▲さながら温室のような展示ブースに入り、まさにミュージアム・コンディションで保存されているヤマサ醤油のドイッツ。1964(昭和39)年に廃車されたという。'12.12.15
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先日の銚子電気鉄道訪問の際、ひさしぶりにヤマサ醤油構内に保存されている「オットー」ことドイッツ(ドイツ)発動機製内燃機関車を拝見してきました。この機関車に関しては、工場内の専用線がまだ盛業中の時代からその去就に注目し続け、最終的にはJR東海の浜松工場で外装を修復する際の仲人役を務めさせていただいた縁もあって、いつもながら再会が楽しみでなりません。
▲恐ろしくシンプルなキャブ内には鐘がぶら下がっている(左)。右はそのバックビューで、車体幅がトラックゲージより狭いのがわかる。'12.12.15
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本機は長年にわたってその出自が確定できず、恐ろしく"がに股"のスタイルからして、3'6"ゲージ未満からの改軌ではないかとする説もありましたが、メーカーであるドイッツ発動機のサプライリストから、もともと3'6"ゲージで製造されたことが判明しています。ちなみに出荷は1926(大正15)年4月24日(製造番号6974・機関番号133931)、形式MLH132F、出力18PS、速度8㎞/hと記録されていますが、納入先は日本向けとしてハンブルクの代理店名となっていて、残念ながら納入台帳からエンドユーザー名を辿ることはできません。
▲側面のフライホイール・カバーに取り付けられているドイッツとオーベルウーゼルの製造銘版(左)と、キャブ側面のヤマサ醤油の社章(右)。'12.12.15
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▲サイドロッドは心配になってしまうほど華奢なもの(左)。右は逆転・変速ハンドル上部に付けられた指標板。'12.12.15
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福岡駒吉発案の石油発動車(RMライブラリー/湯口 徹『石油発動機関車』参照)を別とすれば、現在判明している限りでは、わが国に最初に導入された内燃機関車は夕張炭礦のやはりドイッツ機(1913年11月13日出荷)で、営業鉄軌道で大正年間に内燃機関車を導入したのは10社ほどに留まります。そしてその中には銚子鉄道(銚子電気鉄道)の名もあります。もちろんヤマサのドイッツ(1956年頃入線)とは前後関係が異なり、直接は無縁なものの、極めて黎明期の内燃機関車が銚子の地で働いた偶然は何とも興味深いものがあります。なお、銚子鉄道の内燃機関車については白土貞夫さんのRMライブラリー『銚子電気鉄道』(下巻)に初出の写真を交えて詳述されています。
▲何とも形容しがたいその面相。牽引力は貨車10輌(約250t)ほどだったという。'12.12.15
本機はヤマサ醤油の工場見学コースに組み込まれており、江戸時代から続くヤマサ醤油の歴史を体感しつつ本機も見学することができます。この工場見学は同社のホームページから事前に申し込むことが可能です。