鉄道ホビダス

2012年7月アーカイブ

120729n9789.jpg
▲丸瀬布いこいの森の軌道のかつての林鉄の路盤をそのまま使っている部分を熱心に観察する参加者の皆さん。'12.6.23 P:夢里塾 (真鍋 英)
クリックするとポップアップします。

この後、ツアーはやまびこ温泉にて昼食。丸瀬布のもうひとつの観光目玉である昆虫生態館の見学を行った後、郷土資料館で収蔵してある当時の写真の見学を行いました。
ツアーのラストは起点6km地点に残る築堤と暗渠の見学。実際に築堤部分を歩いていただき、現在はうっそうとしてしまった木々の間に不自然に続く平らな路盤部分を体感していただきました。いこいの森に続く道路のすぐ脇に残る当時の遺構に参加者のみなさんは驚いていたようです。

120729n4287.jpg120729n4280.jpg
▲起点6km地点に残る築堤と暗渠を探索する参加者の皆さん。'12.6.23 P:夢里塾 (磯貝勝幸)
クリックするとポップアップします。

今回のツアーは、「編集長敬白」で取り上げていただいたこともあり、森林鉄道に興味のある方々にも遠くからご参加していただけました。また、昨年から収集整理してきました資料や写真も徐々に活用したプログラムとなりました。まだまだ発展途上のツアーではありますが、今後も丸瀬布の森林鉄道の魅力と、唯一動態保存されている生き字引、雨宮21号の魅力の発信に更なる工夫を加えていきたいと考えています。

120730n16.jpg
▲丸瀬布道の駅で開催された「雨宮21号PR展」。廃線跡調査報告も展示された。'12.7.14 P:夢里塾 (只野博之)
クリックするとポップアップします。

なお、夢里塾では、7月14日(土曜日)に、丸瀬布道の駅にて「雨宮21号PR展」を行いました。道の駅に仮設テントを張り、現役時代の林鉄写真の展示や現在の雨宮21号の写真、現在の地図上に復元した森林鉄道路線図や、現時点で判明している廃線跡調査報告、観光ポスターや乗工社製雨宮21号HOn模型運転などの展示を行いました。また、ご来場いただいた方には雨宮21号の乗車割引券の配布も行いました。当日は連休初日でもあり、多くの方に雨宮21号や森林鉄道の魅力を発信することができました。特別ゲスト?として、丸瀬布のゆるキャラ「あめまる君」や車掌も登場し、会場を盛り上げていました。

120730n24.jpg
▲「雨宮21号PR展」では模型の展示運転も行われて子どもたちの人気を集めた。'12.7.14 P:夢里塾 (只野博之)
クリックするとポップアップします。

真鍋さんご報告をありがとうございました。ところで、RM本誌の告知でご存知の方も多いかと思いますが、夢里塾では今年初めて「北海道遺産蒸気機関車 雨宮21号フォトコンテスト」を開催いたします。エントリーは8月20日から。ぜひふるってご応募ください。

120730n21.jpg
▲北海道遺産としてますます注目を浴びる雨宮21号。いこいの森の大自然の中を走る姿は被写体としても実に魅力的。'10.10.7 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

■北海道遺産蒸気機関車 雨宮21号フォトコンテスト
北海道遠軽町では北海道遺産森林鉄道蒸気機関車雨宮21号や丸瀬布森林公園いこいの森を走る森林鉄道の魅力を引き出すような愛情あふれる作品を募集する。
【応募期間】平成24年8月20日(木) ~ 10月28日(日)
■最優秀賞 1名 副賞 ホテルマウレ山荘1泊2食宿泊券2名様分、遠軽町地場産品
■優秀賞 2名 副賞 ホテルマウレ山荘1泊2食宿泊券1名様分、遠軽町地場産品
■佳作 若干名 副賞 ホテルマウレ山荘お食事券、入浴券2名様分
【携帯電話・ スマートフォン部門】(同時開催)
■最優秀賞 1名 副賞 ホテルマウレ山荘1泊2食宿泊券1名様分、遠軽町地場産品
■佳作 若干名 副賞 ホテルマウレ山荘お食事券、遠軽町地場産品
※ 入賞者全員に賞状、副賞として 雨宮21号乗車券、やまびこ温泉入浴券2名様分を贈呈
※ 応募者全員の中から抽選で雨宮号テレフォンカードをプレゼント

■応募はこちらから(携帯電話・スマートフォン部門は除く)
遠軽町ホームページ 観光情報サイト http://engaru.jp/kankou_info/kankou_info_index.html
イベント情報から雨宮21号フォトコンテストをクリックして応募専用フォームにアクセス。
携帯電話・スマートフォン部門 同時開催
カメラ付き携帯電話などのカメラ機能で撮影された作品。左のQRコードから撮影された携帯・スマートフォンで必要事項を記入の上、直接応募する。(サイズは最大3Mまで )
審 査 員
中井精也氏(鉄道写真家)
早川裕朗氏
山本学氏
前田敏雄氏

【主 催】夢里塾
【後 援】公益財団法人太陽北海道地域づくり財団
【遠軽町】えんがる町観光協会丸瀬布支部
【協 賛】株式会社丸瀬布観光公社(マウレ山荘 )
株式会社ネコ・パブリッシング(Rail Magazine)
【問い合わせ】
〒099-0203 北海道紋別郡遠軽町丸瀬布中町
遠軽町丸瀬布総合支所産業課内 「雨宮21号フォトコンテスト係」
電話0158-47-2213

120726jnr9.jpg

RML156bn.jpg

120622nRML155bn.jpg

nankai_bunner.jpg

120729n9773.jpg
▲雨宮21号が走る丸瀬布いこいの森の軌道の路盤の一部は林鉄時代のものが使われている。雨宮21号の牽く列車をバックに解説に熱心に聞き入る参加者の皆さん。'12.6.23 P:夢里塾 (真鍋 英)
クリックするとポップアップします。

6月15日付けの小ブログ(→こちら)で告知のお手伝いをさせていただいた丸瀬布夢里塾主催の第3回「武利意森林鉄道廃線跡ツアー」が去る6月23日(土曜日)に開催されました。夢里塾の真鍋 英さんから当日のレポートを頂戴いたしましたのでご紹介いたしましょう。

120729n3979.jpg120729n3988.jpg
▲現地視察にさきがけてコミュニティーセンターでは武利意森林鉄道の歩みがスライドを用いて解説された。'12.6.23 P:夢里塾 (磯貝勝幸)
クリックするとポップアップします。

丸瀬布夢里塾では、6月23日(土曜日)に第3回目となる武利意森林鉄道廃線跡ツアーを開催しました。今回は昨年開催の第2回目のプログラムに加えて、森林鉄道武利意幹線起点24㎞地点の分岐停車場跡まで足をのばしたツアーとなりました。参加者は20名ほど。遠く札幌や旭川からの参加もありました。また、ネコ・パブリッシングの名取紀之編集局長のブログを見てお出でになったという方も数名おり、丸瀬布の森林鉄道への関心の高さを知ることとなりました。

120729n4070.jpg
▲オーラルヒストリーを披露してくださった高橋哲夫さんのお話を聞く参加者と、森の中に残る3号橋のコンクリート製の橋台。'12.6.23 P:夢里塾 (磯貝勝幸)
クリックするとポップアップします。

ツアーは8時40分から丸瀬布市街地にあるコミュニティーセンターにて開会式を行い、その後、武利意森林鉄道35年間の歴史と、雨宮21号をはじめとする武利意森林鉄道で活躍した車輌についてスライドショーを実施しました。ロータリー除雪車(酒井工作所製 )や15tディーゼル機関車 (協三工業製)など、今回は当時の貴重な写真もご覧いただくことができました。

120729n4025.jpg約30分間の説明の後は、バスに乗車いただき貯木場跡地に残る武利意幹線1号橋の橋台跡と、起点を記す石碑を見学。続けて丸瀬布川に残る2号橋橋脚と湧別川の3号橋橋脚の見学となりまた。3号橋のたもとでは、武利意森林鉄道開通年と同じ、昭和3年生まれの高橋哲夫さんによる、当時の様子についての語り部を実施。強制労働者のことや、自宅脇を通る林鉄の出来ごとなどを語っていただきました。当時のことを今に伝える数少ない生き証人のお話に、参加者の誰もが聞き入っていました。

▲武利意森林鉄道の起点を示す石碑。'12.6.23 P:夢里塾 (磯貝勝幸)
クリックするとポップアップします。

120729n4064.jpg
▲語り部の高橋哲夫さんによる解説に聞き入る参加者の皆さん。'12.6.23 P:夢里塾 (磯貝勝幸)
クリックするとポップアップします。

120729n4090.jpg3号橋の後は、道道1070号を通り分岐へ移動。この道道は、林鉄幹線の跡を利用しており、途中には現在も橋脚や発電所跡などの遺構があり、車内からご覧いただきました。分岐では用意した資料にある当時の写真と地図から撮影場所を特定してもらう作業を行いました。現在も分岐周辺の山並みは当時の雰囲気を残しており、容易に場所を探し当てられたようです。

▲写真の特徴から古写真の撮影場所の同定を試みる参加者の皆さん。'12.6.23 P:夢里塾 (磯貝勝幸)
クリックするとポップアップします。

120729n4084.jpg
▲分岐で武利意幹線と七の沢支線について説明を受ける参加者の皆さん。左端の構造物は当時の発電所跡。'12.6.23 P:夢里塾 (磯貝勝幸)
クリックするとポップアップします。

分岐から先は現在通行止めとなっているので、ツアーはここで引き返し、いこいの森へ移動。現在も動態保存されている雨宮21号牽引の列車に乗車し、現在も園内に残る廃線跡へ移動しました。この廃線跡は、路盤そのものを現在も林鉄線路として使用しているので、乗車列車を途中で止め安全確認を行った上、ステップを使用して下車。乗車してきた列車の前方に延びる線路部分からが、当時の線路部分そのものであることの説明を、雨宮21号機関士の小山から行いました。この区間には当時の暗渠もそのまま残っており、路盤の補強は行ったものの、築堤の雰囲気など当時の面影が強く残る部分となっています。近くに停車させてある雨宮号の雰囲気も手伝って、そこに林鉄が走っていたことに思いをはせる、とてもいい演出となりました。

120726jnr9.jpg

RML156bn.jpg

120622nRML155bn.jpg

nankai_bunner.jpg

DSC_4392_520px.jpg
▲C11 227号機は7月21日から青色に塗られ「SLくん」として運行を始めた。夏休み期間限定で、8月19日までの火・水曜日を除く毎日と、8月25、26日に新金谷~千頭駅間を1往復する。P:大井川鐵道
クリックするとポップアップします。

1976(昭和51)年7月のC11 227号機動態復活以来、実に36年にわたって大井川鐵道を走り続ける蒸気機関車は、大井川流域の貴重な歴史的資源として、全国に向けて広くその魅力を発信し続けています。昨年は地元の島田市、川根本町、そして大井川鐵道が中心となってその魅力を発信するイベント「SLフェスタ」が初めて開催され、大好評を博しました。今年も2回目となる「SLフェスタ2012」が10月5日(金曜日)~8日(月曜日/祝日)開催される予定(→こちら)で、今回初めての試みとして「SL写真コンテスト」が大規模に開催されます。

120727n001.jpg
▲「SL写真コンテスト」特設サイトのトップページ。中段には最新の応募画像7点が左右スクロールのかたちで表示される。
クリックするとポップアップします。

この「SL写真コンテスト」の特筆すべき点は大井川鐵道と沿線自治体が主体となったSLフェスタ2012実行委員会が主催しているにも関わらず、作品テーマが全国どこの蒸気機関車でも構わないことでしょう。また、特設サイトの応募に限定されており、しかもその応募作品がリアルタイムに閲覧できるのもこれまでにない興味深い点です。ちなみに弊社もこのコンテストに協力しており、「鉄道ホビダス」のトップ画面にバナーを貼っておりますので、こちらからもエントリーおよび閲覧が可能です。

ichiran.jpg本日現在、すでに200作品を越える応募が集まっており、「今日の一枚」と同様に日々追加更新されています。しかもテーマがいわば"門戸開放"されているだけあって、被写体も実に多種多様。なかには台湾での復活蒸機活躍の様子も見受けられます。
閲覧方法をあらためてご紹介すると、まず「SLフェスタ2012」の特設サイトから「SL写真コンテスト」(→こちら)にアクセス。トップ画面中段には最新のエントリー7枚が表示されますので、より詳しく知りたい作品を選んでクリックすると詳細画面に飛び、該当作品の撮影データ(区間、タイトルなど)、説明を読むことができます。またトップ画面の「写真一覧」をクリックすると、これまでの応募作品が1ページ16枚表示で閲覧できます。
▲「写真一覧」ではこれまでの応募作品すべてを閲覧することが可能。
クリックするとポップアップします。

pickup.jpg
▲トップ画面、一覧画面ともに任意の1作品をクリックすると解説などを含む詳細画面が表示される。
クリックするとポップアップします。

■応募要項
【テーマ】全国どこのSLでも構いません。また、撮影時期やプロ・アマ等も問いません。
【応募期間】
平成24年7月2日(月)~平成24年8月31日(金)
【募集要項・応募方法】
「SLフェスタ2012」のホームページ上の「SL写真コンテスト」サイトからのみ。
※インターネットでの投稿のみのエントリーになります。
詳細は http://www.sl-festa.jp/photo/(→こちら)にて。

応募点数に制限なし。

■審査
審査員長:中井精也
特別審査員:前原誠司衆議院議員
■賞品
・大賞1点 
賞状・デジタル一眼カメラ・島田のお茶
・前原誠司特別賞1点 
賞状・大井川鐵道レアグッズ・島田のお茶
・中井精也特別賞1点 
賞状・デジタルコンパクトカメラ・島田のお茶
・島田市長賞1点 
賞状・島田市特産品詰め合わせ
・川根本町長賞1点 
賞状・川根本町特産品詰め合わせ
・大井川鐵道賞1点 
賞状・大井川鐵道レアグッズ・カレンダー掲載・島田のお茶
・レイル・マガジン賞 1点
賞状・蒸機機関車関連書籍3冊・島田のお茶
・入選15点 賞状・島田のお茶
入選作品を含む受賞作品は、月刊『レイル・マガジン』に掲載
■発表・表彰
平成24年10月7日(日)
SLフェスタ2012会場にて
■主催 SLフェスタ2012実行委員会
■問い合わせ先 島田市役所政策推進課内「SLフェスタ2012実行委員会事務局」
TEL:0547-36-7191
e-mail:seisaku@city.shimada.shizuoka.jp

120726jnr9.jpg

RML156bn.jpg

120622nRML155bn.jpg

nankai_bunner.jpg

120726n12_13p.jpg
▲早いもので全廃から15年が経つEF63形。その活躍も本巻では余すことなく収録。 (『ガイドブック 最盛期の国鉄車輌』第9巻より)
クリックするとポップアップします。

毎年ご高評いただいている浅原信彦さんのライフワーク『ガイドブック 最盛期の国鉄車輌』の単行本、今年の第9巻では、いよいよ皆様にもおなじみの新型直流機の前編をお届けします。

120726jnr9H1.jpg第9巻となる「直流新型電気機関車1」は、そのパイオニアたるED60・ED61からスタートし、ローカル貨物からブルトレまでオールマイティに活躍した「Fの60番代」の原点であるEF60、悲運のSG搭載旅客機EF61、信越本線の両雄EF62・EF63、そして現在も中央本線で最後の活躍を続けるEF64まで、全7形式を収録しています。

120726n32_33p.jpg
▲直流新型機のルーツであるED60も登場当時のぶどう色の姿から収録している。 (『ガイドブック 最盛期の国鉄車輌』第9巻より)
クリックするとポップアップします。

いずれの形式も昭和30~40年代の、新型直流機がもっとも輝いていた時代の写真を中心に収録しており、近年や末期の姿をご存知の方にも「若き日の姿」をお楽しみいただけるものと思います。

120726n78_79p.jpg
▲特急色時代のEF60形500番代。電気機関車として初めてブルートレイン牽引用として製造されながら、わずか2年足らずでEF65形500番代に交替した。
 (『ガイドブック 最盛期の国鉄車輌』第9巻より)
クリックするとポップアップします。

もちろん連載時には掲載できなかった写真・資料、そして諸元表も追加しておりますので、ぜひ1~8巻とともに書架にお揃えいただければ幸いです。なお、本誌での連載は新章・交流機編に突入し、7月発売号では仙山線で活躍した試作機ED40・ED41をお届けします。こちらもご期待ください。

120726n148_149p.jpg
▲現在も貨物列車牽引に最後の活躍を続けているEF64の若き日の姿。右ページは奥羽本線での活躍当時、米沢駅を出発する姿。 (『ガイドブック 最盛期の国鉄車輌』第9巻より)
クリックするとポップアップします。

■『ガイドブック 最盛期の国鉄車輌』第9巻「直流新型電気機関車1」掲載形式
ED60/ED61/EF60/EF61/EF62/EF63/EF64 付:諸元表

120726jnr9.jpg

RML156bn.jpg

120622nRML155bn.jpg

nankai_bunner.jpg

120722n2816.jpg
▲ホームの端にひっそりと佇む百葉箱。校庭などに置かれているものと同じスタイル。写真は谷町線天満橋駅のもので、設置初年は1967(昭和42)年。 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

京都の高橋 修さんから、この夏で大阪市交通局地下鉄の歴史ある「百葉箱」が姿を消すというEメールをいただきました。地下鉄の百葉箱? 寡聞にしてその存在さえ知りませんでしたが、リンクしていただいた日経新聞電子版によれば、駅構内の温度・湿度の観測を目的に設置されているものだそうで、その嚆矢は1934(昭和9)年に遡ると言いますから、実に78年の長きにわたって大阪の地下鉄ホームに存在し続けたことになります。

I120722nMG_2872.jpg120722nIMG_2949.jpg
▲堺筋線堺筋本町駅(左/設置初年1966年)と四つ橋線西梅田駅(右/設置初年1963年)の百葉箱。現在では内部の計測機器はデジタル化されているという。 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

現在でも御堂筋線の梅田駅をはじめ、同線淀屋橋駅、天王寺駅、谷町線天満橋駅、中央線緑橋駅、堺筋線堺筋本町駅、四つ橋線西梅田駅、千日前線鶴橋駅の8駅に設置されており、高橋さんは今回この全駅を回って消え行く百葉箱を記録してこられました。

I120722nMG_2917.jpg
▲御堂筋線梅田駅(設置初年1963年)ホームの百葉箱。毎日利用している方にとっても意外と見逃されがちな存在。 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

そこでRMライブラリー『全盛期の大阪市電』(→こちら)の著者でもある宮武浩二さんにさらなる情報をお願いしたところ、大阪市交通局の広報誌『ノッテ オリテ』No.13に関連記事があるとお送り下さいました。「駅ホームに"百葉箱"!?」と題したこの記事によれば、地下鉄ホームに初めて百葉箱が設置されたのはやはり1934(昭和9)年の淀屋橋駅が最初だそうですから、1号線(御堂筋線)梅田〜心斎橋間開業の翌年、つまり大阪の地下鉄の歴史そのものと歩んできたことになります。

120722nIMG_2995.jpgI120722nMG_2973.jpg
▲千日前線鶴橋駅(左/設置初年1969年)と御堂筋線天王寺駅(右/設置初年1961年)の百葉箱。連綿と記録されてきた観測データは大阪市公文書館に保管されているという。 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

地下鉄ホームは列車進入時の風の影響など安定した温湿度の計測が難しく、そのために設置されたのが百葉箱でした。ことに夏期の熱環境対策として重要視され、2001(平成13)年に地下駅舎の冷房化が完了するまでは、冷房化計画の立案にもおおいに活躍したそうです。

I120722nMG_2846.jpg
▲中央線緑橋駅の百葉箱は設置初年1965(昭和40)年と比較的新しいが、この駅だけはホームの旅客スペース外にあって近づくことはできない。 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

その後も冷房期間外の温湿度変化を長期的に確認するために観測が続けられてきました。さすがに3年ほど前からは旧来のアナログ式からデジタル計測器に変更されて、職員がデータを回収する手間も大幅に軽減されましたが、当然ながら百葉箱に収納せずとも正確な計測が可能なデジタル機器が発達しており、ついにお役御免となってしまうことになりました。

120722nMG_3037.jpg
▲1934(昭和9)年から78年間にわたって観測を続けてきた御堂筋線淀屋橋駅の百葉箱。日経新聞電子版によると、この淀屋橋駅ホームの8月の平均気温は設置直後の1935(昭和10)年には約23℃だったものが1960(昭和35)年には約33℃に10℃も上昇しているという。 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

この大阪市交地下鉄の百葉箱は、この夏、梅田駅を皮切りに順次撤去される予定で、実に78年間にわたって人知れず大阪の地下鉄ホームを見続けてきた百葉箱は歴史の彼方へと消えてゆくことになります。
先日一気に8か所回った時には「宝探しをしている」気分になりました...とは高橋 修さん。場所はホームにある(緑橋はホーム外ですが)のはわかっているのですが、現地に行くまで何処にあるのか分からず、「どこどこ?」とホームを何度も観察したそうです。今年の夏が最後とのことで、子供たち(大人も)に安全に観察してもらいたいと思いましたと、高橋さんは書き添えてくれています。

RML156bn.jpg

120622nRML155bn.jpg

nankai_bunner.jpg

nankai0008nn.jpg
▲現在、南海電車と阪堺電車車内に掲出されている『南海だいすき』の中吊りポスター。表紙にもなっている「ラピート」は住ノ江検車区で特別に撮影させていただいたもの。
クリックするとポップアップします。

先週末、丸ごと一冊南海電車の魅力を詰め込んだスペシャルブック『南海だいすき』が発売となりました。現在、南海電車と阪堺電車車内には中吊りポスターが出ておりますので、利用者の皆さんはすでにお気づきかと思います。

nankai_h1_520pxnn.jpg本書はファミリー向け鉄道月刊誌として好評をいただいている『鉄おも!』の増刊号として企画したもので、今春発売した『東京メトロだいすき』(→こちら)に次ぐ鉄道事業者別「だいすきシリーズ」の6冊目となります(ちなみにこれまでに発行したものは『西武だいすき』、『小田急だいすき』、『京王だいすき』、『阪急だいすき』、『東京メトロだいすき』)。事業者様の全面的なご協力を得て企画・発行しているこのシリーズは、単にファミリー向けというだけでなく、通常の鉄道誌ではなかなかご紹介できないような側面もビジュアルにレポートさせていただいているのが大きな特徴で、本書でもこれまでほとんど紹介されたことのない「鉄道研修センター」内部の様子など、一般ファンの皆さんにも興味深い内容が満載です。

nankai0002nn.jpgnankai0006nn.jpg
▲高野線と「天空」の魅力を斉藤雪乃さんがご案内(右)。高師浜線伽羅橋にある「鉄道研修センター」のレポートも必見(左)。 (『南海だいすき』より)
クリックするとポップアップします。

また、世界遺産として注目を浴びる高野山へは、テレビやラジオで幅広く活躍されている斉藤雪乃さんのご案内で「天空」の旅をレポートしております。橋本から極楽橋までの19.8㎞、標高差443mを24か所のトンネルと実に50‰の勾配を攀じ登る高野線は、まさに日本の誇る山岳鉄道のひとつで、極楽橋から高野山への鋼索線(編集長敬白アーカイブ「高野山ケーブルに乗る」参照→こちら)も大きな魅力です。斉藤雪乃さんにはこのほかにも千代田工場紹介のナビゲーター役もお願いしております。

nankai0007nn.jpg
▲南海線、高野線のほかにも開業100年を迎えた加太線や南海四国ラインと接続する和歌山港線など魅力がいっぱい。 (『南海だいすき』より)
クリックするとポップアップします。

nankai0001nn.jpg「だいすきシリーズ」恒例の「思い出ミュージアム」もファン必見の充実した内容でお届けしております。モハ1501形(省モハ63の割当車)の貴重なカラー写真や、戦後直後の蒸気機関車の様子、「南海タイプ」と通称された独特の凸電たち、さらには南紀直通列車用のサハ4801や後年のキハ5500形なども収録しております。もちろん主要駅のアーカイブ写真もあり、沿線の方々には懐かしい思いでご覧いただけるのではないかと思います。

▲「思い出ミュージアム」のほかにも「こうや号ものがたり」など貴重な写真をふんだんに盛り込んだ企画も収録。 (『南海だいすき』より)
クリックするとポップアップします。

また、本書では阪堺電気軌道の魅力も6ページを割いてご紹介しております。現役最古参の電車として知られ、阪堺線開通100年を記念して昭和40年当時の姿に復元されたモ161形161号をはじめ、RM本誌でも片野正巳さん描き下ろしのイラストを交えて詳細にご紹介したTR1、TR2など(編集長敬白アーカイブ「TR1とTR2 阪堺の"秘蔵っ子"拝見」参照→こちら)も登場します。

nankai0004nn.jpgnankai0005nn.jpg
▲阪堺電車の楽しみ方を楽しくご紹介。新キャラクター「ちん電くん」ご推薦の貸切電車モデルコースも掲載。 (『南海だいすき』より)
クリックするとポップアップします。

この『南海だいすき』は現在全国書店で発売中で、難波駅2階中央改札口の難波駅サービスセンターでも販売しております。ぜひお手にとってご覧ください。

RML156bn.jpg

120622nRML155bn.jpg

nankai_bunner.jpg

120723nIMG_8711.jpg
かねてより小ブログでもご案内しておりました諸河 久さんの講演会が先週末、東京・品川のキヤノンSタワー3階キヤノンホールSで開催されました。事前に申し込まれた300名の参加者の皆さんで広いホールも埋め尽くされ、大型プロジェクターを使った講演会会場は終始熱気に包まれていました。
▲講演会には名古屋や大阪からわざわざお出でになった方もおられ、たいへんな賑わいとなった。'12.7.21 P:キヤノンマーケティングジャパン
クリックするとポップアップします。

講演会の前半は展示作品にまつわる撮影秘話、後半では試行錯誤されて到達された銀塩モノクロフィルムのデジタル化のノウハウを、私がMC役としてお伺いするかたちで進行いたしました。「諸河写真」というとサンニッパに象徴される"大艦巨砲主義"が思い浮かぶ方が少なくないかと思いますが、実は諸河さんの原点は路面電車で、講演は小学生の時に借り物のボルタ判カメラで撮影した静岡鉄道清水市内線の写真から幕を開けました。

120723nIMG_8723.jpgその諸河さんが本格的に鉄道写真に目覚めたのは実は模型工作が発端だったそうです。銀座でお育ちになっただけに、もっとも身近な電車であった都電に興味を持たれたのは当然でしょうが、まさか原点が模型の資料づくりだったとは、少々意外な気がいたします。有名なモデラーの田口武二郎さんらに写真の手ほどきを受け、その田口さんの紹介で路面電車の泰斗、日本橋の高松吉太郎さんに可愛がられ、さらには高松さんと双璧をなしていた宮松金次郎さんにも薫陶を受けるなど、幼くしていわば趣味界の"英才教育"で成長された日々を、諸先輩方の貴重な作品の数々を紹介されながら熱く語られました。
▲展示作品以外の多くの作例も披露された。'12.7.21 P:キヤノンマーケティングジャパン
クリックするとポップアップします。

その後、臼井茂信さんや西尾克三郎さんに強く影響を受け、まさに"直伝"の形式写真を志し、カメラ機材も中判から大判へとステップアップしてゆきます。そして講演でも繰り返し語られていたのが、いかに被写体の車輌を美しく写すかの拘りです。展示作品をあらためて見直してみても、ポールやビューゲルといった集電装置が背景とバッティングせず、空に抜けている作例が多く見受けられます。これも諸河流の美学で、被写体の電車を少しでも美しく記録してあげたいという諸河さんなりの愛情の発露にほかなりません。

120723nIMG_8713.jpg
▲後半は劣化が進む銀塩モノクロフィルムのデジタル化のワークフローを実例を挙げて解説された。'12.7.21 P:キヤノンマーケティングジャパン
クリックするとポップアップします。

講演後半では近年"猛威"をふるっているビネガーシンドローム(編集長敬白アーカイブ「"ビネガーシンドローム"感染拡大中」参照→こちら)を踏まえて、銀塩モノクロフィルムのデジタル化のノウハウを数々の具体例を交えてご説明いただきました。『わが国鉄時代』Vol.7でもその一部をご披露いただいていますが、基本的なワークフローはネガそのものをマクロレンズを装着したデジタル一眼レフで複写するというもの。もちろん最終的にはフォトショップなどの画像処理ソフトが必要となるものの、フィルムスキャナーが次々と市場から姿を消している現状では、まさに"瓢箪から駒"の手軽かつ効果的な手法と言えましょう。会場では熱心にメモを取られる方も見受けられました。

120723nIMG_8732.jpg
▲とても使い物にならなそうな露出オーバーやアンダーのネガが画像処理ソフトも駆使して見事に甦る。デジタル世代でなく、暗室作業を経験したことのある銀塩世代にこそ会得してほしいノウハウ...と諸河さん。'12.7.21 P:キヤノンマーケティングジャパン
クリックするとポップアップします。

最後の輝きを放った全国の路面電車を捉えた貴重なシーンはもとより、最大3m×2mとひと昔前までは思いもつかなかったような巨大なプリントと、粒子さえ感じられないそのクオリティーの高さは、ややもすると過去のものと思われかねない銀塩モノクロフィルムというアーカイブが秘めたポテンシャルにあらためて気づかせてくれます。その意味でも今回の写真展は、講演とともに銀塩世代への大いなる応援歌となったのではないかと思います。
なお、諸河さんの写真展(→こちら)は8月9日(木曜日)まで開催されています。まだご覧になっておられない方は、ぜひとも一見をお勧めいたします。

map_shinagawa.jpg

■諸河久写真展「電車道」~日本の路面電車今昔~
●8月9日(木)まで開催中
●キヤノンギャラリー S
●10時~17時30分 (日曜・祝日休館)
入場無料
●JR品川駅港南口より徒歩約8分
京浜急行品川駅より徒歩約10分

RML156bn.jpg

120622nRML155bn.jpg

kokutetsu30_ADn.jpg

2_3.jpg
▲オユ40 2の側面。中央の郵便差入口は進駐軍の勧告に基づいて設置されたものだった。'55.9.5 尾久客車区 P:伊藤 昭 (RMライブラリー『国鉄鋼製郵便客車』上巻より)
クリックするとポップアップします。

藤田吾郎さんによる大作、『国鉄鋼製郵便客車』の上巻が完成しました。藤田さんはこれまでRMライブラリーの第134・135巻『マニ35・36・37形』、第138・139巻『マニ60・61形 スユニ60・61形』の計4巻で、軽量客車登場前の鋼製荷物車についてまとめていただきましたが、今回の『国鉄鋼製郵便客車』では、1927(昭和2)年登場の、初の鋼製郵便客車スユ30形から、パレット輸送用のスユ44形まで、国鉄の鋼製郵便客車の歴史を上・中・下の3巻に分けてたどっていただきます。

rml156_H1sn.jpg日本における近代郵便事業は1871(明治4)年にスタートしましたが、翌年には品川~横浜間で日本初の営業鉄道が仮開業し、同時に鉄道による郵便輸送が開始されました。以来、1986(昭和61)年にコンテナ便を除き廃止されるまで115年にわたって続けられました。今月発売の上巻では、鉄道郵便の概論としてその略史、「取扱便」「護送便」「東門特例車」など鉄道郵便独自の用語、そして郵便車の構造を解説しています。特に主要各形式車内の記録写真は、郵便客車を知るうえで記録写真は必見といえるでしょう。

14_15.jpg
▲郵便車の大きな特徴の一つである取扱室。走行中に郵便物の区分け作業を行うもので、まさに「走る郵便局」の機能を持つが、郵袋輸送のみを行う護送便専用車や締切便専用車のスユ44形はこの設備を持たない。 (RMライブラリー『国鉄鋼製郵便客車』上巻より)
クリックするとポップアップします。

後半部ではダブルルーフのスユ30形から戦後1951(昭和26)年登場のオユ40・スユ40形まで10形式を、多数の形式写真とともに解説します。実は、当初藤田さんからは、軽量以前、以後の上下2巻構成でご提案をいただきましたが、各形式各バリエーションを1-3位側、2-4位側ともに模型の資料としてもご覧いただくため写真を大きめに掲載することを考え、あえて上中下の3巻構成とさせていただきました。

30_31.jpg
▲スハ32系丸屋根車に属する外観を持つマユ32形(左ページ)とマユ33形(右ページ)。マユ33形は比較的近年まで常磐線馬橋駅近くで車体が利用されていたので、ご覧になられた方もおられるのではないだろうか。 (RMライブラリー『国鉄鋼製郵便客車』上巻より)
クリックするとポップアップします。

44_45.jpg
▲1951(昭和26)年登場のオユ40形。のちに郵袋室の拡大によりスユ40形に変更された。 (RMライブラリー『国鉄鋼製郵便客車』上巻より)
クリックするとポップアップします。

なお、来月発売の中巻ではスユ41形から軽量客車のオユ10形までを収録し、9月発売の下巻ではオユ11形以降とともに、他車種への改造車などを収録の予定です。実物ファン、模型ファンともに必見の3冊、ぜひ書架にお揃えください。

RML156bn.jpg

120622nRML155bn.jpg

kokutetsu30_ADn.jpg

リベレツ市電.jpg
▲言葉を失うほど素晴らしい情景の中を行くリベレツの路側軌道(プロセチュ付近)。まさに美濃町線の上芥見を彷彿させる光景。P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

旧東独を含めた西欧には雰囲気の良い路線は限られていることから、最近になってチェコやポーランドに足を伸ばすようになり、その結果、発見(!)したのが、チェコのリベレツであり、ポーランドのカトヴィチェでした。

リベレツ2.jpg
▲トップの画像とは反対側を見る。なお、走っている車輌はチェコ版PCCとして14000輌近く製造され、旧共産圏諸国の路面電車の標準車となったタトラT3形のプロトタイプ車ともいえるT2形で、現役として残るのはこのリベレツの2輌だけのようだ...と服部さん。P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

リベレツ時刻表.jpgリベレツはドイツ国境に近いチェコ北部の都市で、近年は交通網の整備が進み、ドレスデンから近郊列車が国境を越えて直通運転をしています。リベレツには、軌間1435㎜の路面電車が6kmほど運転されており、それとは別に約10km離れたヤブロネツ・ナド・ニソウに至る軌間1000㎜の郊外線があります。この郊外線の多くの部分は道路端の軌道で、整備もされているのですが、2箇所ほど幹線道路から離れて集落の中に入り込む場所があり、そのあたりが如何にも美濃町線の上芥見、という感じなのです。残念ながら、道路は未舗装ではないにしても、舗装がはげたところがなんとも良い雰囲気を醸し出しています。ただ、この雰囲気の良い区間は、わずか数百メートルです。
▲プロセチュ停留所の時刻表。15分間隔で運転されており、先の停留所までの所要時間が明記されている。P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

リベレツ1.jpg
▲リベレツには2箇所ほど幹線道路から離れて村の中の路側を行くシーンが見られる。こちらはもう一箇所の路側軌道(ピヴォヴァ付近)。P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

シレジア11系統.jpg
▲シレジア・インターアーバンの路側軌道。9系統と11、17系統の合流点ヘブジェ・パプワ付近にて。P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

もうひとつはポーランドの南、シレジア(ポーランド語でシロンスク)炭田の工業都市であるカトヴィチェを中心に、周辺都市を結んで200km近い路線網を有するシレジア・インターアーバンです。長大な路線網ゆえ、乗車できたのはそのごく一部区間だけですが、その印象やネットなどを調べてみると、どうやらそのかなりの区間が美濃町線状態で、路側軌道あり、単線区間あり、行き違い設備あり...と萌える要素がふんだんに詰まっていることに驚きました。もっとも軌道のメンテが行き届いていないので、かなりヘロヘロ状態であるのと、車輌がどこの都市でも見られるポーランド版PCCクローンの105N形であることが減点(あるいは加点かもしれませんが)要素ですが、変化ある風景が延々と続くのは魅力的です。ひょっとしたら、どこかには未舗装路側軌道も残っているのではないか、と思わせる雰囲気もあります。機会があれば、もっと時間をとってそうした区間を探しに行きたい気分にさせる軌道でした。

カトヴィチェ9系統.jpg実はポーランドにはもうひとつ、魅力的なインターアーバン路線があります。それはウッチ(Lodz)の郊外線で北のオゾルクフへの46系統と西のルトミエルスクに行く43系統の2系統がやはり路側軌道でなかなか良い雰囲気で、ポーランドのヴィシナルと呼ばれているそうです。調べてみると、ルトミエルスクの終点のあたりが非常に良さそうな雰囲気なのですが、片道1時間余、さらに1時間間隔とあっては訪問が難しく、20分間隔で運転されている46系統を見てきました。この路線はドイツの中古車が主体で運転されていますが、ご覧のように美濃町線の日野橋あたりを彷彿とさせる風景が続き、ここもなかなか垂涎ものでした。
▲シレジア・インターアーバンは実に200㎞近い路線網を持つという。写真は草生した路側軌道をゆく9系統。なお、車体が傾いているのは、線路状態が極めて悪いため。P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

ウッチ46系統.jpg
▲繊維産業で栄えたウッチにも150km近い路線網があり、郊外に路線を延ばす3路線のうち、2路線がいまだ改良されず、往時の面影を留めている。車輌は、ドイツの中古車が主に使用されている。P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

本論とははなれますが、アジアの路側軌道も一枚...。
最近見た未舗装路側軌道で雰囲気の良かったタイのメークロン線です。メークロン線と言えば、列車の無い時間帯に線路上が市場になっている終点のメークロンが観光地化して、人気を集めています。その反対側、バンコク側路線の終点マハーチャイから渡船で渡った起点のバーンレムのあたりはこうした未舗装路側軌道となっています。車輌は大型の日本製気動車ですが、周囲の鄙びた雰囲気は非常に良く、未舗装路側軌道を走る鉄道の魅力を感じさせてくれます。

タイ メークロン線.jpg
▲市場をかき分けるように走る鉄道として広く知られるタイのメークロン線の非電化路側軌道。ここでも民家の軒先をかすめるように走る。P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

服部さん、心ときめく路側軌道の数々をご紹介下さりほんとうにありがとうございます。ことにリベレツのメーターゲージは何とも言えず魅力的で、機会があればぜひ一度訪ねてみたいものです。土佐電伊野界隈、さらに遡れば現在開催中の諸河さんの写真展(→こちら)に端を発した路側軌道めぐり...皆さんのご協力で時空を超え、さらには海外の最新情報までご紹介することができました。感謝感謝です。

120622nRML155bn.jpg

RML154bnn.jpg

RML153bnn.jpg

kokutetsu30_ADn.jpg

道路脇 _MG_1932.jpg
▲実に魅力的な"路側軌道"だったイタリアはミラノのリンビアーテ線。残念ながら今年5月に路線そのものが休止となってしまったという。P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

先日の「土佐電 伊野界隈」(→こちら)をご覧になった服部重敬さんからたいへん興味深いメールを頂戴いたしました。ぜひ広く皆さんにもご紹介したい内容ですので、ご了解を得て2回に分けてお目にかけることにいたしましょう。ちなみに服部さんはRMライブラリー『富山地鉄 笹津・射水線 ―デ5000系ものがたり―』(→こちら)でも健筆をふわれている路面電車研究の泰斗で、世界各国のトラムについてもたいへん造詣の深い方です。

伊野 1.jpg
▲伊野駅で発車を待つ621号。路面は簡易舗装となっているが、随所に剥れがあって半分未舗装状態となっている。'76.1 P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

「土佐電 伊野界隈」大変興味深く拝読させていただきました。私も「未舗装道路の路側の軌道が何よりの"好物"」であることから、未舗装路側軌道の名残を伝えるこの伊野界隈が好きで、何度も訪れているからです。特に澤田様の撮影された1972年の風景(→こちら)には、少なからずショックをうけました。私が伊野をはじめて訪れたのは1976年1月で、すでにこの時には写真のように、乗り場あたりの未舗装の軌道部分が舗装されていたからです。当時のことですから、多分、簡易舗装かと思いますが、舗装されているのといないのと、これほどまでに受けるイメージが異なるとは思いませんでした。もう数年、早く訪れることができれば、と今さらながら、悔しく思う次第です。

伊野終点カラー.jpgただ、同時に撮影した他の写真を見ると、ポイントから先の方は、まだ、未舗装で残っていたようです。その部分で撮影していないのは、それだけの感性がなかったのか(オート三輪の全景を入れていないことでもそれは明らかです)、あるいは御免線には複線ながら未舗装の併用軌道が残っていたため意識しなかったのか、そのあたりは判然としません。この後、咥内坂を撮影に行っていますので、この時は、おそらく路側軌道というだけで感激してしまっていたのでしょう。

▲早朝の伊野駅に停車中の614号ほか。左に伊野車庫への分岐線が見える。'76.1 P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

伊野2.jpg
▲未舗装の単線軌道を伊野へと向かう。右端にはオート三輪の姿も見える。'76.1 P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

未舗装路側軌道という意味では、個人的には福島や花巻の現役時代を見ていないのが、なんとも残念です。名鉄美濃町線の上芥見は、近かったこともあって何度も通いましたが、廃止になって久しくなります。それゆえ、近年は国内では味わえなくなった未舗装路側軌道を世界に求めるようになりました。

アンデルリュ.JPG
▲ベルギー南部アンデルリュ付近の路側軌道をゆく。かつて本線を上回る路線網を誇っていたヴィシナルの末裔にあたる。P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

欧州の未舗装路側軌道ですが、さすがにモータリゼーションが進む今日では、まず見られなくなっていると思います。少し前に海外で出版された本を見ますと、ルーマニアやCISに魅力的なそうした軌道の写真が載っていますが、現段階ではどうでしょうか? 旧東独にもそうした路線はあったかと思いますが、2軸単車のゴータカーが今なお現役として稼働しているドレスデン近くのバートシャンタウにしても、ベルリン近くの路線にしても、かなり近代化され、車輌はともかく、雰囲気には乏しくなっています。そこで、未舗装はあきらめ、未舗装のイメージを留める路側軌道を探すことになりました。訪欧の目的はLRTの調査ですが、そこの隣接地などでそうした軌道がありそうな都市には足を伸ばして見に行くことにしました。

アンデルリュ・ジャンクション.JPGなかでも感銘を受けたのが、ミラノのインターアーバンです(トップの写真参照)。路側軌道、単線、行き違い場所など、まさに美濃町線の雰囲気そのもので、ここを発見した時は嬉しくなりました。この路線はミラノ市内のターミナルから北部に路線を延ばしており、堀 淳一さんの書籍などを見ますとかなりのネットワークがあったようですが、最近では178系統のデージオ線と179系統のリンビアーテ線の2路線が残っていました。しかし、ミラノ市内のターミナルは1999年に廃止され、178系統は市電路線と接続するニグァルダ、179系統は離れ小島となり、アッフォリがその起点となっていました。

▲かつての福島交通軌道線長岡分岐を彷彿させるアンデルリュ・ジャンクション。三角線の奥が現在使用路線。P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

ところが、最近になっていろいろ動きがあり、昨年3月に地下鉄M3の延伸に伴い、アッフォリの起点が移動し、あわせて1928年製のインターアーバン車輌が牽引する客車列車が無くなりました。続いて、10月1日にはデージオ線が近代化工事に伴い休止となり、さらに本年5月14日にはリンビアーテ線も休止(廃止)となってしまいました。1928年製のインターアーバン車以外にも、1960年代に製造された中央扉の車輌もなかなか味がありますが、見られなくなったのは残念なことです。

チュワンへの途中、ロッブあたり.JPGところで、路側軌道と言えば、電化、非電化あわせて最大4800kmもの路線網を有していたベルギーの地方軌道、ヴィシナル(Vicinal tramway)を忘れるわけにいきません。その路線の名残を伝える北の湾岸線はかなり近代化されているので、南部の工業都市、シャルロアの末端部(現在のM1系統)、アンデルリュにその雰囲気を留めている場所がありそうでしたので、見にいっています。

▲ベルギー南部チュワンへの途中、ロップ付近の併用軌道の廃線跡。P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

ヴィシナルの末裔であるシャルロアの路面電車は、1980年代に路線を大幅に廃止すると共に、都心部を地下化や高架化してLRTに改良した結果、終点のアンデルリュあたりの数区間のみ併用軌道が残るだけとなっています。しかし、さすがにベルギーとあっては、併用軌道が残ったこの区間も近代化され、鄙びた雰囲気はあまり感じられません。
そのアンデルリュから分かれて南のチュワンに伸びていた路線は、やはり1980年代はじめに廃止されていますが、その分岐点は当時の面影を伝えてレールが残っていました。ここの停留所名はなんとアンデルリュ・ジャンクションで、あの福島交通の長岡分岐点を思い起こさせてくれます。また、チュワンへの途中、ロップのあたりも併用軌道の跡が残り、想像力をかきたててくれます。

ASVi保存線 チュワン.JPG
▲ベルギーの保存鉄道ASViでは古き佳き路側軌道の雰囲気を味わうことができる。写真は1931年製の9924号。P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

この分岐線の終点であったチュワンには、ASVi(Association pour la Sauvegarde de Vicinal/ヴィシナル保存協会)という保存鉄道があり、ヴィシナルのディーゼル車輌や軌道車輌を保存し、保存運転も行っています。特にチュワンのあたりは、昔の軌道の雰囲気を残しており、これは垂涎ものでした。また、最近整備されたという非電化の路線も道路脇に敷設されてなかなか良い雰囲気です。

ASVI保存線.jpg
▲ASViでは"Autorail"と通称されるディーゼル・トラムも運転されている。非電化の路側軌道をゆくART.47。P:服部重敬
クリックするとポップアップします。

120622nRML155bn.jpg

RML154bnn.jpg

RML153bnn.jpg

kokutetsu30_ADn.jpg

120630nn301.jpg
▲偶然撮影された2週間前のライン河上流工事事務所軌道。この付近の軌道はライン河左岸(スイス国内)の堤外を走ってる。画面前方が下流ボーデン湖方面。手前はディーポルトザウアー通りの橋の欄干。'12.6.30 P:名取聖子
クリックするとポップアップします。

050925nn301n.jpg
▲そしてまるで定点観測の元写真のような7年前の同地点。この時点ではまだ砕石輸送列車が頻繁に行き交っていた。線路脇の電柱は架線柱で、電線に見えるのはシンプルトロリーの架線。'05.9.25 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

突然ですが、ドイツ、スイス方面に出かけていた家内が撮ってきた写真の1枚に腰を抜かさんばかりに驚きました。何とあのライン河上流工事事務所の軌道が写っていたのです。ライン河軌道は本ブログのタイトルバナーにもしており、かつてその訪問記を詳細にご紹介しておりますのでご記憶の方の多いかと思います(編集長敬白アーカイブ「12年ぶりのライン河上流工事事務所」参照→こちら)。実用軌道としては5年ほど前にあっけなく廃止されてしまい、その後は週末のエクスカーション・トレインの運行だけになってしまったと聞いていますが、個人的にも極めて思い入れが強かった軌道だけに、その消息が気になって仕方ありませんでした。

120714n001.jpg
▲一日の終わり、ユンク製蒸機の牽くエクスカーション・トレインが同地点をルスティナウの機関区へと引き上げてゆく。後部にはコルバッハ採石場から回送される小型電機"Santis"がぶら下がっている。ちなみに、このエクスカーション・トレインは現在でも機会あるごとに運行されている。'05.9.25 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

120714n002.jpgそのライン河軌道の最新画像がまさか居ながらにして自宅に届こうとは...。ノイシュヴァンシュタイン城やら何やら、こちらとしては全く興味のない画像の数々に埋没するように、河川敷を一直線に伸びる軌道の写真が1枚だけ紛れ込んでいたのには、まさに言葉を失いました。前後の画像から類推するに、家内の乗っていたバスはドイツ南部からA14ラインタール・アウトバーンで南下、一旦オーストリア国内に入り、Diepoldsauerstrasse(ディーポルトザウアー通り)で西に折れてライン河を渡ってスイス国内のWidnau(ヴィナウ)で高速E43へ抜けたと思われます。Widnauは工事事務所のあるLustenau(ルスティナウ)から2㎞ほど上流に位置し、小ブログのタイトルバナーを撮影したポイントのすぐ近くでもありますが、まず一般観光客が訪れるような場所ではなく、その意味でも奇跡的な邂逅と言えましょう。
▲ディーポルトザウアー通りから高速E43へのランドアバウト中央には砕石列車の編成がモニュメントとして保存されている。問題の写真が撮影されたのは画面右奥の橋上で、バスはこのランドアバウト手前で一旦停車、件の写真のシャッターが押されたのちに、半周して高速に入ったものと思われる。'05.9.25 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

120714n003.jpg
▲ランドアバウト中央に保存されているディーゼル機関車その名も"Rhein"(ライン)。1950年製の4.2t機で自家製。'05.9.25 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

さっそく7年前の画像を掘り返してみると、恐ろしいほどにそっくりの、ほとんど同じポイントから撮影したコマが見つかりました。ライン河と軌道を跨ぐディーポルトザウアー通りの橋の西端からの撮影で、改めて見比べてみても、まるで元写真と照らし合わせて意図的に定点観測をしたかのようでもあります。もっとも本人はこの写真を撮影した記憶がまったくないそうで、「念写させられたのではないか...」などと申しておりますが...。

120622nRML155bn.jpg

RML154bnn.jpg

RML153bnn.jpg

kokutetsu30_ADn.jpg

120708n002.jpg
▲30‰勾配と半径25m曲線が続く0.7㎞ポスト付近を行く「こども汽車」。梅雨の合間の青空の下、彼方には渥美湾と西浦半島の絶景が広がる。'12.7.7
クリックするとポップアップします。

先週、ひさしぶりに愛知こどもの国を訪れました。もちろん園内で運転されている「こども汽車」がお目当てで、蒲郡から名鉄蒲郡線に揺られてこどもの国駅を目指しました。実は十年以上前にも同じようなルートで「こども汽車」を見に行ったことがありますが、不覚にもこの時は何と運休中。こどもの国駅を降りてから運休を知って茫然としたのを思い出します。

120708n001.jpg
▲唯一の隧道である「やまびこトンネル」を潜ってのりばへと戻ってきたB11牽引の列車。機関車次位の一見テンダーに見える車輌は電源車。'12.7.7
クリックするとポップアップします。

そんな背景もあって今回は事前に確認をしてからの訪問です。財団法人愛知公園協会が運営する愛知こどもの国は約100万㎡の広大な敷地を持つ児童遊園地で、何と入場は無料。あさひが丘と名付けられたキャンプ場やプールなどのエリアと、動物広場や「こども汽車」などを持つゆうひが丘と呼ばれるエリアがさながら瓢箪型のようにレイアウトされており、中央のくびれた部分が中央広場となって両者を連絡しています。

120712n002.jpg120712n007.jpg
▲「ゆうひが丘」山頂に位置する「こども汽車」のりば。この日の運転は20分毎だった。乗車料金は高校生以上200円、小・中学生100円(乳幼児は無料)で、チケットは券売機で購入する。'12.7.7
クリックするとポップアップします。

120712n005.jpg120712n004.jpg
▲構内には給水・給炭設備のほか、転車台も備えられている。小さなシュートの付いた炭台の下には薪が積み重ねられている。'12.7.7
クリックするとポップアップします。

この愛知こどもの国が開園したのは愛知県政100周年にあたる1974(昭和49)年10月。この開園と合わせて福島の協三工業で新製されたのが現在も運転されている2輌の蒸気機関車B11とB12です。自重8t(運整8.3t)のBタンク(1974年8月製/製番8092・8093)ながら、わが国では20年近く蒸気機関車の新製がなかったなかでの誕生だっただけに、当時は大きな話題となったものです。その後、各地の遊園地鉄道で蒸気機関車の導入が図られましたが、そんなトレンドの原点がこの愛知こどもの国だったわけです。

120708n004.jpg
▲東幡豆港を眼下にのぞみ、唯一の踏切手前を力行するB11。わずか8tの小型機ながら勇壮なブラスト音が園内に響き渡る。'12.7.7
クリックするとポップアップします。

ゆうひが丘の山頂付近をエンドレスで回る「こども汽車」は本線延長約1㎞。2フィート6インチゲージの軌道は25㎏/mレールを使用しており、信号設備も備えられた本格的なものです。ただ、線型は蒸気機関車が走るにしては厳しく、半径25mの急曲線や30‰勾配が連続しています。それだけに"遊園地鉄道"と侮るなかれ、B11は結構な迫力の走りっぷりを見せてくれます。

120712n001.jpg120712n008.jpg
▲「ゆうひが丘」の山肌を縫うように走る。一周7分ほどながら変化に富んだ車窓風景はなかなか見応えがある。右は「やまびこトンネル」ポータル上から見た到着列車。'12.7.7
クリックするとポップアップします。

編成は機関車+電源車+客車4輌+緩急客車が基本。電源車とは一見テンダーに見える車輌で自重3トン。ディーゼルエンジン交流発電機(30kW)を搭載して客車への補助電源の供給を担っています。客車は全長5,550㎜、自重5tの101形が8輌。緩急室を備えた105形(全長6,350㎜、自重5.5t)が2輌で、1編成が赤、もう1編成が青に塗装されており、どちらか1編成が運用に就くかたちとなっています。

120708n003.jpg
▲「こども汽車」車内から眼下のこどもの国駅に到着する名鉄蒲郡線列車を見下ろす。こどもの国駅との間にはこれほどの標高差がある。'12.7.7
クリックするとポップアップします。

考えてみるとこの「こども汽車」が走り始めた1974(昭和49)年はまだ国鉄無煙化前。山陰本線など本州内でも現役蒸機の姿が見られた時代です。誕生から38年...1940(昭和15)年創業の協三工業が送り出した産業用蒸気機関車のほとんどが1960年代前半までに車齢20年に満たずに消え去ってしまったことを考えると、38年の長きにわたって風光明媚なこの地で子どもたちの歓声に包まれてきたこの「こども汽車」のB11とB12は、けだし幸せ者と言えましょう。

120622nRML155bn.jpg

RML154bnn.jpg

RML153bnn.jpg

kokutetsu30_ADn.jpg

120712neh800.jpg
▲EH800-901の外観イメージ。シルバーのカーブラインが特徴。提供:JR貨物
クリックするとポップアップします。

昨日、JR貨物からEF210-301とEH800-901の2種類の新型電気機関車の製作が発表されました。

EF210-301は、山陽本線瀬野―八本松間で勾配後押機関車(後補機)として使用しているEF67の後継機。既存のEF210をベースとし、新型シリコン緩衝器を連結器部分に搭載するなど後補機としての機能を装備しているほか、貨物列車の牽引機関車としても使用することも可能です。車体色はブルーを基調とし、イエローのラインを車体側面の上部と中央にそれぞれ配しています。なお落成は、本年9月3日の予定だそうです。
ちなみにこのEF210-301の登場でEF67の去就が注目されますが、折よく来週発売のRM本誌ではEF67のウォッチングガイドを掲載いたします。

120712nef210.jpg
▲EF210-301の外観イメージ。提供:JR貨物
クリックするとポップアップします。

もう1輌のEH800-901は北海道新幹線新函館開業以降の青函トンネル共用走行に対応した試作機関車で、共用走行区間(交流25000V/50Hz)と在来線区間(交流20000V/50Hz)の双方に対応する複電圧方式の交流専用電気機関車です。新幹線の保安装置であるDS-ATC(デジタルATC)とデジタル列車無線システムも搭載します。車体色はレッドを基調とし、車体前面及び側面の中央にホワイトのラインとシルバーのカーブラインを配しています。こちらの落成は本年秋に予定されています。

120622nRML155bn.jpg

RML154bnn.jpg

RML153bnn.jpg

kokutetsu30_ADn.jpg

sawadasan72.9.24n002.jpg
▲今から40年前の伊野車庫の状況。1から4の番線表示がぶら下がっているのが見える。3・4番線に押し込められているのはすでに運用を離脱した初代300形。'72.9.24 P:澤田節夫
クリックするとポップアップします。

昨日までの「土佐電伊野界隈」をご覧になった澤田節夫さんから40年前の伊野駅周辺の写真をお送りいただきましたので、まずは伊野車庫も健在だった頃の貴重な画像をお目にかけましょう。

sawadasan72.9.24n003.jpg
sawadasan72.9.24n004.jpg
▲簡易舗装と未舗装部が混在するような伊野駅構内。左へは伊野車庫への側線が怪しく分岐している。'72.9.24 P:澤田節夫
クリックするとポップアップします。

sawadasanino72.9.24n01.jpgこの写真が撮影された1972(昭和47)年当時、駅構内の軌道部分はほとんど未舗装で、福島交通軌道線あたりを思わせる情景が広がっていたことがわかります。伊野駅構内から北側に分岐する伊野車庫の側線ももちろん実用されており、4線を擁する留置線のうちの2線には単車の300形(初代)がびっしりと押し込められています。この初代300形、都電6000形をプロトタイプとした200形を縮めて2軸単車にしたような愛らしいスタイルで、このうちの1輌(321)号が現在運行されている7形(維新號)の母体となっています。
▲車庫の奥に並べて留置されている初代300形。まるで200形をショーティーにしたような単車。'72.9.24 P:澤田節夫
クリックするとポップアップします。

sawadasan72.9.24n005.jpg
▲単線区間の古い家並の中を走る501号。車体塗色は現状とほぼ同じなのがわかる。'72.9.24 P:澤田節夫
クリックするとポップアップします。

もう1枚はRMライブラリーの高橋一嘉副編集長から提供してもらったもので、澤田さんの写真から22年後、1994(平成6)年当時の伊野車庫の状況です。まだ4線の留置線は健在で、1番線には澤田さんの写真に写っていたものと同じ300形らしきものの残党も見えますが、これは7形(維新號)に台車を供出した321号の車体です。

940322nnn.jpg
▲こちらは18年ほど前の伊野車庫の状況。1番線には321号の車体だけが鎮座している。'94.3.22 P:高橋一嘉
クリックするとポップアップします。

そして伊野駅の現状。車庫線の分岐は撤去されてしまっており、あの二階建ての駅本屋も木造古民家を思わせる真新しい平屋に生まれ変わっています。

DSC_1084nn.jpg
DSC_1091nn.jpg
▲そして最近の伊野駅構内。かつての伊野車庫への側線は分岐器が撤去されて線路だけが残されている。'11.11.23 P:高橋一嘉
クリックするとポップアップします。

DSC_5719nn.jpg
DSC_5720nn.jpg
▲伊野駅はこのような古民家風の本屋に建て替えられている。'11.11.23 P:高橋一嘉
クリックするとポップアップします。

さすがに40年前のような情景は目にすることができませんが、土佐電 伊野界隈にはまだまだ魅力的な鉄道情景が数多く残されています。首都圏在住の者にとって少々遠いのが気になりますが、その距離をおしてでも再訪したい路線のひとつです。

120622nRML155bn.jpg

RML154bnn.jpg

RML153bnn.jpg

kokutetsu30_ADn.jpg

土佐電伊野界隈。(下)

120701n015.jpg
▲咥内坂を宇治団地前へと下ってゆく伊野行き628号。ここ咥内坂周辺は路面電車というより地方電車の風情が漂う。'07.7.21 咥内−宇治団地前
クリックするとポップアップします。

宮の奥電停を過ぎた伊野行きは咥内坂と呼ばれる峠を越えます。今では何のことはないアップダウンに見えますが、明治期にはたいへんな難所で、伊野方面から高知港に向かう馬車はこの咥内坂でたいへんな苦労を強いられてきたそうです。土佐電気鉄道が伊野線建設を計画したのも、この咥内坂を近代動力によって克服し、伊野で出荷される名産の和紙を中心とした貨物輸送を近代化するのが大きな目的でした。

120701n004.jpg
▲終点の伊野駅全景を軌道端側から見る。画面右奥方向に土讃線の伊野駅がある。'07.7.21 伊野
クリックするとポップアップします。

建設にあたって咥内坂には隧道が掘られ、伊野線は1908(明治41)年2月に全通します。この隧道、国道(旧道)を潜る短いものだったそうですが、1960(昭和35)年に路線変更されて現在では見ることができません。

120701n003.jpg終点の伊野駅は伊野町中心部の東端、JR土讃線の伊野駅から300mほどに位置します。仁淀川左岸の町・伊野は土佐和紙発祥の地であり、明治期にはその生産量が飛躍的に増大して大きな賑わいを見せたそうです。伊野駅駅舎は待合室を備えた二階建てのなかなか立派なもので、かつては駐泊用の施設ともなっていたようです。ただ、数年前にこの駅本屋は建て替えられてしまい、現在ではここにお目に掛ける姿を見ることはできません。
▲伊野駅の待合室兼詰所。伊野線の歴史を感じさせる好ましいストラクチャーだったが、近年建て替えられてしまった。'07.7.21 伊野
クリックするとポップアップします。

120701n002.jpg
▲伊野駅前方から終端部全景を見る。伊野線の線路は引止鉄塔にぶつかるように、あっけないほどプツンと途切れて終わっている。'07.7.21 伊野
クリックするとポップアップします。

120701n001.jpg
▲伊野駅に到着しようとする601号。伊野の町は土佐和紙発祥の町としても知られ、700mほど先の仁淀川河畔には「紙の博物館」もある。'07.7.21 伊野
クリックするとポップアップします。

この伊野駅で忘れられないのが駅手前で北側に分岐する側線の存在です。かつてはここ伊野駅で駐泊する運用も組まれており、この側線はその頃の名残でもあります。こちらも数年前に分岐部が撤去されてしまい、現在では"トワイライトゾ~ン"として痕跡を留めるのみとなってしまっています。

120701n009.jpg
▲伊野駅構内から北側へと分岐するのはかつての伊野車庫への側線。この時点ですでに使用されておらず、現在では分岐器も撤去されてしまっていると聞く。'07.7.21 伊野
クリックするとポップアップします。

120701n006.jpg120701n005.jpg

120701n007.jpg
▲側線の奥を見る。簡易舗装が施されており、1本だけ線路が残されているが、かつては4線を擁する伊野車庫であった。'07.7.21 伊野
クリックするとポップアップします。

土佐電気鉄道はこの伊野線、後免線、駅前線、桟橋線を含めて計25.3㎞。通票閉塞区間を含む伊野線の単線区間や、軌道線としては全国2か所となってしまった平面クロス(編集長敬白アーカイブ「伊予鉄・大手町の平面交差」参照→こちら)のひとつであるはりまや橋、さらにはドイツ、ポルトガル、ノルウェー、オーストリアといったヨーロッパ各国からやってきたバラエティー豊かな車輌の数々など、その魅力は尽きません。個人的にもしばらくご無沙汰してしまっているだけに、そろそろ再訪を考えなければと思い始めています。

120622nRML155bn.jpg

RML154bnn.jpg

RML153bnn.jpg

kokutetsu30_ADn.jpg

土佐電伊野界隈。(上)

120701n012.jpg
▲路側に敷設された単線軌道をゆく伊野行き。すっかり過去のものとなったとばかり思っていたこんな情景がまだまだ生きている。'07.7.21 朝倉駅前-朝倉神社前
クリックするとポップアップします。

諸河さん写真展「電車道」~日本の路面電車今昔(いまむかし)~ (→こちら)を拝見していて、土佐電気鉄道の作品の数々にも引きつけられました。まだ防潮堤が低かった頃の桟橋通五丁目電停などかつての写真もさることながら、はりまや橋交差点の俯瞰など最近撮影されたデジタル画像もおおいに触発されるものでした。

120701n011.jpg
▲朝倉をあとにする伊野行き628号。商店や民家の軒先をかすめるように走る様は実に魅力的。'07.7.21 朝倉-朝倉駅前
クリックするとポップアップします。

最近はご無沙汰してしまっているものの、土佐電気鉄道は個人的にも魅かれる路線のひとつです。桟橋線を行く7形復元車(編集長敬白アーカイブ「土佐電気鉄道7形に出会う」参照→こちら)なども魅力的ですが、何と言っても伊野線の単線区間の風情が一番のお気に入りです。

120701n010.jpg
▲朝倉でタブレット交換する上下列車。伊野線は鏡川橋から終点の伊野までが単線区間となる。 '07.7.21 朝倉
クリックするとポップアップします。

120701n013n.jpg元来、併用軌道というよりは路側に敷設された軌道、とりわけ未舗装道路の路側の軌道が何よりの"好物"だけに、かつての花巻電鉄や福島交通軌道線のような情景を思い描いては全国を行脚してきました。しかし、名鉄美濃町線の下芥見-白金間、下有知‐神光寺間のように奇跡的に残された情景も過去帳入りし、今となってはまさに無い物ねだり。そんななか、伊野線の単線区間には多少なりとも未舗装路側軌道(?)の面影を感じ取ることができます。
▲宮の奥電停付近から宇治団地前電停までは咥内坂を越える。背後に見えるのは高知自動車道。'07.7.21 咥内-宇治団地前
クリックするとポップアップします。

120701n008.jpg
▲宇治団地前電停に到着した文殊通行き。伊野駅前電停までは路側に敷設されたバラスト軌道が続く。'07.7.21 宇治団地前
クリックするとポップアップします。

土佐電気鉄道伊野線ははりまや橋~伊野間11.2㎞ですが、実際の運行は後免線と直通しており、桟橋車庫からの出入庫を除けば、はりまや橋~伊野間という列車は存在しません。さらに途中の鏡川橋、朝倉で折り返してしまう運行が多く、終点の伊野まで行くのは日中20分ヘッドで、後免線の途中駅・知寄町、文殊通からの列車が主となります。そしてお目当ての単線区間は鏡川橋~伊野間7.0㎞。このうち鏡川橋~朝倉間は特殊自動閉塞ですが、朝倉から先の伊野まではいまだに通票閉塞で、朝倉駅と宇治団地前-八代通間にある八代(信)でタブレット交換が行われています。

120701n014.jpg
▲伊野線単線区間ははりまや橋界隈の喧騒とは無縁の静かな佇まい。歴史ある家並に600形の姿が良く似合う。'07.7.21 朝倉-朝倉神社前
クリックするとポップアップします。

路側の軌道が始まるのはJR朝倉駅前で県道386号線に入ってから。386号線の北側路側に敷設された軌道は咥内付近で土讃線を潜ってそのまま路側を終点の伊野へと向かいます。

120622nRML155bn.jpg

RML154bnn.jpg

RML153bnn.jpg

kokutetsu30_ADn.jpg

120706n001.jpg
▲「キヤノンギャラリー S」の会場狭しと大伸ばしされたパネルが並ぶ。多くは1960年代の35㎜モノクロフィルムで、ここまで大伸ばしできる時代が来ようとは...。'12.7.5
クリックするとポップアップします。

昨日から東京・品川の「キヤノンギャラリー S」で諸河 久さんの写真展「電車道」~日本の路面電車今昔(いまむかし)~ が始まりました。初日とあって来場者はひきもきらず、夕刻から行われたオープニング・パーティーには鉄道趣味界のみならず、日本写真家協会の田沼武能会長をはじめ幅広い方々が列席され、たいへんな賑わいでした。

120706n005.jpg今回の写真展については準備段階からいろいろとお話を伺ってはおりましたが、あらためて実際の展示を拝見するに、まさに圧倒される思いがいたします。キヤノンの大判プリンターimagePROGRAFによって巨大なものでは3m×2mに伸ばされたモノクロ画像は、とても半世紀近く前に撮影された銀塩フィルムとは思えないクオリティーの高さで、ひと昔前であればとても実現不可能なものです。それもそのはず、諸河さんは銀塩アーカイブのデジタル化、それも鉄道写真に特化したデジタル化のノウハウを蓄積されてこられており、今回の出展作品の数々も自らデータ化、画像処理を施されたいわばスペシャル・チューン版なのです。
▲「キヤノンギャラリー S」のエントランス。受付ではRMライブラリー『都電系統案内』など諸河さんの著作も販売されている。'12.7.5
クリックするとポップアップします。

120706n003.jpg
▲路面電車が最後の輝きを放っていた時代、車輌のバラエティーも今では考えられないほど多彩だった。'12.7.5
クリックするとポップアップします。

120706n002.jpg展示された作品は北は旭川電気軌道から南は鹿児島市電まで全国におよび、それぞれが廃止や近代化を前にして最後の輝きを放った時代が周囲の情景をともなって写し込まれています。ご本人によればN電(京都市電北野線)を撮影できなかったのがかえすがえすも心残りだそうですが、むしろN電ほど特徴のなかった各地方都市の路面電車をよくぞここまで丹念に撮り込んでおられると驚くことしきりでした。
▲ことのほか思い入れの深い都電については綿密な同定による定点観測も披露されている。'12.7.5
クリックするとポップアップします。

120706n004.jpg
▲外回廊部に並べられた3m×2mの巨大な形式写真の数々。手前は1972(昭和47)年に駒場車庫で撮影された函館市電300形。オリジナルは4×5in判だけにその鮮鋭度は目を見張る。'12.7.5
クリックするとポップアップします。

120706n006.jpg
▲最新のデジタル機材で捉えられた現代の路面電車のコーナーも設けられており、あらためて最新デジタルカメラのポテンシャルの高さを思い知らされる。'12.7.5
クリックするとポップアップします。

すでにご案内申し上げたように、再来週7月21日(土曜日)には会場3階 キヤノンホール Sで諸河さんの講演会が予定されております。路面電車に燃えた1960年代の撮影秘話も興味深いものですが、何と言っても、今回展示されている作品の数々に象徴されるモノクロネガのデータ化のお話はぜひともお聴きいただきたいところです。約1時間半のプログラムで、私がMC役を務め、おおまかに前半が撮影秘話、後半がモノクロネガの保存・データ処理に関するお話をうかがう予定にしております。まだ余席がございますので、ぜひこの週末にでもエントリーされることをお勧めいたします。
■諸河 久 講演会
日時:2012年7月21日(土) 13 時30分~15時
会場:キヤノン S タワー3階 キヤノンホール S
内容:ネコ・パブリッシング 名取紀之編集局長との対談で、撮影の秘話やモノクロネガのデータ化テクニックなどを講演。
お申し込み:canon.jp/eventより
定員:先着300名

120706n007.jpg
▲もの心ついた時分から日常の中にあった銀座の都電...鉄道趣味の原点ともなった銀座の都電の賑わいを写したお気に入りの作品の前に立つ諸河さん。'12.7.5
クリックするとポップアップします。

■諸河久写真展「電車道」~日本の路面電車今昔~
●2012年7月5日(木)~8月9日(木)
●キヤノンギャラリー S
●10時~17時30分 (日曜・祝日休館)
入場無料
●JR品川駅港南口より徒歩約8分
京浜急行品川駅より徒歩約10分

120622nRML155bn.jpg

RML154bnn.jpg

RML153bnn.jpg

kokutetsu30_ADn.jpg

120705n203.jpg
▲交通博物館ありし頃の万世橋駅ホーム。特別公開に合わせて駅名標も設置されていた。'06.5.15
クリックするとポップアップします。

120705n202.jpg
▲万世橋駅ホームへの階段。壁面には戦時中のポスターも残されていた。'06.5.15

2006(平成18)年5月14日、あの交通博物館が最後の日を迎えてから、はやいもので6年あまりの歳月が流れてしまいました(編集長敬白アーカイブ「ドキュメント 交通博物館最後の日」参照→こちら)。所要で須田町、秋葉原方面を通る時には、ついつい万世橋の交通博物館跡地に目がいってしまいます。

120704n202.jpgその交通博物館跡地では地上20階、地下2階の「JR神田万世橋ビル」の建設が進められており、来年1月には竣工の予定です。そんななか、JR東日本から嬉しい発表がありました。交通博物館閉館前に特別公開として注目を集めた旧万世橋駅の遺構を、整備公開しようというのです。
▲建設中の「JR神田万世橋ビル」完成イメージ。2013年1月の竣工予定。提供:JR東日本

120704n203.jpg
▲旧万世橋駅遺構整備および高架下開発のイメージ。遺構整備は2013年夏、高架下開発は2013年春以降の開業予定。提供:JR東日本
クリックするとポップアップします。

旧万世橋駅部分は、赤レンガアーチ高架橋に現存する2箇所の旧駅舎の階段の遺構を通じて線路階の旧ホーム部まで上がって回遊を楽しめる施設とし、かつて駅だったことを体感できるように、旧ホーム部には展望カフェ、屋外デッキが整備されます。また、万世橋高架下開発では、周辺エリアとつながるオープンスペースを設け、レンガアーチの景観を活かした新たな賑わいのある通路が設けられる計画で、神田川側には親水デッキも設置されます。

120704n201n.jpg120704n201nn.jpg
▲親水デッキ整備イメージ(上)と高架下開発整備イメージ(右)。提供:JR東日本
クリックするとポップアップします。


120704n101n.jpg
120704n204n.jpg

なお、「JR神田万世橋ビル」は5~20階がオフィスとなる予定ですが、2階には東京都認証保育所、3階・4階にはラウンジ機能を有したコンファレンス事業を展開し、地域の交流・学びの拠点づくりに取り組むと発表されています。また、このビルの周囲の広場には、旧万世橋駅舎基礎の保存展示や、レールを使ったモニュメントも設置される予定で、こちらも今から完成が楽しみです。

▲各方角から見た立面イメージ。提供:JR東日本
クリックするとポップアップします。

120622nRML155bn.jpg

RML154bnn.jpg

RML153bnn.jpg

kokutetsu30_ADn.jpg

「都電代行バス」のこと。

120704n005.jpg
▲24系統代行の系統板を掲げて発車を待つ須田町行き。方向幕は白地となっている。'72.9 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

東京・品川のキヤノンギャラリー Sで、諸河 久さんの写真展「電車道」~日本の路面電車今昔(いまむかし)~が、いよいよ5日(木曜日)から始まります(→こちら)。夏休み期間にかけての一か月以上に及ぶ開催だけに、東京在住の方のみならず多くの皆さんがご覧になられることと思います。

120704n001.jpgそんなお一人であろう古村 誠さんから、「さすがの諸河先生でも撮っていないかも」と「都電代行バス」の画像をお送りいただきました。路線の廃止後に運行された「代替バス」は広く知られており、昨年夏に江戸東京博物館で開催された「東京の交通100年博」でも1967(昭和42)年12月の第一次都電撤去にともなう「代替バス運行区間」のお知らせが展示されていましたのでご記憶の方もおられるかと思います。ところが今回古村さんからお送りいただいたのは「代替」ではなく「代行バス」...ちょっとした判じ物です。
▲同地点の現状。現在は常磐道からの高速バス降車場となっている。'12.6 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

120704n007.jpg120704n008.jpg
▲「代行バス」とあって都電と同じ扱いで、都バスが30円だった当時20円で乗車できた(左)。右はバス停の表示で、歩行者天国は12~18時とされている。'72.9 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

どうもこの「代行バス」なるものは、中央通りの歩行者天国実施に伴って都電24系統の一部が運転できなくなることによる救済処置のようで、運行区間は上野駅前~須田町。系統板を思わせる専用の方向板がバス前面に掲出されているのが目をひきます。

120704n006.jpg
120704n002.jpg
▲上野駅前に停車中の24系統と同地点の現状。ペデストリアンデッキができて見通しが悪くなったが、駅舎の外観は変わっていない。'72.9/'12.6 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

今でこそ都心の日常風景となった歩行者天国ですが、都内で本格的に実施されたのは1970(昭和45)年夏のことでした。都電はすでに第四次撤去まで進んでおり、歩行者天国の実施と干渉することはほとんどありませんでしたが、この写真が撮影された1972(昭和47)年夏の時点では、わずかに24系統が引っかかってしまったということのようです。ちなみに24系統の廃止は同年11月。廃止直前の、つかの間の「代行バス」運転だったことになります。

120704n004.jpg
▲東上野3丁目交差点をゆく24系統6116号。横を走る乗用車(ダットサン)も懐かしい。'72.9 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

120622nRML155bn.jpg

RML154bnn.jpg

RML153bnn.jpg

kokutetsu30_ADn.jpg

120703n009.jpg
▲時代の先端をゆく街・代官山の新しいランドマーク、代官山 T-SITEの代官山 蔦屋書店。東急東横線代官山駅から徒歩約6分。
クリックするとポップアップします。

昨年12月にオープンした代官山 蔦屋書店は「書店」と銘打ってはいるものの、旧来の書店の枠を超え、新たな文化の中心を目指して数々の取り組みを行っており、すでに多くのメディアで紹介されています。

120703n015.jpgその代官山 蔦屋書店で7月29日まで「鉄道フェア」が開催されています。書棚間がゆったりとした売り場は大きな窓に囲まれており、さながら公園のような代官山T-SITEの風景を見ながらお気に入りの本との出会いを楽しむことができます。今回の鉄道フェアでは弊社刊行物をはじめ、各種の新刊鉄道書、さらにはバックナンバーの数々も取り扱われています。
▲乗り物のフロアは鉄道、車、バイク等々、洋書を含めて圧倒的な品揃え。
クリックするとポップアップします。

120703n002.jpg
▲新刊ばかりでなく古書も扱っているのが興味深い。歴史的名著はもとより、野島富三郎さんの『走り続けた蒸気機関車』なども...。ちなみに同著にしか出ていない貴重な写真も多い。
クリックするとポップアップします。

そして何よりも楽しいのが、これら新刊書と古書が"同居"していることです。ここで言う「古書」(こしょ)とは古本(ふるほん)のことではありません。今では入手困難となってしまった歴史的図書のことで、今回売り場を見回しただけでも『記録写真 蒸気機関車』(ただし並製本/編集長敬白アーカイブ「この1冊(4)」参照→こちら)や、『鉄道讃歌』の初版(しかも帯付き!)、さらには『東京地下鉄道日比谷線建設史』といった非市販本まで発見することができました。

120703n003.jpg120703n004.jpg
▲左は1980(昭和55)年に大井川鉄道自らが発行した写真集『帰ってきたC56』。右はいわゆる"SLブーム"の原点のひとつともなった関沢新一さんの『滅びゆく蒸気機関車』。ともに一冊限り。

120703n013.jpg120703n001.jpg
▲弊社出版物も全面的に展開していただいている。『国鉄時代』などと30年以上も前の『SL』が並んで販売されているのもここ代官山 蔦屋書店ならでは。
クリックするとポップアップします。

120703n007.jpg120703n012.jpg
▲海外鉄道技術協力協会が発行した『世界の鉄道』は世界各国の鉄道の歴史概要、軌間別延長、動力別在籍車輌数などを収録した価値ある一冊。同協会10周年記念の1975年版と20周年記念の1985年版があり、現在は1975年版が在庫。右は4年ほど前にドーネーションによって新生された英国の高速蒸機A1クラス(60163 TORNADO)の、何とワークショップ・マニュアル。出版は各種マニュアルで世界に知られるへインズ。

そしてさらに驚くべきは「洋書」の充実ぶりです。エクゼクティブ・コンセルジュをお務めの藤井孝雄さんは車・バイク関連の洋書の世界ではその名を知られた方で、今後はそのご経験を活かして鉄道関連の洋書にも傾注されるそうです。今後、順次入荷するという未知の洋書との出会いも楽しみでなりません。

120703n006.jpg120703n005.jpg
120703n008.jpg
▲超豪華な写真集"TRAINS from steam locomotives to high-speed rail"。4年ほど前に出版されたもので、卓越した誌面展開の中に歴史的な鉄道写真も数多く収録されている。

雑誌とアートに囲まれたラウンジにカフェ・スペース、「大人のための文化の牙城」を目指す代官山 蔦屋書店は、休日にでもゆっくりと時間を掛けて散策したい魅力に溢れています。古書・洋書を取り混ぜた鉄道書との出会いも、新たな時代を拓いてゆくに違いありません。

120703n011.jpg
▲"TRAINS from steam locomotives to high-speed rail"を手にするエクゼクティブ・コンセルジュの藤井孝雄さん。今後は古書の仕入れにも力を入れてゆくという。
クリックするとポップアップします。

120622nRML155bn.jpg

RML154bnn.jpg

RML153bnn.jpg

kokutetsu30_ADn.jpg

shinkansenhokkaidou.jpg
▲今回認可となった北海道新幹線新函館(仮称)~札幌間概要図。 (国土交通省プレスリリースより)

先週6月29日(金曜日)、国土交通省は北海道、北陸、九州・長崎ルートの整備新幹線3区間の着工を認可したと発表いたしました。総事業費は約3兆400億円。独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構が着工し、2035年度末までに順次開業する計画です。

3区間は北海道新幹線新函館(仮称)~札幌間(約211.5km)、北陸新幹線金沢~敦賀間(約125.2km)、九州新幹線武雄温泉~長崎間(約66.0㎞)で、これにより「全国新幹線整備法」(1970年)に基づき1973(昭和48)年に計画が決まった整備新幹線5線のうち北陸新幹線敦賀以西、九州新幹線新鳥栖~武雄温泉間を除くすべてが既開業もしくは着工されることとなります。

北海道新幹線新函館(仮称)~札幌間には以下の各駅が設けられる予定です。
新函館(仮称)駅(併設:北海道北斗市)
新八雲(仮称)駅(新設:北海道二海郡八雲町)
長万部駅 (併設:北海道山越郡長万部町)
倶知安駅 (併設:北海道虻田郡倶知安町)
新小樽(仮称)駅 (新設:北海道小樽市)
札幌駅 (併設:北海道札幌市)

路線延長 約211.5km(工事延長約211.7㎞)は最小曲線半径基本4,000m、最急勾配 35‰で設計され、実にその76%(約160.2㎞)は隧道区間となる予定です。最長トンネルは渡島トンネルの約26.5㎞、最長橋梁は尻別川橋梁340mで、今回申請分の工事費は約1兆2,386億円、新青森~新函館間の開業から概ね20年後の工事完成が予定されています。

shinkansenhokuriku.jpg
▲今回認可となった北陸新幹線金沢~敦賀間概要図。 (国土交通省プレスリリースより)

北陸新幹線金沢~敦賀間には以下の各駅が設けられる予定です。
金沢駅 (併設:石川県金沢市)
小松駅 (併設:石川県小松市)
加賀温泉駅 (併設:石川県加賀市)
芦原温泉駅 (併設:福井県あわら市)
福井駅 (併設:福井県福井市)
南越(仮称)駅 (新設:福井県越前市)
敦賀駅 (併設:福井県敦賀市)

路線延長約125.2km(工事延長約114.4㎞)は最小曲線半径基本4,000m、最急勾配 26‰。高架橋が50%(約57.9㎞)を占める路線となります。最長トンネルは新北陸トンネルの約20.0㎞、最長橋梁は手取川橋梁555mで、今回申請分の工事費は約8,968億円、長野~金沢間の開業から概ね10年強後の完成が予定されています。

shinkansenkyusyu.jpg
▲今回認可となった九州新幹線武雄温泉~長崎間概要図。 (国土交通省プレスリリースより)

九州新幹線武雄温泉~長崎間には以下の各駅が設けられる予定です。
武雄温泉駅 (併設:佐賀県武雄市)
嬉野温泉(仮称)駅 (新設:佐賀県嬉野市)
新大村(仮称)駅 (新設:長崎県大村市)
諫早駅 (併設:長崎県諫早市)
長崎駅 (併設:長崎県長崎市)

路線延長 約66.0km(工事延長約67.0㎞)は最小曲線半径基本4,000m、最急勾配 30‰。こちらも隧道区間が全線の約61%(約40.7㎞)を占めます。今回申請分の工事費は約3,706億円、武雄温泉~長崎間を一体として、諫早~長崎間の着工から概ね10年後の完成が予定されています。

120622nRML155bn.jpg

RML154bnn.jpg

RML153bnn.jpg

kokutetsu30_ADn.jpg

レイル・マガジン

2012年7月   

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
「編集長敬白」が携帯電話でもご覧になれます。下記アドレスもしくはQRコードを読み取ってアクセスしてください。
http://rail.hobidas.com/blog/
natori/m/

ホビダス・マーケット新着MORE

  • 俺がイル
ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2016 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.