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知られざる「宇品線」を記録する一冊。

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▲南段原駅に停車する543Dのキハ04 106。画面右側の空き地はかつての行違設備の名残。'66.3.26 P:長船友則 (RMライブラリー『宇品線 92 年の軌跡』より)
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今月発売のRMライブラリーは長船友則さんの力作『宇品線 92 年の軌跡』をお届けします。宇品線というと、今では広島港(宇品)に向かう広島電鉄の路面電車を思い浮かべる方も多いかと思いますが、本書の題材となっているのは、広島~宇品間5.9kmを結んでいた「国鉄宇品線」です。

120622nh1.jpgこの宇品線のルーツは古く、1894(明治27)年に敷設された軍用鉄道にまで遡ります。山陽鉄道(現在の山陽本線)が広島まで開通したこの年、日清戦争が開戦、広島には臨時の大本営が置かれるなど、「軍都」の様相を色濃くした時代でした。1897(明治30)年にはこの軍用鉄道を山陽鉄道が借用、改修して一般営業を開始、1906(明治39)年には山陽鉄道が国有化されますが、その後宇品線は1919(大正8)年に旅客営業を廃止、貨物専業の路線となりました。

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▲猿候川橋梁を渡るキハ04形。宇品線では昭和41年の一般旅客営業廃止までキハ04形が活躍したが、ここで活躍した3輌のキハ04形の廃車とともに国鉄線上からキハ04形は姿を消した。'66.6.11 大須口-南段原 P:長船友則 (RMライブラリー『宇品線 92 年の軌跡』より)
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宇品線の旅客営業が復活したのは1930(昭和5)年、今度は現在の芸備線を運営していた芸備鉄道がまたもや線路を借用する形で、宇品線でのガソリンカー運転を開始しました。鉄道省の路線で旅客営業は民間による、という不思議な状態になりましたが、その後、1937(昭和12)年には芸備鉄道も国有化され、宇品線の旅客列車は再び鉄道省により運行されるようになります。

120622ndma-67.jpg1941(昭和16)年12月8日開戦。戦時下の宇品線は軍事的要衝であることもあって、それまでのガソリンカーでの運転を蒸気列車に変更して運転を続けていました。そしてあの1945(昭和20)年8月6日を迎えます。朝方の警戒警報が7時31分に解除されてから一時間も経たない8時15分、西条上空から西進してきたB29「エノラ・ゲイ」から投下された原子爆弾は一瞬にして市内を地獄に変えてしまいました。宇品線の線路は比治山の東側を通っていたため、比較的被害は少なかったものの、長船さんはこの歴史的な一日の状況をさまざまな資料をもとに克明に調査されておられます。宇品駅長らの独自の判断で運転された救援列車は、宇品~南段原間を数回往復して、実に3千人の原爆負傷者を運んだそうです。
▲昭和40年代に入ってからの宇品駅駅舎。駅本屋は線路の突き当り、正面を西に向けて建てられていた。'66.10.22 P:長船友則 (RMライブラリー『宇品線 92 年の軌跡』より)
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▲軍用鉄道から始まった宇品線の歴史。明治30年には山陽鉄道が借り受け一般営業を開始したが、本来の目的である軍用での使用のために運休することも多かったという。 (RMライブラリー『宇品線 92 年の軌跡』より)
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さて、終戦直後は沿線に官公庁などが集まり活況を呈した宇品線ですが、昭和30年代も後半になると、自動車の増加から街を分断するような線形や多くの踏切が問題となり、また官公庁も市街中心部に戻ったことから乗客も通学時間帯の学生に限られるようになってしまい、運営上の赤字も問題となっていきました。そして宇品線は1966(昭和41)年12月19日限りで一般旅客営業を終了、市販の時刻表から姿を消したのです。

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▲通勤時間帯とそれ以外の時間で利用者数に大きな差があった宇品線。通学列車は左上の写真のようにD51やC58が客車最大7輌を牽引し、客車もロングシート化改造車のオハ63が使用されるなど、混雑していたが、それ以外の時間帯は右上の写真のようにキハ04形1輌でも足りるほどの輸送量であった。 (RMライブラリー『宇品線 92 年の軌跡』より)
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ところが、宇品線の旅客列車は途中の上大河までながら朝夕のみ運行が続けられていたのです。これは宇品線の旅客の大半を占める上大河までの通学定期客のみを対象としたもので、一般客の乗車は原則不可、途中駅での折り返しのため、客車の前後の機関車を連結した編成でした。この定期旅客専用列車の運行も1972(昭和47)年3月31日限りで運行が終了、今度こそ国鉄としての宇品線は廃止されますが、その後も東広島駅から伸びる通運業者の専用線という扱いで宇品までの全線が存続し、早朝1往復のみながら貨物列車の運行が続けられました。この「宇品四者協定線」の運行が終了したのは国鉄分割民営化の直前、1986(昭和61)年9月のことでした。

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▲昭和41年12月19日限りで一般旅客営業が廃止され、市販の時刻表から姿を消した宇品線だが、それ以降も定期旅客限定での旅客営業が続けられた。これは上大河までの通勤・通学輸送のためのものであったが、実際には20円を支払えば一般旅客も乗車可能であったという。 (RMライブラリー『宇品線 92 年の軌跡』より)
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本書はRMライブラリー第123巻『呉市電の足跡』(→こちら)を執筆された広島在住の長船友則さんによるもので、その誕生から終焉までの複雑な沿革を、多数の写真とともに丹念に解き明かされています。
長船さんから呉市電に続いて宇品線をまとめたいと伺ったのは、かれこれ2年前に広島にうかがった際のこと。ようやくご労作をかたちにすることができ、個人的にも嬉しい限りです。

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