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2010年5月26日アーカイブ

もうひとつのEC40。

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▲福井口車庫の奥深く、夏草を掻き分けるように進んでゆくと、引留め電柱の手前にいわくありげな廃車体が...。'78.9.1 福井口
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昨日に続いてEC40形の話題をお送りしましょう。1936(昭和11)年4月にいっせいに廃車(ただし12号機のみ1931年にひと足早く廃車)となったEC40形ですが、戦時下の機関車不足もあって、1~4号機が京福電気鉄道に再就職することになります。

100526n008020n.jpg1941(昭和16)年9月にEC40 1と2が譲受認可、翌1942(昭和17)年6月に竣功届が出されていますが、4輌といいながらEC40 3と4は当初から部品取り用としての購入だったようで、ともに1942(昭和17)年4月に譲渡されているものの、一説には丸ごと京福に送られたものではなく、大宮工場で解体のうえ、必要な部品だけ福井に渡されたとされます。いずれにせよラック関係の機器類はまったく不要なわけで、1・2号機についても大宮工場で関連機器を撤去、ついでに片側の機器室も撤去して京福入りしています。
▲もとEC40 1(10000形10000)のテキ511との交換条件として京福入りした元国鉄ED28 11のテキ531。東芝戦時型電機の1輌。'78.9.1 福井口
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京福ではこの2輌をテキ511・512とし、越前本線などで貨物列車牽引に使用していましたが、いかんせん鈍足で知られるラック式電気機関車の成れの果てだけに、決して使い勝手の良いものではなかったようです。

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▲機器室が残されている側から見るとEC40の面影をしっかりと留めている。'78.9.1 福井口
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▲そのキャブ内。荒れ果てながらも残る特徴的な長楕円の窓からは、明治・大正の碓氷峠の景色が垣間見れるような気がする。'78.9.1 福井口
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時は流れ、わが国幹線電化の嚆矢となった電気機関車が京福で余生を送っていることを知った国鉄は、これを買い戻して復元しようと計画、京福側には代替機としてED28 11を提供することとしました。かくして、もとEC40 1(10000形10000)のテキ511は1964(昭和39)年2月17日付けで廃車、大宮工場で復元されることになるのです。ちなみに代替機として京福入りしたED28 11(→京福テキ531)は1942(昭和17)年東芝製のいわゆる戦時標準型機で、もとを正せば宮城電気鉄道のED35 3でした(RMライブラリー『私鉄買収電機の系譜』(下)参照)。国鉄にしてみれば、結果的に、買収私鉄生き残りの余剰機と鉄道記念物を交換できたことになります。

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▲テキ512が廃車留置されていた周辺。今から思えばまさにトワイライトゾ~ンそのものの光景だった。'78.9.1 福井口
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残されたもとEC40 2のテキ512は1970(昭和45)年7月15日付けで廃車。兄貴分のテキ511が見違えるほどにレストレーションされて鉄道記念物に指定されたのとは裏腹に、福井口車庫の裏でひっそりとその屍をさらしていました。私が訪れたのは廃車から9年後。ご覧のようにわが国最初の歴史的アプト電機は、誰からも顧みられることなく朽ち果てようとしていました。のちに聞いた話では、テキ512はこの写真を撮影した1979(昭和54)年に解体され、68年の生涯を閉じたのだそうです。

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