鉄道ホビダス

2012年12月アーカイブ

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皆さん、それでは良いお年を...
この一年、小ブログにお付き合いいただき、ほんとうにありがとうございました。年末年始はしばし休載とさせていただきます。新年は7日(月曜日)より再開する予定にしておりますので、どうか来年もかわらぬご愛読のほどをお願い申し上げます。
皆さん、それではご家族ともどもよいお年をお迎えください。

編集局長:名取紀之 敬白

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▲武蔵野南線開業前の山手貨物線の賑わい。EF10一次型が牽引する貨物列車をEF12の牽く貨物列車が追い抜いてゆく。'74.12.25 P:成田冬紀 (『国鉄時代』vol.32より)
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「東京 昭和の日々」と題して、東京とその周辺にスポットを当てた『国鉄時代』vol.32が好評発売中です。例によって山下編集長より今号の見どころを紹介してもらうことにいたしましょう。

121227n009.jpgまず目を引くのが「国鉄時代」世代の方ならぐっとくるはずの表紙です。上野駅13線の季節列車「おが2号」の到着風景です。隣の14番線には485系「やまびこ」が入線しています。リュックサックを背負っている少年と、その弟でしょうか、赤ちゃんを抱いたおかあさん。少年は「おが2号」の牽引機EF57 3を見つめています。昭和40年代、上野駅地平ホームのごくありふれた風景。微笑ましい中にもこの頃の賑わいが伝わってくる名作です。

特集記事のトップは成田冬紀さんの「国鉄電機の輝いていた頃」。タイトル写真は渋谷に停車するEF10一次型牽引の貨物列車をEF12牽引の貨物列車が追い越すシーン。旧型電機華やかなりし時代の風景です。貨物輸送の大動脈の一部として機能していた山手貨物線。山手線の103系電車を待つ時のBGMは重厚な電気機関車のモーター音とそれに続く二軸貨車のジョイント音でした。記事はまさに新旧の電機が交錯していた時代、昭和40年代をテーマに首都圏の電気機関車を網羅します。

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▲物井-佐倉間の旧線を颯爽と駆け抜けるC57 77牽引の銚子行き423列車。'68.2.11 P:中島正樹 (『国鉄時代』vol.32より)
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蒸気機関車関連では中島正樹さんと青木一郎さんの「千葉の煙」。佐倉機関区のC57、C58、8620が関東平野東部の主として活躍していた時代の話です。上総・下総の丘陵地帯にたなびく煙を追った若き日の思い出と、身近な蒸機と親しめた幸福感が温もりをもって伝わってきます。同じく堀越庸夫さんの「あのころの川越線」も首都に隣接しているとは思えない、かぎりなくのどかな武蔵野の風景の中をキューロクじいさんがのんびりと走ります。

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▲上野駅は世代を超えてそれぞれの印象に刻まれている。大型蒸機が日常風景の中にいた時代が鮮明に甦る。 (『国鉄時代』vol.32より)
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宮田弘行さんの「ああ、われらが青春の上野駅」はさらにその一世代前、昭和30年代前半、地平ホームも高架ホームも蒸機が主役だった頃、五十代以下には夢の世界です。上野に顔を見せていた機関車は8620、9600、C51、C57、C58、C59、C60、C61、C62...。宇都宮電化前の急行旅客機がまさに百花繚乱としていた時代、上野を「学び舎」として育った世代の話は宝のような記録です。

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▲1979年頃のクモニ、クモル、クルを追った記録は、地味ながらも生き延びた首都圏最後の旧型国電の魅力を改めて教えてくれる。 (『国鉄時代』vol.32より)
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そんな脚光を浴びていた車輌とは対照的に都会の片隅で縁の下の力持ち然として活躍していた荷物電車・配給電車を地道に追った記録が石橋一郎さんの「都心を駆け巡った最後の旧型国電」。地味ながら、その魅力に気がついた者にはオーラにも似た存在感をもってアピールする電車たちの日常に迫ります。

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▲EH10とE10、ともに巨人機ゆえに不遇をかこった両機を未公開の写真と資料で振り返る。 (『国鉄時代』vol.32より)
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一般記事ではDD51「宗谷」と「天北」を魅せられた和田 浩さんの「塩狩峠」、EH10小史として貴重な写真とともに構成した犬山徹夫さんの「巨人機EH10の生涯」、ベールに包まれている北陸本線のE10の活躍を記録したベテラン佐竹保雄さんの「E10と倶利伽羅峠」、伯備線D51三重連と格闘した水谷年男さんの「布原奮戦記」などなど、時代を越えた力作が誌面を飾ります。

121227n007.jpg特別付録DVDは「C58 厳寒の石北本線」「1970年代 関東の電車」「信濃路の煙」の三本立てです。
早いもので季刊『国鉄時代』も来年は9年目となります。これからもよき時代を残す語り部として、古くて新鮮な誌面づくりに努めてまいります。2013年もどうかよろしくお願いいたします。来る巳年が皆様にとってよき年となりますようお祈りいたします。

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▲さながら温室のような展示ブースに入り、まさにミュージアム・コンディションで保存されているヤマサ醤油のドイッツ。1964(昭和39)年に廃車されたという。'12.12.15
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先日の銚子電気鉄道訪問の際、ひさしぶりにヤマサ醤油構内に保存されている「オットー」ことドイッツ(ドイツ)発動機製内燃機関車を拝見してきました。この機関車に関しては、工場内の専用線がまだ盛業中の時代からその去就に注目し続け、最終的にはJR東海の浜松工場で外装を修復する際の仲人役を務めさせていただいた縁もあって、いつもながら再会が楽しみでなりません。

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▲恐ろしくシンプルなキャブ内には鐘がぶら下がっている(左)。右はそのバックビューで、車体幅がトラックゲージより狭いのがわかる。'12.12.15
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本機は長年にわたってその出自が確定できず、恐ろしく"がに股"のスタイルからして、3'6"ゲージ未満からの改軌ではないかとする説もありましたが、メーカーであるドイッツ発動機のサプライリストから、もともと3'6"ゲージで製造されたことが判明しています。ちなみに出荷は1926(大正15)年4月24日(製造番号6974・機関番号133931)、形式MLH132F、出力18PS、速度8㎞/hと記録されていますが、納入先は日本向けとしてハンブルクの代理店名となっていて、残念ながら納入台帳からエンドユーザー名を辿ることはできません。

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▲側面のフライホイール・カバーに取り付けられているドイッツとオーベルウーゼルの製造銘版(左)と、キャブ側面のヤマサ醤油の社章(右)。'12.12.15
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▲サイドロッドは心配になってしまうほど華奢なもの(左)。右は逆転・変速ハンドル上部に付けられた指標板。'12.12.15
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福岡駒吉発案の石油発動車(RMライブラリー/湯口 徹『石油発動機関車』参照)を別とすれば、現在判明している限りでは、わが国に最初に導入された内燃機関車は夕張炭礦のやはりドイッツ機(1913年11月13日出荷)で、営業鉄軌道で大正年間に内燃機関車を導入したのは10社ほどに留まります。そしてその中には銚子鉄道(銚子電気鉄道)の名もあります。もちろんヤマサのドイッツ(1956年頃入線)とは前後関係が異なり、直接は無縁なものの、極めて黎明期の内燃機関車が銚子の地で働いた偶然は何とも興味深いものがあります。なお、銚子鉄道の内燃機関車については白土貞夫さんのRMライブラリー『銚子電気鉄道』(下巻)に初出の写真を交えて詳述されています。

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▲何とも形容しがたいその面相。牽引力は貨車10輌(約250t)ほどだったという。'12.12.15

本機はヤマサ醤油の工場見学コースに組み込まれており、江戸時代から続くヤマサ醤油の歴史を体感しつつ本機も見学することができます。この工場見学は同社のホームページから事前に申し込むことが可能です。

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▲福島駅前の賑わい。この頃はまだ駅前の建物も2階建てがほとんどだった。'64.8 P:今井啓輔 (RMライブラリー『福島交通軌道線』上巻より)
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今年は記念すべき150巻(『日本の食堂車』)で幕を開けたRMライブラリー、その掉尾を飾るのは長年にわたって構想を練ってこられた髙井薫平さんによる『福島交通軌道線』です。福島交通と言えば、現在は福島駅と飯坂温泉を結ぶ飯坂線が唯一の鉄道線ですが、この飯坂線はその昔は、飯坂西線と呼ばれており、これに対し飯坂東線という、福島交通のルーツともいうべき、実に個性豊かな路面電車が存在しました。

rml161_H1n.jpg飯坂東線はもともとは信達軌道という軌間762mmの軽便軌道であり、明治41年の福島~湯野村(飯坂温泉)間の開業以来、大正中頃までに福島市から伊達郡一帯に約50kmにも及ぶ軌道線を伸ばしましたが、蒸気機関車の煙突から出た火の粉が原因と思われる火災を契機に一部を電化・改軌、路線も約30kmに整理し、社名を福島電気鉄道と改められました。この電化・改軌の際、道路の狭さなどから、車輌の幅を軽便並のままとしたことから、独特の馬面スタイルの電車が誕生、これが1971(昭和46)年の廃止時まで続くことになるのです。

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▲福島交通のルーツは雨宮敬次郎による信達軌道まで遡る。蒸気機関車はRMライブラリー第160巻で詳しく解説された「へっつい」の一族。 (RMライブラリー『福島交通軌道線』上巻より)
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▲左上は電動貨車ニモ1。ドローバーを介して連結した有蓋車を引き連れて市内を行く姿はこの軌道線の名物でもあった。 (RMライブラリー『福島交通軌道線』上巻より)
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この飯坂東線の特徴の一つは、路面電車でありながら、福島市街と伊達郡の長岡、湯野、保原、梁川、掛田といった主要な街々を結ぶ郊外電車的な性格が強かったことです。その路線の多くは併用軌道であり、福島の市街地を抜けると多くの区間は未舗装の旧街道の道端に軌道が敷かれていました。少し前の名鉄美濃町線上芥見付近をさらに長閑にしたような情景が続いているといった表現が近いかもしれません。

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▲郊外に出ると未舗装の旧街道の端を、砂埃を上げながら走る。 (RMライブラリー『福島交通軌道線』上巻より)
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本書はこの福島交通飯坂東線について上下巻に分けて紹介するもので、上巻では軽便鉄道時代の歴史を貴重な絵葉書を交えて解説。路線・施設の紹介に続いて、福島市内の沿線を多数の写真と福島交通提供の資料とともに紹介します。
なお、現在制作中の下巻では引き続き運転、車輌、そして伊達郡に入ってからの沿線を収録の予定です。お楽しみに!

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▲臨時車両設計事務所で旅客車担当次長として活躍されていたころの星 晃さん。この机と書棚から数多くの名車が誕生していった。1963(昭和38)年頃。 (本誌最新号「国鉄車輌誕生秘話<星さんのアルバムから>」より)

国鉄副技師長をお務めになり、0系新幹線をはじめとする国鉄黄金期の数多くの車輌設計の中枢を担ってこられた星 晃さんが、去る12月8日(土)16時05分、心不全のため横浜市のご自宅でお亡くなりになられました。折しも本日発売の本誌2月号(№353)で2年間にわたった連載「国鉄車輌誕生秘話<星さんのアルバムから>」が最終回を迎えたところで、訃報を耳にした時は言葉を失いました。

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121221n202n.jpg星さんは1918(大正7)年12月13日に富山県にお生まれになられ、東京帝国大学(現東京大学)第一工学部機械工学科を卒業後、1942(昭和17)年9月に鉄道省に入省、以後一貫して車輌設計の道を歩んでこられました。1959(昭和34)年には臨時車両設計事務所次長に就かれ、国鉄在職中には、湘南電車、スハ43形、ナハネ10形、こだま型、東海型、20系客車、キハ82形、581系、301系、そして新幹線0系と、私たちの胸をときめかせてくれた数々の名車輌を生み出してこられました。あの"ヨン・サン・トオ"改正を前にした1967(昭和42)年にはついに副技師長に就任され、まさに国鉄車輌の黄金時代を築かれたのです。
▲鉄道博物館で開催された特別企画展「電車特急50年」をご覧になられた際のポートレート。こだま型特急電車も20系客車も星さんが手掛けられた"作品"にほかならない。なお、この企画展示は星さんの全面的な協力のもとに開催されたもの。'08.12.19

国鉄退職後は、川崎重工業株式会社常務取締役などを歴任、1971(昭和46)年には紫綬褒章、1989(平成元)年には勲三等瑞宝章を受章されています。また、鉄道友の会副会長もお務めになり、鉄道趣味の世界にも深い理解を示されました。

121221n301.jpgかく言う私も何かとご親切にしていただき、RMライブラリーの100巻記念の際は、是非にとお願いして400カットにもおよぶ貴重なカラーポジをお貸しいただき、『国鉄車輌誕生 ―車輌開発の黄金時代―』(上下巻→こちら)を発行させていただきました。仲介の労をとっていただいた岡田誠一さんとともに、本の完成をたいへん喜んでいただいたのを昨日のことのように思い出します。

121221n201n.jpgちなみに、かつて弊社本社が世田谷区弦巻にあった時代、その頃の星さんのお宅は歩いて5分ほどにあり、不躾にもお邪魔してお話しをうかがったことも一再ではありませんでした。広田尚敬さんとご一緒した際の記録は「星さんの写真とカメラ」として『鉄道写真2003』に収録させていただきましたが、「趣味人ではなく、趣味を理解する鉄道の本職」であったと自らおっしゃる星さんにして、やはり趣味人としての一面が感じられた実に楽しいインタビューでした。
▲星さんを囲んで...。右は「最盛期の国鉄車輌」で健筆をふるわれている浅原信彦さん、左は私。'08.12.19

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▲世田谷にあった旧宅で1953(昭和28)年に約1年間ヨーロッパの鉄道の視察をされた際のポジフィルムをご覧になる星さん。P:広田尚敬

冒頭でも触れた本誌の連載「国鉄車輌誕生秘話<星さんのアルバムから>」は、11月発売の第20回までは校正をお見せすることができましたが、最終回は校正をお目にかけることも、もちろん完成した本をお目にかけることも敵いませんでした。すでにご葬儀は近親の皆さんによって密葬として執り行われ、後日「お別れの会」が行われるそうです。
まだまだお聞きしたいこと、お叱りいただきたいことは山ほどあったと思うと、何とも残念でありません。
享年93歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。

梅小路に新たな鉄道博物館。

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▲新しい鉄道博物館の全景外観イメージ。中央の梅小路蒸気機関車館の扇形庫を囲むように、ペデストリアンデッキ、右上に本館、右側にプロムナード棟、右下にエントランスがレイアウトされる。提供:JR西日本
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JR西日本は昨日、2016(平成28)年春に京都・梅小路エリアで梅小路蒸気機関車館と一体となった新たな鉄道博物館を開業することを発表しました。場所は現在の梅小路蒸気機関車館と隣接する梅小路公園の一部で、梅小路公園には今年3月にオープンした京都水族館もあり、集客の相乗効果も期待されています。

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▲新しい鉄道博物館のエントランス外観イメージ。提供:JR西日本
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この新しい鉄道博物館は地上3階建、延床面積約18,800平方メートル。蒸気機関車から新幹線まで、時代を彩ってきた貴重な車輌50輌程度(蒸気機関車23輌、新幹線6輌、電気機関車4輌、ディーゼル機関車4輌など)が展示され、日本最大級の収蔵車輌数となります。電気機関車やディーゼル機関車を嵩上げした展示線にディスプレーし、ウォークスルーで床下を見学できるコーナーも設けられます。もちろん動態保存蒸機を間近で観察できる展示や、「SLスチーム号」への体験乗車も特徴のひとつでしょう。

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▲プロムナード棟の展示車輌配置イメージ。提供:JR西日本
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さらに梅小路運転区構内留置線を博物館に引き込んで、営業車輌などが展示されるのも大きな特徴です。海外の鉄道博物館では同様の手法が見られるものの、わが国の博物館では初の試みと言っても良く、引き込み線から入った館内には車輌工場をイメージした屋根上点検通路が設けられて、まさに検修現場さながらに現役車輌を観察することができるようになるとのことです。このほかにも、「みる、触る、体験する」を重視した展示構成とし、新幹線タイプ、在来線タイプの運転シミュレーターを設置、ジオラマで鉄道模型運転を実施する計画です。

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▲本館エントランスの展示車輌イメージ。提供:JR西日本
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コンセプトを「地域と歩む鉄道文化拠点」としたこの新たな鉄道博物館の総事業費は約70億円で、運営は公益財団法人交通文化振興財団に委託されます。現在、梅小路蒸気機関車館と弁天町の交通科学博物館の合計年間来館者は約60万人。この鉄道博物館開業後は年間約80万人の来館を見込んでいるとのことです。なお、博物館の正式名称、展示施設、展示車輌、収蔵品などの詳細に関しては、今後関係先などと協議・検討を進め、詳細が決定し次第、別途発表されるそうです。

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▲英国国立鉄道博物館館長記念講演会より。「マラード」号75周年の来年夏には、米国やカナダなど世界各地に現存するA4クラス全6輌が大集合するという。'12.12.18
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本日(12月19日)、鉄道博物館は英国国立鉄道博物館と姉妹提携を結び、復原なって間もない東京駅丸の内駅舎内で姉妹提携調印式が行われました。そしてこれに先立ち、昨日(12月18日)は大宮の鉄道博物館内においてポール・カークマン(Mr.Paul Kirkman)英国国立鉄道博物館館長の記念講演会が行われました。

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▲姉妹提携を記念して鉄道博物館2階スペシャルギャラリー前では「ヨーク・国立鉄道博物館」展が開催されている(1月14日まで)。'12.12.18
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すでにご承知のこととは思いますが、ヨークに本館がある英国国立鉄道博物館は年間70万人以上(シルドンにある分館は約20万人)もの入館者を誇る文字通り世界一の鉄道博物館で、2001年には「年間最優秀欧州博物館賞」も受賞しています。同館の正式な設立は1975年、まさに日本の無煙化とほぼ時を同じくして誕生したことになります。もちろんその前身は1927年にLNER(ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道)がヨークに設立した鉄道博物館で、たいへん歴史あるものです。保有する実物車輌は実に144輌、そのほか膨大なコレクションや各種資料が収蔵されており、その管理運営は私たちにとっても大きな関心事です。

121218n004.jpgポール・カークマン館長はこの11月に新たに館長に就任されたばかり。文化・スポーツ・メディア省芸術創作産業局局長をお務めになっておられる文化芸術分野のエキスパートでもあります。講演冒頭でのサプライズは、収蔵車輌のなかでも最も有名な機関車の1輌、LNERのA4クラス「マラード」号(1938年に蒸気機関車の世界最速記録203㎞/hを達成)の75周年を記念して、来年7月に世界各地に散って保存されている同クラス全6輌が一堂に会するイベントが計画されているとの発表でした。米国の「ドワイト・D・アイゼンハワー」、カナダの「ドミニオン・オブ・カナダ」も遙か海を渡って里帰りを果たすのだそうですから、英国ファンの熱狂ぶりが今から目に見えるようです。

▲記念講演に臨まれる英国国立鉄道博物館のポール・カークマン館長。'12.12.18
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▲144輌にのぼる所有車輌のうち79輌は保存鉄道をはじめ他の機関に貸し付けているという。法的整備が進めば、今後わが国でも検討に値するスキームだろう。'12.12.18
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しかし、順風満帆に見える英国国立鉄道博物館ですが、やはり数多くの問題を抱えていることも今回の講演で明らかになりました。まずは膨大なコレクションと資料の整理・保存です。あまりに多い収蔵品に整理が追い付かず、不必要な重複を生じてスペース的にも有効活用できない状態が続いていたそうです。そのため学芸員チームにこれらを合理的に整理するための大掛かりな演習を課し、コレクションの一元管理を図るとともに大部分を科学博物館グループのメイン倉庫に移管し、さらにナショナルコレクションのなかで他の博物館や鉄道遺産施設が所有していない資料を貸し出すフローを確立したとのことでした。

121218n007.jpgまた、折しも先週、グレートセントラル鉄道とレスター市議会との提携を発表、レスターにあるグレートセントラル鉄道のターミナルに新たな博物館を作る計画を立ち上げたそうです。ただ、欧州経済危機は英国国立鉄道博物館にも大きな影響を及ぼしており、次期再開発計画「NRM+」は資金面でとん挫したままとなってしまっています。そんな状況にも関わらず、ポール・カークマン館長は実に前向きで、「これまでもそうであったように、ステップ・バイ・ステップのアプローチで、語りたい物語を少しずつ段階的に進めてゆけば、英国国立鉄道博物館は一気ではないにせよ、何年もかけて新しい、生き生きしたものになるはずです」と結んでおられました。

▲実に2000万ポンドを投じて「グレート・ホール」を再開発するという「NRM+」計画。残念ながら現状では資金難でとん挫しているという。'12.12.18
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▲スペシャルギャラリーで開催中の特別展「鉄道開業ものがたり」を視察されるカークマン館長。ほかならぬトレビシックとスティーブンソンの解説パネルの前で記念撮影。'12.12.18
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来訪者の満足度が極めて高く、なおかつ95%が友人や家族にぜひ一度訪れることを勧めてくれるという英国国立鉄道博物館、約275名のボランティア―が実に3万時間に及ぶ労力を提供しているという英国国立鉄道博物館...短い時間ではありましたが、その秘密の片鱗を知ることができた貴重な講演でした。

取材協力:鉄道博物館

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銚子電気鉄道は今...。(下)

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▲デキ3快走! 齢90歳を迎えても"今なお現役"。矍鑠たる走りっぷりをみせるデキ3。'12.12.15
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銚子電気鉄道と言えば、まず思い浮かぶのがデキ3の存在ではないでしょうか。1922(大正11)年ドイツ・アルゲマイネ製とされる同機ですから、今年はちょうど生誕90年。残念ながら制動装置や保安装置の関係から単独での本線走行はできませんが、車輌としての車籍はしっかりと維持しており、そのため銚子電気鉄道は今では数少ない電気機関車を保有する私鉄の1社ということになります。

121215n020.jpg先日「島秀雄記念優秀著作賞」に輝いた白土貞夫さんのRMライブラリー『銚子電気鉄道』(→こちら)にも詳述されていますが、このデキ3という機関車はなんとも謎の多い車輌で、今もってその来歴は詳らかになってはいません。さきほど「1922(大正11)年製とされる...」と表現したのもそんな理由で、車体内部の錆の中から発見されたという「NR.2538.1922」の小さなプレートから1922年説が有力となっていますが、かつては1923年説もあり、また、ちょうどこの年代のメーカー側のサプライリストが欠落していることもあって、いまだに類推の域を出ないのが実情です。
▲今春ビューゲルからポールへと変更されたデキ3。保存鉄道ならともかく、現役の営業鉄道でポール回しが見られようとは感激! '12.12.15
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▲直接制御+手ブレーキのみのキャブ内はシンプルそのもの。残念ながらコントローラーは三菱製(KR8形、製番10290)に変わってしまっている。'12.12.15
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前所有者も、ほかならぬ白土貞夫さんが走行部のペンキの下から「沖之山炭礦株式会社」の所有であったことを示す銘板を発見したことから、沖之山炭礦から銚子入りしたのが有力説となっていますが、これまた銚子側の記録には前所有者を確定する資料はなく、車輌竣功図にも「製造所 日本鉄道自動車工業」と記載されているのみです。もちろん日鉄自工はブローカーとして仲介したに過ぎず、沖之山時代の活躍の様子を含め、今後の解明が待たれます。

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▲集電ポールが何ともチャーミングなデキ3のプロフィール。補助電源を持たないため前照灯はキャブ内に積んだ自動車用バッテリーで点灯する。'12.12.15
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▲「CDK」「デキ3」といった車体側面の切り抜き文字による標記は後年入れられたもの。'12.12.15
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▲動輪直径はφ860㎜(WB1200㎜)ながら車体が小さいだけにやたらと大きく見える(左)。キャブ側扉下には1922年製番2538の小さなプレートが付く。'12.12.15
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▲主電動機の釣掛け状態を見る(左)。この主電動機は英国ブラッシュ製に換装されている。軸受けはもちろん平軸受(右)。'12.12.15
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今回は銚子電気鉄道さんのご厚意で各部をじっくりと拝見することができました。残念ながら制御器は国産の三菱製に換装されていますが、これは前出書によれば1960年頃のことだそうで、それ以前はAEG製のオリジナルが付いていたはずです。ちなみにAEG製のダイレクトコントローラーは現在でも阪堺電気軌道の我孫子道車庫の入換車TR1(編集長敬白アーカイブ「TR1とTR2 阪堺の"秘蔵っ子"拝見」参照→こちら)で今もって実用されています。

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▲2501+2001に牽引されて構内を移動するデキ3。何とも微笑ましい光景。'12.12.15
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今年4月にこのデキ3がビューゲルからポールへと変わったのは大きな驚きでした。今回あらためて拝見するに、集電ポールを高く掲げた姿は実に"様になって"いて、たとえ本線を走行することが敵わなくとも、仲ノ町の車庫でいつまでも元気な姿を見せてほしいものです。

※補足情報
小ブログをご覧になったベルリン在住の木村右史さんから、AEGのサプライリストは存在し、以下の記載があるとのメールを頂戴しました。たいへん重要な情報ですので追加させていただきます。
製造年 Baujahr 1922
電圧 Spannung 550 V
納入期日 Lieferdatum 04.09.1922(1922年9月4日)
納入先 geliefert an: H.C. Okura & Co., Osaka, Okinoyama

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銚子電気鉄道は今...。(上)

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▲仲ノ町で顔を合わせる丸ノ内線カラーの1002と、まさに前日にエンジ色の帯を塗装したばかりという2502+2002編成。'12.12.15 仲ノ町
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先週末は趣味の大先輩方に誘われて銚子電気鉄道を訪れました。前回の訪問からほぼ一年、小ブログでも毎年のように訪問記をご紹介しておりますが(編集長敬白アーカイブ「銚子電気鉄道再訪」→こちら、「変貌する銚子電気鉄道を訪ねる」→こちら)、車輌の陣容や塗色など、訪れるたびに変化があるのも驚きです。

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▲エンジ色の帯が入って京王線時代を彷彿させる姿となった2502+2002。ちなみに帯はマスキングののち手塗りされたもの。'12.12.15 仲ノ町
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今回の最大のサプライズは2502+2002編成が京王線時代を彷彿させるアイボリーにエンジ色の帯となったことでしょう。同編成は入線以来ながらくイオンモール銚子のラッピング電車となっていましたが、広告契約の終了を迎えてシンプルな京王線カラーに塗り替えられたのです。"塗り替え"と表現しましたが、エンジ色の帯はラッピングやテープではなくマスキングを施したうえで手塗りされたそうで、2002号にいたっては前日(14日)に塗り終わったばかりとのことでした。

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▲外川駅には赤い郵便ポストが据えつけられてますますレトロな雰囲気となった。ちなみにこの郵便ポスト(郵便差出箱第1号丸型)はもちろん実用で、実際に郵便物を投函することができる。'12.12.15 外川
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残念ながらこの日は終日1001と1002が運用に就いていて、この2502+2002編成が本線上を走る姿を目にすることはできませんでしたが、先日の富士急(編集長敬白アーカイブ「富士急行1000系に"京王5000系カラー"」参照→こちら)に続いてのサプライズで、この年末には犬吠埼灯台をバックに走る"京王線カラー"が人気を博すに違いありません。

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▲外川駅の構内側線に留置されている801の屋根にはいつの間にか櫓のような作業台が...。'12.12.15 外川
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▲屋根上の作業台を真横から見る。取り外しが可能な構造となっているとのこと。'12.12.15 外川
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もうひとつ趣味的に興味深かったのが、2年ほど前に現役を退いた801号が保守用車として生まれ変わっていたことです。外川駅構内の側線に留め置かれた同車は、前回の訪問の際には荒廃が進んできてしまっているように見受けられましたが、何と屋根上に作業台を搭載して保守用車として再活躍をしているのです。もちろん営業運転が終了してからの夜間作業ですが、架線修理や沿線の枝木の剪定などに余生を送っているそうです。

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▲笠上黒生で交換する丸ノ内線カラーの1002と銀座線カラーの1001。右側の側線には留置されているユ101の姿がちらっと見える。今週間末にはここ笠上黒生でイベントが開催される予定。'12.12.15 笠上黒生
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なお、銚子電気鉄道では今週の土曜日(12月22日)、「2000形誕生から半世紀記念&デハ1001地下鉄銀座線カラー復刻記念~第2弾~」として笠上黒生駅構内でイベントを開催します。
日時:12月22日(土曜日)10:00~15:00
場所:笠上黒生駅構内
内容:
・デハ1001銀座線カラーとデハ1002丸ノ内分岐線カラーにヘッドマークを付けて運行(外川方のみ)
・復活! タブレットキャリアとして以前使用していたタブレットキャリアを復活(イベント時間内のみ)

※安全確保のため笠上黒生駅構内での撮影場所は指定

・デハ801車内での記念乗車券、鉄道グッズの販売
・仲ノ町車庫で2000形にヘッドマークを付けて展示(銚子方のみ)

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伊豆急クモハ103に乗る。

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▲伊豆大川で下り列車の交換待ちをするクモハ103の車内から。'12.12.2 伊豆大川
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ちょうど一年前、2011(平成23)年12月の伊豆急行開業50周年事業の一環として、往年の名車100系クモハ103が復活したのは記憶に新しいかと思いますが、先日、このクモハ103を用いた団体貸切列車が運行され、私も復活後初めて乗車する機会を得ました。

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▲伊豆急下田駅で転線するクモハ103。こちら下田方前面の前灯周りは新製時と同様にオーシャングリーンに戻されている。'12.12.2 伊豆急下田
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伊豆高原の車庫入換用として残されていたクモハ103は一時は解体の話も出ていたと聞きますが、幸いなことに車籍を抹消しておらず、2011年7月から10月中旬にかけて大がかりな改修工事が行われ、2011年10月30日夜、初の復活試運転が行われるにいたりました(編集長敬白アーカイブ「伊豆急クモハ103復活」参照→こちら)。

121214n115.jpgただ、復活までの道のりは決して平坦ではありませんでした。伊豆東海岸で半世紀を過ごしてきた車体は当然のことながら傷みも激しく、伊豆急の技術関係者の皆さんがベテランから若手まで総出で献身的な修復にあたられたそうです。その甲斐あって、今回つぶさに観察させていただいても、とても1961(昭和36)年製の車輌とは思えない凛とした姿に再生されており、動態の鉄道遺産として後世に誇りえる車輌となったと言えましょう。
▲往年の前サボも新たに誂えられて雰囲気を盛り上げる。'12.12.2

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▲モケットはすべて張り替えられているが、このモケットはレプリカではなく、当時の生地業者が1輌分だけ持っていたものを譲り受けて使用したとのこと。'12.12.2 伊豆急下田
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▲"JNR 東鉄"の文字も懐かしい中吊り広告(左)。右は同じく当時の広告が目を引く扇風機。'12.12.2 伊豆急下田
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復活に際しては1Mでの運転が前提のため、補助電源の関係から既存の冷房装置は撤去され"非冷房化"されましたが、幅1300㎜のゆったりとした窓を開閉する自由は乗客に委ねられており、窓を開け閉めする楽しさにあらためて気づかせてくれます。今回は12月だけに、残念ながら温暖な伊豆と言っても走行中に窓を開けるわけにはゆきませんでしたが、春以降は窓から車内を吹き抜ける潮風がさぞや心地よいに違いありません。

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▲上り306レは伊豆熱川で下り列車と交換。やってきたのは"すっぴん"に戻って人気を博す8000系TB-2編成。'12.12.2 伊豆熱川
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▲側面には昔ながらの横サボ(左)、車内にはこれまた懐かしい東急車輌の銘板(右)が残る。'12.12.2 伊豆急下田
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▲下田方のみに付くブレーキホースは機関車代用として貨車を牽引していた時代の名残(左)。右は真新しい検査標記。'12.12.2 伊豆急下田
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今回乗車した列車は伊豆高原~伊豆急下田間での運転でしたが、クモハ103は南伊東~伊豆急下田間での運転が可能だそうです。伊豆急ではこのクモハ103の貸切運転を募集しており、基本パッケージは伊豆高原~伊豆急下田間往復ですが、南伊東発着のプランも相談に応じてくれるそうです。
■伊豆急100系貸切運転基本プラン
・乗車代金:一人5000円(駅弁・記念品付き)

※座席定員68名、最低申し込み人員30名以上

・基本コース:伊豆高原11:12発→伊豆急下田11:52着(305レ)
       伊豆急下田14:50発→伊豆高原15:50着(306レ)
・記念特典:100系特製「ストラップ」、100系特製掛紙「駅弁」
※詳しくは同社HP(→こちら

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▲暖かな温もりを感じさせる車内で至福のひとときを...。'12.12.2 伊豆大川

なお、伊豆急100系については宮田道一さん、杉山裕治さんによるRMライブラリー『伊豆急100形 誕生からラストランへ』に詳述されていますので、ご乗車の際はぜひご一読ください。

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多度津工場のロ481。

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▲準鉄道記念物にもなっている多度津工場のロ481号。二等を示す青帯が巻かれている。'12.10.13 P:宮武浩二
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毎年一回、鉄道の日に一般公開されているJR四国の多度津工場。その工場内に明治期のいわゆる"マッチ箱"客車が保存されています。なにしろめったに見ることのできない保存車輌だけに、実見した方も決して多くないようです。今年の鉄道の日に訪れた宮武浩二さんの写真でこの"マッチ箱"客車、ロ481号をご紹介しましょう。

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▲その室内。光り輝く木部の一部にはかつての讃岐鉄道本社の解体部材も使われているという。'12.10.13 P:宮武浩二
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121213n010.jpgこのロ481号は1906(明治39)年鉄道作業局新橋工場製の2等客車で、果たしてどのような経緯で四国入りしたのかは判明していないものの、高知線(現在の土讃本線)須崎~日下間が開業した1924(大正13)年頃にはすでに使われていたとのことですから、かれこれ90年も四国の地で時を過ごしてきたことになります。この客車が幸運だったのは、多くの
"マッチ箱"客車がボギー車の台頭で廃車となるか、さもなくば小私鉄に譲渡されて余命も長らえるも、結局は高度成長期前に廃車されてしまう中で、比較的早期(1933年)に廃車され、以後図書館として利用されてきたことでした。
▲中央部に位置する便所・洗面所。便器は失われていたが、洗面器や金具類は当時のものが残されていたという。'12.10.13 P:宮武浩二
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▲一見するとオリジナルのようだが、足回りはすべて復元で、担バネは鷹取工場製、それ以外は多度津工場で自製したもの。'12.10.13 P:宮武浩二
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1933(昭和8)年、宮内大臣を務めた田中光顕伯の努力でこの客車は土讃本線佐川駅近くの図書館に移設されました。図書館自体は田中伯の雅号である青山をとって「青山文庫」を名乗っており、小振りな木造車体はその名も「列車閲覧室」に好適だったのかもしれません。ただし、残念ながらこの移設の際に足回りはすべて取り払われてしまっています。

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▲車体標記は現代的なものが書き込まれている(左)。廃車時点ではすでに自連化されていたため、リンク式連結器はレプリカ。バッファーは木工旋盤加工品。'12.10.13 P:宮武浩二
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戦後もこの「列車閲覧室」は多くの人たちに親しまれたそうですが、さすがに老朽化は否めず、青山文庫側は1968(昭和43)年1月に処分方を国鉄四国支社に打診、折しも4年後の鉄道100年に向けての計画を立案中の同支社は、この客車の復元を100年記念の一環に据えることにしました。

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▲松葉スポークの車輪は多度津工場で仮台車として使われていたものの流用(左)。台枠には「鐵作新橋」の銘板が残る(右)。'12.10.13 P:宮武浩二
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さっそく多度津工場に運び込まれたロ481号ですが、その復元作業は困難を極めたそうです(『鉄道ファン』誌1975年2月号所収「明治の客車「ロ481」復元あれこれ」)。何よりもネックとなったのがすべて失われてしまっていた足回りの復元です。図面・資料もほとんどなく、明治村まで出張調査を行うなど涙ぐましい努力の末に再現されたのだそうです。さらに木工も至難で、オリジナルで使用されている木種が入手困難であったり、別の木種ではソリが出たりで、これまた苦労が絶えなかったと言います。ちなみに一部には元讃岐鉄道本社兼多度津駅舎の階段手すりに使われていた手摺のケヤキ材を小割りにして再利用するなどの配慮もなされています。

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▲そのサイドビュー。最大長は7977㎜で、座席定員は24名と記録されている。'12.10.13 P:宮武浩二
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かくして復元が完成したのは鉄道100年(1972年)をすっかり過ぎてしまった1974(昭和49)年のことでした。1978(昭和53)年にはEF55などとともに準鉄道記念物に指定されています。

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▲金州(大連起点32.5㎞)に停車中の欧亜連絡国際急行試運転列車。先頭にたつのはG(→パシィ)形801。 (『満洲鉄道写真集』より)

ひと月ほど前のことになりますが、『国鉄時代』で「蒸気機関車四方山話」を連載いただいている髙木宏之さんから、満鉄の写真集を出版するので完成の暁にはぜひご覧くださいとのご連絡をいただきました。髙木さんの満鉄関連著書といえば、『写真に見る満洲鉄道』(2010年9月刊)に続いて翌2011年12月には『写真に見る鉄道連隊』、さらに今年7月には『満洲鉄道発達史』を上梓されており、またまた次作と聞いて耳を疑いました。

121212n011.jpg満鉄関連3冊目(鉄聯を含めると4冊目)となる新作はその名も『満洲鉄道写真集』。これまでの著作でも初見となる数多くの写真・資料がふんだんに盛り込まれており、失礼ながらさすがにこれ以上は...と邪推していたのがお恥ずかしい限り、まさに真打登場ともいうべき未公開写真の数々が収録されたのが今回の『満洲鉄道写真集』です。

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▲ボールドウィン製の蒸気動車I(→スペ)形1。驚くべき鮮明さの写真である。 ※小ブログ写真はご了承を得て出版物をスキャンしたもので実際のクォリティーとは大きく異なります。 (『満洲鉄道写真集』より)

髙木さんご本人にうかがったところでは、満鉄関係テーマ処女作『写真に見る満洲鉄道』上梓の直後、神田の古書店目録に満鉄写真帖を発見、かなりの高額ながらとりあえず抑えの電話を入れ、翌日店頭で実物を見ると、なんと六切密着の写真そのものが台紙に貼られた驚くべきものだったそうです。おそらく要人向けに数部だけ製作されたもので、髙木さんはまさしく"一期一会"と、清水の舞台より飛び降りる心地で「包んどいてくれ」と言い残し、その足で近くの銀行に走ったと聞きます。

121212n010n.jpgさらに髙木さんがすごいのが、件の包みを抱えたその足で出版社に立ち寄り、編集の担当者と責任者に実物を見せ、いかに貴重なものかを力説して出版を促した点でしょう。弊社にお出でになられなかったのが少々残念でもあり内心ほっとする部分でもありますが、とにかくこの無二の資料を何とか後世に残したいというまさに"情念"のなせる業でしょう。

←原本は六切密着の印画紙が台紙に一枚ずつ貼り込まれた横開きのもの。革表紙には金箔押しのタイトルが入っている。 (『満洲鉄道写真集』より)

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▲食堂車シ形の車内。左頁(画面上)には、米国「プルマン」會社製造ニ係ル食堂車内部ヲ撮影セルモノナリ の文字が書き込まれている。 (『満洲鉄道写真集』より)

ただ、いかんせん原本となる写真帖は1909年もしくはその翌年に制作された思われるもので、満鉄創業期に購入された広軌(標準軌)車輌とその組立状況、さらには日露戦争に際して内地より供出された狭軌(1067㎜軌間)車輌の還送状況が中心です。つまり、この写真帖だけでは特急「あじあ」を中心とする満鉄黄金期に触れることができないわけで、それを補完するために高田隆雄さんをはじめとした皆さんの写真が第2部「あじあ」興隆の時代として収録されています。この第2部には満鉄社員のご遺族の方から提供された大連駅新築時の各室写真ほか未発表の写真多数も収録されており、こちらも圧巻です。なお、書名が南満洲鉄道ではなくあえて「満洲鉄道」となっているのは、満洲国鉄、さらには鮮鉄をも含んでいるためだそうです。

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▲印象的な第2部の扉(左)とダブ形500の正面。巻末の資料編には満鉄、鮮鉄各形式の機関車主要諸元も収録されている。 (『満洲鉄道写真集』より)

本書の写真の選定・配列・レイアウト・トリミング指示・階調指示はすべて髙木さんご本人が行われたそうで、キャプション起しに際しては細部まで見逃すまいと原画一枚一枚をルーペで舐め回すように検証されたとのこと。車輌写真としてきわめて的確な階調の印刷はほれぼれするほどで、髙木さんに購入された原本の写真帖も、好事家に死蔵されずさぞ満足しているに違いありません。

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▲第3部には「日満の架け橋・鮮鉄」として朝鮮総督府鉄道の未公開写真も多数収録。京釜線を疾駆するマテイ1(左)や「あかつき」の展望一等車(右)には思わず見とれてしまう。 (『満洲鉄道写真集』より)

いずれにせよ、わが国の鉄道趣味の底力を体現した一冊で、内容に興味のあるなしに関わらず、一度ご覧になられるべき書と言えましょう。

■満洲鉄道写真集
A4判/248頁/上製本(カバー付)
定価:4,800円(+税)
潮書房光人社刊

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C58 239号機復元工事に着工。

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▲昨日JR東日本の大宮総合車両センターで行われたC58 239号機復元着工式。'12.12.10 大宮総合車両センター P:RM(新井 正)
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D51 498号機、C57 180号機、C61 20号機(復活順)に続いてJR東日本の4輌目の動態復活蒸機となるC58 239号機が、今月4日に39年にわたって静態保存されてきた岩手県営運動公園内の交通公園から搬出され、6日早朝にJR東日本の大宮総合車両センターに到着、昨日「復元着工式」が執り行われました。

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▲雨の中を関係者に見守られて岩手県営運動公園内の交通公園から運び出されるC58 239号機。'12.12.4 P:高橋弘喜 (「今日の一枚」より)
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既報(編集長敬白アーカイブ「C58 239が動態復活へ」参照→こちら)のとおり、このC58 239号機は復元整備のうえ2013年度冬以降、釜石線を中心とした東北エリアで「SL銀河鉄道」(仮称)として運転される予定で、今回の「復元着工式」には東北地方のメディアも多数駆け付けてその注目度の高さを印象付けていました。

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▲大宮総合車両センターに運び込まれたC58 239号機はボイラ部、主台枠、輪軸、テンダに分けて復元の着工を待つ。'12.12.10 大宮総合車両センター P:RM(新井 正)
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D7J_3777n001.jpg大宮総合車両センターの建屋内ではすでに主要部分ごとに分解された状態となっており、松田大宮総合車両センター所長の挨拶ののち、煙室戸のナンバープレートが取り外されていよいよ本格的な復元工事が着工されました。ちなみにこのC58 239号機は1973(昭和48) 年5月1 日より岩手県営運動公園に保存されていますが、「日本鉄道OB会」を中心とした盛岡SL等保存会のメンバーの皆さんが献身的な清掃・整備を続けてこられ、現在でもたいへん良好な状態に保たれています。
▲復元開始の象徴となる正面煙室戸のナンバープレートを外すセレモニーが行われた。'12.12.10 大宮総合車両センター P:RM(新井 正)
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▲これからボイラは大阪のサッパボイラに送られて本格的な修復工事に入る。'12.12.10 大宮総合車両センター P:RM(新井 正)
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▲キャブが外される前のボイラ部のサイドビュー。サンドドーム前部に砂排出管が増設されているが、これは関西以東の本州では郡山工場担当機にのみ見られる特徴であった。'12.12.10 大宮総合車両センター P:RM(新井 正)
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復活の暁には土休日を中心に年間80日程度運行され、また東北各地で開催されるイベントやキャンペーンにあわせて東北エリアの各線区での運行も検討されているそうですので、蒸機ファンのみならず期待が膨らみます。

取材協力:JR東日本

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▲和歌山城にほど近い岡公園に保存されている321号。四方が金網に囲われてしまっているが、毎年5月5日(こどもの日)には公開されるという。'12.11 P:宮武浩二
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和歌山城をバックに「ケロヨン」電車が走っていたのをご記憶の方はそれほど多くはないかもしれません。もっともカエルの着ぐるみ「ケロヨン」が人気となったテレビ番組そのものが1960年代の放映ですから、その形容自体が時代錯誤になりつつあるとも言えましょう。

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▲「ケロヨン」顔がよくわかる。車内も現役当時のまま保たれているようだ。'12.11 P:宮武浩二
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さながらカエルの目のように前頭部に2灯の前照灯を掲げて和歌山市内を走っていたのは南海電鉄の和歌山軌道線です。"N電"とともに関西の路面電車としては珍しく3フィート6インチ(1067㎜)ゲージのこの軌道線は、南海和歌山市駅前駅を起点に海南市駅前駅、さらに国鉄和歌山駅前駅、新和歌浦駅へと路線を持つ延長16.1㎞の路面電車でした。一時は京阪電気鉄道傘下となるなどその歴史はまさに波乱万丈ですが、1961(昭和36)年に南海電気鉄道となってからは同社の和歌山軌道線として晩年の十年ほどを過ごしました。廃止は1971(昭和46)年4月1日のことです。

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▲金網に囲われているだけあって状態は良い。製造銘板(左)や検査標記板(右)もしっかりと残されている。'12.11 P:宮武浩二
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その和歌山軌道線の車輌が2輌、同市内に今でも保存されています。路線廃止とともに多くの車輌は漁礁またはスクラップとして果て、唯一、伊予鉄道に譲渡されて生き延びた324号(伊予鉄道81号)もとっくに廃車されてしまっていますので、忘れ形見として残されたのはこの2輌だけということになります。たびたび小ブログに情報をお寄せいただいている大阪の宮武浩二さんから、この2輌の保存車の近況をお寄せいただきました。

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▲和歌山城内の歩道には和歌山軌道線の敷石が再利用されている箇所がある。写真は一の門方を見る。'12.11 P:宮武浩二
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▲一中門付近でクランク状となった敷石利用の歩道(左)。和歌山城の石垣とは石質や色が異なるのですぐに峻別がつく(右)。'12.11 P:宮武浩二
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321号が保存されているのは和歌山城に近い岡公園で、かつて大阪市電の敷石の行方をレポート(編集長敬白アーカイブ「今を生きる大阪市電の敷石」参照→こちら)くださった宮武さんだけに、ここ和歌山城でも軌道線の敷石が城内で再利用されているのに着目され、保存車輌のみならず、一の門から一中門跡をへて岡口門にいたる通路に用いられている敷石についても情報を下さいました。ちなみにこの和歌山軌道線の敷石は和歌山風土記の丘公園でも見ることができるそうです。

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▲こちらは室山団地公園に保存されている322号。展示場の屋根はないがしっかりと手入れはされており状態は悪くない。'12.11 P:宮武浩二
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▲残念ながら「ケロヨン」の前照灯は塗り潰されてしまっている(左)。車内は団地の集会所兼倉庫として利用されている(右)。'12.11 P:宮武浩二
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もう1輌は室山団地公園の322号で、こちらは地域の集会所として活用されています。残念ながら特徴的な2灯の前照灯はペンキで塗り潰されてしまっていますが、施設として活用されているだけに状態は悪くないとのことです。

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▲室山団地公園は紀勢本線の黒江駅が最寄。住宅街の中の小さな公園だ。'12.11 P:宮武浩二
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廃止から40年あまり...紀三井寺付近にあった唯一の隧道は現在でも遊歩道として使用されているようですが、和歌山市内に路面電車が走っていた記憶は次第に遠くなりつつあるようです。なお、地元のNHK和歌山放送局ではアーカイブを活用した「わかやま今昔」という番組を放送しており、その第1回(2012年4月19日放送)では「懐かしの市電」と題して和歌山軌道線の貴重な動画(カラー)がたっぷりと紹介されています。和歌山放送局のHP(→こちら)からインターネット上でも視聴可能です。

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▲9001レ「つばめ」 2CC2の豪快なジョイント音を轟かせ湖東の平野を風を巻き上げて駆け抜ける。東海道本線安土 '81.7.25 P:松広 清 (国鉄時代アーカイブスvol.1『日本の電気機関車 1』より)
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季刊ペースで8年目を迎えた『国鉄時代』には埋没させるには惜しいアーカイブが少なくなく、品切れの巻も少なからず増えてきたことから、テーマごとに再構成するその名も「国鉄時代アーカイブス」を製作いたしました。

121207n10an.jpg第1回目のテーマは「日本の電気機関車」。蒸気機関車時代が主体と思われがちな『国鉄時代』ですが、実は電気機関車に関する記事も数多く収録しており、アーカイブス構想が持ち上がった当初から電機、いや"電関"が第一候補となっていました。もちろんアーカイブスと言っても単に再録だけに留まらず、ワンテーマ本としてしっかりとした核を持つべく、本書では1980年代のリバイバル「つばめ」「はと」「平和」を巻頭特集に据え、こちらはすべて未発表の新作でカラーグラフを構成しております。

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▲9001レ「つばめ」 東京口随一の名所・白糸川橋梁を渡り大阪を目指す。レイルファンなら誰しも憧れた「つばめ」のヘッドマークがため色の車体に映える。東海道本線根府川-真鶴 '81.7.25 P:松尾よしたか (国鉄時代アーカイブスvol.1『日本の電気機関車 1』より)
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▲トップスター"ロクイチ"から須賀貨物線で地味な活躍を続けた"B凸"EB10まで、国鉄には驚くほどバラエティー豊かな電気機関車たちがいた。 (国鉄時代アーカイブスvol.1『日本の電気機関車 1』より)
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さらに昨今そのプライオリティーが揺らぎつつある「形式写真」に着目、1970年代になんとキャビネ判のトヨフィールドを抱えて追われゆく旧型電機の撮影を続けられた高橋和男さんの作品集を収録いたしました。4×5in判ならまだしも、あえてキャビネ判に拘り続けられた高橋さん渾身の作を、どうか誌面でじっくりとご堪能ください。

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▲写真上:EF11 2〔八〕。'73.9.15 新鶴見機関区 トヨフィールドキャビネ フジノン250㎜6.7 コダック プラスX キャビネ判 P:高橋和男
写真下:EF12 6〔高二〕。'77.7.17 小山機関区 トヨフィールドキャビネ フジノン250㎜6.7 フジネオパンSS キャビネ判 P:高橋和男
 (国鉄時代アーカイブスvol.1『日本の電気機関車 1』より)
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また、巻末付録には1976(昭和51)10月1日改正の東京機関区機関車運用表(EL)と、1975(昭和50)年3月10日改正宇都宮運転所機関車運用表(EL)を収録いたしました。言うまでもなく前者はEF65P全盛期の、後者はEF57形やEF56形が最後の活躍を続けていた時代の運用表で、同時代体験をなさった方にとっては懐かしい思い出さえも甦ってくる逸品に違いありません。

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▲巻末付録の運用表。まだ電子化される前で、丹念な手書きが当時の現場の温もりを伝える。 (国鉄時代アーカイブスvol.1『日本の電気機関車 1』より)
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このほかにも再録からは「1972〜75年頃の広島・下関のEF58を語る EF58最後の黄金時代」、「20系あさかぜ最後の日」、「EF57と東北本線客車急行」、「特急踊り子55号南へ」、「高崎線EF50との日々」、「EB10と須賀貨物線」、「急行602列車白山添乗記」等々といったバラエティー豊かなコンテンツを連ねております。ぜひ一度手にとってご覧いただければと思います。
■国鉄時代アーカイブスvol.1『日本の電気機関車 1』
・A4変形(本誌同寸)
・132頁
定価2000円(税込)

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▲大正時代のルネッサンス様式を今に伝える折尾駅本屋(東口)。歴史的建造物としての保存が議論されたが、解体されてしまう模様。'12.11 P:古村 誠
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JR九州の折尾駅といえば日本初の立体交差駅として知られ、いわゆる"SLブーム"の時代を体験した蒸機ファンにとって一度は利用したことのある駅でしょう。1916(大正5)年築造と伝えられる駅舎も多くの方の印象に残っているはずです。その折尾駅が「折尾駅周辺連続立体交差事業」の進捗にともなって大きく変貌を遂げようとしています。

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▲木造のホーム上屋にも凝った意匠が残る(左)。右は鹿児島本線側の高架ホーム。'12.11 P:古村 誠
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▲乗り場案内が入り乱れて初めて訪れる者にはわかりにくい通路。ただし、その構造は煉瓦造りの見事なもの。'12.11 P:古村 誠
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もともと九州鉄道(2階)と筑豊興業鉄道(1階)の共用駅として立体交差駅となった経緯のある折尾駅ですが、いかんせん乗換えは煩雑で、今回の事業では鹿児島本線と筑豊本線の合計延長4.5㎞あまりを高架化し、完成後には4面7線のホームが同一面となります。すでに西口駅舎は仮駅舎となっていますが、ついに東口も伝統の本屋が封鎖されて仮駅舎に移行されました。先月、現地を訪れた古村 誠さんから周辺の定点観測と合わせて画像をお送りいただきましたので、今日はこちらをご紹介いたしましょう。

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▲筑豊本線の中間駅の今昔。香月線はなくなってしまったものの、電化された構内のレイアウトはさほど変わっていない。'73/'12.11 P:古村 誠
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▲筑豊電気鉄道筑豊中間駅から筑豊直方方向を見る。左奥の林に続く坂道など面影が色濃く残っている。'73/'12.11 P:古村 誠
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▲同じく筑豊中間駅から黒崎方向を見る。左側の森はすっかり住宅地となってしまっている。'73/'12.11 P:古村 誠
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▲筑豊中間駅に停車中の下り列車今昔。ちなみに筑豊電気鉄道の車輌はすべて釣掛式であることも特筆される。'73/'12.11 P:古村 誠
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▲スカートの取り付けが目印の05系B修車。車体まわりでは種別・行先表示器のフルカラーLED化、運行表示の白色LED化とパンタグラフのシングルアーム式化、そして前面の車号標記の位置が変更されているほか、車外スピーカはユニットクーラ内蔵タイプとされている。'12.11.29 深川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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東京メトロ東西線の05系に更新工事(B修)が施工された車輌が登場し、先日鉄道雑誌社向けに公開されました。

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▲05-314は3号車から7号車に変更されたが車号に変更はない。従来は05-214とユニットを組んでおり、パンタグラフや制御装置は搭載されていなかったが、今回の更新により床下にVVVFインバータを、屋根上にはシングルアーム式のパンタグラフが設置されたほか、CPもスクロール式のユニットに更新されている。'12.11.29 深川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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東京メトロ05系は東西線開業時からの5000系に代わって1988(昭和63)年にデビューした形式ですが、製造期間が長期に渡ったため、増備時期によって仕様が細かく変わるのが特徴です。すでに初期の通常ドア車である1~13編成は混雑対策のため投入された15000系に置き換えられたのはご存じの通りです。

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▲化粧板や床敷物が一新され、腰掛の脇仕切りが大型化された車内。全ての側扉上に17インチワイドの液晶表示器2個が設置されたほか、非常通報装置は対話式に、冷房装置も更新により冷房能力が48.7kWから58.14kWに向上している。'12.11.29 深川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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今回更新工事が施工されたのはワイドドア車の1本目である14編成(1991年登場)。ワイドドア車は14~18編成の5本ですが、この14編成のみGTO素子によるVVVFインバータ制御を採用した異端車と言うべきものでした。

121204_04n.jpg今回の更新工事では、従来は2輌1ユニットとなっていたM車を、自連力低減のため19〜33編成と同様に分散した組成に変更、主制御器のVVVFインバータをIGBT素子による2レベルインバータに更新するとともに、構成を1C1M×4群として各M車に主制御器とパンタグラフを搭載。主電動機は16000系などで採用された永久磁石同期電動機(P M S M)へ変更されました。
▲M1・M4車に設けられた車椅子スペース。また優先席部は吊手の高さが低く変更されている。'12.11.29 深川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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▲ワンハンドルマスコン化をはじめ、15000系に準じた仕様・機器配置となった運転台。'12.11.29 深川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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車内は化粧板や床敷物が一新されるとともに、腰掛の脇仕切りの大型化、液晶表示器の設置、車椅子スペースの設置など、近年の新造車並みの装備にリニューアルされました。また、従来は縦軸式ツーハンドルだった運転台も左手ワンハンドルマスコンに変更され15000系に合わせた機器配置とされています。
一部は海外で活躍している05系ですが、14編成以降はまだまだ15000系に伍しての活躍が見られそうです。

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▲塗装も終わり完成目前となった千葉県営大原大多喜人車軌道の復元人車。これは昨日撮影の最新状況。'12.12.3 P:岡本憲之
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昨日の豆相人車鉄道の復元車に続き、今日は千葉県大多喜町でまさに"復活"しようとしている人車についてご紹介いたしましょう。

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▲製作中の人車車体。地元の木工所や大工さんの協力で着々と完成に近づいてゆく。P:岡本憲之

キハ52形に続いてキハ28形を導入するなど、さまざまな企画で話題を提供している「いすみ鉄道」の源流である交通機関「千葉県営大原大多喜人車軌道」が開通してから、この12月でちょうど100年となります。ちなみに千葉県営大原大多喜人車軌道は、1912(大正元)年に全線を開通させ、1921(大正10)年に夷隅軌道に譲渡されるまでの10年間続いた千葉県が建設した唯一の人車軌道です。

121204n003.jpg地元の大多喜町の有志は一年以上前からこの100周年に合わせて記念行事を企画、当初は写真パネルの展示や、人車やその後身の「夷隅軌道」(編集長敬白アーカイブ「夷隅軌道の転車台」参照こちら)を走った気動車黎明期の超小型ガソリンカーの模型などを製作し、ジオラマと共に展示することを予定していたそうです。そんななか、ご先祖が大多喜町の出身で、鉄道史に詳しい箱守知己さんが、鉄道関係のイベントのコーディネーターであり、多数の著作を持つ岡本憲之さんと連絡をとったことから、実物大の人車復元の機運が一気に高まり、茂原市郷土資料館に保存・展示されている人車(編集長敬白アーカイブ「いまだ残る"茂原人車"」参照こちら)の上回りを参考に、大多喜町の鉄工所や木工所・大工さんの協力で復元が実現することとなったものです。
▲軸箱を取り付けた台枠もやはり地元の鉄工所の協力で完成。P:岡本憲之
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▲塗装完成前の復元人車内外。室内にはささやかなロングシートが設置されているが、座ると前席の人と膝がぶつかりそうに狭い。'12.12.3 P:岡本憲之
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作業を進めるうち、町の予算ではどうしても足りない部分も発生したそうですが、復元を請け負ってくれた鉄工所、木工所、大工さんらの献身的な協力もあって、ついに今週末にお披露目されることとなりました。まずはそのスケジュールをお知らせいたしましょう。

121204n002.jpg県営人車軌道開業100周年記念事業開催
■期日:2012(平成24)年12月8日(土)、雨天順延9日(日)
■時間:10:00~15:00
■会場:大多喜県民の森(メイン会場)、観光本陣
■イベント内容
○復元人車乗車体験
○ミニ鉄道
○模擬店(大鍋、焼いも、焼きそば他)
 ※チケット1枚500円で販売
○ステージイベント(大多喜小学校金管部、いすみ鉄道応援者による応援歌)
○竹の作品展同時開催

▲製作中の窓枠。イベントまで日も迫り、急ピッチでの製作が続く。P:岡本憲之
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121204n001.jpg■主催:大多喜町県営人車軌道開業100周年記念事業実行委員会
■後援:大多喜町観光協会、大多喜町商工会、いすみ鉄道友の会、いすみ鉄道(株)
■協力:せんろ商会(人車復元)
■問合せ先(事務局)
 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜93 大多喜町役場企画財政課内
 大多喜町県営人車軌道開業100周年記念事業実行委員会
 TEL:0470-82-2112(直通) FAX:0470-82-4461
 E-mail:kikaku@town.otaki.lg.jp
※当日は、いすみ鉄道大多喜駅よりボンネットバス(無料)が会場まで連絡輸送を実施

▲何と走行用の軌匡も合わせて新製された。レールに鉄枕木が梯子状に溶接されている。P:岡本憲之
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▲塗装作業中の復元人車。今週末にはこの"新車"がデビューする。P:岡本憲之
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大多喜町では今回復元した人車を貴重な産業遺産として保存・展示し、乗車体験ができるような機会も設けることを考えておられるそうです。また、これに合わせて人車の格納庫建設や線路延長のための寄付も募集しています(詳しくは→こちら)。
新製された軌匡の上を初走行する100年目の「千葉県営大原大多喜人車軌道」を見に、今週末は初冬の房総に足を運んでみられてはいかがでしょうか。

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▲味楽庵正面に飾られた豆相人車鉄道の復元車輌。JR湯河原駅から湯河原温泉方面に1.7キロほど進んだ道路沿いに位置する。'12.12.1
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先週末は伊豆で会合があり、その行きがけに以前から訪ねてみたいと思っていた湯河原の「味楽庵」さんにお邪魔しました。和菓子処として賑わっているこの「味楽庵」さんは、地元の豆相人車鉄道の復元とその利活用に熱心に取り組んでおられ、店頭には復元された人車が展示されています。

121201n002.jpg一昨年年末には根府川近くの「離れのやど 星ケ山」で復元された豆相人車をご紹介いたしましたが(編集長敬白アーカイブ「甦った"豆相人車鉄道"」参照→こちら)、「味楽庵」の人車はそれよりかなり以前に製作されたもので、この西湘地域が人車鉄道を介して町おこしに取り組むそもそものきっかけとなったものだそうです。
▲湯河原駅方の歩道から見た人車。通りがかりの人はこれが鉄道車輌だとは思わないだろう。'12.12.1
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▲豆相人車鉄道には上等、中等、下等の別があり、定員は5~8名、1輌につき車夫2~3名が担当したという。'12.12.1
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復元人車は車体裾部が絞られたタイプをモデルとしており、驚くほど小さく、実見するとあらためて人車鉄道の特殊性を思い知らされます。現代的感覚ではこの車体に車夫数人が取りついて運行することに何のメリットがあったのかと首を傾げますが、それまで駕籠で約6時間を要していた小田原~熱海間を2時間も短縮して約4時間にしたと伝えられますから、それなりの効用はあったことになります。いずれにせよ、豆相人車鉄道はわずか十年ほどで"へっつい"(編集長敬白アーカイブ「"へっつい"と呼ばれた機関車たち」参照→こちら)の導入によって動力化されて、人車鉄道としての幕を閉じます。

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▲その側面と正面。側面腰板部には豆相人車鉄道の社紋が再現されている。'12.12.1
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ただし、最急勾配は40‰と厳しく、いかに屈強な車夫数名をもってしても、時としては肝心の乗客を降ろして、さらには乗客にも手伝わせて乗り越えねばならなかったそうですから、その感覚はまさに駕籠や荷車の延長線上だったと言えましょう。

〔訂正〕RMライブラリー『へっついの系譜』の著者でもある湯口 徹さんからたいへん興味深いご指摘をいただきましたので、下にご了解を得てご紹介させていただくとともに上記内容を訂正させていただきます。
きつい坂では乗客を降ろし(中等客)、或いは手伝わせる(下等客)というのは、ほぼ伝説化していますが、『鉄道史料』109号所収の高山拡志氏「豆相人車鉄道・熱海鉄道の成立と展開過程」で、いずれも真実ではないことが綿密に考証されています。当時として極めて高額な運賃であり、歩かしたり、押させたりしたはずがないこと、仕事を失った人力車等の営業妨害虚言が元で、それを面白おかしく新聞等が書いたものが伝説化し、その後考証されることなく引き写し続けられて定説化したと思われ、鉄道忌避伝説に類したものでありましょう。

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▲軒下のリング状の紐(左)は蛇行時に車夫が踏台に乗った際に掴まるもの。車内はただ長手方向の椅子があるだけで実に簡素。'12.12.1
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豆相人車鉄道の軌間は2フィート(609㎜)ですが、復元人車は500㎜ゲージ。その点は少々残念ですが、限られた資材の中で復元されたことを思うとやむを得なかったのかもしれません。ちなみに実測によるホイールベースは820㎜、車輪径はφ300㎜でした。

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▲味楽庵では「人車もなか」も売っている。人車型のパッケージに入っているのは車輪を模したつぶあんの最中。お店では小田原商工会議所の発行しているA3四つ折りの「豆相人車鉄道 温泉夢物語」(画面右)という立派なカラーパンフレットももらえる。'12.12.1
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この「味楽庵」さんの復活人車は地元のイベント等に出張して運転されることもあり、これまでにもテレビをはじめとした各種メディアに取り上げられているそうです。
ところで、この豆相人車鉄道の"活躍"に負けじと、千葉県でも人車復活の動きがあります。現代を生きる人車...明日は今週末に行われる千葉県大多喜町での人車復活のイベントをご紹介いたしましょう。

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