十和田観光電鉄 廃止決定。
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▲稲生川沿いを行く約40年前の十和田観光電鉄モハ2405。十和田色として馴染み深かったこの車体塗色は、この写真が撮影された3年前から始まったもの。'73.8 高清水 P:澤田節夫
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今週24日(火曜日)、ついに十和田観光電鉄の「鉄道事業廃止届出書」と「鉄道事業休止届出書」が提出され、同社十和田観光電鉄線(十和田市~三沢間14.7km)が歴史の彼方へと消えてしまうことが確定いたしました。
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▲1986(昭和61)年まで車輌基地は終点の十和田市にあった。木造の1線庫横にはやはり木造の修理工場と鍛冶場設備があった。'78.8 十和田市 P:澤田節夫
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「鉄道事業廃止届出書」では「廃止の理由」を以下のように説明しております。
「十和田観光電鉄線は、大正11年に開業し主に地元の方々の足としてご利用頂いていますが、輸送人員は昭和45年度の165万人をピークにモータリゼーションの進展や沿線人口の減少等の影響を受け年々減少傾向となり、平成22年度では46万人とピーク時の28%程度まで減少しています。
当社では駅無人化やワンマン運転などの経費削減と集客イベントの実施や企画切符の販売等の増収策に努めてきましたが、昭和63年度から営業損益の赤字が続き、平成22年度は2,331万円の赤字となりました。
また設備投資は今後老朽化した施設の機能維持を図るため10年間で総額7億2,000万円程度かかる見込みであります。
以上の状況では今後当社単独での運行維持は困難になると考えられるため、「十和田観光鉄道活性化協議会」に今後の鉄道事業の存続協議及び設備投資への追加支援を要請してきましたが、平成23年10月3日(月)に十和田市・三沢市・六戸町より、当社に対する全面的な支援はできないとの回答を受けました。
この結果を受けて当社は平成23年10月11日(火)開催の同協議会臨時総会において、鉄道事業から撤退し路線バスを運行することで地域の足を確保することを表明し、関係市町村や利用者代表などから代替バスの承認を受けた事から、本日国土交通大臣に対し鉄道事業廃止届出書を提出致しました。」
▲十和田市駅で発車を待つモハ2405。'78.8 十和田市 P:澤田節夫
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▲電車庫側から留置中のクハ4406を見る。後方駅側にはED402の姿も見える。'73.8 十和田市 P:澤田節夫
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▲ED301(左)とワ102(右)。ワ102の車票差しには「休車中」の札が入れられているのが見える。'78.8 十和田市 P:澤田節夫
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▲定山渓からやってきたクハ1207も十和田の仲間に入って馴染んでいた。'73.8 十和田市 P:澤田節夫
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正式な廃止予定日は来年2013(平成25)年1月31日(木曜日)。ただし、これはあくまで書類上で、続く「鉄道事業休止届出書」で本年2012(平成24)年4月1日(日曜日)から翌2013(平成25)年1月31日の間の鉄道事業を「休止」すると届出ておりますので、実質上、本年3月31日(土曜日)が運転最終日となります。
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▲ワム80000を1輌だけ牽いてED402牽引のささやかな貨物列車が行く。電車もさることながら、貴重な2輌の私鉄電機の行く末も気になるところ。'78.8 P:澤田節夫
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先般もお伝えいたしましたが(アーカイブ「十和田観光電鉄 廃止へ」参照→こちら)、1922(大正11)年に開業した十和田観光電鉄線は今年が90周年。そのアニバーサリーイヤーに轍を止めねばならないのは、関係者の皆さんにとってもまさに断腸の思いに違いありません。残された時間はあと60日余り...今週末は澤田節夫さんからお送りいただいた40年ほど前の写真とともに、三本木原台地を走り続けてきた同線に思いを馳せたいと思います。
RMライブラリー『十和田観光電鉄の80年』(岸由一郎著)は→こちら







