鉄道ホビダス

2010年4月アーカイブ

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ちょうど一ヶ月後の5月29日(土曜日)、話題の映画、その名も「RAILWAYS」が公開となります。先日、ひと足お先に東京・銀座の松竹本社試写室で拝見する機会を得ましたが、鉄道という枠を超えて、多くの方にお薦めしたい素晴らしい作品です。
▲主人公の故郷の駅としてたびたび登場する一畑電気鉄道伊野灘駅。宍道湖畔のこの小駅とデハニ50の姿が心象風景となっていつまでも心に残る。 c2010「RAILWAYS」製作委員会
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「49歳で電車の運転士になった男の物語」の副題が示すように、物語は、東京の大手家電メーカーの経営企画室長として辣腕をふるいながらも、人間らしい生活とはほど遠い日々を送る主人公が、ある日「俺は、こんな人生を送りたかったのか...?」と立ち止まり、そして子どもの頃からの夢、電車の運転士になることを決意するところから始まります。ここで言う電車とは、主人公の故郷を走る"バタデン"こと一畑電気鉄道。全編を通して先般現役を引退したデハニ50形が、さながら"助演俳優"のように登場します。

100429sub1.jpg主人公・筒井 肇を演じるのは中井貴一さん。過去に例のない49歳という高齢ながら熱意を買われて入社した主人公は、京王電鉄での研修ののち、いよいよ"バタデン"の運転士としての第一歩を踏み出します。そして、夢に挑むその姿は、やがてばらばらに離れていた家族の心も引き寄せてゆきます。自分らしく生きること、誇りを持って仕事に打ち込むこと、そして何よりも家族を大事に想う気持ち...だれもがかくあるべきと思い描きながらも、なかなか実現しえない理想だけに、フィクションとはわかっていながらも、思わず目頭が熱くなってしまいます。
▲大手家電メーカーの経営企画室長・筒井 肇は仕事しかない日々を送っていた。 c2010「RAILWAYS」製作委員会
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▲夢だった運転士への道を歩み始めた主人公と、挫折の中で夢を失いかけていた同期入社の若者との会話が物語の伏線となってゆく。 c2010「RAILWAYS」製作委員会
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配役はほかに、ハーブショップ経営という自分の夢を叶える一方で、夫とのすれ違いに悩む妻・由紀子に高島礼子さん。それぞれ自立しながらも夫婦であり続けるという、現代の夫婦間の微妙な距離を演じきります。何をやりたいのか分からず悩む大学生の娘・倖に本仮屋ユイカさん、幾つになろうとも息子をわが子として温かく見守る母親に奈良岡朋子さん。そして主人公の同僚で、故障のためプロ野球の選手になるという夢を諦め運転士になった宮田を、本作で役者デビューを果たす三浦友和さんと山口百恵さんのご子息・三浦貴大さんが演じます。製作総指揮は「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズを企画・制作したROBOTの阿部秀司さん。監督は自身も島根県出身の錦織良成さん。主人公の心情をさらに豊かに彩る主題歌は、あの松任谷由実さんが手掛けられています。

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▲東京での殺伐とした日々が嘘のように、デハニ50を運転する主人公には誇りとよろこびが溢れる。 c2010「RAILWAYS」製作委員会
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一畑電気鉄道・一畑電車が全面的に協力しているとあって、デハニ50はもとより、本線上での軌道自転車の走行シーン等々、趣味的にも見所がいっぱいです。もちろん中井貴一さん演じる主人公がデハニを運転している(ように見える)シーンなど、どうやって撮影したのか謎解きをしたくもなりますが、そんなことより、さながらBGMのように耳に残るデハニの心地よい吊掛音に身を委ね、ファン目線を離れて心に刻みたい作品です。

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▲余命わずかな母は、伊野灘駅をのぞむ家で、夢を叶えた息子が運転する電車を見送り続ける。 c2010「RAILWAYS」製作委員会
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ところでこの「RAILWAYS」というタイトル、「49歳で電車の運転士になった男の物語」という副題を伴わないとあまりに漠然としています。しかも複数形なのも気になるところですが、製作総指揮を務めたROBOTの阿部秀司さんはインタビューで、「『RAILWAYS』という映画を、『男はつらいよ』とか、『釣りバカ日誌』のように、毎回違う場所、地方で鉄道をテーマにした映画としてシリーズ化したい」と語っておられます。次に題材としたい地方の私鉄の候補もすでにあるそうで、こちらも気になります。

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※連休中は小ブログは休載とさせていただきます。5月10日より再開の予定ですので、あしからずご了承ください。

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▲集煙装置と後藤工場式に準じた切取デフを装備してすっかり印象の変わったD51 498号機。明日から営業運転に入る。'10.4.28 高崎車両センター高崎支所 P:RM(小野雄一郎)
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先日、中間検査Bを終えて大宮総合車両センターから高崎車両センター高崎支所へと戻ったD51 498号機ですが、明日(4月29日)からの営業運転再開を前に嬉しいサプライズが用意されていました。なんと集煙装置と切取式除煙板が装備されたのです。

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▲その非公式側。これで外付けの重油タンク(現在はテンダ内に収納)が加われば、かつて山岳路線で見られた重装備D51の再来となる。'10.4.28 高崎車両センター高崎支所 P:RM(小野雄一郎)
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集煙装置は来る5月29日(土曜日)から始まる「SLやまなし」号の運転に備えたものです。これまでの中央東線での運転が塩山~甲府間の甲府盆地内であったのに対して、今回の運転区間は甲府~小淵沢間。勾配に加えて隧道区間が多く、その対策のためにわざわざ集煙装置が新製されることになったものです。

_DSC8610n.jpgあらためて簡単にご紹介すると、「集煙装置」とは集煙冠とも称され、煙突に取り付けて煙の流れを変える装置です。名称から煙を集めて減らす効果があると誤解されがちですが、あくまで煙の流量に変化はなく、隧道進入時に天井に叩きつけられた煙が渦を巻いて列車に纏わりつくのを防ぐために、集煙装置の上部シャッター(天窓)を閉めることで煙を上に上げずに後方に流す機能だけを備えています。1952(昭和27)年に北陸本線柳ケ瀬越えを担当していた敦賀機関区が考案したのがその嚆矢とされ、以後、急勾配と長大トンネルを持つ全国の機関区でさまざまな形態のものが使用されてきました(RMライブラリー西尾恵介『国鉄蒸機の装備とその表情』参照)。
▲僚機D51 499号機と同様に上部の折り返しが大きい後藤デフを装備してすっかり面相も変わった。'10.4.28 高崎車両センター高崎支所 P:RM(小野雄一郎)
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▲サイドビューを見る。この角度からだと中央本線の車輌限界に合わせた背の低い集煙装置は大きなデフレクターに隠れてしまう。'10.4.28 高崎車両センター高崎支所 P:RM(小野雄一郎)
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今回新製されたのは、外観から判断するに、蒸機現役時代もっともポピュラーであった「鷹取工場式」と呼ばれる形状のものをベースとしているようです。ただし、鷹取式はエアシリンダーによって上部シャッターの開閉を行いますが、この498号機用はテコによる手動開閉式となっており(成田冬紀「集煙装置の系譜」=『国鉄時代』vol.10所収)、その点ではかつて中央本線や篠ノ井線で見られた長野工場式に準じていると言えましょう。

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▲長野工場式に準じた手動式の集煙装置の動作。左が通常、右が上部シャッターを閉じた状態で、煙は集煙装置後部へと誘導される。'10.4.28 高崎車両センター高崎支所 P:RM(小野雄一郎)
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_DSC8622n.jpgさらにデフレクターも切取式に変更されています。これまでのC57 180号機や58654号機、さらには昨年秋に衝撃的なデビューを飾った秩父鉄道のC58 363号機はいずれも小倉工場式のいわゆる"門デフ"ですが、今回D51 498号機に装備されたのは1番違いの499号機に装備されていた後藤工場式に瓜二つのスタイルとなっています。関 崇博さんの『門鉄デフ物語』によれば、これは"G-3"タイプと呼ばれるもので、同形態のものはD51 499号機とD51 727号機の2輌のみ。一見すると"象の耳"のような上部の折り返しと、アールを描いた前支えと後支えが堂々たるイメージを与えてくれます。
▲機関助士が握っている棒を前後に操作することで集煙装置の開閉を行う。なお、キャブには楕円形の鷹取工場の製造銘板(レプリカ)が取り付けられている。'10.4.28 高崎車両センター高崎支所 P:RM(小野雄一郎)
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▲498号機とは1番違いの499号機は1957(昭和32)年に後藤工場でこの独特のデフを装備した(『門鉄デフ物語』による)。デフ側面中央には後藤工場標準車のマークが取り付けられていた円形の跡が見て取れる。'72.8 関西本線柘植駐泊所 P:名取紀之
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まさか2010年の世に"新品"の集煙装置と後藤デフが誕生しようとは夢にも思っておりませんでした。この生まれ変わったD51 498号機は明日(4月29日)の「SL碓氷」号から活躍を開始し、連休中の「SLみなかみ」号でもその姿を見られるはずです。

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▲中央本線・篠ノ井線で活躍したD51は長野工場式集煙装置に重油タンクが標準装備だった。なかには長工デフと通称された切取除煙板を装備したものも多く、フロントビームに塗られた"白ひげ"とともに信州のD51をイメージ付けていた。498号機がこんなシーンを再現してくれれば...。'67.2.19 篠ノ井線姨捨 P:笹本健次
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※今週金曜日(4月30日)15時30分からのNHKラジオ第一「金曜旅倶楽部」で「絆が守ったミニ鉄道」(→こちら)と題して、20分ほどひたちなか海浜鉄道のお話をいたします(生放送)。連休中でもありますので、お時間のある方はぜひお聞きください。全国どこからでもお聞きになれます。

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C57 1ボイラ載せを完了。

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▲仮台車に載せられた主台枠に特別修繕を終えたボイラが慎重に下ろされる。'10.4.26 梅小路運転区 P:高間恒雄
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昨年12月21日に梅小路運転区から搬出され(アーカイブ「C57 1号機のボイラ検査開始」参照)、大阪市内のサッパボイラで特別修繕を受けていたC57 1号機のボイラが昨日、見違えるように綺麗になって梅小路の扇形庫に戻ってきました。

100427n005.jpgC57 1号機(昭和12年3月22日川崎車輌製)のボイラは戦時中の酷使と被弾等もあって1958(昭和33)年に新罐と載せ替えられていますが、その後も1961(昭和36)年に羽越本線村上?間島間で急行「日本海」を牽引中に土砂崩れに遭遇して脱線転覆、さらに動態復活後の1995(平成7)年には鷹取工場に検査入場中に阪神・淡路大震災で罹災するなど、多くの試練を経験しています。「やまぐち」号運転開始から30年を経て、さすがにボイラそのものの疲労も溜まってきたため、今回の全般検査入場を機会に特別修繕を受けることとなったものです。
▲大阪のサッパボイラからトレーラーに載せられて梅小路に戻ってきたC57 1のボイラ。'10.4.26 梅小路運転区 P:高間恒雄
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▲仮台車に載せられて、掛りの方々の人力で検修庫を出る主台枠。'10.4.26 梅小路運転区 P:高間恒雄
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C57のボイラは長さ10m、重さ約13t。今回の特別修繕に際しては、煙管の取り替えのみならず、煙室管板と火室管板そのものの新製交換も行われ、これまでにない大規模な修繕となりました。

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▲2基のクレーンによって吊り上げられるボイラ(左)。右は灰箱との接合前の状況。'10.4.26 梅小路運転区 P:高間恒雄
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朝9時に開始された作業は、まず主台枠をジャッキアップして仮台車に載せるところから始まりました。トレーラーでボイラが搬入されると、クレーンで吊り上げて灰箱が取り付けられます。いっぽう、仮台車に載せられた主台枠は人力で転車台に載せられて転線し、クレーンで吊り上げられたボイラの下へと移動します。こののち主台枠上にボイラが載せられてこの日の作業は完了となりました。

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▲無事に主台枠と合体したボイラは人力で転車台に載せられ、検修庫へと入れられる。'10.4.26 梅小路運転区 P:高間恒雄
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今後、各部の組み付けが行われ、6月下旬には試運転が行われる予定だそうで、夏休みには山口線にすっかり美しくなったC57 1の姿が甦るはずです。

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▲田町駅の連絡橋から東海道新幹線を撮り、PC上にデータを落とし込むとGPSデータをもとにGoogle Earth®上に撮影ポジションがプロットされる。さらにこのように作品と航空写真を合成表示することも可能。
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立場上いろいろなカメラメーカーさんから開発中の新製品についての意見を求められることが少なくないのですが、そんな時に例外なく申し上げてきたのがGPS機能の標準装備です。人物認識やらさまざまな画像加工やら、"線路端"で実践する分にはニーズとほど遠い機能ばかりが優先され、鉄道写真本来の「記録」という最大の目的がいまひとつないがしろにされてきた思いを込めての提言です。

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▲満開の桜をバックにしたソニー サイバーショット DSC-HX5V。広角側が25㎜、望遠側が250㎜(35㎜判換算)と幅広いのも便利。
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もちろんオプションでのGPS端末はこれまでにも見受けられましたが、なぜか方位機能を含めて標準装備された例はなく、その面でもまさに歯がゆい思いでした。そんな状況の中でソニーからGPS機能とコンパス機能を標準装備したサイバーショット DSC-HX5V(→こちら)が発売され、先日そのデモ機をテストする機会に恵まれました。

100425n117.jpgサイバーショット DSC-HX5Vはコンパクトカメラとしては初のAVCHDフルハイビジョン(1920×1080、60i)ビデオ撮影機能を備え、広角25㎜(35㎜判換算)からの光学10倍ズームを装備しています。そのほかにもスイングパノラマ機能など多彩な機能を持ち、ファミリーユースのコンパクト・デジタルカメラとしても注目の新製品ですが、やはり感動的なのはGPS・コンパス機能です。撮影時点ではそのポテンシャルを実感することはできませんが、付属ソフト「PMB(Picture Motion Browser)」をインストールしたパソコンに撮影データを投げ込んだ途端、それは驚きへと変わります。
▲3.0型、230,400ドット(TFT)液晶モニターもクリアで見やすい。コンパスとGPS位置データは液晶モニター上にも表示される。
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▲先日、ひたちなか海浜鉄道を訪ねた際のひとこま。殿山駅上り方の跨線橋から下り列車を写したものだが、これといったランドマークが写り込んでおらず、何年か後には記憶も定かでなくなり、オーバーパスからの俯瞰という以外、撮影ポジションの特定が難しくなるかもしれない。'10.4.3 那珂湊?殿山
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▲GPSデータはGoogle Earth®上に落とし込まれ、作品と撮影位置、撮影方向が一目瞭然で表示される。方位の数値データ(左下)を表示したり、さらに拡大表示することも可能。
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「PMB」に取り込んだ画像を選択、マップビューにドラッグするとGoogle Earth®上にGPSデータが落し込まれ、撮影画像が地図上にプロットされます。しかもコンパス機能も備えているため、撮影方向も同時に表示されるところは、まさに痒いところに手が届く思いです。もちろんGoogle Earth®をベースとしていますから、拡大・縮小、さらには航空写真や3Dマップとの切り替えも可能です。

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▲ひたちなか海浜鉄道沿線で見かけたクジラのモニュメント。地元で人気のキャラクター、クジラの"大ちゃん"だが、線路と離れたこういったスナップこそどこで撮ったかわからなくなってしまいがち。'10.4.3
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▲そんな画像データをPC上に落とすと一発で撮影位置が表示される。位置情報のプロパティーを開けば詳細データ(左)が確認できる。もちろん広域表示(右)も可能。
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とかくクルマでの移動が多く、なおかつ撮影枚数を気にしないデジタル撮影が主流となった昨今、時間の経過とともに、どこで撮ったのかさえわからなくなってしまう画像が増えかねません。そんな時、このGPS・コンパス機能はまさに福音で、これで鉄道写真の日時・場所といった基本的要素がすべてカメラ任せにできることとなります。

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ソニー サイバーショット DSC-HX5Vのプロフィール。側面にはGPSの表記が見える。
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さらにありがたいのは海外での撮影時です。GPSを標準装備しているため、エリア設定の変更のみで細かい設定をしなくても時刻補正ができます。詳細な地図もない海外での撮影ではGPSデータは何者にも代えられない強い味方となるはずで、帰国後Google Earth®上に落し込まれてゆく撮影画像には、思わずにんまりしてしまうに違いありません。

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竹島紀元さんを囲んで...。

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▲東京・新橋の第一ホテル東京で開かれた「竹島紀元さんに感謝する会」会場では、大きなスクリーンに「雪の行路」をはじめとした名作のダイジェストが映し出された。'10.4.25
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今日は15時から東京・新橋の第一ホテル東京で「竹島紀元さんに感謝する会」が開催され、私も弊社社長の笹本と一緒におじゃまいたしました。

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▲開会の挨拶に立たれる発起人のお一人、もとJR東海社長の須田 寛さん(左)。星 晃さんも駆けつけられた(右)。'10.4.25
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株式会社鉄道ジャーナル社の創業者であり、『鉄道ジャーナル』や『旅と鉄道』の編集長として活躍されてきた竹島さんは、84歳というご高齢のためこの1月末をもって勇退されましたが、その業績は言うに及ばず、出版界・写真界への影響も計り知れないものがありました。弊社=ネコ・パブリッシングも、元はといえば社長・笹本が学生時代に鉄道ジャーナル社でお世話になったのが原点ですし、現在活躍している鉄道カメラマンのほとんどの方が、何らかのかたちで同誌の、いや竹島さんの薫陶を受けてきているはずです。

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▲『鉄道ジャーナル』創世記を担ったメンバーの一人として挨拶に立つ弊社社長・笹本健次。'10.4.25
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それだけに竹島さんの勇退は斯界にとって大きな衝撃でした。写真家の南 正時さんやレールウェイライターの種村直樹さん、それにもとJR東海社長の須田 寛さんら6名の方が発起人となり、今日はすべての垣根を超えて、実に百人近い錚錚たる方々が第一ホテルのバンケットルームに集いました。

100425n502.jpg竹島さんが株式会社鉄道ジャーナル社の前身である鉄道記録映画社を設立されたのは1965(昭和40)年。それ以後、実に40年以上にわたって編集長を務められ、看板企画ともなった「列車追跡シリーズ」をはじめ、自らも多くのルポルタージュを執筆されてこられました。また、「雪の行路」に代表されるドキュメンタリー映画の製作にも果敢に取り組まれ、歴史的財産ともいえる多くの作品を完成されています。
▲最後に『鉄道ジャーナル』の現スタッフ、それにOBの皆さんが壇上から竹島さんへの感謝の思いを伝えた。'10.4.25
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▲返礼の挨拶に立たれる竹島さんと奥様。媒体は離れられても、今後もさまざまなかたちで鉄道と鉄道趣味を見守ってくださるはず。'10.4.25
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100425n407.jpg実は十日ほど前、東京・五反田のイマジカ試写室で「雪の行路」の35㎜フィルムを上映する会が行われました。竹島さんとは古くからの映画仲間でもある栗山 弘さんと大石和太郎さんが企画されたもので、通常は大規模な映画館でもなければ上映不可能な35㎜版の「雪の行路」を、竹島さんご夫妻をお招きして鑑賞させていただこうという千載一遇の機会でした。20人ほどの小規模な試写会でしたが、非常灯の灯りさえない試写室で見る35㎜版「雪の行路」は想像を絶する圧倒的な迫力で、40代であの作品を完成させた竹島さんの業績に、わが身を振り返って汗顔の思いでもありました。
▲東京・五反田のイマジカ試写室で行われた35㎜判「雪の行路」の上映会後の懇親会にて。'10.4.14 グリルエフ
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そしてそんな"作品"の数々にも増して、竹島さんが最も創り出してこられたのが"人"だったのではないでしょうか。先述の笹本はもちろんのことながら、今日集われた皆さんも異口同音にその点、いわば「竹島学校」への思いを語られていたのが何よりも印象的でした。最後に壇上に上がられた歴代スタッフの皆さんがひとりひとり語られた言葉は感動的でさえあり、あらためて大編集長の勇退を実感させるものでした。

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▲季節はずれの雪もあがり、満開の桃の花の中を列車が行きます。'10.4.17 中央本線新府―穴山 P:飯塚 剛 (「今日の一枚」より)
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この春はいつになく気温の変動が激しく、満開の桜に降雪といった椿事も報道されています。大型連休を前にした各地の撮影地でも季節外れのシーンが見られるようで、姉妹ブログ「今日の一枚」にも季節を反映したさまざまな"今日"をお寄せいただいております。

100424n003.jpg毎号季節感溢れる誌面をと編集に臨んでいるものの、実際はエアコンの効いた編集室にこもりっきりで、雨が降り出したことに気づかないことさえある日常です。それだけにこの「今日の一枚」にお送りいただく全国各地の"季節の便り"は私にとっても日々の楽しみでもあり、アップロード前のサムネール画像を覗いては、まだこんなに残雪があるのか、あの駅の桜が咲き始めたのか...などとしばし感慨にふけることも少なくありません。

▲桜の木を横目に行く「高遠さくらまつり号」。?'10.4.18 飯田線伊那新町―羽場 P:下島裕大 (「今日の一枚」より)
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▲季節はずれの雪、山間にうぐいすが鳴く中、SLがやって来た。?'10.4.17 磐越西線徳沢―上野尻 P:森 明 (「今日の一枚」より)
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あらためてご紹介するまでもないでしょうが、この投稿型ブログ「今日の一枚」、去り行く"20世紀"の鉄道をみんなの力で記録に留めようとかつて本誌上で連載した「世紀末カレンダー」をウェッブ上に発展させたものです。とかく誌面に露出する写真は時事性のあるもの、珍しいもの、写真的に優れているものに偏りがちですが、日々身の回りにある当たり前の日常風景を気軽に応募いただける「今日の一枚」はスタート以来大好評をいただいており、ページビューもどんどん増えてきております。

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▲春爛漫の船岡を行く4053レ。?'10.4.21 東北本線大河原―船岡 P:高橋一臣 (「今日の一枚」より)
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▲トワイライト in ファンタジーイエロー。?'10.4.18 北陸本線西入善―生地 P:小見博和 (「今日の一枚」より)
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▲花の季節。?'10.4.21 中央本線南木曽―田立 P:百瀬 弘 (「今日の一枚」より)
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毎月のエントリーの中からこれぞという一枚を選んで本誌誌上にカラー見開きで掲載する「今月の一枚」、動画版の「今日の一枚 The Movie」、そして昨年は秀作の集大成ともいえるカレンダー発売と発展してまいりましたが、今後はさらなる展開も計画しております。ぜひご期待いただくとともに、季節感溢れる「今日の一枚」にあらためてご注目ください。

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6分間のドラマ 長万部が悪天候のため、「ニセコ3号」は倶知安での夜景と決めた。6分停車といっても途中に小移動があり、4コマの撮影が限界であったが気に入った一枚が撮れた。'70.3.15 函館本線倶知安 P:内田博行 (ブログ「わが国鉄時代」より)
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ブログ連動型書籍としてご好評をいただいております『わが国鉄時代』、ウェッブ上で「原稿募集」を行ないましたから、そろそろ第四弾が出るものと、皆さんご期待いただいいていることと思います。現在、担当の山下がお送りいただいた大量の画像と日夜格闘しておりますので、今日は本人からのご挨拶をかねて進行状況をお知らせいたしましょう。

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C62発車 常磐線平以北の電化前は、平から蒸機牽引となる下り急行などが深夜帯に何本も出ていた。そこで無謀にも(?)徹夜撮影を敢行。これがそのときの一枚。もちろん被写体ブレは生じているが、C62急行の力強い発車の瞬間は十分伝わっている作品になった。'67.9.29 常磐線平 P:高橋孝一 (ブログ「わが国鉄時代」より)
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お待ちかねの『わが国鉄時代』vol.4は5月末発売を目指して現在編集中です。ブログにアップさせていただいたもの以外にも、全国から多くの作品が寄せられています。ダイナミックな作品、貴重な記録、懐かしさ漂う場面...、写真の数だけある思い出をひとつひとつ味わいながら作業を進めております。

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列車監視 大動脈の東北本線。往き来する列車の安全をさまざまなかたちで多くの人が支える。踏切からの監視の下、賑やかなジョイント音と共に列車が通過して行った。青森発上野行、荷42列車。'65.7.23 東北本線奥中山 P:青木一郎 (ブログ「わが国鉄時代」より)
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100422nnangoku.jpgなかには自分と同じ日、同じ場所で撮った写真もあって、ついつい見入ってしまいます。たとえば浜 忠彦さんが1972(昭和47)年3月12日撮影された「第23西川橋梁」は、布原の三重連の最終日、2492列車が拍手に送られて苦ヶ坂トンネルに消えたあと、撮影地となった斜面からファンが撤収するシーンを捉えたものですが、鉄橋脇の「ひな壇」の上の方には中学1年生の私が写っているはずです。
南国の小駅 駅に降り立って驚いた。お寺の山門スタイルのうえ補強の柱まで付いているユーモラスな駅。列車間合いは長く、静まり返った駅前で子供だけが遊んでいた。'72.4.1 志布志線岩北 P:青木一郎 (ブログ「わが国鉄時代」より)
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第23西川橋梁 伯備線「さよならD51三重連」を撮影して駐車場へ帰る際に撮影した一枚です。山の斜面に人、人、人で埋め尽くされています。一見、樹にも見えます。これだけの人たちが同じ場所で蒸気機関車の最後の一瞬立ち会えた良き時代の一こま。'72.3.12 伯備線布原信号場 P:浜 忠彦 (ブログ「わが国鉄時代」より)
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今回は昭和30年代から国鉄最後の年である昭和62年まで、900枚近くの作品が寄せられました。多くの方にお楽しみいただける楽しい本となるはずです。

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パンタ上げ作業 横川機関区に碓氷峠対応のEF63が配属されて来た。しばらく係留されていたためかパンタ上げのエアが不足し、珍しく操作棒を使って押し上げ、コンプレッサーを始動させていた。'63.9.15 横川機関区 P:中島正樹 (ブログ「わが国鉄時代」より)
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投稿型ブログ「わが国鉄時代」には、このところ目が点になるような貴重な画像も多数寄せられています。実のところ、毎日どんな懐かしいシーンに出会えるかと一番心待ちにしているのは私かもしれません。ついに4巻目となる『わが国鉄時代』vol.4には、恒例の「復刻版 日本国有鉄道案内図」(昭和39年版)の中国・四国・九州編が付録として付きます。これでvol.1の北海道から始まってこの案内図も全国を網羅したこととなります。発売の折りにはまたあらためてご紹介いたしますので、どうかご期待ください。

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▲100周年を迎えてニューカラーへの変更が進行中。本書ではもちろんニューカラーのイラストも収録している。
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淀川左岸の京街道沿いに新たな電気鉄道をと天満橋~五条間で京阪電気鉄道が産声をあげたのは、今からちょうど百年前の1910(明治43)年4月15日のことです。そしてその京阪電気鉄道百周年を彩る『京阪電車 車両の100年』(発行:京阪電気鉄道/発売:ネコ・パブリッシング)が本日発売となりました。

100422keihan-h1.jpg『京阪電車 車両の100年』目次から
京阪電車の開業
1/100 カラーイラスト
1型、100・200型、300型(旧1000型)、京津1・20型、80・90型 (大津電軌1・10型)、30型(大津線)、500型(旧1500型)、600型(旧1550型)、700型(旧1580型)、16型(貴賓車)、800型(琵琶湖鉄道汽船100型)、60型(びわこ号)、50型(大津線)、800型(大津線)、70型(大津線)、95型(大津線)、1000・1100・1500型、250型、1200型、10型(応援車)、200型(大津線)、1型(応援車)、5型(応援車)、1300型、1700型、1800系、1810系、1650型、2000系、1900系、80型(大津線)、260型(大津線)、300型・350型(大津線)、600・700系(機器利用更新車)、2200系、2400系、5000系、3000系(特急車)、1000系、2600系、2200系(更新車)、2400系(更新車)、1800系(昇圧更新車)、1900系、1000系(更新車)、5000系(更新車)、500型(大津線)、600型(大津線)、80型(冷房化)、700形(大津線)、6000系、8000系、8030系(ダブルデッカー組込み)、7000系、7200系、9000系、800系(京都地下鉄乗り入れ車)、10000系、1000系(ニューカラー)、2200系(ニューカラー)、2400系(ニューカラー)、2600系(ニューカラー)、5000系(ニューカラー)、6000系(ニューカラー)、7000系(ニューカラー)、7200系(ニューカラー)、9000系(ニューカラー・ロングシート化)、8000系(ニューカラー)、10000系(ニューカラー)、3000系
100年目の車両たち(写真)
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1550型(600)、1580型(700)、16型、60型、1000型・1500型、1700型・1750型、1800系、1810系、1900系、3000系(特急車)、8000系、3000系
現役車両諸元表
現役車両編成表

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▲1型とは後に整理上の必要から創業期の1~63号車までをまとめた通称。ブリル27E-1を履いたダブルルーフの13m車で、なかには貴賓車も存在した。

本書は『1号機関車からC63まで』や『昭和電車絵巻 吊掛讃歌』でお馴染みの片野正巳さんが開業時の1型から最新の3000系(新)までを描き下ろした大作で、副題の「細密イラストで見る」が物語るように、京阪百年の多彩な車輌史をカラーイラストと的確な解説で綴る一大絵巻となっております。

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▲1000形は流線型ブームを背景に1938(昭和12)年に誕生した戦前の京阪を代表するクロスシート車。戦後復興期は特急専用車として京阪間を疾走した。
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実はこの出版計画はかれこれ2年ほど前に京阪さんから打診いただいたのが発端でした。同社は1980(昭和55)年、開業70周年を記念して『京阪電車 車両70年』を発行しておりますが、100周年を迎えるにあたり、その後30年の車輌を単に加えるのみならず、多くの方が全体の車輌史を総覧できるものをと片野さんにお願いする運びとなったものです。

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▲京阪特急の名声を一気に高めた「テレビカー」組み込みの1800系。以降8000系までテレビカーは京阪特急の代名詞ともなった。
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しかし言葉にすれば容易いようでも、一世紀にわたる車輌を描き下ろしイラストで網羅するのは尋常のことではなく、一年にわたり片野さんには想像を絶するご苦労をお掛けすることとなりました。ことに旧在籍車輌に関しては京阪本社にも資料が少ないものがあり、数度にわたる校正のチェックでは多くの方のお手を煩わせることとなりました。
一社の100年にわたる車輌史を統一したイラストで網羅するという面でも、これまでにない画期的な一冊です。ぜひお手にとってその一大絵巻を堪能いただければ幸いです。

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▲いったいいつからこの駅舎を見守ってきたのだろうか...春の芽吹きを待つイチョウの巨木が駅前に聳える。'10.1.19
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伊勢崎駅のひとつ下り方(前橋方)、小山起点74.9㎞に位置する駒形駅も、伊勢崎駅と同じ1889(明治22)年11月20に両毛鉄道の駅として誕生しています。かつての伊勢崎街道の駒形宿からは北東に1㎞ほど離れた、いわば町はずれに位置しますが、これは開設時の養蚕農家によるいわゆる"鉄道忌避"の結果だったと地元では伝えられています。

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▲駅本屋は変哲のない木造平屋建て。妻面からホーム側にかけて軒が巡らされている。'10.1.19
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駅そのものは中線をはさんだ3線構造の構内の南側に木造平屋建ての本屋を備える、まさに典型的な国鉄駅ですが、今となってはこのような伝統的な駅舎を見られる機会は急激に少なくなってきており、その意味でも貴重な存在と言えましょう。もちろんこの駅舎が今日まで使用されてきたのは、近々全面的な改築=橋上駅舎化が予定されているからです。

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▲古レールを用いた伝統的構造の跨線橋。中線と下り本線ホームへはこの跨線橋を渡ってゆく。なお、新しく増築された階段は北口用。'10.1.19
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近年、北口が新設され、旧来の跨線橋から継ぎ足したような北口階段が設けられましたが、これも遠からず橋上駅化されることを前提としての暫定的処置なのかもしれません。いずれにせよ、この古レールで組まれた跨線橋といい、客車列車時代のものをかさ上げしたホームといい、私たちの世代には、かつて見たC58牽引の両毛線普通列車が思い出される情景がそこかしこに残されています。

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▲木組みの改札口軒先や木製の柵、さらには歴史を感じさせる水飲み場など、随所に"昭和"を感じさせる。'10.1.19
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▲待合室内。改札ラッチには簡易IC改札機が設置されているが、全面的な自動改札化はされていない。改札を出ると軒下(上写真)を潜ってさらに階段を数段上ってからホームに上がることになる。'10.1.19
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ご案内いただいた木村さんに電話で近況をうかがったところ、すでに橋上駅舎化の工事が始まっており、ホーム中央にあった昔ながらの待合室は撤去されてしまったとのこと。計画によると橋上駅の完成は来年度ですから、この味わい深い駅舎も遠からず過去のものとなってしまうはずです。

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▲夕日に映える両毛線伊勢崎駅本屋。画面右奥が東武鉄道伊勢崎線乗り場となる。'10.1.19
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いささか旧聞となりますが、C61 20号機の搬出を取材に伊勢崎市の華蔵寺公園遊園地に伺った帰路、まもなく高架化工事で様変わりしてしまう両毛線の駅を訪ねてみました。エスコート役を買って出てくださったのは「よみがえれボールドウィン実行委員会」の広報担当をしておられる地元の木村一博さんです。時間の関係で伊勢崎と隣の駒形の2駅しか見ることができませんでしたが、ともに北関東の国鉄駅の面影を色濃く残す味わい深い駅でした。

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▲駅本屋東側の一階部分を見る。手前の「うどん、そば」の幟がはためく駅そば屋さんは、高架化工事の進捗にともなってその後閉店してしまったという。'10.1.19
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まずは伊勢崎駅。小山起点69.1㎞に位置するこの駅は、『停車場一覧』(日本国有鉄道)によれば、1889(明治22)年11月20日に両毛鉄道の最後の延伸区間(桐生~前橋)の駅として開業。当初は"いせざき"と濁音だったそうですが、地元から強く変更を求められて"いせさき"と清音に変更したという曰くがあるそうです。古くからの織物の町として隆盛を誇っていた伊勢崎だけに、現在でも駅周辺には当時の栄華を彷彿させる歴史的建造物などが散見され、構内にはC61 20号機が回着したかつての貨物ホームの遺構も残されています。

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▲驚くほど高い天井の本屋内。なんとステンドグラスがはめ込まれている。'10.1.19
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現在の駅本屋は一部二階建て平屋のたいへん趣のあるもので、天井の高い待合室の欄間部分にはステンドグラスが組み込まれているなど、地方有力都市の玄関口としての気概に満ちています。接続している東武鉄道伊勢崎線の伊勢崎駅も兼ねており、長年にわたって共通改札となっていましたが、高架化工事開始にともない、この3月13日から東武線は別の仮駅舎を使用しています。

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▲出札・改札部。もちろん改札口はICカード対応の自動改札化されている。つい先日まで東武鉄道伊勢崎線への乗客もこの改札を通っていた。'10.1.19
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この伊勢崎駅付近の連続立体交差事業は、JR伊勢崎駅を中心とした約2.5㎞を高架化することによって7か所の踏切をなくして道路交通の円滑化を図る国庫補助事業で、今年度中の供用開始が予定されています。高架は島式ホーム2面をはさんだ3線が現在の上下本線より北側に建設される予定だそうで、一連の工事完了が予定されている2012(平成24)年度までにはこの駅本屋も改築される計画です。

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▲軒下にはツバメの巣を護る手作りの板が...(左)。右は駅前から市内の主要施設を結ぶ伊勢崎市コミュニティバス「あおぞら」。'10.1.19
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1月の訪問時、東武鉄道側の連絡通路には、いかにも昭和を感じさせる駅そば屋さんがおいしそうな湯気を漂わせていましたが、木村さんにうかがったところではこのお店も先月末で閉店してしまったそうです。模型のストラクチャーにしたくなるような伊勢崎駅も、急速にその姿を変えようとしています。

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▲梅小路蒸気機関車館の旧二条駅舎内企画展示コーナーで始まった写真展「日本を走った英国製蒸気機関車たち~片野正巳のイラストと共に~」会場風景。P:梅小路蒸気機関車館
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梅小路蒸気機関車館で片野正巳さんの細密イラストと写真で綴る写真展「日本を走った英国製蒸気機関車たち~片野正巳のイラストと共に~」が開催されています。同館と交通科学博物館は、イングランド北部のヨーク市にある「英国国立鉄道博物館」と2000(平成12)年に姉妹提携を結んでおり、今年は、姉妹提携10周年を迎えるため、年間を通して様々な関連イベントが計画されており、この写真展もそのひとつです。

100419nu007.jpgあらためて申し上げるまでもなく、わが国では鉄道開業時からイギリスより蒸気機関車が輸入され、各地で活躍してきました。昨年、梅小路入りした1080号機(アーカイブ『1080搬出の記録』参照)も、後年タンク機関車化改造を受けているとはいえ、明治を代表する英国機の1輌で、姉妹提携10周年を前に歴史的英国機が保存のラインナップに加わったことになります。今回の写真展では、輸入された蒸気機関車の代表的な形式の写真を鉄道博物館所蔵の渡辺・岩崎コレクションを中心に展示するとともに、片野正巳さんによる細密イラスト(弊社刊『1号機関車からC63まで』所収)をパネルで展示、その足跡をビジュアルに振り返ります。
開催期間:4月7日(水)~7月4日(日)
会場:旧二条駅舎内企画展示コーナー
▲渡辺・岩崎コレクションの写真と片野さんのイラスト、そして簡潔な解説がディスプレーされている。P:梅小路蒸気機関車館
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▲150形から始まるわが国の英国機の系譜が順を追って展開する。模型のコレクション展示も行われている。P:梅小路蒸気機関車館
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なお、姉妹提携10周年を記念し、英国国立鉄道博物館、館長、知識情報・所蔵品部部長らを招いて、去る4月10日には記念式典と記念植樹のセレモニーが行われたほか、館内の貴賓室では英国国立鉄道博物館との姉妹提携10周年のあゆみをパネルや写真などで紹介する、パネル展「姉妹提携10周年のあゆみ」も開催されています。
開催期間:4月10日(土)~6月27日(日)

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▲A4判カラー8ページ(横開き)の図録も作成されている。片野さんのイラストと写真で美しくまとめられた図録は、梅小路を訪れた際にはぜひとも手にいれたい一冊。
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さらに、英国国立鉄道博物館との交流事業として、 姉妹提携10周年記念「日英こども鉄道絵画展」も企画されており、日英両国の児童より鉄道絵画を募集中です。作品のテーマは、実際に活躍中の鉄道車輌から駅、働く人、旅の想い出、そして未来の鉄道など、鉄道に関するものであれば、全てが応募対象となります。
募集期間:4月1日(木)~9月3日(金)消印有効
(詳しくは→こちら
大型連休の一日、皆さんも梅小路蒸気機関車館を訪ねてみてはいかがでしょうか。

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▲1967年夏、単車引退間近の長良北町停留場。以前はここからさらに北、高富まで鉄道線である高富線が伸びていたが、1960年にバス転換されていた。 '67.7  P:清水 武 (RMライブラリー『名鉄岐阜線の電車』上巻より)
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早いもので岐阜市内線、美濃町線、揖斐線など、名鉄の600V線区が消えて5年。今でもあの徹明町交叉点の賑わいが昨日のことのように思い出されます。ご好評をいただいているRMライブラリー、今月と来月は清水 武さんによる『名鉄岐阜線の電車 --美濃電の終焉--』の上下巻をお届けします。岐阜線とは、いわゆる岐阜600V線区を指した名鉄部内での呼称で、それらの路線のほとんどは、美濃電気軌道由来の路線でした。

100418nRML129s.jpg美濃電気軌道は1911(明治44)年に市内線1.4kmと市外線(後の美濃町線)24.9kmを一気に開業し、その後も岐阜を中心に東西南北へと路線を伸ばしていきました。最終的には軌道線である市内線、美濃町線のほか、鉄道線の北方線(後の揖斐線)、鏡島線、高富線、笠松線合わせて64.9kmに達したほか、その傘下には竹鼻鉄道、各務原鉄道、そして谷汲鉄道を持つ、正に岐阜の雄たる存在でした。1930(昭和5)年には名古屋方面から木曽川左岸まで路線を伸ばした名古屋鉄道に合併されてしまいますが、その際会社名を「名岐鉄道」と改めさせています。

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▲岐阜城を頂く金華山の入口、公園前停留場に停車中のモ19。岐阜市内線伊奈波通以北は狭い道路と急カーブが続くためボギー車化が遅れ、1967年まで木製単車が活躍を続けた。'67.7  P:清水 武 (RMライブラリー『名鉄岐阜線の電車』上巻より)
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▲名岐鉄道成立前の美濃電気軌道概念図。忠節方面の市内線支線が長良川を越えるのは新忠節橋が完成した1948(昭和23)年、さらに揖斐線と市内線が物理的に接続したのは1954(昭和29)年のことで、それまで揖斐・谷汲線は岐阜線の中でも他線との接続を持たない独立線区だった。 (RMライブラリー『名鉄岐阜線の電車』上巻より)
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その後1935(昭和10)年にはついに木曽川の橋梁が完成、笠松線は名岐間の本線の一部となりますが、この年、名岐鉄道は豊橋側の愛知電気鉄道と合併、この時点で「岐」の文字は消え、現在の名古屋鉄道となりました。一方で、美濃電から引き継がれた軌道線や軌道線の先に位置する高富・鏡島線、さらに他線との接続が無かった揖斐線と谷汲鉄道は、本線系とは異なる規格のまま、「岐阜線」として独自の発展を遂げていくことになります。

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▲岐北軽便鉄道として路面電車型の車輌で開業した揖斐線は、美濃電買収後に完全な鉄道線に改められ、延長線たる谷汲鉄道ともども独自の鉄道線用単車が投入された。 (RMライブラリー『名鉄岐阜線の電車』上巻より)
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本書では、美濃電の開業時から岐阜線最後の新造車となった2000(平成12)年登場のモ800形まで、鉄・軌道を問わず岐阜線を走った電車を解説するものです。まず上巻では1967(昭和42)年まで市内線の主力であり続けた木製単車群をはじめ、美濃電および谷汲鉄道由来の全車輌とともに、戦後転入した瀬戸電引継ぎの単車や2輌固定編成に改造された三重交通からの転入車などを収録します。もちろん、岐阜線の最後までファンに親しまれたモ510形も、その美濃町線時代の姿を収録しています。

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▲新岐阜駅の階段から見下ろした新岐阜駅前停留場。停車中のモ515は当時美濃町線用であり、新岐阜駅に隣接した岐阜工場の入出場回送車である。 '65.4  P:清水 武 (RMライブラリー『名鉄岐阜線の電車』上巻より)
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なお、著者の清水 武さんは、これまでにも本シリーズで第32巻『北恵那鉄道』をはじめ、第72巻『東濃鉄道』、第99巻『西濃鉄道』と、岐阜県の私鉄を紐解いてこられましたが、清水さんご自身は名古屋鉄道鉄道部長などを歴任されており、岐阜線の運営にも深く関わってこられた方でもあります。続く下巻では戦後投入された新造車や本線系から揖斐・谷汲線への転入車について解説していただく予定ですので、ぜひ合わせてご覧ください。

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▲アルミ車体(先頭部を除く)で登場したJR北海道の新型通勤車735系。2編成が札幌運転所に配置され、長期耐久試験に入る。'10.4.9 札幌運転所 P:奥野和弘
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JR北海道としては初のアルミ車となる735系通勤型交流電車が完成、先日、札幌運転所で報道公開されました。同社ではかねてより軽量化や製作コストの低減などが期待できるアルミダブルスキン構体の導入について検討していましたが、極寒冷地だけに冬期間の不具合発生などが懸念され、これまで導入には至っていませんでした。735系はアルミダブルスキン構体車輌の極寒冷地での性能確認を主目的に試作されたもので、このたび3輌編成2本が新製されました。

100417n0473.jpg最大の特徴でもあるアルミダブルスキン構体は、アルミ中空押出型材を摩擦攪拌溶接で接合した構造で、ステンレス構体のように骨組を構成して外板を取り付けた構造と比較すると、構造がシンプルで寸法精度が高く、構体製作工数を大幅に削減することが可能であるという特徴を有しています。また、室内、床下機器の取付座がカーテンレール状に取り付けられており、機器艤装についても工数の低減を図ることが可能となっているそうです。(JR北海道による)
▲731系に準じたデザインの前面。先頭部構体は鋼製。'10.4.9 札幌運転所 P:奥野和弘
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▲中間電動車モハ735-100(M)。小樽方にパンタグラフを備える。731系と比べて100㎜低床化されているためステップはない。'10.4.9 札幌運転所 P:奥野和弘
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先頭構体は鋼製で、在来の731系を踏襲した高運転台式となっていますが、客室床面高さはφ810㎜の小径車輪の採用などで731系と比較して100mm低床化されており、JR北海道の通勤・近郊型車としては初めて乗降口出入口のステップがなくなっています。そのほかの、運転室や機器室、床下の機器配置や客室レイアウトは、試験終了後は731系と共通運用で営業運転入りするため、可能な限り731系と合わせたものとされています。

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▲オールロングシートの客室内。731系で採用されていた跳ね上げ式座席は廃止されている。出入口は黄色に識別され、内蔵されたエアカーテンによって外気が入りにくい構造となっている。'10.4.9 札幌運転所 P:奥野和弘
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▲クハ735-100(Tc1)の後位側に設けられた車いす対応トイレ(左)。マスコンは左手ワンハンドル・タイプ(右)。'10.4.9 札幌運転所 P:奥野和弘
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編成は旭川方からクモハ735-100(Tc1)、モハ735-100(M)、クハ735-200(Tc2)の3輌1ユニットで、パンタグラフや主変換装置、主変圧器、主電動機などの主回路機器はM車に集中搭載されています。また、731系、721系とも併結可能で、最大2ユニット6輌まで連結可能ですが、731系のように201系気動車と併結する機能は装備していません。

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▲クハ735-200(Tc2)とモハ735(M)の連結面。車輌間には転落防止用のホロが設けられている。'10.4.9 札幌運転所 P:奥野和弘
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この735系は3月28日付でA-102編成、3月29日付でA-101編成が札幌運転所に配置され、4月以降は各種性能確認試験等が始まります。その後、来年度にかけて走行試験が繰り返し行われる計画で、営業運転に充当されるのはその後になる予定です。
なお、この735系については、本誌4月21日発売号でJR北海道による詳しい解説を掲載いたしますのでご期待ください。

取材協力:JR北海道

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▲昨日4月15日から8000系前面に掲出された100周年記念ヘッドマーク。8000系の全編成に5月15日まで取り付けられる。'10.4.15 西三荘 P:高間恒雄
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昨日、4月15日に開通100周年を迎えた京阪電気鉄道では、その100周年を記念して各種のイベントを計画しておりますが、その第一陣ともいえる「京阪100年のあゆみ展」と「パネル展 京都を彩った駅・街・人」が始まりました。京都の高橋 修さんから写真とレポートを頂戴いたしましたので、さっそくご紹介いたしましょう。

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▲京阪100年のあゆみ展会場入口。木製の改札ラッチも作られている。'10.4.12 P:高橋 修

2010-04-12-002[1].jpg京阪守口駅に隣接している京阪百貨店守口店7階京阪ギャラリーで開催されているのが「京阪100年のあゆみ展」です。京阪創業時の貴重な資料をはじめ、ファン的には嬉しい名古屋急行電鉄の設計路線図(名古屋側終点の熱田駅)、手書きのダイヤグラムなどが展示されています。また模型でみる京阪電車、懐かしのヘッドマークなどの展示のほか、実際に使われていたクロスシート(旧3000系、8000系リニューアル前シート、9000系セミクロスシート)が座れる状態で展示されています。開業からの京阪電車の歴史が実感としてわかる「京阪100年のあゆみ展」は4月20日までの開催ですのでぜひお見逃しなく。
(なお、会場内は撮影禁止となっています)
▲入口を入ると、一昨年現役を引退した1900系の特急時代の立体パネルが出迎えてくれる。'10.4.12 P:高橋 修
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▲カーマインレッドとマンダリンオレンジのアロハカラーで登場した1700系の後を引き継いだ1800系テレビカーのカットモデル(左)。一休みをしていただけるように歴代の特急車輌に使われたシートが展示されている(右)。'10.4.12 P:高橋 修
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▲1/80サイズの模型で現在の京阪電車を展示。歴代のヘッドマークも掲げられている。'10.4.12 P:高橋 修

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▲展示されている名古屋急行電鉄の路線設計図面(左)。手書きで書かれていた頃のタイヤグラムも必見(右)。'10.4.12 P:高橋 修
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いっぽう、鴨東線延伸まで京都側の終着駅、ならびに大津まで走っている京津線の出発点の一大ターミナルとして賑わっていた三条駅の改札前コンコースでは、「パネル展 京都を彩った駅・街・人」が6月30日まで開催されています。

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▲清水寺森清範貫首から開業100周年の記念横軸が京阪電気鉄道に贈呈された。'10.4.14 P:高橋 修

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▲京阪の三条駅改札前コンコースで行われているパネル展「京都を彩った駅・街・人」。'10.4.14 P:高橋 修

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▲懐かしの写真パネルは約80枚が展示されている(左)。100年前の京阪電車開業を掲載している各社新聞紙面(右)。'10.4.14 P:高橋 修
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1910(明治43)年の開業時から1987(昭和62)年の七条駅~三条駅間の地下線開通までの、鴨川縁を走っていた懐かしい光景を思い出していただける、「駅・街・人」の視点から選び出した写真約80点が展示されています。また、開催初日の4月14日の10時からは京阪電気鉄道上田社長はじめ、清水寺森清範貫首をお招きして開通100周年とパネル展開始のテープカットが賑々しく行われました。

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▲京阪電気鉄道では「京阪100年のあゆみ展」に合わせて経折り12面の立派なパンフレットを制作・頒布している(京阪百貨店守口店の展覧会会場限定)。これはヒストリーをビジュアルに紹介したその一部。 (京阪電気鉄道提供)
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高橋 修さんありがとうございました。どちらの展覧会も京阪ファンのみならず見逃せない内容となっております。この土日はぜひ両会場にお運びください。

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▲片野正巳さんのイラストが貼られた開業100周年記念ラッピング電車イメージパース。 (京阪電気鉄道提供)
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本日4月15日に開業100周年を迎えた京阪電気鉄道では、一連の100周年記念行事の一環として、車体に片野正巳さんが描いた『京阪電車 車両の100年』所収の歴代車両の細密イラストをラッピングした電車の運行を開始しました。
keihan001katanosan.jpg京阪100年の歴史のなかで、人気が高い車輌や、同社の車輌史において重要な役割を果たした車輌など、合計21種のイラストを車体側面にラッピングするもので、対象車輌は7000系1編成(7輌)。10月下旬(予定)までの期間、京阪線(交野線、宇治線は除く)で通常運用に充当されます。

▲戸袋部分に掲出されるイラストと車輌解説例。 (京阪電気鉄道提供)
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■掲載車輌
(京阪線)
1型、100型、1000型(300型)、1500型(500型)、1550型(600型)、60型(びわこ号)、1000型(流線型)、1300型、1700型、1650型、1900系、2000系、旧3000系、5000系、6000系、8000系、3000系
(大津線)
50型、80型、600形、800系
※京阪電気鉄道では単一車輌の形式呼称は「型」を用いていましたが、鉄道事業法(昭和61年法律第92号)施行後は、監督官庁への届出様式に基づき「形」を使用しています。

keihan002katanosan.jpgまた、同じく4月15日(木)から5月15日(土)までの一ヶ月間、8000系特急車輌に開業100周年の記念ヘッドマークを掲出して運転します。対象車輌は8000系の全編成で、京阪沿線は春本番の到来とあいまって華やいだ雰囲気に包まれるはずです。
現在、京阪百貨店守口店7階京阪ギャラリーでは"京阪100年のあゆみ展"が開催されております。明日はその様子を詳しくご紹介することにいたしましょう。

▲8000系に取り付けられる開業100周年ヘッドマーク図案。 (京阪電気鉄道提供)

なお、『細密イラストで見る 京阪電車 車両の100年』(発行:京阪電気鉄道/発売:ネコ・パブリッシング 定価1500円)は来週4月22日の発売予定です。どうかご期待ください。

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桜通線用6050形登場。

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▲誕生した6050形。側面の扉、窓の配置などの位置は6000形と同様ながら、先頭部分は垂直方向に後退角を持たせた「くの字」とし、シャープな印象となっている。'10.4.9 日進工場 P:山田 司
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2010(平成22)年度中に予定されている名古屋市交通局桜通線の野並-徳重間の延伸開業用の車輌として、6050形1編成(5輌)が登場しました。桜通線としては16年ぶりとなる新型車輌です。

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▲6850形6851。中村区役所方の制御車(Tc)で、6150形と同様に床下に補助電源装置を搭載している。'10.4.9 日進工場 P:山田 司
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100414n04.jpg6050形は在来の6000形を踏襲しつつも車輌デザインは変更され、車内も車いす対応スペースが各車1ヶ所設置(従来の2.5倍)されているほか、床とホームとの段差を20ミリ縮小、7人掛け腰掛に縦手すりが設けられています。可動式ホーム柵に対応する制御装置も搭載されています。また、省エネルギー対策として最新の技術導入を行い、電力使用量の削減が図られており、安全対策としては万一の火災発生時に、煙の広がりを止めるため連結部に扉を設置、車輌運行状況を記録する運転状況記録装置も装備されています。このほか車輌ごとにきめ細かく空調(クーラー)を行える機能も備えています。
▲6250形6251。野並方から2輌目に連結される電動車(M)でVVVFインバータ装置を搭載。6000形ではこの位置に付随車(T)の6200形が連結されている。'10.4.9 日進工場 P:山田 司
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▲車内の壁・天井は明るいブラウン系に、床は茶系、座席は赤系統柄入りとなっている。座席はバケットタイプを採用。7人掛には縦手すりが設けられている。'10.4.9 日進工場 P:山田 司
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▲各車に一ヶ所ずつ車いす対応スペースと優先席が設けられている。優先席にはシールが貼り付けられ、つり手、座席の色を変えて区別されている。'10.4.9 日進工場 P:山田 司

客室内は壁・天井を明るいブラウン系に、床は茶系、座席は赤系統柄入りとし、全体的に明るく温かみのある感じとなっています。座席はバケットタイプを採用、座り心地の向上と共に一人当たりの着席スペースの明確化を図り7人掛には縦手すりが設けられています。一方、乗務員室は、プラグイン式外開き構造の貫通扉を車体中心よりずらして設置することにより、広い運転スペースと視界の確保が図られています。なお、桜通線はワンマン運転を行なうためホームは全駅島式に統一され、運転席も右側に設置してホーム監視を容易にしているのが特徴です。

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▲6000形と同様に運転席を右側に設置してホーム監視がしやすいようにしている。マスコンは右手ワンハンドルとして、タッチパネル式液晶表示器が設置されている。'10.4.9 日進工場 P:山田 司
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この6050形6151編成は、2010(平成22)年2月8日に日本車輌製造豊川製作所から甲種輸送され、3月1日に鶴舞線の赤池--上小田井間で試運転が行われました。今後は検査や試運転、乗務員訓練などを経て、2010(平成22)年7月上旬より営業運転を開始する予定です。なお、桜通線では可動式ホーム柵を延伸区間の新駅のほか、2011(平成23)年度までに全駅においても整備する計画です。
※詳しくは本誌4月21日発売号をご覧ください。

(取材協力:名古屋市交通局)


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▲「はまかぜ」用の新型特急気動車キハ189系。オールモノクラスの3輌編成を基本としている。'10.4.9 豊岡鉄道部 P:岡田誠一
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特急「はまかぜ」に充当されているキハ181系の置き換え用としてJR西日本が開発していた新型特急気動車キハ189系の第一陣が完成、先日、豊岡鉄道部で報道公開されました。さっそくこの最新型特急気動車の概要をお知らせいたしましょう。

100413n060.jpgキハ189系は車体を軽量ステンレス鋼(先頭部のみ鋼製)とし、JR西日本が最重要課題として取組んでいる安全性の向上と、快適性・旅客サービスの向上を目指して開発されています。これまでにキハ122系やキハ127系で進めてきた安全対策をさらに深め、オフセット衝突時の衝撃吸収にも配慮がなされています。デザイン面では客室空間を最大限確保するため拡幅車体とし、ステンレスの車体には沿線の自然環境にマッチした伝統色系の茜色(あかねいろ)をイメージしたラインが配されています。
▲貫通扉を備えた前面。ヘッドマークは設定されていない。'10.4.9 豊岡鉄道部 P:岡田誠一
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▲キハ189-1000(Mc2)はトイレと洗面台のない先頭車(左)。中間車キハ188-0(M1)。写真左側の扉は業務用扉(右)。'10.4.9 豊岡鉄道部 P:岡田誠一
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いっぽう客室内は明るく開放感のある大型窓で眺望を確保するとともに、情報案内表示器は文字の大型化や、PC用コンセントの設置、さらには新バリアフリー法による身障者対応の多機能便所及び多目的室が設置され、JR西日本車輌の共通コンセプトである「明るく、静かで快適な乗り心地」を実現しています。

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▲客室内。腰掛はフリーストップ式リクライニングシートで、一部座席にはパソコン用電源も用意されている。'10.4.9 豊岡鉄道部 P:岡田誠一
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▲キハ189-0の後位側の車椅子対応座席は一人掛け(左)。運転台は運転支援モニタ装置など近年の電車に準じた構造となっている(右)。'10.4.9 豊岡鉄道部 P:岡田誠一
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▲3輌全車に搭載されているSA6D140HE-2形ディーゼル機関(左)。台車は1軸駆動式の軽量ボルスタレスWDT66形(右)。'10.4.9 豊岡鉄道部 P:岡田誠一
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車輌性能は「はまかぜ」走行区間でもある大阪~姫路間を走行する新快速電車と同等の性能(3輌以上編成時の最高運転速度130km/h)とされているほか、各種の臨時運用に対応するために性能選択スイッチが設けられており、キハ181相当の性能、キハ40・47相当の性能と臨機応変に車輌性能が変更できるようになっているのも特筆されます。

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▲出入台に設けられた洗面台(左)と、新バリアフリー法を受けて設置された身障者対応の多機能便所(右)。'10.4.9 豊岡鉄道部 P:岡田誠一
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キハ189系は3輌編成(キハ189-0=Mc1、キハ188=M1、キハ189-1000=Mc2)を基本とし、この基本3輌編成7編成(計21輌)が平成22年度にかけて新製される予定となっています。配置は京都総合運転所。営業運転入りはまだ正式発表されていませんが、いずれにせよこのキハ189系が出揃った時点で、キハ181系は勇退することとなります。
※詳しくは本誌4月21日発売号をご覧ください。

(取材協力:JR西日本)

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▲余談ながら、豊岡鉄道部には蒸気機関車時代の転車台が健在。画面後方には給水塔や矩形庫も見える。'10.4.9 豊岡鉄道部 P:岡田誠一
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▲灰野谷に架かる灰野橋。1993(平成5)年に鋼橋に架け替えられたこの橋梁は、かつての森林鉄道1級線を思わせる立派なもの。'10.3.22
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研究林事務所から2キロほど、植林された北山杉の森がトチやブナの原生林に変わる辺りで、軌道はわずかに開けた場所に出ます。ポイントと側線も残されており、周囲の法面には古色蒼然とした石積みも見られます。ここがかつて由良川最上流の灰野集落の跡です。

100411n206.jpg灰野は1638(寛永15)年に山番が派遣されたのを端緒に、翌年には12人が定住、さらに奥地の七瀬・中山にも木地師が居住していた記録があるそうです。最盛期の灰野には8軒の民家があり、旅人相手の宿もあって、現在も芦生集落に残っている松上げや盆踊りが盛大に行われていたといいます。由良川最上流の集落であった灰野が廃村となったのは1960(昭和35)年、現在では祠が残るのみで住居の痕跡は見ることができません。
▲灰野には側線が残されている。集落が廃村となったのちも、長らく集材の拠点として利用されていた名残だ。'10.3.22
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▲灰野橋を渡ると小さな鳥居と祠がある。かつて灰野集落の守り神として祀られたこの祠は、現在でも研究林の方々に大事にされており、トチやミズナラの森の中に静かに佇んでいる。'10.3.22
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100411n197.jpg灰野谷の出合に架かる灰野橋を挟んで、わずかに開けたこの土地にかつては灰野の集落があったのです。ここから材が出されたこともあったそうで、静まり返った森の中で耳を澄ますと、往年の賑わいがかすかに聞こえてくるようでもあります。
軌道はこの灰野まではきれいに整備されていますが、灰野橋から先は次第に荒廃の度を増してきます。枕木も木製のものとなり、ところどころには崩落も見られるようになってきて。本格的な山歩きの覚悟が必要となってきます。

▲さらに奥へと進むと森は原生林の様相を呈してくる。巨木に抱かれるように軌道は続く。'10.3.22
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▲由良川起点を示す標識(左)。灰野から1キロほど、赤崎谷出合で軌道が崩落しており、ここで折り返すことにする(右)。'10.3.22
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そして赤崎西谷と赤崎東谷の出合で橋梁が崩落してついに進めなくなってしまいました。どうもトレッキングの方用に手前から迂回路が設定されていたようですが、時間的な問題もあって、今回は深追いはやめてここで引き返すことにしました。

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▲鬱蒼とした芦生の森を出て事務所へと戻る。未舗装の併用軌道を地元のワンくんが嬉しそうに散歩をしていた。'10.3.22
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わずか3時間ほどの散策でしたが、収獲は想像以上、たっぷりと早春の森林鉄道、しかも"廃線"ではなく"現役"の森林鉄道を堪能することができました。いつの日か、あの屋台機関車がこの芦生森林鉄道を行く姿をこの目で見てみたいものと思いつつ、芦生の森をあとにしたのでした。

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▲標高は400?500mほどとさほど高くはないものの、京都市内と比べると気温はぐっと低い。3月下旬とはいえ芦生の森はまだ本格的な春にはほど遠い。'10.3.22
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"一軒家"の畑地を過ぎた芦生森林鉄道はふたたび由良川左岸に取り付き、北山杉の杉林の木漏れ日の中を進んでゆきます。軌道の状態も良好で、歩き進むにしたがって、一度走っている光景を見てみたいとの思いが強まります。

100411n159.jpgこの京都大学芦生研究林の軌道は昭和初期に敷設されたもので、最盛期には延長7kmあまりに達したそうですが、現存しているのはカズラ作業所までの区間(昨日掲載の林内図参照)で、しかも起点から2㎞ほどの灰野谷出合付近から先はメンテナンスもされていないと聞きますので、今回はとりあえず灰野を目指して歩くことにしました。
▲起点から500mほどの地点に側線の跡が残されている。この辺りから軌道はまっすぐ南下してゆく。'10.3.22
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▲森林鉄道とはいえ枕木はPC枕木が使用されている(左)。"現役"の軌道だけに保線用の交換枕木が山積みになっているのも見られる(右)。'10.3.22
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あらためて驚かされたのはPC枕木です。森林鉄道といえば当然のことながら木製の枕木と思いがちですが、ここ芦生では本線の枕木のほとんどがPC化されています。もちろん今どき2フィート6インチ軌間用のPC枕木など既製品があろうはずもなく、おそらく大学の特注品なのでしょう。いずれにせよ、PC化の恩恵もあってか、灰野までの軌道の状態はかなり良好です。

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▲"一軒家"を過ぎた軌道は再び由良川に寄り添う。この付近ではまだ川面との高低差が少ないが、上流に行くにしたがって次第に高低差が開いてゆく。'10.3.22
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木々が芽吹く前だけに軌道周辺の森は静穏を保っていましたが、これからの季節はいろいろな動物も姿を見せるようです。軌道沿いには「これより先の森林軌道沿い周辺では(中略)ヘビ類の生態・行動の調査を十余年間にわたって行っています。ヘビ類をむやみに殺傷したり、採取したりしないようご協力願います」(京都大学理学研究科動物学教室)との看板も見られました。

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▲等高線をトレースするように右へ左へとカーブをきりながら上流を目指す。由良川の清流が心地よい水音を響かせる。'10.3.22
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▲起点1kmほどの地点に見られる小さな橋梁。沢を越えるこのような橋梁は何ヶ所か見られるが、さすが大学の研究林だけあった、いずれも木橋ではなく鋼橋となっている。'10.3.22

かつては集落があったという灰野までは約2㎞。トレッキングのルートとしても利用されており、歩きやすい軌道敷きが続きます。しかもわずかな距離の中に多彩なシーンが凝縮されており、2010年の日本にまだこんな"林鉄"が残されていたのかと、あらためて驚かされます。

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▲研究林事務所(画面前方)を出る芦生森林鉄道の本線。右側は山神社へと続く道。絶滅してしまったはずの"未舗装の併用軌道"も今なお現役。'10.3.22
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京都大学芦生研究林に残る芦生森林鉄道(アーカイブ「芦生森林鉄道は今」参照)を歩いてきました。屋久島の安房森林軌道が昨年12月16日の土埋木運材を最終列車として事実上森林鉄道としての役割を終えた今となっては、ここ芦生森林鉄道は定期的な運行はないものの、わが国に残された最後の"林鉄"なのです。

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▲国土地理院「電子国土」に見る芦生森林鉄道周辺。事務所を出た軌道はデッキガーダ-で由良川左岸に渡り、かつて集落があったという灰野を経て上流へと続く。'10.3.22
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京都府南丹市の由良川最上流部に位置する芦生地区へのアクセスの困難さは想像以上です。京都駅からはバスで周山、安掛を経て数回乗り換えねばなりませんし、クルマの場合も国道162号線を北上し、深見峠を越えてさらに山道を延々と走ることになります。ただし、最近では手前の美山町の重要伝統的建造物群保存地区である「かやぶきの里」が人気を博しており、休日ともなると美山までは観光客が多数詰め掛けています。

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▲京都大学芦生研究林入口(左)には入山への注意が掲げられている。休日はここに備えられているポスト(右)に入山届けを提出する。'10.3.22
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▲芦生研究林森林鉄道は「山間地の産業振興と生活を支えた森林鉄道の歴史を物語る」として平成20年度に経済産業省の近代化産業遺産に指定されている(左)。右は事務所入口に掲げられている研究林内図。上掲の地形図と比べると軌道の位置関係がよくわかる。'10.3.22
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その美山地区からさらに進むこと十キロほどの須後に京都大学研究林の事務所があります。芦生森林鉄道はここを起点として由良川上流へと続いていますが、研究林への入山は必ずこの事務所で届出をする必要があります。また、近年ではトレッキングのための単独入山による事故が相次いでいるとのことで、必ず複数での入山が求められています。

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▲芦生森林鉄道の起点となる構内の車庫。残念ながら名物(?)の屋台機関車は庫内に収納されていて見ることはできなかった。'10.3.22
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かつては運材をはじめ各種林産物の運搬に使用されていたこの芦生森林鉄道ですが、現在では研究林の維持管理用としてごく稀に運行されているような状態だそうです。訪問時は休日とあって車輌もほとんどが車庫内に格納されてしまっており、お目にかかることはできませんでした。

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▲併用軌道で事務所構内を出た軌道は急カーブで民家の横を曲がって由良川に架かる橋梁を渡る。'10.3.22
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▲かつては木橋だったという由良川橋梁は現在ではデッキガーダーに架け替えられており、手すりが設けられて通路としても利用できるようになっている。写真は事務所の対岸側からの撮影。'10.3.22
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事務所前を出た軌道はしばらく併用軌道となって未舗装の道路脇を走ります。"未舗装の併用軌道"はナローゲージャーにとっては大好物のひとつですが、わずかな距離とはいえ、ここでも実に魅力的なシーンを見せてくれます。

ashiu214nn.jpg意外なくらい立派なガーダー橋で由良川を渡った軌道は、ようやく春の息吹が感じられるようになった研究林の中を進んでゆき、ややあって急に視界が開けて左側に農家と農地が現れます。研究林の中に民家...と少々不思議な感じもしますが、『芦生の森案内』(青山舎刊)によれば、芦生の森の一軒家として古くから知られた存在のようです。
▲由良川を渡った軌道は左岸の森の中を緩やかなカーブを描いて進む。'10.3.22
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▲しばらく進むと急に視界が開けて農地が現れる。芦生の森の一軒家として知られる井栗さんのお宅で、軌道脇にはなんとポストが...。'10.3.22
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畑地を横に見ながら進む森林鉄道といった情景は、かつては木曽をはじめとした全国各地で日常的に見られた光景でした。森林鉄道というと、とかく深山幽谷のティンバートレッスルを連想しがちですが、起点土場側からしばらくは比較的平坦な"里"を走っていることが多く、まさにこのような情景だったのです。蛇足ながら、軌道は比較的日の当たらない山影側に敷設されることが多いのですが、これは山間部で貴重な日照が必要な農地との住み分けでもあったようです。

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2007(平成19)年5月の起工以来3年、あの余部橋梁の新橋が完成間近となっています。山陰本線鎧-餘部間に"聳える"余部鉄橋については、これまでにも幾度となくご紹介してまいりましたが(アーカイブ「余部橋梁架け替え工事いよいよ本格化」等参照)、新橋建設工事が進むに従って旧鉄橋が視覚的に遮蔽されるかたちとなり、ここ一年ほどは趣味誌誌上に登場する機会も少なくなってしまっていました。
▲8月12日から供用開始となる余部新橋の完成イメージ。約30億円をかけた大工事である。 (JR西日本提供)
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そんな中、今週4月5日(月曜日)にJR西日本から新橋梁の工事が順調で、当初予定の本年秋より前倒しして8月12日より供用を開始するとの発表がなされました。これを受けて、「全国鉄橋サミット」(アーカイブ「"全国鉄橋サミット"見聞録」参照)でもお世話になった香美町役場からもさっそくお電話をいただき、余部橋梁の"今"をうかがうことができました。
(香美町HPの余部橋梁(新橋)工事状況ライブカメラは→こちら

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▲3月18日現在の新橋梁工事の進捗状況。餘部駅仮設ホーム(左)と、同駅から橋梁を見たところ。新橋は旧鉄橋の山側に寄り添うように建設されている。なお、餘部駅ホームは現在の山側から海側へと移転する予定。P:香美町提供
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新橋梁は現在の橋梁より7m山側に建設されており、完成すると橋長310m、幅員7.5m、高さ41.5m、橋脚4基、橋台2基からなるエクストラドーズドPC橋(コンクリート橋)となります。現在は橋梁本体部分の工事はほぼ完成し、今後はレールの敷設や防風板の設置工事等が行われる予定だそうです。ちなみに、興味深いのは東側(鎧側)のトンネルとの取り付け部で、現在は4m南側にオフセットして建設されている約95m分の橋桁を、既設鉄橋を撤去後、4m北側へ横移動、さらに、さながらやじろべえのように5度回転させて接続するという最新技術を駆使した最終工程となるそうです。

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▲2月23日現在の余部橋梁の工事状況。山側からの展望で、旧鉄橋はすっかり隠れてしまうかたちとなっている。P:香美町提供
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これにともない、架け替え工事期間にあたる7月17日(土曜日)早朝から8月11日(水曜日)夜間にかけての26日間、同区間を通る下記列車が運休となり、バス代行輸送となります。
●山陰本線 香住~浜坂間(一部、香住~鳥取間)
・特急「はまかぜ」 香住~鳥取間部分運休 上下計4本
・その他列車 香住~浜坂間部分運休 上下計22本

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▲轟音とともに余部鉄橋を通過してゆくキハ181系の1D「はまかぜ1号」。この橋梁を渡り続けてきたキハ181系も、鉄橋の後を追うように歴史の彼方へと消えてゆく。'06.6.16 P:名取紀之
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いっぽうで気になるのは1912(明治45)年完成の旧鉄橋の処遇ですが、香美町のお話では、西側(餘部駅方)橋脚3基と橋桁約80mを保存し、2012年度には展望台に転用する予定だそうです。実に98年間にわたって全国にその名を知られた大トレッスル橋は、7月16日夜、5D「はまかぜ5号」の通過をもってその歴史に幕を閉じます。

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くりはら田園鉄道は今...。

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▲見事に復原された若柳駅駅舎。アルミサッシの窓も木枠に戻された。なお、同駅舎は現役時代、東北の駅百選にも選ばれている。P:高嶋修一
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3年前の2007(平成19)年3月末に惜しまれつつ廃止となったくりはら田園鉄道ですが、実は保存活用に向けての整備が着々と進んでいます。先般、同鉄道の資料調査に現地を訪れた青山学院大学准教授の高嶋修一さんから画像とレポートをお送りいただきましたので、栗原市のご了解のもと、紹介させていただくことにいたしましょう。

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▲構内で保存されている車輌たち。動態保存が視野に入れられており、ふたたびその走行シーンが見られる日も遠くなさそうだ。P:高嶋修一
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高嶋さんがまず驚かれたのが、創建時の姿をイメージして復原された若柳駅舎だそうです。ご記憶の方も多いかと思いますが、晩年の若柳駅は窓のサッシ化をはじめだいぶ手が加えられてオリジナルの姿からかけ離れていましたが、ほぼ同一設計の沢辺駅舎が解体されたのを機会に、その部材を極力活かして復原が試みられたのだそうです。

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▲新設された保存用の屋根(左)。右は本屋側ホームから石越方を見たところ。動態保存線はこの方向に設定される予定。P:高嶋修一
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復原にあたっては細かいところまで徹底して配慮がなされており、たとえば窓の板ガラスも極力当時のものに取り換えられています。若柳駅は1921(大正10)年の建築。その頃の板ガラスは平滑度が低く、ガラス越しの景色が微妙に歪んでみえるもので、歴史的建造物の修復では、この板ガラスの確保が大きなネックとなっています。このほかにも引き戸のレールは竹製のものに、さらに電気配線にはレールファンでもある地元工務店の方が地道に蒐集されてきた陶製碍子が使われるなど、見事なまでの拘りようです。

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▲道路整備によって分断された構内。かつての検修庫もそのまま残されている。P:高嶋修一
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100404n005.jpg若柳構内に残された車輌も、すべて新たに屋根がかけられ、手厚く保存されています。計画では動態保存が行われることになっており、若柳駅跡から石越方面にむけて片道500mほどの運転が行われる予定です。検査設備も、現役時のものが道路整備による敷地の分断で使用できなくなることから、オリジナルの姿をイメージした新しいものが作られています。もちろんもとの検修設備(アーカイブ「北東北を巡る」参照)も残されており、将来的には公開可能な状態に整備を進めていくとのことです。
▲予定されている動態運転の終端部に新設された閉塞小屋と信号切替レバー。P:高嶋修一
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さらに驚くべきは、タブレット閉塞そのものを保存しようという試みです。保存運行の終着地点付近に新たに小屋を建設し、腕木式信号機を移設したうえで、現役時の閉塞器を利用して配線を引き直し、実際にタブレットの授受を行うことを可能にしてあります。

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▲閉塞器のテストが行われている(左)。右は夕暮れの若柳駅。実に印象的なシーンを見せてくれる。P:高嶋修一
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現在は公開に向けて準備中の段階ですが、駅に灯がともって機器のテストが繰り返されている様は、さながら新規開業の準備のようだったと高嶋さん。一昨年に亡くなられた岸由一郎さん(アーカイブ「岸由一郎さん遭難の報せに...」参照)がメンバーとなっていた、くりでん保存活用検討委員会の願いが、間もなく見事に実を結ぶことになります。公開開始の折りにはあらためて詳しくご紹介したいと思います。

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▲西船橋方先頭車(CT1)側から見た15000系第1編成。'10.4.5 深川車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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東京地下鉄では、東西線の輸送改善を目的に4年弱ぶりの新型車輌となる15000系を導入、4月5日に報道向けの公開が深川車両基地で実施されました。

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▲乗務員室直後のドア幅を05系16編成と比較する。05系16編成もワイドドア車だが、乗務員室直後のドア幅は1300㎜。'10.4.5 深川車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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この15000系は、東京メトロ標準車輌10000系で使用している実績のある車体・機器と、05系のエクステリアを継承し、ワイドドア車輌として誕生しました。車体は、コーナー部の柱を肉厚化するなどして車体強度を向上しています。また、座席・側窓・出入口配置は従来の05系14~18編成のワイドドア車輌と同等となっていますが、先頭車輌が250mm延長され、乗務員室直後の乗降口も1300mmから1800mmに拡大されました。このため、15000系は全ドアがワイドドアとなっています。

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▲中野方先頭車(CT2)の客室内。05系では赤系だった腰掛モケットは、15000系では青系になった。また、座り心地やシート繊維の耐燃性を向上している。'10.4.5 深川車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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客室内に目を転じると、座席は460mm幅の大型脇仕切り付きの片持式腰掛で、床材や座席表地等の使用材質を変更して火災対策を強化しています。車内表示装置は17インチワイドのカラー液晶モニタが各ドア上部に2台設置され、行先・号車・次駅・乗換案内のほかにドア開方向などが表示されます。

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▲前面は05系25編成以降のイメージを踏襲しつつ、前照灯まわりは10000系の尾灯を前照灯横に配置したイメージとなっている(左)。幅1800㎜の出入口付近を見る(右)。17インチワイドカラー液晶式の車内表示器の下にはドア開閉動作表示灯が。さらに床面には黄色の識別表示が設置されている。'10.4.5 深川車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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車輌前面と側面の行先表示器は3色LED方式から一部フルカラーLED方式に変更され、視認性の向上が図られています。このほか出入口鴨居部にはドア開閉動作表示灯、床面には識別表示が設置され、荷棚や吊手高さも低くされるなど、バリアフリーにも配慮されています。

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▲15000系編成表。

15000系は平成23年度までに13編成(130輌)が投入され、05系14~18編成とともに朝ラッシュ時間帯をワイドドア車(他社乗り入れ車輌を除く)で運行することにより、各駅での停車時間を約4秒短縮となることを見込んでいます。また、気になる営業運転開始は5月中旬頃の予定となっています。

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▲那珂湊機関区構内に残るケハ601の車体は倉庫として使われていたが、「おらが湊鐵道応援団」が復元して現在ではギャラリーなどに活用されている。'10.4.3 那珂湊
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ひたちなか海浜鉄道に生まれ変わった湊線を訪ねてあらためて感動したのが、地域とファンが一体となってこの14.3㎞のささやかな非電化私鉄を護ろうと奮闘努力している姿でした。とりわけ「おらが湊鐵道応援団」(→こちら)の皆さんの活動は、今やこの鉄道の生命線といっても過言ではないほどになっています。

100404n0236.jpg「湊鉄道沿線を拠点に湊鉄道の利用促進運動を主な活動とするとともに、会員と地域住民の交流を深め地域の活性化と湊鉄道の存続に寄与することを目的」として発足した「おらが湊鐵道応援団」は、現在では団員数も2000人を超え、幅広い活動を繰り広げています。休日にはボランティアで遠路はるばる駆け付けてくれる仲間も多いそうで、那珂湊駅待合室では特典付き乗車証明書の頒布役も担っています。
▲ケハ601の車内。寄贈された資料や模型も数多く収蔵されている。'10.4.3 那珂湊
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▲阿字ヶ浦で発車を待つ現役時代のケハ601。左側の給水塔は現在でもその姿を留めている。'78.4.29 阿字ヶ浦 P:名取紀之
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その「おらが湊鐵道応援団」が修復に取り組んだのが、機関区構内で倉庫と化していたケハ601です。ケハ601は1960(昭和35)年新潟鐵工所製の、わが国初のステンレス製車体を持つ気動車で、時代を反映したいわゆる"湘南顔"が特徴です。応援団では同車の歴史的価値をふまえ、客室内を資料等の展示室兼ギャラリーに改装してイベントの際などに公開しています。同車の廃車は1992(平成4)年。ステンレス製とはいえ、取り外されてしまった前照灯などから雨水が侵入して車内もかなり傷みが出ていたようですが、シート地を張り替えるなど献身的な努力の末、現在では見違えるような状態となっています(修復時の動画は→こちら)。ちなみに愛称は"ギラリー601"。ギャラリーとステンレス車体の"ギラリ"をかけたものだそうです。

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▲国鉄首都圏色に塗られているのはキハ203。すでに車籍はないが、ケハ601と並んで今後の活用が期待されている。'10.4.3 那珂湊
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▲オリジナルをよく留めるキハ203の車内。広告も国鉄時代のものが掲げられており、まるで30年前にタイムスリップしたかのよう。'10.4.3 那珂湊
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大型連休前の今月4月25日(日曜日)には、ひたちなか海浜鉄道開業2周年記念イベントが開催されます。当日は500円で終日乗り放題の割引切符が販売されるほか、旧型気動車3連での運行や、那珂湊駅構内での各種イベントも企画されているそうです(→こちら=PDFファイル)。当日はもちろん"ギラリー601"も公開される予定ですので、春の一日、ぜひ足を運んでみられては如何でしょうか。

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▲今回お世話になった、「おらが湊鐵道応援団」の皆さん。地域とファンが一体となって、生まれ変わった第三セクター鉄道を支えている。'10.4.3 那珂湊
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第三セクターとして再スタートを切ってから満2年。地域の人々と、そしてファンに支えられて奮闘を続けるひたちなか海浜鉄道は、ホスピタリティーに満ちたなんとも心温まる鉄道でした。今回は対面かなわなかった"チビさむ"君に会うためにも、ぜひ近々また訪ねてみたいと思います。

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▲湊線随一の撮影ポイントでもある中根駅付近を快走するキハ2005。中根駅はテレビ漫画サザエさんのオープニングに登場したことで急に乗降客が増えたという。'10.4.3 中根-金上
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ひたちなか海浜鉄道湊線の大きな魅力のひとつに、保有する気動車のバラエティーの豊かさがあります。茨城交通時代にメンテナンス面から国鉄キハ20系の中古車を集中的に導入した名残りで、現在でも在籍車輌8輌のうち4輌がキハ20系で占められています。

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▲変わらぬ佇まいの那珂湊機関区気動車庫。庫内には昨年三木鉄道からやってきたミキ300-103が顔をのぞかせている。左奥には羽幌炭礦鉄道からやってきた旋回窓付きのキハ222の姿も見える。'10.4.3 那珂湊
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キハ205(もと水島臨海鉄道←JR西日本←国鉄)以外の3輌は、それぞれ廃線となった北海道の運炭鉄道からの移籍車で、しかもキハ20系4輌それぞれが異なった塗色となっているのも興味を引きます。訪問当日はもと留萌鉄道のキハ2005(1966年製)が終日運用に入っていましたが、大糸線のキハ52が引退した今後は、ますますその存在が輝きを増すに違いありません。

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▲検査入場中のキハ2004。この日運用に就いていたキハ2005とともに留萌鉄道からやってきた仲間。現在は国鉄準急色に準じた塗色となっている。'10.4.3 那珂湊
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100404n0255.jpgところで那珂湊駅に隣接する那珂湊機関区は、非電化私鉄の典型的な車庫として見どころがいっぱいです。『模「景」を歩く』でも詳細な平面図を交えてご紹介しておりますが、機関車庫と気動車庫を持つ構内にはバスの整備工場も隣接し、築100年になる駅本屋とともに、まさに模型のレイアウトにしたくなるような魅力にあふれています。
▲キハ3710‐02(右)と最新鋭のキハ37100-03(左)。キハ3710形の改良版ともいえるキハ37100形は茨城交通色を残す今や唯一の現役車輌でもある。'10.4.3 金上?中根
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▲台車代わりに用いられているのは旧鉄道聯隊の97式軽貨車。湊線ではこれまでに6輌の97式が確認されている。'10.4.3 那珂湊
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100404n0252.jpgそして個人的に感慨深い"再会"となったのが、構内の何箇所かに留置されている旧陸軍鉄道聯隊の97式軽貨車たちです。97式については小ブログでもたびたび取り上げてきましたが(アーカイブ「くぬぎ山の97式軽貨車を見る」等参照)、その存在が広く知られるようになったのは『トワイライトゾ~ン・マニュアルⅡ』所収の「もしかして97式? ~さまよえる軍用貨車の亡霊~」でここ那珂湊の97式を取り上げたのが端緒でした。その後、全国各地での発見情報が相次ぎ、次第にその現況が詳らかになってゆくわけですが、その意味ではまさに"原点"とも言える存在なのです。ちなみに湊線内で現認された97式軽貨車はこれまでに6輌。日車東京製が4輌、汽車会社東京製が1輌、不明の個体が1輌で、汽車製(1944年11月製)の個体には製番の「1769」とともに千葉聯隊を示すと考えられる「千」もしくは「チ」の打刻が残されていました(『トワイライトゾ~ン・マニュアル 5』所収「前が横になった話 ―さまよえる軍用貨車の亡霊'96―」)。
▲その車軸端の軌間変更用カラー(スペーサー)部を見る。'10.4.3 那珂湊
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▲そして今やひたちなか海浜鉄道のアイドルとして大人気の駅猫"おさむ"君。各種のグッズも発売され、団体で"おさむ"君に会いにくるお客さんもいるとか...。'10.4.3 那珂湊
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ところで那珂湊を訪ねたらぜひとも会いたいと思っていたのが、人気急上昇中の駅猫"おさむ"君です。黒猫の"おさむ"君は構内で弱っていたところを保護され、今や駅事務室に「指定席」とサボを掛けられた座布団までもらって、すっかり那珂湊駅の顔となっています。まったく人見知りをしないたいへん大人しい猫で、推定5歳くらいの雄。今では各種のグッズも売り出され、彼に会いたいとわざわざやってくる観光客も少なくないそうです。ちなみに昨年11月からは子猫の"チビさむ"君も仲間に加わっているそうですが、残念ながら"チビさむ"君はお出かけ(?)で会うことはできませんでした。

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▲ほのかに汐の香りが漂ってくる殿山駅の朝、どこかほっとするDMH17のアイドリング音が響く。'10.4.3 殿山
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常磐線の勝田と海水浴場として広く知られる阿字ヶ浦を結ぶ茨城交通湊鉄道線(14.3㎞)が存亡の危機に陥ったのは4年ほど前のことでした(アーカイブ「今度は茨城交通も存亡の危機?」参照)。もちろんそれ以前から同鉄道線の存廃は議論されており、2002(平成14)年には湊鉄道線維持存続連絡会も発足しています。

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▲沿線にある3校の高校のひとつ那珂湊二高の最寄り駅である殿山駅には、上り列車の接近を伝える"チンカンベル"(画面左端)が設置されている。かつて下校時にはホームが埋め尽くされたという女子校時代の名残だという。'10.4.3 殿山
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そして2007(平成19)年9月に第三セクター方式による路線の存続が決まり、ちょうど2年前の2008(平成20)年4月1日に「ひたちなか海浜鉄道」が発足しました。

100404n0157.jpg茨城交通湊線からひたちなか海浜鉄道へ、その変貌ぶりを一度見てみたいと思っていましたが、昨日ようやく現地を訪れることができました。アテンドして下さったのは、今や同鉄道の大きな力となっている「おらが湊鐵道応援団」の船越知弘さんらメンバーの皆さん。那珂湊駅では吉田千秋社長にもお出迎えいただき、あわただしい訪問ではありましたが、「応援団」はじめ多くの皆さんに支えられながら奮闘を続けている現状を垣間見ることができました。
▲"チンカンベル"は鐘撞式の踏切警報機(アーカイブ「"鐘撞き"の踏切」参照)を流用したもの。ちなみに湊線内の踏切警報機はすべて電子音化されている。'10.4.3 殿山
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▲殿山駅に到着したキハ3710-01。"3710"はもちろん湊線の"みなと"に由来する。'10.4.3 那珂湊?殿山
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海水浴場はもとより、沿線に「那珂湊おさかな市場」や「国営ひたち海浜公園」などの集客スポットを擁しながらも、クルマに押されていまひとつ鉄道利用が伸び悩んでいる現状を変えるべく、さまざまな取り組みが行われています。那珂湊駅待合室に設けられた「応援団」ブースもそのひとつで、列車が到着するたびに、メンバーが沿線の宿泊施設や飲食店・土産物屋さんなどで特典を受けられる乗車証明書を一枚一枚配っています。土地柄、水戸黄門の印籠を模したこの乗車証明書にも、地域が一体となって鉄道を護ってゆこうとする熱い思いを感じ取ることができます。

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▲終点の阿字ケ浦の風情は昭和40年代からほとんど変わっていない。蒸機時代の遺構であるコンクリート製の給水塔(画面左端)もいまだにその姿を留めている。'10.4.3 阿字ケ浦
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100404n0278n.jpgまた、目を引いたのが各駅のホームに掲げられた真新しい駅名標です。よくよく見るとなにやら駅名が絵文字のようになっています。これは昨年夏に開催されたMMM(みなとメディアミュージアム)で、慶應義塾大学有澤誠研究室が創作した「湊線フォント」だそうで、那珂湊駅であれば気動車の顔とレンタサイクルなど、各駅の特徴を文字の中に組み込んだユニークなものとなっています。ともすれば画一的になってしまいがちな駅名標にしても、ユーモアや発見、そして探す楽しさなど、少しでも湊線のアピールに活用できればと、こんなところにも努力が払われているのです。
▲阿字ケ浦駅のホーム駅名標。それぞれの文字にホタテ貝、アンコウ、釣り針、そしてワカメが隠されている。'10.4.3 阿字ケ浦
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▲遥か留萌の地からやってきて今年で40年、キハ2005は今年になってクリームと赤の塗り分けとなって活躍を続けている。'10.4.3 金上?中根
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ところでこの日は春休みの土曜日とあって、全列車が単行運転。最近ではキハ3710形を中心とした新型車輌のみで運用が組まれることが多いそうですが、幸いなことにもと留萌鉄道のキハ2005が終日運用に入り、ひさしぶりにDMH17形エンジンのサウンドを耳にすることができました。

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▲寝屋川車両工場で静態保存されている61。1980年の開業70周年記念事業の一環として塗装も新製時に近いものに復元されている。'96.6.3 P:高間恒雄
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来る4月15日に開業100周年を迎える京阪電気鉄道株式会社が、来年の市制施行60年を前に「ワガヤネヤガワ・プロジェクト」(寝屋川市ブランド戦略基本方針)を進める寝屋川市ととともに、寝屋川車両工場に保存されている往年の名車「びわこ号」(60形)を復活させるプロジェクトを始動させます。

60biwakoo2.jpg60形「びわこ号」は1934(昭和9)年、天満橋~浜大津間を72分で結ぶ直通特急として日本車輌で3輌(編成)が新製されたわが国初の連接車で、琵琶湖島めぐりやスキー船との連絡に活躍し、いつしか「びわこ号」の愛称で親しまれるようになりました。急曲線と急勾配の多い京津線内では自慢の連接構造を活かしてポールで集電、乗降は車体中央の2段ステップ付きドアを用い、高速の本線内ではパンタグラフから集電、両端のドアから乗降するなど、まさにマルチパーパスのさきがけのような電車でもありました。もちろん"昭和モダン"を象徴する流線型のデザインは、京阪を代表するとともに日本の電車史に燦然と輝くもので、昨年には経済産業省から「近代化産業遺産」に認定されています。
▲ポールは戦後間もなくシングルポールに変更されているが、保存車は復元の際にオリジナルのダブルポールに戻されている。'96.6.3 P:高間恒雄
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▲その客室内。復元された木製ニス塗りの車内は素晴らしい状態に保たれている。中央の京津線用ドアのステップ部にバーが設けられているのに注意。'96.6.3 P:高間恒雄
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■60形「びわこ号」の経歴 (京阪電気鉄道プレスリリースより)
・昭和9年3月 竣工
・昭和9年4月2日 天満橋~浜大津間、直通運転開始(運転時間72分)
・昭和21年9月 63号大津線へ移管
・昭和23年1月27日 61号大津線へ移管
・昭和23年10月1日 62号大津線へ移管
・昭和26年12月 天満橋~浜大津間に直通スキー列車運転(運転時分86分)
・昭和31年1月15日 浜大津~八幡町間に直通臨時列車「やわた」号運転、初詣直通運転(石山寺または浜大津~香里園間)
・昭和35年頃まで 初午直通運転(石山寺または浜大津~伏見稲荷間)
・昭和36年11月23日 浜大津~枚方公園間に直通運転「菊」号運転
・昭和42年12月 62号廃車
・昭和43年12月 61号廃車
・昭和45年12月 63号廃車
・昭和55年3月14日 開業70周年記念事業の一環として修復保存展示 (ひらかたパーク)
・平成8年6月20日 2回目の修復工事完了
・平成12年1月28日 寝屋川車庫に搬入保存

60biwakoo3.jpg今後の予定としては、まずは車庫内での走行をめざした取り組みを進め、最終的にはイベント列車などとして京阪本線での走行をめざすとしています。さらに、復活後は、各種イベントや撮影会、関連グッズ販売など、さまざまな場面で活用される予定です。なお、復活プロジェクトの枠組みについては、京阪電気鉄道株式会社と寝屋川市両者で復元に向けた課題や役割分担などについての協議を行い、来年3月を目途に明らかにしてゆくそうです。多くの方がその存在を知りながら走行シーンを見ることかなわなかった60形「びわこ号」。復活の日が今から楽しみでなりません。
▲連接部を見る。天井には白熱灯が設置され、柔らかい光が木製の室内を心地よく照らし出す。'96.6.3 P:高間恒雄
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ところで、100周年を迎える京阪電気鉄道ではこの60形復活をはじめ、さまざまな記念プロジェクトを計画しておりますが、その一環として、開業時の1形から最新の3000系(新)までの車輌史を細密イラストで綴る一大絵巻『京阪電車 車両の100年』を発行いたします。イラストは『吊掛讃歌』や『1号機関車からC63まで』でお馴染みの片野正巳さん。実際の編集・制作は弊社がお手伝いさせていただいており、今月下旬には完成のはこびとなります。詳しくはまた小ブログでもご紹介いたしますので、どうかお楽しみに...。

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▲展示室で0系21‐2と対面を果たされた星 晃さん。当時の塗色と光り前頭が再現された姿に星さんも満足のご様子。'10.4.2
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昨年の10月21日にオープンした鉄道博物館の0系新幹線展示室(アーカイブ「鉄道博物館0系21形を公開」参照)は、その準備段階から星 晃さんに何かとご助力を賜ってきたそうです。星 晃さんはあらためてご紹介するまでもなく、元国鉄副技師長として昭和30~40年代の国鉄旅客車の計画・設計の中心におられたお一人で、もちろん0系新幹線に関しても開発に直接関わられた方です。それだけに0系21‐2の復元展示を楽しみにしておられましたが、なかなかご都合がつかず、半年近く経った今日、初めて0系展示室にお越しになられました。

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▲ヒストリーゾーン1階の南西方に隣接する展示室入口のドアには、星さん撮影の0系新幹線の写真が用いられている。'10.4.2
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▲車内の3列シート側の一部の窓にはPCモニターが組み込まれており、ディスプレーをタッチすることによって数百枚の写真や生産図面を見ることができる。学芸員の奥原さんの説明に聞き入る星さん(左)。展示室内のモニターでは星さんのインタビューも見ることができる(右)。'10.4.2
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すっかり美しく整備復元された21‐2との対面には星さんも感無量のご様子。展示室内のモニターで流れるご自身のインタビュー映像や、車内のPCモニターのタッチパネルで写し出されるご自身撮影の画像の数々にも見入っておられました。星さんが鉄道博物館にお越しになるのは一昨年12月の特別企画展「電車特急50年」以来(アーカイブ「星 晃さんと特別企画展"電車特急50年"を見る」参照)のこと。「こだま」型や0系など、ご自身が手掛けた車輌たちが素晴らしい状態で保存展示されている姿に、あらためてお悦びでした。

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▲完成した鉄道博物館展示車両図録『-新幹線の誕生-"夢の超特急"0系新幹線』表紙(左)。新製後の改造箇所も写真で細かく解説されている(右)。'10.4.2

ところで、この0系21‐2の復元展示と展示室の詳細をまとめた鉄道博物館展示車両図録『-新幹線の誕生-"夢の超特急"0系新幹線』が完成いたしました。この図録は展示で使用された写真・資料をふんだんに収録し、あわせて巻末に星 晃さん、島 隆さんのインタビュー、それに21‐2の整備から移設までの記録動画を収めた約80分のDVDが付録されており、まさに新幹線の黎明期を語り継ぐバイブルともいえるものとなっています。

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▲車輌図録とはいえ、新幹線前史から始まる鉄道史の解説は読みごたえ充分で、英文も併記されており資料性も極めて高い(左)。第5章では数々の生産図面を用いてその開発過程が詳述されている(右)。'10.4.2

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▲第4章「東海道新幹線の建設と開業」では実験線での試験から開業にいたる歩みが世相を交えてビジュアルに紹介されている。'10.4.2

100402ndvd.jpg〔目次〕
第1章 展示室概要
第2章 新幹線前史1
第3章 新幹線前史2
第4章 東海道新幹線の建設と開業
第5章 初代新幹線車両0系 
第6章 昭和30年代の日本
第7章 機能性を追及した駅設備
第8章 東京駅の赤レンガ駅舎 
第9章 21-2 徹底紹介 

ちなみにこの図録は小誌編集部が編集・制作させていただいたもので、鉄道博物館ミュージアムショップで販売されています(88ページ、オールカラー、付録DVD付/価格1200円)。ぜひ書架にお揃えいただければと思います。

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熊延鉄道跡を探訪。

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▲鯰-上島間に残る鉄橋を撮影する参加者の皆さん。上島駅は緑川沿いに位置し、戦後まで直営砂利採取事業が行われていたという。'10.3.27 P:堀田和弘
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先週3月27日(土)に熊本産業遺産研究会の企画で「ブルドックで行く熊延鉄道の廃線跡探訪」が開催されました。熊延(ゆうえん)鉄道といえば、今は亡き田尻弘行さん(アーカイブ「田尻弘行さんの訃報に...」参照)のRMライブラリー第42巻『熊延鉄道』が思い浮かびますが、同書にも多大なお力添えをいただいた堀田和弘さんから当日の様子をお送りいただきましたので紹介させていただきましょう。

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▲咲き誇る桜をバックに「ブルドッグ」を記念撮影。緑川ダム湖畔の駐車場にて(左)。その前面には今回のツアー表示が...(右)。'10.3.27 P:堀田和弘
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この「ブルドックで行く熊延鉄道の廃線跡探訪」は募集があまり広く行われなかったこともあり、参加者は20名でしたが、遠くは関東から参加された方もおられました。移動には路線バス仕様の1982(昭和57)年製の通称「ブルドック」と呼ばれている旧型バスが使われ、懐かしいエンジン音を楽しむこともできました。

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▲霊台橋(れいたいきょう)のたもとに残る内大臣森林鉄道のトンネルと道床跡。'10.3.27 P:堀田和弘
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集合場所の熊本バス中の瀬車庫(もとの中の瀬駅近く)を9時30分に出発。 まず中の瀬~鯰間にあった加勢川橋梁の説明がありました。水位が低かったこともあり車窓から橋脚の基礎の部分を見ることができました。続いて鯰~上島間に残る鉄橋跡に到着。全員が下車して残存している鉄橋を撮影します。

100401n0082.jpg線路に沿ったバスの通れる道を甲佐まで移動しますが、その車中で『国鉄時代』でおなじみの中村弘之さんや、もと熊延鉄道車掌の堀田三直さんの流暢なガイドが行われ、かつての駅の位置や辺田見~下早川間の妙見隧道の説明に参加者全員が耳を傾けました。 熊本バスの車庫になっている甲佐駅跡に到着。駅があったことを示す記念碑や甲佐から出ていた森林鉄道(内大臣森林鉄道→こちら)のものと思われるレールと自動車の板バネで作られた側溝の蓋を観察します。
▲甲佐駅跡に残る森林鉄道のレールとバスの板バネを使用した側溝の蓋。'10.3.27 P:堀田和弘
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▲忽然と現れた釈迦院駅の駅名標。なんでも最近倉庫を整理していたら出てきたとか...(左)。右は釈迦院駅のプラットホーム跡を撮影する参加者の皆さん。'10.3.27 P:堀田和弘
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一旦、鉄道の終点であった砥用(ともち)を通り越して石橋としては最大径間を誇る霊台橋(れいたいきょう)に向かいます。 霊台橋の左岸には内大臣森林鉄道が通っていたトンネルや道床の跡が残っており、それを橋とともに見学します。 そこから数分のところにある緑川ダム湖畔の駐車場で満開の桜の花をバックにバスの撮影会が行われました。

100401n0118.jpg緑川ダムを後にして、砥用駅跡、第五津留川橋梁、釈迦院駅跡を見学しながら移動しましたが、釈迦院駅跡でサプライズがありました。駅の跡地に立てられている家の壁面に釈迦院駅の駅名標が掲出されているではありませんか。 以前は見かけたことはなかったのですが、その家の方が出てこられてお話を伺うと、最近倉庫を整理していたら出てきたので飾ったということでした。 また、その方のお宅の玄関内に広田尚敬さんが釈迦院駅を撮影された写真が2枚(『永遠の蒸気機関車 くろがねの勇者たち』ネコ・パブリッシング、『Fの時代』小学館に所収)掲げてありました。 そのうちの一枚、出札口を撮影した画像に写っている方がそのお宅の方のお父上だということがわかり一同驚きました。また出札があった位置なども教えていただきプラットホーム跡も撮影させていただきました。
▲昼食時、1/80模型(堀田和弘さん作)のヂハ201見て懐かしんでおられる元車掌の堀田三直さん。'10.3.27 P:堀田和弘
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佐俣駅跡近くにある「佐俣の湯」で昼食。ヤマメや馬刺しの料理を楽しみながら懐かしい話に盛り上がります。私(堀田和弘)が持参したヂハ201の1/80の模型を、元車掌の堀田三直さんが懐かしそうに見ておられました。食後に温泉につかったり、鉄道談義、産業遺産談義が続き、予定の2時間があっという間に過ぎました。

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▲末期の鯰駅で交換するヂハ101とヂハ102。1963年11月頃 撮影:堀田善巳(堀田和弘さんのお父上)。
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午後からは南甲佐~佐俣間に残る第一津留川橋梁跡、落石よけ(通称六角トンネル)を見学後、線路跡に沿った道路を南熊本に向かって走りながら、往路でできなかった遺構の説明が行われました。 また、車中でゲームが行われましたが、一番の景品は熊本バスの協力で出された1964(昭和39)年3月の鉄道廃止時に記念品として作られた「鉄道廃止記念」と刻印されたレールの文鎮で、当選された方は大喜びでした。

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▲鉄道廃止時の記念品だった刻印入りレール文鎮(左)。RMライブラリー『熊延鉄道』製作時に協力いただいたお三方(左から中村弘之さん、堀田三直さん、堀田和弘さん)が田尻さんの遺作本を持って記念撮影(第一津留川橋梁跡)。'10.3.27 P:堀田和弘
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最後に中の瀬車庫を通過して起点であったJR南熊本駅に向かいましたが、熊本市内に入ってから少し渋滞したこともあって、南熊本駅付近の様子は車窓からの見学となったものの、 予定通りの17時に中の瀬車庫に戻り今回のツアーが終了しました。

熊延鉄道の廃止から今年で46年。 鉄道があったことも次第に忘れ去られようとしている中で、もと鉄道従事員の方も参加された今回のツアーは大変有意義なことだったと思います。 今回のツアーを企画していただいた熊本産業遺産研究会の方々に改めて感謝しますと共に、多大なるご協力をいただきました熊本バス株式会社=熊延鉄道に御礼申し上げます。
RMライブラリー『熊延鉄道』の著者・田尻弘行さんの参加が叶わぬことはわかっていても、かえすがえすも残念だと中村弘之さん、堀田三直さんと話しておりました。

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