鉄道ホビダス

2010年12月アーカイブ

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皆さん、それでは良いお年を...
この一年、小ブログにお付き合いいただき、ほんとうにありがとうございました。年末年始はしばし休載とさせていただきます。新年は7日(金曜日)より再開する予定にしておりますので、どうか本誌とともに来年もかわらぬご愛読のほどをお願い申し上げます。
皆さん、それではご家族ともどもよいお年をお迎えください。

編集長:名取紀之 敬白

第12回:軌道を走るボート?

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▲まるでコースターのようなスピードで土手を下る"列車"。島民は買い物に仕事にと"自家用車"を運転して本土へとやってくる。'10.9.17 Dagebull
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建物が4軒しかないと聞くNordstrandishmoor(ノルトシュトランディッシュモール)島への軌道(→こちら)に対し、このOland(オーラント)島・Langeness(ランゲネス)島は遥かに規模が大きく、58世帯が暮らしているとのことです。そしてその多くが"自家用車"とも言える自前の車輌を持って本土と島の間を行き来しているのです。

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▲船外機を動力とする"自家用車"はほとんどボートそのもの。ワン君は今日も前方監視に余念がない? '10.9.17 Dagebull
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いったい何輌の"自家用車"が存在するのかはわかりませんでしたが、とにかく十数輌の自作と思しき車輌が現認できました。しかもその大半は船外機を取り付けたまさにボートそのもの。緊急時の備えなのか、各車に付けられた"浮き"と相まって、ボートが鉄車輪を付けて軌道上を走っているといったイメージです。

101230n011.jpgそれもそのはず、この軌道は1925(大正14)年から1928(昭和3)年にかけて敷設されたもので、当時は帆掛け式のトロッコで運行されていたのです。まさにその様はヨットそのもの。漁業で生計をたてていた島民にとって、洋上を渡る軌道も海路も同じようなもの、手慣れた"風力"を動力に選んだのでしょう。それにしてもこの帆掛け式トロッコが1960年代後半まで使われていたそうですから驚きです。

→なんと1968(昭和43)年まで帆掛けトロッコが使われていたという。1968年といえば、日本では"ヨン・サン・トオ"白紙ダイヤ改正の年。彼の地ではあの時点でまだ帆掛けトロが実用されていたのだ。'10.9.17 沿岸整備局の解説看板より
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▲北海を渡って続行で本土へとやってくる島民たち。この時点でも気温は5℃ほど、冬場の寒さは想像を絶する。'10.9.17 Dagebull
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この軌道の延長は約9キロ。本土側のヤードがあるDagebull(ダゲビュール)には島民用の駐車場があり、朝方、仕事や買い物に海を渡ってきた島民はヤードの留置線に"自家用車"を停め、駐車場に置きっぱなしになっているクルマでそれぞれの目的地へ向かうという寸法です。

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▲駐車場に隣接する留置線にずらりと停められた島民の"自家用車"。さながら係留されているボートを思わせる。'10.9.21 Dagebull
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▲二人の子どもを連れて買い物から戻ってきた民宿のおばさんは、ヤードにクルマを停めると、器用にポイントを切り替えてバスタブのような"自家用車"をスタンバイ。'10.9.21 Dagebull
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▲子どもたちに毛布を掛けて防寒対策。いざ、リコイル・スターターを力強く引いてエンジンを始動する。ポールのように立っているのは前照灯+尾灯で、進行方向にクルッと回転させる。'10.9.21 Dagebull
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▲その車内(?)。前方の木箱がエンジン・ハウジング。ベンチの下は防寒具等の収納スペース。右は各車に取り付けられている「鑑札」。丸いシールが車検証で検査期限が示されている。ちなみに"Lore"(ローレ)はドイツ語でトロッコの意。'10.9.21 Dagebull
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▲軌道上に落ちていた切れたドライブベルト。船外機から車軸への伝動はこの細いベルト1本で、こうやって切れるということは真冬の洋上で切れることもあるわけだ。なお、ここにも「犬顔」の犬釘(アーカイブ「犬顔の犬釘」参照)が多数見られる。'10.9.21 Dagebull
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帰りはその逆、クルマを駐車場に入れ、買い込んできた食料品やら何やらを"自家用車"に積み替えて島へと戻ってゆきます。面白いのはこのヤードの留置線で、島民用の車輌はどれも車輪がロックされておらず、手で押せば自由に移動が可能です。というのは、本土側にやってきた人順に"自家用車"を留置線に押し込んでしまうため、帰りには他人の車輌をどかして入れ換えねば自分の車輌が出せないからなのです。おばさんが手押しで車輌を入れ換え、手慣れた手つきでポイントを返してゆく様には目が点になります。

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▲島民の"自家用車"も沿岸整備局がメンテナンスをしてくれるらしい。足回りに不具合を生じた車輌をフォークで持ち上げて検査中。左は沿岸整備局の作業客車。'10.9.21 Dagebull
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この島民用"自家用車"、15歳以上でモペット・ランセンスさえ持っていれば運転者として登録できるそうで、男女さまざまな年齢の島民が、まるで当たり前のように"列車"を運転してゆきます。もちろん自作とはいえ一応、車輌には鑑札と車検があるようで、各車に小さなプレートが付けられています。

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▲鉄道車輌というよりはボートのようなエキゾーストノートを響かせておばさん一家が出発。各車の前部に付けられているボールはバンパー役なのか、それともいざという時のための"浮き"なのか...。'10.9.21 Dagebull
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▲「バ~イ!」子どもたちの笑顔を乗せて島へと帰ってゆく。前方の堤防を越えれば見渡す限りの北海が広がっている。'10.9.21 Dagebull
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21世紀も十年を過ぎた今日、西側先進国の一隅にこんなプリミティブな軌道が残っていようとは、あらためて驚かされますが、衝撃はこれだけでは終わりませんでした。島軌道の驚くべき実態の続きはまた年明けに...。

Oland_Langeness_skin.jpg▲クリックするとDagebullの堤防上から見た沿岸整備局の列車(推進でOland島から戻ってくる姿)の動画がご覧になれます。 4分50秒
※あくまで"覚え"のためにスチルの合間に撮影したものですので、画質等はご容赦ください。現地のロケーションがおわかりいただければ幸いです。

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第11回:再び"島軌道"へ!

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▲Schomaの牽く沿岸整備局の列車。オーラントを目指して暮れなずむ干潟を行く。'10.9.21 Dagebull
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何かと優先すべき話題が多く、すっかり気の抜けたビール状態となってしまいましたが、年末年始のお休みを挟んで北ドイツのナロー紀行の続き、それもいよいよ核心部分(?)とも言える"島軌道"の見聞録をお届けすることにいたしましょう。

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▲最初にご紹介したNordstrandischmoorと、今回ご紹介するOland-Langenessのふたつの軌道の位置関係。
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第1回でご紹介した北海洋上の孤島・Nordstrandishmoor(ノルトシュトランディッシュモール)へと続く600㎜ゲージの軌道(→こちら)も衝撃的でしたが、そこからクルマで30分ほど北上したDagebull(ダゲビュール)を起点にして、ふたつの島を連絡するもうひとつの"島軌道"Oland-Langeness線は、その規模、運転頻度ともに想像を絶するもので、この未知の軌道に出会えたことが、今回の旅の最大の収穫でした。

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▲Dagebullの土手から洋上のOland島を遠望する。干潮になるとかなり沖合まで歩いて行くことが可能。ちょうど地元の方が愛犬の散歩中。'10.9.21 Dagebull
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dagebull004map.jpgこちらの軌道は900㎜ゲージで、Dagebullのヤードには"メーカー品"のほかに島民の"自作"車輌たちがゴロゴロと並んでおり、最初にその様を目にした時は、さすが(?)の私も立ちすくんでしまいました。
ヤードを出た軌道は土手を斜めによじ登って海岸線に出、向きを変えて一気に北海海上を南下、最初の島Olandを目指します。後からわかったことですが、洋上に交換設備があり、場合によってはこの交換所で対向列車待ちをします。訪問した9月中旬でも寒さと強風が身に染みるこの地で、冬場の交換待ちは、想像しただけでも、とても正気の沙汰とは思えません。
▲Oland島、Langeness島の位置関係。ヤードのある本土側のDagebullとOlandの間、海の真ん中に交換設備がある。
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▲洋上の交換設備のメンテナンスに繰り出した新型Schomaの牽く工事列車。ヒツジたちが草を食む彼方をのんびりと本土へと戻ってきた。洋上にはフェリーの船影が...。'10.9.21 Dagebull
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101231n004n.jpgOland島を縦断した軌道は再び北海を渡って次のLangeness島へと至ります。このLangeness島にはいくつかの航路も設定されており、定期フェリーも就航しています。しかしフェリー航路は各島に寄りながらの大迂回を強いられており、地図でおわかりのようにLangeness島北部やOland島の住民にとって、この900㎜ゲージの軌道こそ最も便利な生命線なのです。
▲Dagebull側の海岸に伸びる軌道。最初に訪れた日には、なんとここにアザラシの死骸が横たわっていた。日本だったらテレビニュースで大騒ぎになるに違いない。'10.9.21 Dagebull
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▲Schomaの牽く列車が土手下の軌道を快走する。土手の上から流し撮りをしていると、さながら模型を写しているよう...。'10.9.21 Dagebull
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この付近の北海の干満の差はにわかに信じがたいほどで、干潮時には沖合まで歩ける位の浅瀬ですが、潮が満ちてくると、今度はさながら洗面器に水を溜めるがごとき速さで水位が上昇してきます。そのため、海に入る際には安全のためにガイドを伴うようにアドバイスされており、干潮に合わせての自然観察ガイドツアーも盛んに行われています。

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▲西鹿児島から約3時間。八代停車のため軽く流すように駆けるC61 32〔鹿〕牽引の6列車「はやぶさ」。'64.11.3 肥後高田-八代 P:小沢年満 (『国鉄時代』vol.24より)
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蒸機ファンの期待を集めているC61 20号機ですが、ボイラー載せも完了し、復活に向け着々と修繕が進んでいます(アーカイブ「C61 20 いよいよ動態復活へ」参照)。薫風そよぐ頃には、ブラスト高くハドソン機が走り始めているはずです。さて、『国鉄時代』でも復活に向けさまざまなかたちでC61を取り上げていきたいと企画していますが、その第一弾としてvol.24では「C61 急行旅客機の生涯」という大型特集を組みました。C60・C61・C62のハドソン三兄弟のうちでもっとも地味な印象を受けるのがC61ですが、その生涯をたどってみると亜幹線の花形として後に誕生したC60を凌ぐ活躍ぶりが浮かび上がってきます。今号では東北本線・常磐線・鹿児島本線などでの特急・急行牽引を中心に展開いたします。

101222n002.jpg巻頭グラフ「はやぶさの道」は、鹿児島本線の特急「はやぶさ」C61黄金時代の記録。運転当初は門司~西鹿児島間390㎞あまりをロングランし、勇名をはせていました。その凛々しい姿が誌面で光彩を放っています。鹿児島区の美しく磨き込まれた12・13・14・31・32・33の6輌が、筑紫の田園から田原坂、薩摩路へ白煙をたなびかせを疾風のごとく駆け抜けます。

特集名ともなったC61全史「C61 急行旅客機の生涯」はその誕生から終焉までを開設したC61物語。C59の配置開始、C60の配置開始、東北本線仙台電化、盛岡電化など重要な時点での移動や、牽引列車の変遷などからその盛衰を語ります。「はつかり」「はやぶさ」「さくら」などヘッドマークも誇らしげな晴れ姿、「いわて」「あづま」などの急行牽引の模様などベテランファンの方々の写真協力で充実した構成となっています。

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▲「急行旅客機C61の生涯」より、東北本線系のC61の動向。 (『国鉄時代』vol.24より)
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「南国の異色機C61 13を語る」では『門デフ物語』の著者・関 崇博さんに、C61唯一の切取除煙板装備機である13号機について、さまざまな角度からの考察、思い出を綴っていただきました。
「みちのくの要衝 仙台機関区C61盛衰記」は、乗務員の立場から、元仙台機関区の大山 正さんが東北のエースC61について親しみと畏敬をもってその思い出を語ってくださいます。たとえば0.5気圧増圧されて使用されていたことなどはあまり知られていない事実ですし、ストーカー故障時の手焚き運転の模様も、機関助士をなさっていた大山さんならではの記録です。C61牽引のお座敷列車や塩釜線の臨客なども貴重な写真と言えましょう。

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▲実際に乗務された大山 正さんによる「仙台機関区C61盛衰記」は新事実も多くC61ファンならずとも必見。 (『国鉄時代』vol.24より)
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「運用から見たC61」では成田冬紀さんが東北、三宅俊彦さんが九州を運用面から掘り起こします。運用表、牽引列車一覧などとともに貴重な写真の数々から、昭和30年代の黄金時代の仙台・青森機関区、平機関区、鹿児島機関区所属機の獅子奮迅の活躍ぶりが浮かび上がります。

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▲「運用から見たC61」は配置の変遷、運用の変遷から急行旅客機C61の生涯を再検証する。 (『国鉄時代』vol.24より)
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メカニズム面でC61に迫った髙木宏之さんの「国鉄初のハドソン・C61形の真実」は、C59形を上回る出力で優等列車牽引に活躍したC61を、誕生前に遡って検証を開始するという徹底ぶり。「標準設計思想」によりD51の姉妹形式としていれば無理なく戦前に誕生していたという仮定も大変興味深いところ。"目からウロコ"の6ページです。

101222n006.jpgまた、小品ながら八木邦英さんの「C61 20号機が『日南1号』を牽いた日」は日豊本線の臨急牽引の運用にC61が入ったという珍しさもさることながら、グリーン車に乗車するのはのちにC61 20の群馬・大田市での保存に尽力されることになる広瀬啓明さん。不思議な縁を感じさせる一枚です。多角的にC61に迫った『国鉄時代』渾身の特集、修繕進む20号機に思いをさせながら皆さんも「圧」を上げていただければ幸いです。
なお、特別付録DVDは「亜幹線の華 C61」「栄光の機関車EF58」「1975年 北海道の蒸気機関車」の三本立て全60分です。
※お求めは→こちら

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▲新宿駅前を発着する在りし日の11系統(新宿駅前~月島)・13系統(新宿駅前~水天宮前)の6000形たち。「都電」は都営地下鉄、都営バス、日暮里・舎人ライナー、モノレール、そして電気事業の交通局6事業中で最も長い歴史を有する。P:三谷烈弌

1911(明治44)年に東京市電気局として発足した東京都交通局は、来年、2011(平成23)年8月1日に創業100周年を迎えます。これを祝してさまざまな記念事業が計画されていることが発表されました。

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▲本格的な冬の訪れを前に今シーズンの試運転に臨む函館市交通局排3号・排4号。'10.11.11 駒場車庫前 P:高橋一嘉

なかでも注目なのは、6月から夏休みにかけて江戸東京博物館で開催される都営交通100周年記念特別展「東京の交通100年博~都電・バス・地下鉄の"いま・むかし"~」で、なんと函館市交通局の除雪車輌(排3号もしくは排4号)の実物が展示されるそうです。"ササラ電車"として知られるこの除雪車は、もとをただすと旧東京市電の「ヨヘロ形」で、1934(昭和9)年に東京市電気局から函館へと譲渡されたものです。東京都交通局では創業100周年を記念してこの歴史的車輌を函館市交通局から借り受け、77年ぶりに東京に"里帰り"させることにしたもので、北海道の固有名詞とも言える"ササラ電車"を都心で見られる二度とないチャンスでもあります。

都営交通100周年記念特別展
「東京の交通100年博~都電・バス・地下鉄の"いま・むかし"~」の開催
■概要
明治から、大正、昭和、平成に至る東京の交通機関発展の歴史を、都営交通100年の歩みを軸に振り返るとともに、安全で便利な都営交通を「変化と対応」を切り口に紹介。
なお展示物の一例として、旧東京市電ヨヘロ(現在、函館市交通局で除雪車輌として稼働中)が、この特別展で里帰りする。
■開催期間
2011(平成23)年6月21日(火)~8月28日(日)
※月曜休館 ただし8月15日(月)は開館
■開催場所
江戸東京博物館1階企画展示室
■主催
公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、読売新聞社、東京都交通局

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▲ヨヘロ形から"ササラ"電車への変転。(東京都交通局プレスリリースより)

このほかにもさまざまな記念事業が企画されています。
「myつりかわ展」の開催
■概要
東京藝術大学と連携・協力し、平成21年度から始まった「藝大デザインプロジェクト」により誕生した「myつりかわ展」。
地下鉄やバスなどの車内で、何げなく目にする「つり革」を素材に、自由な発想で、個性的なつり革を提案してもらうユニークな企画を実施する。
入賞作品はモックアップ(模型)を制作し、「東京の交通100年博」会場に展示する。
(くわしくは→こちら)
「100周年記念WEBサイト」の開設
■開設日時
2011(平成23)年1月5日(水) 15:00
■主要コンテンツ
「都営交通の歴史とあなたのあゆみ」というタイトルで、生まれた年にどんな出来事があったのかを紹介。また、各記念事業の情報を適宜発信。twitter(ツイッター)でもサイトを盛り上げていく。ほかに100周年記念動画や、壁紙も順次用意。
「100周年記念出版物」の発行
■発行予定
1.都営交通100年のあゆみ
都営交通の100年の歴史を、写真中心にわかり易く紹介する年史
2.都電写真集
東京市電から、都電黄金期、都電荒川線まで、100年を振り返る写真集
3.映像で振り返る100年(DVD)
都営交通100年の歴史を貴重な映像資料や新規撮影映像で紹介する映像版年史
※販売価格は、いずれも未定
※上記名称は、いずれも仮称
■発行時期
2011(平成23)年6月(予定)

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▲『京阪電車 車両の100年』制作メンバーが振り返るその舞台裏。写真はカラー写真がなかった頃の写真からどのように色彩情報を再現するかについてのディスカッション。活字にはできない秘話の数々はお楽しみいただけたのでは...。'10.12.18 P:寺田裕一
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先日ご案内しましたように(アーカイブ「アートエリアB1で"鉄道芸術祭 vol.0"開催中」参照)、京阪電車中之島線「なにわ橋駅」の地下1階コンコースに設けられた「アートエリアB1」で、一昨日土曜日、トークショー「『京阪電車 車両の100年』の制作陣が語る、舞台裏から見た"鉄道趣味"の楽しみ」が開催され、私もコーディネーター兼MCとして出演させていただきました。

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▲アートエリアB1で開催されている「鉄道芸術祭vol.0」(25日まで)会場。天井から下げられたタペストリーには京阪ほぼ全駅の昭和時代の懐かしい写真が掲げられている。'10.12.18 P:名取紀之
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▲壁面いっぱいに展開する吉田初三郎が描いた鳥瞰図(左)と、片野正巳さんの「京阪電車 車両の100年」の1/50イラストの数々。'10.12.18 P:名取紀之
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京阪電気鉄道百周年記念出版『京阪電車 車両の100年』(発行:京阪電気鉄道/発売:ネコ・パブリッシング)は、定評ある片野正巳さんの細密イラストで京阪の歴史を振り返ろうという類例のないオフィシャル本ですが、この発案者が京阪電気鉄道経営統括室部長で百周年担当の藤原 進さんです。今回のトークショーは藤原さんと、編集の実務を担当されたレールロードの髙間恒雄さんに完成までの舞台裏を熱く語っていただこうというもので、上梓から一年を経ずして早くもこういった企画が実現しようとは私自身も思ってもいませんでした。

101220n007.jpg藤原さんは実は子どもの頃からの熱心なファンで、ことにC62形の模型・資料のコレクターとしては広く知られており、ちょうど一年前のRMモデルズ誌上ではご自宅のコレクション・ルームを発表されておられます。そんな藤原さんが経営統括室部長という重責にありながら記念すべき百周年をハンドリングすることになって最初に思い描いたのは1972(昭和47)年の「鉄道百年」だったそうです。旧国鉄が国家的規模で繰り広げた「鉄道百年」。それを京阪に置き換えてみれば何ができるのか...3年前、京阪百周年はそんな藤原さんの思いを背景にスタートを切ったのです。
▲パネラーの皆さん。右から100周年事業の中核を担っている京阪電気鉄道経営統括室部長の藤原 進さん、編集実務を担当されたレールロードの高間恒雄さん、そして私。'10.12.18 P:寺田裕一
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片野正巳さんのペン画時代の名作『陸蒸気からひかりまで』や『私鉄電車プロファイル』(ともに機芸出版社刊)を擦り切れるまで見て育った藤原さんにとって、片野さんのイラストで自社の百周年を飾ることは長年の夢でもあったと言います。ところが、いざ作業が始まってみると、旧在籍車輌の細部や塗色などわからないことだらけ。車両部をはじめ、OBや、周辺のベテラン・ファンまで動員しての検証は、壮絶という言葉が当てはまるほどたいへんなものでした。当然、私もその渦中にいたわけですが、いまさらながらこうやって当時を振り返ってみると、すでに何年も前のことであったかのように思われてなりません。

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▲会場内のショーケースには片野さんの著作の数々とともに、『京阪電車 車両の100年』が完成するまでの生々しいゲラ(校正紙)や、『私鉄電車プロファイル』時代のペン画(カラーコピー)の数々も展示されている。'10.12.18 P:名取紀之
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百周年を彩ったイベントのひとつに「京阪ミュージアムトレイン」(→こちら)があります。実はこのミュージアムトレイン、その"原点"は「ポンパ号」にあったそうで、藤原さんは小学生の時に大阪駅の展示を見に行った際にもらったという下敷きとパンフレットを大切そうに取り出して、「京阪ミュージアムトレイン」完成までの秘話をお話くださいました。

今回はそのメーキング画像の一部をお借りしましたので、ここでご紹介いたしましょう。すでに撤収を終えて静かに最期の刻を待っていると聞く旧ミュージアムトレイン編成...ひと夏の思い出をたくさんの子どもたちに残し、きっといつの日か、あの「ポンパ号」のように思い出されてゆくに違いありません

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▲"種車"選びの下見段階での2600系5連(2602+2702+2802+2712+2812)。運用離脱してからかなり時間がたっており、外装が痛んできている。P:京阪電気鉄道
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▲塗装の剥離作業を開始。同時に内装の改造作業にも着手した。P:京阪電気鉄道
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▲展示物の動揺実験用のモックアップ(左)。模型をはじめとした展示物が走行中倒れないかを実際に確認する必要があった。右はいよいよ本格的内装工事に入った車内。P:京阪電気鉄道
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▲いよいよ塗装工程に入ったミュージアムトレイン。P:京阪電気鉄道
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▲レタリング等の工程に入る前に試運転が行われた。偶然目撃した方には衝撃だったはず。P:京阪電気鉄道
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▲そしていよいよ運行開始。小倉沙耶さんがヘッドマークを取り付けて2カ月半にわたるプログラムがスタートした。ちなみに、出発セレモニーのホームの関係で、この時だけ100周年の記念ヘッドマークとミュージアムトレインのヘッドマークが左右逆に取り付けられた。P:京阪電気鉄道
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▲アートエリアB1の「鉄道芸術祭 vol.0」の会期は今週土曜日まで。貴重な歴史的動画も上映されている。どうかお見逃しなく...。アートエリアB1提供
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▲皇大神宮の門前に位置した神都線内宮前停留場。木製の柵は正月輸送のために用意されたもので、この路線の正確を物語っている。'61.1 P:中野本一 (RMライブラリー『三重交通神都線の電車』より)
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三重交通神都線をご存知でしょうか。この「神都」とは「神宮」のある街、すなわち伊勢・宇治山田を指します。毎号ご好評いただいておりますRMライブラリー、今月はこの三重交通神都線の電車をお届けします。

101217n137s.jpg現在も神宮への参拝者が絶えることの無い伊勢市(旧宇治山田市)ですが、ここに国鉄参宮線が開通したのは明治30年のこと。その6年後の明治36年には宮川電気により国鉄山田駅(現在の伊勢市駅)近くの本町と二見を結ぶ路面電車が開通しました。この路面電車はその後、延伸を繰り返し、大正3年には内宮までの路線も開業、小さな三角形から3本の枝が伸びるような形態の全線14kmが完成しました。これにより、伊勢を訪れた人は、まず山田駅近くの外宮(豊受大神宮)に参拝してから、路面電車で内宮(皇大神宮)へ、そして夫婦岩で知られる景勝地・二見浦を巡るという、路面電車による周遊コースが完成したのです。

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▲戦後の神都線の主力であったモ511形は計18輌が製造された。晩年は10輌に連結器が取り付けられモ580形に改番されていた。 (RMライブラリー『三重交通神都線の電車』より)
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宮川電気というこの路面電車を運営する会社は、その後、伊勢電気鉄道、三重合同電気、合同電気、東邦電力と変化し、昭和14年にはバス事業者と合併して神都交通という社名になりました。しかし、第二次大戦中には他地域と同様、半ば強制的な事業者の統合が図られることになり、昭和19年2月、神都交通を母体に三重県内の鉄軌道・乗合自動車事業者7社を統合した三重交通が誕生します。この時、鉄軌道各線は旧社名を路線名として、志摩電気鉄道=志摩線、北勢電気鉄道=北勢線、三重鉄道=三重線(=内部・八王子・湯ノ山線)、松阪電気鉄道=松阪線、そして神都交通=神都線になりました。これら鉄軌道線の多くは後に近鉄に引き継がれますが、松阪線と神都線だけは、近鉄の路線になることなくバス転換が図られました。神都線のバス転換は1961(昭和36)年1月、ちょうど今から50年前のことです。

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▲路線の性格上、修学旅行などの団体客輸送も多かった神都線。昭和30年にはモ511形を2輌固定編成に改造したモ500形が誕生。日本車輌の協力により、従来の直接式の制御器を改造して床下に吊り下げ、総括制御を可能にするというものであった。 (RMライブラリー『三重交通神都線の電車』より)
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▲「有蓋」とは言え側面には腰板すらないこの電動貨車は1908年シーメンス製の輸入車。一時は散水車として使用されたが、晩年は水槽は取り外され、保線用として使用されていた。 (RMライブラリー『三重交通神都線の電車』より)
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本書は三重交通に勤められ神都線に乗務された中野本一さんが、戦後の神都線の車輌についてまとめたもので、多くの写真・資料とともに、実際に乗務された経験、そして手許のメモから、神都線の電車たちを回顧されています。公文書にはないリアルな記録に基づいた在籍車輌の動向調査は、あらためて鉄道趣味の原点を垣間見る思いがいたします。昭和30年代も半ばに廃止されたためか、これまで詳述されることの少なかった神都線の電車についてまとめた本書、是非お手にとってご覧下さい。

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▲秋山トンネル内に鎮座する3ブーム2パケットドリルジャンボ。この機械は、発破やロックボルト打設などに用いられるもの。発破からボルト打ち込みまでの1サイクルは約5時間かかり、一日あたりで約4.8mトンネルが延伸する計算となる。'10.12.13 P:RM(小野雄一郎)
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次世代の車輌走行技術として研究・開発が進められている「超伝導リニア」の実験線として1997(平成9)年4月より走行試験が行われている山梨リニア実験線ですが、実用技術評価委員会の「実用化の基盤技術が確立した」との評価(2005年3月)等を受けて、2013(平成25)年度末完成を目標に同線の設備更新・延伸工事が進められています。このたび、その工事の模様が報道公開されましたのでお伝えいたしましょう。

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▲山梨リニア実験線の平面図と、延伸区間で工事されるトンネルの名称・全長の一覧。ほとんどの区間がトンネル(青線・赤線部分)であることが分かる。 資料提供:東海旅客鉄道株式会社

現在すでに完成している山梨リニア実験線の概要を改めてまとめますと、中央本線大月駅の南側に位置する総延長18.4kmの実験線(通称「先行区間」)であり、試験車輌MLX01-901Aが各種試験に供されています。ほとんどがトンネルに覆われていますが、富士急行線とクロスする部分などでは地上区間(いわゆる「明かり区間」)を走行し、スケールの大きな橋梁等を見ることができます。また、山梨県立リニア見学センターや展望台も設けられており、訪れた方も多いかもしれません。
さて、この度の設備更新・延伸工事は主に以下の2点から成り立っています。
(1)設備更新工事
「先行区間」の地上コイル・電気設備等の実用レベル設備への更新。
(2)延伸工事
先行区間の東側7.8kmおよび西側16.6kmを延伸し、全長42.8kmの実験線とする。

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▲山梨リニア見学センター展望台付近より、建設中の「南線」用変電所(写真右側の建物)と実験センター増築工事現場(写真左側のブルーシート部分)を見る。なお、左側に見える橋梁が山梨リニア実験線、中央の白い建物が「北線」用の変電所。今後は「南線」をメインにして各種実験が行われる予定。'10.12.13 P:RM(小野雄一郎)
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まず、設備更新工事に関する大きな外観上の変化は、実験センター付近での変電所の新設、およびセンターの増築等が挙げられます。複線となっている実験線はそれぞれ「北線」「南線」と呼ばれていますが、給電能力を強化して新設される変電所は南線用として用いられるとのことです。

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▲建設中のタナ沢高架橋橋脚を上空から見る。現在は基礎工事中で、この上に鉄筋・コンクリートが組み込まれて橋脚が出来上がる。'10.12.13 P:RM(小野雄一郎)
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101216n005.jpg次に延伸工事ですが、最終的にはトンネル区間10箇所(計19.1km)、明かり区間10区間(5.3km)の合計24.4kmが新たに建設される予定です。11月24日時点での工事進捗状況は、トンネルは7箇所の掘削がすでに行われ、その距離は10.4km、約54%の掘削がすでに行われています。また、明かり区間5.3kmは全ての区間で着工され、橋脚が立ち上がりつつあります。

→すでに貫通した第一大ノ入トンネル上空からタナ沢高架橋・大ノ入川橋梁工事現場を見る。奥に見えるのが秋山トンネル入り口で、この距離約280m。なお、この写真の方角は、西向き(甲府方)である。'10.12.13 P:RM(小野雄一郎)
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▲報道陣に公開された掘削中の秋山トンネル(3805m)。延伸工事でのトンネル掘削には「山岳工法(New Austrian Tunneling Method、NATM)」という、掘削した後に吹付けコンクリートとロックボルトで地山を安定させつつ掘り進む工法が採用されている。'10.12.13 P:RM(小野雄一郎)
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「営業線に必要となる技術が網羅的、体系的に整備され、今後詳細な営業線仕様及び技術基準等の策定を具体的に進めることが可能となった」と実用技術評価委員会が評価を行いました(2009年7月)が、昼夜を問わずに進められている工事が完成し、各種試験がさらに重ねられれば、時速500km以上で走行する超伝導リニアに私たちが乗車できる日もいよいよ近くなってきたといえましょう。

(取材協力:東海旅客鉄道株式会社)

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E5系量産車が完成。

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▲報道公開されたE5系量産車。15mにもおよぶロングノーズがこれから東北新幹線を代表する顔となってゆく。'10.12.14 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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来年3月5日(土曜日)の運転開始に合わせて製作が進められていた「はやぶさ」用E5量産車の第一編成(U2編成)が完成、昨日、仙台市にある新幹線総合車両センターで報道公開が行われました。

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▲ついに実装されたグランクラス。定員わずか18名という特別な空間。'10.12.14 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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昨年6月に量産先行車S11(U1)編成が公開されていますが(アーカイブ「E5量産試作車を公開」参照)、今回の量産車は先日その詳細が発表されたグランクラス(アーカイブ「ベールを脱いだE5系"グランクラス"」参照)をはじめ、インテリアがまったく異なるイメージとなったことが特筆されます。これはグランクラスの導入にあわせ、グリーン車、普通車の客室およびデッキのデザインを統一したコンセプトのものとコーディネートしたもので、シートそのものもより改良が加えられたものとなっています。

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▲グリーン車(上)と普通車(下)。ともにシート色は量産試作車のエンジ系、赤系からベージュ系、グレー系へと変更されているのがわかる。'10.12.14 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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先頭車には鳥類のハヤブサをモチーフとし、先進性、スピード感を表現したシンボルマークが付けられたほか、10号車(新青森方先頭車)の外部と客室ドアにはグランクラスを示すマークが表示されています。

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▲ハヤブサをモチーフとしたシンボルマーク(左)。愛称名表示には「はやぶさ 新青森」の文字が見られる(右)。'10.12.14 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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▲"G"をモディファイしたグランクラスのロゴ(左)。最上級車輌が提供する5つの"快適"が一人のお客様を包むイメージを六角形で図案化している。右は台車フルカバー部の編成番号標記。'10.12.14 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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このほか、女性専用トイレと洗面所が1・3・7号車に設置されるなど、女性のためのサニタリー空間の充実も図られています。また、客室とトイレ内には乗務員と通話が可能な非常通話装置を設置し、さらに客室とデッキには防犯カメラを設置するなどセキュリティの向上にも配慮された量産車となっています。

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▲モニタ類が並ぶ未来的デザインの運転台。編成番号標記も見える。'10.12.14 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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性能的にもすでに発表されているように、車体傾斜装置とフルアクティブサスペンションを採用して乗り心地を改善するとともに、新ブレーキシステムの採用によって320㎞/hの最高速からE2系(275㎞/h)並みの距離で停止することが可能となっています。走行中の騒音も、15mにもおよぶロングノーズをはじめ、全周ホロ、台車フルカバー、吸音材パネルの採用などによって低減が図られています。

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▲新青森方先頭車10号車。ドア横にグランクラスのロゴが見える。'10.12.14 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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今後、このE5系量産車は続々と増備が続き、320㎞/h運転が開始される2012年度末までには合計24編成が誕生する予定です。なお、量産試作車も試験終了後は量産車との共通化が図られます。

※E5系量産車公式試運転の様子は→こちら

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▲クラスニー・バルチェッツ駅でのЛ2344の機回し。正面から見るとそのボイラー中心高の高さが際立つ。'10.11.21 P:渡辺康正
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13:30過ぎ、汽笛を合図に出発だ。逆機のЛ2344に牽かれて滑り出した列車はスムースにスピードを上げ、Электричка(エレクトリーチカ=近郊電車)の線路を走って行く。車内では蒸機の写真集やDVDの販売、ガイドさんのアコーディオンに合わせたカチューシャの合唱などが繰り広げられ、20分弱でモスクワ北西郊外のエレクトリーチカの駅、КРАСНЫЙ БАЛТИЕЦ(クラスニー・バルチェッツ)に到着した。

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▲盛大な蒸気に包まれてクラスニー・バルチェッツ駅のホームに停車中のЛ2344。'10.11.21 P:渡辺康正
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▲寒々とした構内ではDLが入換え中(左)。奥に信号塔が見える。右はその信号塔。煉瓦造りの立派な建築物だ。'10.11.21 P:渡辺康正
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乗客は一旦降りて、引き上げて行く列車を見送った後、ガイドに導かれ長い跨線橋を渡って操車場の一角に向かう。古い信号塔、ラウンドハウス、転車台、そしてこの駅の関係者だろうか、第二次世界大戦で亡くなった方々の慰霊碑など、ロシアの蒸機遺構(いや、まだ現役か?)を見学する趣向だ。テンダーに石炭が積まれているところを見ると動態かもしれないが、ラウンドハウス前に止まっている蒸機ЭР774-38には、かつて長い間、国府津の扇形庫にD52が1輌残っていた光景を思い出す。転車台での方向転換こそないが、構内で転線を重ねた列車は一行の近くに停車し、今度は機回しが始まる。機関車とともにぞろぞろと移動して給水や連結に見入るギャラリーの姿は洋の東西を問わず共通だ。

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▲クラスニー・バルチェッツの転車台と扇形庫。庫外には廃車なのか休車なのか1輌の蒸機が...。'10.11.21 P:渡辺康正
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帰りの列車にはホームではなく操車場から直接に乗り込んで、14:50過ぎ、再び汽笛を合図に出発した。途中、エレクトリーチカを先行させるための長時間の信号待ちの後、写真集とDVDの販売やオークション、さらにはчай(チャイ=紅茶)の車内販売もあり、ガイドに乗せられて日本でも人気の「チェブラーシカ」の歌を合唱などするうち、20分弱でリガ駅の列車ホームに戻った。空になった客車は待機していたディーゼル機が早々と回送してしまうが、Л2344は単機回送前の点検のためまだしばらくホームにとどまっている。その間、またしばしの撮影が可能なだけでなく、希望者には有火のキャブを見学させてくれ機関士さんが解説までしてくれる。一見厳しそうな国のこんなおおらかさも、保存蒸機ならではなのだろう。

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▲折り返し運転に備えて給水が行われる(左)。なんとキャブ内の見学も可能(右)だった。'10.11.21 P:渡辺康正
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モスクワのРЖД/МЖДの長距離ターミナル駅群は、東京で言えば東京、上野、新宿などの山の手線上のターミナルのように市の中心部を取り囲んで配置されている。そんなターミナルの一つを基点に定期的に走る蒸機列車は、都会で短時間のものとはいえ、初積雪ともあいまって予想よりはるかに印象深いものとなった。ロシアはこれから冬本番を迎えるが、1月、2月にはモスクワ市の外環を走るさらに長時間の蒸機列車も企画されている。厳寒の異国の街で蒸機がどんな姿を見せてくれるのか、心待ちにしている。

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▲折り返し列車の組成のため客車に連結するЛ2344。多くの参加者が見守っている。右はクラスニー・バルチェッツの構内で見かけた不思議な保線(?)車輌。'10.11.21 P:渡辺康正
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■鉄道技術歴史博物館
・開館:10時~16時(水曜~日曜日)
・メトロ6号線(オレンジ線:Калужско-Рижская Линия=カルーシスコ・リジスカヤ線)、Рижская(リジスカヤ)下車。目の前のリガ駅構内。
(リガ駅本屋に沿って右手に歩いて行き、本屋と手荷物扱所の間を入った右手が入場券売り場と入口。なお博物館入口と反対側、つまり左手には、本屋の端に設けられたカフェ、鉄道模型の売店、鉄道模型レイアウトなどで最近の鉄道を紹介する展示室への入口がある。しかし、これらは博物館とは別施設扱いで、展示室を見るには別途入場料が必要である。)

■鉄道技術歴史博物館とツアーの料金は?
猛暑で誰もいない鉄道技術歴史博物館が入場、撮影自由だったのは例外として、今回は...
・鉄道技術歴史博物館=大人(外国人):150ルーブル(約400円)/子ども:無料/写真撮影:200ルーブル(約540円)
・蒸機列車ツアー=1人700ルーブル(約1900円)
だった。
(事前に、市内の旅行会社で予約。インターネットでも予約可のようである。また、当日券も博物館の切符売り場の横で売っているようだが未確認。蒸機列車は主催するオルフェイ社のインターネット・サイトhttp://orfey.net/のТуры на ретро-поезде=レトロ列車のツアーの項目に掲載されている。なお、博物館の入場券売り場には、エクスカーションは、大人1000ルーブル(約2700円)、子ども・年金生活者700ルーブル(約1900円)、何と、外国人3200ルーブル(約8700円!)とも掲示されている。蒸機列車に本当に1万円近い外国人料金が課されるのか、あえて聞かなかったが、未だに謎である。)

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▲再びリガ駅へと戻ってきた列車。すでに辺りは薄暗くなりつつある。'10.11.21 P:渡辺康正
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渡辺康正さん、ありがとうございました。写真を拝見していて、共産圏の蒸機写真集のパイオニア的存在でもあった『Steam Beneath The Red Star』(赤い星の下の蒸気機関車/Ron Ziel)を思い出していました。ふた昔前、ソビエト連邦時代のモスクワでこんな保存蒸機のエクスカーション、しかも撮影ができるなどと誰が想像したでしょうか...。

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▲厳しい冬の訪れを告げるモスクワの初雪。リガ駅ホームでЛ2344の牽く列車が発車の時を待つ。'10.11.21 P:渡辺康正
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かつてこの「編集長敬白」にも情報をいただき(アーカイブ「東京ステーションホテル"バー・カメリア"のこと」参照)、本誌でも「巡礼道 ~秩父鉄道三輪構外側線~」('06.8月号 №275)などを発表いただいた渡辺康正さんからひさしぶりにお便りをいただきました。しかも見慣れぬキリル文字のパッケージの国際宅配便はなんとロシアはモスクワからのもの。しばらくご無沙汰の間に、渡辺さんはお仕事でモスクワに転居されていたのです。ではさっそく渡辺さんのモスクワ・レポートをご紹介いたしましょう。

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▲さながら宮殿のようなリガ駅正面。今回の保存蒸機列車はこのリガ駅から発車する。'10.11.21 P:渡辺康正
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「編集長敬白」を毎回楽しみに拝見しております。以前、「今日の一枚」にも投稿させて頂きましたが、私こと、7月より仕事の関係でモスクワに赴任しております。郵便事情の悪さなどもあって、『レイル・マガジン』や『国鉄時代』の購読を後ろ髪を引かれる思いであきらめ、もっぱら当地では「編集長敬白」や鉄道ホビダスのページを、また出張などで帰国した際には誌面を拝見することを楽しみにしております。
さて、11月21日に、モスクワ・リガ駅の鉄道技術歴史博物館から運転されるЛ2344牽引の保存蒸機列車に乗ってまいりりました。当地では、ちょうど初積雪で、白煙に包まれた久しぶりの蒸機に興味深いひと時を過ごすことができました。しかし、何分、当地の鉄道事情には詳しくないため、また、当地の治安事情を考えカメラも一台でワイドから超望遠までをカバーするFinepix HS10だけを持ってきたため物足りないところもあるかと存じますがご笑覧いただければ幸いに存じます。

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▲コンプレッサーからの排気を全身に纏わりつかせて入線してきたЛ2344。'10.11.21 P:渡辺康正
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ロシア・モスクワ、リガ駅。気温氷点下1℃。初めて経験する積雪の中、蒸機が近づいてくる。響き渡る汽笛、煙の匂い・・・。これは夢ではない。鉄道趣味を半ばあきらめた国での思いがけない現実の光景だ。ロシアと言えば、誰もがシベリア鉄道を思い浮かべるだろうし、首都モスクワは大深度と美しい装飾が施された駅で有名なメトロのネットワークで知られている。しかし、ソ連崩壊から20年近くを経たとはいえ、言葉の壁もあって情報に乏しく、軍事、治安上重要な施設の写真撮影に厳しいこの国は鉄道趣味にあまりやさしそうには思えない。数年間は鉄道趣味をお休みする覚悟でモスクワに赴任した。
それでもあきらめ切れずに英文で「モスクワ」、「鉄道」、「博物館」と入力しネットを検索すると、モスクワの長距離列車ターミナルの一つのリガ駅に隣接して、国営会社のロシア鉄道モスクワ鉄道(РЖД/МЖД:Российские Железные Дороги/ Московская Железная Дорога)が運営する「鉄道技術歴史博物館(Музей Истории Железнодорожной Техники、入場券や英語ではМузей Железнодорожного Транспорта=Museum of Railway Transport=鉄道運輸博物館となっているが)」があるという。英文のブログやホテルで貰った観光案内によれば、蒸気機関車牽引列車によるエクスカーションまであるらしい。これは放っておけない!と梅小路を想像しながら、8月の猛暑とスモッグの中を出かけたが完敗だった。門は開いているものの入場券売り場は閉まっており、構内には活きた蒸機の姿どころか人っ子一人いない。どうしたものかと躊躇しながら尋ねると、警備員が長電話の傍ら物憂げに、ただで入っていい、写真撮影もいい、と手振りしてくれた。40℃近い炎天下、渇きと戦いながら屋外に展示された60輌ほどの車輌をそそくさと見て回った。

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▲小雪の舞うなか、出発前の点検が続く。'10.11.21 リガ駅 P:渡辺康正
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▲キャブに大書されたЛ2344のナンバー(左)。右はいかにも共産圏らしい製製造銘板で、コロメンスキー工場1954(昭和29)年製、製番10130が読み取れる。'10.11.21 P:渡辺康正
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予約していた11月21日は、朝から雪。今年初めての積雪だった。蒸機にはうってつけの天気だが、果たしてこんな日に乗客が集まるのか、本当に走るのか。夏のことを思い出しながら半信半疑で博物館に出かけると、団体と個人を合わせて100人弱の人々が集まっていた。すぐ隣のリガ駅の長距離ホームには緑色の客車が2輌据え付けてあるが、機関車はまだいない。ということは、蒸機の入線から楽しめる!と天気とは裏腹に気分が盛り上がってきた。  
やがて、どこからか汽笛が聞こえ煙の匂いがしたような気がしてホームに出る。鉄道の撮影は大丈夫か?一瞬、不安が頭をよぎるが、まわりのロシア人の様子を見て思い切ってカメラを構える。言い訳できるように子どもを入れた記念写真も撮る。白い雪と蒸気の中から1954年製のЛ2344がゆっくり姿を現し、客車に連結する。

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▲入線してきたЛ2344の前で記念撮影。写っているのは渡辺さんのお子さんだが、この記念撮影には周囲の目を"牽制"する意味もある。右は鉄道運輸博物館入口の様子。'10.11.21 P:渡辺康正
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Л(L)形蒸機は軸配置2-10-0(1E)で、横から見るとボイラと台枠の間が大きく開き小さな動輪が5個並んだいかにも貨物機という印象を受ける機関車だ。しかし、これで動輪径は1500mmもあり、長さ23.7m、重量102.1tである。日本のマンモス貨物機D52が軸配置2-8-2(1D1)、動輪径1400mmで全長21メートル余、整備重量が85.13tであるのに比べれば、その大きさが計り知れよう。また、П(P)形蒸機の系列にありながら、Л形という形式名を持つのは、この形式の設計が優秀だったため例外的に設計者Лебедянский(Lebedyanskiy)の頭文字にちなんで命名したからだそうだ。1952年から1955年にかけてモスクワ南部のコロメンスキー工場などで総計約4000輌が製造され、現役としては1980年代まで活躍、晩年は旅客用にも使われていたという。

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▲鉄道運輸博物館の見学ツアー。解説している学芸員(?)はテレビでよく見かけるロシアの偉いさんにどこか似ている。'10.11.21 P:渡辺康正
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出発準備の間、ロシア人の乗客も寄ってきての撮影・見学タイムとなる。Л2344はボイラー前、進行方向左下に空気圧縮機が設置されており、運転の邪魔にならないようにだろうか、排蒸気を横に流す構造になっているので、停車していてももうもうと蒸気が立ち込め、撮影しにくいことこの上ない。しかし、久しぶりの蒸機にはこれもまた一興。クラシックなリガ駅、雪、白煙につつまれた蒸機。想像すらしなかった光景に寒さも忘れてしまう。

101213n100.jpgひとしきりシャッターを切ってから、しばし、РЖД職員のガイドによる博物館の展示車輌ツアーに追いついて歩く。やがて、駅のホームからの汽笛に促され、博物館からの人の流れとともに客車に乗り込む。車内は流石に暖房が効いていて暖かいが、車内灯が点灯していないところなどはいかにもロシア?らしい。椅子もリクライニングはするものの、通路を挟んで前後逆を向いていて、回転させて4人向かい合わせにはできなさそうだ。それでも蒸機列車のイラストが入った路線図が掲げられていたり、モノクロの鉄道写真が展示してあったりする。どうもこの2輌は専らレトロ列車用らしい。

▲鉄道運輸博物館では英文のガイドブックも販売されていた。(実物はカラー)
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▲Л2344が牽く客車の車内。通路を挟んでシートの向きが逆なのが面白い。'10.11.21 P:渡辺康正
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13:30過ぎ、汽笛を合図に出発だ。逆機のЛ2344に牽かれて滑り出した列車はスムースにスピードを上げ、Электричка(エレクトリーチカ=近郊電車)の線路を走って行く。車内では蒸機の写真集やDVDの販売、ガイドさんのアコーディオンに合わせたカチューシャの合唱などが繰り広げられ、20分弱でモスクワ北西郊外のエレクトリーチカの駅、КРАСНЫЙ БАЛТИЕЦ(クラスニー・バルチェッツ)に到着した。

(つづく)

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▲客車内に掲出されていた写真(左)と路線図(右)。'10.11.21 P:渡辺康正
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■ロシアでどこまで鉄道撮影は可能か?
ロシアで鉄道趣味というと、誰もが気になる点は「どこまで写真撮影ができるか」ではないだろうか。日本のガイドブックには、「メトロの駅で写真を撮っている観光客も見かけるが、基本的にはメトロ駅構内での写真撮影は禁止」と書いてあるものもある。他方、筆者が赴任に際して入手した「赴任者の手引き」では「モスクワの地下鉄構内の個人目的の写真撮影は禁止されていません、許可も要りません。鉄道、空港などでは安全上の理由で禁止されています...」とされている。
筆者が見る限りは、美しい装飾がなされたメトロの構内は今や観光ツアーのルートともなっていて、装飾を撮影する観光客や集合写真を撮影するグループを警備の警官が見守っているのが日常であり、写真撮影はあまり問題なさそうである。他方、普通の鉄道については未知数である。たとえば、鉄道の撮影は禁止だが、駅での旅行者の記念撮影は黙認という話を聞いたことがある。鉄道技術歴史博物館では入場料とは別に「撮影料」が設定されており、つまり、料金さえ支払えば博物館内は撮影は公認である。今回のツアーについても、博物館の英文ガイド(つまり、外国人向け)に"Don't forget to take the cameras."とまで書かれており、ロシア人も盛んにシャッターを切っていて、鉄道職員やツアーガイドも何も言わないので、駅、本線上、更に操車場や車輌基地の構内でも撮影に問題なし(黙認?)といえる。しかし、地下鉄や鉄道などへのテロの警戒が厳しい国である。たとえば、一般の列車を一人あるいは少人数で撮影しようとしている、あるいは撮影のため鉄道施設周辺で長時間待っているところに警察官が通りがかったらどういう反応を示すかなどは未知数である。
リスク回避という点からは、「周囲のロシア人と同程度に行動する」が一つのメルクマールだろうし、とにかく先手を打って"Можнo фотографирoвaть?"(モージナ・ファタグラフィーラバチ?=写真をとってもいいですか)と聞いておくに越した事はない。言葉は通じなくとも、相手の身振り、手振りや表情で状況を察することは可能だろう。それでも、時には、ささいなことでいろいろ言いがかりをつけて逮捕をちらつかせ、わいろを要求する警察官もいると聞く(筆者は幸いにしてそういう官憲に出会ったことはないが)。また、すりやひったくりが多いといわれる街中でも鉄道駅周辺は特に治安が良くないとも聞く。こうした中で高価な機材を手に写真撮影に集中することのリスクを十分に意識して各人が自制して行動することが必要であろう。

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C61 20 いよいよ動態復活へ。

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▲クレーンで吊り上げられたボイラが慎重に主台枠へと下ろされる。すでに灰箱は取り付けられている。'10.12.10 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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蒸機ファン期待のC61 20号機の修復作業がいよいよ山場を迎えています。本日午前、JR東日本の大宮総合車両センターでその見せ場のひとつとも言えるボイラ載せの作業が報道公開されました。

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▲ボイラ載せを待つ主台枠。手前には車入れを待つ先輪と動輪が見える。ちなみにC60 9から流用されていた丸穴ウエップ付の第2先輪は一般的なプレート車輪に代えられている。'10.12.10 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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静態保存されていた伊勢崎市の華蔵寺公園遊園地から同機が搬出されたのは今年1月19日のこと(アーカイブ「C61 20号機を搬出」参照)。その後、走行部や炭水車は大宮車両センターで、ボイラ関係は大阪の専門メーカー「サッパボイラ」で修復作業が行われていました。いずれもかなり大掛かりな修繕となったようですが、本日、晴れてボイラと足まわりが再びドッキングされたわけです。

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▲外火室後板部を見る。C61形はストーカーを装備していたため焚口の位置が高い。水面計は新型の安全性の高いものに交換されているのがわかる。'10.12.10 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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▲モーション・プレート下から主台枠前位側を見る。'10.12.10 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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▲板金作業が終わって細部の調整が続くキャブ(左)と、組み付け前の灰箱。W型の灰箱は2軸従台車ゆえの形状。'10.12.10 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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大宮総合車両センター"車体C棟"には主台枠を挟むように左右にボイラと車輪が置かれ、天井クレーンによってボイラが慎重に吊り上げられて主台枠へと載せられました。この後ろにはひと足先に修復を終えて錆止めを塗布された運転席とテンダーが"順番"通りに並んでおり、ボイラ載せを終えたエンジン部と合わせて全貌を見渡すと、復活がいよいよ目前となってきたことを実感いたします。

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▲先台車(左)と従台車(右)。どちらもすでに整備を終えてスタンバイしている。'10.12.10 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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▲テンダも修復を終えて組み付けを待つばかり(左)。なお、テンダには重油タンクが埋め込まれる。右は車入れに備えて整列した先輪、動輪、従輪。'10.12.10 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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注目の復活デビューですが、本日時点ではまだ具体的な日取りは明らかにされておらず、「春以降の運用開始」とだけアナウンスされています。配置区所はすでに発表されているとおり高崎車両センター高崎支所。上越の山々が芽吹く頃、C62 3号機の休眠以来16年ぶりに、本線上を走るハドソンが帰ってきます。

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▲ボイラ載せが完了して次第に「C61」の形になってきたエンジン部。数か月後には待望の火入れが行われるはず。'10.12.10 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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■これまでにご紹介したC61 20号機関連記事
・祝! C61 20復活決定。→こちら
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▲なにわ橋駅が「コミュニケーション空間としての駅」となることを目指し、ゆったりとしたスペースにさまざまな展示が並ぶアートエリアB1。P:アートエリアB1提供
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2008(平成20)年10月19日(日)に開業した京阪電車中之島線「なにわ橋駅」の地下1階コンコースに、「アート」、「知」などをテーマにさまざまなプログラムを実施し、文化・芸術の創造と交流の場を目指す「アートエリアB1」があります。

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▲アートエリアB1のエントランス。ホーム階がB4で、アートエリアB1は改札階(B2)と地上との間に位置する。P:アートエリアB1提供
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101209logo.jpgその「アートエリアB1」が、鉄道×アート×知...駅・鉄道における新しい可能性を引き出すプログラムとして「鉄道芸術祭」(→詳しくはこちら)を計画、今年はそのキックオフイベントとして、「鉄道芸術祭 vol.0」と銘打って、京阪電車開業100 周年にちなんだ多彩なプログラムが組まれています。10月16日(土曜日)から始まったこの「鉄道芸術祭 vol.0」では、大正から昭和にかけて鳥瞰図絵師として活躍した吉田初三郎の初の鉄道図絵、『京阪電車御案内』(1913年)を筆頭に、京阪電鉄が所有する沿線図絵3点を広大な空間に掲示しているほか、京阪車輌の全歴史、また、昔の工事記録などの貴重な映像上映なども行われております。

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▲壁面を埋めた巨大な吉田初三郎の鳥瞰図 (パノラマ地図 )が見る者を圧倒する。P:アートエリアB1提供
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▲床面にもディスプレーされた鳥瞰図(左)と、壁面を埋め尽くした片野正巳さんの車輌細密イラスト(右)。P:アートエリアB1提供
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また、京阪電気鉄道百周年記念出版『京阪電車 車両の100年』(発行:京阪電気鉄道/発売:ネコ・パブリッシング)に掲載の、片野正巳さんの車輌細密イラスト約 300 点が巨大な壁面全面を埋め尽くして展示されています。もちろん入場は無料。通勤・通学の道すがら、はたまた出張・ご旅行の途中に立ち寄ってみられてはいかがでしょうか。
■会期:10/16(土)~12/25(土)12:00~19:00
※月曜(祝日の場合は翌日)休館
【入場料】無料

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▲会期は残すところ15日ほど。お見逃しなく...。P:アートエリアB1提供
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なお、来週土曜日(12月18日)には「『京阪電車 車両の100年』の制作陣が語る、舞台裏から見た"鉄道趣味"の楽しみ」 と題して会場でトークショーが開催され、私も出演いたします。
■日時:12/18(土)15:00~17:00
・定員:50名(無料/当日先着順)
・コーディネーター:名取紀之(月刊『Rail Magazine』編集長)
・パネラー:高間恒雄(レイルロード)、藤原 進(京阪電気鉄道(株)100周年記念担当)
このトークショーでは京阪電車の車輌の歴史を表象する片野正巳さんのイラスト『細密イラスト 京阪電車 車両の100年』の制作陣が、本書制作の裏話や片野さんのイラストについての思いを披露するとともに、情報やサービス供給側の舞台裏から見た"鉄道趣味"の幅広い楽しみ方について語り合います。お時間のある方はぜひお運びください。

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▲なにわ橋駅・アートエリアB1のロケーション。アートエリアB1提供
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甦った「豆相人車鉄道」。

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▲つい先日完成したばかりという復元人車。豆相人車鉄道にはいくつかの形態が存在したようだが、これは裾絞りのない上等車をプロトタイプとしたもの。当時を再現した社紋は人車の「人」を意匠化している。'10.12.5
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「小田原から先は例の人車鉄道」と国木田独歩が『湯河原より』に書き、芥川龍之介が『トロッコ』で「小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった」と記したのが、小田原~熱海間25.6㎞を結んでいた2ftゲージの豆相(ずそう)人車鉄道です。1895(明治28)年に開業、わが国最初の営業用人車鉄道でした。1905(明治38)年には熱海鉄道と改名、翌年には2ft6inに改軌のうえ蒸気動力に変更していますから、人車鉄道としては十年ほどの命だったことになります。

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▲小田原から熱海に至る沿線には「豆相人車鉄道歴史街道」と称していくつもの案内板が設置されている。左は真鶴駅前の「城口駅跡」、右は「根府川駅跡」を示す案内板。'10.12.5
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この豆相人車鉄道が近年にわかにクローズアップされてきています。小田原商工会議所などが中心となって「豆相人車鉄道 温泉夢物語」と題した立派なパンフレットを作成、軌道跡の随所に旧駅の位置等を示す案内板が設置されました。しかもそれぞれの案内板には人車鉄道時代の貴重な写真が嵌め込まれており、最近ではハイキングを兼ねてこのルートを辿る方も少なくないようです。

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▲妻面には上下2本のバーが取り付けられている。下段は押すための棒、上段は下り勾配時にステップに乗って掴まるための棒。右下にラチェット式の手ブレーキが見える。'10.12.5
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そのルート上、根府川駅跡にほど近い「離れのやど 星ケ山」(→こちら)に人車が復活したと聞いてさっそく訪ねてみることにしました。かつての豆相人車鉄道は、現在のJR根府川駅前から旧道を白糸川上流に向かって進み、山越えをして真鶴トンネルの上を乗り越してゆくという信じがたい険しいルートを走っていました。「離れのやど 星ケ山」はその白糸川上流に位置するログハウスを中心とした瀟酒な宿で、豆相人車鉄道ゆかりの地の宿泊施設としてその歴史を顕彰しようと人車の復元を計画したとのことです。

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▲「離れのやど 星ケ山」の入口に設けられた案内板(左)。宿泊せずともフロントで記帳すれば見学させていただける。右は「乗り場」に掲出された豆相人車鉄道に関する解説。'10.12.5
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▲車輪と軸受は埼玉県川口市にあるメーカーから購入したとのこと(左)。ただ、残念ながら軽レールは調達する術がなく、やむなく木材に鋼板を貼って代用している(右)。軌道延長は約20m。'10.12.5
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代表の内田昭光さんのお話によれば、人車は「上等車」をプロトタイプとし、写真から寸法を割り出して大工さんと一緒に手作りしたもので、つい先日、10月3日に"開業"したばかりだそうです。輪軸と軸受は川口市のメーカーから取り寄せたものの、軽レールは入手できず、やむなく木材に鋼板を打ち付けたものが用いられています。手作り...と謙遜される割りにはなかなかの力作で、狭い車内に乗り込むと、遙か100年以上前に消えていった豆相人車鉄道の賑わいが甦ってくるような気さえします。

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▲平成の「豆相人車鉄道」を押す手前から白土貞夫さん、湯口 徹さん、髙井薫平さん。わが国の軽便鉄道研究を代表する「軽便御三家」による夢の三重連が実現した。'10.12.5
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残念ながら今回は宿泊することはかないませんでしたが、機会があればぜひゆっくりとこの人車鉄道のある宿に泊まってみたいものです。ちなみに、豆相人車鉄道の復元車は湯河原の温泉街近くの和菓子処「味楽庵」にも展示されているそうで、いずれこちらも拝見したいものです。

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▲新たに上野~いわき間の特急に投入されるE657系のイメージ。 (JR東日本提供)
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本日、JR東日本から常磐線用の新型特急車輌E657系の概要が発表されました。現在E653系、651系が充当されている常磐線特急(「スーパーひたち」、「フレッシュひたち」)は再来年2012年秋には全車がこのE657系に置き換えられることになります。

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▲グリーン車(上)と普通車(下)の車内イメージ。 (JR東日本提供)
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発表によるとこのE657系は10輌編成(6M4T)となり、定員は600名(グリーン車30名、普通車570名)。営業最高速度は651系やE653系と同じく130km/hで、E653系と同様にアルミニウム合金製車体・VVVFインバータ制御方式。新造輌数は10輌編成×16本の160輌。快適な車内環境を提供するために走行中の振動を低減するフルアクティブサスペンションを先頭車とグリーン車に搭載するとともに車体間ダンパを全車に装備し、乗心地の向上が図られます。また、空気清浄機を設置するとともに空調を個別吹き出しとすることで、各座席で風向きと風量の調整ができるようになります。ビジネスユース等への対応として、各座席にパソコンを置けるテーブルとコンセントを設置し、WiMAXを用いたブロードバンド環境を構築し、車内でも快適にインターネットが利用できるようになります(投入開始時点での利用可能区間は上野~水戸間を予定。「UQ WiMAX」の地上設備が整い次第、順次使用範囲を拡大)。さらに、各客室とトイレ内に乗務員と連絡可能な非常通話装置を設置し、自動体外式除細動器(AED)も1編成に1台設置するなど、これまで以上に安心して利用できる車内設備が大きな特長となっています。

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▲2012年春以降の運行区間。 (JR東日本プレスリリースより)

このE657系は2012年春以降、常磐線の上野~いわき間で一部が営業を開始し、2012年秋には上野駅を発着する定期の特急列車は全てこのE657系に統一されることとなります。また、E657系の運用区間は上野~いわき間で、特急列車の輸送体系見直しにともない、いわき~仙台間は現行のE653系が新たな愛称名で充当されます。これによって、常磐線上野~仙台間を直通する特急列車はなくなりますが、いわき駅では同一ホームでの乗換えが可能となります。

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▲常磐線特急用車輌の概要。 (JR東日本プレスリリースより)
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※詳しくは→こちら (JR東日本プレスリリース=PDF)

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ひさしぶりの岳南鉄道。

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▲まさに霊峰、神々しいまでの姿で聳えたつ富士山をバックに上り電車が行く。宅地化が進んだこともあって、富士山と列車をツーショットで捉えられるポイントは意外と少ない。'10.12.4 ジヤトコ前-吉原
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先週末は古くからの仲間や先輩方と、忘年旅行を兼ねてひさしぶりに岳南鉄道を訪れました。12月とは思えないような温かさで風もなく、それにも関らず終日にわたって富士山がくっきりと望めるというまたとない一日でした。

101206n005.jpgご承知のように岳南鉄道は東海道本線の吉原と岳南江尾間9.2㎞を結ぶミニ私鉄で、現在でも貨物営業を続けている貴重な路線です。東海道本線の吉原駅ホームに降り立つと、下り方山側に「岳南鉄道吉原駅」と大書したホームが見えます。そしてこの両ホームを結んでいるのが、今となっては懐かしい昔ながらの跨線橋です。かつて、地方私鉄への乗り換えといえばこういった古レールを使った跨線橋がポピュラーでしたが、いつの間にか橋上駅化などが進んで、こんな伝統的な光景を目にできる機会も少なくなってしまいました。
▲東海道本線吉原駅から岳南鉄道ホームをのぞむ。昔ながらの連絡跨線橋が健在。進入してくるのは東海道本線上り1446M。'10.12.4 吉原
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▲比奈駅を発車するED403牽引の上り貨物704列車。構内左手には80歳を超えて今なお現役のED501の姿が見える。'10.12.4
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101206n021.jpg吉原駅の構内に目を転じると、ブルーに塗られたワム80000(380000)の列が...。本誌今月号でもご紹介している通り、この10月をもって隅田川~焼島(新潟)間の紙輸送列車が全面的にコンテナ化され、現在でも定期運用されている"ワムハチ"は、越谷~稲沢~(春日井)~梅田の行路に設定されている6列車のみとなってしまっています。岳南鉄道は吉原駅から比奈駅に隣接する日本大昭和板紙吉永工場までの貨物輸送を担っており、ここ吉原駅は"ワムハチ"が日常的に見られる貴重なスポットともなっているのです。
▲今や超貴重車種となってしまったワム80000が日常的に見られるのも岳南鉄道の魅力。'10.12.4
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▲老いてますます矍鑠、まさに走る鉄道遺産とも言えるED501。通常は本線列車牽引に充当されることはなく、比奈駅の入換用として常駐している。'10.12.4 比奈
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その比奈駅では齢82歳にもなるED501が元気に活躍を続けています。同機については小ブログでも5年ほど前に触れたことがありますが(アーカイブ「残された最後の"川造型"」参照)、ひさしぶりに見るその姿はさらに磨きが掛かった輝きを放っており、冬の陽を浴びて佇むその姿は、背景の富士山と合わせて神々しいほどでもありました。

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▲ながらく休車状態のまま岳南富士岡構内に留置されているED29 1。1928(昭和2)年製のもと豊川鉄道デキ52で、これまた貴重な私鉄買収電機の生き残りである。'10.12.4
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▲岳南富士岡の車庫で整備中のED40 2と7001。松本電鉄からやってきたED40形は2輌が在籍しており、塗色が異なる。'10.12.4 岳南富士岡
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残念ながらこの日の貨物列車は昼過ぎの吉原行き704列車が最後、以後は運休で、本線上を走る貨物列車の姿を捉えることはかないませんでした。現在、岳南鉄道に在籍している車輌は、もと京王電鉄3000系の8000系2輌1編成、7000系(単行)3輌、電気機関車4輌の総勢9輌で、旅客車と比較して機関車の在籍輌数が多いのが特筆されます。3年ほど前には富士市が市制40周年事業としてDMV(デュアル・モード・ビークル)の実験走行を行った(アーカイブ「"DMV"岳南鉄道をゆく」参照)ことも記憶に新しいところで、この小私鉄が今後どのような変貌を遂げてゆくのか注目されます。

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▲見事に晴れわたった師走の一日が終わろうとしている。夕闇迫る岳南鉄道吉原駅ホームのバックに聳える富士山が次第に赤富士へと変わろうとしている。'10.12.4 吉原
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ところで、岳南鉄道では来る12月18日(土曜日)に今年も恒例となった「電気機関車祭り」を開催されるそうです。ミステリー電車の運転や、ED40形を使った特別連結運転(下記参照)も予定されており、冬の一日、一日乗車券(400円)で訪ねてみられては如何でしょうか。
■機関車重連運転及びプッシュプル運転(12月18日)
701列車:ED403+ED402+ワム車(吉原初9時37分比奈行き)
704列車:ED403+ワム3~4車+ED402(比奈発13時03分吉原行き)
705列車:ED402+コキ+ワム+ED403(吉原発14時03分比奈行き)

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▲「北近畿」を改称した特急「こうのとり」と、特急「きのさき」に充当されるJR西日本のニューフェース287系。新大阪・京都方先頭車に設けられた霜取り用のパンタグラフが印象的。'10.11.26 近畿車輛 P:RM(新井 正)
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来年春から新大阪・京都と城崎温泉・天橋立・東舞鶴などを結ぶ特急電車として営業運転入りするJR西日本の新型特急電車287系の第一陣が完成、先日メーカーの近畿車輛において報道公開が行われました。

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▲初登場となる形式区分「クモロハ」を名乗る城崎温泉・天橋立・東舞鶴方の1号車。ちなみにサフィックスは「M'sc」となる。'10.11.26 近畿車輛 P:RM(新井 正)
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この287系は新大阪~城崎温泉間を結ぶ特急「こうのとり」、京都~城崎温泉間を結ぶ特急「きのさき」に運用されるもので、福知山電車区の183系の後継車となります。ちなみに特急「こうのとり」は現在の「北近畿」を改名するもので、地元からの強い要望と、コウノトリを保護・育成する取り組みに、JR西日本として応援しようという思いが込められているそうです。

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▲分割・併合に配慮された電気連結器とHIDの前照灯(左)。右はバリアフリー対策がなされた出入口。'10.11.26 近畿車輛 P:RM(新井 正)
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エクステリアデザインは683系4000番代を踏襲しつつ、さらなる安全性向上のために、オフセット衝突対策や、衝撃吸収構造の採用など車体の構造強化が図られています。カラーリングは白とグレーを基調に、沿線の緑豊かな地域に映え、在来の「北近畿」でも用いられている暖色系のラインが目を引きます。客室設備は基本的に「サンダーバード」のそれが踏襲されているものの、1号車がグリーン席と普通席の合造構造の電動制御車、つまり「クモロハ」となったことが注目されます。もちろんバリアフリー対応も最新の技術を駆使して施されており、車イス対応トイレや多目的室の設置はもとより、女性専用トイレも設置されています。

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▲クモロハ286形の車内、グリーン室(右側)と普通室(左側)の間仕切り部。'10.11.26 近畿車輛 P:RM(新井 正)
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▲1号車運転室後位に設けられたグリーン室(左)とシートピッチが拡大された普通席(右)。グリーン席の全座席および普通車の車輌最前部・最後部座席にモバイル用コンセントが設けられている。'10.11.26 近畿車輛 P:RM(新井 正)
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▲2号車と6号車の新大阪・京都方に設けられた車椅子対応トイレと洗面所。3号車と5号車には女性専用トイレも設けられている。'10.11.26 近畿車輛 P:RM(新井 正)
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車輌性能は225系の基本システムをベースに、走行システムは225系・321系などをレベルアップしたものとなっており、最高運転速度は130㎞/hと発表されています。

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▲クモロハ286-1の運転台。このクモロハ286形のみ非貫通構造となっており、貫通路は閉鎖されている。'10.11.26 近畿車輛 P:RM(新井 正)
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▲5号車クモハ286-1(奥)と4号車クモハ287-1(手前)の併結状況。4号車クモハ287-1もパンタグラフを備える。'10.11.26 近畿車輛 P:RM(新井 正)
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基本編成は城崎温泉・天橋立・東舞鶴方1号車から、クモロハ286-1(M'sc)+モハ287-101(M1)+モハ286-1(M')+クモハ287-1(Mc)の4輌。付属編成は5号車のクモハ286-1(M'c)+モハ286-101(M'1)+クモハ287-2(Mc)の3輌で、基本編成7本、付属編成6本の合計46輌が新製される計画となっています。なお、この287系新型特急電車については本誌次号でたっぷりとご紹介する予定です。

※取材協力:JR西日本/近畿車輛

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10月初めに「日露戦争を走る 明治三十七年の鉄道旅行」と、「新幹線、東京オリンピックを走る 昭和三十九年の鉄道旅行」の2冊を刊行、ご好評をいただいている「鉄道タイムトラベルシリーズ」の続刊、「満鉄"あじあ"へ、仮想超特急の旅路 昭和十年の鉄道旅行」と、「国鉄終焉とJRの誕生 昭和六十二年の鉄道旅行」の2冊が完成、本日発売となりました。

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明治の昔から国鉄消滅JR発足までの鉄道史を、単に鉄道の視点だけでなく、時代の転換点を象徴するさまざまな事象をキーワードに立体的にひも解き、それぞれの時代の鉄道旅行をバーチャル再現しようというのがこのシリーズの趣旨です。今回も多くの研究家の方々にお手伝いいただき、初出の貴重な資料も駆使して、重厚な史料に裏打ちされた疑似時空旅行をお届けします。

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▲清水一三雄さんのアルバムから。奉天近郊を突っ走る下り特急「あじあ」。機はパシナ形979号機。 (鉄道タイムトラベルシリーズ誌面より)
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「満鉄"あじあ"へ、仮想超特急の旅路 昭和十年の鉄道旅行」は"欧亜連絡の夢 東京発ベルリン行き"のサブタイトルが物語るように、第二次世界大戦開戦前夜の束の間の静けさの中で繰り広げられた大旅行時代にタイムスリップします。

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▲76年前の満鉄旅行をトレースする最新紀行(左)と、髙木宏之さんによる解説「パシナとその一族」(右)。他の追従を許さない専門家ならではの解説が圧巻。 (鉄道タイムトラベルシリーズ誌面より)
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もちろん中核となるのは当時栄華の頂点にあった南満州鉄道=満鉄です。本書では本邦初公開の圧倒的枚数の写真を交えて、満鉄の時代を多角的に浮き彫りにいたします。ことに髙木宏之さんによる「パシナとその一族 南満州鉄道の蒸気機関車」や「多彩を極めた満鉄の事業展開」は必見です。さらに髙木さんはご自身のコレクションから「朝鮮鉄道旧景」もご披露くださっています。満鉄に比して圧倒的に露出の少ない鮮鉄の貴重な記録で、釜山~京城間を表定速度66.7㎞/hで結んだ特急「あかつき」の雄姿も収録しております。

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▲本シリーズのディレクター役でもある紀行作家の芦原 伸さんがかつての南満州鉄道・大連~哈爾浜間943キロの今を体験する。 (鉄道タイムトラベルシリーズ誌面より)
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主筆を務めていただいた紀行作家・芦原 伸さんによる渾身の紀行、大連~哈爾浜943キロの乗車ルポも必読です。あの「あじあ」と照らし合わせながらの現代紀行は、本書のために去る10月に現地に飛んだもので、76年の歳月を噛みしめるスケールの大きな時空旅行です。さらに、巻末に収録した「満鉄スタンプラリー」も秀逸です。これは海外鉄道研究会会員でもある清水昭一さんのお父上・清水一三雄さんが実際に押印されたものだそうで、「あじあ」の乗車記念スタンプをはじめとする満鉄各駅の記念スタンプは、そのほのぼのとした味わいとともに深く心に残ります。

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▲松本典久さんが「あけぼの」「いなほ」「きたぐに」を乗り継いで「昭和62年」に時空旅行を試みる。 (鉄道タイムトラベルシリーズ誌面より)
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もう1冊の「国鉄終焉とJRの誕生 昭和六十二年の鉄道旅行」はコンテンポラリーに体験している...いや、それどころかついこの前のように思い出されるものですが、もう23年も経ってしまった"歴史"の一頁です。

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▲国鉄からJRへ、1987(昭和62)年3月31日から翌4月1日への激動の二日間を再現。日付をまたいで東海道を駆け抜けた「旅立ちJR西日本号」のフォトルポルタージュも必見。 (鉄道タイムトラベルシリーズ誌面より)
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巻頭の「ドキュメント さようなら日本国有鉄道」を見返してみると、あの日の異様ともいえる熱気が強烈に蘇ってきます。「昭和62年の国鉄列車の旅」では松本典久さんが国鉄時代から今日まで生き続けている「あけぼの」「いなほ」「きたぐに」を乗り継いで上野-青森-新潟-大阪を旅します。国鉄消滅から間もなく四半世紀、その旅から見えてきたものとは...。

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▲ほぼ時を同じくして国鉄連絡船の時代も幕を閉じようとしていた。「国鉄連絡船グラフティ」では連絡船最後の時代がよみがえる。 (鉄道タイムトラベルシリーズ誌面より)
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本書も「バブルの申し子 ジョイフルトレイン」、「国鉄連絡船グラフティ」、「プレイバック 国鉄ローカル線」等々、盛りだくさんな内容でお届けしますが、個人的にも興味深かったのは国鉄末期からJR揺籃期の広告宣伝活動を回顧する「新生JRグループの広告宣伝戦略」です。広告代理店のご協力を得て実現したこの企画では、「シンデレラエクスプレス」や「その先の日本へ。」といった不滅のキャッチコピーとともに"あの頃"が鮮烈によみがえります。

■鉄道タイムトラベルシリーズ (全4巻)
各巻1,800円

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レイル・マガジン

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