鉄道ホビダス

2012年8月アーカイブ

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8月28日に発売いたしました『「SL甲組」の肖像 7』におきまして、印刷所のミスにより67~68ページの内容が65~66ページと同一の内容で印刷されてしまうという事故が発生いたしました。
すでに本書をご購入されましたお客様、ならびに書店様をはじめとする関係者の皆様には多大なご迷惑をおかけいたしまして誠に申し訳ございません。ここにお詫び申し上げます。

すでに本書をご購入されましたお客様の中で、印刷・製本不良による交換を希望されます場合は返品交換をいたしますので、大変お手数ですが着払いにて下記宛にお送り下さい。
1週間ほどで折り返し、良本をお送りさせて頂きます。

【送付先】
〒335-0035
埼玉県戸田市笹目南町7-35 京葉流通倉庫株式会社戸田LC内
株式会社ネコ・パブリッシング受注&カスタマーセンター
「SL甲組の肖像交換係」
TEL:048-449-6031(休日を除く月~金曜日の10:00~17:00)

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▲三大車窓と讃えられた狩勝峠の大カーブを登る列車。P:三品勝暉
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昨日の南大夕張駅跡での「汽車フェスタ」に続いての北海道の話題となりますが、今年で3回目となる狩勝峠を語り継ぐ写真展「狩勝戦士展」が来週9月8日より始まります。

mishina1n02.jpg「日本三大車窓」にも数えられた狩勝峠(旧線)は、その雄大な風景と裏腹に、撮影者にとってはきわめて難易度の高い撮影地でもありました。人跡未踏の原生林を右へ左へと蛇行する線路、長い駅間距離、そして容赦ない冬の厳しさ...それだけに、1966(昭和41)年9月30日をもって新線にその座を譲って廃止となるまでの59年間に残された画像・映像は決して多くはありません。それでも狩勝峠ならではの、余所にはない魔力に取りつかれてその撮影に命がけで挑み続けた方たちがおられました。NPO法人旧狩勝線を楽しむ会ではそんな方々に敬意を表して「狩勝戦士」と名付け、一昨年から写真展を開催してきました。
▲D51 314〔池〕を先頭に狩勝峠に挑む。根室本線新内-狩勝信号場 P:三品勝暉
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3回目となる今年は、昨年までのメンバー、大崎和男さん、三品勝暉さん、村樫四郎さん、川本紘義さん、菊池 彰さん、堀越庸夫さんに、杉江 弘さんが加わって7名となりさらにパワーアップ。今回も旧新内駅に保存されている20系客車内を会場とし開催されます(過去の開催時の様子は編集長敬白アーカイブ「狩勝峠を語り継ぐ写真展」参照→こちら)。

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▲初公開の新得機関区所蔵写真より。昭和11年3月26日、根室本線新内隧道にて。P:NPO法人旧狩勝線を楽しむ会提供
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客車内には"戦士"の作品40余点が展示されるほか、今年は新得機関区の所蔵アルバムが発見されたため、本邦初公開の秘蔵作品数点も加わり、たいへん見ごたえのあるものになっているそうです。写真展のオープンは狩勝線105歳の誕生日にあたる9月8日(土曜日)で、今年は会場の「旧狩勝線ミュージアム」も写真展期間中毎日の開館となります。

senshiten_2012n01.jpgこの写真展のほかにも、20系客車内のミュージアムに狩勝信号場を再現した資料館長力作のNゲージのジオラマが当時を彷彿とさせる走りを見せてくれ、さらに館長が日夜改造を加えさらに魅力あるものに変身中とのことです。また、駅構内では2008(平成20)年9月に「エコトロッコ」と名付けて開業した保線用トロッコが走っており、写真展を観賞しながら車窓のエコトロッコを眺めるのも一興でしょう。昨年新たに仲間に加わった「上茶路号」2台の雄姿も見られます。
NPO法人旧狩勝線を楽しむ会の西村良雄さんからは「北海道と言う遠い場所での開催ですが、本州の方々も9月の毎土日のC11 207「ニセコ号」の運転日遠征の折には、新得の狩勝峠に足を伸ばし観賞されたらいかがでしょうか。皆様のご来場をお待ちしております」とのメッセージも頂戴しております。
▲第3回「狩勝戦士展」の案内状。
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日  時:2012年9月8日(土)~9月30日(日)
     写真展期間中は毎日開館
場  所:北海道上川郡新得町狩勝高原
     根室本線旧線新内駅 旧狩勝線ミュージアム内
開館時間:9時30分~16時30分
入館料 :200円(旧狩勝線廃線跡の維持管理等の活動資金に使われます)
主  催:NPO法人旧狩勝線を楽しむ会

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夕刻、ライトアップされた列車。昨年は台風の接近で中止となったが、今年はフォトジェニックな夜景が楽しめそう。'11.9.26 P:三菱大夕張鉄道保存会提供
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今年も次の日曜日、9月2日に、南大夕張駅跡を会場として汽車フェスタが開催されます。三菱大夕張鉄道保存会の奥山道紀さんから、今年もぜひ多くの皆さんにご参加いただきたいとご案内を頂戴しました。

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9600形「No.3」「No.7」「No.5」による三重連。'71.8.22 P:三菱大夕張鉄道保存会提供
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往時は石炭輸送や炭山(ヤマ)の人々で賑わった南大夕張駅ですが、今では残された保存車輌たちが静かに地域の盛衰を見つめています。石炭や夕張岳山麓から森林鉄道で運び出された木材の輸送他、昭和30年代には大夕張ダム建設(1962年完成)の資材輸送でも繁忙を極めた南大夕張駅ですが、今ではその大夕張ダムをのみ込む形で、シューパロダム(2015年完成予定)の建設が大詰めを迎えています。

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雨に霞む三弦橋の幻想的な光景。'12.8.13 P:三菱大夕張鉄道保存会提供
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120829n003.JPG同ダムの完成により三弦橋や旭沢橋梁等多くの鉄道遺構も水没します。しかし、現在の気象情況では4年毎に三弦橋は姿を現すとのことで、夕張市では関係機関と調整して文化財として登録する手続きを進めています(編集長敬白アーカイブ「三弦橋の保存・活用を申し入れ」参照→こちら)。地元では新たな観光スポット誕生の期待も膨らみます。そこで「汽車フェスタ2012」では「シューパロダムカレー」を提供します。巨大なシューパロダムをイメージしたライスと、赤いウインナーの三弦橋。写真はイメージですがご期待下さい。また、客車内での写真展やDVD等のグッズの頒布も行います(新規グッズについてはホームページを参照下さいhttp://www.geocities.jp/ooyubari_rps/index.html)。
初お目見えのシューパロダムカレー。果たしてそのお味は...。P:三菱大夕張鉄道保存会提供
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下夕張森林鉄道で活躍する酒井5tF型ボギー機関車。P:三菱大夕張鉄道保存会提供
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ところで、今年は大夕張鉄道で撮影されたTVドラマ「走れ!ケー100」の撮影現場をモデルにしたドキュメンタリー風フィクション『走れ!ケー100の青春』(文芸社)が刊行され、筆者より当会に数冊の提供を受けています。「走れ!ケー100」は1973(昭和48)年4月から翌年3月にかけてTBS系列で、全国放送されたテレビドラマです。
主人公(大野ひげしさ)がスクラップになりそうな機関車を再生、かつての機関士に出会うため大夕張に向かうロードムービー(道中記)ですが、折からの"SLブーム"によりさらに沖縄へと全国を巡るストーリー展開になりました。

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大夕張炭山でロケ中のケー100。'73.7.25 P:三菱大夕張鉄道保存会提供
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大夕張では閉山直前の7月25日にロケが行われました。筆者はドラマの企画原作者の佐賀邦夫氏ですが、70年代の番組制作に纏わる話や、大夕張への想いなどが綴られています。この機会に手にしていただけたらと思います。
昨年は台風接近のため中止しましたが、前日の夕刻には前夜祭として列車のライトアップも行います。初秋の南大夕張に多くの皆さんの来場をお待ちしています。

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当日会場で頒布予定の夕張鉄道の車票をデザインしたエコバッグ(左)と三菱大夕張鉄道の駅名標をデザイン駅名キーホルダー(右)。P:三菱大夕張鉄道保存会提供
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※三弦橋の対岸に位置する大夕張ダム管理事務所(0123-55-2111)ではダムカードを配布しています。旧国道の通行は管理事務所へ電話して指示に従って下さい。

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▲阪和線鳳駅近くの大鳥大社の境内でも敷石を見ることができる。折しも敷石のある参道で自動車の交通安全祈願が行われていた。P:宮武浩二
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ootorijinzya1.jpgところで敷石の産地ですが、多くは音戸大橋で有名な広島県呉市の倉橋島を産とするピンク色のかかった花崗岩で、通称「議院石」「さくら御影」という石材としては一級品のものが使用されています。「議院石」の由来は倉橋島から切り出された「さくら御影」が東京の国会議事堂の外壁に使用されているためで、これは市電の敷石と全く同じ産のものです。この「議院石」は東京都電、大阪市電に多く使用され、美しいピンク色の軌道敷は都市景観上もっとも相応しいものといえます。
▲見事な景観の大鳥大社参道の敷石。P:宮武浩二
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▲奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳太子所縁の法隆寺に、1968(昭和43)年12月、大阪市電の敷石が5500枚引き取られ、東大門から国宝夢殿まで175メートル、幅5.8メートルに市電の敷石が敷き詰められた。写真は夢殿へと続く参道。P:宮武浩二
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▲続いて奈良県が都市計画事業として法隆寺の入口参道を整備するために1971(昭和46)年2月に敷石20000枚が引き取られ、国道25号線から南大門までの参道560mの両側に敷き詰められた。現在でも南大門との見事な景観美を見せてくれる。観光バスを降りて南大門まで歩く石畳の参道がそれにあたる。P:宮武浩二
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しかし昭和30年代後半からは軌道敷に自動車の進入を認めたため、自動車の通行による敷石の浮き上がりや割れなどが多く発生し、次第に均整の取れた軌道敷からコンクリートで補修されたり、アスファルト舗装となった軌道敷が多くなり見苦しい姿をさらけ出していました。また市電自体が衰退してゆき、路線の廃止が続くと折角の敷石もお役御免となり今度は取外した敷石の置き場に困るほどになってきました。

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▲大和路線平野駅近くにある杭全(くまた)神社の境内も大阪市電の敷石が見られる。ちょうどお宮参りの一家が訪れていた。P:宮武浩二
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▲天王寺区内にある松屋町筋に面する源聖寺坂の昇り口付近にも市電の敷石が見られる。車の出入があるのか敷石の痛みが目立つものの、大阪市内で市電の敷石を見に行くのなら便利な場所だろう。P:宮武浩二
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元々高価でかつ品質のよい石、さらには寸法が規格化されていることから再利用しやすいこともあって、寺院、神社、学校、公園などの通路、参道に転用されることになりました。市電の敷石に用いられた石材は議院石の他に小豆島など瀬戸内海の島々から切り出されたもの多く、石によっては灰色や濃い灰色のものも見受けられます。

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▲大阪万博開催に際して、万博協会が芸術家のイサム・ノグチに依頼して「宇宙の夢」をテーマに建設したのが夢の池。現在は美しい噴水はないが、ボートでアートオブジェまで近づくことができる。P:宮武浩二
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▲万博公園夢の池。この池底に大阪市電の敷石が敷き詰められている。水面をよく見ると長方形の敷石が敷き詰められているのがわかる。P:宮武浩二
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高野山奥の院への参道は6月の『南海だいすき』取材の際も歩きましたが、まさか足元の石畳がもと大阪市電の敷石であったとは気づきませんでした。こうして宮武さんの執念ともいえる敷石探訪を拝見するに、あらためて大阪市電の規模の大きさをも再認識させられます。大阪市電の忘れ形見として残された敷石はこれからも末永くその歴史の一端を語り続けてくれるに違いありません。

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▲高野山奥の院への参道に使用されている大阪市電の敷石。緩くカープするあたりは圧巻。静寂の中に鹿の姿も...。P:宮武浩二
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昨年、法善寺横丁の石畳に再利用されている大阪市電の敷石についてご紹介いたしましたが(編集長敬白アーカイブ「法善寺横丁に生きる大阪市電」参照→こちら)、宮武浩二さんはその後も市電敷石に関して調査を続けられており、先日、さらに詳細なレポートをお寄せ下さいました。

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▲真言宗の聖地、高野山奥の院の参道。市電敷石の見事な景観美だ。P:宮武浩二
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大阪市電の敷石の活用について、その後敷石の資料も出てきましたのであらためて紹介したいと思います。
明治時代の大阪市電は、舗装も何もない道路上にレールを敷設しただけの簡易な軌道敷でした。しかし電車の運行が頻繁になるにつけて、砂埃が舞い上がるようになると、沿線の商店主などから、商品が汚れる、または家の中まで砂埃が入ってくると苦情が多く、一方で雨が降るとぬかるんで電車の中まで泥があがり、対策が急がれました。

okunoiniriguchi.jpgそこで四角く切り出した石を軌道の部分に敷き詰めることで、軌道を守ると同時に砂埃の対策として敷石が広く用いられるようになったのです。敷石の寸法は厚みが100㎜、縦方向が450㎜で横方向は500.・600・800㎜の3種類の組み合わせとなりました。まずは軌道外の敷石が600㎜1個、次に軌条を挟んで500㎜と800㎜の2枚が軌条間に入り、1,435㎜の軌間となります。続いて500・600・500㎜の石を3個、もしくは800㎜の石を2個組んで1,600㎜の空間を作ります。続いて軌条が入って500・800㎜の2個の石が、さらに軌条を挟んで600㎜の石を敷き詰めると標準軌間の複線軌道敷が完成します。詳しくは『大阪市電気局四十年史』、または五十年史に詳細な軌道敷の図面が掲載されており、敷石の寸法には法則があることがわかります。
最近調査した再利用の例をいくつかご紹介しましょう。
▲高野山奥の院入口付近。整然と敷き詰められた石畳が見事。場所は南海りんかんバス奥の院前下車すぐのあたり。P:宮武浩二
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▲法隆寺と同じく聖徳太子所縁の大阪市天王寺区にある四天王寺にも大阪市電の敷石が20000枚引き取られている。境内の各伽藍への参道のほとんどの石畳が市電の敷石で、特に亀ノ池周辺(写真)、宝物館周辺が見どころ。議院石以外の産地の敷石も混在している。P:宮武浩二
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▲四天王寺の敷石を実測してみる。左から400×500㎜、400×600㎜、400×800㎜。P:宮武浩二
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▲奈良の大仏として有名な東大寺の境内にも鏡池から二月堂に抜ける小道に敷石を見ることができる。ここにはほかに京都市電の敷石もあるが、寸法を測ると区別できる。P:宮武浩二
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▲ヘッドマークや客車のデコレーションさえなければ現役時代と見間違うばかりの梅里苑体験交流の森内を行く列車。'11.7.23
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真室川音頭で知られる山形県最上郡真室川町。その真室川町の温泉施設「梅里苑」の体験交流の森を一周1キロほどの森林鉄道トロッコ列車が走っており、その主役が1943(昭和18)年製とされる加藤製作所製の4.8tディーゼル機関車です。

120824n007.jpg真室川町にはかつて奥羽本線の釜淵駅を起点とする秋田営林局真室川営林署の森林鉄道がのびていました。先般ご紹介した『国有林森林鉄道全データ 東北編』(編集長敬白アーカイブ「驚異の"国有林森林鉄道全データ 東北編"」参照→こちら)によれば、森林鉄道2級の小又線、大沢川線とその支線群で、最終的には1965(昭和40)年に廃止されています。真室川町立歴史民俗資料館では町内に存在したこの森林鉄道を後世に語り継ぐために30年ほど前に動態復活を計画、その際に白羽の矢が立てられたのが仁別の森林博物館(編集長敬白アーカイブ「仁別森林博物館を訪ねる」参照→こちら)で保存されていた本機でした。
▲台枠にくっきりと鋳込まれた片仮名の「カトウ」の陽刻。ラジエーターの表記も同様に仮名書き。'11.7.23
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『木曽谷の森林鉄道』(→こちら)で知られる森林鉄道研究の第一人者・西 裕之さんによると、この機関車は仁別森林鉄道廃止時まで残った秋田営林局管理番号D-40号だそうで、台枠とラジエーター部の「カトウ」の陽刻が何よりの特徴です。加藤製作所(編集長敬白アーカイブ「加藤製作所を訪ねる」参照→こちら)がいつから「KATOWORKS」の陽刻を片仮名表記に変えたのかは今のところ定かではありませんが、戦時下での表記変更だったのではないかと類推されます。ちなみに酒井工作所も一時期表記を「サカ井」に変更しています(編集長敬白アーカイブ「復活なるか 仮名書き"サカ井"」参照→こちら)。

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▲交流の森停車場で発車を待つ仮名書き「カトウ」。エンジンルームのサイドカバーは撮影用に開けてもらっている。'11.7.23
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動態保存線の起点である「交流の森」停車場に掲げられた説明看板には「比の機関車は、昭和13年から釜淵駅を起点として小又、大池、高坂を通り大川入まで全長28㎞の区間(内トンネル3箇所、延長380m)をトロッコ6両客車1両をけん引し、1日1往復。国有林から伐採したブナ材等の運搬用として運転されたものです。(後略)」とありますが、いささか言葉足らずの感を否めず、事情を知らない者にとってはこの機関車そのものが真室川で使用されていたものと誤認しかねません。

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▲客車の車体は秋田局管内で使用されていたタイプを模して新製された。'11.7.23
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▲運材台車と客車の台車は上松運輸営林署から譲り受けたもの(左)。右は客車の製造銘板で、北陸重機工業平成15年10月製・製造番号2540とある。'11.7.23
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当初、歴史民俗資料館に敷設された200mほどの線路で動態運転を行っていましたが、2004(平成16)年5月1日よりこの梅里苑体験交流の森内に敷設されたエンドレス軌道をのびのびと走るようになりました。

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▲交流の森停車場全景。軌道はこの背後の森の中をひょうたん型のエンドレスを描いて敷設されている。'11.7.23
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▲野鳥の森停車場(左)。中間駅は2か所あるが、通常は使用されていない。右は本線上に設けられた車庫。'11.7.23
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まむろ川温泉の駐車場向かいにある「交流の森」停車場を発車した列車は、併用軌道風の線路を進んだのちコテージ村の森を抜け、「体験の森」停車場、自然体験休養村、「野鳥の森」停車場、花木園などを巡って「交流の森」停車場へと戻ります。一周で10分弱。ロケーションはまさにかつての林鉄を思い起こさせる見事なもので、カメラを向ける目もついつい"本気モード"になってしまいます。

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▲鬱蒼とした森の中を行く仮名書き「カトウ」の牽く列車。平成20年度の経済産業省「近代化産業遺産」にも指定されており、キャブ右側扉にはエッチングの指定プレートも取り付けられている。'11.7.23
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運行は5月1日から10月31日までの土曜、日曜、祝祭日。基本的に11時、13時、15時の3回運転で、一周100円。日帰り温泉のほかに、宿泊施設、レストラン、コテージ、産直工房などもあり、仮名書き「カトウ」の見学ばかりか、家族連れにもお勧めです。

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▲泊で離合する内部線の上下列車。乗客や乗務員と比べるとあらためて車輌の小ささがわかろう。'10.7.19 泊
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昨日(22日)付けの毎日新聞三重版が報じるところでは、近鉄では赤字の続く内部線・八王子線をバス高速輸送システム(BRT)方式に移行し、鉄路を廃止する方向で地元への説明を行ったとのことです。

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▲いかにもナローゲージらしい先頭運転台向きに並んだ一人掛けクロスシートのク110形車内。'10.7.19 近鉄四日市
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ご承知のように内部線(近鉄四日市~内部間5.7㎞)と八王子線(日永~西日野間1.3㎞)はわが国に残された貴重な762㎜軌間の旅客営業線です(編集長敬白アーカイブ「近鉄内部・八王子線を訪ねる」参照→こちら)。2003(平成15)年に兄弟分にあたる北勢線が三岐鉄道に譲渡されてからは、大近鉄に残る最後の特殊狭軌線(ナロー)として孤軍奮闘してきましたが、特殊狭軌ゆえに輸送力も発展性も限界があり、しかも車輌・設備も年々老朽化し、年間3億円ほどの赤字が続いています。

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▲ジャンクションとなっている日永駅に停車中の八王子線列車。八王子線は内部線(手前側)から半径100mという急曲線で分岐し、ホームもカーブ部分にある。'10.7.19
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▲八王子線が分岐する日永駅駅本屋(左)。右は日永駅ホームの分散乗車を促す掲示で、ラッシュ時にはかなりの乗客があることが知れる。'10.7.19
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同紙によれば、21日に行われた地元自治会長らとの会談で、近鉄側は線路を撤去した跡地を舗装してバス専用道とするBRT方式を提示、これによって運賃や輸送力の持続を図るととともに、四日市市に対しては初期工事費用やバスの車輌代金など25~30億円の負担を求めたいと表明したそうです。しかし、参加した地元側は年間360万人の乗客を運べる輸送力があるのか、市内の渋滞状況に影響を及ぼすのではないか等々の懸念を示し、路線存続を求める要望書を渡すかたちとなりました。

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▲日永駅に到着した内部線上り近鉄四日市行き。内部線上り列車は八王子線下り列車と、逆に八王子線上り列車は内部線下り列車と接続するパターンとなっている。'10.7.19
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これに先立ち、四日市市議会では6月に「総合交通政策特別委員会」を設置、緊急性の高いと判断されたこの内部・八王子線存続問題について検討を続けてきました。ただ、BRT方式への転換は"想定外"だったようです。折しも会談が行われた前日20日には、東日本大震災によって不通となっているJR気仙沼線の柳津~気仙沼間で鉄道敷を専用道としたバス運行が始まったばかりです。本来、緊急避難的施策であったはずのBRT方式が、いつの間にか便法として拡散してゆくことが懸念されます。

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▲三重交通時代の名残を色濃く留めるのがモニ227を中間付随車化したサ121。兄弟分にあたる三岐鉄道北勢線の車輌には見られないレトロな雰囲気が残るが、こうした車輌の老朽化が大きな課題ともなっている。'10.7.19
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近鉄では来年2013(平成25)年夏を目途に存廃を決するとしていますが、これは現有車輌の更新時期と大きく関連しており、平成27年度とされる更新(新車1輌約1億8千万円×6輌)を中期的な計画に組み込まないとなると、少なくとも鉄道としての内部・八王子線は数年中にその運行を止めることになってしまいます。

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新幹線"N700A"登場。

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▲N700系1000番代第1編成(G1編成)の編成外観。基本的には16輌編成のN700系のデザインを踏襲しており、同形式の特徴であるエアロ・ダブルウィング形の先頭形状も健在。なお、報道公開では途中車輌までしか公開されなかったが、G1編成の車番は新大阪方から783-1001(1号車)+787-1001(2号車)+786-1501(3号車)+785-1001(4号車)+785-1301(5号車)...というように、Z編成にプラス1000番代を付した車番となっている。'12.8.21 浜松工場 P:RM(小野雄一郎)
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かねてよりJR東海から製造がアナウンスされていた東海道新幹線用の最新型車輌、N700系1000番代の第1編成が落成し、昨日21日に浜松工場で報道公開が行われました。このN700系1000番代には"N700A"の愛称が付されており、東海道・山陽新幹線の主力車輌であるN700系にさらなる進化を加えたという意味から「Advanced」の「A」をプラスしたのがその由来です。

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▲"N700A"のシンボルマーク。提供:JR東海
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▲1号車(783-1001)と2号車(787-1001)の連結面海側。「A」をモチーフにしたシンボルマークが奇数号車の海側山側両面にデザインされている。側面の行先表示器はフルカラーのLED方式。なお、台車スカートは従来のFRP(繊維強化プラスチック)に代えてステンレス製となっている。'12.8.21 浜松工場 P:RM(小野雄一郎)
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"N700A"には、安定した強力なブレーキシステムを実現する「中央締結ブレーキディスク」、全台車の状態を常時監視する「台車振動検知システム」、ATC信号に沿ったより安定した運転を実現する「定速走行装置」の3つの新技術が採用されているのが特徴で、その他にもN700系をベースにさらなる各種改良が加えられています。その結果、例えば編成当たりの電力消費量は、置き換え対象となる700系と比較すると19%削減できるとしています。

120822n003.jpg"N700A"は今後、2012年度に6編成、2013年度に7編成の合計13編成が導入される計画で、営業開始は2013年2月を予定しているとのことです。ちなみに、これらの13編成が出揃うと、JR東海が所有する新幹線車輌の約7割がN700系タイプとなる計算になります。また、現在営業運転に就いているN700系(Z1~Z80編成)についても中央締結ブレーキディスクおよび定速走行装置の設置工事が2013~2015年度にかけて、浜松工場入場時に合わせて行われるとのことです。
▲1号車783-1001の2号車側の台車を山側から見る。"N700A"の台車は中央締結ブレーキディスク付きの高速ボルスタレス台車で、台車振動検知システムを搭載して振動センサーによる常時監視が行われている。中央締結ブレーキディスクは小牧研究施設やN700系試験車輌(Z0編成)で試験が重ねられたという。
'12.8.21 浜松工場 P:RM(小野雄一郎)

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▲グリーン車(9号車)と普通車(7号車)の車内。シートモケットには100%リサイクル可能なポリエステルが採用されており、絵柄もN700系のものと変更されている。それぞれ定員は64名と75名で、9号車には洋式トイレと男性用トイレ・洗面所が、7号車には洋式トイレと男性用トイレ・洗面所のほかに喫煙ルーム(4人)が設置されている。トイレ・洗面所には調光機能を持たせたLEDを採用しており、普通車の室内照明の最適化と合わせて、車内照明の電力消費をN700系から約20%削減している。なお、編成全体ではグリーン車の定員200名、普通車の定員は1,123名、合計1,323名の定員数となっている。'12.8.21 浜松工場 P:RM(小野雄一郎)
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▲N700と"N700A"のシートモケット柄の違い。提供:JR東海
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"N700A"の登場により、「安全・信頼・快適・環境」の4つのキーワードとともに東海道新幹線は日々"進化"を続けているといえましょう。なお、本誌次号では、より多くの写真とともに"N700A"の魅力に迫ってみたいと思います。

取材協力:東海旅客鉄道株式会社

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▲倶知安駅に到着した急行「ニセコ1号」に郵袋の積み込みを行う郵便局員。全国各地で日常的に見られたこのような情景も、姿を消してから30年近くが経とうとしている。'77.4.1 倶知安 P:山下修司 (RMライブラリー『国鉄鋼製郵便客車』中巻より)
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120821rm157_h14c.jpg先月に引き続き、今月のRMライブラリーは藤田吾郎さんによる大作『国鉄鋼製郵便客車』の中巻をお届けします。本書は昭和2年に誕生した初の鋼製郵便客車スユ30形から、郵便客車として最後の新形式となったスユ44形までを、上・中・下の3分冊で解説するもので、いずれの形式も各バリエーションを極力1-3位側、2-4位側の両側の写真を掲載して、模型製作の参考にもなるよう構成しております。

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▲1952(昭和27)年に2輌が新製された郵政省所有の郵便客車スユ41形。 (RMライブラリー『国鉄鋼製郵便客車』中巻より)
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今月発売の中巻では、スユ41形からスタートし、前半では戦災復旧車を含む軽量化以前の7形式を収録しています。また中ほどでは戦後、進駐した連合国軍が日本国内の基地へ向けた郵便物輸送用に荷物車など接収して運用した軍用郵便車についても解説しています。

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▲72輌が製造され、軽量化後の代表的な郵便客車となったオユ10形。晩年は多くが冷房化され、姿を大きく変えた。 (RMライブラリー『国鉄鋼製郵便客車』中巻より)
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また後半では、軽量化以降の郵便車の代表形式であるオユ10形の各バリエーションについて解説しています。昭和32年の登場以来、昭和59年の取扱便廃止まで、全国の主要幹線を駆け巡った車輌だけに、郵便客車=オユ10という方も多いのではないでしょうか。本書では、落成時の公式写真から冷房化後の姿まで、各バリエーションの形式写真を収録しています。

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▲104レ上り急行「ニセコ」の機関車次位には「北東航21」のオユ10形が連結されていた。函館到着後、郵便車だけは連絡船で夜の津軽海峡を渡り、翌朝東北本線の荷物列車で東京・隅田川を目指した。'80.3 然別-銀山 P:山下修司 (RMライブラリー『国鉄鋼製郵便客車』中巻より)
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さて、続く来月発売の下巻では、残るオユ11からスユ44までを解説するとともに、事業用車への改造車や保存車を解説、全巻が完結の予定です。どうぞお楽しみに。

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▲島秀雄記念優秀著作賞単行本部門を受賞された白土貞夫さんのRMライブラリー『銚子電気鉄道』(→こちら)。

毎年1回、趣味的見地に基づき鉄道分野に関する優れた著作物または著作物に関わる功績を選定し、鉄道および鉄道趣味の発展に寄与することを目的として鉄道友の会(須田 寛会長・会員約3,200名)が選定する島秀雄記念優秀著作賞の2012年の受賞作品の発表が先週末に行われ、白土貞夫さんのRMライブラリー『銚子電気鉄道』(上下巻)が単行本部門を受賞いたしました。

RMライブラリー『銚子電気鉄道』は昨年5月に上巻を、6月に下巻を発行し、地方鉄道ファンのみならず多くの方からたいへんなご好評をいただきました。銚子電気鉄道に関してはこれまでにも多くの雑誌・書籍が発行されておりますが、「なかには何を見て書いたのかと思うような誤りや間違いも少なくない。さらにそれを孫引きして謝りを重ねているものも見受けられる。それらも本書が正す役目が果たせれば、大きな喜びである。」と下巻あとがきで白土さんが記されているように、本書はまさに歴年の"銚子本"の決定版であり、白土さんでなくしては決してなし得ない著作です。ちなみに白土貞夫さんは、1974(昭和49)年までの約30年間にわたって銚子電気鉄道の沿線で暮らされており、毎日通学・通勤に利用されていた方ならではの記述の数々と、自ら撮影された貴重な写真の数々も本書の大きな魅力となっております。

賞の選考にあたった鉄道友の会の島秀雄記念優秀著作賞選考委員会(10名/小西純一委員長)では『銚子電気鉄道』の選考理由を以下のように発表されています。
「本書は、千葉県銚子市を走る銚子電気鉄道について、その歴史、路線、車両などについて上下 2巻で総合的に紹介しています。銚子電気鉄道は、延長わずか6.4kmの小規模な鉄道ですが、最近では「ぬれ煎餅」の販売やサポーターによる経営支援などの取り組みがマスコミでも話題となっています。銚子電気鉄道の歴史は、大正2年に開業した銚子遊覧鉄道にさかのぼることができますが、著者は地元在住のベテラン趣味者として、古くから同社の現状や動向を趣味誌などにレポートし続け、銚子電気鉄道の歴史に関する第一人者として活躍しています。また、本書に取り上げられている写真も、著者自身の撮影によるものが大半を占め、長期にわたる取材の成果が随所に活かされています。本書は、地方私鉄を研究するための手本とも言うべき好著であり、鉄道趣味の成果の発表の模範として、賞にふさわしい著作として選定しました。」

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▲『レイル・マガジン』300号・301号記念特別付録の沖田祐作さんの「機関車表」国鉄編。

2012年の島秀雄記念優秀著作賞はこの白土貞夫さんの『銚子電気鉄道』のほか、単行本部門では、三橋克己、葛英一、藤本邦彦さんの『オハ71形の一族』車両史編さん会(2011) 、定期刊行物部門では渡利正彦さんの「岐阜地区の進駐軍輸送の実態を探る」(電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2011年5月号/6月号掲載)、さらに特別部門では「機関車表DVD版の制作」(沖田祐作)および「貨車に関する一連の著作」(吉岡心平)が受賞されました。

特別部門は単行本や定期刊行物以外の著作物で選考委員会が特に認めるもの、または著作物の企画、複製、展示、頒布、その他著作物に関わる功績を選定するもので、今回受賞された2作品もいずれも弊社の出版と深いつながりのあるものです。
沖田祐作さんの「機関車表」は長年にわたるその構築過程で微力ながら私個人も応援させていただき、国鉄編については『レイル・マガジン』300号記念特別付録として、301号と2回にわたってCD-ROM化させていただきました(編集長敬白アーカイブ「祝 RM300号完成!」参照→こちら)。

siyuukasya002n.jpgまた、吉岡心平さんの「貨車に関する一連の著作」とは、選考委員会の選考理由のなかでも「近年の著作には、『国鉄コンテナのすべて』(ネコ・ パブリッシング /2009)、『私有貨車図鑑』(ネコ・パブリッシング/2008復刻増補)、『有蓋ホッパ車のすべて』(ネコ・パブリッシング/2011)などがあります」と記されているように、RMライブラリーを中心とした吉岡さんの弛みないご努力が評価されたもので、RM本誌連載の「プロフェッサー吉岡の...貨車研究室」ともども長年お付き合いいただいている編集者として嬉しいかぎりです。
▲吉岡心平さんの復刻増補『私有貨車図鑑』。(→こちら

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▲吉岡心平さんによるRMライブラリーの数々。最近刊は『無蓋ホッパ車のすべて』(→こちら)。

2008年にスタートした島秀雄記念優秀著作賞も今年で5回目。ありがたいことに弊社としては湯口 徹さんの『日本の蒸気動車』(2009年選定)、関 崇博さんの『門鉄デフ物語』(2010年受賞)、小林正義さんの『国鉄EF13形』、安保彰夫さんの『出石鉄道』(ともに2011年受賞)と、4年連続5作品が選定されたことになり、誠に光栄かつ身の引き締まる思いがいたします。

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▲5500 系。1959(昭和34)年に、日本初の大衆冷房車(特別料金不要)として登場した5500 系。社史用に当時としては珍しくカラーで撮影されたひとコマ。新名古屋-中日球場前(現・名鉄名古屋-山王) P:名鉄資料館提供

1994(平成6)年6月に名古屋鉄道創業100周年を記念して開館した名鉄資料館では、現在「昭和30年代の名鉄風景」写真展を開催中です。同館に収蔵されている未公開のネガから昭和30年代に的を絞って約50点が展示されており、お送りいただいたサムネールを拝見するに大変貴重な画像ばかりです。名鉄資料館からぜひ皆さんにご覧いただきたいとご案内を頂戴しました。

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▲名鉄資料館での写真展「昭和30年代の名鉄風景」の展示状況。P:名鉄資料館提供
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■「昭和30年代の名鉄風景」写真展
昭和30年代は、日本の高度成長の時代でした。
名古屋駅前に高層ビルはなく、駅前を市電やボンネットバスが走っていました。名古屋に初めて地下鉄ができたのは昭和32年でした。30年代の最後、昭和39年に東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催されるなど、昭和30年代は激動の時代でした。
名鉄も、昭和30年に初の高性能電車5000系が登場し、高速で岐阜~名古屋~豊橋を結ぶ新時代の幕開けでした。昭和34年には日本初の大衆冷房車5500系が、昭和36年には一世を風靡したパノラマカー7000系が登場し、スピードアップとサービス改善が始まった時代でもありました。
しかし、戦前派の電車も元気に活躍し、駅は木造駅舎で、駅員が窓口で切符を売り、改札口で切符を切ったり集めたりしていました。機械化、合理化が始まりだした頃で、鉄道には大勢の人々が働いていました。
名鉄資料館に保管している、その頃の懐かしい写真を特別展示いたします。

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▲花形電車の競演。名鉄の特急5500 系と国鉄の特急「つばめ」。ともに登場して間もない名鉄と国鉄の花形電車の競演。1960年 新一宮(名鉄一宮)-今伊勢 P:名鉄資料館提供

●期間 2012年7月11日(水)~9月10日(月)
 事前予約が必要です(電話で希望日時とお名前、人数をお伝えください)
 休館日 土・日曜日、祝日
 ※ 但し8月26日(日)は特別開館し、事前予約は要りません。
●開館時間午前10時~午後5時

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▲7000 系の10 輌編成。外務省の海外宣伝映画「日本の四季」撮影用に、登場して間もないパノラマカーを伊奈駅構内で10輌編成に組替え、伊奈~ 国府4.6km を走行させた。'61.9.7 伊奈 P:名鉄資料館提供

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▲昭和36 年の集中豪雨で、津島線・尾西線・竹鼻線などが水没した。急遽、竹鼻線の復旧用に砕石運搬の工事臨時列車が運転された。写真は水に浸かった須ヶ口駅をソロリソロリと通過するデキ400 形牽引の工事臨時列車。'61.6.28 P:名鉄資料館提供

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▲平坂支線は、西尾~港前4.5km1960(昭和35)年3 月に廃止となった。
写真の向こう側が西尾方面で、写真手前側には貨物用の側線が延びていた。1959年 港前 P:名鉄資料館提供

meitetusiryoukan06.jpg〔主な展示内容〕
* 昭和30年代の花形電車5000系・5500系・7000系の活躍
* 空から見た30年代の新岐阜・新名古屋・神宮前・知立・東岡崎・豊橋
* 新名古屋駅の切符売り場、改札口、 自動券売機初登場
* 海水浴の臨時特急・河和駅の混雑
* 伊勢湾台風からの復旧
* 国府宮駅の木造駅舎と駅構内、腕木信号機があった松木島駅
* 貨物列車と荷物列車の活躍
* バス車掌の業務
* 運転現場・車両現場・土木現場・踏切警手 など
●交通名鉄広見線 日本ライン今渡駅下車 徒歩20分(駅に案内図あり) タクシー7分
●問合せ先:名鉄資料館
 岐阜県可児市川合北2-158 TEL (0574)61-0831

▲三河線松木島駅の出札口。東京までの切符が購入できた。東京までの運賃は700 円。旅客運賃表の運賃が興味深い。このしばらく後、駅は無人化され、2004(平成16)年に三河線・碧南~吉良吉田の廃止とともに駅も廃止された。 1959年 P:名鉄資料館提供

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▲新岐阜から徹明町方面へ向かう岐阜市内線を、新岐阜ビルから見る。'61.1.6 新岐阜駅前(現・名鉄岐阜) P:名鉄資料館提供

平日のみの開館で、しかも事前予約が必要とあってなかなか足が向きにくい名鉄資料館ですが、上記のとおり来週8月26日(日曜日)は特別開館日で事前予約不要で見学することが可能です。名鉄ファンならずとも必見の写真の数々ですので、ぜひ足をお運びになることをお勧めしたいと思います。

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▲「クイズラリー」の途中でぜひ見ておきたい柴田屋敷町公園に保存されている市電1829号。オリジナルの塗色を保ち、保存状態も良い。P:宮武浩二
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京都市の公営交通は1912(明治45)年6月11日の市電開業以来、今年で100周年を迎えました。これを記念して7月21日より京都市交通局では100周年記念イベント「市電クイズラリー」を開催しています(8月31日まで)。京都市電全廃から今年で34年。古都を網の目のように走っていた市電の記憶も次第に薄れゆくなか、実に注目される夏休みイベントです。

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▲柴田屋敷町公園の市電1829号車内。地域の集会場として活用されている。P:宮武浩二
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この「市電クイズラリー」は京都市電ゆかりの場所を巡ってクイズの答えを探すというもので、まず地下鉄各駅や案内所でラリー台紙(兼応募用紙)となっている京都市交通局の情報誌『おふたいむNo.142 8月号』を入手(無料)し、「電気鉄道事業発祥地の碑」(京都市下京区塩小路東洞院南西門、日本で最初に電気鉄道を運行した京都電氣鉄道株式会社発祥の記念碑が展示されている)、「塚本児童公園」(京都市左京区一乗寺塚本町、700形720号を展示)、「大宮交通公園」(京都市北区大宮西脇台町、1800形1860号とN電を展示)、「烏丸御池展示スペース」(烏丸御池駅北改札中階,旧御池ギャラリー、公営交通100周年を記念したパネルを展示)でクイズの答えを探して、最後は応募用紙を烏丸御池市バス・地下鉄センターで達成スタンプを押して参加賞(先着5000名)をもらいます。あわせてプレゼントの応募を行うと抽選で100名に市電の停留所表示板やグッズが当たるお楽しみもあります。

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▲「市電クイズラリー」の車内吊りポスター(左)と烏丸御池駅の展示コーナー(右)。P:宮武浩二
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120815n008.jpg情報をお寄せいただいた宮武浩二さんから、このクイズラリーにエントリーされた際に折角だからあわせて訪ねてほしいおすすめ市電スポットをご紹介いただきました。
まずは近鉄京都線伏見駅前の柴田屋敷町公園に保存されている市電1829号です。集会場として活用されており、塗色も京都市電時代を踏襲しており、台車付きの美しい姿を見ることができます。駅前から徒歩2分という好立地ですのでラリーの途中で少し足をのばすと良いでしょう。
▲烏丸御池駅の案内所。P:宮武浩二
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▲梅小路公園のN電27号。素晴らしい状態で動態保存されており、土曜、日曜、祝日には乗車体験も可能。P:宮武浩二
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もうひとつはご存知の梅小路蒸気機関車館の裏手にあたる梅小路公園で動態保存されているN電27号です。明治村のN電が運転を休止してしまっただけに、貴重な動態のN電で、ポール回しも見ることができます。ただし、運転が土曜、日曜、祝日の10〜16時(15分間隔)と限られていますので、訪れる際は注意が必要です。

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▲販売されている「京都市電撤去レール文鎮兼喚鐘」。これはお値打ちもの。P:宮武浩二
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そして最後は車輌ではなくグッズをご紹介しましょう。京都駅前、北大路案内所など京都市交通局協力会が運営する案内所で販売されている「京都市電撤去レール文鎮兼喚鐘」です。京都市電河原町線で使われていた軌条をスライス加工したもので、喚鐘として添付されている木槌で叩くと澄んだ金属音が鳴り響きます。それにしても廃止から30年以上経った現在でも本物の市電グッズが手に入るのは驚きです。
夏休みも残すところ二週間あまり、ぜひファミリーでこの「市電クイズラリー」に参加してみてはいかがでしょうか。

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▲"サンシャインレッド"の新塗色でイメージを一新した23000系"伊勢志摩ライナー"。これは23103~の編成で、今後登場する偶数編成は"サンシャインイエロー"になる予定。'12.8.2 五位堂検修車庫 P:RM(高橋一嘉)
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現在発売中の本誌RM348号でもご紹介したとおり、近鉄のリゾート特急のフラッグシップである23000系"伊勢志摩ライナー"のリニューアル(編集長敬白アーカイブ「"伊勢志摩ライナー" 18年ぶりにリニューアル」参照→こちら)が実施され、8月4日から営業運転を開始しました。

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▲大阪方先頭の6号車デラックスカーの車内。内装は木目調に、シート生地はベージュの織物に変更され、「上質で安らげる空間」としている。'12.8.2 五位堂検修車庫 P:RM(高橋一嘉)
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▲5号車サロンカーの車内。本系列の最大の特徴とも言えるハイバックのボックスシートはこれまで通りに、生地がピンク基調の明るいものに変更、テーブルは天然木製となった。'12.8.2 五位堂検修車庫 P:RM(高橋一嘉)
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▲「伊勢志摩の海のさざ波」を表現した4種類のブルーのシート生地を採用した1~4号車レギュラーカーの車内。ベースのブルーは1輌のなかで大阪方から賢島方に向かって濃くなる仕様となっている。'12.8.2 五位堂検修車庫 P:RM(高橋一嘉)
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大阪・京都・名古屋の3都市と伊勢・志摩を結ぶリゾート特急"伊勢・志摩ライナー"が登場したのは、今から18年前の1994(平成6)年のことです。21000系"アーバンライナー"譲りの先鋭的な流線型とともに、グループ客向けに4人用、2人用の大型ボックス席を配するサロンカーを連結したことで話題となりました。

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▲デラックスカーの前後壁面に飾られる伊勢志摩産の真珠による宝飾品(左)。2号車のモ23500形の賢島方に設けられた多目的化粧室(右)。ここを含むすべての洋式便所に温水洗浄便座が設けられた。'12.8.2 五位堂検修車庫 P:RM(高橋一嘉)
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今回のリニューアルでは、レギュラーカー、デラックスカー、サロンカーという3種類のシート配置はそのままに、内装や腰掛の生地などを全面的に変更することで雰囲気が一新されたほか、腰掛への電源用コンセントの設置、喫煙室の新設による全席禁煙化、すべての洋式便所への温水洗浄便座の搭載などが実施されています。

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▲3号車のモ23400形の賢島方に設けられた喫煙室。大型窓が設けられたため、この車輌は外観の窓配置も変更されている。'12.8.2 五位堂検修車庫 P:RM(高橋一嘉)
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リニューアル1本目となったは23103~の編成で、以後、来年7月までに全6編成がリニューアルされる予定です。なお、塗色は奇数編成が「サンシャインレッド」、偶数編成が「サンシャインイエロー」となる予定とのことです。

※弊社は8月13日から15日まで全社休業となります。小ブログも休載させていただきますのでご了承ください。

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▲内郷浜に寄り添うように終点の江差を目指す125D。'09.4.9 上ノ国-江差 P:辻 晴穂
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二十年来親しくさせていただいている北海道・江差町の辻 晴穂さんから、江差線木古内~江差間の廃止報道が流れて驚いています、と8月8日付け『北海道新聞』をお送りいただきました。オリンピックの女子バレーボール報道を押しのけて最上段8段抜きで扱われていることからしても、地元の衝撃の大きさがうかがい知れます。

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▲第一天の川橋梁を渡るキハ40単行の江差行き125D。'08.8.31 宮越-湯ノ岱 P:辻 晴穂
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同紙によれば、JR北海道は2015年度末の北海道新幹線新函館(仮称)開業を前にした2014年春を目途に木古内~江差間42.1㎞を廃止する方針を固めたとのことで、9月上旬にも江差、上ノ国、木古内の沿線3町に対して廃止を前提とした協議を申し入れる模様だそうです。

120810n007.jpg去る6月29日には国土交通省が北海道新幹線新函館(仮称)~札幌間(約211.5km)の着工を認可(編集長敬白アーカイブ「整備新幹線3区間の着工を認可」参照→こちら)、これによって先行開業予定区間新青森~新函館(仮称)間を含む北海道新幹線全線が現実のものとなるわけですが、江差線の五稜郭~木古内間はいわゆる並行在来線としてJRから経営分離のうえ第三セクターとして存続することがすでに決定しており、"盲腸線"として取り残されるかたちの木古内~江差間の処遇が注目されていました。

▲第二天の川橋梁を行く4177D。現在この区間は一日6往復のみとなってしまっている。'10.1.7 宮越-湯ノ岱 P:辻 晴穂
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▲津軽海峡沿いの木古内から日本海側の江差の町へ、渡島半島を縦断する車窓には北海道らしい風景が広がる。'10.3.9 上ノ国-江差 P:辻 晴穂
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木古内~江差間では現在キハ40形(ワンマン)が単行で運用されており、一日の運転本数は6往復。2011年度の輸送密度(1㎞あたりの一日平均利用客数)は41人とJR北海道全路線のなかでもワーストで、「三セク鉄道への転換でも大幅赤字が避けられないとみられることから、廃止後はバス転換される公算が大きい」(『北海道新聞』)と思われます。もしこの木古内~江差間が廃止されるとなると、道内では1995(平成7)年の深名線廃止以来のJR線廃止となります。

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京王線調布地下駅公開。

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▲本線とはまだ線路がつながっていないため電車の姿はないが、軌陸車に連結された建築限界測定用の車輌の姿が見られた。'12.8.4 P:RM(高橋一嘉)
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来年(2013年)に笹塚~調布間の開業から100周年という節目の年を迎える京王線ですが、その調布駅付近が来る8月19日には地下化されます。その切り替えを前に、新しい調布地下駅が報道陣および一般公募による参加者3000名に公開されました。

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▲新しい調布駅の中央口改札。このほか新宿方に東口改札ができる。'12.8.4 P:RM(高橋一嘉)
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この工事は、「京王京王線・相模原線(調布駅付近)連続立体交差事業」というもので、東京都が事業主体となって実施しているものです。この工事により京王線約2.8㎞と相模原線約0.9㎞が地下化され18箇所の踏切を解消するとともに、国領・布田・調布の3駅が地下駅に切り替えられます。

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▲上りホームから八王子・橋本方を見る。左が相模原線、右が京王線。'12.8.4 P:RM(高橋一嘉)
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120808n08.jpgなかでも京王線と相模原線のジャンクションである調布駅は、現在駅の直下に改札階と上下ホームからなる3層の駅を構築する大工事でした(最深部の深さは約21m)。これまで調布駅は京王線上り線と相模原線下り線が平面で交差する配線になっていたため、京王線のダイヤ上のネックとなっており、相模原線の上り列車は調布駅の場内信号で開通待ちをすることが多々ありましたが、今回、上下ホームが2層(下り:地下2階、上り:地下3階)に分かれることにより、これが解消されることになります。
▲上り線の新宿方を見る。布田駅に向かって登り勾配が続く。右側には将来の線増線用のスペースが確保されている。'12.8.4 P:RM(高橋一嘉)
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▲青で案内される地下2階の下りホーム。写真中央のエスカレータは地下3階の上りホームへのもので、「赤」で区別され、乗り口には京王デパートと高層ビル群のイラストが配されている。'12.8.4 P:RM(高橋一嘉)
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▲上りホームは青、下りホームは赤のサインで視覚的に区別。下り方面の目印は高尾山の天狗(左)。赤で案内される地下3階の上りホーム(右)。'12.8.4 P:RM(高橋一嘉)
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▲ホーム階と改札階を結ぶ2基のエレベータ。'12.8.4 P:RM(高橋一嘉)
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さらにホーム幅も最大で従来の約5.9mから13mに広がるほか、当然ながらバリアフリーにも対応しており、改札階とホーム階の間には2基のエレベータと合計5組のエスカレータが設置され、うち1組は地下1階(改札階)と地下3階(上りホーム)を直通するものです。また、地下化される3駅ともホームドアが設置されていることも特徴です。

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▲京王線と相模原線の分岐駅として賑わいの絶えることのない現在の調布駅。昭和28年に八王子方から現在地に移転したので、地下化で2度目の移転となる。'12.8.4 P:RM(高橋一嘉)
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なお、切り替え当日の8月19日(予備日9月2日)は初電から10時ごろにかけて京王線、相模原線、競馬場線の各線で区間運休、バス代行が予定されており、工事時間帯の利用はなるべく控えるように告知されていますので、ご留意ください。
※京王線調布地下駅の詳細は今月21日発売のRM本誌で詳しくご紹介いたします。

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▲夏の陽射しの中、ついに71号の解体が始まった。71号は1921(大正10)年梅鉢鉄工所製なので、実に91年の生涯であった。'12.8.3 P:澤田節夫
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先週「この夏休み中に解体される...」とお伝えした兵庫県尼崎市の七松幼稚園の阪急71号木造車ですが、何と金曜日、8月3日に解体されてしまいました。澤田節夫さんがその一部始終を見届けられ、さらに撤去2日後の現地の様子も撮影してくださいました。

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▲二重屋根の室内では手作業で解体作業が行われてゆく。'12.8.3 P:澤田節夫
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▲解体途上で露出した大正時代の木造電車の構造。台枠の長土台(右下)は腐り落ちてしまっていた。'12.8.3 P:澤田節夫
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解体作業は長年にわたって71号を管理してこられた副園長さんらに見守られながら、重機と作業員の方の手作業によって手際よく進められました。澤田さんによればその解体の工程中、外観からはわからなかった新たな発見もあったそうです。そのひとつが側扉戸袋部の周辺などに組まれた鉄骨で、木造車といえども梅鉢では補強材として要所要所に鉄骨も使っていたことが知れます。

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▲運転台が撤去されていた側から解体中の71号を見る。木製構体の側扉部周辺などに鉄骨が入れられているなど、予想外の発見もあった。'12.8.3 P:澤田節夫
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▲梅鉢の特徴を感じさせる運転室窓(右)や戸袋部(左)。'12.8.3 P:澤田節夫
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台枠は鋼製ですが、長土台はすっかり腐り落ちてしまっており、今やクレーンで吊り上げて移設することも困難だったかもしれません。しかしながら、かえすがえすもこの大正時代の木造電車が製造91年目にして消え去ってしまったのは残念でなりません。

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▲そして2日後の日曜日...、まるで泡沫の夢の如く71号の姿は消え去っていた...。'12.8.5 P:澤田節夫
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さようなら阪急71号。

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▲とても保存56年とは思えないしっかりとした姿で残されている七松幼稚園の阪急71号。七松幼稚園はJR立花駅近く。'12.7 P:澤田節夫
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兵庫県尼崎市の七松幼稚園(尼崎市七松町2丁目)に1956(昭和31)年から置いてある阪急71号木造車が、この夏休み中に解体されるとの情報を澤田節夫さんから頂戴しました。今春発行した『東京メトロだいすき』(→こちら)では東京・目黒の日出幼稚園の校庭で長年にわたって園児たちに親しまれながらも校舎改築のため姿を消す400形454号(その後譲渡先が決定)をご紹介しましたが、こちらは1989(平成元)年の保存開始、しかも鋼製車です。それを考えると実に56年の歳月を生き延びてきた木造車の存在はまさに奇跡と言えましょう。

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▲最初は運転台機器がついていたようだが、残念ながら現在では残っていない。ただ運転台天井は当時のままのようだ(上)。室内灯は場所はそのままだが交換されている。当時はシャンデリアだったという(下)。'12.7 P:澤田節夫
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この71号は阪急電鉄の前身である阪神急行電鉄が新製した15m3扉車「51形」38輌のうちの1輌で、71号は1921(大正10)年梅鉢鉄工所製。戦後は複雑な変遷を経ながら最後の木造車として箕面線で活躍し、廃車直後にこの七末幼稚園に保存されました。

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▲椅子は傷んだのか板張りに変わっているが、袖はそのままで、網棚受けと後半部には吊革も残っている(左)。運転台横窓は現役当時のまま上部にRが残っている(右)。'12.7 P:澤田節夫
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今回、澤田さんは副園長先生のご好意で幼稚園の構内及び車内にも入れていただき、現車をつぶさに観察されてきました。また、その際には搬入当時の写真も見せていただけたそうで、車体を持ち込まれたご本人の園長先生も現役でお元気だそうです。

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▲車体の片側運転台部は搬入後だいぶたってから切断されている。側扉は建物用に交換されている。'12.7 P:澤田節夫
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▲二重屋根のベンチレーター(左)。明りとり窓のガラスは型ガラスが残っているところもあり、通風口もある(右)。
'12.7 P:澤田節夫

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▲車内櫛桁部に車内番号がオリジナルのペンキ書きで残っている(左)。扉ステップは取付金具を含め現役当時のまま(右)。'12.7 P:澤田節夫
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▲七松幼稚園の校庭全景。半世紀以上にわたって親しまれてきたこの光景も間もなく見られなくなる。'12.7 P:澤田節夫
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車体は木造とはいえ、台枠はしっかりした鋼製で、一度クレーンで吊って位置を変えたそうですが車体はびくともしなかったそうです。いずれにせよ「大正時代の木造車体が雨ざらしで今まで残っているのは奇跡と思います」と澤田さんがおっしゃるとおりまさに希有な例で、やむをえぬこととはいえ、解体されてしまうのは何とも残念でなりません。

※6日まで不在のため小ブログは休載とさせていただきます。

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