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2011年11月18日アーカイブ

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▲ED41形を先頭にした上り旅客列車が横川駅に到着。第1・2補機はED40形で、大きさの違いがよく判る。 提供:三宅俊彦 (『国鉄アプト式電気機関車』中編より)
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ご好評をいただいております小林正義さんによる『国鉄アプト式電気機関車』、待望の中巻が完成しました。

111118nrml148_h1.jpg上巻ではアプト式および碓氷線の開通から電化までの略史とともに、碓氷峠電化当初の、日本初の本線用電気機関車でもある10000(EC40)形の消長、そして初の国産機10020形(ED40)形の概要までを収録しました。続く中巻では、まず冒頭でED40形の活躍の模様を収録しています。ED40形はED42形の増備により1951(昭和26)年に国鉄で引退しますが、その後、南海電気鉄道、駿豆鉄道、東武鉄道(日光軌道線)に譲渡され、活躍を続けました。このうち、東武に譲渡されたものの内の1輌が、後に国鉄へ返還、大宮工場により復元され、現在は大宮の鉄道博物館に保存されているED40 10です。

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▲ED40形はアプト式という特殊な機関車にも関わらず、約半数が私鉄に譲渡された。ED40 4は南海電気鉄道を経て秋田中央交通に譲渡されたが、なんと凸型車体に改造。晩年は東急から渡ったデワと引き替えに東急碑文谷工場に取り込まれ、解体された。 (『国鉄アプト式電気機関車』中編より)
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続く中盤では、スイスから輸入された10040(ED41)形について解説します。国産機であるED40形の投入により碓氷線は完全電機運転を実現しましたが、それにも増して輸送量は急増を続けていたため、より大型のアプト機が必要になり、そのサンプルとして1926(大正15)年に輸入されたのが10040(ED41)形です。ED12、ED54とともに日本では数少ないスイス機でしたが、国産機製作への試験的な運用が多かったといわれ、また1951(昭和26)年にはED40とともに廃車となり、残された写真は多くはありません。

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▲ED42形製作へのデータ収集の役目を終えたED41形は、ED40形とともに引退。私鉄への譲渡はなく、1953(昭和28)年に解体された。  (『国鉄アプト式電気機関車』中編より)
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そして、このED41の成果をもとに製作された国産機がED42形です。1934(昭和9)年に登場した本形式は国鉄アプト式電機の決定版となり、太平洋戦争を跨いで1946(昭和21)年までに28輌が製造されました。これはEC40形(12輌)、ED40形(14輌)、ED41(2輌)を合わせた数であり、1951(昭和26)年のED40・ED41形全廃から1963(昭和38)年の粘着新線開通、つまりEF63形の登場まで、碓氷峠を登り降りする列車は、全てED42形が本務機、補機を務めることになりました。本書ではED42形の概要を収録しています。

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▲12年間に28輌が製作されたED42形。23号機からは戦時設計型となったが、落成は戦後の昭和21年である。 (『国鉄アプト式電気機関車』中編より)
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なお、12月発売予定の下巻では、ED42形の形態分類とともに、その活躍の模様を多数の写真とともにご紹介し、全28輌の姿を収録する予定です。お楽しみに。

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