鉄道ホビダス

2010年5月アーカイブ

標津線の廃線跡を歩く。

※原因不明のサーバーエラーで、現在小ブログの更新ができなくなってしまっております。事情ご賢察のうえ、あしからずご了承ください。

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▲奥行臼に保存されている簡易軌道の車輌たち。別海町の史跡となっている。'10.5.15 P:奥山道紀
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いつになく春の訪れが遅れた北海道も、ようやく新緑が目に染みる季節となり、さまざまなイベントが幕を開けています。去る5月15日(土曜日)には「第1回標津線フットパスツアー」が開催され、爽やかな根釧原野の空気を満喫しながら多くの方が今はなき標津線を偲んだそうです。当日の様子をお馴染みの奥山道紀さんからお送りいただきましたのでご紹介することにいたしましょう。

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▲今回の"フットパス"のルート図。
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1989(平成元)年に廃止された標津線の線路跡を歩く"フットパスツアー"が15日、別海駅跡地である町交流館を起点に行われ、町内外から参加した41人が約12㌔先の奥行臼駅跡を目指しました。「フットパス」とは、イギリスを発祥とする"森林や田園地帯、古い街並みなど地域に昔からあるありのままの風景を楽しみながら歩くこと【Foot】ができる小径(こみち)【Path】"のことで、国内各地で多彩な取り組みが見られます。

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▲往時のままに残されている奥行臼駅駅舎。構内にも線路やホームがそのまま残されている。'10.5.15 P:奥山道紀
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今回は「みどり故郷づくり別海地域協議会」(響光行会長)の主催。2008年からコース整備が進められ、昨年には地元建設業者のなどの協力で約80mあるヤウシュベツ川鉄橋に足場が設置され、人道橋として整備されました。これにより初めて全行程を歩くツアーが企画されました。線路跡のため上り下りが少なく、三つの鉄橋を渡るのが特徴となっています。

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▲集合場所となった別海町交流施設・ぷらと(左)。もとの別海駅跡にあたる。標津線の廃線跡はようやく春が訪れた牧草地を横切ってゆく(右)。'10.5.15 P:奥山道紀
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▲廃線跡には保線小屋が残っている(左)。沿線の湿地帯には水芭蕉の花が...(右)。'10.5.15 P:奥山道紀
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途中一部、路盤が崩れ落ちた箇所があるものの、野鳥の鳴き声を聞きながら牧草地や水芭蕉の咲く湿地帯を抜けて歩くと、所々に保線小屋や勾配標が残り、列車の走っていたありし日を感じさせます。ゴールとなった奥行臼駅は、現役当時のままに保存されており、近くには駅逓(鉄道敷設以前の明治・大正期の交通の中継施設)や、開拓地の交通機関となった簡易軌道の詰所と車輌(釧路製作所製自走客車・加藤製作所製6トンDL・釧路製ミルクゴンドラ)が保存されており、別海町の史跡として整備されています。

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▲昨年歩道橋として整備されたばかりのヤウシュベツ川橋梁を渡る参加者。'10.5.15 P:奥山道紀
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奥山さんありがとうございました。写真を拝見しているだけでも、この季節の道東の爽やかな空気が伝わってくるようです。ことに奥行臼駅跡は個人的に懐かしくもあり(アーカイブ「奥行臼、見果てぬ夢...」参照)、機会があればぜひこの"フットパス"を体験してみたいものです。
なお、9月の「駅逓祭」の際にもツアーが予定されているそうです。

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▲JR初の空港アクセス特急として親しまれてきた253系も、残すところ一カ月ほどで「成田エクスプレス」の座を降りる。'10.3.22 総武本線 物井 P:河添順一 (「今日の一枚」より)
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1991(平成3)年3月に空港アクセス特急「成田エクスプレス」としてデビューした253系が、ついに6月30日の営業運転を最後に同列車から引退することとなりました。本誌先月号では「誕生から今日まで」と題してJR初の本格的空港アクセス車輌253系のヒストリーを振り返っておりますが、いよいよその19年間にわたる活躍に終止符が打たれようとしています。

100528n002.jpg先日も所要で原宿へ行った際、そこかしこに山手貨物線に向けてカメラを構える姿が見受けられ、何か特別な列車でも来るのかと訝しく思っていると、やって来たのは253系「成田エクスプレス」のレギュラートレインでした。東京在住の私たちにとって、後継のE259系が登場(アーカオブ「新型"成田エクスプレス"E259系に乗る」参照)するまでは日常の光景であった253系「成田エクスプレス」ですが、約一か月後の引退を前にして急速に注目度が高まってきているようです。
▲慣れ親しんだ線路を行く。'10.4.11 総武本線 新小岩―市川 P:小山竜男 (「今日の一枚」より)
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これを受けて、JR東日本横浜支社から「253系成田エクスプレス引退記念イベント」の概要が発表されました。
■記念イベント「253系N'EXありがとうイベント」
開催日:2010(平成22)年7月11日(日)
会場及び概要
【大船駅会場】
 各種イベント
 ・場所:大船駅改札内コンコース
 ・時間:10:00~15:00(予定)
 ・内容:子供用駅長制服撮影会、鉄道写真パネル展示、プラレール展示を予定 ※イベント内容は変更になる場合がある
【武蔵小杉駅会場】
 記念弁当・記念グッズ等の販売
 ・場所:武蔵小杉駅新南改札外
 ・時間:10:00~14:00(予定) ※各商品とも売切れ次第、販売終了

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▲整然と植えられた苗がそよぐ初夏の田の面を駆け抜ける。'10.5.16 総武本線 佐倉―物井 P:君島弘道 (「今日の一枚」より)
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■記念旅行商品「253系N'EXありがとう記念旅行商品」
出発日:2010(平成22)年7月17日(土)
運転区間・時刻(予定)
   大船 9:29→成田空港12:11
   成田空港12:32→大船14:58
使用車輌:253系
発売箇所:首都圏のびゅうプラザ(旅行カウンター)及びびゅう予約センター
発売日時:2010(平成22)年6月17日(木)の14:00から
旅行代金:おとな9,600円 こども6,000円(ともに税込)
※旅行代金に含まれるもの=大船―成田空港間の往復運賃・料金、乗車記念品(特製ケース付ダイキャストモデル253系)、保険料。
※食事はついていない(詳細は、びゅうプラザ=旅行センターにて、専用パンフレットでお知らせ。6月上旬予定)
さらに横浜支社、八王子支社、大宮支社、千葉支社では「253系 成田エクスプレス引退記念入場券」も発売されます(詳しくは→こちら)。

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▲夜の青森駅  蒸機牽引の特急寝台を撮っておかないとの思いでやってきた。ヘッドマークを付けた蒸機に牽引される4レ「はくつる」は出発の時を待っていた。C60 22〔盛〕+C61 6〔仙〕。 '66.1.8 東北本線 青森 P:小西 明  (『わが国鉄時代』vol.4より)
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毎日、貴重な写真が興味深いコメントとともに寄せられているブログ「わが国鉄時代」。5月27日現在、アップ数は1737枚。いずれの写真にも撮影された方々の「思い」がこもって、共感を含んだ懐かしさが漂ってきます。せっかくお送りいただいた写真なのですから、WEBだけではなく一冊の本にまとめては、という声を受けて昨年1月にvol.1を出版いたしましたところ、皆様の支持を得て、巻を重ねvol.4が29日(土曜日)に発売となります。より幅広く、より深く、思わず唸るような写真も多数寄せられております。
キーワードは「そこに、青春のかけらが落ちている」。撮影された方のコメントとともに、置き忘れてきた青春のかけらを拾いに国鉄時代の旅に出掛けませんか。

waga_004n.jpgまずは表紙です。この写真を撮影なさった橋田佳和さんはイギリス在住です。インターネット時代ゆえ当たり前のこととはいえ、日本を遠く離れた地で「わが国鉄時代」を見ている方がいらっしゃるというのは、この上なく嬉しいものです。長門市で客車のデッキから入換え作業を眺める少年。この少年のシルエットに幼き日の自分を重ねて感慨にふける方も多いことでしょう。今回は、表紙用として別に作品を募集いたしましたから、多くの「タテ版」の写真をお寄せいただきました。その中から、「タテ」であることの利点を最大限に生かして、懐かしさと憧れを詰め込んだ橋田さんの写真で表紙を飾らせていただきました。

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▲スイッチバックのD50 会津若松の郡山側ではまだD50が活躍を続けていて、会津若松から郡山までの間での交換列車は、たまたますべてD50でした。写真の275レは郡山から上戸まで後補機付きでしたが、岩代熱海(現・磐梯熱海)-上戸間専門の補機もありました。 '63.10.14 磐越西線 中山宿 P:石渡隆明  (『わが国鉄時代』vol.4より)

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モノクロ頁の巻頭に掲載した小西 明さんの「夜の青森駅」はC60+C61に牽引され、凍てついた青森駅で発車を待つ上り「はくつる」の姿を捉えたものです。1964年10月のダイヤ改正により上野~青森間に登場した寝台特急「はくつる」は、仙台以北はC61、盛岡~青森間はC60が前補機を務める注目の列車でしたが、翌1965年4月末には早くも前補機がDD51となり、C60が先頭に立っている写真はほとんど撮られませんでした。この写真は大変貴重な一枚です。

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▲高松駅の活況 高松駅は、四国各地からの列車が集まり発車していく大変活気のある駅でした。荷物の鉄道輸送がまだ盛んだった時で、多くの列車にはここでしか見れない雑多な荷物気動車が連結されていました。ターレットも賑やかな音をたてて、忙しくホームを走り回ります。 '80.3.24 高松 P:小林隆則  (『わが国鉄時代』vol.4より)

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磐越西線の中山宿は近年までスイッチバックが残っており、D51 498のイベント列車もここでスイッチバックしていたこともあります。石渡隆明さん撮影の「スイッチバックのD50」は、それよりも30年ほど前、古豪D50が頑張っていたころのもの。転向線に停車している列車の窓から急坂を登ってくる後補機付きの貨物列車を撮ったものです。交換の様子を眺めている乗客が印象的です。

小林隆則さんの「高松駅の活況」の主人公は気動車ではなくターレット。今でも東京・中央区の築地市場などで見かけるこのターレットが、青森や高松ではそれこそホームを縦横無尽に走っていたものでした。職員の乗り方もちょっと粋で、喧噪の聞こえてきそうな一枚です。

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▲峠の朝 遠くで発車の汽笛。やがて見えた煙は軌跡を忠実に描きながらこちらに向かう。冷え込んだが天気のよい無風の早朝。客車の側面が結露するほどの微妙な温度・湿度に白煙は静かに留まる。長門市発厚狭行、522列車。機:C58 10。 '71.5.1 美祢線 渋木-於福 P:青木一郎  (『わが国鉄時代』vol.4より)

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「峠の朝」は写真キャプションの撮影地を隠すとなかなか当たらないでしょう。デフを見ればC58 10と分かりますから、そのへんがヒントになりますが、美祢線の渋木~於福とは...。芽吹いたばかりの若草に降りた朝露...、ちょっと湿り気のある爽やかな初夏の朝の雰囲気が伝わってきます。こんな情景に出会ったら、日本に生まれてよかったと思えることでしょう。

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▲ 『わが国鉄時代』vol.4特別付録「日本国有鉄道案内図 昭和39年」(中国・四国・九州)。
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そして毎回ご好評をいただいてきた特別付録「日本国有鉄道案内図 昭和39年」は「中国・四国・九州」。これにてこの特別付録は"完結"となりますが、もちろん『わが国鉄時代』はまだまだ続きます。今回、載せきれないほどのご応募をいただき、嬉しい悲鳴を上げました。ご投稿いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。掲載し切れなかった作品もvol.5以降まだまだチャンスがあります。今後もブログともども『わが国鉄時代』をよろしくお願いいたします。

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もうひとつのEC40。

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▲福井口車庫の奥深く、夏草を掻き分けるように進んでゆくと、引留め電柱の手前にいわくありげな廃車体が...。'78.9.1 福井口
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昨日に続いてEC40形の話題をお送りしましょう。1936(昭和11)年4月にいっせいに廃車(ただし12号機のみ1931年にひと足早く廃車)となったEC40形ですが、戦時下の機関車不足もあって、1~4号機が京福電気鉄道に再就職することになります。

100526n008020n.jpg1941(昭和16)年9月にEC40 1と2が譲受認可、翌1942(昭和17)年6月に竣功届が出されていますが、4輌といいながらEC40 3と4は当初から部品取り用としての購入だったようで、ともに1942(昭和17)年4月に譲渡されているものの、一説には丸ごと京福に送られたものではなく、大宮工場で解体のうえ、必要な部品だけ福井に渡されたとされます。いずれにせよラック関係の機器類はまったく不要なわけで、1・2号機についても大宮工場で関連機器を撤去、ついでに片側の機器室も撤去して京福入りしています。
▲もとEC40 1(10000形10000)のテキ511との交換条件として京福入りした元国鉄ED28 11のテキ531。東芝戦時型電機の1輌。'78.9.1 福井口
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京福ではこの2輌をテキ511・512とし、越前本線などで貨物列車牽引に使用していましたが、いかんせん鈍足で知られるラック式電気機関車の成れの果てだけに、決して使い勝手の良いものではなかったようです。

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▲機器室が残されている側から見るとEC40の面影をしっかりと留めている。'78.9.1 福井口
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▲そのキャブ内。荒れ果てながらも残る特徴的な長楕円の窓からは、明治・大正の碓氷峠の景色が垣間見れるような気がする。'78.9.1 福井口
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時は流れ、わが国幹線電化の嚆矢となった電気機関車が京福で余生を送っていることを知った国鉄は、これを買い戻して復元しようと計画、京福側には代替機としてED28 11を提供することとしました。かくして、もとEC40 1(10000形10000)のテキ511は1964(昭和39)年2月17日付けで廃車、大宮工場で復元されることになるのです。ちなみに代替機として京福入りしたED28 11(→京福テキ531)は1942(昭和17)年東芝製のいわゆる戦時標準型機で、もとを正せば宮城電気鉄道のED35 3でした(RMライブラリー『私鉄買収電機の系譜』(下)参照)。国鉄にしてみれば、結果的に、買収私鉄生き残りの余剰機と鉄道記念物を交換できたことになります。

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▲テキ512が廃車留置されていた周辺。今から思えばまさにトワイライトゾ~ンそのものの光景だった。'78.9.1 福井口
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残されたもとEC40 2のテキ512は1970(昭和45)年7月15日付けで廃車。兄貴分のテキ511が見違えるほどにレストレーションされて鉄道記念物に指定されたのとは裏腹に、福井口車庫の裏でひっそりとその屍をさらしていました。私が訪れたのは廃車から9年後。ご覧のようにわが国最初の歴史的アプト電機は、誰からも顧みられることなく朽ち果てようとしていました。のちに聞いた話では、テキ512はこの写真を撮影した1979(昭和54)年に解体され、68年の生涯を閉じたのだそうです。

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EC40(10000)形を見る。

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▲軽井沢駅旧1番線に設けられた展示スペースで公開されている10000形10000号。後方には同様に保存公開されているEF63 2号機の姿が見える。'10.5.15
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軽井沢駅北口を出ると、左手に古風な洋館風の駅舎が目に入ります。新幹線開業で取り壊された旧軽井沢駅の再築保存施設で、「(旧)軽井沢駅舎記念館」と名付けられて地元軽井沢町教育委員会が管理をしています。

100524n004.jpgこの駅舎自体も明治末期の姿を忠実に再現したもので、一階展示室には信越本線および草軽電気鉄道関連の資料が、二階のもと貴賓室は歴史記念室として当時の内装が再現されています。この記念館(入館料大人200円)そのものも見逃せませんが、車輌ファンにとって必見なのが木製の改札ラッチを出たホームに横付けされている10000形電気機関車、のちのEC40形でしょう。
▲(旧)軽井沢駅舎記念館の正面外観。車よせのエントランスを入ると入館券の販売機が設置されている。'10.5.15
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10000形は開業以来ばい煙に悩まされてきた碓氷線の電化(1912年5月)に際してドイツから輸入されたアプト式電気機関車で、わが国の幹線用電気機関車としては初めてのものです。製造は電気関係がアルゲマイネ(AEG)、機械関係は碓氷線最初の蒸気機関車3900形のメーカーでもありラック式機関車に独自のノウハウを持つエスリンゲンの2社協業でした。

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▲側面に付けられた10000形のナンバープレート(レプリカ)。下の「東」の文字は東部鉄道局を示す。'10.5.15
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この10000形。のちのEC40形は国有鉄道の電気機関車史上類例を見ない動軸3軸のC型で、床上に搭載した420kWの主電動機からロッドにより動輪とラック歯車を駆動します。さながらボンネットのように車体前後に突き出した機器室と、特徴的な窓形状が印象的で、蒸気機関車しか見たことのない明治の人々にとってさぞや異様に映ったことでしょう。

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▲復元にあたっては鉄道院時代の姿が極力再現されている。左は屋根上の構内運転時用の集電ポールと、遮断器動作用のストライカ(衝働器)アーム。ぶら下がったようなラッパ状の警笛にも注目。'10.5.15
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▲赤く塗られた端梁にはバッファーとリンク式連結器が再現されている(左)。右は集電靴部で、第三軌条の下面に接触する方式。'10.5.15
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集電は狭隘トンネルの関係もあって600Vの第三軌条式を採用。構内のみ架空線式で、屋根上には路面電車さながらの集電ポールが載っています。このポールは間もなくパンタグラフに交換されますが、保存機はオリジナルのポール仕様に復元されています。

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▲EC40形形式図。国有鉄道唯一のC型電気機関車であった。(『全国機関車要覧』車輌工学会・1929年発行より)
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全12輌が製造された10000形、のちのEC40形は1936(昭和11)年には全機が廃車となりましたが、このうちの2輌が払い下げられた京福電気鉄道福井支社でテキ511、512として戦後まで生き延びました。

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▲その複雑な駆動軸部。床上の主電動機からの出力は垂直方向のロッドによって中間軸に伝えられ、さらにサイドロッドによって動輪が駆動する。台枠内に隠れて見えないラック歯車も同様の方式で駆動されている。'10.5.15
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本機はこのうちのテキ511、つまりもとのEC40 1を国鉄が引き取り大宮工場で新製当初のスタイルに復元したもので、鉄道記念物にも指定されています。ご覧のように状態はきわめて良好で、軽井沢にお越しの際はぜひお時間をとって見学されることをお薦めします。

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▲5月22日にホームドアの設置が完了した有楽町線氷川台駅1番線(新木場方面行/A線)ホーム。'10.5.24 氷川台 P:RM(伊藤真悟)
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東京地下鉄では、ホームでの転落事故や接触事故を防止するための安全対策としてホームドアの設置を進めていますが、有楽町線でも設置が本格化し、小竹向原駅に続いて地下鉄成増駅?氷川台駅間4駅の設置日と使用開始日が4月27日付のニュースリリースで発表されています。このうち、5月22日にホームドアの設置が完了した氷川台駅1番線(新木場方面行/A線)ホームにおいて5月24日、報道向けの公開が実施されました。

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▲今回の報道公開では、2箇所のみホームドアを手動開閉(左)。扉の一部分に透明な強化ガラスが採用された有楽町線のホームドア(右)。和光市方面/B線の線路も見える。 '10.5.24 氷川台 P:RM(伊藤真悟)
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有楽町線のホームドアは、丸ノ内線や副都心線と同様のハーフハイトタイプと呼ばれる高さ1,300mm(ドア部は1,200mm)のものですが、新たに扉部分の一部に透明な強化ガラスを採用しているのが特徴です。強化ガラスを採用することにより、ホームドアが閉まった状態でもホームと列車の隙間が確認できるほか、視認範囲が広がりホームでの解放感が生まれるなどのメリットが得られます。また、曲線ホーム区間でホームと車輌の隙間が大きい箇所には、可動ステップの取り付けも予定されています。

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▲手動開閉の様子。列車ドアとの連動開始後は見ることができない貴重なシーン。 '10.5.24 氷川台 P:RM(伊藤真悟)
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なお、氷川台駅のホームドアが列車ドアと連動して開閉するのは8月21日(土)からのため、今回の報道公開では、ホームに列車が在線していない状態での手動開閉となりました。

hikawadai_movie.n.jpg現在、東京地下鉄のホームドア設置駅は、南北線19駅、千代田線2駅、丸ノ内線28駅、有楽町線1駅、副都心線11駅ですが、有楽町線全線へのホームドア設置が完成すると、(平成24年度予定)東京地下鉄全駅中の47%がホームドア設置駅となり、より一層、安全性が向上することになります。
▲画像をクリックすると手動でのホームドア操作が動画でご覧になれます。'10.5.24 P:RM(伊藤真悟)

取材協力:東京地下鉄株式会社

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▲第2回 タムロン鉄道風景コンテスト一般の部大賞受賞作「ガード下」。
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今年も「タムロン鉄道風景コンテスト 私の好きな鉄道風景ベストショット」が開催されます。3年目を迎え、今やすっかり"鉄道のまち大宮 "に相応しい写真コンテストに成長した感があります。審査はお馴染みの広田尚敬さんと矢野直美さん。毎年審査にはオブザーバーとして私も立ち会わせていただいておりますが、今年はいったいどんな作品に出会えるのか、今から楽しみです。

tamron_train.01jpg応募規定もたいへん緩やかで、鉄道風景写真、鉄道のあるスナップ写真など、鉄道とその周辺を入れ込んだ写真であれば、風景、スナップ問わず応募することができます。カメラ、レンズの機種、撮影地域も問いません。渾身の一作から、家族の記念写真まで、広く募集する写真コンテストです。
▲右上のバナーをクリックすると募集詳細がご覧になれます。

●一般の部
●小・中・高校生の部(2010年8月14日現在で高校生までの方)

(小学生未満の方もこの部にご応募ください。また、小中学生以下の方のご応募には保護者の同意が必要です)

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▲第2回 タムロン鉄道風景コンテスト小・中・高校生の部大賞「ラブレター」。
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応募形態
●キャビネサイズ(2L)?四ツ切りワイドプリントまで[およそB6?B4 サイズ]
●カラー・白黒問わず。デジタルホームプリント可
※規定以外のサイズでのご応募、台紙貼り、スライド、パネル貼りのものは審査の対象外とします。
募集期間
2010年5月1日(土)?8月14日(土) ※消印有効
応募方法
●タムロンのホームページ(→こちら)内の「鉄道風景コンテスト」紹介ページから応募用紙をダウンロードするか、応募用紙を自作してください。詳しくはタムロンのホームページ(→こちら)をご参照ください。
●一人10点まで応募できます(単写真に限ります)。
●応募作品は未発表のもので、同一または類似作品が他のコンテスト、月例などに応募及び発表される予定のないものに限ります。
●人物等の被写体に関する肖像権や著作権等については、応募者の責任において了解が得られたものとします。万一、問題が発生した場合には主催者は一切責任を負いません。
●応募者自身が撮影し、現に著作権を有する写真に限ります。
●撮影にあたっては、列車往来に十分注意し、軌道内及び当該鉄道事業者が禁止する箇所からの撮影は禁止とし、これに該当する作品は対象外とします。
●公序良俗に反して撮影されたと見なされた作品は対象外といたします。
●応募作品が事務局に届いたことをご確認されたい場合は、官製ハガキ宛名面にご自身の郵便番号・住所・氏名を明記の上、作品に同封してご応募下さい。郵便局から回収後、1週間以内に受領ハガキを返送いたします。(ご応募の時期により3週間ほどお時間をいただく場合があります。)

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▲昨年夏、第2回コンテストの審査に臨む広田尚敬さんと矢野直美さん。'09.8.25
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審査員
写真家 広田尚敬氏   フォトライター 矢野直美氏

●一般の部
大賞〔さいたま市長賞〕(1名)     30万円 副賞 タムロンレンズ
準大賞(3名) 5万円 副賞 タムロンレンズ
審査委員特別賞(3名) 2万円
入選(15名) 1万円
佳作(20名) 5千円
●小・中高校生の部
大賞〔さいたま市教育委員会教育長賞〕(1名)  10万円 副賞 タムロンレンズ
準大賞(3名) 3万円 副賞 タムロンレンズ
審査員特別賞(3名) 1万円
入選(15名) 5千円
佳作(20名) 2千円
●全応募作品より選出
ユーモアフォト賞〔さいたま商工会議所会頭賞〕(1名) 10万円 副賞 タムロンレンズ
タムロン賞(1名)    5万円 副賞 タムロンレンズ
発表
2010年9月下旬  入賞者本人に直接通知
●タムロンホームページ
●2010年10月14日(鉄道の日)?そごう大宮店にて入賞作品の写真展を開催します。
●上位入賞作品を『レイル・マガジン』2010年12月号(10月21日発売)誌上にて掲載します。
入賞について
●入賞作品は1人1賞とします。
●応募規約に違反したとき、及び入賞決定後でも類似または二重応募と主催者が判断した場合には入賞を取り消して、賞金等を返還いただく場合があります。
●入賞作品の原版(フィルム、データ)をご提出頂いた時点で入賞の確定とします。(指定した期日までにご提出いただけない場合には入賞を取り消すことがあります。)

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▲前原国土交通大臣は日々この大臣執務机でお仕事をされている。本誌最新号を手に記念撮影。'10.5.21
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昨日は本誌最新号の発売日でもあり、もろもろの打ち合わせもあって、東京・霞ヶ関の国土交通省に前原誠司国土交通大臣を訪ねました。前原さんとは3月に渋谷で一献傾けて以来、お会いするのは二ヶ月ぶりとなります。

100522n03.jpgご承知のように国土交通大臣としての前原さんは現在、"超"がいくつついても足りないほどお忙しく、とても趣味どころではありませんが、やはり最近気になっているのはD51 498号機の集煙装置装備のようで、開口一番「名取さんのブログでさっそく拝見しましたが、良いですね。かつて奈良機関区で出会ったD51 499号機を思い出します」と興味津々のご様子。しかも「ただ、ちょっと厚みが足りず平べったい感じがしますね。中央線の限界の関係ですか?」と、その慧眼には脱帽させられます。たしかに中央東線の縮小限界の関係から、かつての鷹取工場式より150㎜ほど厚みが薄く作られているのです。
▲大臣執務室の応接スペース壁面には磐越西線にご一緒した際(アーカイブ「前原さんと磐越西線へゆく」参照)の作品等が掲げられている。'10.5.21
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さらに「煙突は切り詰められているのですか」と極めて専門的な質問も...。集煙装置を装備する際には煙突上部を切り詰めるのが常で、装備機は取り外し後も煙突の短さが気になったものでした。高崎支社のお話では今回はオリジナルの煙突は外し、新たに専用の煙突を製作されたとのこと。それにしても煙突の切り詰めにまで思い到る方はそうはおられず、前原さんの"深さ"にはあらためて驚かされます。

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▲「今月の"SL甲組"は吉松機関区ですか。C55は良いですね。」と本誌に見入る前原さん。'10.5.21
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前原さんのおられる国土交通省大臣室は本館4階にあり、ご想像のように厳重なセキュリティーが敷かれています。秘書官の方を交えた打ち合わせが終わり次第おいとまするつもりが、話が盛り上がり、ついつい長居をしてしまいましたが、趣味の話題を語っている時の前原さんは、ニュース映像で拝見する姿とはまるで別人のように思えるから不思議です。

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▲モ514+524による岐阜駅前発本揖斐行き直通急行。昭和42年、待望の岐阜市内線・揖斐線直通運転が開始された。モ510形がお馴染みの赤・白の塗り分けになったのもこの時である。'69.12 真桑-政田 P:清水 武 (『名鉄岐阜線の電車』下巻より)
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ご好評いただいておりますRMライブラリー『名鉄岐阜線の電車』、待望の下巻が完成しました。本書は、名鉄部内で「岐阜線」と呼ばれた名鉄岐阜600V線区の各線、つまり岐阜市内線、揖斐線、谷汲線、美濃町線、田神線、高富線、鏡島線の各線で活躍した歴代の車輌を解説するものです。上巻では岐阜線のルーツである美濃電気軌道時代に製造された車輌を中心に収録しましたが、下巻では戦後、2005年4月の岐阜線全廃までの車輌の歩みを解説しています。

rml130n.jpg岐阜線と一言で言っても、鉄道線と軌道線に分かれていたことは上巻で解説された通り。そのうち高富・鏡島の両線は古くから軌道線車輌が直通していたのに対し、揖斐・谷汲線は戦後も昭和40年代に入るまで他線と直通しない、独立した鉄道線でした。そのため、名鉄合併後の揖斐・谷汲線の車輌増備や置き換えは、本線系鉄道線からの転入車によってまかなわれました。中には短期間で次の転入車に置き換えられて姿を消したものもあり、歴代の車輌をまとめてみると実に多彩な顔ぶれであったことがわかります。

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▲晩年は軌道線車輌のみで運用された揖斐線だが、全面直通化されるまでは本線系から転入した数多くの鉄道線用車輌がその足跡を残していた。右ページのモ180形は四国の琴平急行電鉄出身という珍しい経歴をもつ車輌で、その台車はモ600形に転用され、岐阜線の最後まで活躍を続けた。 (『名鉄岐阜線の電車』下巻より)
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一方、岐阜市内線、美濃町線には戦後、モ570形をはじめとする新造車の投入が行われますが、その一方で昭和30年代には高富・鏡島の両線がバス転換されました。大きな転機が訪れるのは昭和40年代のことで、昭和42年夏には岐阜市内本線に残っていた美濃電時代からの単車群が北陸鉄道金沢市内線からの転入車により置き換えられました。さらにその年12月には待望の岐阜市内線・揖斐線直通運転が始まり、さらに昭和45年には田神線の開業、複電圧車モ600形の完成により美濃町線の新岐阜乗り入れが開始されます。昭和50年代に入ると美濃町線モ880形を皮切りに各線への新造車が投入され、それは平成8年のモ800形まで続くことになります。

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▲急カーブが続く岐阜市内本線本町付近を行くモ550。昭和42年には北陸鉄道金沢市内線からボギー車17輌が転入、美濃電時代からの単車の活躍に終止符が打たれた。'68.8 P:田尻弘行 (『名鉄岐阜線の電車』下巻より)
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本書では、名鉄として初めての岐阜線用新造車となったモ570形からモ800形までの歴代新造車はもちろん、北陸鉄道や札幌市電からの転入車、さらに揖斐・谷汲線直通運転用に改造されたモ510・520形も含めて解説するほか、揖斐・谷汲線を終の住処とした鉄道線車輌各形式も収録し、車輌の面から戦後の岐阜線の歩みを辿りつつ、巻末では廃止に至る経緯についても解説して、その締めくくりとしています。
廃止から5年、忘れえぬ岐阜線を振り返る一冊、ぜひ上巻と合わせてご覧ください。

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▲岐阜市内・揖斐線直通用として投入されたモ780形と、岐阜線最後の新車となったモ800形。昭和50年代以降、車輌の近代化は着実に進められていた。 (『名鉄岐阜線の電車』下巻より)
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さて、1999(平成11)年夏に創刊したRMライブラリーも、おかげさまで130巻を数えるまでになりました。これまで11年間にわたり記念特別巻を除いて定価1000円(税別)を堅持してまいりましたが、次の6月発売131巻より定価1200円(税別)に改定させていただくこととなりました。たいへん恐縮ではございますが、今後とも鉄道趣味の核心部分を支える気概をもって編集に取り組んでゆく所存ですので、どうかご賢察のうえ引き続き応援いただけますようお願い申し上げます。

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北炭真谷地は今...。

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▲夕張特産のメロン畑を横切り、春まだ浅い残雪の中を行く真谷地専用鉄道跡。P:奥山道紀
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三菱大夕張鉄道の保存車輌の補修を軸にさまざまな活動を繰り広げている三菱大夕張鉄道保存会(→こちら)会長の奥山道紀さんから、例年より遅れた北海道の春の到来を告げるお便りとともに、夕張線(現・石勝線)沼ノ沢駅から分岐していた北炭真谷地専用鉄道跡の現況をお送りいただきましたのでご紹介いたしましょう。

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▲沼ノ沢駅。現在の構内は1面1線のホームがあるだけ。かつては向かいのホームから北炭真谷地専用線の客車が発着していた。P:奥山道紀
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▲沼ノ沢駅舎(左)。かつての駅務室にはレストランが入る。待合室に掲げられた往時の写真(右)。P:奥山道紀
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YUUBARI002.jpg5月のゴールデンウィークでも、まだ雪の残っていた旧三菱大夕張鉄道・南大夕張駅跡ですが、スハニ6などの保存車輌も半年ぶりにシートが外され、長かった冬眠からようやく覚めました。これから三菱大夕張鉄道保存会による補修活動が本格的に再開されます。
さて、炭都といわれた夕張市にはかって石炭を運びヤマの人々の足となった鉄道が多数ありました。石勝線沼ノ沢駅から分岐していた北炭真谷地専用鉄道もそのひとつです。
▲沼ノ沢に残るかつての保線車輌。P:奥山道紀
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数多くの石炭車が停車していた沼ノ沢駅構内は、現在は1面1線のホームだけ。無人となった駅事務室には特産の長芋を使用したハンバーグが評判の「レストラン・おーやま」が入店し、待合室には専用線が乗り入れていた当時の写真が掲げられています。周囲は夕張メロンの産地ですが、専用線の廃線跡はその中を東方に向かって上っていきます。切り通しや、清真台停留所のホーム跡など、現在でもその痕跡は比較的多く残っています。

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▲かつての真栄町(六区)停留場跡。P:奥山道紀
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▲.昭和40年頃の真栄町(六区)停留場(左)と、清真台(五区)停留場跡(右)。 (三菱大夕張鉄道保存会提供)
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終点の真谷地には8100や4110形が休んだ機関庫が残っていますが、数年前まで残っていた貨車に石炭を積み込んだホッパー等の炭礦施設は綺麗に撤去されてしまっています。沼ノ沢の農家に物置として残されていた客車(アーカイブ「"真谷地"の残像」参照)も、残念ながら姿を消していました。

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▲真谷地構内で入換え作業中の5055号機。機関車はこののち9600形に置き換えられている。 (三菱大夕張鉄道保存会提供)
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▲かろうじて姿を留めているかつての機関庫(左)。右は貯炭槽も撤去されて跡形もなくなった真谷地炭礦跡。P:奥山道紀
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昨年は「SL夕張応援号」で賑わった夕張市ですが、あいかわらず人口減少は止まらず、財政再生団体として厳しい状況が続きます。三菱大夕張鉄道保存会では、地域の活性化のためにも車輌の補修活動を進める一方、今秋には夕張市の鉄道遺産を巡るバスツアーを企画しています。また、南大夕張駅跡近くの高橋商店(夕張市南部新光町55)では記念乗車券を模した見学記念券も配布しており、グッズも置かれています。是非、お立ち寄り下さい。

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▲今年も公開を再開した三菱大夕張鉄道の保存車輌(南大夕張駅跡)。P:奥山道紀
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▲三菱大夕張鉄道保存会の製作した記念乗車券を模した見学記念券。 (三菱大夕張鉄道保存会提供)
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奥山さんありがとうございました。いつになく春の訪れが遅かったという夕張の地ですが、きっと今頃は花と新緑に包まれているに違いありません。真谷地は私にとっても幾度となく訪ねた思い出深い地です。お送りいただいた現況には、あらためて時の流れの速さを実感いたしました。

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JR西日本225系が完成。

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▲ロールアウトした第一編成。先頭からクモハ225-1、モハ224-1、モハ224-2、モハ225-501、モハ224-3、モハ224-4、モハ225-302、クモハ224-1の8輌編成。'10.5.17 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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昨年9月に新製計画が発表されて以来、その登場が待ち遠しかったJR西日本の新型近郊型電車225系の第一弾が完成、メーカーの近畿車輌でプレス公開されました。225系は「新快速」をはじめ、京阪神エリアの基幹形式となる期待のニューカマーです。

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▲その客室内。吊手は従来の白色からオレンジに色調が変更されている。天井中央には321系と同等の液晶画面による情報案内装置が見える。'10.5.17 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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▲黄色いラインによって識別化が図られた乗降口。手すりも端部の曲線化によって衝撃力の緩和対策が図られている(左)。右はバリアフリー化に配慮されたトイレ部。'10.5.17 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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225系最大の特徴はサバイバルファクターの観点から、新たにさまざまな安全対策が実施されていることです。車体強度の向上のために先頭車輌には衝撃吸収構造(クラッシャブルゾーン)を採用することによって、衝突時の衝撃を上方に誘導・吸引し、客室の衝撃加速度を低減するとともに、側面衝突対策としては各接合部の強化、側外板の材質変更が図られています。また、オフセット衝突対策として車端部の形状変更および接合強化等の対策がとられています。

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▲クモハ224-1の運転台。運転席を囲むようにモニタ装置などがレイアウトされている。'10.5.17 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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客室の安全性向上にも特段の配慮がなされており、吊手は既存車輌比約50%も増設され、サイズも大型化(内径85㎜→100㎜、直径15㎜→20㎜)、さらに咄嗟時の目立ちやすさを考慮して色調も従来の白からオレンジへと変更されております。手すりも端部の曲線化によって衝撃力の緩和対策を図ったほか、直径も大型化、荷物棚端部も同様に曲線化が図られています。

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▲製造中の先頭部構体。安全性の向上のため、先頭部台枠、貫通路柱とその接合が強化されている。'10.5.17 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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D3S_2709nn.jpg車内設備の利便性向上を目指してバリアフリー設備の充実も図られています。トイレの形状変更(ドア開口部の拡張・床面積の拡大)、乗降口の識別化(側出入口に黄色のラインを追加)、ドア開閉ランプの設置(開時赤色灯が点灯)、荷物棚高さの変更(約100㎜低減)、車椅子スペースの増設(先頭車全車に設置)などが主な改善点となっています。さらに情報案内板も設置され、次駅表示や遅延情報の提供、画像広告の配信などが行われる予定です。

▲車輌解説を行うJR西日本鉄道本部の牧原 弘車両部担当部長。'10.5.17 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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▲室内側から見た先頭部構体(左)。先頭屋根部分が相対的に強度が弱く先につぶれる領域となっており、これによって衝撃力を上方に誘導する。右はプレート式となっている車体側面の形式番号標記。'10.5.17 近畿車輌 P:RM(新井 正)
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注目の新製輌数は、昨年の計画発表時には約200輌(投資額約300億円)と発表されておりましたが、今回合計226輌が製造されると正式にアナウンスされました。内訳は「新快速」等に充当される0番代(最高運転速度130㎞/h)が110輌、阪和線用の5000番代(最高運転速度120㎞/h)が116輌となっております。なお、この225系に関しては本誌6月発売号にて詳しくお伝えする予定です。

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▲客室内から荷物室側車端を見る。ロングシートの先に客用扉、その先に荷物室との間仕切りが見える。また、右側上段の窓桟には戦後の資材不足時代の名残が見てとれる。'10.5.15
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このキホハニ56が保存されているのは佐久市の旧中込小学校資料館横の成知公園。旧中込小学校校舎は1875(明治8)年に成知学校校舎として建てられた大変由緒あるもので、国の重要文化財・史跡のほか、長野県宝にも指定されているそうで、時間が許せばぜひこちらも見学したいところです。

10517n491.jpgC56 101号機とともに模擬ホームを挟んで展示されているキホハニ56ですが、四方はかなり高いフェンスに囲まれており、接近することはかないません。しかし、隣接する旧中込小学校管理室に申し出て見学ノートに記名すればこのフェンスの鍵を開けてもらうことが可能で、室内を見学させていただくこともできます。2輌の保存車輌の管理は佐久市役所文化財課が行っており、両車ともにたいへん美しい状態に保たれています。
▲現存最古の洋風建築校舎として重要文化財にもなっている旧中込小学校。保存車輌はこの旧中込小学校資料館に隣接した公園にある。'10.5.15
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▲荷物室と逆側の車端部。半室式の運転台横には2人掛けのシートが備わる。側扉の窓桟も三岐時代の資材不足を反映したもの。'10.5.15
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▲キホハニ56の運転台。典型的な機械式気動車の運転台で、手前床にクラッチ、中央にスロットルレバーが見える。インパネのノブはチョーク。'10.5.15
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さて、キホハニ56の室内は内幅が2050㎜とたいへん狭く、現代の感覚(E233系は2750㎜)からするとちょっと不思議な空間に思えます。さらに片側車端部には全長の四分の一ほどの荷物室があり、専用扉が設けられています。興味深いのは運転室で、ワイヤー式のスロットルレバーやチョーク、クラッチペダルなど、かつての機械式気動車の運転装置をつぶさに見ることができます。

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▲佐久鉄道キホハニ56竣功図。新製当時は側扉の手すりを兼ねた縦雨樋が特徴だったという。台車形式は日本車輌BB-78形と記載されている。
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キホハニ56の6輌の仲間は、鉄道省で廃車後それぞれの道を歩むこととなります。51号は土佐電気鉄道クハ2101、52号は船木鉄道キハニ50、53号が名古屋鉄道サ2241→豊橋鉄道ク2241、54号と55号が西武鉄道キハ111・112→北海道拓殖鉄道キハ111・112(『内燃動車発達史』上巻参照)と変遷を重ねましたが、もちろんこれら僚車5輌はいずれも現存していません。落成(1930年)以来、今年で80年。日車本店初期のボギー内燃動車としても歴史の一頁を飾る本車が、ゆかりの地で大事に保存されているのはなんとも嬉しい限りです。

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▲キホハニ56とともに保存されているC56 101号機。かなり大ぶりなスノープラウが取り付けられている。'10.5.15
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▲旧中込小学校横の成知公園に保存されているもと佐久鉄道キホハニ56。画面後方先には小海線が走っており、時折"後輩"にあたる列車の通過音が聞こえてくる。'10.5.15
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買収国電(弊社刊『私鉄買収国電』参照)と同様、非電化の私鉄を買収国有化した際に鉄道省に編入された気動車は買収気動車と通称され、狭軌軽便線を含めて、まさに百花繚乱の様相を呈していました。

100517n460.jpgそんな買収気動車の生き残りが長野県佐久市に保存されている佐久鉄道キホハニ56です。佐久鉄道は1915(大正4)年の開業。買収時点の1934(昭和9)年時点では小諸~小海間30.7㎞を結んでおり、動力車は蒸気機関車8輌、気動車8輌を有していました。キホハニ56は同鉄道の内燃車輌導入の先鋒として1930(昭和5)年に日本車輌本店で製造された同形6輌(キホハニ51~56)のうちの1輌で、片側に荷物室を持つガソリン動車です。定員は座席・立席含めて60人、荷物室積載荷重は1t、エンジンはウォーケシャ6SRL形を搭載していました。なお、佐久鉄道は1932(昭和7)年年末に開業した小海~佐久海ノ口間の運行を鉄道省から受託しており、本車をはじめとした佐久鉄道の気動車たちは小諸~佐久海ノ口間で運用されていました。
▲車体幅は2200㎜とかなり狭い。こちらは荷物室のない側の正面。'10.5.15
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▲模擬ホームを挟んでC56 101も保存されている。同機は長年にわたって飯山線や大糸線で活躍した機関車で、保存状態も良好。'10.5.15
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買収後、8輌の佐久鉄道買収気動車たちは"小海北線"となった同区間で引き続いて使用されましたが、当然ながら形式は鉄道省形式を当てがわれ、キホハニ56は鉄道省キハニ40600形40605号となりました(『内燃動車発達史』上巻参照)。その後、さらにキハニ40700形40706号と改番され、1942(昭和17)年に廃車。翌年、三岐鉄道に譲渡されて同社のキハニ6形6号となって再起、同社で前後車端に荷台が増設されています(RMライブラリー『三岐鉄道の車輌たち』参照)。

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▲「サ」を九つ連ねて「さく」を表した判じものの佐久鉄道社紋(左)と、簡易連結器が復元された正面(右)。'10.5.15
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▲台車は軸距1500㎜の日車製菱型台枠(左)。エンジンは数回の換装を経てDA55が搭載されている(右)。'10.5.15
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三岐では1958(昭和33)年に荷物室を撤去してキハ6形6に改番したものの、翌1959(昭和34)年に別府鉄道へと譲渡されています。別府鉄道ではキハ3を名乗り、1984(昭和59)に同鉄道が廃止されるまで在籍していました(RMライブラリー『図説 別府鉄道』参照)。別府鉄道の車輌は相模鉄道かしわ台工機所で保存されているハフ7をはじめ、幸運にも6輌が保存され、キハ3は佐久鉄道ゆかりの車輌ということで、はるばる長野県佐久市へと運ばれて保存されることとなりました。しかも荷台の撤去をはじめ、簡易連結器への復元や社紋の取り付けなど、佐久鉄道時代の姿に極力戻そうという努力が払われたことが特筆されます。

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▲重連で急行「まりも」の先頭に立つC62 27〔築〕。'65.2 函館本線目名-上目名 (『Fの時代』より)
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東京千代田区のJCIIフォトサロンで、来る年6月29日(火)から8月1日(日)まで、広田尚敬作品展「蒸気機関車の時代~昭和34年とF~」が開催されます。ご承知のように、今年は広田さんが鉄道写真の撮影を始めてから60年目のアニバーサリーイヤーで、その鉄道写真活動歴60周年を記念して、出版社6社を横断して7冊の作品集が出版されます。弊社から昨年末に刊行した『昭和三十四年二月北海道』もその中の一冊で、今回の写真展では同書と、同じくモノクロの写真集『Fの時代』(小学館)所収の作品を再構成し、「蒸気機関車の時代~昭和34年とF~」と題してオリジナルプリント約70点が展示されます。

hirota_60th.jpgこの2冊の写真集はどちらも広田さん若かりし頃の作品で、『昭和三十四年二月北海道』は最後の活躍を続ける古典ロコの姿を求めて単身で厳冬の北の大地へ向かった記録であり、いわば広田さんの鉄道写真の原点ともいえるものです。しのぎやすい夏ではなく、あえて極寒の北海道でその地域特有の季節感を鉄道と共に写真に収めています。いっぽう、『Fの時代』は、ニコンFを使いこみ、撮影に明け暮れていた時代の作品で、ニコンFのタフさや精巧さが厳しい撮影状況でシャッターチャンスを生かすのに役立っています。エクステンダーを重ねて捉えたという「まりも」のC62 27の真正面に象徴されるように、大型蒸機最後の日々を追った作品群は、今なお多くのファンに感銘を与えるに違いありません。
▲6社共通の記念ロゴは高名なブックデザイナー・祖父江 慎さんの作品。

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▲凍てついた朝、転車台上の9237が朝日に輝く。'59.2.4 大夕張炭山 (『昭和三十四年二月北海道』より)
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■鉄道写真活動60周年記念出版
・『Fの時代』 小学館 モノクロ、ニコンFで撮影した写真集 発売中
『昭和三十四年二月北海道』 Nの時代 ネコ・パブリッシング 厳冬の北の大地に古典ロコを追った広田写真の"原点" 発売中
・『鉄道写真バトル』 VSの時代 モーターマガジン社 若い鉄道写真家とのバトル集
・『永遠の蒸気機関車』 Cの時代 JTBパブリッシング すべてキヤノンで撮影した蒸気機関車最後の日々のカラー写真集 発売中
・『電車大集合』(仮題) Kの時代 講談社 可能な限りの電車を盛り込んだ子供向け写真集
・『ブリッジ』(仮題) Bの時代 講談社 鉄道橋ばかりを集めたユニークな写真集
・『Dの時代』(仮題) インプレス・ジャパン 愛する鉄道路線を訪ねるルポ写真集 現在デジタルカメラマガジンに連載中 

広田尚敬 Hirota Naotaka (JCIIプレスリリースより)
今年、鉄道写真活動60周年を迎えた。中学3年生から鉄道を撮り始め、74歳の今年で60年、永く続けられた理由は鉄道が好きで憧れていたからだ。
そこで、6社を横断して7冊の記念出版を刊行する運びになった(出版社を横断の記念出版は前代未聞の初快挙)。うち2冊は若い頃に撮影したモノクローム。高い評価を得て、JCII写真展「蒸気機関車/昭和34年とF」へ発展した。
1935年東京生まれ、現代の鉄道写真を構築し、トップノッチとして発展させている。

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▲一面の雪原と化した線路をスノープラウで掻き分けるように進む9217。'59.2.10 三菱鉱業茶志内 (『昭和三十四年二月北海道』より)
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■広田尚敬作品展 「蒸気機関車の時代 ~昭和34年とF~」
●タイトル  広田尚敬作品展「蒸気機関車の時代~昭和34年とF~」
●期  間 2010年6月29日(火)~8月1日(日)  
●開館時間  10:00 ~ 17:00   ※ 入場無料
●休 館 日  毎週月曜日(祝・祭日の場合は開館)
●展示点数  約70点(全作品モノクロ)
●所 在 地 東京都千代田区一番町25番地JCIIビル1階 JCIIフォトサロン
      (東京メトロ半蔵門線・半蔵門駅下車、4番出口から徒歩1分)
※今回の作品展で展示される作品を収めた図録を制作し、フォトサロンにて販売。

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▲十勝の野を走るランケンハイマー。'59.2.26 日本甜菜製糖清水 (『昭和三十四年二月北海道』より)
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なお、この作品展にあわせて鉄道写真活動60周年記念・広田尚敬氏講演会「SL ~昭和34年とF~」が7月3日(土曜日)に開催されます。『Fの時代』を編集された小学館・月刊IKKI編集長の江上英樹さんと私と3人で、2冊の写真集の特徴や、撮影エピソード、鉄道写真の上達の秘訣など鉄道写真のプロフェッショナルならではのお話を語っていただく予定です。詳しくはまた日をあらためてご紹介いたしますが、予約制となっておりますのでお早めにご予定いただければと思います。
■日  時 2010年7月3日(土) 14:00~16:00
■会  場 千代田区一番町25番地JCIIビル 6F
      ※写真展会場は1F JCIIフォトサロン
      (東京メトロ半蔵門線・半蔵門駅下車、4番出口から徒歩1分)
■参 加 費 300円 (フォトサロン友の会・カメラ博物館友の会会員は無料)
■定  員 100名 (お申込み先着順で定員になり次第締め切り)
■申 込 先 JCIIフォトサロン (℡:03‐3261‐0300)
      ※座席指定はございません。

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▲太平洋岸の原野を行く朱色2輌編成の2429D。終着・釧路まではまだ一時間以上。'10.4.30 根室本線尺別―音別 P:鈴木幸次 (「今日の一枚」より)
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根室本線滝川発釧路行き2429Dが「日本最長の定期普通列車」としてにわかに注目を集めています。2429Dは滝川9時37分発。308.4㎞を8時間2分をかけて走り抜き、終点の釧路には17時39分に到着します。

100514n001.jpgこの2429Dがとりわけ脚光を浴びるようになったのは、去る3月14日(日)に釧路運輸車両所のキハ40形に朱色5号塗色車が登場してからです。第1弾のキハ40 777号に続き、第2弾キハ40 1749号、第3弾キハ40 1758号と3輌が塗色変更され、根室本線滝川~釧路間の運用に充当されるようになったため、2429Dも「国鉄時代」を再現する鈍行列車としてひときわ注目されるようになったのです。小ブログでもたびたびご紹介している「釧路臨港鉄道の会」の笹 正之さんからこの2429Dの最新情報をお送りいただきましたのでご紹介いたしましょう。
▲国鉄色2輌編成で運行された滝川発釧路行き普通列車2429D。'10.4.30 函館本線滝川 P:横田輝男 (「今日の一枚」より)
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kushiro40_001.jpg当初は一般塗色車のキハ40形との共通運用が予定されていた3輌の塗色変更車ですが、現在、JR北海道釧路支社では人気の2429Dに朱色塗色車3輌中2輌を定期的に充当するように車輌運用の調整を図っています(下記リンク参照)。
4月30日(金)には2429Dを利用したイベントも開催されました。777号と1758号が起用され、途中の幾寅駅(映画「鉄道屋」のロケ地で、駅前にキハ12 23=キハ40 764の前頭部カットモデルを保存中)にて約6分の停車時間(所定では30秒)を確保して記念撮影タイムを設定したほか、終着の釧路駅では1番線に着線変更のうえ、到着セレモニーも行われました。ちなみに、同日の釧路17時11分発帯広行き2530Dにもう1輌の朱色塗色車1749号が充当されており、大楽毛駅で2429Dと交換、朱色同士3輌が顔を合わせるという嬉しい演出もなされました。
▲『北海道新聞』5月11日付け釧路・根室版でも復活「国鉄色」が大きく取り上げられた。
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▲日本最長の定期普通列車2429Dは今や道東を代表する人気列車となっている。『釧路新聞』5月4日付け。
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この日、滝川から8時間余りを"完乗"した方は20人。釧路駅で行われたセレモニーでは記念品が手渡されるなどおおいに賑わったそうです。2429Dへの塗色変更車充当は、今後毎月第2・第4土曜日に予定されており、滝川から1輌、富良野からは増結1輌が加わって朱色2輌編成となって釧路を目指します。なお、10月末までにこの2429D全区間を乗車された方にはJR北海道釧路支社オリジナルの記念乗車証明書が手渡されるそうで、夏休みにかけて一層盛り上がりを見えるに違いありません。

※釧路支社キハ40塗色変更車運用情報はこちら

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▲鷹取工場製造番号1番の銘板が残るD51 211号機のキャブ。静態保存開始から40年近くの歳月が経つが、状態は良好。'10.5.9 P:高橋 修
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先日の「鷹取工場を語り継ぐものたち」をご覧になった高橋 修さんから、ちょうど訪れたばかりという神戸市立王子動物園に保存されているD51 211号機の画像をお送りいただきました。鷹取駅の地下道壁面にも写真が飾られている同機は、鷹取工場が製造した記念すべき蒸気機関車第1号機です。

IMG_1322nn.jpgD51 211号機は1938(昭和13)年10月13日の落成。日中戦争にともなう車輌メーカーの生産量増加で鉄道省内の工場でも機関車を新製することとなり、鷹取工場ではこの211号機を皮切りに、1943(昭和18)年までの間に合計60輌のD51形が誕生しています。もちろん先般「鉄道省 鷹取工場 昭和15年 製造番号26」の楕円形銘板が復元されたD51 498号機も鷹取生まれです。沖田祐作さんの「機関車表」(本誌300号付録データベース)によれば、落成したD51 211号機は同月23日に姫路機関区に配置、以後、吹田→梅小路→奈良→亀山→奈良と移動したものの、終生、鷹取工場の受け持ち範囲を出ることなく1971(昭和46)年5月4日付けで廃車され、ここ神戸市の王子動物園に静態保存されました。
▲周囲が柵や樹木に囲まれており、全体を撮影することはなかなか難しそう。正面のナンバープレートは形式入りのものが付けられている。'10.5.9 P:高橋 修
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同機は竣功時に撮影された西尾克三郎さんの美しい形式写真でも広く知られた存在ですが、鷹取工場、そして神戸市民の皆さんにとっても、"わが町生まれのD51"として親しまれ続けているわけです。

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▲仲良く並んだヨ6692(左)とヨ14542(右)。前者には広島工場、後者には土崎工場の検査標記が残されている。'10.5.9 P:高橋 修
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▲比較的原型を留めているヨ14542号の車内(左)と、客車用シートが入れられてすっかり雰囲気の変わったヨ6692号の車内(右)。'10.5.9 P:高橋 修
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この王子動物園にはほかにも2輌の車掌車が保存されています。ヨ5000形のヨ14542号とヨ6000形のヨ6692号で、両車ともに車内が開放されており、休息スペースとして利用できるようになっています。ヨ6000形の方はなぜか客車用のシートなどが並べられており、室内はかなり趣が違ってしまっていますが、ヨ5000形の方はかなりオリジナルを留めており、一般には見ることかなわなかった車掌車車内の雰囲気を体感することができます。

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日本電信電話(NTT)と角川グループホールディングスによる合弁会社NTTプライム・スクウェア株式会社は12日、コンテンツプロバイダーがあらゆる"ファン"に向けて、動画、写真、テキスト、音声・音楽を自在に組み合わせた新たな形のハイブリッドコンテンツを配信し、ブロードバンドネットワークを通じて様々な情報機器で視聴してもらうことができるクラウド型コンテンツ配信サービス「Fan+(ファンプラス)」を提供することを発表、その発表会が原宿クエストホールで行われました。
▲まったく新しいクラウド型コンテンツ配信サービス「Fan+(ファンプラス)」を発表する日本電信電話(NTT)の鵜浦博夫副社長(左)と角川グループホールディングスの角川歴彦CEO(右)。'10.5.12 原宿クエストホール

このサービスでは、動画、写真、テキスト、音声・音楽といった様々な素材が組み合わされた、これまでにないコンテンツを縦横無尽に楽しむことができます。例えば、鉄道写真やその記事を見ながら、そこに登場してくる車輌の動画を視聴し、さらにそのスペックを調べるといった複合的な動きが可能となります。

100513n3474.jpgさらに、"ファン"(ユーザー)の方は、「Fan+(ファンプラス)」会員登録を行えば、クラウド(ネットワーク)上に自分専用の「MyBox」(インターネット上の本箱のようなもの)を持つことができ、「Fan+(ファンプラス)」ショップが配信するハイブリッドコンテンツをいくらでもコレクションすることができます。また、コレクションしたコンテンツはクラウド上に存在するので、利用シーンにあわせてPCやケータイ、スマートフォン等さまざまな情報機器からアクセスして、自分がコレクションしているハイブリッドコンテンツを楽しむことができるようになります。例えば、自宅ではPCで、通勤・通学途中はケータイやスマートフォンで、といった使い方も可能です。
▲ファンプラスのマルチデバイス配信システムを解説するNTTプライム・スクウェア井上淳也取締役。
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従来、ファイルフォーマットの違いなどもあって、マルチデバイス対応の配信システムを運用するにはたいへんな手間がかかりましたが、今回の「Fan+(ファンプラス)」では支援ツールやコンテンツ形式変換配信システムなどをNTTプライム・スクウェアがレベニューシェア方式でコンテンツプロバイダー側に提供するため、送り手側もストレスなく参入できるのが大きな特長となっています。

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▲「Fan+(ファンプラス)」の利用イメージ。(プレス発表資料より)
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▲Xperiaで鉄道コンテンツのモックアップ画面を見る。デジタルマガジンは動画もふんだんに盛り込まれており、縦横無尽の操作性を発揮する。
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発表会冒頭の挨拶で角川グループの角川歴彦CEOは「従来の日本の経済・産業界は"心の豊かさ"を売るのがたいへん下手だった。アップルやグーグルを例に挙げるまでもなく、これからは文化をしっかりとサポートできるサービスこそが必要」と力説されました。折しもiPadの日本上陸目前の今回の発表、今後の展開が期待されます。なお、この「Fan+(ファンプラス)」、実は鉄道関連コンテンツに関しては、開発スタート時から弊社が深く関わらせていただいております。サービス提供開始は今年9月となりますが、どうか今からご期待いただければ幸いです。

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▲鷹取駅の駅舎外壁に埋め込まれた煙室戸のモニュメント。P:宮武浩二
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先日来話題となっているD51 498号機の集煙装置装備ですが、後藤式デフ装備とともに、キャブ側面には鷹取工場の楕円形の製造銘板(レプリカ)が取り付けられ、一層重厚感が増しました(アーカイブ「集煙装置装備となったD51 498」参照)。その同機の生まれ故郷でもある鷹取工場が100年に及ぶ歴史を閉じたのはちょうど十年前の2000(平成12)年のこと。山陽鉄道時代からわが国の鉄道車輌技術の一翼を担ってきた大工場は、次第に記憶の彼方へと消えてゆこうとしていますが、地元の鷹取駅ではその記憶を語り継ごうとする取り組みがなされているそうです。大阪の宮武浩二さんからレポートを頂戴しましたのでご紹介いたしましょう。

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▲レプリカの煙室戸には1800形、9600形、C57形のナンバープレートが取り付けられている。1801号機は鉄道作業局(西部局)に配置された機関車、C57 1号機はいわずもがなのJR西日本の動態保存機なのに対し、39601号機(川崎製)は関西とはほとんど縁がなく直方で廃車となっており、なぜこの番号なのかも謎。P:宮武浩二
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以前から気になっていたのですが、JR神戸線鷹取駅にはかつての鷹取工場を偲ばせるモニュメントがいくつも見られます。先日、三宮まで出たついでに改めて観察してきました。
まず駅舎の外壁に埋め込まれているのは、レプリカの煙室戸とナンバープレートのレプリカです。左から1800形1801号、9600形39601号、C57形1号。不思議なのは真ん中の39601号で、これのみ砲金製ではなく鉄製のプレートで違和感があります。両側が本格的な砲金プレートだけになおさら気にかかります。

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▲「鐵道作業局神戸工場製造 明治三十一年」の鋳造柱銘板。P:宮武浩二
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▲地下道壁面にはD51 211号機をはじめとした鷹取工場ゆかりの機関車の写真と全景航空写真がはめ込まれている。P:宮武浩二
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▲英国リバプールの"HAMILTON'S WINDSOR IRON WORKS LTD."製の鋳造柱(左)。右は神戸港入換機などに取り付けられていた鐘に類似しているが、果たして真贋のほどは...。P:宮武浩二
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また、駅の下を抜ける地下道の中ほどに鷹取工場の由来と全景の航空写真、さらに記念すべき機関車のタイル絵が飾られています。解説に曰く、「明治7年、大阪・神戸間で鉄道が開通し、鉄道事業発展に伴い明治33年この地鷹取に工場が開設されました。鷹取工場は地域の発展と共にその歴史を刻んできました。平成7年1月17日、阪神淡路大震災により被災しましたが鷹取工場の機能は平成12年網干総合車両所に移転されました。その後、鷹取工場跡地は震災復興土地区画整理事業により、現在のまちなみに整備されました」。
さらにこの地下道内にはイギリスから輸入された鋳造柱や国産(鉄道作業局)の鋳造柱なども保存されており、追い打ちをかけるように改札口の壁面には怪しげなナンバープレートが3枚貼り付けられています。本物とレプリカが入り混じったような、なんとも不思議な空間です。

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▲鷹取駅改札正面にはEF80 15、C53 851、EF16 74のナンバープレートが。さてこの中で実存した番号は...? P:宮武浩二
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宮武さんありがとうございました。それにしても真贋入り混じった(?)空間は、まさにトワイライトゾ~ンそのもので、近くに行く機会があればぜひとも実見してみたいものです。

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▲E5系「はやぶさ」のシンボルマーク。(JR東日本提供)
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本年12 月に開業を予定している東北新幹線八戸~新青森間の開業日が12月4日に決定いたしました。また、追って来年2011年3月から最高速度300km/h で営業運転入りする新型高速新幹線車輌E5系(アーカイブ「E5系先行試作車を公開」参照)の列車愛称名が「はやぶさ」に決まりました。昨年3月に東海道から寝台特急「富士・はやぶさ」が消えて(アーカイブ「さらば"富士・はやぶさ"、ついに最後の日」参照)から2年後の来春、伝統の「はやぶさ」が東北に甦るわけです。

091211hachinohemap.jpg新青森開業は本年12月4日(土)で、東京~新青森間15往復のほか、仙台~新青森間1 往復、盛岡~新青森間1 往復が設定されます。当面は在来のE2系10輌編成(定員814席=グリーン車51席+普通車763席)が充当され、列車名は「はやて」を踏襲、東京~新青森間の最速達列車は3時間20分程度が予定されています。同時にJR北海道側ではこの新青森開業に合わせて、現在函館~八戸間と函館~青森間で運転されている特急「スーパー白鳥・白鳥」の運転区間を函館~新青森に統一する計画です。
▲東北新幹線新青森開業時の八戸~青森間概略図 (編集部作成)
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注目のE5系列車名ですが、去る3月2日(火)から3月31日(水)までの30日間にわたって公募が行われ、150,372件の応募があったそうです。このうち同音(ひらがな・カタカナ・漢字)および愛称を構成する主要語句に冠詞がついたものは同一の愛称として集計した結果、応募愛称種類は4,396種類、第1位の「はつかり」以下、2位「はつね」、3位「みちのく」と続き、「はやぶさ」は応募数3,129件で第7位にランクインしています。順位では7位でしたが、審査の結果、スピード感があり親しみやすい愛称であることから「はやぶさ」に決定されました。

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▲報道公開時のE5系。8M2Tの10輌編成で車体はアルミニウム合金製。上部は「常盤(ときわ)グリーン」下部は「飛雲ホワイト」に塗り分けられ、中央に「はやてピンク」の帯が入っている。'09.6.17 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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E5系新幹線「はやぶさ」の営業運転開始は2011(平成23)年3月から予定されており、3編成が投入されます。東京~新青森間2往復、東京~仙台間1往復が最高速度300km/h での運転を行い、東京~新青森間の到達時分は3時間10分程度となる見込です。最高速度を320km/h( 東京~新青森間最短3時間5分程度)にアップするのは2013年3月とされています。なお、E5系車体側面には鳥類の「ハヤブサ」をモチーフとしたシンボルマークが貼付される予定です。

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▲電動レッグレストや座席内蔵読書灯などが設備されたグリーン車座席。'09.6.17 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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▲新幹線普通席では初となる可動マクラを備えた普通車座席。'09.6.17 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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そしてもうひとつ。2年ほど前にこのE5系への国内新幹線初となるファーストクラス「スーパーグリーン車(仮称)」の導入が発表されておりましたが、このたび正式名称、インテリアデザイン等が発表となりました。名称は「グランクラス(GranClass)」。フランス語で「大きな」という意味を表す「Gran」と英語の「Class」を組み合わせた造語で、高級感に加え、大きな特徴であるゆとり・居住性を表現しています。ヨーロッパにおいても一部で最上位車輌に「グランクラッセ/Gran Clase」という名称が使用されており、ついに日本にも3等級制時代の「イ」に相当するクラスが誕生することになります。

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▲「グランクラス」の車内イメージ。フル規格の新幹線車輌としては初の3列座席となる。(JR東日本提供)
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▲リクライニング角度の大きい背もたれ、座面、レッグレスト、フットレストの
連動による快適な座り心地を追求した「グランクラス」シート。(JR東日本提供)

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▲在来グリーン車との比較。(JR東日本提供)
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「グランクラス(GranClass)」のインテリアデザインは、「特別な旅のひとときをあなたに -Exclusive Dream- 」をコンセプトに、質感の高い素材や居心地のよい照明により、上質で洗練された空間が創出され、シートもバックシェルタイプの斬新なデザインでプライベート感を演出するとともに、広いシートピッチと3列座席配置により、ゆとりある快適な座り心地を実現するとしています。さらに専任アテンダントによる車内サービス(アテンダントコールにより一人ひとりの要望に対応)や、食事・ドリンクサービス、アメニティーサービス(ブランケット、スリッパ、アイマスクのほか、新聞、雑誌を用意)も予定されています。E5系「はやぶさ」の運転開始と同時にサービスインするそうですので、今から来年3月が楽しみです。

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都電"乙2"を見る。

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▲その名も神明町都電車庫跡公園は、旧神明町車庫跡地に1975(昭和50)年4月に開設された文京区の公園。大都会のビルの谷間につかの間の新緑が広がる。'10.5.3
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東京都電の保存車輌は6000形を中心に十指に余りますが(アーカイブ「修復進む都電6191」参照)、そんな中でひときわ異彩を放っているのが文京区の神明町(しんめいちょう)都電車庫跡公園(文京区本駒込4-35)に保存されている"乙2"です。

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▲電動無蓋貨車乙2。近年再整備され保存状態は良好。濃緑色の車体塗色はオリジナルに近いという。ちなみに周囲の柵が接近しており、このように広角(24㎜)レンズでも全体像を画面に収めるのは至難の業。'10.5.3
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"乙"という聞きなれない形式記号は電動無蓋貨車を示します。貨車といっても花電車に用いられる無蓋改造車も乙を名乗っており、近年では1978(昭和53)年に荒川線リニューアル記念として6000形が無蓋化されて乙6000形となった例があります(アーカイブ「都電最後の花電車」参照)。ちなみに"甲"は電動有蓋貨車を示します。
乙2号は1941(昭和16)年に造られた2軸の電動無蓋貨車で、形式は乙1。関東大震災の復興に活躍した片運転台の乙10形の台車を利用して自社芝浦工場で製造されたと伝えられ、乙1は三田車庫に、乙2は荒川車庫に配置されていました。

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▲運転室にはダイレクトコントローラーと鶴首のようなハンドブレーキが備わるのみ(左)。運転室は木製で、背面には筋交が見える(右)。'10.5.3
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▲台車はブリル21-Eを履く。製造当初は乙10形の台車が用いられていたという。'10.5.3
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展示車輌の解説看板によれば、戦後は軌道敷の砕石輸送や、また一時は野菜、魚貝類などの食料品輸送にも活躍したそうですが、僚車乙1号は1967(昭和42)に三田車庫の終焉とともに廃車、残されたこの乙2号も1971(昭和46)年3月20日に荒川車庫で廃車されています。
荷重:5t
積載容量:15?
最大寸法(長×幅×高):7650×1980×3453㎜

※展示解説看板による。

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▲ビューゲルはなぜか荷台に固定されてしまっている。荷台床部分はバラストなどの積載のためか鉄板が貼られているのがわかる。'10.5.3
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この乙2号は神明町車庫ゆかりの6000形6063号とともに保存されていますが、特に神明町と直接的な関係のなかったこの電動貨車がよくぞこの地に保存したものと、あらためて感心します。木造無蓋の車体だけに、その保守は6000形の比ではないはずで、開放式の運転台も風雨に晒されて傷みも激しいはずです。そんななか、廃車からかれこれ40年が経とうとするこの小さな木造電動貨車が、これだけの状態を保っていることに敬意を払わずにはいられません。

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▲乙2号とともに保存されている6000形6063号。こちらも状態は悪くはない。江本廣一さんのRMライブラリー『東京都電6000形』によると、本車は1959(昭和24)年富士産業製で、神明町車庫から最後は荒川車庫に転じて1978(昭和53)年4月に廃車されている。'10.5.3
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大塚車庫の分庫として発足した神明町車庫は、20系統(江戸川橋~須田町、1971年3月廃止)と40系統(神明町車庫前~銀座七丁目、1967年12月廃止)の2系統を受け持ち、煉瓦造りの古風な建物が特徴であったと聞きます。車庫そのものも廃止から間もなく40年...街からは都電の面影はすっかり消えてしまいましたが、ビルの谷間でささやかなオアシスとなっているこの公園が"都電車庫跡公園"と名付けられていることに、なぜかほっとする思いでした。

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