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忘れられた「日本無軌道電車」。

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▲現在の花屋敷停留所付近。道路は拡幅され、バスベイがあるためか広く感じる。なお、日本無軌道電車時代はループ線を設ける用地がなかったため、道路中央に転車台を設けて方向転換をしていたという。P:宮武浩二
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「日本無軌道電車」をご存知でしょうか?
無軌条電車=トロリーバスが「軌道ニ準スベキモノ」として法制上は鉄道(軌道)の仲間とされているのはご承知と思いますが、無軌条ではなく"無軌道"とは如何に? 無軌道な若者...等々、現代では決して良い意味では使われない無軌道という言葉ですが、かつては無軌条電車ではなく無軌道電車という用語が汎用されていたと言います。そして、この無軌道を冠した社名を持つわが国初の営業用トロリーバスが「日本無軌道電車」です。

121011n002.JPG日本無軌道電車は現在の阪急宝塚線雲雀丘花屋敷駅と新花屋敷(川西市満願寺町付近)間1.3㎞を結んで1928(昭和3)年8月1日に開業しました。花屋敷は明治時代から炭酸泉の天然温泉として知られ、第一次世界大戦後の好景気を背景に、この地に温泉保養施設のみならず住宅地と遊園地を建設して周辺開発の拠点としようとする計画が持ち上がりました。しかしながら新たに開発された新花屋敷温泉は花屋敷駅から2キロほどの距離があり、しかもその全行程が急勾配(142‰)の上り坂で、利用者の輸送が大きな課題となっていました。そこに持ち上がったのが当時上海で実用化されていたトロリーバスの導入です。ゴムタイヤのトロリーバスであれば粘着式鉄道では登坂不可能な急坂での運転も可能で、しかも本邦初とあって宣伝効果も期待できます。
▲郵便ポストの見えるあたりが、つつじが丘停留所。交換設備があったとされる。横断歩道から先はSカーブとなる。P:宮武浩二
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▲つつじが丘停留所の現在。当時はここで上り下りの無軌条電車が離合していた。P:宮武浩二
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▲つつじが丘を過ぎるとSカーブとなる。急勾配を進むバス。P:宮武浩二
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▲つつじが丘からSカーブを過ぎると万年坂。新花屋敷まで急勾配が続く(左)。万年坂の急勾配はこんなにすごい(右)。P:宮武浩二
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車輌(2輌)は日本輸送機製作所(1922年創業。1937年に日本電池の子会社である「日本輸送機株式会社」に事業一切を継承)が独力で製造したもので、車体長5.5m、質量3.5t、直流20馬力モーターを2基備え、定員は28名(立席6名を含む)。独自の変電設備を持たないため、親交の深かった阪急から受電して運転を開始したそうです。ちなみにこの日本無軌道電車については地元の宝塚市ふじガ丘自治会のホームページ(下記)に写真や図をともなって詳しく紹介されていますのでご参照ください。
http://fujigaoka.biz/f830.htm

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▲万年坂を登る。右手が当時からあるお地蔵さん。P:宮武浩二
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▲新花屋敷終点。現在は長尾台と地名が変わっている。峠茶屋の場所が新花屋敷温泉の本社跡。当時はループ線が設けられていたという。P:宮武浩二
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この日本無軌道電車の"路線跡"を宮武浩二さんが訪れてレポートをお送りくださいました。現在では日本無軌道電車が走った道路には阪急バス満願寺線が運行されており、今さらながらにその厳しい地形条件を知ることができます。

121011n009.JPG一時は能勢電の多田まで延伸するという計画まで抱いていたこの日本無軌道電車ですが、1929(昭和4)年の世界恐慌の影響を受けて資金繰りが悪化、無軌道電車に限りない夢を描いていた社長が自殺してしまうという悲惨な展開となります。結局、新花屋敷温泉そのもの経営悪化とともに1932(昭和7)年1月に運行を停止し、4月には廃止となってしまいましたので、実質的な運転期間はわずか3年半ほどだったことになります。
▲乗用車の並んでいるあたりから時計回りに方向転換していた。手前の広場が車庫跡、右奥の赤い屋根の建物あたりに本社があった。P:宮武浩二
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▲煉瓦の痕跡が無軌条電車の車庫建物跡とされる。廃止後、トロリーバスの車体はこの終点近くで公衆便所となって果てたという。P:宮武浩二
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宮武さんは「日本無軌道電車の車輌は電車型の車体に直接制御器をつけた、いわば電車に近いトロリーバスだと思います。このあと京都市に登場したものはバスに電気品を付けたもので、バスの車体を借りた電車に進化したというのがトロリーバスではないかと考えています」と書かれていますが、確かにわが国初のこのトロリーバスがより電車に近いものであったのは興味深く感じます。ちなみにこの日本無軌道電車は、その認可にあたって前例がないため、軌道条例に準拠するか乗合自動車営業取締規則に準拠するか判断が分かれ、結果的に後者、つまり自動車の範疇となったため、わが国最初のトロリーバスであるにも関わらず、鉄道史のいわば「正史」には登場しない憂き目をみることになってしまいました。その意味でも何とも不運としか言いようがありません(無軌条電車は戦後1947年より"鉄道"として管理されています)。
なお、この日本無軌道電車については、『熱き男たちの鉄道物語』(ブレーンセンター2012年4月発行)の第2章「日本初に賭けた三人の男たち」(森 五宏著)に詳しく紹介されています。

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