鉄道ホビダス

2011年8月アーカイブ

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▲SILKYPIX Developer Studio Pro5を立ち上げた最初の画面。
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「RAW現像ソフト」のメーカーとして知られる市川ソフトラボラトリーから、最新のRAW現像ソフト「SILKYPIX Developer Studio Pro5」がリリースされました。現在発売中の本誌表4(裏表紙)の広告や、広田 泉さんの写真集『ここから始まる。』のサポートなどでもすでにご承知かと思いますが、今回はその操作インプレッションをレビューしてみることにいたしましょう。

その前に、そもそもRAWデータとは何か、ということからおさらいを...。一眼レフのデジタルカメラには記録方式が複数設定されていることが大半だと思われますが、一般的なJPEG形式のほかにRAW(「生」の意)形式と呼ばれるデータでもメディアに記録することができます。このRAWデータは、各カメラメーカーによって拡張子が異なっていますが、簡単に言うと、その名の通りデジタル写真の「生データ」だと言えましょうか。銀塩フィルムにちなんだ言い方にすれば「未現像フィルム」であるとも言えます。このRAWデータで記録することの最大のメリットはまさしくそこにあり、作品として完成させるための微修正、つまり「現像処理」に相当する作業が容易に行えます。そして、その微修正を可能にするのがこのRAW現像ソフトと呼ばれるアプリケーションなのです。

文章にするよりもご覧になったほうが分かりやすいと思いますので、編集部小野君が実際の操作画面のキャプチャーを製作してくれましたので、いくつかの具体例をお目にかけましょう。

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▲去る8月10日に運転された迂回「あけぼの」の下り列車のスナップ。客車のヘッドサインが白とびしないように露出を抑えたが、これでは車体がややアンダー。そこで、左上のインジケータを操作して露出を「+1/2」に設定し、やや露出を持ち上げてみた。'11.8.10 上野 P:RM(小野雄一郎)
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▲都営大江戸線の入線のスナップ。カメラのホワイトバランスはオートで設定したが、やや冷たい印象を受ける。そこでホワイトバランスの色温度を少し高くして、暖かい印象を出してみた。'11.6.28 都庁前 P:RM(小野雄一郎)
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▲有名撮影地"ヒガハス"で「北斗星」を撮影。夏場は正面には日が回らないため、機関車前面が潰れないように気持ち露出を明るくしたが、全体的にあっさりとした色調の作画になった。そこで、コントラストをやや高めに調整してメリハリを出した。'11.8.11 蓮田―東大宮 P:RM(小野雄一郎)
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このように、ポジフィルム時代であれば撮影後は現像に回すだけだったのが、デジタル写真では「撮影後」も楽しめるのが大きなポイントとなります。さながらモノクロフィルム時代の自家現像をディスプレイ上で行っているかのようです。今回は露出、ホワイトバランス、コントラストと基本的な例示だけをご紹介しましたが、もちろん、このSILKYPIX Developer Studio Pro5にはその他の修正・調整機能が多数装備されています。
30日間無料で試用できる体験版も市川ソフトラボラトリーのWebサイト(→こちら)からダウンロードできますので、まずはお使いのPCにダウンロードされて、色々と試されてみてはいかがでしょうか。

▼SILKYPIX鉄道写真掲示板
http://www.isl.co.jp/SILKYPIX/japanese/campaign/railwayphoto/

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▲101レ「かわね路号」の車窓から見る大井川は豪雨の影響で近頃ないほどの増水ぶり。河原で予定されていた花火大会も急遽中止となってしまったという。'11.8.26
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10月1日のダイヤ改正に伴って停車駅や停車時分の見直しも行われ、下泉、駿河徳山の両駅は「かわね路号」の乗降客があまり見込めないことから通過となり、逆に現在停車時間が3分しかない家山駅は、団体客の乗降が多いため10分停車に拡大されます。なお、沿線の少子高齢化などに伴い、普通電車の利用者が減っている(平成21年度:487千人、平成22年度:421千人)ことから普通電車の運転形態の見直しも行われ、金谷-千頭間は16往復から14往復へと運転本数が削減されます。

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▲週末の増結に備え、家山駅に疎開留置されていたオハニ36 7を引き上げにやってきたE102。このあと1102レのスジで新金谷まで、客車を牽くE102の姿を目にすることができた。'11.8.26 家山
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また、先日約一年ぶりに全線での運転を再開した井川線(→こちら)も同時にダイヤ改正を実施し、観光シーズンには運行列車の増便を行なうなど、より柔軟な輸送力増強を図る計画だそうです。

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▲井川線もようやく全線開通。誕生したばかりのスロフ317もさっそく営業運転入りしている。'11.8.26 沢間
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110828n103.jpgところで、島田市と川根本町は、国土交通省観光庁が実施する「家族の時間づくりプロジェクト」のモデル地区として、10月7日(金曜日)を学校等の休日にして4連休を創出する「家族と地域の時間づくり推進事業」を実施します。そして、その事業の一環として、地域の魅力を発信するとともに内外の交流促進を目的に、固有の地域資源である大井川鐵道の蒸気機関車を活かした「SLフェスタ2011」(→こちら)が10月7日(金曜日)から10月10日(日曜日)にかけて開催されます。企画段階から大井川鐵道と島田市の担当者の方がわざわざ弊社にお越しになってお話を伺ってまいりましたが、いよいよ本格始動となったわけです。会期中は新金谷会場、千頭会場、それに島田市総合スポーツセンター「ローズアリーナ」で各種のイベントが計画されており、新金谷駅構内の転車台もこのイベント初日にオープニングセレモニーが行われて使用を開始する予定です。8日・9日には重連走行、9日には電気機関車による客車列車牽引なども計画されており、注目を集めるに違いありません。
▲千頭駅構内で復活の日を待つもと西武鉄道E31形3輌。遠からず大井川沿いを往来する姿が見られるはず。'11.8.26 千頭
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▲新金谷に建設中の転車台。新製された桁の組み付けも先週完了し、現在は周辺整備工事が行われている。'11.8.26 新金谷
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打ち合わせを兼ねて先週末はひさしぶりに大井川鐵道へと足を向けました。すでに「鉄道ホビダス」のニュースでもご存知かと思いますが、大井川鐵道では来る10月1日に予定されているダイヤ改正より、すべての蒸気機関車牽引列車が新金谷発着となります。

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▲新金谷から金谷へと向かう回654レの車内から。10月からは原則としてこの区間を「客車列車」が走る姿は見られなくなってしまう。'11.8.26 新金谷−金谷
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また現在、地元の島田市と協力して新設中の新金谷駅構内の転車台完成(10月7日使用開始)に伴って、従来バック運転を行っていた千頭→新金谷間の蒸機列車の運転はすべてチムニーファーストとなります。この転車台は新金谷駅に隣接する車両区の入口付近に設置されるもので、なんとまったくの新造。周囲には見学スペースも設けられます。

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▲今年になって新金谷駅前に設置された輪軸を使ったアイデアもののベンチ。かなりマニアックな部品が解説とともに取り付けられている。'11.8.26 新金谷
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今回新設される転車台は全長17.5m、自重22.8t。総工事費は9,000万円とされており、人力・電気式併用の駆動方式を採用。「体験型観光」のひとつとして手回し体験も計画されているそうです。

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▲黒色に戻ったC56 44号機。乗務される方にとって夏場の運転は密閉キャブのタンク機関車よりC56に軍配が上がるという。'11.8.26 家山
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また、10月1日のダイヤ改正にあわせ蒸気機関車牽引列車の名称がすべて「かわね路号」に統一されます。かつては「かわね路号」のみだった名称も、平成に入ってからは運転本数の増加にともなって「南アルプス号」「臨時SL列車」が誕生しており、今回のダイヤ改正を契機に歴史ある「かわね路号」に統一することになったものです。
■新金谷発 千頭方面行き
 新金谷発 9:57→ かわね路11号
 新金谷発10:45→ かわね路13号
 新金谷発11:45→ かわね路1号
■千頭発 新金谷方面行き
 千頭発13:08→ かわね路12号
 千頭発14:03→ かわね路14号
 千頭発14:50→ かわね路2号

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▲まさにジャングル! 熱帯雨林を搔き分けるように不気味な"単端"が進む。撮影するにもトラや大蛇が怖そう...。'11.5 P:古賀俊行
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2年ほど前にご紹介した中国広東省の梅隆鉄路(アーカイブ「遙かなり梅隆鉄路」参照)に対してレスポンス(アーカイブ「"梅隆鉄路"は今」参照)を頂戴した古賀俊行さんからひさしぶりにお便りをいただき、まさに目が点になるようなスマトラ奥地の森林鉄道(?)のレポートを頂戴いたしました。

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▲続行で橋梁を渡る。このか細い鉄路が、今もってジャングルの村への生命線となっているという。'11.5 P:古賀俊行
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tempat.jpg古賀さんは現在インドネシアに赴任中。お仕事柄アジア各国を渡り歩いておられ、そのブログ「地球公務員 落花生。再び」(→こちら)は各国の鉄道事情も数多く盛り込まれた注目のサイトです。実は今回お送りいただいたスマトラの森林鉄道も、私を含めて、古賀さんのブログを拝見している同好の士の間ではすでに大きな話題となっていたもので、なかにはさっそく現地訪問のプランを練り始めた猛者まで出るほどインパクトのある"発見"でした。今回は古賀さんからお送りいただいた画像をご紹介いたしますが、内容に関しては先述のブログと重複する部分が多い点をお含みおきいただくとともに、そちらにはさらに多くの画像がアップされておりますので、興味を持たれた向きは、ぜひアクセスいただきたいと思います。それでは古賀さんのレポートの始まりです。
▲その大まかな位置関係。作成:古賀俊行
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今日はまだ暗い朝5時前にクタフンの街を出発。街を出て北へ暫く走った後、未舗装の道に入り走ること約3時間。8時過ぎについたのは、NapalPutihという小さな山奥の村。小さな村の中心を抜け、市場を過ぎたその先に、お目当ての森林鉄道の駅はありました。

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▲NapalPutih「駅」全景。停車中の怪しい2軸の自走客車はカラフルに塗装されている。'11.5 P:古賀俊行
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森林鉄道と呼ぶのが正しいのかどうか。ここNapalPutihから、山奥のLebongTandaiという集落までのおよそ33kmを結ぶ鉄道の存在を知ったのは、インドネシア唯一の鉄道雑誌『Majalah KA』の2010年12月号でした。オランダ時代の1907(明治40)年にこのスマトラ、現在のブンクル州北部の金鉱山からの鉱石運び出しのため、記事には「Trem Hutan(森のトラム)」と書かれたこの軌間600mmナローの軌道が敷かれ、最盛期にはLebongSoeili、MoegraSantanといった他の集落にも路線を伸ばしていた(現在は廃止)とのことです。

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▲途中の"駅"で地元のおばちゃんたちを下ろす(左)。停車中の"単端"は子どもたちの遊び場(右)。'11.5 P:古賀俊行
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古いポーター製蒸気機関車や運行開始当時のものと思われる古い白黒写真から、歴史記事なのかと思ったのですが、中に一枚、2009年4月撮影と書かれたトロッコの写真があるではないですか。そしてさらに今年の2月号の同誌には、外国人が2009年にこの地を訪問したという記事が掲載されたのです。このトロッコ鉄道、まだあるんだ!!

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▲とても現役路線とは思えない軌道状態。恐らく度重なるであろう自然災害にも負けず、村の生命線として立派に機能している。'11.5 P:古賀俊行
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というわけで、その「駅」に話を戻しましょう。出発を待つ1台の自走客車。近くの商店のオヤジは関係者らしく、平日は朝7~8時にかけて数台、日曜は8~9時にかけて数台の車輌が続行運転する、と言います。料金は片道Rp25,000。所要時間は片道2時間半。LebongTandaiからは12時頃に出発し、15時前に戻って来る"ダイヤ"です。18時頃にNapalPutih発LebongTandai行きが運転されることもあり、その場合夜中0時頃にLebongTandai発NapanPutih行きが運転される...って夜行便かい!

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▲終着LebongTandaiに到着した列車。食堂も一軒だけあり、宿泊はKepala Desa(村長)の家に泊まれる由。'11.5 P:古賀俊行
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▲単端式ゆえ方向転換が不可欠。とは言ってもターンテーブルがあるわけではなく、転回は人力で...'11.5 P:古賀俊行
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まだ出発まで少し時間があると言うので、近くの市場を一回りして朝食用にマルタバック(ホットケーキのようなもの)を買って駅に戻ると、自走客車は3台に増え、間もなく出発するから乗れ、と言われました。緑と黄色に塗り分けられた1輌に乗り込んで、中国製のトラクター用と思しきディーゼルエンジンが廻り出し、さあ出発! あとはこの怪しい鉄道の写真をご堪能いただきましょう。

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▲川沿いの崖ふちを進む軌道。見るからにルーズな路盤は危険と隣り合わせ。'11.5 P:古賀俊行
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古賀さんありがとうございました。インドネシアの製糖工場のナローを3年続けて訪ね歩いたのは20年も前のこと。それ以来、赤道直下のインドネシアを訪れることはありませんでしたが、この怪しい軌道を拝見して、機会があれば彼の地を再訪してみたいと夢描くようになりました。

※明日は不在のため休載させていただきます。

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▲「月山の酒蔵資料館」に保存されている山形交通三山線のモハ103。保存状態はすこぶる良好。'11.7.24
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ふたたび7月の秋田・山形方面の旅から、今日は山形交通三山線の保存車をご紹介いたしましょう。山形交通三山線は左沢線の羽前高松を起点に、月山山麓の間沢まで11.4㎞を結んでいた電化路線でしたが、1974(昭和49)年晩秋、ひっそりとその姿を消してゆきました。

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▲"おへそライト"がチャームポイントのモハ103。三山電気鉄道は開業にあたって同形3輌を新造している。'11.7.24
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現在その姿を残しているのは、同線が三山電気鉄道として開業した際に用意された3輌の電動車のうちの1輌モハ103で、1926(大正15)年日本車輌製の木造単車です。先日ご紹介した羽後交通のデハ3(1927年蒲田車輌製・アーカイブ「羽後交通デハ3を見る」参照)とはいわば「同期生」で、台車も同じブリル21E形をコピーしたものを履いています。

110824n174.jpg鈴木 洋さん、若林 宣さんのRMライブラリー『山形交通三山線』によれば、1940(昭和15)年にダブルルーフをシングルルーフに改造するとともに、戸袋窓を廃して側窓を片側8個から6個に減じ、窓そのものも2段上昇に変更する更新修繕工事を受け、その後は廃車までほぼ姿を変えることなく生き延びていたそうです。と言っても営業用電車として使用されたのは昭和30年代までで、晩年は車体側面に巨大な梯子をぶら下げた工事電車として命脈を保っていました。営業用として活躍していた頃をご存じの方はきわめてすくないはずで、三山線を訪れた経験のある多くの方にとって、モハ103というと梯子をぶら下げた姿を思い浮かべられるのではないでしょうか。
▲側面には旅客営業をしていた当時を彷彿させる「羽前高松行」のサボが下げられている。'11.7.24
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▲工事電車となった晩年の特徴でもあった車体側面の梯子はさすがにない。戦時中の改造で戸袋窓が埋められているため、サイドビューはオリジナルと比べて少々重苦しい。'11.7.24
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▲狭隘な床下に下げられた抵抗器(左)や元空気溜(右)。一見ブリル21Eに見える台車は和製(日車製)。'73.8 P:澤田節夫
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さて、そのモハ103は現在、寒河江駅からクルマで20分ほどの西川町睦合にある「月山の酒蔵資料館」の前庭に静態保存されています。この資料館は蔵元の月山酒造株式会社が運営するもので、同酒造の元社長が三山電鉄の社長だったという縁でモハ103がこの地に保存される運びとなったのだそうです。

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▲廃止前年のモハ103。車体側面には電気工事用の大きな梯子が下げられているのが見える。屋根上に伸びた丸い物体は監視用のミラー。'73.8 間沢 P:澤田節夫
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▲103とともに間沢の構内入換車として廃線まで残った僚車モハ101の車内。ほぼ旅客営業時のままの姿を留めていた。'73.8 間沢 P:澤田節夫
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立派な資料館の正面に保存されているだけあって、雨ざらしにも関わらずその保存状態はすこぶる良好で、廃止から40年近くの歳月が経っているにも関わらず、保存車輌かくあるべし...と言うお手本のようにも見受けられました。今回は澤田節夫さんから現役当時のカラーをお借りいたしましたので、合わせてお目にかけましょう。

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▲印象的な前書の写真は1965(昭和40)年に仁別森林鉄道の起点・秋田貯木場で撮影されたもの。 (今井啓輔『私が見た特殊狭軌鉄道』)より)
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先日、仁別森林博物館をご紹介した際にも少々触れさせていただきましたが、7月20日に今井啓輔さんの著書『私が見た特殊狭軌鉄道』がレイルロードから発行されました。

imaisanhon008n.jpg今井さんは古くからのナローファンで、現在でも積極的に海外のナローなどを歩いておられますが、本書は昭和30年代から40年代初頭にかけての国内の「特殊狭軌鉄道」をまとめたもので、第1巻と表題にあるとおり、本書では北海道から福島までのエリアを取り上げています。それにしても「特殊狭軌鉄道」とは一般に耳慣れない用語ですが、これは1,435㎜、1,067㎜、762㎜と3種類のゲージを擁する近畿日本鉄道部内で使用されている言い回しで、便宜上、標準軌、狭軌、特殊狭軌と区分していることに由来します。というのも、著者の今井さんは長らく近畿日本鉄道にお勤めで、6年ほど前にリタイアされるまでは都ホテルの社長や、近畿保険サービスの社長などを歴任されてこられた方で、タイトルにもいみじくもその片鱗がうかがえるというわけです。

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▲目次には第1巻の収録線区が日本地図上にプロットされている(左)。右な歌登町営簡易軌道の扉ページ。 (今井啓輔『私が見た特殊狭軌鉄道』)より)
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本書を拝見してなによりも驚かされるのが、簡易軌道や森林鉄道など非営業の路線を丹念に訪れておられることです。やはり本巻に収録されている花巻電鉄や沼尻鉄道など時刻表に記載されていた路線はともかく、インターネットはおろか情報誌さえなかった時代に、非営業の「特殊狭軌鉄道」を探し出して実際に訪問するのは極端にリスクの高い冒険に等しく、その熱意には今更ながら圧倒される思いです。

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▲鶴居村営簡易軌道(左)と長木沢森林鉄道(右)のページから(一部)。手書きの構内配線図や車輌実測図が本書の大きな魅力ともなっている。 (今井啓輔『私が見た特殊狭軌鉄道』)より)
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先日も触れた仁別森林鉄道にしても、同じような体験を持つ者には少なからず想像できるのですが、運良く"便乗"はできたとしても帰路の保障はなく、それでも便乗する勇気を持ってからこそ残った記録と言えましょう。

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▲仁別森林鉄道の章の一部。便乗しながらの沿線観察は実に臨場感に溢れている。 (今井啓輔『私が見た特殊狭軌鉄道』)より)
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実は今井さんとは近年、何度もご一緒させていただいており、そのたびに驚かされるのがその"メモ"です。ほぼ必ず手帳に記録されているのが構内配線で、「あれっ、今井さんがいない」と思うと、構内外れや車庫裏などで配線図を描いておられるのでした。もちろん本書にはその成果も反映されており、歌登や問寒別といった簡易軌道の拠点や、小坂鉄道茂内駅に隣接する長木沢森林鉄道のヤードなど、その配線図を見ているだけで時間を忘れてしまうほどです。

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▲この第1巻ではむしろ一般営業路線の方が少ない。日本硫黄沼尻鉄道(左)と花巻電鉄のページから。 (今井啓輔『私が見た特殊狭軌鉄道』)より)
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この『私が見た特殊狭軌鉄道』第1巻に収録されているのは以下の各線です。
歌登町営簡易軌道、幌延町営簡易軌道、浜中町営簡易軌道、鶴居村営簡易軌道、標茶町営簡易軌道、別海村営簡易軌道、太平洋炭鉱運炭軌道、長木沢森林鉄道、仁別森林鉄道、花巻電鉄、宮城バス仙北鉄道、日本硫黄沼尻鉄道
続刊の第2巻以降では越後交通栃尾線以下、九州の日本鉱業佐賀関鉄道までが収録される予定だそうです。
なお、本書は文苑堂扱い(ISBN978-4-947714-23-7)でお近くの書店で取り寄せられるほか、鉄道書を多く扱う大手書店や模型店店頭でも入手可能です。

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▲チャリティー写真展は那珂湊駅2番線ホームにキハ2005+キハ222を留置し、キハ222が写真展会場となり、キハ2005は休憩スペースとして開放された。前部には「おさむ君」のヘッドマーク(?)も。'11.8.20 P:船越知弘
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先月の小ブログでもお知らせした、元気発信! ひたちなか 第3回「東北の鉄道応援」チャリティー写真展in那珂湊が先週末、8月19~21日(金曜日~日曜日)にひたちなか海浜鉄道那珂湊駅で開催されました。東日本大震災で罹災したひたちなか海浜鉄道は7月23日に全線開通したばかり。会期中は趣旨に賛同した多くのファンが訪れて大いに賑わったそうです。

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▲那珂湊駅構内には物販ブースが設けられ、同じく被災した三陸鉄道をはじめとする地方ローカル鉄道の関連グッズも販売された。'11.8.19 P:船越知弘
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▲展示写真を鑑賞する皆さん(左)。レイル・ファンのみならず、地元の方も大勢お越しになられた。右は写真展終了後、出展者による記念の寄せ書き。'11.8.20/'11.8.21 P:船越知弘
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この写真展は表題にあるように山形鉄道、会津鉄道に続いて3回目となるもので、プロの鉄道写真家、東日本各地で活動している鉄道写真愛好家の有志による作品を展示・一部販売し、その収益を被災地の鉄道に寄付しようというものです。今回も26名の有志が集い、おらが湊鐵道応援団が取りまとめ役となって開催されました。

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▲窓に暗幕を垂らし、写真パネルを吊り下げて展示したほか、座席の上にも立てかけ式の額に入れられた写真が多数展示された。余談だが、白熱灯はLED白熱灯を用いており、天候が金曜日から急に冷え込んだこともあって、車内の温度はさほど高くはならなかった。'11.8.20 P:船越知弘
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▲キハ222の車内で展示された作品は、チャリティー販売された。なお、販売は即売形式であったため、展示作品は次々に入れ替わった。'11.8.18 P:船越知弘
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おらが湊鐵道応援団の広報担当・船越知弘さんによると、今回の写真展では、予想以上に多くの方に写真をお求め下さり、この売上金は津軽鉄道に義援金として寄付されるそうです。また、会場で販売した各種グッズ関係(三陸鉄道、銚子電鉄、会津鉄道、いすみ鉄道、山形鉄道の5社)の売上は、各鉄道会社に支払われます。

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▲写真展の準備をされる写真家・中井精也さん(左)と、おらが湊鐵道応援団の船越知弘さん(右)。'11.8.18 P:船越知弘
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▲復興支援の写真集『ここから始まる。』(アーカイブ『広田 泉さんの写真集「ここから始まる。」』参照)を上梓された写真家・広田泉さんも、那珂湊駅で自ら販売ブースに立たれた。'11.8.19 P:船越知弘
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そして何より、沿線にお住まいの多くの方々が、わざわざ湊線を使って会場に来られたことこそが大きな収穫だったそうです。入場券または運賃を頂戴するかたちで、駅構内に留置した旧型気動車内に展示した写真をご覧いただくという方式でしたが、船越さんは正直これほど地元の方々が見に来て下さるとは思ってもいませんでした、とおっしゃっておられます。

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▲山形鉄道、会津鉄道、そしてひたちなか海浜鉄道とリレー開催されたチャリティー写真展の発起人である写真家・米屋こうじさん(前列中央)をはじめ、作品を出展された皆さんとキハ222の前で記念撮影。'11.8.18 P:船越知弘
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写真展会場になったキハ222に連結して留置して頂いたキハ2005では、その旧型気動車の車内の雰囲気を堪能したり、知人や家族でボックスシートに座り、その雰囲気を堪能される姿も見られたそうで、そんな側面でも意義ある機会となったようです。
今後この写真展がどのようなかたちで続いてゆくのかは未知数ですが、震災という未曽有の災禍を乗り越えようと、プロ・アマの垣根を超えて「鉄道写真」を軸に集った皆さんの絆は、何にも代えがたい宝物となったはずです。

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▲大阪城天守閣をバックに、桜宮橋を渡る市電。'67.8.6 P:中井良彦 (RMライブラリー『大阪市電最後の日々』下巻より)
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今月のRMライブラリーは、先月に引き続き、南條久通さんによる『大阪市電 最後の日々』の下巻をお届けします。

110818nRML145_H1.jpgちなみに表紙の写真は一昨日お亡くなりになられた高橋 弘さん撮影のもの。お目に掛けられなかったのが何とも残念でなりません。

さて、今でこそ地下鉄が碁盤の目のごとく張り巡らされた大阪市内ですが、昭和40年代初頭まで、市内交通の主役は市電であり、大阪の玄関口たる梅田・大阪駅前の電停には、各方面に向かう市電がひっきりなしに発着していました。本書では冒頭でその大阪駅前電停の戦後の移り変わりと情景を収録しています。

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▲市電では珍しい3線区間を擁した大阪駅前電停。常駐する交通局の監督がやってくる電車の所属を確認しながら、経験と勘を頼りに混雑する系統へ操車していたという。 (RMライブラリー『大阪市電最後の日々』下巻より)
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さらに中盤では湊町、難波、野田阪神、上六、天満橋、天王寺(阿部野橋)など、主要ターミナルでの姿を、懐かしい町の情景とともに収録。さらに後半は市電撤退から譲渡・保存に関するエピソードを収録しています。今では広島電鉄のみで見られるようになってしまった元大阪市電の車輌ですが、廃止と前後して西日本・九州の各都市に数多くの車輌が譲渡されたことが分かります。

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▲梅田、難波と並ぶ大阪のターミナルである天王寺駅前。市電の電停名は「阿倍野橋」であった。 (RMライブラリー『大阪市電最後の日々』下巻より)
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▲路線の縮小に合わせ西日本・九州の各地に散った大阪市電。中には鹿児島や広島のように連接車に改造されたものもあった。 (RMライブラリー『大阪市電最後の日々』下巻より)
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また巻末には戦後昭和25年4月以降の車輌の移動・廃車を記録した「車輌転配表」を収録しました。これは大阪市電の戦後を知るうえでまたとない資料となるものと言えましょう。なお、RMライブラリーで大阪市交通局に関するテーマを取り扱ったものは、第49巻『全盛期の大阪市電』、第56巻『万博前夜の大阪市営地下鉄』、そして本書上巻に続き4冊目になります。是非、この機会に書架にお揃えください。

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東海道本線瀬田川橋梁を行くC62 2号機牽引の「つばめ」をはじめ、ご地元・京都市電の情緒溢れる写真の数々など、戦後の鉄道写真に数えきれない足跡を残してこられた京都の高橋 弘さんが昨日亡くなられました。

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▲ご本人もお気に入りだった瀬田川橋梁上のC62 2の「つばめ」。「この作品ではシャッターブレと走行方向がうまく合って流し撮りしたような状況となり、スピード感の出た写真となりました」(『鉄道写真2000』所収「ライカCとエルマー50ミリの時代から」)と述懐されている。'54.3.7 東海道本線石山-瀬田 P:高橋 弘
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今は亡き吉川文夫さんとの共著・RMライブラリー『N電 -京都市電北野線-』や、JR西日本の『梅小路90年史』、そして現在も続いている『国鉄時代』各巻の御子息・高橋 修さんとのペアでの多岐にわたる企画など、並々ならぬお力添えをいただき、また個人的にもたいへん心にかけていただきました。

2008.12.13n.jpg高橋 弘さんは1932(昭和7)年2月6日のお生まれ。東山・五条坂で戦前から続く写真館を営まれ、お父様は梅小路機関区の公式写真の撮影担当も務められるなど、鉄道とは切っても切れない深い縁で結ばれていました。ご本人が初めてカメラを持ったのは1947(昭和22)年。そのお父様から買い与えられた中古のライカCだったそうです(『鉄道写真2000』所収「ライカCとエルマー50ミリの時代から」)。このライカCは偶然にも同じ1932(昭和7)年生まれ。このカメラとの出会いがその後の高橋 弘さんの鉄道写真を決定付けたようです。
▲東西の趣味人の集いで談笑されるお元気だった頃の高橋 弘さん。右は『鉄道ファン』誌の宮田名誉編集長。'08.12.13 P:名取紀之
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▲御子息・高橋 修さんとの共作RMライブラリー『京都市電最後の日々』。京都を愛し、市電を愛した高橋 弘さんでなければなしえなかった記念碑的上下巻。

また、高松吉太郎さんの鮮明な作品に刺激されて1953(昭和28)年にはセミ判のパールⅡを購入、その後、ローライコードやコニフレックスなどブローニー判カメラによる先鋭な写真の数々が高橋さんの名を高めることとなります。ご本人も代表作とされる前出の瀬田川橋梁上の「つばめ」も、このコニフレックスで撮られたものと伺っております。

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▲C62 42を先頭に東海道を駆ける2列車「つばめ」。東海道本線石山周辺は高橋さんお気に入りの撮影地のひとつであった。'52.8.10 石山-瀬田 P:高橋 弘
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御子息の高橋 修さんは本誌はもとより、RMモデルズの取材等でも大活躍をいただいております。しばらく前からお父様の体調が優れない旨は伺っていたのですが、今回の訃報はかえすがえすも残念でなりません。時まさしく、五山送り火とともに去って行かれた巨星。享年79歳。あらためてご冥福をお祈りいたします。

なお、お通夜は8月19日(金曜日)18時から、告別式は8月20日10時から、東山区五条橋東三丁目390番地の公益社中央ブライトホール(075‐551‐5555)にて行われます。

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安住の地を得たテキ6。

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▲勝山駅本屋側に新設された展示施設に収まったテキ6とト68。まだ整備中で、駅前広場と合わせて周辺一体が生まれ変わる予定。左は1番線に到着する下り列車。'11.8.13 勝山
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先週末は、本当にひさしぶりに福井を訪れました。高架の橋上駅となったJR福井駅や、迫りくる北陸新幹線の高架橋、そして見事に整備された駅前中央大通りなど、まさに今浦島の思いで周囲を見渡しておりました。

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▲展示施設横の踏切からト68越しに勝山駅ホームを見る。展示棟は木造のなかなか雰囲気あるもの。'11.8.13 勝山
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"えち鉄"ことえちぜん鉄道の終点・勝山駅では懐かしいテキ6(えちぜん鉄道となってからはML6)と再会することができました。現在、勝山駅周辺は社会資本整備総合交付金による都市再生整備計画事業として、駅前ロータリーの新設を含めた大規模な整備が進行中で、テキ6とト68を動態展示するスペースもこの事業の一環として建設されています。

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▲上り方踏切から駅構内を見る。左に見えるのが新設されたテキ6展示施設(左)。右は駐車場側から展示棟を見たところ。'11.8.13 勝山
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駅本屋と逆側の構内西外れの3番線奥に留置されていたテキ6とト68は、さる8月9日に新設された展示棟内へと移設され、新聞報道によれば、今後は勝山市が2輌を譲り受ける形で保存展示する予定だそうです。

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▲現役時代のテキ6は福井口にある車庫の構内入換えに活躍していた。台車を載せた構内用チキ車を押すテキ6。'78.9.1 福井口
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テキ6(ML6)は京都電燈福井支社が1920(大正9)年12月に梅鉢鉄工所で6輌新製した"電気機関車"の1輌。どう見ても電動貨車にしか思えませんが、一貫して機関車として扱われており、形式称号も電気機関車を示すテキを名乗ってきました。かつては永平寺線で貨物列車牽引にあたっていましたが、1970年代に入ると福井口にある自社工場の入換えに専念するようになりました。私が現役時代最後の活躍を目にしたのも、この福井口工場の入換えでした。

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▲車庫前で休むテキ6。この当時は"おへそライト"の前照灯が装備されていた。左後方にはテキ531の姿も見える。'78.9.1 福井口
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▲テキ6の車内(左)。荷物室のようにも見える室内には元空気溜が鎮座している。右は構内の部品移動用に用いられていたト68。まさかテキ6とこの古典貨車のペアが33年後に保存されようとは、この時は思ってもみなかった。'78.9.1 福井口
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1993(平成5)年11月30日付けでいったんは車籍を抹消されましたが、1999(平成11)年に動態保存の意味を込めて復籍、一時はイベント走行なども見ることができました。しかし、えちぜん鉄道となった翌2003(平成15)年にふたたび除籍、一昨年(2009年)8月には住み慣れた福井口工場から勝山駅へと移動し、本格的な保存開始を待っていました。

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▲現役時代のテキ6のプロフィール。集電装置はもちろん伝統の"Yゲル"。'78.9.1
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あらためてテキ6を見てみると、Brillの陽刻の残る21‐E台車や、ポールからビューゲルへの過渡的産物であったY字型ビューゲル(通称"Yゲル")、シャロン式自動連結器など見どころは尽きず、来年度に予定されているという動態公開が待たれます。

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▲福井口の車庫兼工場内からテキ6を見る。当時、この庫の裏手にはもとアプト電機EC40形のテキ512の廃車体が置かれていた(アーカイブ「もうひとつのEC40」参照)。'78.9.1
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▲3年ほど前の井川駅(再掲)。井川駅では先月、7月20日にも台風6号の影響で土砂流出が起こり、留置中の客車が被災したが、こちらも無事復旧して8月12日の全線開通を迎えた。'08.4.20 P:名取紀之
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昨日は名松線の不通区間である伊勢奥津駅をご紹介しましたが、今日は明るい話題をひとつ。大井川鐵道井川線は、昨年8月に川根両国~沢間間で発生した土砂崩れにより、千頭~奥泉間がバス代行運転(奥泉~井川間を通常の列車運転)となっておりましたが、復旧工事が完了し、先週末、8月12日(金曜日)の初列車より、全線での列車運行が再開されました。

110816n_2101.jpgこの土砂崩れは2010(平成22)年8月22日午後、最初の落石が発生。当初は監視員を置いて現場を最徐行するなどで運転を続けていたものの、その後も落石が相次いだため、8月28日より千頭~奥泉間の列車運行をとりやめ、バス代行運転の処置がとられました。ところが9月9日未明、追い打ちをかけるようにふたたび約500立方メートルの土砂崩れが発生。この膨大な土砂の撤去と修復が一年近くにわたって続けられておりました。
▲全通記念ヘッドマークを取り付ける復旧一番列車。'11.8.12 P:大井川鐵道提供
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8月12日(金曜日)は8時15分より千頭駅井川線ホームで出発式が行われました。大井川鐵道の伊藤秀生取締役社長をはじめとする関係者挨拶ののち、テープカットや全通記念ヘッドマークの取り付けが行われました。この復旧一番列車(客車は5輌編成)には事前に公募した無料招待者50名を含む約100名が乗車、千頭駅を8時55分に発車して井川へと向かいました。

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▲お披露目となったスロフ317の前で記念のテープカット。'11.8.12 P:大井川鐵道提供
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なお、この開通記念式典にあわせて「スロフ317号」の完成披露も行われました。井川線はここ数年来の「秘境駅ブーム」や「不思議な駅 奥大井湖上駅」などによって注目度が高まってきており、輸送力の増強のため使わなくなった貨車を自社で改造したものです。スロフ317号は長さ11m、幅1.8m、高さ2.7m、重さ10.5t、定員は55名と紹介されています。

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▲新たに戦列に加わったスロフ317号。今後、紅葉シーズンなど多客時には列車本数の増発も予定されているという。P:大井川鐵道提供
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■これまでご紹介した井川線関連のアーカイブ
・新緑の大井川鐵道を訪ねる(→こちら
・かわかぜ号特別便奥泉へ(→こちら
・「かわかぜ号特別便」に寄せて(→こちら
・かわかぜ号特別便ふたたび(→こちら
・井川線DBもラストランへ(→こちら

■井川線関連の書籍
・RMライブラリー『大井川鐵道井川線』(→こちら
・私鉄の車両14『大井川鉄道』(→こちら

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▲井川線のハイライト関の沢橋梁をゆく姿も日常風景として戻ってきた。1954(昭和29)年、高さ100mのこの橋梁の完成をもって井川線が全線開通した(再掲)。'08.4.20 P:名取紀之

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名松線伊勢奥津駅は今...。

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▲上り方の踏切から伊勢奥津駅側を見る。この角度からはわからないが、遮断機の遮断竿もすでに取り外されている。'11.7 P:澤田節夫
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大阪の澤田節夫さんから「お伊勢参りの道すがら、不通になっている名松線の伊勢奥津駅を見てきました」と画像をお送りいただきました。東日本大震災の爪痕はいまだに癒えることなく東北各線では区間不通が続いていますが、実はJR東海の名松線も台風による被害で一昨年秋から区間不通となっています。

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▲かつてはかなり広い構内だったと思われる終点側の空地。左奥に給水塔が見える。'11.7 P:澤田節夫
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110815n002.jpg名松線(松坂~伊勢奥津間)を台風18号が襲ったのは2009(平成21)年10月8日のこと。罹災一週間後に松坂~家城間は復旧したものの、家城~伊勢奥津間は土砂崩壊や路盤流失など被害が甚大で、以後バス代行が続いています。全線運転時には途中の交換駅・家城でのスタフ(タブレット)交換も話題でしたが、災害以降は訪れるファンもめっきり少なくなってしまったようで、ことに休止区間の状況はなかなか伺い知ることができませんでした。


▲草むしたコンクリート製給水塔。かつてはC11が水を飲んでいたに違いない。'11.7 P:澤田節夫
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▲伊勢奥津駅ホームの終端方を見る。名松線はその名の通り松阪と名張を結ぶ遠大な構想だったが、ここ伊勢奥津で力尽きてしまった。'11.7 P:澤田節夫
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▲伊勢奥津駅舎。駅舎の一部は現在市役所の支所として利用されている。'11.7 P:澤田節夫
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それだけに今回お送りいただいた画像は名松線の"今"を伝えてくれる貴重なもので、一見する限りでは、駅施設をはじめ線路設備も災害前のままそっくりそのまま、まるで時間が止まっているかのようです。

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▲伊勢奥津駅に行く途中の伊勢本街道(左)。中央左に「伊勢本街道」と記された木製標識が見える。右は駅前広場の案内図の一部。気動車がなかなかリアルに描かれている。'11.7 P:澤田節夫
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澤田さんによれば、多気、松坂方面から伊勢奥津へ行く368号線は1~1.5車線の狭隘な国道で、急坂、急カーブが連続する峠道。代行バスの便があるとはいえ、沿線の皆さんにとって「線路」が途絶えたままなのはまさに断腸の思いに違いありません。JR東海と沿線自治体の協議では、全線運転再開の目途は2016年度とのこと。再びこの伊勢奥津駅にキハ11のエンジン音が響くのは、もうしばらく先になりそうです。

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▲伊勢奥津駅構内から見た松阪方。列車が走らなくなって間もなく2年、キハ11の姿を見ることができるのはしばらく先になりそうだ.。'11.7 P:澤田節夫
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ところで、去る7月30日に新潟県・福島県を襲った大雨によって、只見線や磐越西線がたいへん大きな被害を受け、ことに只見線では、私たち蒸機時代からのファンにとっても馴染み深い只見川の第五、第六、第七橋梁が流失してしまう深刻な状況となっております。震災の不通区間を含め、日本の鉄道路線図が一日も早く本来の姿に戻ることを願ってやみません。

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▲JR松山駅前を出た道後温泉行き市内線モハ2100形が大手町にさしかかる。前方の平面交差部では折しも高浜線3000系が横断中。'10.6.25 大手町
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かつては全国各地で目にすることができた鉄道線同士や鉄道線と軌道線との平面交差も、立体交差化や路線の改廃で今ではすっかり姿を消してしまいました。小ブログではこれまでにも京都市電と京福電気鉄道叡山線との平面クロス(アーカイブ「叡電前"交叉点"は今...」参照)や、阪急西宮北口の神戸本線と今津線の"ダイヤモンドクロス" (アーカイブ「『阪急だいすき』取材余話」参照)などに触れてきましたが、もちろんいずれも歴史の一頁となってしまい、二度と再び見ることはかないません。

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▲平面交差部を渡る高浜線高浜駅行き700系と、通過待ち中の市内線モハ50形。こんな光景が見られるのもここ大手町ならでは。'10.6.25
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そんな今日でも"現役"の平面交差が伊予鉄道大手町駅で見られます。郊外線である高浜線と市内線である大手町線がほぼ90度で交差するもので、旅客営業をしている鉄道線と軌道線が直角に平面交差するのは全国広しと言えどもここ1か所だけです。ちなみに鉄道線同士の直角クロスは名電築港駅で名鉄築港線と名古屋臨海鉄道東築線のものが見られますが、こちらはまず両線の列車が出会う姿を目にすることはかないません。また、軌道線同士の平面交差は土佐電気鉄道のはりまや橋駅や阪堺電気鉄道の住吉駅(アーカイブ「阪堺電車 住吉界隈」参照)で目にすることができますが、やはり平面交差ならではの迫力という点では鉄道線+鉄道線、鉄道線+軌道線のクロスには及びません。

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▲平面交差部を間近で見る。複線同士の直角平面交差だけに、鉄道線用の平底レールと軌道線用の溝付レールがまるで碁盤の目のようにクロスしている。'10.6.25
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東京人にとって「大手町」というと、地下鉄5路線が集中する一大ジャンクションで、一日の乗降客数35万人以上とも言われる東京都千代田区の大手町駅を思い浮かべますが、伊予鉄の大手町駅はJR松山駅から400mほどに位置する乗降客数2500人(鉄道線)ほどのささやかな小駅です。

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▲大手町駅本屋。郊外線松山市駅(横河原駅)行き方に設置されており、高浜方のホームには地下通路で連絡している。市内線の電停はもちろん路上にある。'10.6.25
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この大手町の平面クロスに立っていると、とにかく次から次へと郊外線、市内線の列車が行き交い飽きることを知りませんが、ぜひこのクロス部で見てみたいと思いつつかなわなかったのが、朝の松山市駅から古町駅への珍妙な"単行回送"です。高浜線は朝間ラッシュ時には3輌編成となりますが、もともと3輌固定の3000系はともかく、もと京王5000系の700系は2+1の3連を組みます。しかし、ラッシュ時が過ぎると1輌(Mc)を松山市駅で解放、一部はなんと"単行"で車庫のある古町まで戻るのです。

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▲松山市駅から車庫のある古町駅まで"単行"で回送するモハ720形。後部の連結面を露出したまま今治街道を横断して行く姿はなんともユーモラス。'10.6.25 松山市-大手町
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片運18m車が連結面をむき出しのままトコトコと高浜線を走る姿は実に不思議で、ぜひとも大手町の平面交差で軌道線とのツーショットを収めたいと思っていたのですが、残念ながら実現できませんでした。あれから一年あまり、あの珍妙な"単行回送"はまだ走り続けているでしょうか...。

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▲ZOOMの"Q3 Handy Video Recorder"を路面に置いて大手町の平面交差を動画収録。画面をクリックすると動画(再生時間0分53秒)がご覧になれます。 

※明日は不在のため休載させていただきます。

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▲綺麗に整備されたD51320の前でガイドする地元保存会の皆さん。'11.7.31 安平町鉄道資料館(追分) P:三菱大夕張鉄道保存会
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去る6月21日付け小ブログでご紹介した「夕鉄バスで行く夕張廃線跡ツアー」は、2013(平成25)年には現在建設中のシューパロダムの完成に伴って南大夕張以北の廃線跡が見られなくなってしまうこともあって、これまでにない盛況だったそうです。当日のレポートを三菱大夕張鉄道保存会の奥山道紀会長よりお寄せいただきましたのでご紹介いたしましょう。

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▲栗山に保存されている夕張鉄道21号を見学する参加者。'11.7.31 栗山公園 P:三菱大夕張鉄道保存会
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短い夏の北海道ですが、夕張市で鉄道文化財の保存・活用を進める三菱大夕張鉄道保存会では夕張鉄道(以下・夕鉄 本社・夕張市 鉄道線:野幌~夕張本町間53.2km 1926~1975年)の協力により、昨年に引き続き7月31日に「夕鉄バスで巡る夕張廃線跡ツアー」を実施しました。

110810n12.jpg今回のツアーは地元鉄道保存団体が企画したユニークなツアーとして新聞にも大きく紹介された事から、定員を上回る応募があり、急遽定員を拡大したものの、多くの方がキャンセル待ちとなりました。
▲今もって残る旧新二岐駅舎も見学。'11.7.31 P:三菱大夕張鉄道保存会
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当日は午前8時に遠く大阪からの参加者も含め80名がバス2台に分乗して札幌を出発。夕鉄起点の野幌からはかつては湘南型の気動車が疾駆した鉄道跡の「広域農道・きらら街道」を一路、夕張に向けて走ります。途中、栗山では夕鉄自社発注の21号(9600形の最終製造機)を見学。石炭輸送に活躍した同機ですが、映画「新幹線大爆破」(東映1975年)の中で、夕張線貨物5790列車として登場、爆破された(?)変わった経歴も有しています。

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▲現役時代の新二岐駅舎。現状と比較すると興味深い。'11.7.31 P:三菱大夕張鉄道保存会(石田司氏撮影)
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続いて新二岐駅舎を見学して夕張市に入り、現在は閉館している「SL館」を特別に見学。夕鉄14号や三菱大夕張鉄道4号(以下・大夕張鉄道 清水沢~大夕張炭山間17.2km 1911~1987年)の蒸気機関車や客車、部品や駅備品などの貴重な展示品を夕張地域史研究資料調査室長の青木隆夫氏(法政大学特認教授・元夕張市石炭博物館長)のガイドで見て回りました。

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▲普段は閉鎖されたSL館内も見学者で暫し賑わう(左)。右はSL館内でガイドする夕張地域史研究調査室室長の青木隆夫さん。'11.7.31 P:三菱大夕張鉄道保存会
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その後、夕張駅近くの屋台村で各自昼食。大夕張鉄道の起点となった清水沢駅で混合列車が発着した1番線ホームの痕跡、南大夕張駅の保存車輌を見学後、いよいよ数年後にはシューパロダムで水没する鹿島地区に入ります。

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▲南大夕張駅跡では特別にモーターカーを運転。'11.7.31 P:三菱大夕張鉄道保存会
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▲清水沢駅を見学する参加者の皆さん。レールが大夕張鉄道が発着した1番線ホーム跡(左)。南大夕張駅跡の保存車輌を見学する参加者(右)。'11.7.31 P:三菱大夕張鉄道保存会
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「石炭」「木材」「水資源」と国策に翻弄された地域ですが、大夕張鉄道の廃線跡は国道沿いに続きます。しかし現道のはるか高い位置に幾つもの橋梁が見えています。早ければ今秋にも新道への切り替えが予定されており、ツアーの参加者は無言のままダムに沈む「大夕張」の情景を心に捉えていました。大夕張鉄道最大の遺構・旭沢橋梁をバスから下車して見学後、麓に坑口の残る大夕張炭鉱のズリ山を望みバスはUターンして、森林鉄道の三弦橋を見学、最後の目的地追分の安平町鉄道資料館に向かいます。

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▲大夕張鉄道最大の遺構・旭沢橋梁も数年後には水没の運命に...。'11.7.31 P:三菱大夕張鉄道保存会
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▲.旭沢橋梁を渡る混合列車。'11.7.31 P:三菱大夕張鉄道保存会(夕張市石炭博物館提供)
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国鉄蒸機終焉の地となった追分では、元国鉄マンの地元保存会の皆さんによりD51320号が綺麗に整備され保存されています。同機は1972(昭和47)年に追分機関区に配置され、 1976 (昭和51)年1月に廃車になるまで、夕張線や室蘭本線で石炭列車の牽引に活躍しました。当日は公開日ではなかったのですが、当ツアーのために特別に機関車を外に出して待っていてくれました。

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▲.三弦橋を見学する参加者(左)と竣工当時の三弦橋(右)。手前は大夕張鉄道鴬沢橋梁の痕跡。'11.7.31/'61年 P:三菱大夕張鉄道保存会(菅原健一氏撮影)
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▲夕張線6793列車を牽く現役当時のD51320の勇姿。'75.3.23 南清水沢付近 P:三菱大夕張鉄道保存会(伊藤保則氏撮影)
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札幌には予定より若干遅れ午後6時過ぎに到着しましたが、見学先の夕張市や安平町の協力で無事終了する事が出来ました。参加者、関係者の協力に感謝します。
また、今後も夕張市や周辺の鉄道遺産の利活用を図るため、9月4日には恒例となった「汽車フェスタ2011」(会場・南大夕張駅跡)、同24日には夕張鉄道旧夕張本町駅探検やSL館見学を組み込んだ「夕張周辺の鉄道遺産の利活用を考えるミニ・シンポジウム」(会場・アディーレ会館ゆうばり・SL館)を開催予定です。詳しくは三菱大夕張鉄道保存会ホームページをご参照下さい。
http://www.geocities.jp/ooyubari_rps/index.html

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羽後交通デハ3を見る。

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▲専用の収蔵庫に収められて手厚く保存されている羽後交通雄勝線デハ3。管理が行き届いているため再整備後30年近くを経ても矍鑠としている。'11.7.23
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話が前後してしまいましたが、ユキ3の廃車体(アーカイブ「羽後交通ユキ3は今...」参照)に辿りつく前に、かつての雄勝線の終点・梺(ふもと)駅跡に保存されているデハ3を訪ねました。

110809n002.jpgデハ3は1927(昭和2)年蒲田車輌製の四輪単車。僚車デハ1・2とともに雄勝鉄道開業時に新製されたもので、このデハ3のみが荷物合造車(デハニ)として誕生しました。若林 宣さんのRMライブラリー『羽後交通雄勝線 ―追憶の西馬音内電車―』によれば、3輌のうちデハ2には空気ブレーキが装備されていなかったそうですから、単行運転を原則としていたようです。台車も変り種で、ブリル21E形をコピーした日車製を履いています。
▲デハ3の収蔵庫。羽後町役場企画商工課に申し出れば庫内を見学可能(ただし平日のみ)。'11.7.23
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空気ブレーキを持たないデハ2は1956(昭和31)年に早々と廃車されてしまい、残るデハ1とデハ3は1971(昭和46)年の内燃化まで生き延び、前者は県内の小学校に譲渡されたそうですが、残念ながら現存しておりません。

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▲かつての梺駅構内に建てられた保存収蔵庫の手前には、さながらランドマークのように腕木式信号機が聳えている。'11.7.23
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▲雄勝線の来歴を記した説明板(左)と、太平洋戦争時の出征の地であることを後世に伝える説明板(右)。'11.7.23
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一方、デハ3は終点の梺駅跡の保育園に保存されましたが、こちらも歳月とともに劣化が進み、悲惨な状態に陥っていたといいます。そんな中、1983(昭和58)年に羽後交通OBが中心となって修復を計画、地元の大工さんも手伝って、現役当時さながらの姿に甦りました。羽後町も復元なったデハ3を恒久的に保存すべく収蔵庫を建設、模擬ホームを持つこの庫の中で現在でも大切に保存されています。

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▲庫外からの窓ガラス越しでの撮影のため、なかなかクリアな画像が得られない。これは湯沢方から見たところ。'11.7.23
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羽後町役場のお話では、事前に企画商工課宛に連絡をいただければ庫内での見学が可能(平日の9時から17時まで)とのことですが、私がうかがったのは残念ながら土曜日。周囲の窓から文字通り"垣間見る"だけとなってしまいました。それでもその保存状態の良さはよくわかり、再訪を期して収蔵庫をあとにしました。

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「くろしお」用287系登場。

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▲オーシャングリーンの帯を巻いた「くろしお」用287系6輌編成。新大阪・京都方の先頭車クモハ287のパンタグラフは1基で、2基「こうのとり」編成との決定的な違い。'11.8.4 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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今年3月に特急「こうのとり」を始めとしたアーバン地区と北近畿地方を結ぶ特急列車でデビューを飾ったJR西日本の新型直流特急型電車287系(アーカイブ"特急「こうのとり」「きのさき」用287系登場"参照)ですが、既報のとおり次の投入線区となる紀勢本線の「くろしお」用編成が登場いたしました。

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▲クモロハ286-8(M'sc)。和歌山・南紀方の制御車。運転室方にグリーン室、その後に普通室を備えた合造車。貫通扉は準備工事のためない。'11.8.4 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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▲クモロハ286形の形式標記(左)とその先頭部のサイドビュー。小さなグリーンマークを配している。各側扉部には縦型のLED表示器を設置している。'11.8.4 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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「くろしお」用編成は6輌編成と3輌編成の2本が用意され、3連、6連、9連とフレシキブルな運用に対応しています。前者は新大阪・京都方からクモハ287(Mc)+モハ286(M')+モハ286-200(M'2)+モハ287-200(M2)+モハ286(M')+クモロハ286(M'sc)、後者は同様クモハ287(Mc)+モハ286-100(M'1)+クモハ286(M'c)となっており、このうちM2とM'2が新形式です。

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▲グリーン車は腰掛を2列(窓A列、通路B列)+1列(C列)で配置。足載せ、アームレスト先端部にコンセントを備えている。'11.8.4 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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▲普通車の腰掛は2列+2列席。アームレストと腰掛背面にテーブルを備えている。腰掛モケットはブルー系だが偶数号車(写真)と奇数号車で差がある。'11.8.4 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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▲M'sc車の普通席(左)。仕切壁の奥にグリーン席が見える。右はM'車の多目的便所と洗面所。'11.8.4 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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初陣を飾ったのは近畿車輌製の6輌編成で、クモハ287-14+モハ286-8+モハ286-201+モハ287-201+モハ286-9+クモロハ286-8の編成。基本的な車輌構造そのものはすでに運用中の「こうのとり」用と同様ながら、帯色がエンジからオーシャングリーンに変更されたほか、パンタグラフの1輌1基化など外観上の変化も見られます。

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▲2ハンドル方式の運転台。基本構造は683系4000番代と同一。'11.8.4 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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室内は、普通車は回転式リクライニングシートを2列+2列で配置。腰掛モケットはブルー系で、奇数号車と偶数号車で濃度が変えられています。もちろん腰掛背面にはテーブルが設けられ、車端席の妻壁には電源コンセントも用意されています。一方、グリーン車は半室構造で、M'scの運転室背後に15席が設けられています。こちらの腰掛は1列+2列でレグレストを用意。アームレストには折畳式テーブル、先端部には電源コンセントが設置されています。

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▲モハ287-201(M2)。「くろしお」でデビューする中間電動車。定員72名。クモハ287系同様、パンタグラフは1本である。端部に車販準備室を設けている。'11.8.4 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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▲モハ286-201(M'2)。こちらも今回誕生した新形式で、定員は50名。端部に乗務員室、業務室を設置(写真手前)。後側の側扉は通常より300m広い1000mm幅。'11.8.4 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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この「くろしお」用287系は6輌編成×6本、3輌編成5本、合計51輌が製造される予定です。配置は日根野電車区。営業開始は2012年7月以降の予定だそうですが、これにより381系「くろしお」は全車淘汰されることになります。
なお、本車については今月発売の本誌次号にて編成図を交えてくわしくお伝えいたします。

取材協力:JR西日本・近畿車輌

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▲かろうじてその姿を留める務沢駅のホーム跡。サイクリングルートとして整備された際にホーム上に駐輪ポストが設けられたが、現在はルート途中が崩落したため休止中とのこと。'11.7.22
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仁別森林鉄道の廃止は1966(昭和41)年。先日上梓された今井啓輔さんの『私が見た特殊狭軌鉄道(第1巻)』(レイルロード刊)に廃止前年1965(昭和40)年秋の状況が克明に記録されており、ちょうどご本人から見本誌をいただいた直後だっただけに、今井さん撮影の写真の地点を同定しようと試みました。

110804n004.jpgところが、もっともわかりやすいと思われた仁別停車場周辺も、道路整備や橋梁の架け替えで全く様相を変えてしまっており、もはや何の痕跡もないと言っても良いような状況でした。そんな中で、森林博物館の竹谷克巳さんにご案内いただいたのが、務沢駅跡です。博物館手前の沢筋に沿う軌道跡に残るコンクリートのホーム跡は、一見して地方鉄道のものかと思うほど立派なもの。お話によれば、かつてこの務沢に規模の大きな営林署宿泊施設があり、このホームはその乗降用だったそうです。ホームから道路へ登る石積みの階段も残されており、かつての賑わいを彷彿させます。
▲仁別森林博物館手前に建つ「務沢駅跡」の道標。ここから藪を分け入って沢筋に下りたところにホーム跡がある。'11.7.22
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▲務沢駅跡から仁別集落方面(秋田駅方面)の軌道跡を見る。『八十年の回顧』(1964年秋田営林局)によると、仁別森林鉄道は1961(昭和36)年から自動車道切替が始まり、1966(昭和41)年に全廃となっている。蝉時雨の中に、いかにもな雰囲気を見せる軌道跡が続く。'11.7.22
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ところで、現地を訪れるまでまったく知らなかったのですが、現在、森林博物館2階の企画展示室で「森林鉄道企画展」(→こちら)が開催されています。促されるままに覗いてみて驚いたのがその内容の濃さ。旧秋田・青森営林局管内を中心とした未公開の写真の数々もさることながら、圧巻は各営林署の林道台帳から克明に調べ上げられた管内森林鉄道(森林軌道)の消長です。

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▲森林博物館2階の企画展示室入口。現在「東北森林管理局管内 森林鉄道企画展」を開催中。'11.7.22
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▲企画展示室内に掲出された旧秋田・青森営林局管内の森林鉄道(軌道)の写真の数々。『秋田営林局百年のあゆみ』(1986年)などに未収録の初見のものも多く、思わず食い入るように見入ってしまった。'11.7.22
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その調査は微細な支線にまで及んでおり、便宜的に付番された線区番号は実に470番にまで及んでいます。これほどの調査は他管理局でも類例がないと思われ、まさにこの展示を見るだけでも足を運ぶ価値があると言えましょう。

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▲東北森林管理局管内の森林鉄道(軌道)の位置を示した地図(部分)。数字の合い符に対応して極めて詳細な台帳(下記参照)が作成されている。'11.7.22
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▲暦年の消長もわかりやすく展示されている。なお、東北森林管理局は青森・岩手・宮城・秋田・山形の5県を受け持っている。'11.7.22
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▲圧巻の管内各営林署土木台帳抜粋(左)と、エクセルでまとめられた500線近い路線のデータ(右)。このデータは概要で、さらに詳細な履歴がファイルにまとめられている。'11.7.22
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それにしてもよほど造詣の深い方が関わられた発表と拝察しておりましたが、帰京後、何と東北森林管理局長の矢部三雄さんよりメールを頂戴し、今回の企画展は局長自らが立案されたものであることを知りました。まさにこれ以上に心強いことはなく、局長はさらに調査を続けておられるとのことですので、少なくとも東北5県の森林鉄道に関しては、遠からず盤石な資料が後世に残されてゆくものと期待されます。

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▲企画展示室のある2階から再び階下のD-29を見る。酒井工作所製ボギー機はほかに「北海道開拓の村」に下夕張・夕張岳森林鉄道の27号機(→こちら)と、木曽の赤沢自然休養林に上松運輸営林署136号機が保存されているが、どちらもメーカー形式F-4系の10t機であり、8tのF-5系の現存は本機のみ。'11.7.22
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この仁別森林博物館「森林鉄道企画展」は8月29日(月)までの開催です。林鉄ファンにとってはまさに千載一遇の展示ですので、夏休みを利用してぜひ訪問されることをお勧めします。なお、矢部局長によると、8月3日からは、青森の森林博物館(旧青森営林局庁舎)(→こちら)でも、津軽森林鉄道を中心とした森林鉄道展を開催しているそうで、明治44年作成の相内支線今泉~相内貯木場間の2000分の1実測平面図なども展示予定とのことです。
震災から間もなく5カ月、東北支援の一助としても、この機会に秋田・青森の森林博物館を巡る旅も良いのではないでしょうか。

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▲リニューアルした仁別森林博物館1階には酒井工作所製8tボギー式ディーゼル機関車(メーカー形式F-5)が素晴らしい状態で保存展示されている。'11.7.22
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秋田県の仁別森林博物館がリニューアルをしたのは3年ほど前。それ以来、ぜひ足を運んでみたいものと思っていましたが、先日、ようやく訪れることができました。

110804n021.jpg東北森林管理局が運営する仁別森林博物館は秋田市内からかつての仁別森林鉄道跡を遡った先の「仁別国民の森」の中にあります。秋田駅からだとクルマで小一時間ほど。残念ながら公共交通機関はなく、手軽にアクセスできないのがウィークポイントではありますが、森林鉄道に興味を持つ者にとって一度は訪れておきたい"聖地"と言っても過言ではありません。
▲都会から来ると心洗われる景観の仁別国民の森の中に森林博物館がある。'11.7.22
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▲仁別森林博物館正面。左側の軒下にボールドウィンB1リアタンク機が保存されている。'11.7.22
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この仁別森林博物館には、もと温根湯森林鉄道2号機(1921年ボールドウィン製B1リアタンク機)と能代営林署仁鮒森林鉄道D-29号機(1955年酒井工作所製8tボギー式ディーゼル機)が保存されていましたが、両機ともに屋外に展示されており、決して良好とはいえない保存状態でした。それが2008年春のリニューアル・オープンを機に見事に整備され、後者にいたってはHゴムまで新品に交換されるほど徹底的な修復が行われた上で1階ホール中央に展示されています。

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▲すっかり奇麗に整備されたボールドウィンB1リアタンク機。温根湯森林鉄道の2号機で、沼田の林野庁森林技術総合研修所林業機械化センターに保存されている置戸森林鉄道3号機(→こちら)とは兄弟関係にあたる。'11.7.22
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1階展示室は、特産の秋田スギの歴史や、伐木・運材の歴史などが多面的に展示されていますが、その中でとりわけ大きなスペースを割いてディスプレーされているのが仁別森林鉄道のコーナーです。酒井製ボギーDLの運転席に座ると、正面に据えられたモニターにありし日の仁別森林鉄道の動画や関係者インタビューが映し出される仕掛けにもなっており、あまりに興味深い内容に思わず繰り返し再生してしまうほどでした。

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▲館内に保管されている1921年製・製番54419のボールドウィン銘板(左)。右は酒井製DLの運転席で放映されている記録ビデオ。必見。'11.7.22
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■仁別森林博物館
開館:4月下旬~11月上旬(10:00~17:00)
   ※毎週火・水・木曜日は休館(祝祭日は除く)
料金:無料
住所:秋田県秋田市仁別字務沢国有林22林班
http://www.rinya.maff.go.jp/tohoku/introduction/gaiyou_kyoku/annai/nibetu/index.html

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▲2階から階下の展示室を見る。酒井製ボギーDLの屋根上もつぶさに見られ、模型ファンにとってもありがたいシチュエーションといえる。なお本機D-29は1955(昭和30)年9月購入(製番6127)の仁鮒森林鉄道唯一のボギーであったという(能代営林署事業課『森林鉄道の記録』)。'11.7.22
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▲白煙をたなびかせ、最後の冬を走る北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線。'06.1.9 愛冠-西一線 P:寺田裕一 (『新・消えた轍』第1巻 北海道編より)
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ご好評いただいている寺田裕一さんによる『新・消えた轍』シリーズの第7回配本分である「北海道」編が完成しました。この『新・消えた轍』シリーズは、旧版の『消えた轍』シリーズが品切れになったエリアから優先して再構成しましたが、巻数の表記はシリーズ全体の流れを考慮して北から順に付番したため、今回の北海道編が第1巻になりました。

110803nwadachi1.jpg今回の第1巻は道北の鉄道に夕張、美唄、芦別の運炭鉄道を加えたもので、旧第1巻収録の根室拓殖鉄道、釧路臨港鉄道、雄別鉄道、雄別炭礦尺別鉄道、北海道拓殖鉄道、十勝鉄道、夕張鉄道、三菱鉱業美唄鉄道、三井芦別鉄道と、新たに北海道ちほく高原鉄道、三菱石炭鉱業大夕張鉄道の11路線を収録しています。運炭鉄道や開拓のために敷設された鉄道、砂糖の原料である甜菜を運ぶための鉄道と、今ではことごとく姿を消してしまった北海道ならでは鉄道の姿が浮き彫りになる一冊と言えましょう。

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▲最果てを目指した軽便・根室拓殖鉄道。線路跡では廃線から50年以上を経た今なお、築堤などが残っているという。 (『新・消えた轍』第1巻 北海道編より)
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また、第3巻をお持ちの方はすでにご承知と思いますが、シリーズの構成上、「北海道」と「東北」の対象路線は紙幅の都合上2巻では納まらず、北海道と東北地方を3分冊に分けることになりました。このため羽幌炭礦鉄道、天塩炭礦鉄道、留萠鉄道、定山渓鉄道、寿都鉄道は、第8回配本である第2巻「北海道・北東北」編に収録されますので、今しばらくお待ちください。

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▲線路跡は自転車道として残る三菱鉱業美唄鉄道の廃線跡。かつての終着駅である常盤台付近は住む人もほとんどいなくなった。 (『新・消えた轍』第1巻 北海道編より)
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■第7回配本分の内容
〔1 北海道〕
根室拓殖鉄道・釧路臨港鉄道・雄別鉄道・雄別炭礦尺別鉄道・十勝鉄道・北海道拓殖鉄道・夕張鉄道・三菱鉱業美唄鉄道・三井芦別鉄道・北海道ちほく高原鉄道・三菱石炭鉱業大夕張鉄道
■既刊
〔 3 東北〕
松尾鉱業・花巻電鉄・秋田中央交通・羽後交通・宮城バス仙北鉄道・秋保電気鉄道・仙台鉄道・庄内交通・山形交通・日本硫黄沼尻鉄道・岩手開発鉄道・くりはら田園鉄道
〔4 関東〕
九十九里鉄道/鹿島臨海鉄道/鹿島鉄道/茨城交通茨城線/日立電鉄/筑波鉄道/上武鉄道/山梨交通電車線/小名浜臨港鉄道・江名鉄道
〔5 上信越〕
草軽電気鉄道・上田丸子電鉄丸子線/真田傍陽線/西丸子線・長野電鉄河東線(信州中野-木島間)・頸城鉄道自動車・越後交通栃尾線/長岡線・新潟交通・蒲原鉄道
〔6 中部〕
静岡鉄道駿遠線・秋葉線・遠州鉄道奥山線・豊橋鉄道田口線・三重交通松阪線・東濃鉄道・三井金属鉱業神岡鉄道・北恵那鉄道・神岡鉄道
〔7 北陸〕
福井鉄道鯖浦線/南越線・京福電気鉄道永平寺線/丸岡線・北陸鉄道加越線/小松線/金名線/能美線/金石線/能登線・尾小屋鉄道・のと鉄道能登線/七尾線(穴水~輪島間)・加越能鉄道加越線・富山地方鉄道笹津線/射水線
〔8 近畿〕
江若鉄道・北丹鉄道・淡路交通・別府鉄道・三木鉄道・能勢電鉄川西能勢口~川西国鉄前・加悦鉄道・野上電気鉄道・有田鉄道・和歌山県営鉄道(南海電気鉄道和歌山港線)和歌山港~水軒間
〔9 中国〕
玉野市営電気鉄道・両備バス西大寺鉄道・井笠鉄道・日ノ丸自動車法勝寺鉄道・一畑電気鉄道広瀬線/立久恵線・尾道鉄道・防石鉄道・船木鉄道・長門鉄道・下津井電鉄・岡山臨港鉄道・同和鉱業片上鉄道
〔10 九州・四国〕
大分交通/荒尾市営電気鉄道/鹿児島交通/島原鉄道/宮崎交通/熊延鉄道/山鹿温泉鉄道/熊本電気鉄道/高千穂鉄道/日本鉱業佐賀関鉄道/伊予鉄道森松線/土佐電気鉄道安芸線/琴平参宮電鉄

■続巻の内容 (内容は変更になる場合があります)
〔2 北海道・北東北〕(8月末発売予定)
寿都鉄道・定山渓鉄道・旭川電気軌道・羽幌炭礦鉄道・天塩炭礦鉄道・留萠鉄道・南部鉄道・南部縦貫鉄道・下北交通・弘南鉄道黒石線・同和鉱業小坂鉄道

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▲旅客営業する最後の運炭鉄道であった三菱石炭鉱業大夕張鉄道。最後まで気動車は導入せず、DL牽引の混合列車が走っていた。 (『新・消えた轍』第1巻 北海道編より)
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さて、本シリーズも次回の第8回配本をもってついに完結を迎えます。次回は第2巻「北海道・北東北」で、8月末の発売を予定し、制作進行中です。どうかご期待ください 

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鉄道友の会が選定する「2011年島秀雄記念優秀著作賞」が発表され、単行本部門で小林正義さんのRMライブラリー『国鉄EF13形 ―戦時型電機の生涯―』(上下巻)と、安保彰夫さんのRMライブラリー『出石鉄道 ―二千人の株主が支えた鉄道―』がダブル受賞に輝きました。

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▲数々の貴重な未発表写真とともに、『国鉄EF13形-戦時型電機の生涯-』の白眉ともいえるのが著者・小林正義さん自らがCADを駆使して作図した図面類。 (RMライブラリー『国鉄EF13形-戦時型電機の生涯-』上巻より)
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この島秀雄記念優秀著作賞は、毎年一回、趣味的見地に基づき、鉄道分野に関する優れた著作物または著作に関わる功績を選定し、鉄道および鉄道趣味の発展に寄与することを目的として、2008(平成20)年に新設された賞で、今回が4回目となります。弊社としては昨年の関 崇博さんの『門鉄デフ物語』、一昨年の湯口 徹さんのRMライブラリー『日本の蒸気動車』に続く3年連続の受賞となり、身の引き締まる思いがいたします。

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▲出石鉄道最大の建築物ともいえる円山川に架かる鶴岡橋梁。わずか15年の運行期間中に2度も流失している。 (RM LIBRARY131『出石鉄道-二千人の株主が支えた鉄道-』より)
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今回は単行本部門49件、定期刊行物部門28件の応募があり、小西純一選考委員長をはじめとした10名の選考委員の皆さんによる第一次審査で単行本部門7件、定期刊行物部門5件に絞られ、さらに第二次審査で受賞作が決定されたそうです。では、鉄道友の会より発表された選定理由をご紹介いたしましょう。
■単行本部門 小林 正義『国鉄EF13形』ネコ・パブリッシング
本書の著者は、実際にEF13形電気機関車に乗務経験がある機関士で、かつ鉄道模型にも造詣が深く、ひとつひとつの機関車のディテールの違いを、愛着を持って観察していることがよくわかる著作です。また、本機の誕生や、本機の特徴である凸型から箱型への改造経緯、その活躍ぶりなどを、貴重な資料を踏まえて記述しています。著者のオリジナルの写真や図に加え、ベテランの方々の写真を多数収録しており、電気機関車ファンならずとも感心させられる充実した内容です。EF13形に身近に接してきた著者ならではの著作として高く評価し、選定しました。
■単行本部門 安保 彰夫『出石鉄道』ネコ・パブリッシング
本書のテーマである出石鉄道は、但馬地方の小私鉄として昭和4年に開業しながらも、戦争の激化の中で不急の路線として営業休止となり、復活することなく消えてしまった鉄道です。本書の著者は、これまでにもたびたび中小私鉄をテーマとした著作をまとめられていますが、公文書や営業報告書などの一次資料を駆使し、さらに現地での聞取り調査や踏査、空撮による廃線跡の調査など、その集大成とも言うべき労作です。また、車輌解説に偏ることなく、歴史や路線、営業などについてバランス良く調査された作品としても高く評価され、選定しました。

100422keihan-h1.jpg単行本部門ではもう一作、大田 治彦さんの『西鉄電車おもいでアルバム』(櫂歌書房刊)が選定されています。大田さんの『西鉄電車おもいでアルバム』は小ブログでもご紹介(アーカイブ「昔日の西鉄電車を語り継ぐ珠玉の一冊」参照)いたしましたが、地元で生まれ育った大田さんならではの愛情に溢れた一冊で、写真集としても素晴らしい仕上がりとなっております。
また、定期刊行物部門ではいずれも『鉄道ピクトリアル』誌に掲載された初澤 毅さんの「緩衝式車止めの形態と分類」と、堀岡 健司さんの「鉄道の掲示と行先標の変遷」が受賞しております。

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▲片野正巳さんのイラストで綴る京阪電車の100年がメモリアルイヤーにふさわしいものとなった『京阪電車 車両の100年』
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ところで、弊社としてもうひとつ喜ばしいのは、「京阪電車百周年に関する著作物」の企画に対して、京阪電気鉄道さんが特別部門の受賞をされたことです。100周年を迎えた同社の記念事業の一環として、正史とも言える社史『京阪百年のあゆみ』(京阪電気鉄道・2011)や『京阪電車 車両の100年』(京阪電気鉄道+ネコ・パブリッシング・2010)を企画・出版されたことを顕彰されたもので、後者の編集をさせていただいた弊社にとっても、これまた実に嬉しい報せとなりました。

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▲ノルトシュトランディッシュモール島への600㎜軌道。北海の荒波が打ち付ける線路は一部が陥没しているように見えるが...。P:BSジャパン
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年末年始に小ブログでご紹介した北ドイツ・北海を渡るふたつの「島軌道」(アーカイブ「北ドイツのナローを巡る」参照)は大きな反響を呼び、一般メディアからの問い合わせも少なからず頂戴いたしました。とりわけBSジャパンはたいへん興味を持たれ、なんと実際に現地に取材チームを送り込み、徹底的な撮影を敢行されました。

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▲荒涼たる風景の中をノルトシュトランディッシュモール島を目指す。P:BSジャパン
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その成果が8月4日、今週木曜日に「ドイツ鉄道の旅」シリーズの第5回「海を渡る列車 ~世界遺産・北の小島から~」と題して放映されます。7月7日にハルツ狭軌鉄道でスタートをきったこの「ドイツ鉄道の旅」シリーズは、9月23日まで毎週木曜日夜10:30より計13回にわたってドイツ各地の鉄道を訪ねますが、「島軌道」のみならず、リューゲン島など小ブログでご紹介したナローも少なからずラインナップされています。

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▲夏場は民宿の宿泊客でたいそうな賑わいぶり。(上・下左=オーランド線、右下=ノルトシュトランディッシュモール線) P:BSジャパン
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BSジャパン番組案内より。
「よく考えてみれば、ドイツには海がほとんどありません。北のバルト海と北海に面した地域だけ。そんなドイツにとっては貴重な海、デンマークとオランダ国境にまたがる世界遺産に登録された海岸線にはユニークな鉄道が走っていました。ガタゴトと走る線路は波をかぶって心細い限り。住民わずか22人の小さな島で目にしたのは、長く苦しめられた洪水に立ち向かう、民宿の女将のたくましさ。明るく元気で何も飾ることのない生活、ここもドイツなのです。」

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▲北海を越えて続々と"本土"へと戻ってくるオーランド線の"列車"。P:BSジャパン
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▲島内の生活も克明に紹介されている。左はオーランド島、右はノルトシュトランディッシュモール島の民宿。P:BSジャパン
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あらためてご紹介すると、番組に登場する「島軌道」は2路線。Nordstrandishmoor(ノルトシュトランディッシュモール)と呼ばれる小さな島への軌道と、それよりは多少大きなOland島への軌道で、前者は600㎜ゲージ、後者は900㎜ゲージです。残念ながら私は両島ともに到達することはできず、島内の様子は民宿のホームページで伺い知ることしかできませんでしたが、今回はその日常生活の様子もたっぷりと収録されているそうで、今から放映が楽しみでなりません。

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▲あの"ウシ"(アーカイブ「北ドイツのナローを巡る "ウシ"のこと」参照)も健在だ。ただし、夏場はオープンタイプの車輌が中心のようで、出番は少ないらしい。P:BSジャパン
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▲ノルトシュトランディッシュモール線に日が暮れる。2011年の今日、こんな実用ナローが、しかも西側先進国に生き残っていることは奇跡としか言いようがない。P:BSジャパン
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小ブログが端緒となって番組化された「島軌道」。今週木曜日夜は、ぜひお忘れなくご覧ください。

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