▲第23西川橋梁上流の斜面よりD51三重連を流し撮り。伯備線を知り尽くした藤山さんならではの作品。'68.2.11 P:藤山侃司 (国鉄時代アーカイブスvol.2『D51形蒸気機関車』より)
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年に4回、濃縮した国鉄時代探訪をお届けしているその名も『国鉄時代』も、皆さんの熱い支援のおかげで来月の発売号でついに33巻目を数えるまでになりました。ただ、バックナンバーのなかにはすでに品切れとなってしまっているものも少なくなく、再版をお望みの声も耳にいたします。そこで、そんなご要望にお応えする意味も込めてこれまでのアーカイブを再編集したものが「国鉄時代アーカイブズ」です。

130228n005.jpg第1巻として『日本の電気機関車』を発行し、ご好評をいただきましたが、今回はその第2弾として『D51形蒸気機関車』をまとめさせていただきました。テーマがほかならぬD51とあって、アーカイブの中にはいずれ劣らぬ秀作ばかり。限られた紙幅を最大限に活用してD51の生き生きとした姿を再現するためには断腸の思いで収録を見送らざるを得なかった記事もありましたが、それだけに実に密度の高い一冊になったのではないかと思います。

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▲D51といえば奥中山、十三本木峠。主要幹線に最後に残されたボトルネックは、半世紀以上も語り継がれる大舞台となった。'64.2.15 御堂-奥中山 P:中島正樹 (国鉄時代アーカイブスvol.2『D51形蒸気機関車』より)
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巻頭のカラーグラフ「風景の中の鉄道を求めて 矢嶽越え」。『国鉄時代』本誌でもお馴染みの村樫四郎さんが情熱を込めて撮り続けられた肥薩線矢嶽越えのカラーは、現地を知り尽くした方でなければ狙えない作品群です。印象派の巨匠クロード・モネをリスペクトして作品創りに取り組まれてきているという村樫さんならではの味わい深いカラーをぜひご堪能ください。

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▲元布原信号場駅長の赤田操三さんによる「布原回想録」(左)は必見。右は佐竹保雄さんによるD51第一次型形式写真集。 (国鉄時代アーカイブスvol.2『D51形蒸気機関車』より)
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本書は基本的にはアーカイブを再編集したものながら、新規の記事・資料も数多く盛り込んでいるのが大きな特徴です。巻末には大ベテラン佐竹保雄さんによるD51一次型形式写真集を収録いたしました。"ナメクジ"とあまりありがたくない愛称で呼ばれる一次型ですが、給水温め器をボイラー上にレール方向に積載してカバーで覆ったそのスタイルは独特の存在感を放っており、根強いシンパも多いはずです。佐竹さんの作品は昭和30年代撮影のものが中心で、まだ新製時の香りが多少ならず残っている良き時代のものです。

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▲糸魚川区で捉えられたD51 3〔富〕と煙室前端が改造されている盛岡区のD51 19〔盛〕。いずれも前照灯はLP42形のままで、19号機はデフのバイパス弁点検窓も開けられていない。 (国鉄時代アーカイブスvol.2『D51形蒸気機関車』より)
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そして資料として1964(昭和39)年10月1日改正の盛岡鉄道管理局機関車運用表(D51)をご用意いたしました。時は東海道新幹線開業、東京オリンピック開幕...そんななかで十三本木峠に象徴される東北本線非電化区間ではD51の大活躍が続いていました。盛岡・一戸・尻内各区のD51運用は、一見無味乾燥な表を辿るだけでも国鉄時代読者の皆さんには心ときめくもののはずです。
店頭発売は週明けの3月4日(月曜日)。どうかお手にとってご覧ください。

定価:2000円(税込)
A4判変形/128頁(うちカラー16頁)
■主な内容
風景の中の鉄道を求めて 矢嶽越え/伯備線春光に輝くお召列車/布原回想録 山峡の信号場とD51三重連/集煙装置の系譜 D51を中心とした山岳線蒸機の装備/十三本木峠の咆哮 東北本線奥中山/峠への招待 十三本木峠・信濃追分・杉津越え・善知鳥峠・姨捨越え/最後の幹線蒸機補機運用/「彩雲」という名の列車/特急「はやぶさ」肥薩線迂回  /北陸本線杉津越え/D51一次型との邂逅/常紋三山 石北本線厳寒の峠道/D51一次型形式写真集
〔巻末資料〕
昭和39年10年1月盛岡鉄道管理局 機関車運用表
盛岡機関区/一戸機関区/尻内機関区/青森機関区

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神戸市電の敷石。

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▲太山寺仁王門方向に続くかつての神戸市電の敷石。見事な景観を作り上げている。P:宮武浩二
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昨日は高松市の市内電車・四国水力電気で使われていた敷石のその後を追ったレポートをご覧いただきましたが、宮武浩二さんからは引き続いて神戸市電の敷石の調査レポートも頂戴しております。

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▲地下鉄長田駅構内で利用されている敷石。まさか地下鉄の駅構内で再利用されようとは...。P:宮武浩二
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神戸市電は大阪市電と比較して規模が小さい分、敷石の残存数も多くなく、現在では数箇所に残るのみで、数量的には太山寺の参道に利用されている敷石が一番数が多いようです。

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▲地下に現存する敷石としては珍しい。ただ説明板もないので、気がつかずに通り過ぎる人も多い。P:宮武浩二
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▲長田駅で採寸した敷石。大きい左のものが約300×500㎜、右の小さい方が300×400㎜。P:宮武浩二
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まずは神戸市営地下鉄長田駅構内(地下)駅長室裏手のエレベータ前広場に保存されている敷石をご紹介しましょう。おそらく地下鉄の駅構内に保存されている例は他にはないと思います。ただ残念なことに、市電の敷石という説明がないため、ほとんどの人が気がつきません。
人通りの少ない場所なので、迷惑にならないだろうと採寸させていただきました。

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▲太山寺に向かう参道。はるか先には三重塔が見える。白壁と雨に濡れた敷石が続く参道は圧巻。P:宮武浩二
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130227n007.jpg続いて神戸市西区地下鉄伊川谷駅近くの「太山寺」での再利用例です。この伽藍はたいへん歴史が深く、西暦973年までさかのぼる古刹で、境内には1299年に再建された本堂のほか、1688年に建立された三重塔など格式のあるものです。その太山寺の仁王門から本堂中門まで続く参道に、神戸市電の敷石が敷き詰められています。白壁の続くまわりの景色と共に高低差のある参道に敷き詰められた敷石は見事の一言で、もし付近に立ち寄る機会があればぜひ参拝をお奨めします。
▲他都市の敷石よりも神戸市電の敷石はやや小ぶり。P:宮武浩二
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神戸市電の敷石は大阪、京都の市電の敷石よりやや小ぶりで、したがって同じ面積に敷き詰められるた数が多く、他都市の敷石よりも華奢で、これも異国情緒のある神戸市内にマッチしていたのだと思われます。

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▲地下鉄御崎駅を上がったすぐのところにある「御崎ふれあい広場」の敷石。芝生と敷石の調和は見事。P:宮武浩二
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130227n009.jpg神戸市兵庫区地下鉄海岸線御崎公園駅近くにある「御崎ふれあい広場」にも神戸市電の敷石が保存されています。こちらは地下鉄海岸線の建設と共に作られた広場ということで、デザイン性があり、芝生と敷石の調和を見ることが出来ます。なお、御崎公園内には広島電鉄から里帰りした1103号が保存されており、その足元にも市電の敷石が敷き詰められています。

←御崎公園には広島電鉄から里帰りした1103号が保存されている。その1103号の足元にも敷石が...。P:宮武浩二
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▲小寄公園には市電廃止直後から1155号が保存されている。40年を経た現在でも大切に保存されている。敷石も保存されているので景観が良い。P:宮武浩二
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130227n011.jpgまた東灘区の小寄公園(旧本山交通公園)に保存されている神戸市電1155号の足元にも敷石が現存しています。ここは旧本山交通公園を再整備したところで、市電も移設されていますが、敷石も大切に移設されていて嬉しく感じました。広島電鉄の1151形も1輌を残して退役したので、1155号も末永く保存してほしいものです。

→元はアスファルト部も敷石が敷き詰められていた。P:宮武浩二
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▲葺合高校にはまとまった数の市電敷石が現存する。P:宮武浩二
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最後に神戸市中央区野崎通の神戸市立葺合(ふきあい)高校の正面玄関前にも神戸市電の敷石が再利用されています。現在、玄関前は工事中で市電の敷石は半分ほど撤去されていますが、建物の付近には敷石が残っているので公道からもよく見ることが出来ます。

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四国水力電気の敷石。

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▲絵葉書に見る戦前の鉄道省高松駅前。四国水力電気の市内電車が見える。所蔵:宮武浩二
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精力的に路面電車の敷石の行方を調査されている宮武浩二さんから、高松市内に現存する「四国水力電気」の敷石調査のレポートをいただきましたのでご紹介いたしましょう。

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▲四国水力電気沿線案内。表(上)、裏(下)。所蔵:宮武浩二
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▲戦前の高松市市街地図。所蔵:宮武浩二
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高松市内での市内電車の運転は1917(大正6)年にさかのぼります。高松琴平電気鉄道の前身である四国水力電気が鉄道省の高松駅と天下の名園、栗林公園、瀬戸内海随一の展望台として人気の高かった屋島を結ぶ路線として開業したのが最初です。

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▲現在の常磐街東から西をのぞむ。右側に常磐稲荷神社の入口を示す赤鳥居が見える。P:宮武浩二
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▲常磐街入口東側(左)。お稲荷さんの短い参道に敷石が再利用されている(右)。P:宮武浩二
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130226n005.jpg高松市内は城下町として栄えた町なので市街地の道路は広くなく、狭い小路を電車が走っていたと聞きます。その分カーブも狭隘ため大護寺付近ではポールがよく外れたとのことです。当時は電車の前に取り付けられた救助網が珍しかったそうです。1934(昭和9)年に電車の通過時に粉塵が舞うという苦情から敷石が敷設され、合わせて散水車を1輌導入しています。
▲常磐街の一本北側の小路に常磐稲荷神社はある。P:宮武浩二
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▲敷石の小(左)と大(右)。実測では小は400×340㎜、大は560×370㎜の大きさ。P:宮武浩二
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▲お稲荷さんの敷石を見る。事情を知らなければこれが四国水力電気のものとはわかるまい。P:宮武浩二
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戦災で高松市街は多くが消失し、市内電車の路線も破壊されてしまいました。戦後は都市計画のもと、市内に大きな幹線道路を建設、鉄道の復旧も高松琴平電気鉄道高松駅(現在の瓦町駅)から琴平線の電車を延伸することとし、四国水力電気が敷設した旧市内電車は復旧されることなく廃止されました。その際に撤去された市内電車の敷石が瓦町駅に隣接する繁華街「常磐街」に再利用され、1968(昭和43)年のカラー歩道化まで利用されていましたが、その一部が常磐稲荷神社の参道に再利用されています。この常磐稲荷神社は市内電車の敷石を常磐街に引き取ることに尽力した溝渕寿吉氏が寄進したもので、その関係でわずかながらも当時の敷石が残ったものと思います。

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西大寺鉄道のキハ7。

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▲かつての西大寺鉄道の本拠地である西大寺バスセンター前に保存されているキハ7。両備グループのお膝元での保存展示とあって、屋根がないにも関わらずその状態はすこぶる良い。'13.1.21
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3フィート(914㎜)軌間の軽便鉄道として独自の輝きを放っていた西大寺鉄道が廃止になったのが1962(昭和37)年9月、国鉄赤穂線の開業と入れ替わるかたちで半世紀以上にもおよぶその歴史に幕を下ろしました。

130225n009.jpg安保彰夫さんのRMライブラリー『西大寺鉄道』でその現役時代の生き生きとした様が活写されていますが、奇祭として全国的に有名な西大寺の「会陽」(裸祭)輸送のために、わずか11キロほどの路線長からは想像もつかない数多くの機関車と旅客車を揃えていたことも特筆されます。"らっきょう"と形容された特異な形状の煙突を持つコッペル機はもとより、5輌の梅鉢製の単端式気動車も長年にわたってこの鉄道を象徴する存在でした。
▲前後に設けられた特徴的な荷台。奥行は960㎜あり、自転車など車内に持ち込めない荷物を積載するには充分なキャパシティーがあった。'13.1.21
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▲車体側面に標記された西大寺鉄道の社紋(左)と、その歴史を記したレタリング(右)。'13.1.21
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▲「昭和11年 川崎車輌」の製造銘板(左)。ご丁寧にも検査標記もきれいに再現されている(右)。'13.1.21
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そんな西大寺鉄道で最後まで主力として活躍した1輌がキハ7でした。1936(昭和11)年12月川崎車輌製で、当時流行の流線型スタイルにも関わらず、両端に実用本位の大きな荷台を持つのが外見上の特徴です。エンジンはフォードのV8(戦後DA43に換装)、新製時からエアブレーキを備えていたそうです(湯口 徹『内燃動車発達史』参照)。

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▲残念ながら車内に入ることはできなかったが、側窓からその様子を見ることができた。半室の運転台左横には大きなハンドブレーキが備わる。'13.1.21
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▲客室内を見通す。エンジン部の床面は若干高くなっている。'13.1.21
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お別れ列車の大役を務めたのもこのキハ7で、廃止後しばらくは西大寺駅跡に日車製の僚車キハ6とともに保管され、記念館構想もあったと耳にしていますが、結局その計画も雲散霧消、いつしかキハ6は消えてしまい、結局キハ7だけが西大寺バスセンター前で保存されることとなったものです。

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▲植栽に囲まれて足回りは見にくい。写真はコンパクト・デジカメを差し入れて撮影した台車周り(左)。右は特徴的な偏心台車に残る川崎車輌の製造銘板。'13.1.21
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130225n014.jpgすでに保存開始後半世紀以上の歳月が流れていますが、両備ホールディングスの拠点で看板的に保存されていることもあってか状態はすこぶる良く、現役時代とあまり変わらない姿を見せてくれています。ただ、残念なことに周囲をびっしりと植栽が取り囲んでしまっており、特徴的な偏心台車や床下は観察することは極めて困難です。なお、このキハ7は2004(平成16)年に産業考古学会から「推薦産業遺産」に指定されています。
▲かつてはコッペルや独特の面相をした単端たちが蝟集していた西大寺車庫跡は、現在は西大寺バスセンターとして地域交通の要となっている。'13.1.21
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▲バスセンター脇にある木造の建物はかつての西大寺鉄道の本社。周辺環境はすっかり変わってしまったが、この一角だけはかつての"けえべん"(地元の表現)の面影を伝えてくれている。'13.1.21
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▲独特の形状の東横線渋谷駅は昭和・平成を通して渋谷のシンボルのひとつでもあった。わかりにくいが、1番線に入っているのは5社相互直通運転開始をアピールする5050系。'13.2.21
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代官山蔦屋書店で打ち合わせがあり、どうせならと、渋谷駅から東横線沿いに歩いてみることにしました。言うまでもなく、あと3週間ほどの3月16日からは同区間は地下化されて、長年見慣れてきた青空の下を走る東横線の姿は見ることができなくなってしまうからです。

130221n007.jpgあらためて驚いたのは、東横線渋谷駅はもとより、そこかしこにカメラを構えた方がいること。しかも"ご同業"ばかりか、流行りのミラーレス一眼を構えた若い女の子や、思い出したようにスマホをかざす通りすがりのサラリーマンまで、その姿は実に多様。1927年の開業から実に86年にわたって親しまれてきた風景の消滅は、単に路線が地下化される事実だけでなく、多くの人びとにさまざまな思いを抱かせているようです。
▲東横線渋谷駅の改札を入ると特徴的な頭端式ホームが広がる。'13.2.21
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▲渋谷駅を発車、渋谷川に沿って高架をゆく東京メトロ10000系。この付近にかつての並木橋駅があった。'13.2.21
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地下化される東横線渋谷ー代官山間のルートは、現在の東京メトロ副都心線渋谷駅から明治通りの地下を南東方向に進み、渋谷川を潜った辺りで現在の地上線の地下に入るかたちとなります。ただ、地下5階に位置する副都心線渋谷駅から、大きなカーブを描いてシールドトンネルを進み、JR線を潜ってから代官山駅入口付近で地上に登り切る急勾配となり、その工事はまさに神業とも言える難易度の高いものです。

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▲大きくカーブを描いてJR線を乗り越える橋梁へと進む。すでに高架下は地下化工事の関係から立ち入りができなくなっている。'13.2.21
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渋谷駅を出て高架で渋谷川沿に進む東横線ですが、かつては次の代官山駅までの間にもうひとつ駅がありました。國學院などの通学の便を図るために設置されたという「並木橋駅」です。戦時中に休止(廃止は1946年)されているため、実見された方は少ないでしょう。カーブを描いて渋谷川とわかれる手前辺りにあったというその並木橋駅の遺構は、近年まで掠れた右書きの乗り場表示などに見られましたが、現在は工事用の覆いに閉ざされてしまい確認することはできません。地下化完成後はこの歴史を刻んだ高架橋も撤去され、並木橋駅が存在した歴史も遥か遠くなっていってしまいます。

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▲JR線を越える橋梁は下部に奇妙な三角形の張り出しがあるポニートラス。これは恵比寿方の人道跨線橋からの撮影。'13.2.21
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今回の地下化区間最大のハイライトとも言えるのがJR線をオーバーパスする橋梁です。お誂え向きに恵比寿側に人道跨線橋があり、すでに橋上にはカメラを構える方が何人も...。眼下を行き交う山手線や湘南新宿ラインと、ゆっくりとその上を越えてゆく東横線の対比は実に魅力的で、この光景が間も無く見納めとなってしまうとは俄かに信じ難くもあります。

130221n004.jpgもうひとつ、代官山駅手前に残る「渋谷1号踏切」も見納めとなります。地下線はこの渋谷1号踏切付近で地上に上がってくるかたちとなり、地下化とともにこの踏切も廃止されます。これによって東横線は渋谷~都立大学間の踏切がすべて消えることとなります。すっかり時代の先端を行くおしゃれな街に変貌を遂げた代官山、渋谷1号踏切はその中にぽつんと取り残された昭和の匂いだったような気がしてなりません。
▲渋谷1号踏切の表示。都心の踏切として親しまれたこの踏切も間もなく姿を消す。'13.2.21
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▲渋谷1号踏切をゆく上り9000系。9000系は副都心線乗り入れ対応工事が施工されないため、この踏切と同時に東横線から撤退する。'13.2.21
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▲工事たけなわの代官山駅には地下化をPRする大きな表示(右)が。代官山トンネル側は在来のままだが、日比谷線との相互直通運転は終了となる。'13.2.21
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十年がかりの大工事だった副都心線と東横線の相互直通運転開始で、東武東上線、西武池袋線、東京メトロ副都心線、東急東横線、みなとみらい線の5社相互直通運転が現実のものとなり、3月16日以降、東京の交通体系は大きな変貌を遂げることになります。
渋谷から代官山まで"線路沿い"を歩く機会は、もう二度とないでしょう。

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▲「さよなら東横線9000系 FINAL RUN 1986-2013 元住吉電車区」のヘッドマークを付けた9001Fが名残りの渋谷駅に入線。'13.2.21
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▲昇圧前の高幡不動車庫。左には2600形、中央にはデハ2058が見える。ようやく16~17m車が主力となった昭和30年代初頭の一コマ。 '57.7.15 P:鈴木 洋 (RMライブラリー『京王線 グリーン車の時代』より)
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今月のRMライブラリーは『京王線 グリーン車の時代』をお届けいたします。20代以下の方には「京王線のグリーン車」と言っても何のことやら判らない方もいらっしゃるかと思いますが、グリーン車とはすなわち、アイボリー色の5000系登場以前のライトグリーンに塗られた車輌群を指します。

rml163n.jpg路面電車からスタートした京王線は、戦前、14m級の電車2輌編成が最大でした。戦争に突入、いわゆる大東急への合併を経て、戦後の1948(昭和23)年には旧京王電気軌道の路線と旧帝都電鉄の路線(現在の井の頭線)を合わせた京王帝都電鉄が発足しますが、戦災で破損した車輌、施設も多く、車輌の新造が急務となっていました。そのような状況のなか、戦後初めての新車として1950(昭和25)年に誕生したのが2600形です。車体長は16mまで拡大され、初めてサハを連結した3輌編成となりました。

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▲京王帝都電鉄発足後初の新造車であった2600形。晩年は高尾線や動物園線などの支線用となりながら1977年まで活躍した。 (RMライブラリー『京王線 グリーン車の時代』より)
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その後、一時期の京王を象徴するデザインである『湘南スタイル』を採り入れた2700形が1953(昭和28)年に、初めてカルダン駆動を採用した2000形が1957(昭和32)年に、そしてその改良増備型とも言える2010形が1959(昭和34)年に登場しました。これら4系列は現在の京王線の基礎を築いた車輌たちと言っても過言ではないでしょう。

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▲昇圧前の京王線の主力であった2700形。一部は昇圧後、優等列車に使用されるためアイボリーに臙脂帯の5000系と同じ塗装となった。 (RMライブラリー『京王線 グリーン車の時代』より)
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▲最期のグリーン車となった2010形。当初は先頭のみ新造で、中間車には14m車改造のサハを連結した凸凹な編成であった。 (RMライブラリー『京王線 グリーン車の時代』より)
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本書は第111巻『京王線 14m車の時代』、第146巻『京王5000系-ファンの目から見た33年-』に続いて京王ファンの鈴木 洋さんが、現役当時に撮り続けた写真とメモをもとに、グリーン車4系列の活躍を再現するもので、昭和20~50年代の京王線を知る方にとっては懐かしい一冊になっています。ぜひ前2巻と合わせて書架にお揃えください。

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▲1954(昭和29)年に1号機が落成したEH10形は、さっそくその夏の宮廷ホーム展示会にエントリーした。これはその際に配布された公式パンフレット。
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半世紀以上も前のことになりますが、1950年代から1960年代にかけて、国鉄は積極的に一般向けの車輌展示会を開催していました。その本格的幕開けは1952(昭和27)年の鉄道開業80周年に遡り、「鉄道記念日」の10月14日から東京・原宿のいわゆる宮廷ホームで歴史的車輌の展示会が開催されました。この時のエントリーは7100形「義経」、「静」、C62、D52、さらに流線型として誕生間もないEF58で、つい7年前までは立ち入ることなど想像さえできなかった宮廷ホームは多くの来場者でたいへんな賑わいだったそうです。

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▲巻頭では車輌展示会と配布パンフレットの関連について貴重なカラー写真を交えて詳しく解説。
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この時に展示車輌の解説用として配付されたのが、本書の原本となった公式パンフレットの嚆矢でした。二つ折りの簡易なパンフレット(リーフレット)は、時代からして当然モノトーン印刷ですが、形式写真と的確な解説文、そして最低限の形式図を収録して中学生でも理解しやすい工夫がなされていました。

130220n003.jpg好評を博した宮廷ホームの展示会は翌1953(昭和28)年にも開催され、この年は春にキハ44500とDD50、秋にC59、ED42、キハ45000、マイネ40、スロ54、スハフ42、マシ38が展示されるなど、年に2回の展示会が行われました。そして、1955(昭和30)年10月、鉄道開業85周年として開かれた宮廷ホームの展示会はさらにその規模を拡大し、完成したばかりのオシ17形食堂車の車内では日本食堂が軽食の試食営業を行うなど、華やいだものとなりました。普段は東京では見ることのできない試作交流電気機関車(ED44、ED45)やロータリー雪掻車キ620、さらには活魚車ナ10といった珍しい車輌もエントリーしていたのも特筆されます。

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▲DD13形の公式パンフレット(上)。本書では主要形式については別途解説を設けている(下)。
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そしてこの頃からB5判二つ折り(2色刷)のフォーマット化されたパンフレットが配付されるようになります。これが本書の核となっているもので、以後、展示会の場所は東京駅や大井工場など各地に移りながらも同一フォーマットのものが無料で配布されてきました。本書はこの国鉄作成のいわば公式パンフレットを可能な限り原寸で復刻し、適宜解説を加えたもので、コレクションとしての価値もさることながら、当時の国鉄がいかに知識の普及と啓発に努めてきたかを垣間見ることのできる資料でもあります。

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▲クモヤ791形(左)やナ10形(右)といった"珍車"も数多く収録。
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ところで、国鉄がこういったパンフレットを発行するに至った経緯には、実はあの星 晃さんが関わっておられました。国鉄工作局で従来の国電のイメージを根底から覆す湘南電車の設計に携われ、それを端緒として車輌のみならず、国鉄のイメージそのものを新しい時代にふさわしいものに変えたいと、その一助となる一般向けの車輌展示会とパンフレット(リーフレット)の頒布を後押しされたと聞きます。1959(昭和34)年に臨時車両設計事務所次長に就かれてからは、新型車輌のデビュー時には一般向けのパンフレットをさらに積極的にサポートされています。本書収録車輌の大半には何らかの形で星さんが関わっておられ、その意味では本書は先般お亡くなりになられた星 晃さんへのオマージュでもあります。本書を手にされた皆さんが、厳しい経営環境の中にも知識の普及に努め、常にファンを大事にしてくれた国鉄の一側面にあらためて思いを馳せていただければ幸いです。

定価:2200円(税込)
B5判/164頁オールカラー

〔掲載形式〕
C62形、5501号蒸気機関車、DD11形、DD13形、DD14形、DD51形、DF50形、DF50形500、ED42形、ED61形、EF58形、EF60形、EH10形、ED44形、ED45形、ED46形、ED70形、ED71形、ED75形、ED76形、ED78形、EF71形、EF30形、クハ86形、モハ90形、サロ95形、103系、201系、301系、155系、157系、421系、423系、583系、591系、クモヤ791形、キハ10000形、キハ45000形、キハ20形、キハ22形、711系、キハ40形、キハ60・キロ60形、キハ82形、キワ90形、キハ391形、ナハ10形、ナハネ10形、ナロ10形、ナハ11・ナハフ11形、ナロハネ10形、オシ17形、スニ40形、ナ10形、ワム80000形、キ620形、3000形コンテナ、国鉄東名ハイウェイバス、新製長距離高速電車 特急つばめ・こだま、特急「あさかぜ」の新製車両、特急はつかり用新製ディーゼル動車、修学旅行電車、伸びゆくディーゼル・カー、183系、東海道新幹線

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▲新造車輌の外観・客室内イメージ。イラスト:「東京都交通局経営計画2013」より(2点とも)

東京都交通局は、平成25年度を初年度とする3か年の新たな経営計画「東京都交通局経営計画2013」を策定し発表しました。この経営計画は「安全・安心の確保」、「質の高いサービスの提供」、「東京の発展に貢献」、「経営基盤の強化」の方針の下で、100の計画事業に取り組んでいくもので、そのなかで興味深い項目が見られます。

■新宿線車輌の更新(10輌化)
新宿線の混雑緩和を図るため、新宿線車輌の6編成について、現行の8輌編成から10輌編成化し、輸送力の増強が図られます。また、車内表示器を液晶モニター化し、案内サービスの向上も図られます。なお、6編成の内訳は、平成25年度3編成、平成27年度3編成で、平成27年度末で28編成中10編成が10輌化されることになります。
■東京の地下鉄サービス一体化
乗換利便性の向上のため、東京メトロと連携を図りながら、東京の地下鉄サービスの一体化に取り組んでいく方針で、平成25年度は門前仲町駅及び六本木駅で改札通過サービスが実施されます。
■大江戸線車輌の更新
大江戸線車輌の4編成について、LED車内照明やより効率的な制御方式を採用するなど、環境に配慮した車輌に更新する予定で、平成26年度に2編成、平成27年度に2編成が更新対象となります。
■都電荒川線車輌の更新(7000形の置き換え)
更新時期を迎えた7000形車輌について、誰もが利用しやすいユニバーサルデザインとするとともに、省エネルギーにも配慮した車輌に更新するとしています。平成26年度は3輌、平成27年度は7輌が予定されています。

鉄軌道関係ではこのほかにも大江戸線の大泉学園町方面への延伸を、土地区画整理事業や街路事業などの進捗状況を踏まえながら、関係機関と連携し、事業化について、採算性も含め、引き続き検討を進めていくとしているほか、日暮里・舎人ライナーの混雑緩和を図るため、平成27年度に新たに車輌1編成を増備して、ダイヤ改正を行なうことなどが発表されています。

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岡山電気軌道の古豪3005。

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▲美しい姿で"今なお現役"の3005号。1953(昭和28)年宇都宮車輌製だから、今年でちょうど還暦を迎えることになる。'13.1.20
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本誌の取材で岡山電気軌道の東山車庫を訪れた際、かねてよりじっくり拝見したいと思っていた東武日光軌道線のリバイバル塗色車3005号を見せていただくことができました。

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▲その車内。もちろん非冷房の車内は、木製の床や、サッシ化されたとはいえ昔ながらの窓が整然とならび懐かしい雰囲気に包まれている。'13.1.20
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日光駅前と馬返の間10キロほどを結んでいた東武鉄道の日光軌道線が廃止されたのが1968(昭和43)年2月。最後まで在籍した旅客車のうち連接車体の200形は再就職の路がありませんでしたが(203号は東武動物公園、のちに東武博物館で保存)、2軸ボギーの100形10輌は相次いで岡山電気軌道へ譲渡され、当時まだ単車が幅を利かせていた同社の新鋭3000形として活躍をすることとなりました。

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▲蹴込部のヒーター(左)。室内灯はグローブ型(右)。'13.1.20
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▲「改装 岡電東山工場 昭和44年」の銘板(右)。検査票には「昭和44年製造」と記されている(左)。'13.1.20
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10輌全車が岡山に揃ったのは1969(昭和44)年。自社の東山工場でビューゲルを特徴的な石津式パンタグラフに交換するなど改造を施され、ワンマン対応車として活躍を開始しました。思えばすでに44年もの歳月が流れているわけですが、さすがにその歳月の間に中間は次々と廃車されてゆき、現在残されているのはこの3005号と岡山城(烏城)にちなんで水戸岡鋭治さんが真っ黒なデザインを施した"KURO"3007号、そしてCSデザイン学生賞の受賞作品であるチェック模様の3010号の3輌のみとなっています。

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▲ワンマン化されたとはいえオリジナルの雰囲気を色濃く留める運転台。'13.1.20
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130211n011.jpgさらにこのうちの3010号は不要になったことから譲渡先が公募され、昨年6月に"故郷"とも言える「日光霧降高原チロリン村」への寄贈が決まり、今春には岡山の地を離れることとなっています。なお、3009号も十年ほど前に日光市のファンに引き取られておりますので、10輌中2輌が里帰りを果たすことになります。
▲運転台背面上部のカノピースイッチ類と信鈴。'13.1.20
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▲バネを使わない錘による押上げ式のパンタグラフ。押上げ圧は5㎏、錘の正体は何と車軸の廃物利用だという。'13.1.20
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▲その床下を見る。台車は住金KS40J。詳しくは姉妹ブログ「台車近影」参照(→こちら)。'13.1.20
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さて3005号ですが、こちらは2005(平成17)年に市民団体の募金等によって東武日光軌道線時代の塗色に復元されて"現役"を続けています。と言っても日々実用に供されているわけではなく、冷房装置を持たないことから夏場(7~9月、ただし気温によっては6・10月も運休の場合あり)を除く毎月第1土曜日のみ、岡山駅前~東山間を2往復しています。

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▲おへそライトに2枚窓、そして布幕の方向幕と、いかにも昭和の路面電車らしい面構え。'13.1.20
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車齢を感じさせないほど美しい状態に保たれた3005号に出会うことができて嬉しい思いで帰京し、もしやと思って幾度か撮影した岡山電気軌道の写真を見返してみたところ、かつて岡山駅前で撮影したコマの中に3005の姿がありました。まだ岡山電気軌道オリジナル塗色の姿で、ということは今回の東山での再会は実に29年ぶりの邂逅だったわけです。

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▲現在の桃太郎大通りの岡山駅前電停で折り返す3005。今から29年前の姿で、降車電停にはまだ上屋もない。'84.8.25
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▲最後に東武時代の姿を...。これは105号で、岡山に来てからは3002号を名乗ったが、1991(平成3)年に廃車されている。'67.6.25 P:三谷烈弌
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井笠鉄道9号機を見る。

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▲井原鉄道井原駅の全景。印象的な駅舎建物は地元ゆかりの那須与一の弓矢を表現しているという。'13.1.21
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先日ご紹介した井笠鉄道 鉄道記念館(編集長敬白アーカイブ「井笠鉄道 鉄道記念館を訪ねる」参照→こちら)と合わせて、井原鉄道井原駅そばの七日市公園に保存されていると聞く井笠鉄道9号機も見てまいりました。

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▲井原駅にほど近い七日市公園に保存されている井笠鉄道9号機。上屋は設けられているものの、自由に出入りできるためかなり荒廃が進んでしまっている。'13.1.21
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在籍したのべ11輌の蒸気機関車のうち半数近い5輌がコッペル製という井笠鉄道ですが、戦後の混乱期には中古機を導入せざるを得ない状況で、そのなかで日本製鐵釜石製鉄所から購入したのがこの9号機でした。一見すると立山重工業あたりの戦時設計機のようにも見えますが、実はこの機関車、ベルギーのコッケリル(COCKRILL)製というたいへん珍しい機関車です。

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▲説明看板にも「重すぎてレールや枕木の破損が激しかったため、1年9か月の短期間の運転でした」とあるが、実際に現車を目の前にすると、ナロー機としては確かに大きい。'13.1.21
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井笠鉄道での設計認可は1948(昭和23)年。日本製鐵釜石製鉄所製として届けられており、長らくその来歴は物議を醸してきました。その謎の解明に挑まれたのが小熊米雄さんで、『SL』№1(1965年刊)で「機関車意外誌 -謎の機関車を追って- 井笠鉄道の9号機関車」と題した調査レポートを発表されています。鬮場車庫に保管してあった9号機の現車調査を踏まえて導き出された結論は、釜石製鉄所2号機として導入された1910(明治43)年コッケリル製の本機が、一度ならず二度までも大改造を経て井笠に辿りついた流転の物語でした。

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▲その足回りを見る。特徴的な傾斜した弁室の形状やシリンダー前蓋などはコッケリルの竣功写真と合致する。'13.1.21
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130215n005.jpg新製時の本機は「蒸気蓄勢式とでもいえる」(臼井茂信さんによる)特異な機関車で、ボイラー上に背負った巨大な蒸気溜めによって、短区間であれば無火機関車さながらに溜めこんだ蒸気のみで走行することが可能だったようです。しかし、やはり使い勝手が悪かったのか、製造後20年も経たない1929(昭和4)年に雨宮製作所の手によって大改造され、この時になんとシリンダー位置が前後逆転してキャブ下にくるという、これまた奇妙な機関車に生まれ変わっています。
▲非公式側の足回り。なぜかエキセントリックロッドが大きく曲がってしまっている。'13.1.21
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▲キャブ内は自由に出入りできるため、残念ながらかなり荒れてしまっている。本機も右側運転台。'13.1.21
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そしてそれもつかの間、10年後の1939(昭和14)年に再々度改造を受け、結局、現在のような変哲のない姿となってしまったわけです。井笠鉄道では敗戦直後の窮乏期に窮余の策として本機を導入したものの、自重15tは脆弱な軌道にはいかにも過負担で、結局ほとんど使用されないまま廃車となってしまったようです。

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▲B20など戦時規格型小型機の匂いを感じさせるバックビューからはベルギー生まれの匂いはまったく感じられない。'13.1.21
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現在保存されている七日市公園は井原駅の駅前広場を右手に進んで徒歩2分ほど。残念ながらかなり荒廃が進んできてしまっていますが、その出自と数奇な運命を考えると、これからも末永く保存されることを願いたいと思います。

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野上電気鉄道の保存車。

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▲「くすのき公園」に保存されている野上電気鉄道31号。解説看板には『本車輌は、1934(昭和9)年日本車輌製で、木造車を鋼体化した阪神1121形1130(モハ31)として誕生。車体側面上部の「明かり窓」が特徴である。約30年間阪神電鉄で活躍後、1963(昭和38)に野上電鉄㈱へ譲渡され、以来31年間1994(平成6)年、廃線に至るまで活躍した車輌である』と記されている。'12.11 P:宮武浩二
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大阪の宮武浩二さんから野上電気鉄道の保存車についてのレポートを頂戴しました。日方~登山口間11.4㎞を結んでいた野上電気鉄道は、阪神の旧型車など魅力的な車輌陣容と、時代を超越したシチュエーションで根強い人気があり、本誌誌上でも何度か取り上げましたが、残念ながら1994(平成6)年3月いっぱいでその運行を終えてしまいました。吊りかけ音を響かせて走っていた姿がつい先日のことのように思われますが、早いものでもう19年の歳月が流れたことになります。

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▲野上電気鉄道の社紋(左)と、31号の特徴的な明り取り窓。窓隅の微妙なRも時代を感じさせる。'12.11 P:宮武浩二
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▲何とも小型の抵抗器(左)。標識灯は阪神時代からのものと思われる(右)。'12.11 P:宮武浩二
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▲ブリル製の台車には主電動機もついたまま(左)。右はその制御器。'12.11 P:宮武浩二
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地元の和歌山県下では紀美野町下佐々にある「くすのき公園」に31号が、またすぐ近くの「田伏医院」に同じく元阪神701形の27号が保存されています。後者は個人保存ですが、「くすのき公園」の方は町の管理下にあって自由に見学(ただし車内は非公開)することができます。

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▲現役時代の野上電気鉄道31号。同線の廃止まで活躍を続けた。'88.6.7 日方 P:宮武浩二
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「くすのき公園」の保存車を見学してから自宅で古いネガを整理していると、ほかならぬ野上と阪神の懐かしい写真が出てまいりましたので、あわせてこちらもお目に掛けます...と宮武さん。阪神尼崎車庫での写真は野上電鉄から引き取られてきて塗装だけ変更された時点でのもので、台車は仮台車を履いています。その後、元の台車に履き替えられ、Zパンタを搭載して阪神電鉄尼崎センタープール前高架下の教習所に保存されて現在にいたっています。

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▲車庫内で休む24号。1924(大正13)年藤永田造船所製で、大きくRを描いた前面が特徴であった。'84年 日方 P:宮武浩二
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▲24号と31号の僚友32号は野上電気鉄道廃止後、古巣の阪神へ引き取られて復元保存されることとなった。写真は塗装まで終えた状況。'08.4.26 尼崎 P:宮武浩二
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▲32号の車内(左)と保存用に保管されていたブリル製台車(右)。'08.04.26 尼崎 P:宮武浩二
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現在24号と32号が保存されている阪神電気鉄道の教習所は一般には非公開ですが、いつの日か、その懐かしい姿を目にするチャンスが来ることを願いたいと思います。

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▲京都駅東側の側線に留め置かれた客車には何やら見学の子どもたちの姿が...。'52.11.3 P:高橋 弘
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JR西日本の鉄道博物館構想に続いて、昨日ご紹介したように京都市の「市電広場」(仮称)構想など、梅小路一帯がにわかに鉄道保存の中心地として注目を浴びつつありますが、実は60年以上も前の京都駅に「鉄道博物館」があった(?)という珍しい証拠写真をお送りいただきましたのでご紹介いたしましょう。

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▲上の写真を拡大してみると側面の窓には「鉄道博物館」の文字が見える。デッキ部には「動く鉄道博物館」とあり、京都駅のみならず各地を巡ったのだろうか。ちなみにこの写真が撮影されたのは戦後5回目の「文化の日」。'52.11.3 P:高橋 弘
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お送りくださったのは取材等でもお世話になっている京都の高橋 修さん。あらためてご紹介するまでもなく、かの高橋 弘さんのご子息で、お送りいただいた写真は、今は亡きお父様が1952(昭和27)年にお撮りになられたもの。京都駅の東側線に留置された客車に何やら人だかりがあり、よくよく見ると客車の窓には「鉄道博物館」の文字が見えるではないですか。さらにデッキ上部には「動く鉄道博物館」と書かれた札が取り付けられています。

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▲「動く鉄道博物館」の位置関係を見る。C62の「つばめ」が停まっている後方が展示会場で、背後の建物などと比較するとよくわかる。'53年 P:高橋 弘
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残念ながらお父様からこの「鉄道博物館」についてお聞きになったことはないそうで、果たしてどんな展示が行われていたのかは今となっては詳しくはわかりません。ただ、この写真が撮影された1952(昭和27)年は「鉄道80年」にあたり、広報用職用車というものが誕生しています。旭川局のナヤ9800形と東京局のホヤ16800形(星 晃さんのご著書によれば形式の80は鉄道80年に因むもの)で、「動く鉄道博物館」として交通博物館の展示模型などを載せて各地を巡ったようです。この写真の客車は上記2輌とは別モノで、ひょっとすると関西地区用に誂えられた広報用職用車なのかもしれません。ほかならぬ高橋 弘さんのことですから、当然"博物館内"も見学されたはずで、ご存命であればその様子をお教え願えたのにと残念でなりません。

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▲山陰本線の車内から見た梅小路公園の"N電"の線路。画面左側に梅小路蒸気機関車館の旧二条駅駅舎と扇形庫が見える。'13.1.26 P:高橋 修
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▲「市電広場」と新たにEV化された"N電"展示運転線が設けられると思われる山陰本線東側の現状。'13.1.26 P:高橋 修
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同時に高橋 修さんは「工事が始まる前に撮影したかった」とおっしゃる鉄道博物館建設予定地の写真もお送りくださいました。山陰本線の車内からお撮りになられたもので、昨日ご紹介した"N電"の線路などがまるでジオラマのように見てとれます。動く車内からの撮影とあってタイミングが難しいでしょうが、通勤・通学でお使いの皆さんにとっては、これから「定点観測」が楽しみになるかもしれません。

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EV化(?)するN電。

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▲わずか300mほどながら、昔ながらの走りっぷりを見せる梅小路公園の"N電"。制動も手ブレーキで、運転士が大きなブレーキハンドルを回して制動をかける。'12.10.14
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JR西日本が昨年末に総事業費は約70億円をかけて京都・梅小路エリアで梅小路蒸気機関車館と一体となった新たな鉄道博物館を開業することを発表したのは記憶に新しいところですが(編集長敬白アーカイブ「梅小路に新たな鉄道博物館」参照→こちら)、今年になって京都市が「市電広場(仮称)」を含めた梅小路公園の拡張再整備を発表しました。

130212n001.jpg梅小路蒸気機関車館に隣接する梅小路公園には昨年3月にオープンした京都水族館もあって京都市民の憩いの場として親しまれており、その西端、ちょうど梅小路蒸気機関車館のラウンドハウスの裏手を3分の1周するようなかたちで"N電"が動態保存されています。"N電"とはわが国初の営業電気鉄道・京都電気鉄道の末裔である北野線とその車輌を指します。標準軌で路線網を築いた京都市営電気軌道が、3ft6in軌間の同社を吸収したことにより、ゲージの狭い、つまりナローな北野線の車輌記号に"N"を冠して区別したことに由来します(RMライブラリー『N電 京都市電北野線』参照)。1994(平成6)年の平安建都1200年記念事業として復活が決まり、同年9月の「第11回全国都市緑化きょうとフェア」を機に運転が開始されました。現在、年末年始(12月28日~1月4日)を除く土曜・日曜・祝日の10:00~16:00の間20分間隔で運転されています。
▲300mを折り返すたびに手作業によるポール回しが行われる。'12.10.14
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▲梅小路公園の"N電"27号は北野線廃止時まで働いた1輌で、元のN127号。オリジナルの車体は梅鉢製とされる。'04.2.15
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このたび京都市が発表した計画では、梅小路公園に隣接するJRの社宅跡地約半分を活用して、「市電広場」(仮称・約700㎡)と芝生を敷きつめた広大な「すざくゆめ広場」(仮称・約5700㎡)を開設、このふたつの広場を電車でつなぎ、日本最大級の鉄道博物館と日本で最初の路面電車が一体となった鉄道の広場にするとしています。「市電広場」には7輌の京都市電が保存され、1輌は運行当時の姿を再現して常設展示、2輌は梅小路公園の総合案内所として活用し、残り4輌については貸店舗として活用する予定だそうですが、保存車輌の内訳は詳らかになっていません。

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▲終点で折り返す27号。乗車料金は小学生以上一人300円。画面右側が梅小路蒸気機関車館の入口方向。'12.10.14
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ところで、驚いたのは両広場を結ぶかたちで運行されることになる"N電"が大きく生まれ変わることです。京都市長の会見では「現在運行しているチンチン電車は,電線から電気を引いておりますけれども,今回は,京都の最先端のものづくりの力を生かしまして,最新鋭の蓄電池(EV)を動力源として活用し,最新のEV電車に改良します。そして,緑に包まれた公園環境と調和させるため,市電の軌道敷も緑化します」と発表されています。100歳を超えた(27号については正確な製造年が特定できず1910〜1911年製とされる)"N電"がまさかのEV(Electric Vehicle )に...あのポール回しを見ることができるのも今のうちかも知れません。

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▲昨年秋に行われた調査報告書の完成報告会。協力いただいた皆さんへ完成した報告書が贈呈された。'12.10.28 P:木村一博

130208n001.jpg群馬県沼田市利根町根利にある林野庁森林技術研修所林業機械化センターに保存されているボールドウィン機(置戸森林鉄道3号機)の塗装修復作業に取り組んできた「よみがえれボールドウィン実行委員会」の活動については、これまでにも小ブログで幾度か紹介をしてまいりました。2006(平成18)年春に発足した同委員会は、ボールドウィンに続いて翌2007(平成19)年には協三工業製ディーゼル機関車、2008(平成20)年にはホイットカム製ガソリン機関車の塗装修復を実現させ、さらに運材台車や木造客車の修復にも取り組んでいます。また、修復車輌のお披露目も兼ねた「森林鉄道フェスティバルin根利」をたびたび開催するなど、対外的な活動も積極的です。そして、その一方で地道に継続されてきたのが地元・根利に存在した沼田営林署根利森林鉄道の調査です。

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▲第1章では根利地区の歴史とともに根利森林鉄道の歩みを振り返る。
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「第1回森林鉄道フェスティバルin根利」の参加者の方がふと漏らした「子どもの頃、根利の森林鉄道にはガソリンカーが走っていた」という一言が契機となって本格化した調査は、関係者の皆さんからのオーラルヒストリーの聞き取りや、時には森に還った軌道跡の踏査など多岐にわたり、ついに7年目を迎えることとなりました。

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▲軌道が脆弱な根利森林鉄道では珍しい特殊軽量機関車が活躍した。右は現役時代の写真を交えた支線の調査報告。
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調査を続けるなかで、軌道跡の同定はもとより、従来ほとんど存在しないとされていた現役当時の写真が続々と発見され、根利森林鉄道の生き生きとした姿が甦ってきました。規模こそさほど大きくはないものの、特殊軽量機関車の導入など独自の機械化を進めてきた根利森林鉄道は、ヘアピンカーブの連続する線型とあいまって、林鉄ファンにとっても実に魅力的な路線であったのです。

130208n202.jpg「よみがえれボールドウィン実行委員会」ではこの調査の成果を昨年10月に『沼田営林署根利森林鉄道調査報告書 山の幸を運んで』(A4判48頁)と題した本にまとめ、聞き取り調査等でお世話になった皆さんに贈呈されました。「歴史」、「軌道について」、「車両について」、「現役時代」の4章建ての本書は、詳細な現地踏査と聞き取りに裏打ちされた極めて密度の濃いもので、まさに地元ならではの力作と言えましょう。
▲完成報告会でホワイトボードに克明に路線図を描いて当時を語る営林署OB。'12.10.28 P:木村一博
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▲第3章では自動車改造のガソリン機関車など珍しい車輌たちを、第4章では根利森林鉄道関係者の皆さんからの聞き取りを収録。
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本書は残念ながら市販はされず、関係の方々だけに頒布されたとのことですが、わずかに残部があり、「よみがえれボールドウィン実行委員会」のご厚意で小ブログをご覧いただいている皆さんに特別にお分けできるはこびとなりました。販売にご協力いただくのはほかならぬ書泉グランデさん。これまでにない販売方法ですので、ぜひ...という方は下記を良くご覧になりお求めください。

販売日時:2月23日(土曜日)10時から
販売場所:書泉グランデ6階
販売価格:2500円(税込)
販売冊数:50冊
販売方法:先着順・お一人2冊まで
     ※予約はできません。

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星 晃さんお別れの会。

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▲復原されたばかりの東京駅駅舎内にある東京ステーションホテル「鳳凰の間」に設けられた献花台。国鉄本社の目の前にある東京ステーションホテルは星さんもご愛用であったという。'13.2.6 東京ステーションホテル
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昨年12月8日に93歳で旅立たれた元国鉄副技師長 星 晃さんの「お別れの会」が昨日、東京ステーションホテルの「鳳凰の間」で行われました。国鉄(JR)はもちろん、常務取締役をお務めになった川崎重工業をはじめとした車輌メーカー、そして多くの鉄道趣味人の皆さんが集われ、あらためて在りし日の星さんに思いを馳せました。

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▲会場の一隅には数々の写真とアルバム、そして著作が並べられた思い出コーナーが設けられた。車輌設計の中枢におられたお仕事中の厳しいお姿と、プライベートの時間を過ごさせる柔和なお姿のコントラストが何とも印象的。'13.2.6 東京ステーションホテル
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弔辞に立たれたのは石澤應彦元川崎重工業専務取締役、元国鉄常務理事・新幹線総局長、須田 寛元JR東海会長、鉄道友の会会長、米山淳一日本鉄道保存協会顧問、横浜歴史資産調査会常務理事・事務局長のお三方。お三方なりに異なった立場と視点から星さんとの思い出を語られました。

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▲大型スクリーンでは93年のご生涯を振り返るスライドショーが展開された。'13.2.6 東京ステーションホテル
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1942(昭和17)年に東京帝国大学(現・東京大学)第一工学部機械工学科を卒業された星さんは念願の鉄道省に入り、戦後は工作局客貨車課の若手のホープとして戦後復興の一翼を担われましたが、1953(昭和28)年から約一年間、スイス・ドイツ・フランス・イタリアに旅客車の視察・研修に単身派遣されています。その時の星さんはまだ30代半ば。若い技術者に次世代の国鉄を任せようという島 秀雄技師長の思いが背景にあったのだそうです。

130207n007.jpgかくして欧州での研鑽を得難い財産とし、星さんは次々と歴史に名を残す国鉄車輌を生み出します。しかも常に利用する側の立場に立っての設計を貫かれ、例えば温かい食事を提供するために初めて電子レンジを導入されたのも星さんでした。東芝に開発を託し、急行電車のビュフェでわが国初の電子レンジを実用化した際、その未知の機械を「電子レンジ」と名付けられたのも星さんだったとうかがいます。
▲石澤應彦元国鉄常務理事・新幹線総局長による弔辞。参列された方は実に270名以上に及んだ。'13.2.6 東京ステーションホテル
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▲挨拶に立たれる長男の星 正人さん。多くのお仲間、後輩に見送られて星さんは旅立たれた。'13.2.6 東京ステーションホテル
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お亡くなりになる前、やるべきことはすべてやり終えた。悔いはない...と仰っておられたという星さん。それでも私たちにとってはまだまだおうかがいしたいこと、お導きいただきたいことは山ほどありました。あらためてご冥福をお祈りいたします。

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▲協三工業工場内で行われた完成記念式典。1991(平成3)年以来、実に22年ぶりの新製蒸気機関車の誕生である。'13.1.27 協三工業 P:幾代 裕
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2013年の今、まさかの新製蒸気機関車が誕生しました。福島の協三工業で製造されたのは栃木県でさまざまな鉄道車輌の動態保存を手掛ける那珂川清流鉄道保存会が発注した6t機。1941(昭和16)年以来、産業用小型蒸気機関車の製造を脈々と続けてきた協三工業ですが、さすがに近年は新製機の受注はなく、1991(平成3)年に千葉県内のテーマパーク向けに10t機を納入して以来、実に22年ぶりの製造となりました。

130205n002.jpg協三工業製蒸気機関車と言えば、糸魚川にあった東洋活性白土の2フィートゲージの専用線で活躍した6t機を思い起こします。1956(昭和31)年製の製造銘板を持つ同機(実際の落成は1953年10月/製番6086)は長らく「最後の国内向け新製蒸気機関車」とされてきました。しかし、1974(昭和49)年、20年近い空白を経て国内向け新製蒸機が誕生。愛知こどもの国が導入した8t機で、実にこの製造も協三工業でした(協三工業の蒸気機関車製造史については、本誌1988年1月号所収 野地克也「協三工業の蒸気機関車技術」参照)。
▲キャブ裾部に取り付けられた「協三工業 平成25年」の製造銘板。製番「6101」は協三伝統の付番方式で、「6」は自重、下三桁の「101」は戦後の蒸気機関車のシリアルナンバーを示す。'13.1.27 協三工業 P:幾代 裕
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▲関係者が見守る中、生まれたばかりの国産蒸気機関車が発進。工場建屋内にブラスト音が響き渡る。'13.1.27 協三工業 P:幾代 裕
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130205n004.jpg1946(昭和21)年以降の協三工業の蒸気機関車はその自重・タイプに関わらず下三桁をシリアルナンバーとした製造番号を付けており、先述の東洋活性白土の6t機が「6086」であることから86輌目であることが知れます。その後、愛知こどもの国を皮切りに、遊園地鉄道やテーマパーク向けの新造が続きましたが、先述のように1991(平成3)年に記念すべき100輌目(ただし戦後。戦前は計27輌の製造実績があるとされる)をロールアウトして以来、蒸気機関車製造の歴史がフリーズしてしまっていました。
▲弁装置はヘルムホルツ式。動輪のタイヤ厚もまさに"新車"ならでは。'13.1.27 協三工業 P:幾代 裕
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▲そのプロフィール。基本的ディメンションは、かつて「最後の新製蒸機」とされた東洋活性白土の2号機(2ftゲージ)を踏襲している。'13.1.27 協三工業 P:幾代 裕
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本機の製造に当たっては、20年以上のタイムラグを埋めるためにOBの皆さんの技術協力が大きな支えとなったそうです。協三工業では、蒸気機関車製造技術の伝承ととともに、福島県の企業として「未だ復興途中の福島県の皆さん方に、自信と勇気と希望を感じて頂き...(中略)...元気な福島を取り戻す一助になれば」(同社ニュースリリースより)と願っておられます。

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黒くなったデキ3と再会。

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▲3年半ぶりに黒一色の昔ながらの塗装に戻されたデキ3。以前はビューゲルだったので、ポール装備の黒塗装姿は数十年ぶりとなる。'13.2.2 仲ノ町
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「SLおいでよ銚子号」の試運転を見に行った道すがら、開業90周年を記念して各種のイベントを企画中の銚子電気鉄道をのぞいてきました。銚子電気鉄道は昨年12月に訪れたばかり(編集長敬白アーカイブ「銚子電気鉄道は今...」参照→こちら)ですが、あのデキ3が昔懐かしい黒一色の塗装に塗り替えられてお披露目されるとあって、あらためて仲ノ町の車庫を訪れました。

130205n201.jpgただ、この日(2日)の早朝、インターネットのニュースを開くと驚愕の記事が目に飛び込んできました。ほかならぬ銚子電気鉄道が資金繰りの悪化から自主再建が困難と発表したというのです。「SLおいでよ銚子号」の運行も、東日本大震災後の風評被害で大きな経済的ダメージを受けている銚子地区を支援する意味合いが含まれていますが、銚子電気鉄道も震災後大きく乗客数が落ち込み、発表では2011年度の乗客数は約47万9千人と対前年比23%減の大きなダメージを受けてしまっています。一方で、これから数年にわたって毎年1億円規模の車輌・設備資金が不可欠となっており、以上のような状況からついに自主再建を断念することとなってしまったものです。
▲今年は銚子電気鉄道開業90周年。「SLおいでよ銚子号」の運転にあわせて硬券を使った記念乗車券セットや記念入場券などさまざまなアニバーサリー・グッズが用意されている。
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今後は銚子市などに支援を要請し、上下分離方式の導入も視野に再建計画案をまとめてゆくとのことですが、銚子の鉄道にとって大きなお祭りでもある「SLおいでよ銚子号」の試運転初日にこのような深刻な状況が詳らかになったのは何とも残念でなりません。

それでも銚子電気鉄道は予定通り2月1日から2月11日までの期間、「銚子電鉄90周年記念&SL運行記念イベント」を開催しています。黒色塗装に戻されたデキ3の展示(2月1日~3日、2月9日~11日/仲ノ町車庫)や、ケロちゃん一日車掌の乗務、犬吠駅広場での各種イベント、そして記念乗車券・入場券・グッズの販売などが賑やかに行われています。

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▲小さな尾灯を光らせたデキの後ろ姿も様になる。ポールを装備した黒塗りのデキ、そしてヤマサ醤油の工場をバックにした構内の風景は、半世紀以上前にタイムスリップさせてくれる。'13.2.2
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仲ノ町車庫で出迎えてくれた鉄道部の皆さんも、90年走り続けてきた6.4㎞の小さな電車線を何とか護りたいとその熱い思いを語っておられました。今週末、「SLおいでよ銚子号」を見に銚子を訪れた際は、どうかぜひ銚子電気鉄道にも足を運ばれるよう、皆さんにもあらためてお願いしたいと思います。

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▲試運転初日、C61形としては初となる成田線を行く。'13.2.2 水郷−小見川
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JR東日本千葉支社が現在開催中の「おいでよ房総 春!いろどりキャンペーン」の一環として、今週末の2月9日(土)・10日(日)・11日(月・祝)に運転される「SLおいでよ銚子号」の試運転が行われ、見学に行ってまいりました。

130204n008.jpg牽引機はC61 20号機。旧型客車6輌を牽いて銚子〜佐原間を一日1往復しますが、転車台の関係からDE10形とのプシュプル運転となり、午前中の銚子→佐原間の上り列車はDE10が先頭の「DLおいでよ佐原号」、午後の佐原→銚子間の下り列車がC61先頭の「SLおいでよ銚子号」となります。試運転に先立ち、高崎車両センター所属のC61はいったん木更津駅に回送されて方転、1月30日早朝に銚子に到着し、2月1日に千葉支社長臨席のもと安全祈願の火入れ式が行われ、いよいよ2月2日の試運転初日を迎えました。
▲C61が先頭となるのは下り列車だけとあって、撮影ポイントには多くのファンが集まった。'13.2.2 水郷−小見川

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▲DE10 1202〔宇〕を先頭にした「DLおいでよ佐原号」の試運転列車。C61は銚子→佐原間は最後部にぶら下がるかたちとなる。'13.2.2 小見川−水郷
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すでに地元新聞紙上などで試運転日程が公表されていることもあってか、通過時刻が近くなると沿線の皆さんも続々と見学に集まってこられました。それもそのはず、成田線(成田以東)に蒸気機関車が走るのは1972(昭和47)年9月30日・10月1日に鉄道100年記念特別列車『なつかしのSL列車』号がC57 1号機で運転されて以来40年と4か月ぶり(成田~千葉~木更津間は1987年8月にC56 160号機を運転)となります。

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▲逆転機をリバースに入れてバック運転で牽かれるC61を流し撮り。この付近は4㎞近く直線が続き、勾配も0.5‰とほぼ平坦。'13.2.2 小見川−水郷
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130204n003.jpgところで、JR東日本千葉支社では「SLおいでよ銚子号」「DLおいでよ佐原号」の本運転時に「手を振ろうプロジェクト」を展開するそうです。沿線の皆さんに思いっきり手を振っていただき、またメッセージの横断幕などで自由にアピールしていただいた様子を映像化し、千葉支社のホームページで公開する予定とのこと。このためホームページでは各駅の通過予定時刻も公開されています。もともと東日本大震災の影響で低迷が続く千葉県内の観光を支援しようと企画された今回の運転、9~11日の3日間、果たしてどんな熱い思いが映像に記録されるのか、今からそちらも楽しみです。
▲上の写真を拡大してみると、区名札差しには黄色い「銚」の文字が。'13.2.2 小見川−水郷

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▲次第に暗くなってゆく中で行われたライトアップ撮影会。記録的な大雪がこれまでにない魅力的な光景を演出してくれた。'12.12.15 P:柳原 真
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2日目はあいにくの雪模様でしたが、本州から来られた方からは雪がちらついていて北海道らしいとの感想も。一番のメイン撮影会場となる資料館裏は、両日ともに大賑わいとなりました。この資料館裏の撮影ポイント、除雪でできた雪山も活用して全体で3段の大きなひな壇状態とし、約50名近くの撮影者を収容できる広さを確保しました。

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▲郷土資料館の"三段雛壇"を雨宮21号の助士席から見る。いこいの森開園以来最大となる撮影者の多さに機関士もびっくり。'12.12.15 P:小山信芳(小山さんは雨宮21号の機関士。この写真は助士席添乗中の撮影)
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130131n010.jpg2日目の運行は午前中まで。お昼をはさみ、13時からは雨宮号を格納するために行う蒸気噴出しの見学会を実施。こちらも事前告知のためか、90名もの方にご参加いただけました。毎年閉園式に行われる蒸気噴出しですが、冬に行われた今回、その様子はまさに間欠泉。大迫力の10分間となりました。
▲郷土資料館の様子。雪に埋もれながらも皆さん真剣勝負。'12.12.16 P:磯貝勝幸
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▲2日目はいかにも北海道らしい雪景色となった。郷土資料館裏を力走する雨宮21号。'12.12.16 P:磯貝勝幸
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130131n001.jpg2日間とも事故なく、大半のご来園者のみなさまにマナーを守った撮影をしていただけました。これも雨宮号を愛するすべての方々の想いが集まった結果と感じています。
来園者数は、1日目が330人、2日目が170人の延べ500人ほど。そのうち雨宮号に乗車いただけた人数は2日間延べ230人でした。アンケート結果では、約60%の方が道外からのご来園。遠くは九州からお越しいただいた方もおり、雨宮号への関心の高さを感じられた2日間となりました。また、このイベントを知ったきっかけに「インターネットを見て」という回答が50%を占め、このブログ「編集長敬白」で告知いただいたことに感謝しております。
▲めったに見られない蒸気噴出しには90名もが参加。'12.12.16 P:真鍋 英
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▲多くの来場者が足を止めた販売ブース(左)と大人気だった雨宮焼(右)。'12.12.16 P:岩崎正敏/磯貝勝幸
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130131n008.jpg販売ブースも連日大盛況となり、雨宮焼は1日目の午後には売り切れになってしまう人気ぶりでした。また、今回のイベントに合わせて、東京の珊瑚模型様とタイアップしてエッチング栞を製作。雨宮関連のおみやげが意外と少ないいこいの森。こちらも、大変喜んでいただけたようです。このおみやげ品は、今年のレギュラーシーズンからいこいの森きっぷ売り場で販売開始いたします。ぜひお越しの際はお手にとってみてください。
▲珊瑚模型とのタイアップで製作されたエッチングの栞。'12.12.16
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▲雪中特別運行の運営に関係した皆さんと記念撮影...。
'12.12.16 P:磯貝勝幸

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今回のイベントでは、遠軽町をはじめ町内の各団体、町民ボランティア等、雨宮を愛するすべての方のご協力なくしては、成功することはできなかったと感じています。特に今回は、いこいの森のイベントとしては初となる、雨宮ファンによるボランティアも結成。本来ならばご自身が撮影したいところを、雨宮のために...ということで2日間、来園撮影者の警備と撮影ポイントの整理に徹していただけました。このボランティアの中には遠く東京から参加者もおり、多くの方々に愛されている雨宮を実感することになりました。また、両日ともに協力いただいたJR北海道様には、通過となる特急オホーツク号の臨時停車も実施していただき、札幌方面からの日帰り参加も可能にしていただけました。この場をお借りして、みなさまに厚くお礼を申し上げます。

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▲幻想的なシーンを見せてライトアップ会場から引き上げる雨宮21号。またこのような光景が見られる日を楽しみにして...。'12.12.15 P:柳原 真
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次の雪中運行は...まだ未定ですが、1月28日に行われた関係者による反省会の席上で、「何かの記念となる年にまたやろう」ということになりました。具体的な計画はこれからになりますが、この感動体験がまた再び実現することを願って...楽しみにしていただければ幸いです。今年のレギュラーシーズンまで少しの冬眠ですが、また4月末から元気な汽笛と楽しいイベントを現在企画中です。ぜひ今年も丸瀬布森林公園いこいの森へお越しください。ご覧の皆さまにお会いできる日を楽しみにしています。

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