鉄道ホビダス

2012年11月26日アーカイブ

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▲見違えるほどに綺麗に修復された5号蒸気機関車の運転室公開には長蛇の列ができていた。後方は先に修復されたE12。'12.11.25
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昨日はまたとない秋晴れの下、2回目となる西武鉄道100年アニバーサリーイベントin保谷が行われ、今春のE12(編集長敬白アーカイブ「西武鉄道100年 E12修復完成記念披露会」参照→こちら)に続いて5号蒸気機関車が修復されて「完成記念披露会」が行われました。

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▲そのバックビュー。コールバンカに描かれた「L5」の標記は"?"。 '12.11.25
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5号蒸気機関車は1896(明治29)年イギリスのナスミス・ウィルソン製の1B1タンク機で、現在の新宿線の前身にあたる川越鉄道が新製したものです。開業当時の川越鉄道は甲武鉄道(のちの中央線)が経営管理をしており、実績のある甲武鉄道K1形と同形の本機を導入したと伝えられています。当初の形式はK2形3号機。官設鉄道の「A8」系に属し、「B6」とともに明治期に最もポピュラーだったタンク機と言えましょう。

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▲絶妙のRで構成されたキャブ側面。サイドタンクのリベットは横一直線なのがナスミス流。'12.11.25
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この川越の3号機は旧西武鉄道時代の1944(昭和19)年の一斉改番で5号機に改められていますが、この時の改番が同じA8系の旧3→新5、旧4→新6、旧5→新4と実にわかりにくく、一見すると同形なだけに、誤認される要因ともなっています。

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▲運転席は右側。ほとんど半身を乗り出すかたちでの運転姿勢を強いられたはず。'12.11.25
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5号機となった本機は戦後長らく北多磨機関区に所属して多摩川線で活躍し、1957(昭和32)年9月の同線無煙化まで働いたのち、1959(昭和34)年7月に日本ニッケル鉄道(翌年から上武鉄道)に譲渡。同社の5号機として余生を送っていましたが、1965(昭和40)年に記念物として西武鉄道に返還され、以後、保谷車両管理所で保存されていました。つまり車齢116年のうち後半47年はここ保谷の地で過ごしてきたことになります。

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▲無煙化まで残すところ数年となった昭和29年の多摩川線で働く5号機。西武現役時代のカラー写真は極めて珍しい。'54.9.23 新小金井 P:三谷烈弌
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その後2000(平成12)年3月の武蔵丘車両管理所(現在の武蔵丘車両基地)の開設とともに保谷車両管理所は閉鎖、5号機はE12とともに跡地に取り残されてしまったかたちとなっていました。

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▲ "before and after"その1。保谷車両管理所閉鎖以降は風雨に晒されて荒廃が進んでいた。右は今回の公開で、車庫建物はなくなったものの、車輌の位置はまったく同じであることがわかる。
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▲ "before and after"その2。同じく保谷車両管理所閉鎖後の状況と現在。後ろのE12もまったく位置関係が変わっていない。
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西武鉄道に最後まで残った3輌のA8系はいずれも現存しており(4号機は横瀬車両基地、6号機は個人所有)、明治を代表するタンク機関車がこのアニバーサリーを機会に修復されたのは、その中でも朗報と称せましょう。明日はA8系最大の特徴ともいえるラジアル軸受をはじめとするそのディテールをご紹介することにいたしましょう。

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