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十勝三股あの頃。

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▲まったく人の気配のない士幌線十勝三股駅で折り返しを待つ帯広行き2連。'75.8 十勝三股 P:澤田節夫
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先週の士幌線の話題(アーカイブ「日本鉄道保存協会総会より(下)」参照)をご覧になった澤田節夫さんから、かつて士幌線の終点・十勝三股駅を訪れた際の画像をお送りいただきましたので、さっそくお目にかけることにいたしましょう。

101019n004.jpg澤田さんが十勝三股駅を訪れたのは1975(昭和50)年8月のお盆の頃です。当時、士幌線はすでに惨憺たる営業係数で、なかでも利用客の少ない糠平~十勝三股間は朝夕4往復のみの運転。道内の盲腸線の中でもとりわけ訪れにくい終着駅のひとつでした。写真を拝見すると、構内上り方のはずれに2線の矩形庫があるのがわかりますが、当時の時刻表をひもといてみると、前夜20時43分着の729Dで十勝三股に到着した気動車が、翌朝5時40分発の722Dとなって折り返す運用となっており、この駐泊用の設備だったようです。それにしても、厳冬期には氷点下30℃を下回るこの地で、5時代の始発を出すために駐泊するご苦労はいかばかりのものだったでしょうか。
▲小さな琺瑯看板がなければ駅舎とわからないかもしれない十勝三股駅駅舎。'75.8 十勝三股 P:澤田節夫
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▲出発信号機横には給水塔、その奥には2線の矩形庫が備わっていた。'75.8 十勝三股 P:澤田節夫
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▲士幌線の主力は10系気動車の両運・寒地用バージョンであるキハ12だった。総輌数22輌中、当時は池田機関区に16輌が集結していた。'75.8 十勝三股(キハ12 7) P:澤田節夫
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ここ終点・十勝三股駅の標高は661m。士幌線は平野の帯広から一方的な上り勾配となっており、ことに糠平付近から十勝三股にかけては25‰も連続する険しい路線でした。1956(昭和31)年夏には上士幌で逸走した貨車が気動車に激突して死者5名を出すなど、この片勾配に起因する障害も少なからず発生しています。帯広機関区の9600形による貨物列車の設定は末期は帯広~上士幌間のみで、上士幌~十勝三股間の定期貨物運用はなくなっていましたが、かつての木材輸送華やかなりし頃のキューロクはさぞや難儀したことでしょう。

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▲かつては木材輸送で賑わったであろう構内は意外なほど広々としている。1978(昭和53)年年末から糠平~十勝三股間はバス代行となってしまったが、この時、十勝三股周辺の人家は2軒のみだったという。'75.8 十勝三股 P:澤田節夫
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澤田さんが十勝三股を訪れてから3年後の1978(昭和53)年12月、糠平~十勝三股間は全国の国鉄線でも珍しい休止扱いとなり、バスによる代行輸送が開始されます。地元タクシー会社に委託したこの代行は、時としてバスではなく乗用車が充当されたことさえあったそうです。

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▲折しも国道橋の架け替え工事が行われていた。背後に士幌線のコンクリートアーチ橋が見える。それにしても鉄骨の新橋までもがアーチ構造となっているのはなぜだろう。'75.8 十勝三股 P:澤田節夫
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