鉄道ホビダス

2011年9月アーカイブ

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▲軒下に保存されている"グース"たち。これでも一部は動態にあるという。P:渡辺康正 
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さて、入場券売り場(Касса)で入場料(大人100ルーブル、子供50ルーブル)を支払って入ると早速ナベトロが登場する。奥に向かって左手の終端に機関庫があり、右手が屋外の展示場になっている。私が訪れた日は機関庫の向かって左2線に1955年ポーランド製の蒸機Кп4-469、1950年ドイツ製の蒸機Гр-269、1950年代ロシア製のチェーン駆動のガソリン機関車МД54-2の3輌が置かれていた。これらのうちКп4-469とГр-269は動態に復元されている。もう1線は復元・修理場で、1950年代の除雪車の後ろに機関車が置かれている。現車の確認はできなかったが、復元された1928年ロシア製の蒸機157-5674や、2009年から復元が進められ2011年5月末には火を入れて試運転するまでに至った1945年フィンランド製の蒸機Фт4-028があるはずだ。

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▲1953年ロシア製と解説のある除雪車。3線庫に収まっている。P:渡辺康正 
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機関庫の事務室には駅設備の一部が収集・展示されている。手回しの電話を中心に2つの箱が並んでいるのは通票閉塞機だが、日本のように穴の開いたタマ(タブレット)を引き出すのではなく、頭にA~Eの陽刻のある棒を取り出して使うようになっている。つい昔のパチンコ台を想像してしまう派手な閉塞機を見ながら、例えば「通票ヨンカク」の代わりに「通票A」などと言っていたのだろうか? と思ったりしたが、後で疑問が沸いてきた。解説では区間ごとに通票"A、B、C、D、E"を割り当てるように書いてあったが、ロシア語のアルファベットはА、Б、В、Г、Д、Е・・・で、Cは英文字のSに相当する文字として19番目にしか出て来ない。"D"(Д)を見ていないので分からないが、ソ連時代の閉塞機でも欧米の流れか何かを汲んで英語のアルファベットを使っていたのだろうか、それとも間違いが起きないようCを組み込んだのだろうか。

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▲機関庫の事務室(?)にはさまざまな駅設備が展示されている。P:渡辺康正 
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▲特徴的な閉塞装置。Z字状のスリットに通票が並んでいるのがわかる。P:渡辺康正 
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▲閉塞機に並んだ通票のアップ。アルファベットの"A"が記されている。P:渡辺康正 
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▲機関庫内で見かけた水の自動販売機(左)。右は同じく庫内に掲げられたいかにもロシアらしい絵画。P:渡辺康正 
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こんな疑問を抱えながら外に出ると、展示されている数多くの車輌、だけでなく車輌の残がいも目に入ってくる。この博物館ではほとんど土に帰ろうとしている車輌や崩壊し(かけ)た車輌までも運び込んで「保存」している。博物館というより「トワイライトゾ~ン」そのものといった雰囲気だ。

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▲構内各所にほとんど廃材にしか見えない車輌の残骸が置かれているが、どうやらこれも保存用らしい。P:渡辺康正 
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これらの中でまず興味深いのは1939年製の機械式内燃動車Уа-4727(復元・動態)だ。珍しいことに車輌側面腰板の中央にエンジンのラジエタ-が顔を出している。エンジンの回転軸を枕木方向にとって動力を床下に下ろし、さらにチェーンで車軸に伝動しており、動力の回転方向を90度変換しない簡単な構造だ。運転席は進行方向に横向きに-かつての日本のDD13を想像していただければよい-しかも客室中央に設けられている。加えて座席は客室妻面にまで設けられているから運転時の視認性は極めて悪かったに違いない。

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▲ЗиМ(1962年ロシア製)ベースの軌道自動車。屋根上のライトがチャームポイント。P:渡辺康正 
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単端式もびっくりのガソリンカーの他には、屋根の下に1960年代に大型のセダンや消防自動車などを改造した車輌も保存されている。ボンネットをつきだした1930年代の車輌には根室拓殖鉄道の銀龍号やアメリカのメールグースにも通じるものが感じられる。

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▲旅客用(?)内燃動車。1930年代の製造らしい。P:渡辺康正 
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▲"グース"たちの足回り。なんともスパルタンな作り。P:渡辺康正 
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▲1950年代のロシア製とされるПД-1。P:渡辺康正 
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▲軌道消防車ПМД-3 。1968年ロシア製で、この車輌は動態だという。P:渡辺康正 
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※明日30日(金曜日)15時より16時まで、NHKラジオ第一「金曜旅倶楽部」で転車台完成で変貌する大井川鐵道と来週末に開催される島田市の「SLフェスタ」のお話をいたします。全国どこからでもお聴きになれます。 →こちら
※NHKラジオ第一は今月からインターネットでもお聴きになれるようになりました。

※明日は小ブログは休載させていただきます。

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▲ペレスラヴリ・ザレスキーのナローゲージ博物館構内には各地から集められた車輌が保存展示されている。P:渡辺康正 
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これまでにも何度かロシアからのレポートをお送りくださっているモスクワ在住の渡辺康正さんから、彼の地のナローゲージ博物館の訪問記を頂戴いたしましたのでご紹介いたしましょう。中国鉄路局のC2形の親戚筋にあたるDテンダー機や、珍妙な"グース"もどきのレールカーなど、知られざるロシアン・ナローの世界をご覧ください。

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▲博物館入口(左)。画面左が入場券売り場で、右が食堂。この写真では見えないが、入場券売り場の後ろにはナベトロがディスプレーされている。右は3線の機関庫P:渡辺康正 
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モスクワは昨年夏の2ヶ月間、猛暑と森林火災の煙に見舞われた。ロシアの森林火災では木とともに林床の泥炭(ピート)層も燃える。これにより大量に発生したスモッグが街を覆い続けたのだ。そしてピートといえば、「編集長敬白」の欧州のナロー探訪の話題でピート採掘軌道に触れておられたことを思い出す。モスクワ郊外にピート!?、とすれば一般的には広軌で知られるロシアにもナローゲージがある(あった)のではないか? そんな連想からロシア語でナローゲージ鉄道を意味する"Узкоколейная железная дорога"をインターネットで検索すると、思いもかけず多くのサイトがヒットした。なかでも"Энциклопедия отечественных узкоколейных железных дорог"(Encyclopedia of Russian Narrow Gauge Railways: http://narrow.parovoz.com/、英語版トップページあり→こちら)は圧巻で、掲示板形式の"Список"(一覧表)に旧ソ連圏のロシア、CIS、バルト海沿岸諸国のナローゲージに関する情報が、時には遊園地の乗り物まで含めて数多く投稿されている。例えばモスクワと近郊だけでも140件を超える記事がある。これらを丹念に探れば『トワイライトゾ~ン・マニュアル"』が何冊も出来てしまいそうなほどだ。

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▲博物館の案内パンフレット。俯瞰イラストをみるとこの博物館の構内が把握できる。提供:渡辺康正 
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また7月のとある日曜日、テレビの朝のニュースショウでは2軸の平台車にエンジンを載せた機関車がナローの線路の上を動く映像が流れていた。一瞬、現役か!と思ったが、ロシアの鉄道史研究家が手作りのバッタ機関車に乗り、荷物を載せた平台車を牽いてナローの廃線跡を走りながら調査していく様子を紹介したもので、ロシアにもナローゲージ・ファンや鉄道史研究家がそれなりに存在することが伺われた。

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▲1955年ポーランド製のКп4-469。こちらは動態にあるという。P:渡辺康正 
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▲Кп4-469のサイドビュー。第3動輪がフランジレスなのがわかる。P:渡辺康正 
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▲Кп4-469のメーカーズプレート類。1955年の打刻が読み取れる。P:渡辺康正 
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▲こちらは1950年東ドイツ製のГр-269。この機関車も動態で維持されている。P:渡辺康正 
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▲Гр-269のフロントビューと銘板類。P:渡辺康正 
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ソ連時代の1960年代末~70年代初頭には10万kmを数えたといわれる(Энциклопедия отечественных узкоколейных железных дорогによる)ナローの路線だが、もう既にほとんどが廃線になっており、ごく最近まで動いていたものでも2000年~2009年ぐらいまでに運行が止まっている。来るのがもう少し早ければ...とも思うが、こればかりはどうしようもない。

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▲こちらのガソリン機関車МД54-2は1950年ロシア製。P:渡辺康正 
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110928n016.jpg現役軌道はほぼ全滅に近い状態だが、ナローゲージを保存している博物館がモスクワの北方約140kmのペレスラヴリ・ザレスキー(Переславль-Залесский)の近くにある。ペレスラヴリ・ザレスキーは、黄金の環(Золотое кольцо)と呼ばれるモスクワ北方のロシアの古都群の一つの街。ピョートル大帝が若き日にボートの艦隊を浮かべたプレシェエヴォ(Прещеево)湖に面し、ロシア海軍の発祥の地ともされている。しかし、セルギエフ・ポサード、ヤロスラブリ、ウラジーミル、スーズダリといった街が日本のガイドブックにも紹介されて観光地として人気が高いのに比べ地味な感じは否めない。
▲МД54-2の駆動系。剥き出しのチェーンがなんともスパルタン。P:渡辺康正 
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▲2軸客車と思しきこの車輌は実は内燃動車Уа-4727。1939年ロシア製で、現在では復元・動態化されている。P:渡辺康正 
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▲Уа-4727の妻面に付けられたソ連を示すCCCPのロゴ(左)と車体側面に突き出たラジエータ(右)。P:渡辺康正 
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▲その車内。エンジンは床上に横置きで、運転士も横向きでクラッチやスロットルを操作するようだ。P:渡辺康正 
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▲Уа-4727の床下。きわめてプリミティブな1軸駆動となっているのがわかる。P:渡辺康正 
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そのプレシェエヴォ湖のまわりに長大な路線を有していた軌間750mmのナローの鉄道の一部、約2.5km とターリッツィ(Талицы)の機関庫を使い、遠くはコーカサスのアルメニアや中央アジアのカザフスタンからも含め、旧ソ連各地からナロー車輌等を集めたのがこの博物館だ。モスクワからは自動車でしかアクセスできないので少し不便だが、7月末、思い切って出かけてみた。モスクワから2時間半、ピョートル大帝のボート博物館から更に湖沿いに進み、でこぼこのダートをたどった森の奥に博物館はあり、3線の機関庫内と8線の線路の上に軽便車輌が展示されている。また、隣接して古い自動車群も展示・販売(?)されている。

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▲7510号を改造した花100号。33年前の乙6000形ような無蓋車ではなく、運転室部分と屋根を残し、旧客室部分の側面鋼体・客室設備を撤去したものになっていることが特徴。ちなみに東京都電・市電の有蓋電動貨車は戦後配給品の輸送に活躍した甲1形、甲400形以来。'11.9.22 P:RM(高橋一嘉) 
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110927n005.jpg10月1日から運転開始する都電荒川線の花電車の装飾が完成、去る22日に報道陣に公開されました。ご存知の通り、都営交通100年を記念したこの花電車は、当初は6月の運転が予定され、3月上旬にはベース車である花100形も完成し、後は装飾を待つばかりとなっていましたが、その矢先に東日本大震災が発生し、運転が延期されていました。実は当編集部では東京都交通局からのご依頼による『都営交通100年のあゆみ』(→こちら)『都電写真集』(→こちら)の編集を進めている過程で、装飾前の花100形の撮影を行いましたが、それは震災前日、3月10日のことでした。
▲片側の方向幕部分は「がんばろう日本!」になっている。'11.9.22 P:RM(高橋一嘉) 
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▲ケーキ上にはヨヘロから日暮里舎人ライナーまで、代表的な歴代の都営車輌が砂糖菓子風のデコレーションとして配置されている。'11.9.22 P:RM(高橋一嘉) 
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110927n004.jpg注目の装飾は5社14案によるコンペの結果選定されたもので、「都営交通100周年を祝うバースデーケーキ」がコンセプト。車体全体をケーキの紙箱に見立て、荷台上をケーキとして、歴代の都営交通の代表的な車輌8種(地下鉄浅草線5000形、大江戸線12-000形、円太郎バス、ハイブリッドノンステップバス、市電ヨヘロ形、都電6000形、都電8800形、日暮里舎人ライナー300形)とその時代のファッションに身を包んだ人形を砂糖菓子風のデコレーションとして配置して、都営交通100年の歩みを表現したものとなっています。
▲ケーキの箱のイメージに合わせて、検査表記も食品表示ラベル風の洒落たものに。'11.9.22 P:RM(高橋一嘉) 
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また花電車の見所の一つである電飾は、今回は省エネルギーに配慮してLEDを採用。天井からのスポットライトに加え、中央のチョコレート風プレート、ろうそく、ケーキ1段目上部、レースペーパー部のチューブライトが点灯するようになっていますが、安全を配慮して電飾の点滅や色の変化、音響効果などはなく、明るさも道路交通に支障のないレベルに抑えされています。

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▲サイドから見た花100。電飾はLEDによる。パンタグラフはシングルアーム化、補助電源のSIVは床上に設置され、電飾の電源にも対応している。'11.9.22 P:RM(高橋一嘉) 
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この花電車は10月1日を皮切りに計5日間、午後から夜間にかけて荒川車庫前~三ノ輪橋間2往復、荒川車庫前~早稲田間2往復の運転が予定されています。乙6000形による「荒川線新装記念」以来、実に33年ぶりの花電車。見物に出かけられてみては如何でしょうか。

■運行予定
10月1日(土)、10日(月・祝)、16日(日)、23日(日)、30日(日)
各日とも、昼間・夜間の1日2往復(三ノ輪橋~早稲田間)を予定

(ただし、荒天の場合は中止する場合があります。)

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▲「ニセコ1号」通過前になるとなぜか決まって雲が湧き、風が起こる。幸運なことにこの日は完全無風で通過時刻を迎えた。C62 2+C62 16。目名-上目名 '70.12.25 P:成田冬紀 (『国鉄時代』Vol.27より)

1971(昭和46)年9月15日、103・104レ急行「ニセコ」はC62からDD51牽引に置き替わり、14年間にわたる函館本線での急行列車牽引の歴史に幕が引かれました。それから今年で40年。多くのファンの脳裡に刻み込まれたC62重連の、あの豪快無比の走りが『国鉄時代』最新号の誌面で甦ります。  

kokutetsu28n027.jpg東海道本線を特急「つばめ」「はと」を牽引し疾駆したわが国最大最強の急行旅客機を2輌使用するという、ある意味贅沢極まりないこの列車は、多くの蒸気機関車ファンを魅了しました。これほど注目を浴び、これほど愛された列車はないでしょう。写真一枚一枚に撮影者の想い出があります。その想い出は語っても決して語り尽くされることはありません。元乗務員の方、ご執筆いただいたベテランファンの方ともに、異口同音にその記憶は「伝説」などという遠い過去のものではないと言います。目を閉じればまるで昨日のように雪を蹴立てて驀進する姿が生々しく甦ると、40年の時を超えても決して色褪せることはないこの列車を称えます。

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▲「遥かなり函館本線」は「大雪」時代から山線のC62重連を追い続けた渾身の記録。 (『国鉄時代』Vol.27より) 
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巻頭は三品勝暉さんの「遥かなり函館本線」です。昭和30年代半ば「大雪」「まりも」の時代、いち早くこのC62重連にチャレンジした"開拓者"の格闘記は、同世代の方ならずとも強い共感を持ってお読みいただけるでしょう。冬の山線でこのC62重連を撮影するということがいかに至難の業であるかを、いまさらながら痛感します。

kokutetsu28n019.jpgその至難の業に賭けた多くのベテランファンの方のエピソードで綴ったのが「C62重連とその時代」。拾い集めた青春のかけらのように、写真と文が活き活きときらめいています。
「103列車怒涛の疾走」は函館~小樽252㎞のC62の走りを運転・検修両面から現場の証言を軸に構成した迫力のドキュメンタリー。本誌連載「『SL甲組』の肖像」でお馴染みの椎橋俊之さんの筆によって、緊迫感に満ちたキャブ内が甦ります。
「C62北海道転出の背景」では宮原・梅小路機関区から北の大地に旅立った7輌のC62の、送り出す側から見た転出の経緯を考察します。「104列車29時間05分遅れ」では、雪害で動きのとれなくなった上り「ニセコ」に乗り合わせた時の、不安と焦燥の記録です。
▲「103列車怒涛の疾走」より。小沢-倶知安間を行く106レ急行「ていね」の本務機より。P:川本紘義 (『国鉄時代』Vol.27より) 
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▲齋藤 晃さんはレンタカーで「ニセコ3号」を追った5月の連休を追懐。 (『国鉄時代』Vol.27より)

このC62と東海道で親しんだ先達、高橋 弘さんが、去る8月17日、79歳で逝去されました。卓越した撮影技術で関西を中心に広く鉄道を記録、戦後を代表するレイル・ファンの一人として多くの方から憧れをもって仰がれた方だけに悔やまれます。本誌でも毎号ご寄稿いただき、息子・修さんの聞き書きによって懐かしさ溢れるタッチで構成していただいておりました。今号は「追悼特集」として不朽の名作「雪のC62 2『つばめ』」など、山科の蒸機で高橋 弘さんを偲びます。

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▲函館から走り続けてきた3号機の前に2号機が連結されようとしている。2輌のC62は夕闇迫る長万部を後に、再び"山線"へと向かう。'70.3.13 P:大谷眞一 (『国鉄時代』Vol.27より)

日豊本線の特急「富士」と晩年の四国、DF50の活躍を記録した2作は、宗太郎越えや阿波池田の夜景などDF50ファン垂涎のシーンがワイドに展開、「鶴見線 首都圏最後の73形」では、鎌田 実さんの写真を中心に最晩年の模様を岡田誠一さんが綴ります。弁天橋電車区に籍を置いた全車の配置状況一覧は、旧国ファン必見の資料です。また、ヘッドマーク付きの写真で網羅した思い出のカラーアルバム「西日本の気動車準急」は気動車ファンには見逃せません。
特別付録DVDは花輪線の8620、80系終焉の頃、松浦線のお召列車の3本立て。秋の夜長にぜひお楽しみください。 

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▲完成した"お立ち台"での記念撮影。主役の給水タンク下に停まっているのはデュトン・プロダクションのエッチング板を組んだドコービル5t。 
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このスモーキー・ボトム・ランバー・カンパニー(SBL)の給水タンクを主役に据えた"お立ち台"のベース寸法は170×145㎜。本来であれば将来の拡張性を踏まえてそれなりの準備を施しておくべきなのでしょうが、今回はそこまで考えずに単なる展示台として割り切ることにしました。

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▲ベース部分を構築中の"お立ち台"。手元にあったコルクを重ねて雛壇を組んでいる。載せてある線路は試運転用の「軌匡」で、建築限界を実際に確認してみるためのもの。 

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▲枕木を敷設しプラスターを塗布した状態。ここまでは定石通りにさほど時間もかからずに進む。

キットに組み込まれているタンク体の脚部は高さ18㎜ほど。どう転んでも線路と同一面に置いたのでは高さが足りませんので、何かの台に載せねばなりません。そこで石積みの擁壁を設け、給水タンクはその上に設置することにしました。セオリー通りに線路も一段高く設定し、観賞する手前側から雛壇状に奥に行くに従って高くなる構造となっています。

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▲いわゆる"引き抜き"のウェザードレール各種。細い方からコード40、55、70。 
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▲枕木に使用した木材(右)。元は市販の角棒だが、ネットに入れて庭の土中に半年ほど埋めておいたもの。反り返りや腐食など歩留まりは悪いがなかなかの質感となる。右はプラスターで自作した石積み用の石材。 
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▲なぜ日本では普及しないのか常々不思議なのがフィッシュプレート(継目板)。これは十年以上前のロイ・C・リンク製のもので、レール踏面と底面に切れ込みを入れて左右から挟み込む。 
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▲マイクロエンジニアリング社のその名も「マイクロスパイク」。あまりに小さく作業性はすこぶる悪いが愛用品。右は下地処理を終えたグレードにレールを置いてスパイク位置を決めているところ。 
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また、ランドマークとなる樹木を製作。これは手頃な枝を充分乾燥させ、プリザーブドフラワー店で購入した"葉"をピンセットで丹念に接着していったものです。「何の木か?」と言われるとつらいところで、ヨーロッパはもとより、最近では国内でも植生に拘って特定の樹木が製品化されてきていることを思うと、今後の自作に際してはその辺も大きな課題となりそうです。

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▲シーナリィーは天然素材が中心。例によって深追いをせずに日々ちょっとずつ手を加えていって二ヶ月ほどで完成。 
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ともあれ、リチャードさんからいただいたレジン製給水タンクは、2年近い歳月を経て、"お立ち台"というかたちでフィニッシュを迎えました。先にご紹介した3/8inスケールのフォード(アーカイブ「完成したリチャードさんのレジンキット」参照)ともども、近々ご本人にも完成を報告するつもりです。

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▲側線を辿ってゆくと、鄙びた給水設備にドコーが1輌。夏の終わりの夕日が濃い陰影を作る...そんな情景こそが、この給水タンクメーキングの最終到達点。 
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▲スモーキー・ボトム・ランバー・カンパニー(SBL)の給水タンクをモチーフにした"お立ち台"。掌に載るほどの小さなパイクながら、こんな情景の中に組み込むと無味乾燥なレジン製キットも立派な主役となる。 
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すっかり気の抜けたビール状態となってしまいましたが、一昨年2月と4月にご紹介したスモーキー・ボトム・ランバー・カンパニー(SBL)のレジン製給水タンク(アーカイブ「SBLの給水タンクを仕上げる(上)」参照)のその後をご報告いたしましょう。

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▲上空(?)から見た給水タンク周辺。ランドマークとなる巨木は庭に落ちていた枝をベースにドライフラワーを用いて自作。 
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ロンドンのEXPO NARROW GAUGE(アーカイブ「EXPO NARROW GAUGEの旅 10」参照)で再会した同社のリチャードさんから、「作ってみて」と渡されたこのレジン製キット、かなり"大味"なものですが、ラッテンストーン(Rottenstone=和名・トリポリ石)を用いたトリートメントを施してそれなりに見られる状態まで持ち込んだ...そこまでは小ブログでレポートいたしました(アーカイブ「SBLの給水タンクを仕上げる(中)」参照)。しかしいくら手を加えようとそのままでは所詮、給水タンクの置物でしかありません。そこでせめてこのタンクを題材とした"お立ち台"を製作しようと思い立ったのでした。つまりこれは「中」編までで中断してしまっていた連載「SBLの給水タンクを仕上げる」の「下」、完結編ということになります

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▲線路を潜る小さな溝橋を設定。この角度からは見えないが、排水管からの水流も再現してみた。 
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まずはこれまでのメーキングをもう一度振り返ってみましょう。"OIL AND WATER FACILITY"と銘打たれたキットは、レジン製のタンク体と脚部、ドラム缶、それにホワイトメタル製のバルブが入っているだけの極めてシンプルなもので、スケールは7㎜。レジンの質感を如何に消すかが最初の関門でした。

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▲給水タンクのメーキングを再録。左がスモーキー・ボトム・ランバー・カンパニーのキット内容。タンク体はまさにレジンのキュービック(右)。 
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▲下塗りを終えたタンク体(左)と、トリートメントに使用するラッテンストーン(右)。黒いスプレー缶はラッテンストーンの吸着に用いるテスターズのダルコート。 
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▲超微粒子のラッテンストーンをタッパウェアに入れ、ダルコートを吹いたタンク体を漬け込む(左)こと一カ月、右が一カ月を経て"発掘"した状態。 
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▲表面に付いたラッテンストーンの微粒子を柔らかい刷毛で珍重に払い落とす(左)。そののち、油絵具をターペンタインでステイン状に薄めたものを少しずつ染み込ませてゆく(右)。 
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▲塗るというよりは日にちを空けて染み込ませること数回、すっかりレジンの素材感が消えたタンク体。ここまではかつてご紹介したアーカイブのダイジェスト。 
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▲その給水タンクをどうレイアウトするかを検討中。手前から3段の雛壇状を想定し、小さな用水路を組み込むプランをシミュレーション。 
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タンク体が完成したのを機に、こんな給水タンクがどんなシチュエーションにあったら実際に"撮影したくなるか"をイメージ。たどり着いたのが、夏も終わろうとする夕刻、西日に照らしだされた側線の一隅...そんな小宇宙でした。

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▲完成した給水タンクの"お立ち台"。線路まわりのメーキングについては引き続き明日...。 
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▲変則6連の5000系が多摩川を渡る。5000系が走った33年間、開発・変貌の一途を辿った沿線の中で、変わらぬ風景と言えば多摩川の流れくらいだったかも知れない。'86.1.23 聖蹟桜ヶ丘-中河原 P:荒川好夫(RGG) (RMライブラリー『京王5000系-ファンの目から見た33年―』より) 
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国鉄客貨車、地方私鉄、路面電車が続いていたRMライブラリーですが、今月発売の第146巻はひさしぶりに大手私鉄の1系列をテーマにした『京王5000系-ファンの目から見た33年-』をお届けします。

110920nrml146_h1.jpg関東の私鉄電車ファンの方ならばご存知のことと思いますが、京王5000系とは、1963(昭和38)年に登場した通勤電車です。もともと路面電車から出発した京王線は、戦後、東急から独立して京王帝都電鉄として再発足しますが、車輌は旧京王電軌時代からの14m車ばかりで、車輌・施設とも戦禍で傷ついたものが多数ありました(14m車については第111巻『京王線 14m車の時代』参照)。その後2600系、2700系、2000系、2010系を増備しますが、これらも車輌の不足を補うのが精一杯で、抜本的な体質改善にはならず、施設面でも新宿付近には急曲線と甲州街道上に線路が残るなど、近隣の他線で斬新な新型車の投入や施設の改良が進む中、京王のイメージは決して良い物ではありませんでした。

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▲5000系登場の頃。特急運転開始当初は5000系だけでは足りなかったため、2010系や2700系も5000系と同じアイボリーに変更されて運用されていた。 (RMライブラリー『京王5000系-ファンの目から見た33年―』より) 
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その京王線のイメージが一新されたのが1963(昭和38)年でした。この年4月には、まず京王線新宿駅が現在の地下駅に移転。8月には架線電圧が1500V昇圧され、14m車は支線用と一部の中間車を除いて引退、そしてそれと同時に登場したのが5000系でした。アイボリーに臙脂のラインという新塗装で登場した5000系は、単に通勤電車というよりは、新生京王線の象徴する存在であり、10月には新宿~東八王子間で待望の特急運転が開始されます。

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▲5000系の特徴の一つが数多くの台車を履いたことである。当初、日立、日車、東急の3社が使用された台車は、その後の振り替えも数多く、中には2回の振り替えを経験した車輌もあった。 (RMライブラリー『京王5000系-ファンの目から見た33年―』より) 
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ちょうど5000系の増備とともに、路線も1964(昭和39)年動物園線、1967(昭和42)年高尾線と、延伸が続きました。こうして考えると、5000系の歴史は、京王線の発展の歴史であったとも言えます。ちなみに、5000系の話で必ず出てくる「5100系」という系列名に疑問を持たれる方が少なくないようですが、簡単に整理すると、5000系は4連で両端がTc、5100系(旧5070系)は2または3連で新宿方がMcの編成で、5100系で最後まで2連だった編成のみ吊り掛け駆動車でした。この吊り掛け駆動の5100系については、かつてレイル・マガジン本誌で連載した合葉博治さんの「ハイテク電車入門」でもご紹介していますので、ご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

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▲関東大手私鉄初の通勤冷房車でもあった5000系。まだ試行錯誤の時期ゆえ、編成ごとに分散・集中が試されたが、特に9個の冷房装置をズラリと並べた最初の分散冷房車の屋根は壮観であった。 (RMライブラリー『京王5000系-ファンの目から見た33年―』より) 
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さて、本書は、その誕生から5000系を見続けてきた沿線在住の京王ファン、鈴木 洋さんが、当時のメモ帳など記録を基に構成したものです。最初に5000系のパースを見た時から、登場を経て年毎に改良を加えながら増備を重ねられていく5000系の誕生当時の状況が、タイトル通り「ファンの目線」から綴られたものになっています。今もいくつかの私鉄で活躍を続ける5000系ですが、一部は置き換えの話を出始めています。この機会に本書を片手に、第2の活躍をする旧5000系を訪ねてみられてはいかがでしょうか。

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▲丸瀬布川に残る森林鉄道の橋脚。左に見えるのは石北本線の橋梁。'11.8.21 P:夢里塾 
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去る7月2日に開催された「武利意(むりい)森林鉄道廃線跡を歩く会」のレポートを、主催された夢里塾(むりじゅく)事務局長の只野博之さんからお寄せいただきました。さらに少々急ではありますが、第二回目となる「丸瀬布の森林鉄道廃線跡を歩く会Ⅱ」が来週9月25日(日曜日)に開催されるそうですので、そちらもあわせてご案内いたしましょう。

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▲雨宮21号の走る線路も一部はかつての軌道跡そのもの。小山さんの説明に熱心に聞き入る参加者の皆さん。'11.7.2 P:夢里塾 
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1963(昭和38)年に廃止になったわが町丸瀬布の森林鉄道、武利意幹線の廃線跡を歩く会を、廃線から48年目の2011年7月2日土曜日に開催しました。10時からの開会式では、伊藤副塾長が歓迎挨拶と開催趣旨の説明を行い、続いて本日のガイド役であり蒸気機関車雨宮21号の運転士でもある小山信芳君が行程等の説明を行いました。資料「丸瀬布の森林鉄道」(新丸瀬布町史を抜粋)をお渡しし、いよいよスタートです。

110916n004.jpgこの日は、北海道らしくからっと晴れた爽やかな好天に恵まれ、歩く会には最高のコンディションとなりました。まず始めに、雨宮21号が走る森林公園いこいの森内の郷土資料館裏に向かって出発。夏の陽ざしを浴びて木立の中を歩きながら、現在雨宮21号が走っている線路の中で唯一ここの直線部分だけは元々の線路だったこと、路肩部分が狭く脱線も多い場所だったため危険防止に路肩の拡幅と補強をしたこと、ここから武利ダムに向かって線路が延びていたこと、ダムの水を抜いたときに橋台が見えたことなどの説明を受けました。ここでは、水を排水するために線路下に埋められた直径60cm程の古いコンクリート製の土管と擁壁も見学しました。町史によると武利意幹線は1927~28(昭和2~3)年に15km敷設され、昭和3年東京深川区の雨宮製作所で製造された雨宮号3輌が部品のまま丸瀬布に運ばれて組み立てられ、同年2台が線路敷設に運行したと記載されていますので、この土管と擁壁も建設後83年経っているものと推測されます。コンクリート製の土管と擁壁の造り方が現在の工法とは違うことに参加者の岩上孝義さんが気付き、往時に思いを馳せることもできました。
▲武利意幹線が新設された当時に作られたと思われる土管と擁壁。その上を汽笛を鳴らして雨宮21号が通り過ぎてゆく。'11.7.2 P:夢里塾 
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▲丸瀬布川の渓流に下りて軌道跡を探索する参加者の皆さん。幸い天候にも恵まれ、絶好の一日となった。'11.7.2 P:夢里塾 
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ここを見学中に雨宮21号が汽笛を鳴らして通過し、乗客がニコニコと手を振って過ぎ去りました。線路が続いていたはずの武利ダムに近づくと、水の中でエゾ鹿がたたずんでいました。皆が「オー珍しい!」と声を上げました。前日赴任したばかりの北海道新聞社遠軽支局の渡辺記者も遠軽町丸瀬布総合支所の広報担当森谷君もシャッターチャンスと思ったでしょうが、見る角度を変えると流木のいたずらでした。今まで大勢の人がだまされていると小山君が笑っていました。

110916n002.jpg次の目的地まではワゴン車で移動し、武利ダムの少し下手で車を降り、武利川に向かって歩きました。ここでは武利川を横断する鉄橋があったことを誇示するように高さ4m程度の橋台が川の中の両側に2基、この2基から少し離れた岸のはずれには高さ1.5m程の橋台が2基あります。4基とも83年の時を経て上部は植物に覆われていますが、堅牢な橋台であることが分かりました。川の水がぶつかる部分は厚さ1cmの鉄板で補強されています。参加者には女性も含め60歳代が3人おられましたが、どの方も好奇心旺盛で、武利川のせせらぎに太古からそこに有るような岩を渡り向う岸に渡りました。
▲深い森の中に眠り続ける橋脚。40数年前にはこの上を運材列車が行き交っていたはず。'11.8.20 P:夢里塾 
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▲自然に還ろうとしている橋脚もある。年の流れとともに周囲の木に包まれるように佇むコンクリート製構造物は何ともいえない雰囲気を醸し出している。'11.7.2 P:夢里塾 
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低い方の橋台に上がり、川と反対側の原野を見ると熊笹と潅木に覆われていますが、30数年にわたり丸瀬布を支えた林鉄の線路跡がはっきりと盛り上がってダムの方に右カーブを描いて延びているのが分かりました。木々の緑に抱かれ、マイナスイオン一杯のそよ風に吹かれて、しばしの間いにしえの林鉄を心に描くことができました。逆側の川の方を見ていると、「川の両側に残っている橋台の間隔が10数メートルと広いので、川の中心部に橋脚が1基あったのではないか。」と推理を働かせる参加者の声に「きっとあっただろう。」「わざわざ壊さないので流されて壊れたのだろう。」という声が上がりました。線路跡の木の切り株から生えていた黄色い天然物のタモギダケを採り、お土産にしていただきました。余談ですが、帰りに少し分けていただいたこのキノコを夕食に使いましたが、たいへんいいダシが出て、幸せを感じるほど最高に美味しい味噌汁をいただくことができ、感謝です。歩く会、万歳!

110916n001.jpg再び川を渡って、車のところに戻り冷たいお茶やコーヒーで水分を補給して一休み。
今度は、丸瀬布市街方向のさけ・ますふ化場に向かって道道丸瀬布上武利線に歩みを進めました。すぐそばでウグイスの鳴き声が聞こえ、一同オホーツクブルーの空を見上げましたが姿は見えませんでした。ここの道道の直線部分には左側に林鉄、右側に道路が並行して走っていたと説明がありました。直線を過ぎて脇道に少しだけ入り、熊笹に覆われて盛り上がって続いている線路跡を見てもらいました。樹木も生えていて中には直径50cmもあるドロの木もあり48年の時の流れを感じました。道道に戻ってもう少し進み、道路に沿って5m程左側に続く線路跡を見ながら歩きました。そして、先ほどと同様、線路下に埋められ苔むしたコンクリート製の直径60cm程の土管と擁壁が残っている場所を見学しました。土管の奥側は3分の1くらいが埋まり、擁壁も大きくヒビが入り83年という長い時間の経過と歴史を感じます。道路に戻り、ここからすぐそこのさけ・ますふ化場の手前で林鉄と道路がクロスしていて踏切があったという説明がありました。
▲丸瀬布川に架かっていた橋梁の遺構。その構造からも1級森林鉄道であったことがうかがい知れる。'11.8.21 P:夢里塾 
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この後は、人数が少なく全員乗ることができたのでワゴン車で懇談の会場である農村多目的研修施設に移動しました。参加者からの感想や意見・要望を聞くとともに、今後に向けての反省点・改善案なども話し合いました。最後に、隣接する丸瀬布温泉やまびこの食堂で昼食をとり、温泉に入って汗と疲れを落として気持ちよく家路に着きました。

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▲土管と擁壁が残っている場所を見学する。さすがにこれは地元のエキスパートの案内なくしては発見できそうもない。'11.7.2 P:夢里塾 
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さて、たいへん急ではありますが、「丸瀬布の森林鉄道廃線跡を歩く会Ⅱ」(主催:夢里塾/協力:遠軽町丸瀬布総合支所産業課)の開催が決まりました。開催日は、雨宮21号が83歳の誕生日を迎えた翌日の9月25日(日曜日)で10時から15時頃を予定しています。まず、丸瀬布コミュニティーセンター(国道333号沿いで、コンビニと遠軽町役場丸瀬布総合支所の間)にお集まりいただいて受付の後、雨宮21号や丸瀬布の森林鉄道のこと、当日のスケジュールや注意事項などをお伝えします。その後ワゴン車などに分乗していただき、武利意幹線の起点と橋台(JR石北本線を跨いでいた)、丸瀬布川に架かる高さ10数mの見事な橋脚、南丸に残る橋脚や廃線跡を見ていただきます。その後、丸瀬布コミュニティーセンターに戻り、各自の車でいこいの森に移動し、やまびこ温泉で昼食(各自負担)。午後は、いこいの森内の廃線跡や道道沿いの廃線跡などを歩き、雨宮21号にも乗っていただく予定です。
なお、この日は雨宮21号と鶴居村簡易軌道で走っていたディーゼル機関車が同時運行することになっていますので、珍しい写真が撮れると思います。
参加費は1,200円で、雨宮21号乗車券とやまびこ温泉入浴券、災害保険料を含みます。
時間と興味のある方は、昆虫生態館(大人400円)や郷土資料館(大人150円)もご案内します。昼食後の時間や終了後に見学できます。また、ファンの方が喜ぶと思われるちょっとしたプレゼントも用意しています。
ぜひ、この機会に丸瀬布にお越しください。

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▲巻頭は東北の雄・仙台機関区。東日本エリアでは尾久機関区と並んで旅客列車仕業しか持たない庫として知られた。もちろんあのC61 20号機(右)もここ仙台機関区で若き日々を過ごした。 (『「SL甲組」の肖像』第6巻より)
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『「SL甲組」の肖像』の第6巻が完成し、好評発売中です。今回はC61 20号機の動態復活と東北支援の思いを込めて、これまでとは一部ページ建てを変え、東北の要であり、ほかならぬC61 20号機の青春の地でもあった「仙台機関区」を巻頭に据えております。

110915n012.jpg〔目次より〕
仙台機関区/旅客列車専門機関区ハドソン三兄弟の棲家。
 □仙台機関区の思い出
 ■出会った人びと ...取材メモから
一戸機関区/奥中山は俺たちに任せろ。
 ■出会った人びと ...取材メモから
秋田機関区/羽越、奥羽を守る枢要機関区の気概。
 □「機関車とともに」より
 ■出会った人びと ...取材メモから
大館機関区/主戦場は矢立峠。
 ■出会った人びと ...取材メモから
稚内機関区/極北・栄枯盛衰の証言者。
 □稚内北防波堤ドーム1972
 ■出会った人びと ...取材メモから
西舞鶴機関区/軍港、引揚げ...、昭和を生きた鉄道員魂。
 □帰郷輸送の実施要項
 ■出会った人びと ...取材メモから
三菱大夕張鉄道/炭鉱とともに生きた76年。
 □運用・蒸気機関車・その他車輌
 ■出会った人びと ...取材メモから
雄別鉄道/石炭輸送50年。道東運炭鉄道の軌跡。
 □新潟鐵工所製作のキハ49200Yパンフレット
 □雄別鉄道主要駅の構内配線図
 ■出会った人びと ...取材メモから

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▲仙台機関区は駅本屋とちょうど逆側に位置し、17線収容の大きなラウンドハウスを擁していた。東北本線を行き交う優等列車はもちろん仙台機関区の担当。 (『「SL甲組」の肖像』第6巻より)
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110915n016.jpg宮原電車区/証言・動力近代化の尖兵。
 □宮原電車区のヨン・サン・トオ
 ■出会った人びと ...取材メモから
長岡機関区/越後長岡、要衝の町。
 ■出会った人びと ...取材メモから
糸魚川機関区/荒波打ち寄せる北陸回廊を行く。
 ■出会った人びと ...取材メモから
吉松機関区/はるか霧島の麓、守るは北薩の要衝。
 □吉松鉄道年表
 ■出会った人びと ...取材メモから
鹿児島機関区/腕利き集団鹿児島にあり。
 ■出会った人びと ...取材メモから
あとがき/安全確保は輸送の生命
▲新たに加えた樺太鉄道の章。あらゆる資源に恵まれた樺太は「宝の島」と謳われた。 (『「SL甲組」の肖像』第6巻より)
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この第6巻でも単に連載の再録にとどまらず、いくつもの新たなコンテンツを加えております。その中でも注目なのが、「樺太鉄道」のセンテンスではないでしょうか。稚泊航路で稚内と結ばれた大泊を起点に樺太島南部に路線を擁していた樺太鉄道は、1943(昭和18)年の内地編入に伴い鉄道省管轄となり、以後、1945(昭和20)年の敗戦まで独自の発展を遂げてきました。本巻では編入以前の樺太鉄道時代からの貴重な姿を、生々しい証言とともに誌面に甦らせます。

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▲樺太鉄道にはC56に似た1Cテンダー機60形など、車輌についても独自の発展を見せていた。戦時中に鉄道省に編入され、これらの車輌も同時に鉄道省管轄となった。 (『「SL甲組」の肖像』第6巻より)
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ところで、本誌の連載『「SL甲組」の肖像』もこの年末で9年目を迎えます。椎橋俊之さんが実際に現地を訪問されてOBの皆さんからお話を伺った区所は、未掲載分も含めてすでに80箇所以上。かつて名にし負う難所で加減弁を握った「甲組」の皆さんもすっかりご高齢となられ、オーラルヒストリーの記録としても、ますます意義深いものとなってまいりました。

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▲厚生省(当時)の引揚援護局が作成した資料から「帰郷輸送」を読み解く。超満員の買出列車など戦後直後の混乱の中で、この「引揚特別列車」は"辛酸を舐めた皆さんに楽に座って故郷に帰ってもらおう"という配慮から定員乗車だったというのも驚き。 (『「SL甲組」の肖像』第6巻より)
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「仮にDD51の本格実用化が1年遅れていれば、C62重連による盛岡~青森間の特急運転が実現していたはず」(本巻30頁参照)といった心躍るオーラルヒストリーを後世に語り継いでゆく「SL甲組」の肖像は、まだまだ続きます。どうかご期待ください。

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▲今回も「出会った人びと」のコラムが各区所ごとに入っている。著者・椎橋さんと「甲組」の皆さんとの心温まる出会いも必見。 (『「SL甲組」の肖像』第6巻より)
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▲梺駅跡に保存されている腕木信号機と収蔵庫から顔を覗かせるデハ3。'11.8.12 P:奥 清博 
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先日ご紹介した羽後交通雄勝線デハ3(アーカイブ「羽後交通デハ3を見る」参照)をさっそく見に行かれたという奥 清博さんからレポートを頂戴いたしましたのでご紹介いたしましょう。

110914n005.jpg「編集長敬白」はいつも楽しみに拝見させていただいております。さて8月4日から2回にわたって掲載されました「仁別森林博物館を訪ねる」(→こちら)を拝見し、林鉄ファンとして美しい姿の酒井8tボギーをこの目で見てみたいという思いに駆られ、東北旅行の最後に足を伸ばし訪ねることができました。良いきっかけを提供いただき大変感謝しております。
続いて9日に羽後交通雄勝線デハ3がアップされました。こちらも、経路上ということもあり、記事のとおり、事前に町役場に連絡して収蔵庫内部に入れていただきました。今回はそのご報告をさせていただきます。
▲町役場の方がガラガラと収蔵庫の大きなシャッターを開けるとデハ3の姿が...。'11.8.12 P:奥 清博 
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事前連絡時の約束どおり、町役場を訪問。そこから町職員2名の乗った車の先導で5分ほどの梺駅跡の収蔵庫に到着。湯沢側の大きいシャッターを開けてもらうとデハ3の正面が姿を現しました。左側には梺駅の駅名標のあるホームを模したコンクリートの足場があり、ファン的視点からすると足回りが隠されているのが残念。とはいえ立派な収蔵庫があるからこそ修復後30年近くを経ても美しい姿をとどめていることを考えるとありがたい事です。反対側の1mほどのわずかなスペースからの厳しい条件で台車を撮影。側板中央の社紋や形式のレタリングは手書き風。擦りガラスの丸窓やかつて「デハニ」だった時代の名残の窓配置もそのままです。

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▲展示用ホームは車体にほぼ密着した形でこちら側の下回りを観察することができないのは残念。'11.8.12 P:奥 清博 
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▲美しく整備された室内。運転室のハンドブレーキホイールにはブリル社の陽刻が見える。'11.8.12 P:奥 清博 
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▲デハ3の下回り。台車は日車S形。ブリル21Eとは軸箱などが異なる。'11.8.12 P:奥 清博 
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▲側板に描かれた社紋と形式標記(左)。手書き風になっている。戸袋窓は擦りガラスの丸窓(右)。'11.8.12 P:奥 清博 
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▲デハ3の隣には元西馬音内消防団のカバーを掛けられた牽引式の古い消防ポンプが保管されている(左)。銘板によると製造は秋田市の松野ポンプ製作所。右は梺方から見たデハ3。'11.8.12 P:奥 清博 
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▲ホームと反対側の行先表示は「湯沢-西馬音内」(左)。右は立派な駅名標。'11.8.12 P:奥 清博 
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室内も美しく整備され、ハンドブレーキホイールにはブリル社の陽刻も確認できます。庫内には地元消防団名のカバーのかかった古いタイプの消防ポンプも保管されていました。銘板によると昭和33年製とデハより30年ほど若いことになります。シャッターを開け放ち、編集長も撮影されていた腕木信号を入れてのカットを撮影後、職員の方にお礼を述べ、収蔵庫に別れを告げて、仁別へと向かいました。ちょっと調べればわかったはずのユキ3の廃車体(アーカイブ「羽後交通ユキ3は今...」参照)や他の遺構を確認しておけばよかったと、今になって後悔しております。
なお、雄勝線の車輌は明治村に行ったハフ11、13、14が現存しているのですが、明治村の蒸気機関車や京都市電は昨年末より運休しており、その動向も気になるところです。

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▲羽後交通雄勝線から譲渡された客車。明治村の蒸気機関車は昨年末から運休中。'10.12.19 P:奥 清博 
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▲ファウラー製C1タンク機"Invicta"が牽く列車。P:小田恭一 
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このオーストラリアシュガーケーン鉄道(ASCR→こちら)の運行に必要な経費は、そのほとんどが運賃収入や団体向けのチャーターなどの収入でまかなわれており、地元自治体の拠出などはごくわずかに過ぎないのも大きな特徴と言えるでしょう。これには路線のあるバンダバーグ植物園がどちらかというと観光アトラクションに近い性格を持ち、サイクリングコースや博物館、カフェなども整えられており、立地としては有利な場所であることも働いているようです。

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▲無煙化直前の製糖工場専用線。サトウキビ畑の中をプッシュプルのシュガーケーン・トレインが行く。P:ASCR 
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▲1952年に製造された18トンB1タンク 3号機は1979年まで現役で活躍していたという。P:小田恭一
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▲1914年製のコッペル製Bタンク機(左)も健在。P:ASCR/右は軌道の保守に使用されているシンプレックス。P:小田恭一 
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私が訪れた時期はオフシーズンにもかかわらず、10時の始発列車から家族連れを中心とした乗客で毎回ほぼ満員、乗車待ちの列ができるほどの盛況でした。乗客は地元住民と観光客がほぼ半分ずつといった感じでしょうか。

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▲機関車の修繕もボランティアが行う(左)。P:ASCR/さらに、ボランティアの手により路線の建設も進められている(右)。P:ASCR 
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▲駅長を務めるボランティア、ロバート・プリケット君。P:小田恭一 
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▲機関士を務めるボランティアのダニー・ウォグナットさん(左)。右はこの日の水質検査の結果。P:小田恭一 
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▲園内には立派な乗降設備も備えられている。P:小田恭一 
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この愛らしい保存鉄道を訪れるには、日本からブリスベンまではジェットスター航空を利用し、現地まではクイーンズランド鉄道・航空機(カンタス航空)・バス(グレイハウンド オーストラリア)のいずれかとなります(鉄道は毎日運行ではないので注意が必要)。 またメンバーのネイサン ウィリアムズ(Nathan Williams)さんは日本語が堪能で、心強いサポート役となってくれるはずです。

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▲代表のウェンディ ドライバーさん(右)と日本語堪能なボランティア、ネイサン・ウィリアムズさん(左)。P:小田恭一 
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小田恭一さん、ありがとうございました。南半球のオーストラリアは季節が逆で今は冬。オーストラリアシュガーケーン鉄道(ASCR)はもとより、総延長4,000kmという現役軌道の活躍も一度ぜひこの目で見てみたいものです。

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▲園内を進む列車。先頭に立つのは1978年まで現役だったというファウラー製C1タンク機"Invicta"。P:ASCR 
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シュガーケーン(sugar cane)、つまり砂糖キビ運搬用の鉄道というと、インドネシアはジャワ島の製糖工場や台湾、フィリピンのネグロス島の軌道などを思い起こしますが、実はオーストラリアの大地には今もって信じられないほど多くのシュガーケーン鉄道が実用として活躍しています。

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▲園内は見事に整備されている。写真は戦後生まれのB1タンク機"BFC 3"。P:ASCR 
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そのシュガーケーン鉄道を鉄道遺産として保存しようと取り組んでいる活動を、FEDECRAIL(欧州保存・観光鉄道連合)でも活躍されている小田恭一さんからお知らせいただきました。小田さんは2009年にオーストラリアで開催された全世界を対象としたHeritage Railway Sectorの国際会議でこの保存鉄道と交流を持たれたそうで、それ以来のお付き合い。実はレポートそのものは東日本大震災前にお寄せいただいていたのですが、ご紹介がすっかり遅くなってしまいました。ここであらためてご覧にいれましょう。

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▲現役時代の製糖工場専用線(左)。P:ASCR/出発準備が完了し乗客を待つ"Invicta"(右)。P:小田恭一 
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オーストラリア東海岸クイーンズランド州のブリスベンから北側、ケアンズ一帯までは、その温暖な気候を利用してサトウキビの栽培が盛んな地域です。そのため、製糖工場の専用線として、現在でも総延長4,000kmあまりのナローゲージ路線(2'及び3'6"軌間)の鉄道が使用されています。

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▲現役稼動中の製糖工場専用線。オーストラリアにはいまだに4,000㎞におよぶこのような専用線があるという。P:小田恭一 
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オーストラリアシュガーケーン鉄道(ASCR→こちら)は、こうした製糖工場専用鉄道を産業遺産として捉え、その歴史的価値を残すことを目的に設立された保存鉄道です。ブリスベンの北385kmにあるバンダバーグ(Bundaberg)に位置し、市内にある植物園に2'(609㎜)軌間 1.5kmの路線と機関庫・検修施設を所有しています。設立は1978年の保存協会発足に始まり、その後州政府からの援助もあって、有志の活動により路線が建設され、1988年には運転を開始し、現在に至っています。運行を支えているメンバーは約50人、すべてボランティアであり、そのうち18歳以下のメンバーも15人を占めています。

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▲整備中の"Invicta"(上)と洗缶作業中の3号機(下)。ASCRはボランティアの手によって支えられている。P:小田恭一 
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2010年8月現在では、4輌の蒸気機関車と1輌のディーゼル機関車、客車と保線用モーターカーなどの車輌を所有し、上記1.5kmの路線に加えて新たに1kmの別線が近々使用開始される予定と聞きます。運転は基本的に日曜日と祝日で、10時から16時までほぼ15分間隔で行っています。

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▲ディーゼル機関車の整備もボランティアによって行われている。P:小田恭一 
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▲大井川第1橋梁を渡る15列車をガーダー下から狙う。空のハイライトと橋梁下部のシャドーが著しいコントラストで、果たしてこの絵柄を半世紀前のライツ・レンズがどう捉えるか興味津津だったが、結果はご覧のとおり。恐るべき再現性に絶句! ぜひクリックして拡大画像でそのポテンシャルをご確認あれ。'11.8.26 大井川鐵道抜里-川根温泉笹間渡(ズミルックス50㎜F1.4後期/Mマウント)
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まずはスクリューマウントのGR28㎜F2.8を装着して試写。同じリコー、しかも今もって語り継がれる現代の"名玉"とあって写りが悪かろうはずもありません。案の定、まさにキリキリと切り込むような画像は、銀塩時代であれば"粒子と粒子の間を掻き分けるような"と表現されるであろう解像力です。

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▲ズミルックス50㎜F1.4を装着したGXR MOUNT A12はかなりのボリューム感。画面後方はライカⅢf。 
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▲同じく大井川第1橋梁にて。鉄やコンクリートの質感、葉の柔らかさや透明感までもが見事に描写されている。'11.8.26 大井川鐵道抜里-川根温泉笹間渡(ズミルックス50㎜F1.4後期/Mマウント) 
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しかし、「GXR MOUNT A12」の本領発揮はこれからです。元来ライカMマウント対応の専用レンズマウントユニットとして開発されただけに、ライツ・レンズを使わずしてその真価を云々することはできません。それも決して最新のMレンズではなく、「歴史的」レンズを使ってからこそ意味があるというもの。そこでさっそく持ち出したのがライカM3時代のズミルックス50㎜F1.4です。

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▲ありがたいことにGXR MOUNT A12には手持ちのレンズが物理的に干渉するかどうかを簡単に確認できるチェッカーが同梱されており、沈胴式レンズも瞬時に装着可能かどうか判断できる(左)。右はMマウントアダプターを介して試しに付けてみたスクリューマウントの沈胴ズミクロン50㎜F2。 
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▲井川線の沢間駅で見かけた塵取り。井川線は山間の小駅もきれいに掃除されていて実に気持ち良い。こんな絵画のような色調とトーンも、スペック至上主義の現代のレンズにはない味わい。'11.8.26 大井川鐵道沢間(ズミルックス50㎜F1.4後期/Mマウント)
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110906n021.jpgズミルックス50㎜F1.4は1959(昭和34)年に誕生したライツの大口径標準レンズで、レンズ構成は5群7枚。現在でも非球面レンズを組み込んで長寿を誇っています。M3時代のズミルックス50㎜F1.4は、"名玉"の代表であるズミクロン50㎜F2と比べて評価は分かれるところではありますが、今回試写してみてそのポテンシャルの高さに改めて感動いたしました。作例を拡大クリックしていただくとご理解いただけると思いますが、解像度ばかりでなく、その表現性の豊かさはまさに驚くばかりです。
▲アプト電機ED90をバックにエルマリート90㎜F2.8を装着したGXRを記念撮影。クラシカルなレンズとの視覚的ミスマッチも楽しい。'11.8.26 大井川鐵道アプトいちしろ 
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▲前日まで降り続いたという大雨で大増水した大井川を渡る井川線252列車。'11.8.26 大井川鐵道土本-沢間(エルマリート90㎜F2.8) 
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▲アプト区間の"お立ち台"で山を下りてくる206列車を捉える。時計の針は17時を指そうとしており撮影条件は決して良くはないが、エルマリートは手持ちでも充分耐えてくれた。'11.8.26 大井川鐵道長島ダム-アプトいちしろ(エルマリート90㎜F2.8) 
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解像度やコントラストといったファクターはスペック市場主義の現代のレンズが最も得意とするところですが、今回、半世紀以上も前に作られたライツ・レンズのいくつかを試写してみて、撮影レンズの持つ意味をあらためて考えさせられてしまいました。あらゆる面で進化はしたであろう現代のレンズが、実は何か大事なものを置いてきてしまったのではないだろうか...そんな思いさえ抱かしてくれた「GXR MOUNT A12」との日々でした。

※GXR MOUNT A12の詳細は→こちら

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▲薄い被写界深度が銀塩時代の感覚を呼び覚ます。3群5枚の変形トリプレットでもこれだけの描写ができる。'11.8.26 大井川鐵道アプトいちしろ(エルマリート90㎜F2.8) 
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撮影協力:大井川鐵道

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▲C11 190号機のクロスヘッド部をクローズアップ。もちろんAFではなくマニュアルフォーカスでピントを合わせることになるが、撮影時画面拡大機能を使うとモニターでのピント合わせもぐっと楽になる。'11.8.26 大井川鐵道新金谷(GR28㎜F2.8/スクリューマウント) 
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今年初めにご紹介したリコーの「ユニット交換式カメラシステム」リコーGXR(アーカイブ「GXRと江ノ電を歩く」参照)に、待望のライカMマウント対応の専用レンズマウントユニット「GXR MOUNT A12」が加わりました。発売は9月9日(金曜日)ですが、ひと足早くデモ機をお借りして実写を試みましたので、さっそくそのインプレッションをお伝えいたしましょう。

110906n020.jpg「GXR MOUNT A12」は、GXR専用レンズマウントユニットで、APS-CサイズのCMOSセンサーを搭載。ライカMマウントに対応していますが、当然のことながら既存のMマウントアダプターを介せば、L39と通称される内径39㎜のスクリュー式ライカLマウント・レンズも装着することが可能です。これは取りも直さずライツ製のみならず、1960年代まで盛んに生産されていた国産L39レンズ、キヤノン、ニコン、コニカ、ミノルタ、トプコン等々の星の数ほどある種類のレンズを使用できることをも意味しています。もちろん装着不可能なものもありますが、手持ちのレンズが物理的に干渉するかどうかを簡単に確認するためできるチェッカーが同梱されているのもありがたい配慮です。
▲ご案内いただいた大井川鐵道広報担当の山本さんにカメラを持っていただいて記念撮影。「ずっしりと重くて、昔のカメラみたいですね」と山本さん。そう、その媚ない重量も大きな魅力のひとつ。'11.8.26 大井川鐵道新金谷 
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▲日頃ズームレンズに慣れた目には、単焦点レンズのニュートラルな写りが実に新鮮。まして伝説のGR28㎜F2.8となれば、その場で目一杯に拡大再生して思わず頬が緩もうというもの。'11.8.26 大井川鐵道新金谷(GR28㎜F2.8/スクリューマウント) 
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また、新開発フォーカルプレーンシャッターと電子シャッターのふたつのシャッター方式を搭載。フォーカルプレーンシャッターでは1/4000秒~180秒、電子シャッターでは1/8000秒~1秒の設定が可能となっています。さらにレンズの周辺光量補正やディストーション補正などの各種補正機能も搭載されています。

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▲スクリューマウントのGR28㎜F2.8にMマウントアダプターを付けてGXR MOUNT A12に装着。あらためてご紹介するまでもなくGXR本体(画面後方)は専用カメラユニットを合体させることによって初めてカメラとして機能するまったく新しい概念の"カメラシステム"。 
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▲線路と大井川をひと跨ぎする塩郷の吊り橋・久野脇橋を半世紀前のズミルックス50㎜F1.4で捉える。半逆光ながら、拡大してみるとそのシャープネスと豊かな階調に改めて脱帽させられる。'11.8.26 大井川鐵道(ズミルックス50㎜F1.4後期/Mマウント)
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さて、まずはご先祖様とも言える1997(平成9)年発売のスクリューマウントGR28㎜F2.8を装着。GRの名を不動のものにした"名玉"をようやくGXRと合体させることができました。ブラス削り出しのGR28㎜F2.8はそれなりの重量で、ユニットと合体すると結構な重さに感じますが、バルナックライカを髣髴させるその質量も昨今のカメラにはない"味"です。

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▲ライカのショップ用ディスプレー台に1950年代のズマロン35㎜F3.5を装着したGXRを載せて記念写真。実際の画角とは異なるが、単独ファインダーの最高峰と信じて疑わないライツ製35㎜ファインダー(SBLOO)も取り付けてみた。実にカッコ良い! 
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今回は液晶ビューファインダーを付けずに、画像モニターでの画角決定とピント合わせで使ってみましたが、撮影時画面拡大機能を用いると比較的楽に"ピントの山"を見出すことが可能です。しかしながら、最近ではデジタル一眼でも画面拡大機能を使ってピントの確認をされている方が多いようですが、私たちの世代にとってはどうも苦手...二重像合致とは言いませんが、何か別の手立てがあるとさらに心地よい撮影が楽しめる気がします。

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▲変哲のないように見える形式写真こそ、単焦点レンズの出番。家山駅に留置中のオハ35 149を狙う。'11.8.26 大井川鐵道家山(GR28㎜F2.8/スクリューマウント) 
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撮影協力:大井川鐵道

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▲受賞者の皆さんと鉄道友の会の皆さんとの記念撮影。前列左から特別部門を受賞された京阪電気鉄道の藤原 進さん、定期刊行物部門「鉄道の掲示と行先標の変遷」(『鉄道ピクトリアル』2010年10月号所収)の堀岡健司さん、同じく定期刊行物部門「緩衝式車止めの形態と分類」(『鉄道ピクトリアル』2010年7月号〜9月号所収)の初澤 毅さん、単行本部門『国鉄EF13形 ―戦時型電機の生涯―』の小林正義さん、同じく単行本部門『出石鉄道 ―二千人の株主が支えた鉄道―』の安保彰夫さん、同じく単行本部門『西鉄電車おもいでアルバム』の大田治彦さんの代理、版元・櫂歌(とうか)書房の東 蛮さん、後列左から鉄道友の会の関 崇博専務理事、久保 敏副会長、須田 寛会長、小西純一選考委員長、小野田 滋選考委員会担当理事。'11.9.4 
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すでにお知らせしたとおり、昨年発行した小林正義さんのRMライブラリー『国鉄EF13形 ―戦時型電機の生涯―』(上下巻)と、安保彰夫さんのRMライブラリー『出石鉄道 ―二千人の株主が支えた鉄道―』の2冊が鉄道友の会の選定する「2011年島秀雄記念優秀著作賞」をダブル受賞し、昨日9月4日(日曜日)、東京・市ヶ谷の私学会館で贈呈式が開催されました。

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▲受賞者を代表して挨拶に立たれる小林正義さん。右は鉄道友の会の須田 寛会長。'11.9.4 
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あらためてご紹介すると、島秀雄記念優秀著作賞は、毎年1回、趣味的見地に基づき鉄道分野に関する優れた著作物または著作物に関わる功績を選定し、鉄道および鉄道趣味の発展に寄与することを目的として、2008(平成20)年に新設された賞で、今回が4回目となります。弊社としては2009(平成21)年の第2回で湯口 徹さんのRMライブラリー『日本の蒸気動車』が単行本部門を受賞してから、2010(平成22)年の関 崇博さんの『門鉄デフ物語』、そして今回の2作品と、ありがたいことに3年連続で単行本部門の賞を頂戴することとなりました。

110905n003.jpg贈呈式に先立つ挨拶で、鉄道友の会の須田 寛会長は、近年鉄道書が氾濫している状況にあるが、後世に残るには文献価値がないとならない。その文献価値とは単に知識を羅列するだけではなく、その知識を体系化する中からこそ生まれると語られ、今回の各受賞作品はその点でもたいへん評価できるとされました。
▲挨拶される鉄道友の会の曽根 悟顧問。'11.9.4 
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▲小林正義さんは久保 敏さんから託された「戦時設計打合会議・局長訓示要旨」などを配布・解説された(左)。右は立派な受賞盾を手にした安保彰夫さん。'11.9.4 
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いっぽう、選考委員長の小西純一信州大学名誉教授は、選考経過について触れられ、去る6月5日に開催された最終選考では議論百出、選考委員の間で長時間にわたって真剣な討議がなされ、これまでにない"激戦"ののちに今回の受賞作品が決まったことを明らかにされました。また、今後の課題として選考委員の皆さんから提起されたのが、どうしても歴史を回顧した内容の作品が多く、今日的テーマに取り組んだ作品が少ない点だったそうです。今回の受賞作品の中でも現状分析を主軸に据えたものは定期刊行物部門を受賞された初澤 毅さんの「緩衝式車止めの形態と分類」(『鉄道ピクトリアル』2010年7月号〜9月号所収)のみで、若い著者の奨励といった意味でも今後の大きな課題といえましょう。

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▲調査対象の鉄道の時代に自分自身が入り込んでしまうことが大切と自著『出石鉄道 ―二千人の株主が支えた鉄道―』を語る安保彰夫さん。'11.9.4 
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今回は単行本部門、定期刊行物部門のほかに、「京阪電鉄百周年に関する著作物」の企画に対して京阪電気鉄道が特別部門を受賞されました。この中の『京阪電車 車両の100年』(発行:京阪電気鉄道/発売:ネコ・パブリッシング)は片野正己さんにイラストをお願いして弊社で編集させていただいたもので、100年という二度と再びない機会にそのお手伝いをさせていただき、しかも今回の受賞に結びついたのですから、こちらもわが事のように嬉しく、ご担当の藤原さんが記念盾を受け取られる際は思わず熱いものがこみ上げてまいりました。

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▲挨拶に立たれる定期刊行物部門を受賞された堀岡健司さん。右隣は同じく定期刊行物部門で受賞された初澤 毅さん(左)。写真右は特別部門を受賞された京阪電鉄百周年事業担当の藤原 進さん。'11.9.4 
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島秀雄記念優秀著作賞も4回目を迎え、いよいよ鉄道出版界の「ブルーリボン賞」と呼ぶに相応しい位置づけとなってまいりました。今回の選定に敬意を表しますとともに、引き続き来年以降も選定対象に相応しい作品を送り出してゆかねばと、あらためて身の引き締まる思いがいたします。

※明日と明後日は不在のため休載させていただきます。

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▲『新・消えた轍』 2 北海道・北東北編のスタートは定山渓鉄道。札幌の地に華開いた先進的な電気鉄道も札幌冬季オリンピックを前に、1969(昭和44)年にその歩みを止めた。 (『新・消えた轍』 2 北海道・北東北 より)
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昨年7月末発売の「4関東」「10九州・四国」を皮切りに進めてまいりました『新・消えた轍 ローカル私鉄廃線跡探訪』シリーズが、8月30日発売の「2 北海道・北東北」編で全10巻が出揃い、ついに完結いたしました。

110902wadachiH1.jpg本シリーズは、中小私鉄の廃止路線のうち、昭和30年代以降に全線もしくは路線の半分以上が廃止された路線について、現役当時の写真を交えて解説するとともに、その廃線跡を訪ね歩くものです。旧シリーズ1~4巻では尾小屋鉄道が廃止された1977(昭和52)年までに廃止された路線を対象としていましたが、新シリーズではその後現在までに廃止された路線も加えて、全10巻に再構成いたしました。シリーズ完結にあたり、この力仕事ともいうべきロングランを続けてこられた著者の寺田裕一さんからコメントをいただきました。

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▲北東北編の下北交通。第一次特定地方交通線に指定されて国鉄を離れたものの、16年でついに力尽きた。 (『新・消えた轍』 2 北海道・北東北 より)
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今回の第8回配本の北海道・北東北編で、『新・消えた轍』全10巻が完結いたしました。各巻のあとがきでも記しましたが、「消えた轍」改訂版の提案を名取編集長からいただいたのは2010(平成22)年に入ってからで、前作に1977(昭和52)年以降の廃止路線を加えることがスタートでした。前作掲載路線についても、輸送の推移に関する詳細表を加えることとし、また、廃線跡についても出来るだけ現況に近付けるため再訪を繰り返しました。

110902n100.jpg第1回配本は2010(平成22)年7月末で関東編と九州・四国編、第2回配本は8月末で東北編と中国編。つまり、1ヶ月の間に4冊刊行というハードスケジュールでした。「消えた轍」とは違って北から順の配本になっていないのは、その「消えた轍」の在庫切れの巻の掲載地域を早めに刊行するためです。その後の2ヶ月に1冊のペースは当初スケジュール通りでしたが、一度、そのペースを崩しています。今年の4月末に発行を予定していた第2巻で、ちょうどあとがきの構想を温めていた正にその時に東日本大震災が発生しました。惨状を目の当たりにして、とても東北地方を題材にした書物を世に出す気は起こらず、名取編集長ともご相談のうえ発行時期と発行順を変更させていただいたのです。

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▲DC251に牽かれてキハ103がゆく。南部縦貫鉄道は東北新幹線開業に一縷の望みを抱きながら消えていった。 (『新・消えた轍』 2 北海道・北東北 より)
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新シリーズでは1977(昭和52)年以降廃止の、実際に自分が乗車した路線を追加していますが、現役時代の実体験が無い路線とでは、正直なところ、臨場感が異なるのは否めません。こればかりは年齢による越えられない壁としてご容赦いただきたいと思います。それにしても小学5年生から中学・高校生の拙いメモを読み返すのはある意味とても楽しい作業で、あの頃の情熱がその後の人生を変えて、今日の自分があるのを再認識する時間でもありました。

110902w2_01.jpgいずれにしても、この全10巻は私自身にとって記念すべき作品と自負しています。『レイル・マガジン』本誌に「消えた轍」の第1回を掲出したのは2001(平成13)年10月号で、その企画の前打合せで名取編集長をお訪ねしたのは2001(平成13)年春であったと記憶しています。月刊誌での廃線跡に関する連載は極めて異質で、ベクトル合わせに苦労したことが昨日のことのように思い返されます。連載中に連載未収録路線を加えて単行本化することはある程度意識していましたが、それを再編集して全10巻のシリーズが完成するとは夢にも思いませんでした。
あらためてお世話になった関係各位に御礼申し上げるとともに、ご愛読いただいたすべての皆様に感謝の言葉を捧げたい。「有難うございます」と。(寺田裕一)
▲同和鉱業小坂鉄道も同時代体験をされた方が少なくないはず。豊富な資料とともに往年の姿を振り返る。 (『新・消えた轍』 2 北海道・北東北 より)
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最終配本である「2東北・北海道」では、「1北海道」「3東北」からこぼれた寿都、定山渓、旭川、留萠、天塩、羽幌の北海道6路線、南部、南部縦貫、下北、弘南黒石線の青森4路線、そして秋田県の同和鉱業小坂鉄道を収録しております。是非、この機会に全10巻を書架にお揃えください。

■新消えた轍 全10巻の内容
〔1 北海道〕
根室拓殖鉄道・釧路臨港鉄道・雄別鉄道・雄別炭礦尺別鉄道・十勝鉄道・北海道拓殖鉄道・夕張鉄道・三菱鉱業美唄鉄道・三井芦別鉄道・北海道ちほく高原鉄道・三菱石炭鉱業大夕張鉄道
〔2 北海道・北東北〕
寿都鉄道・定山渓鉄道・旭川電気軌道・羽幌炭礦鉄道・天塩炭礦鉄道・留萠鉄道・南部鉄道・南部縦貫鉄道・下北交通・弘南鉄道黒石線・同和鉱業小坂鉄道
〔 3 東北〕
松尾鉱業・花巻電鉄・秋田中央交通・羽後交通・宮城バス仙北鉄道・秋保電気鉄道・仙台鉄道・庄内交通・山形交通・日本硫黄沼尻鉄道・岩手開発鉄道・くりはら田園鉄道
〔4 関東〕
九十九里鉄道/鹿島臨海鉄道/鹿島鉄道/茨城交通茨城線/日立電鉄/筑波鉄道/上武鉄道/山梨交通電車線/小名浜臨港鉄道・江名鉄道
〔5 上信越〕
草軽電気鉄道・上田丸子電鉄丸子線/真田傍陽線/西丸子線・長野電鉄河東線(信州中野-木島間)・頸城鉄道自動車・越後交通栃尾線/長岡線・新潟交通・蒲原鉄道
〔6 中部〕
静岡鉄道駿遠線・秋葉線・遠州鉄道奥山線・豊橋鉄道田口線・三重交通松阪線・東濃鉄道・三井金属鉱業神岡鉄道・北恵那鉄道・神岡鉄道
〔7 北陸〕
福井鉄道鯖浦線/南越線・京福電気鉄道永平寺線/丸岡線・北陸鉄道加越線/小松線/金名線/能美線/金石線/能登線・尾小屋鉄道・のと鉄道能登線/七尾線(穴水~輪島間)・加越能鉄道加越線・富山地方鉄道笹津線/射水線
〔8 近畿〕
江若鉄道・北丹鉄道・淡路交通・別府鉄道・三木鉄道・能勢電鉄川西能勢口~川西国鉄前・加悦鉄道・野上電気鉄道・有田鉄道・和歌山県営鉄道(南海電気鉄道和歌山港線)和歌山港~水軒間
〔9 中国〕
玉野市営電気鉄道・両備バス西大寺鉄道・井笠鉄道・日ノ丸自動車法勝寺鉄道・一畑電気鉄道広瀬線/立久恵線・尾道鉄道・防石鉄道・船木鉄道・長門鉄道・下津井電鉄・岡山臨港鉄道・同和鉱業片上鉄道
〔10 九州・四国〕
大分交通/荒尾市営電気鉄道/鹿児島交通/島原鉄道/宮崎交通/熊延鉄道/山鹿温泉鉄道/熊本電気鉄道/高千穂鉄道/日本鉱業佐賀関鉄道/伊予鉄道森松線/土佐電気鉄道安芸線/琴平参宮電鉄

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▲営業最終日の夕張本町駅。'71.11.15 P: 岡垣幸一(三菱大夕張鉄道保存会提供)
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夕張市で鉄道遺産の保存活動に取り組む三菱大夕張鉄道保存会では、北海道産業考古学会、夕張地域史研究資料調査室と共催で、来る9月24日(日)に、これらの価値の再評価を行うとともに、今後の保存・活用の方策を検討する「夕張市周辺の鉄道遺産の保存と利活用を考えるミニシンポジウム」を開催します。ご案内をいただきましたのでさっそくご紹介してみましょう。

110901NOO1.jpg明治から昭和にかけて、日本の近代化を地底から支えた北海道の炭鉱。なかでも夕張市は最大の炭鉱都市として発展し、石炭を運ぶために、夕張川の本支流に国鉄夕張線(現石勝線支線・1892年~)、 夕張鉄道(1926~1975年)、三菱大夕張鉄道(1911~1987年)、北炭真谷地専用鉄道(1913~1987年)が敷設され、線路に沿って街並みが形成されました。そして私鉄・専用線では国鉄払下げの古典機や自社発注機など、個性豊かな車輌が石炭輸送に活躍しました。
▲石勝線開業前には紅葉山と呼ばれていた新夕張駅。駅前にはかつての駅名標が残る。'06.8.13 P:奥山道紀
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▲蒸気機関車や自社発注のDCが憩う全盛期の鹿ノ谷車両区。'63年頃 P:石田 司(三菱大夕張鉄道保存会提供)
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石炭産業の衰退と共に多くの路線が廃止となりましたが、蒸気機関車やその関連資料など、貴重な鉄道遺産は夕張市石炭博物館と共に建設された「SL館」に保存・公開されていましたが、夕張市の財政破綻により閉鎖され大きな影響を受けています。また、豊富な森林資源を背景として夕張岳の麓に昭和初期から展開された森林鉄道網も60年代後半には廃止され、三弦橋などの貴重な土木遺産もその価値が認識されないまま、新たに建設されるダムに水没します。

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▲会場のアディレー会館ゆうばり。1階に夕張本町駅が入居していた。ホーム跡は壁が作られミニ・シアターとなっている。'09.7
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▲往時の夕張市民会館。1階に夕張本町駅が入り、駅前には炭住街を結ぶバスが待っていた。'63年頃 P:石田 司(三菱大夕張鉄道保存会提供)
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会場となるアディーレ会館ゆうばり(夕張市民会館)の1階部分には、1971(昭和46)年11月まで夕張本町駅が入居し、夕張鉄道の気動車が発着していました。また、その後は夕張市炭鉱資料室として利用され、「SL館」が建設されるまでホーム跡には夕張鉄道14号とナハニフ151号が保存・展示されていました。

110901N007.jpg当日はシンポジウム開催前に「SL館」見学と、現在は空き室となっている夕張本町駅跡の探検も行います。会場には会員製作の夕張鉄道鹿ノ谷車両区のセクションや資料も展示します。多くの皆さんの参加をお待ちしています。
日 時:9月24日(土)
場 所:夕張市アディーレ会館ゆうばり集会室(夕張市本町4丁目)
    夕張駅下車徒歩10分(札幌から直通バス有)
内 容:13:00~15:00 SL館見学・夕張本町駅探検
    15:00~17:00
    ・シンポジウム
    ①夕張市の産業遺産観光とまち作り行政支援のありかた
    ②夕張市内に存在する鉄道土木遺産の意義と利活用
    ③夕張の石炭を運んだ蒸気機関車について
    ・意見交換
▲バスツアーにより一時の賑わいを取り戻した「SL館」内部。'11.7.31 P:三菱大夕張鉄道保存会
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110901N005.jpg参加費:無料
参加申込:不要です。当日13時までに会場に集合。SL館移動用のバスを用意しています。
問合せ: 北海道産業考古学会(担当・山田)
      TEL:011-388-4708
     三菱大夕張鉄道保存会(担当・奥山)
      TEL:090-86355207
主催:北海道産業考古学会・夕張地域史研究資料調査室・三菱大夕張鉄道保存会
後援:夕張市・夕張市教育委員会・夕張商工会議所・北海道文化財保護協会・北海道遺産協議会ほか
▲会場に展示される鹿ノ谷車両区のセクション。P:三菱大夕張鉄道保存会
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▲昨年の汽車フェスタの様子。'10.9.26 P:三菱大夕張鉄道保存会

なお、9月4日(日)には南大夕張駅跡で恒例の「汽車フェスタ2011」を開催します。今年は大夕張地区の水没が間近でもあり、オハ1車内に往時の鉄道と街の様子の写真を展示します。詳しくは三菱大夕張鉄道保存会ホームページをご参照下さい。
http://www.geocities.jp/ooyubari_rps/index.html

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▲美しい造形美の三弦橋。'10.10.3 P:奥山道紀
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また、好評だった7月末の「夕鉄バス・夕張廃線跡ツアー」に続いて、10月10日(月・祝日)にはJR北海道釧路支社主催の「石勝線信号場停車&夕張・鉄道遺産の旅」に協力します。帯広駅よりキハ40系の臨時列車で、新得駅より石勝線へ。かつて旅客駅だった楓信号場(旧楓駅)も含め、新得~新夕張間にある信号場12カ所すべてに2分以上停車し、夕張市内では、当会会員が三菱大夕張鉄道の保存車両や、現在は一般公開されていないSL館をガイドします。
今年は石勝線開業30年の年でもあり、多くの皆さんの参加を期待しています。詳しくは下記をご参照下さい。
http://www.jrkushiro.jp/tabisite/yuubari.html

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