鉄道ホビダス

2010年1月アーカイブ

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▲小春日和の土曜日午後、本社一階ロビーを会場に行われた第1回ヤードセミナー。'10.1.30 P:伊藤真悟

昨日、30日(土曜日)14時から鉄ホビ・ヤード横の本社ロビーで、"第1回ヤードセミナー"と題して、初めての試みとなる公開セミナー(無料)を開催いたしました。

100131fig.jpgオープン以来好評をいただいている鉄ホビ・ヤードですが、鉄ホビ・ダイレクトのアイテムを皆さんに直接ご覧いただくのみならず、情報発信基地としても活用できればと、さまざまな企画を構想しております。今回の"ヤードセミナー"はその第一弾というべきものです。テーマは私が解説する「Rail Magazineの作り方」。ご愛読いただいているRM本誌がどういったプロセスを経て作られてゆくのかを、なるべく具体的な例をひきながらご説明するもので、雑誌製作のいわば"舞台裏"をお見せしようというわけです。

ひと口に「本」と十把一絡げにされがちな中に、雑誌、書籍、ムック等々、さまざまなカテゴリーがある...という、いわば出版の基礎知識からはじまり、情報の取捨選択、写真のセレクト、そして誌面構成の実際までを一気にお話いたしましたが、生々しい赤字(訂正指示)が記入された校正紙や、実際に使用された台割表など、皆さん初めて目にされるだけに、熱心に見入っておられました。

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▲通常は目にすることの出来ないデザインラフや校正紙の実物に興味津々の皆さん。'10.1.30 P:伊藤真悟

また、急速に進化するデジタル画像への対応方法や、逆に懸案となっているその保存方法、さらにはメディアミックス時代を迎えて鉄道雑誌はどう変化してゆくのかといった将来展望まで、質疑応答を交えて予定の一時間をかなりオーバーしてのセミナーとなりました。

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▲セミナー終了後には"門外不出"の色校正紙の頒布会を開催。誌面で見るのとはまた違った印象に次々と手がのびる。'10.1.30 P:伊藤真悟

今回はあえて誌面告知のみでの開催となったため、小ブログ読者の皆さんのなかにはご存知なかった方も少なくないようで、その点は申しわけなく思っております。いずれにせよ、手探り状態で始まったこの"ヤードセミナー"ですが、今後、講師の方を招いての講演会はもとより、模型工作教室なども開催予定です。どうかご期待ください。

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C61 20の細部を見る。(6)

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▲機関士席床下に位置するストーカーエンジン。C62も同様だが、D52とD62はテンダ側に位置する。下部から右へ伸びて赤いタグが付けられているパイプはストーカーエンジン排気管。前方には分配弁が見える。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地

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東京メトロ02系の話題で中断いたしましたが、ふたたびC61 20号機の足回りのディテールを見てゆくことにいたしましょう。今回はC61形の特徴のひとつでもあるストーカー(自動給炭機)エンジンと、分配弁まわり、そして従台車イコライザーをつぶさに観察してみましょう。

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▲ストーカーエンジン取付座を下側から観察する。コの字状の取付座がよくわかる。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地

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▲分配弁周辺を見る。もちろん元空気溜管をはじめとしたすべての配管は取り外されており、作用シリンダのケーシングが露出している。模型ではもっともパイピングが面倒な部分でもある。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地

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▲LT253形従台車の第3動輪とのイコライザー中心ピンを見る。このピン位置を変えることによって軸重配分を変更することが可能で、C62の場合はこの改造でいわゆる"重軽改造"が行われている。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地

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▲02系大規模改修工事車輌第1施工車の02-102編成。約14年ぶりにサインウエーブが復活した。'10.1.28 中野車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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東京地下鉄(東京メトロ)では、故障の未然防止やサービスの向上、省エネルギー性の向上など、路線や車輌の状況に応じてこれまでにも大規模なリニューアル工事を行なっていますが、丸ノ内線02系車輌も1次車竣工から20年以上が経過したことから、2009年度より02-101編成~02-119編成(計114輌)のチョッパ制御車輌を対象に大規模改修工事を行なうことになり、第1施工車となる02-102編成が昨日、報道陣に公開されました。

100129n02_002.jpg今回の大規模改修では、外観は丸ノ内線開業時より運用している300形のデザインを踏襲して、車体帯はスカーレットとホワイトの帯からスカーレット地にホワイトのサインウエーブのデザインとなったことが特筆されます。丸ノ内線でサインウエーブが見られるのは、実に約14年ぶりのことです。また、正面行先・運行表示器が幕式表示器となっている02-101編成~02-112編成については、他の編成と同様に3色LED化が行なわれます。
▲前面を見る。かつての300形などと同様、側面からのサインウエーブは前照灯部分で終結する。'10.1.28 中野車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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主電動機は、千代田線16000系にも導入予定で、銀座線01系の01-138編成で先行試験を実施している永久磁石同期電動機(PMSM:Permanent Magnetic Synchronous Motor)を採用。あわせてVVVFインバータ制御化が行なわれています。なお歯車減速式駆動方式の車輌としては、この02系大規模改修車輌が量産車として日本初のPMSM本格採用車輌となります。ブレーキ装置は、床下艤装スペース確保とメンテナンス低減を図るためにブレーキ作用装置と保安ブレーキを一体化して、1車単位制御から台車単位制御に変更しています。

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▲客室内は薄いサーモンピンク系の内装色となり、脇仕切りが大型化されたのが特徴。'10.1.28 中野車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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一方、内装も300形を意識した薄いサーモンピンク系となり、車椅子スペースを除くすべての脇仕切りを大型化しています。また各ドア鴨居部にドア開閉表示等ともに、17インチワイド液晶式車内表示器が2画面導入、表示器は向かって右側が行先案内、左側は広告映像を表示します。車椅子スペースはこれまで02-101編成~02-110編成には設置していませんでしたが、02-101~012-110編成は今回の大規模改修を機会に2号車と5号車に車椅子スペースを設置することになり、工事が完了することで丸ノ内線本線車輌全編成に車椅子スペースが設けられることになります。

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▲荻窪方02-102の運転台背面(左)。脇仕切りの座席側には窪みを設けている。優先席部分は吊手高さが低くなり、縦握り棒に黄色塗装を追加している(右)。'10.1.28 中野車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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優先席部分は、優先席利用者にとって分かりやすくするために優先席縦握り棒に黄色塗装を追加するとともに、優先席部分の吊手高さを1,660mmから1,580mmに変更しています。このほか、冷房電源装置の容量向上(110kVA→160kVA)、蓄電池の容量向上(編成中、40Ah×2台→60Ah×2台)が図られています。

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▲2号車(02-202)の床下に搭載のVVVF制御装置(左)。鴨居部は17インチワイド液晶式車内表示器に(右)。その下にはドア開閉表示等も設置されている。'10.1.28 中野車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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今後、02系の大規模改修は年間3編成程度施工されていく予定ですが、2010年9月までに工事を完了した車輌は工事作業場の関係から、出入口床面へ識別表示(黄色)追加と冷房能力の向上(1車:14,000kcal/h×2台→20,000kcal/h×2台)は1度目の改修には実施せず、再度工事改修期間を設定して実施するとのことです。なお、それ以降に改修される編成は、すべての改修項目を1回で実施する予定となっています。
取材協力:東京地下鉄

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▲四ツ谷で顔を合わせる"サインウエーブ"がトレードマークだった営団地下鉄丸ノ内線500形。'65.5.18 四ツ谷 P:三谷烈弌

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C61 20の細部を見る。(5)

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▲前端梁下から前部自動連結器回りを見る。スノープラウの取り付けステーも良くわかるが、このスノープラウに関しては1973(昭和48)年12月27日に高崎に回着した時点、そして翌年1月19日に華蔵寺公園に搬入された時点では装着されていないことが確認されており、いったいいつ追加装備されたのかは今のところ不明。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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引き続きC61 20号機の足回りを観察してゆくことにいたしましょう。通常であればなかなかカメラを入れづらい床下も、低床トレーラーに積載されたあとだけに、まさに目線の高さでつぶさに観察することができました。

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▲スノープラウ下からエコノミー式2軸先台車をのぞく(左)。横梁の構造がよくわかる。右は動輪の制輪子吊りと引棒。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲機関車後端梁部。中間緩衝器受とドローバー穴が見える。上手前の台座はストーカーエンジンの取付座。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲同じく後端梁を逆側(非公式側)から見る。ストーカーエンジンの背面が見える。左側に出っ張っている継手は駆動軸の接続ジョイント。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲「パレオエクスプレス」用のデキ102と1000系1012編成と並ぶ7500系。なお、1000系1012編成は7500系導入により廃車となる模様。'10.1.21 広瀬川原 P:RM(伊藤真悟)
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今日は「C61 20の細部を見る」をお休みして、近々秩父鉄道でデビューを飾る7500系をご紹介いたしましょう。
秩父鉄道では東急電鉄8090系8091Fのうちの3輌を譲り受けて7500系として導入、1月21日に広瀬川原車両基地に到着しました。


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▲広瀬川原に到着したばかりの7500系。このため、連結器は並型自動連結器で円形の後部標識板も付いたままである。'10.1.21 広瀬川原 P:RM(伊藤真悟)
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今回到着した7500系は三峰口方からデハ7501+デハ7601+クハ7701で、先頭車前面帯は7000系(元東急8500系)と同様に緑から黄色へのグラデーションとなり、側面には緑帯が2本配されています。東急大井町線で活躍していた時も前面は赤から黄色へのグラデーションの帯、側面は2本の赤帯でしたので、赤の部分が緑に変わったとイメージしてもよいでしょう。


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▲電動車化されたデハ7501(左)と中間電動車デハ7601(右)。こちらはパンタグラフが2基に増設されている。'10.1.21 広瀬川原 P:RM(伊藤真悟)
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▲デハ7601の三峰口方には車椅子スペースが設けられている。また、各車輌の扉脇には扉開閉押しボタンを新設。なお、腰掛モケット等は東急時代のままとなっている。'10.1.21 広瀬川原 P:RM(伊藤真悟)
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▲デハ7501の乗務員室背面。運転士側に機器を増設したため、仕切り部分はオフセットとなっている。ワンマン化のため、乗務員室内に後方確認用ミラーが設置されているのに注意。'10.1.21 広瀬川原 P:RM(伊藤真悟)
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7000系と同様にワンマン化改造されていることから、外観上では側扉付近に開扉用押しボタンが設置されているのが特徴です。また、デハ7601はパンタグラフがシングルアーム式から菱形のものに交換されるとともに、冷房装置1基を取り外してパンタグラフをもう1基追加しています。


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▲デハ7501の乗務員室内。縦型の運行表挿しが新設されている。'10.1.21 広瀬川原 P:RM(伊藤真悟)
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▲運転台まわりを見る(左)。ワンマン・ツーマン切換スイッチや車内放送関連のスイッチが設置されている。客室内扉上には、開閉予告チャイムスピーカー・ランプとLED式案内表示装置を設置している(右)。なおLED式案内表示装置は、7000系と同様に千鳥配置とされている。'10.1.21 広瀬川原 P:RM(伊藤真悟)
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客室内は、腰掛モケットや化粧板等は東急時代と変わりませんが、各扉脇に扉開閉用押しボタンが設置されているほか、7000系と同様に扉上には開閉予告チャイムスピーカー・ランプとLED式案内表示装置(案内表示装置は千鳥配置)が設けられています。


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▲デキ507+クハ7701+デハ7601+デハ7501+デキ104の編成で回着。'10.1.21 広瀬川原 P:RM(伊藤真悟)
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7500系は到着後は広瀬川原で全般検査が行なわれており、本線上で自力走行を見ることができるのは3月以降となる模様です。
取材協力:秩父鉄道



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▲D15+スム4047により、広瀬川原8番線に転線する。'10.1.21 広瀬川原 P:RM(伊藤真悟)

※画像をクリックすると動画がご覧になれます。


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C61 20の細部を見る。(4)

IMGP4246.jpgのサムネール画像
▲クロスヘッド部を見る。メインロッドはすでに外されており、スモールエンドのクロスヘッド・ピンも抜かれた状態となっている。ユニオン・リンクも外され、合併テコがぶら下がった状態。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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さらに足回りの細部を見てゆくことにしましょう。搬出に先がけてメインロッド、エキセントリックロッドなどは取り外されていましたが、ワルシャート式弁装置の各部をじっくりと観察することができました。

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▲モーションプレート部。ラジアスロッド、エキセントリックロッドは外されており、加減リンクが取り残された状態となっている。上部に突き出して見えるのは逆転軸腕。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲20号機の特徴のひとつは先台車第2軸の車輪がC59戦前型に見られた丸穴ウエップ付に換装されている点。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲問題の先輪のアップ(左)。塗り重ねられたペンキの下にはC60 9の打刻が...。右は第2動輪に見られる「昭24.1」の陽刻。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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今回の観察で判明したのが先台車第2軸の車輪の素性です。C59戦前型のものと思われる丸穴ウエップ付車輪ですが、打刻が読み取れ、C60 9のものであることが判りました。C60 9号機はC59 46号機をハドソン化改造したものですから、もともとはC59 46(1942年川崎製・1954年姫路二区廃車)の車輪ということになります。C60 9号機は"ヨン・サン・トオ"に際して1968(昭和43)年9月30日付けで盛岡機関区で廃車されており、はたまたC61 20はその翌年1969(昭和44)年9月12日に土崎工場を全検出場していますから、この際に振り替えられたものと思われます。

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▲シリンダ排水弁回りを見る。赤く塗られているのは気筒安全弁。エコノミー式2軸先台車とシリンダーブロックのクリアランスがほとんどない点に注意。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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C61 20の細部を見る。(3)

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▲深夜の国道17号線をC61の足回りが"走る"。何とも不思議な光景。'10.1.20 国道17号北本付近 P:井上真也さん (「今日の一枚」より)
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今日からは下回りに移ってその細部を見てゆくことにしましょう。ボイラ回りと分割された灰箱には宮崎区時代のアッシュが残されていました。実に37年前、あの日豊本線で投炭されたものと思うと、当時を知る一人として感慨もひとしおでした。

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▲主台枠を上から見る。担バネと動輪のクリアランスなど、3フィート6インチゲージの狭隘な台枠回りの様子が手に取るようにわかる。台枠中央を通るパイプは手前がレール水まき管、奥がタイヤ水まき管。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲左に罐台、右に罐胴受とモーションプレートの一部が見える。中央奥に見えるのは非公式側のクロスヘッドの裏側。その上のパイプは給水温め器への送水管と給水管。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲加減リンク部を上から見る。ラジアスロッドと加減リンク体との関係がよくわかろう。横に見えるバネは釣リンク復元バネ(逆転釣合バネ)、奥のU字状のリンケージは左右の釣リンクを結ぶ逆転軸。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲罐台と排気膨張室部分。正面奥のシリンダー部では分割のために切断された主蒸気管とその奥のバイパス弁が見える。左は給水温め器側。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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C61 20の細部を見る。(2)

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▲煙室内の主蒸気管と反射板を見る。固定反射板の扉は開いた状態となっている。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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引き続きC61 20号機のボイラ回りのディテールを見てゆきましょう。通常観察できない角度を中心にご覧いただきます。

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▲同じく吐出管穴から見た主蒸気管シリンダ側(左)。ペチコートはすでに取り外されており、上部には煙突穴が見える。右は公式側キャブ床下。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲搬出時の玉掛け作業の関係から一部のランボードが外され、ランボード取り付け座の状態がよくわかる(左)。右は外から見た主蒸気管。分割のためシリンダ上部で切断されている。右側のテコはC61・C62ならではの吐出管加減装置の可変テコ。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲公式側煙室下からキャブ側を見る。画面左に罐台取り付け部が見える。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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C61 20の細部を見る。(1)

48237.jpg▲午前0時過ぎに華蔵寺を出発、深夜の国道17号線を大宮目指してひた走る。'10.1.20 国道17号バイパス上武道路伊勢崎付近 P:井上真也さん (「今日の一枚」より)
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ブログ関連システムのメンテナンス(バージョンアップ)のため3日間にわたって更新が滞りましたが、本日より再開いたします。ただし、このバージョンアップによってなぜかブラウザによっては画像のアップロード等に支障をきたしており、自宅のMacBookからは操作できない状態となっております。このため原因判明までしばし更新が不安定な状態となりますが、事情ご賢察のうえ、あらかじめご了承いただければ幸いです。

去る19日(火曜日)に群馬県伊勢崎市華蔵寺公園遊園地より搬出されたC61 20号機は、20日深夜に同公園を出発、同日未明にJR東日本大宮総合車両センターに無事到着いたしました。今回はこの搬出の際に撮影できた同機の細部をお目に掛けてゆくことにいたしましょう。通常、全般検査等は工場建屋内で行われますので、ボイラと足回りが分割された姿がまさに"白日の下"に晒される機会はあり得ず、C61形の構造の理解とともにモデラーの方には絶好の"ディテールファイル"となるはずです。では、まずボイラ部より...。

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▲切り離された機炭部。C61の特徴でもあるストーカー(自動給炭機)の送り出し管や、後端梁の中間緩衝器受、従台車の滑り台座受など通常は目にすることのできない部分がよくわかる。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲C61形は動力火格子を持つ。下回りの灰箱と組み合わされているため、この角度から見られる機会はない(左)。右は公式側から見た揺り火格子作用軸部。ストーカーの球面継手も見える。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲ストーカーの球面継手部(左)と火室喉板部(右)。蒸気機関車のボイラで現在新製が最も困難なのがこの喉板部と言われている。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲非公式側のキャブ床下(左)。動力火格子の揺りシリンダーとその分配弁が見える。右は公式側床下。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲吐出管穴から覗いた煙室内。左は煙室戸ハンドルかんぬき、右は煙室管板と反射板。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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余談ながら、C6120号機が搬出された1月19日は、なんと36年前に同機が華蔵寺公園遊園地に到着したその日だったそうです。最終配置区であった宮崎から甲種輸送で両毛線伊勢崎駅に到着したのが1974(昭和49)年1月17日。今回の搬出と同様に3分割された同機がトレーラーで華蔵寺公園遊園地に到着したのが1月19日だったと言うのですから、何とも運命的なものを感じずにはいられません。

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C61 20号機を搬出。

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▲最大積載量101t、幅2.99mという巨大なトレーラーに載せられて華蔵寺公園遊園地から搬出されるC61 20号機のボイラ部。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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本日、ついにC61 20号機の復活に向けた移動が行われました。36年にもわたって鎮座していた群馬県伊勢崎市華蔵寺公園遊園地からの搬出はたいへんな作業で、同遊園地は昨日18日を臨時休園として、園内の遊戯物を一部撤去するなど、大掛かりな準備作業が行われました。

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▲搬出作業開始直前の様子。すでに煙突やデフレクターなどは取り外されている。また、テンダと分離するために前方に1mほど仮設線路が延ばされているのがわかる。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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また、機関車自体もボイラ部、足回り、テンダ部と3分割して搬出するため、あらかじめ接続部分を切り離す下準備がされています。この作業は、昨年夏の日鉄鉱業(羽鶴)からの1080号機搬出も手掛けたサッパボイラが中心になって行い、今日はすでに切り離された各部を大型クレーンによって吊り上げてトレーラーに積載するまでの工程が報道公開されました。

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▲神業としか形容しようのない絶妙のハンドリングで狭い遊園地内を出口へと向かうテンダを積載したトレーラー。このトレーラー、写真のように各車輪がステアリング機能を持っており、なおかつキャンバー角も自在に変わるから驚き。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲130tクレーンと120tクレーンの“とも吊り”で持ち上げられるボイラ部(左)。フェンスの外の道路には作業をひと目見ようと伊勢崎市民が詰めかけた(右)。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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待機するクレーン車は130tと120tの2基。狭隘な展示スペースから実に手際よくトレーラーへと積まれてゆきますが、とは言うものの模型の機関車を移動するのとはわけが違い、一部をトレーラーに載せるだけでも数時間を要する緊張感漲る作業となります。

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▲長年ともに暮らした遊具ともお別れ。園内をゆっくりと移動するボイラ部。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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▲もとはD51のボイラとはいえ、間近で見るとこの大きさ。ナンバープレートは取り外されずに搬出された。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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3台の大型トレーラーに積み込まれたC61 20号機は、20日未明には大宮総合車両センターに到着する予定で、いよいよ動態復活に向けた本格的な修復作業が開始されます。

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▲園内からの搬出が無事終了。これからシートを被せられて深夜の出発を待つ。'10.1.19 華蔵寺公園遊園地
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ボイラは3月頃までには大阪のサッパボイラに送られ、11月頃修理を完了して大宮に戻ってくる予定だそうで、来年年明け以降に「火入れ式」が執り行われ、来春には甦ったその雄姿を見せてくれるはずです。おりしも来年は群馬デスティネーションキャンペーンも予定されており、まずは配置区である高崎を中心に多彩なイベントが繰り広げられるものと思われます。

※1月22日(金)までブログ関連システムのメンテナンス(バージョンアップ)を実施いたします。この間は更新再構築ができないため、小ブログも休載させていただきますので、あしからずご了承ください。

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▲浦佐まで抑止しながら運転後、ついに運転打ち切りとなった「能登」と「北陸」。'10.1.14 上越線浦佐 P:島崎 翔さん (「今日の一枚」より)
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半世紀にわたって上野と金沢を結んでいた「北陸」が3月13日のダイヤ改正で消えてしまうというニュースは、たいへんな波紋となって多くの皆さんに届いたようです。廃止発表以来、「北陸」の特急寝台券は、お名残乗車でプラチナチケットと化していると聞きます。

100118n1.jpgそんな「北陸」ですが、見納めに、撮り納めに…と残業帰りや一杯機嫌で見送りに行く方も少なくありません。かく言う編集部内でも『国鉄時代』の山下がすっかりはまって(?)しまい、東十条の飲み屋で暖まってから陸橋で3001レ下り「北陸」を見送るというパターンを、実にこのひと月で4回も繰り返しています。ちなみに、その“成果”の一部は本誌今週発売の最新号でお披露目となりますのでご期待ください。
▲ホームにもいよいよお別れへのカウントダウンが…。'10.1.8 北陸本線金沢 P:梅木智晴さん (「今日の一枚」より)
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▲大雪のため、早朝の越後湯沢駅で運転再開を待つ「北陸」。'10.1.14 上越線越後湯沢 P:島崎 翔さん (「今日の一枚」より)
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▲B個室寝台「ソロ」の2階室(左)と開放式B寝台(右)。14系寝台客車も「北陸」とともに乗り納め。P:RM 
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思い返せば私が「北陸」に最後に乗ったのはかれこれ十年近く前のことになります。英国からの友人を立山砂防軌道に案内する際、先方からわざわざリクエストされたのが「北陸」でした。曰く「日本には世界的にも珍しいナローゲージのスリーパーが残っているそうだが、それに乗車できないか」。“ナローゲージのスリーパー”と言われてしまっては返す言葉もありませんが、確かに3フィート6インチゲージの夜行寝台列車は全世界的にレアな存在で、一度体験してみたいと思われたのもわからないわけではありません。

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▲雪まみれで走ってきた機関車もここで交代。'10.1.10 信越本線長岡 P:田中省吾さん (「今日の一枚」より)
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このところの大雪で、「北陸」も運休が相次いでいるようです。残すところあと54日。残念ながら改正当日までに再び乗車するチャンスは巡ってきそうもありませんから、私にとってはあの珍道中(?)が最後の「北陸」体験となってしまいました。

お詫びと訂正:本記事の見出しが「?あと26日」となっておりました。正しくは54日ですので、お詫びいたします。

※1月22日(金)までブログ関連システムのメンテナンス(バージョンアップ)を実施いたします。この間は更新再構築ができないため、小ブログも休載させていただきます。

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▲勇壮な凸型EF13重連牽引で品鶴線を行く貨物列車。機関車次位の小さな有蓋車は東武鉄道の社車だろうか。関東を中心に活躍したEF13にとって、品鶴線は凸型時代、箱型時代を通じてホームグラウンドのひとつであった。 (RMライブラリー『国鉄EF13形』下巻より)
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今月発売のRMライブラリーは先月に引き続き、国鉄EF13形の下巻をお届けいたします。上巻で解説されているように、戦時設計の凸型車体で誕生したEF13形は、1952(昭和27)年から1957(昭和32)年にかけてEF58形の車体を譲り受ける第2次改装工事を受け、箱型デッキ付きの、いわゆる国鉄貨物電機の標準的な姿に生まれ変わりました。

RML126n.jpgEF58を旅客機に相応しいSG付きの新型車体に載せ替えるとともに、問題の多かったEF13の凸型車体を廃棄するというこの改造工事は、EF58とEF13の輌数が偶然にも同じであったことから実現したと伝えられています。ちなみに凸型車体に装備されていた機器類は第1次改装時で交換されたものが多かったため、その多くはEF58の新車体に生かされたそうですから、「内臓」に関して言えばEF13とEF58で交換したことになります。

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▲凸型時代に比べると地味な印象の箱型EF13だが、EF58から受け継いだ車体は窓の位置や鎧戸の大きさなど固体差が多かった。本書では6つのグループに分類し、装備を解説している。 (RMライブラリー『国鉄EF13形』下巻より)
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▲東海道新幹線開業に先立つ新幹線電車の回送にも活躍したEF13。解説は実際に乗務された方ならではの必読の内容である。 (RMライブラリー『国鉄EF13形』下巻より)
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こうして「標準的」な姿となったEF13ですが、実のところEF58の旧車体にも固体差があり、さらにその後の改造も加わわって、車体の高さ、補機室の窓の数や位置、ベンチレータ増設の有無、通風鎧戸の横幅、日除けの形状などなど、わずか31輌とは言え、かなりの固体差を持った機関車となりました。

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▲上巻同様、小林さんがCADを駆使して作成された図面類を掲載。上は原型のEF58、下はその車体を譲り受けた箱型EF13。 (RMライブラリー『国鉄EF13形』下巻より)

本書下巻は凸型末期から筆を起こし、筆者の小林正義さんが実際に乗務された箱型EF13の盛衰を通観するもので、箱型時代の31輌全機の写真を収録しています。もちろん、その装備や車体の固体差を小林さん作図のイラストとともに詳細に分類、解説するとともに、最後の1輌となった3号機が新鶴見機関区で廃車回送を待つシーンまで、その活躍の様子を納めた写真も多数収録しています。

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▲EF13のもうひとつの顔は、中央東線での旅客列車牽引であった。貨物列車牽引には1958(昭和33)年から新鋭ED61が投入されたが、旅客列車は1970年代初頭まで甲府機関区のEF13の担当であり、暖房車を従えて走るその姿は、甲州路の冬の風物詩でもあった。 (RMライブラリー『国鉄EF13形』下巻より)
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品鶴線など東京周辺で貨物列車を牽引する一方、中央東線では暖房車を従えて旅客列車牽引に活躍したEF13。凸型はすでに伝説と化していますが、箱型は関東在住のファンならば馴染みのある方も多いのではないでしょうか。実物ファン、模型ファンともに強くおすすめの一冊です。

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▲ビネガーシンドロームを発症したネガ。強い酢酸臭を伴ってワカメ状に湾曲し、乳剤面の膨潤も見られるが、この段階であればまだまだ充分にプリントやスキャニングが可能。

昨年末に発売した広田尚敬さんの写真集『昭和三十四年二月 北海道』はおかげさまでたいへんな好評をいただいていますが、編集作業中にショックな出来事がありました。6?7年前にお預かりした際はとりたてて異常のなかった該当ネガが、今回あらためてお借りすると、例の“ビネガーシンドローム”に冒されつつあるのです。

100116n2985.jpgモノクロネガフィルムの加水分解による劣化、いわゆる“ビネガーシンドローム”についてはこれまでにも何回かお伝えしてまいりましたが(アーカイブ「“ビネガーシンドローム”警報発令中!」参照)、『国鉄時代』をはじめ、日々、皆さんから歴史的ネガをお預かりしている編集現場としては、ここ数年で“発症”する事例が急増しているというのが実感です。あらためて整理すると、“ビネガーシンドローム”とは、トリアセテートをフィルムベースとする昭和30年代以降の35ミリモノクロフィルムが加水分解によって急速に劣化するもので、硬化と酸化、また乳剤面の溶解等の症状があいついで起こります。発症初期には酢酸臭とともにフィルムベースがワカメ状に湾曲する程度ですが、症状は急速に進行し、最終的には硬化したフィルムはストロー状に丸まって広げることさえ困難となってしまいます。こうなると、プリントはおろかスキャニングすることさえ困難となってしまい、しかもたちの悪いことにこの症状は急速に“感染”してしまうのです。
▲乳剤面がタール状に変質し、パーフォレーション部が引きつり始めたネガ。
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新型インフルエンザならいざ知らず、この“ビネガーシンドローム”は残念ながらいまだに予防する抜本的な方法が見つかっておらず、症状が出始めたらただちにデータ化しておくほかありません。ただ、最近では同様の症状に悩まされているマイクロフィルムや8ミリフィルムにおいて修復技術が研究・開発されつつあるようで、読者の方から劣化マイクロフィルムの修復技術に関する最新情報を発信している「劣化マイクロフィルム110番」(http://micro110.info)を紹介いただきました。

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▲フィルムベースの溶解が見られる(左)。右のネガも加水分解による湾曲が始まっている。すでに1970年代に撮影されたネガでも“発症”が確認されている。
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さっそく、この「劣化マイクロフィルム110番」を開設されている株式会社シンプルウェイの阪口さんに電話でお話をうかがってみました。図書館をはじめ、大学や企業などでマイクロフィルムの劣化はたいへんな問題となっているそうで、状況はモノクロネガフィルムとまったく同様のトリアセテートの加水分解による劣化です。お話によれば、この“ビネガーシンドローム”は自家触媒点と呼ばれる、人間で言えば自家中毒の臨界点を超えると発症し、酢酸ガスを放散することによって他のネガにも感染させてしまうのだそうで、リンゴ箱の中に腐ったリンゴがひとつあると急速に箱中が腐ってしまうのに例えられます。

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▲ビネガーシンドロームに冒された最終状態。さながらストローのようにカーリングしたネガは硬化も進み、無理やり広げようとすると割れてしまいかねない。

対症療法でしかありませんが、ご自身のネガケースをあけてみて酢酸臭が強まっているようであればただちに原因となっているネガを選別隔離することが肝要です。自家触媒点を超えると5年で壊滅的被害となるそうですので、ぜひこの機会に再点検されることをお薦めいたします。「記録」が根幹となっている私たち鉄道趣味にとって、“ビネガーシンドローム”はこれまでにない脅威です。今後も最新情報が入り次第お伝えしてゆきたいと思います。

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▲凍てつく朝 (函館本線) 当時の行程表を開いて見た。早朝の気温が-20℃と記されてあった。大沼駅の温かい待合室から出るのがつらい撮影となった。駒ケ岳が一望の撮影ポイントでC62牽引の128レを待った。煙突からの煙も周りの景色に合わせたように白煙となって凍ってしまったようだった。 '70.1.5 大沼 P:小西 明さん (「わが国鉄時代」より)

季刊『国鉄時代』も12月21日発売のvol.20で、好評のうちに創刊からまる5年が経ちました。その『国鉄時代』連動の読者投稿ブログとして「わが国鉄時代」がスタートしたのが2005年7月27日ですから、こちらも早や4年半。1月15日現在、1473枚の写真がアップされています。今日は担当の山下よりあらためて「わが国鉄時代」の最近の見どころと、単行本第4巻目に向けたアピールをさせていただきたいと思います。

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▲真白き富士の嶺 (御殿場線) 冬の御殿場路、雄大な富士が真っ青な空に映える。冷気を震わせ御殿場に向かう貨684列車。 '65.12.31 岩波 P:青木一郎さん (「わが国鉄時代」より)

ブログ「わが国鉄時代」は多くの皆さんに受け入れられ、このところページビュー数も投稿数もうなぎ登り、担当者の私としては嬉しい限りです。被写体も車輌だけにとどまらず、鉄道を取りまく心温まる風景が多く、「ああ、そういえば最近こんな光景を見なくなったなぁ」とほのぼのと懐かしくご覧いただく方も多いと思います。

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▲峠のクイーン (信越本線) ED42が2003D大阪行き「白鳥」を牽引し、一号トンネルにさしかかる。後部からは3輌のED42が押しているわけだが、全編成が見渡せるいいポジションは人だらけだった。写真の後方には新線のポールが見えている。この旧線だけでなく、新線すらも今では過去のものとなった。 '63.9.22 横川-熊ノ平 P:高橋孝一さん (「わが国鉄時代」より)

昨年後半からベテランファン方々のご投稿も増加、年代的にも幅が出て、ますます楽しいページとなってきました。中島正樹さんの「下りはつかり」(2009.6.19アップ)や「急行阿蘇」(2009.7.7アップ)や田辺多知夫さんの「富士を望む丘から」(2009.1.5アップ)、青木一郎さんの「夕暮れの湖畔」(2009.10.8アップ)、「善知鳥峠越え」(2009.10.6アップ)、高橋孝一さんの「暁を駆ける」(2009.10.15アップ)、「龍ヶ森の咆哮」(2009.9.28アップ)などなどベテランならではの写真も連日届きます。

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▲第23西川橋梁 (伯備線) 伯備線「さよならD51三重連」を撮影して駐車場へ帰る際に撮影した一枚です。山の斜面に人、人、人で埋め尽くされています。一見、樹にも見えます。これだけの人たちが同じ場所で蒸気機関車の最後の一瞬立ち会えた良き時代の一こま。 '72.3.12 布原信号場 P:浜 忠彦さん (「わが国鉄時代」より)

ご投稿いただく方とのメールのやりとりをすることもあって、そのなかで「久々にネガを見返してみたら、意外な写真がけっこうあって、かえって新鮮です」とよく書かれています。私もそうですが、写真を見て遠い記憶の彼方の出来事が鮮明に甦ってくることもよくあります。写真に添えられたコメントには鉄道そのもののことに加えて、青春の日のかけらがいくつも散りばめられているのです。あの1987年3月31日からこの3月で早いもので23年、「国鉄は遠くなりにけり」といったところですが、このブログの中では、「国鉄」はまだまだ熱く息づいています。

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▲雪の磐梯山麓 (磐越西線) 朝一番で川桁駅に下車、猪苗代側に歩く。ようやく東の空が明るくなり、冷えた空気の中をD50貨物がやって来た。腕木シグナルや雪国らしい風雪避けが単調な風景にアクセントを付けてくれた。 '62.12.27 川桁-猪苗代 P:中島正樹さん (「わが国鉄時代」より)

ウェッブ上だけではもったいない…、ということで出版した『わが国鉄時代』も現在3巻目、今年前半にはvol.4を計画しています。皆様のご投稿を心よりお待ちしております。

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正しい「電略」。(下)

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▲運転関係電略に見る「サボ」。もちろん「列車行先札」の電略で、ファン用語としてもすっかり定着している。ちなみにその下の「ビト」は尾灯を示す電略。

ひき続き、岡田誠一さんからお借りしている昭和34年9月17日『鉄道公報』通報別冊『鉄道電報略号』(国鉄電気局)より、趣味的にも興味深そうな「電略」の数々をご紹介してみることにいたしましょう。

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▲略号別(イロハ順)の一部。「ハ」は3等(普通車)の意味とともに、「発」の意味も持つことがわかる。入場券は「ニサツ」、特急券は「トクサツ」となる。 (昭和34年9月17日『鉄道公報』通報別冊『鉄道電報略号』国鉄電気局より抜粋)
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電略はカタカナ1~4文字の配列によってさまざまな意味を表しますが、重複を避けるために時には“荒業”も使われます。その代表例が基本的に2文字で表記される駅名で、中央線飯田橋を「イイ」、隣の飯田町(貨)を「イヒ」のように使い分けるのは、まさに苦し紛れのあげくでしょう。なかには浜松町=ハテ、田町=チタのように判じ物の翻訳(?)も出現してしまいます。ただ、もちろんこの荒業を駆使しても全国の駅名を網羅できるわけはなく、管理局を超えて使用できる「全国共通駅名」が設定されていました。同じ電略「トタ」でも、東京鉄道管理局内では豊田を示し、全国共通駅名としては十和田南(盛岡局)を示すといった具合です。

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▲同じく略号別の一部(左)。現在でも現場では有蓋貨車を「ヤネ車」と通称するが、電略も「ヤネ」であることがわかる。右は気象通報略号で、これまたきわめて詳細に取り決められている。 (昭和34年9月17日『鉄道公報』通報別冊『鉄道電報略号』国鉄電気局より抜粋)
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もっとも難解と思われるのが鉄道気象通報略号で、概況、風、雨、災害など、群別に細分化されて事細かに定められています。たとえば次の例文…
「トウ1123テケニ1100 1アトメ2ウタミ3カマシム4ソヘアミレ5シソハコソネ6ツ」
は、「東京1・2・3鉄道予報区は暴風雨になる(テケニ)。11:00発表。台風が当地方の南方を通過する見込み(アトメ)で、南部では暴風雨になり(ウタミ)、今日夕方から強くなり、明朝には弱くなる(カマシム)模様。北東の風のち北西の風、全域ともに最大風速は30メートル以上の見込み(ソヘアミレ)。山岳地帯では雨量は200ないし300ミリ、平野部では100ないし150ミリの見込み(シソハコソネ)。大きな災害を引きおこすおそれがある(ツ)」…と読み取れます。

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▲東京鉄道管理局管内各駅の電略一覧。ほとんどは今日でも変更されることなく引き継がれている。 (昭和34年9月17日『鉄道公報』通報別冊『鉄道電報略号』国鉄電気局より抜粋)
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携帯も電子メールも無線も当たり前の現代から見れば、なんとも信じられないほど原始的なツールではありますが、この鉄道電報略号が築いた独自の文化は、これから先も底流として生き続けてゆくに違いありません。
最後に、資料をご提供いただいた岡田誠一さんに重ねて御礼申し上げます。

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正しい「電略」。(上)

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車輌の所属標記をはじめ、現在でも国鉄時代からの鉄道電報略号=「電略」は随所に生きています。職掌ではかつての乗客専務車掌を示す「カレチ」、運転関連では運休を表す「ウヤ」などは、今でも私たちファンの間で日常的に使われていますが、それでは“口承”ではなく正確な鉄道電報略号はというと、貨物列車を「カモレ」(正しくは「カレ」)と言い慣わしてしまっているように、意外と知られていないのではないでしょうか。

000n021.jpg電子メールはもとより、ファックスさえなかった時代、鉄道現場での通信手段は電話か電報でした。電話といっても一般電話ではなく鉄道電話、いわゆる「鉄電」(現在のJR電話。ちなみにRM編集部のJR鉄電番号は058‐4230番)で、通信ケーブルを介してのアナログ時代は距離が離れれば離れるほど通話状態は劣悪となり、例えば東京から北海道の支線の駅に電話をする場合など、さながら怒鳴りあいのような状態が日常茶飯でした。「手動」を「自動」と間違えぬように「てどう」と読み慣わすなど数々の工夫はなされていたものの、いかんせん電話では重大な齟齬をきたしかねず、多くの業務連絡は証拠も残る鉄道電報に依存していました。
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▲国鉄各線の電報略号。本線はすべて「ホセ」が末尾につく。 (昭和34年9月17日『鉄道公報』通報別冊『鉄道電報略号』国鉄電気局より抜粋)
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▲電文用一般の一部(左)。いまだに進駐軍の電略(チグ)が記載されている。右は営業用電略の一部。 (昭和34年9月17日『鉄道公報』通報別冊『鉄道電報略号』国鉄電気局より抜粋)
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そんな重責を担った鉄道電報ですから、その略号に関しても広く周知されているものとばかり思っていましたが、いざ調べはじめると、統括的にまとまった資料はなかなか見当たりません。そんななか、本誌連載「一枚の図面から」をご執筆いただいている岡田誠一さんから、昭和34(1959)年9月17日付『鉄道公報』通報の別冊として国鉄電気局が作製した『鉄道電報略号』をお貸しいただきました。

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▲運転関連の電略。貨物列車の電略は「カレ」であることがわかる。蒸気機関車時代だけに蒸気不昇騰(ジフト)などの用語も見られる。 (昭和34年9月17日『鉄道公報』通報別冊『鉄道電報略号』国鉄電気局より抜粋)
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本書は箇所名、役職名、線路名称、営業関連、運転関連、気象通報、車輌記号、駅所名など、すべてのジャンルの「電略」を網羅したもので、単なるカタカナの羅列ではありますが、思わず読みふけってしまう興味深いものです。今回は岡田さんのご理解を得て、その一部を2回に分けてご覧いただきたいと思います。

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▲葛生庁舎(葛生文化センター)駐車場脇に保存されている住友セメント栃木工場原石軌道の編成。日立製13号機(1962年製10t)の後ろに続くのは3t鉱車と“カブース”(人車)。'09.7.21 佐野市葛生庁舎
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最後にご紹介するのが住友セメント栃木(葛生)工場の、通称「唐沢原石軌道」で使用されていた“カブース”です。カブースといっても、制動機能こそ備えるものの、こちらも便乗用の人車で、渡辺一策さんの1964(昭和39)年時点での確認(『トワイライトゾ~ン・マニュアルⅡ』所収「佳き時代の鉄道魔境…葛生」)では、朝、作業員を乗せて唐沢鉱山へ上がり、側線に夕方の退勤時間まで留置されるといった仕業だったようです。

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▲下回りは鉱車のものを流用し、手ブレーキが追加されている。車体幅は鉱車に比較して500㎜ほど拡大されている。'09.7.21 佐野市葛生庁舎
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▲手ブレーキ側。展示車輌は階段が設けられ室内を見学できるように配慮されている。'09.7.21 佐野市葛生庁舎
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1970年代に入ると使用頻度は減り、生え抜きの加藤製3tガソリン機関車とともに工場内の側線で休車状態となりました。当然、そのまま解体されるものと思われましたが、幸いなことに葛生市(現・佐野市)に寄贈され、現在では葛生庁舎(葛生文化センター)の駐車場横で保存されています。

100111n088.jpg唐沢原石軌道は栃木工場と会沢唐沢鉱山を結ぶ路線延長3.3㎞の2フィート6インチ(762㎜)軌道で、1938(昭和13)年に開通しています。東武鉄道の会沢貨物線の東側を並行するように敷設されたこの原石軌道には、途中2ヶ所に交換所が設けられており、すべての列車がここで交換することからも知れるように、まさにピストン輸送が行なわれていました。1962(昭和37)年には日立製の10tディーゼル機関車が導入され、3t積鉱車22輌を連ねた列車が朝7時から夜19時まで50往復も運転される活況だったといいます。
▲手ブレーキハンドルのポスト部。現役時代は唐沢鉱山の側線に留置する際などにこの手ブレーキが使用されていた。'09.7.21 佐野市葛生庁舎
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▲現役時代の姿。外板はトタン板が貼られており、全体は無塗装の“トタン色”であった。先頭にわが国最後の現役ガソリン機関車でもあった加藤製3t機が見える。'75.7.17 栃木工場ヤード
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▲その室内の今昔。スプリングを持たないリジッドな乗り心地のため、現役時には座布団が置かれていたのがわかる。'09.7.21 佐野市葛生庁舎/'75.7.17 栃木工場ヤード
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1970年代には東京から日帰り圏内にあるナローとして足しげく通ったものですが、1980(昭和55)年12月30日限りで地下に埋設された新しい輸送システム「カプセルライナー」にその任を譲り廃止されてしまいました。一部の機関車と鉱車は保存の途が拓かれましたが、わが国最後のガソリン機関車の1輌であった加藤3t機をはじめ、多くの車輌はスクラップと化してしまいました。

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▲そのサイドビュー。この写真を撮影してから35年が経過しているにも関わらず、今でもしっかりと保存されているのは嬉しい限り。下は実測図。'75.7.17 栃木工場ヤード
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そんななかで、もっとも手厚く保存されているのが、この葛生庁舎の編成でしょう。13号機関車と鉱車1輌、それに人車のミキスト編成は屋根つきの保存スペースに説明看板を伴って展示されており、「現存する鉱山鉄道の車両としては、大変貴重なものである」と顕彰されています。

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▲かつてこの“カブース”をHOn2でスクラッチしたことがあり、1977(昭和52)年にはTMS誌に発表している。
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最後に、かれこれ35年前に1/87スケールでスクラッチビルドした模型をお目に掛けましょう。一連の住友の“カブース”への思いは、決して失せることなく、いつまでも続いてゆくに違いありません。

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▲No.8“カブース”からの展望。妻面出入口にはささやかな一輪挿し(?)が…。'09.6.27 金山沢小学校
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残された八戸工場の3輌の“カブース”のうちで一番状態が良いのが、採掘場にほど近い金山沢小学校に保存されているNo.8です。ほかと同様に3輌の木製鉱車と編成を成しており、先頭に立つのは加藤製作所製の8号機です。

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▲車体標記をはじめ、残された3輌の中ではもっとも状態の良い金山沢小学校のNo.8。'09.6.27 金山沢小学校
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松館小学校に保存されているNo.3と思われる個体と比較して、微妙に細部が異なっており、車体幅もわずかに広くなっています。側面はいわゆるニセスチール仕上げで、昭和三十年代によく見られたトイレの窓のような引き窓が設けられているのはほかの2輌と共通です。

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▲その細部。足回りは鉱車と共通でリジッド、車輪もチルド車輪を使用している。連結装置は緩衝機能もほとんどないリンク式。'09.6.27 金山沢小学校
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妻面の出入口戸は前後ともに片側に寄っており、従って室内は出入口側にはイスがなく、片側にのみ簡単な木製のベンチシートが設けられています。室内長から考えても3人掛けが精一杯といったところでしょうか。それよりもこの華奢な車輌の片側に乗車重量が偏ってしまって大丈夫だったのか気になるところです。

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▲金山沢小学校の編成先頭は8号機。新井田小学校の7号機と同形連番の1951(昭和26)年加藤製作所製7t機(製番26496)。'09.6.27 金山沢小学校
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金山沢小学校の個体は簡単な実測を行いましたので、その主要寸法をご覧いただきましょう。
前回の訪問から早28年。この金山沢小学校も松館小学校も、当時の木造校舎は近代的な校舎に建て替えられてすっかり趣が変わってしまいましたが、郷土を走ったこの“カブース”たちだけは、変わることなく今日も子どもたちに見守られています。

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▲説明看板には「金山沢から八戸駅まで石灰石を積んで、60年間走り続けたトロッコです。仕事を終えた昭和48年11月に、住友セメント株式会社八戸工場より寄贈されました」と記されている。下は実測図。'09.6.27 金山沢小学校
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▲松館小学校に保存されている編成。 プリムスの牽く3輌の鉱車の後にはなんともかわいらしい“カブース”が続く。'09.6.27 松館小学校
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かつて住友セメント(旧磐城セメント)系の工場には原石輸送用の軌道を擁しているところが多く、それぞれ個性豊かな車輌たちを目にすることができました。なかでも八戸工場と栃木工場(葛生)の原石軌道は1970年代になってもナローゲージのまま残されており、特筆すべき存在でした。今回はそんな住友セメントの専用軌道で使われていた“カブース”たちをご紹介してみましょう。

100110n045.jpgまずは八戸工場の“カブース”たちです。住友セメント八戸工場(現・八戸セメント)は八戸市内の新井田川右岸に位置し、八戸線陸奥湊駅から国鉄専用線が延びていました。2フィートゲージの原石輸送用軌道は工場裏手から新井田川の支流・松館川に沿って採掘場所である金山沢を目指す大規模なもので、『住友セメント八十年史』(1987年)によれば、1925(大正14)年に磐城セメントが日出セメント湊工場を合併して同社の湊工場とした際に敷設されたもののようです。
▲先頭に立つプリムス7t機。旧陸奥工業桝館作業所跡(五戸市浅水・関口地区)より1995(平成11)年に移設されたもの。'09.6.27 松館小学校
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▲松館小学校の“カブース”。28年前に確認した時点では№3の標記が読み取れた。台枠は鉱車と同様で、“カブース”と紹介したものの制動装置はいっさい持たない。'09.6.27 松館小学校
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1932(昭和7)年には最奥に位置する金山沢地区の採掘権も取得して路線を延長し、最終的には1973(昭和48)年夏に地下ベルトコンベア化されるまで半世紀近くにわたって走り続けてきました。廃止が比較的遅いにも関わらずほとんどファンが訪れなかったのは、工場正面にあたる国鉄側線側からだと、その存在がまったく察知できなかったためでしょう。

100110n065.jpgこの八戸工場原石軌道では、プリムスをはじめ、お馴染みの“加藤くん”など数多くの内燃機関車が活躍してきましたが(トワイライトゾ~ン・マニュアルⅢ「残されたプリムスたち」参照)、機関車と並んで興味をひかれるのが、編成後尾にちょこんと連結されたかわいらしい“カブース”の存在です。木曽のカブース(制動車)を連想させますが、正確にはこちらは制動機能を持つカブースではなく、便乗用の単なる人車です。それでも今回は心情的に “カブース”と表記させていただきます。
▲ドアの高さは1600㎜ほどで屈まないと出入りするのが難しい。'09.6.27 松館小学校
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▲現在残されている八戸工場の“カブース”は3輌。同じように見えながらそれぞれ微妙に異なり、本車は車体幅が台枠よりかなり狭い。'09.6.27 松館小学校
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4年ほど前にも一度簡単にご紹介したことがありますが(アーカイブ「北東北を巡る(3)」参照)、現在、工場にほど近い新井田小学校、路線途中の松館小学校、そして最奥の金山沢小学校の3箇所に編成状態の保存車輌があり、それぞれに“カブース”が連結されています。私が28年前に訪れた時には、このほかに五戸市浅水・関口地区の陸奥工業桝館作業所にも別の個体が保存されていたのですが、残念ながらこちらはすでに存在しません(アーカイブ「消えた“プリムス”」参照)。

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▲八戸市街に最も近い新井田小学校に保存されている編成。“カブース”は窓ガラスもなくかなり荒廃が進んでしまっている。28年前に確認した元番はNo.7。'09.6.27 新井田小学校
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101110n020.jpg残された3輌の“カブース”は新井田小学校が№7、松館小学校が№3、そして金山沢小学校が№8と思われます。ただし松館小学校の機関車は1995(平成11)年に陸奥工業のプリムスと入れ替えられており、その際に編成ごと替えられてしまっていることも考えられます。ちなみに陸奥工業の“カブース”個体は、28年前の時点ですでに番号は読み取れませんでした。
▲先頭に立つのは1951(昭和26)年加藤製作所製の7t機(製番26497)。こちらもかなり荒廃してきている。'09.6.27 新井田小学校
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▲ふたたび松館小学校。1973(昭和48)年夏に地下ベルトコンベヤ化されるまで、こんな編成が頻繁に走り回っていたはず。'09.6.27 松館小学校
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▲石炭を満載し春採湖畔を行くシャトルトレインを撮影(昨年の見学会の様子)。'09.2.21 太平洋石炭販売輸送臨港線春採-知人 P:釧路臨港鉄道の会
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昨年キャンセル待ちまで出るたいへんな人気だった海底力モニターツアー「冬のSLと石炭のマチ・釧路」~釧路の石炭産業・鉄道名所を体験する3日間~(アーカイブ「“くしろ海底力モニター見学会&体験会”報告」参照)が、今年は札幌駅、新千歳空港駅発着で開催されます。昨年は東京・羽田空港発着でしたが、今回は道内在住の皆さんにとっても参加しやすいプランとなっています。

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▲当日は運用の無かったC11 207だが有火で、足回りには点検灯をスタンバイしていただいた(昨年の見学会の様子)。'09.2.20 JR北海道釧路運輸車両所 P:釧路臨港鉄道の会
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このモニターツアーは、釧路商工会議所、釧路市などでつくる「くしろ圏広域観光推進コンソーシアム」が、産業観光など地域の産業や資源に根ざし、新たな付加価値を持った観光集客の推進を目的に進めている「くしろ海底力(そこぢから)プロジェクト」の事業として行われるもので、釧路の石炭産業や輸送産業について理解を深めていただくことをテーマにした「モニター見学会&体験会」です。

090228n006企画からガイドまで全面協力しているのは、太平洋石炭輸送販売線(旧釧路臨港鉄道=書籍『編集長敬白』参照)を中心とした釧路地域の鉄道・産業遺産のサポーターとして活躍している「釧路臨港鉄道の会」で、昨年も、地元を知り尽くし、しかも鉄道好きの気持ちになって案内してくれたとたいへんな好評でした。
▲C11 171の入庫を撮影(昨年の見学会の様子)。'09.2.20 JR北海道釧路運輸車両所 P:釧路臨港鉄道の会
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今回も「モニター見学会&体験会」ならではの見学・体験が盛りだくさんです。なかでも通常は立ち入ることのできない釧路運輸車両所機関庫での撮影や、太平洋石炭販売輸送春採駅の訪問、さらには、わが国唯一の坑内掘り炭鉱・釧路コールマインの視察研修会・坑外軌道(ナロー)の見学など、この機会でなければ実現できないプログラムばかりです。

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▲目の前でELやバテロコを撮影(昨年の見学会の様子)。'09.2.21 釧路コールマイン坑外軌道 P:釧路臨港鉄道の会
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■旅行日:2010(平成22)年2月19日(金)?21日(日)※2泊3日(2朝食付)
       ※添乗員は1日目の札幌駅より同行
■募集人員:20名(最少催行人員10名)
■旅行代金:大人1名1室利用 札幌駅発着29,000円、新千歳空港駅発着同額
        ※2名1室利用は2,000円引き
■宿泊ホテル:釧路東急イン
■集合場所:札幌駅北口「鐘の広場」
       ※新千歳空港発着は南千歳で乗車合流(南千歳までは快速列車利用)
■旅行代金に含まれるもの
 ?往復JR代金(往復指定席) ?バス代金 ?宿泊代金 ?消費税等諸税
 ※新千歳空港発着の場合、新千歳空港?南千歳間は快速列車利用
 ※こども代金の設定はない
■日程
【2月19日】
札幌駅9:04発(新千歳空港駅からは快速利用)?南千歳駅9:32発?〈スーパーおおぞら3号〉(指定席)?13:03釧路駅着 太平洋石炭販売輸送春採駅、JR釧路運輸車両所機関庫訪問(蒸気機関車撮影)…ホテル着・泊
〔食事:朝×、昼×、夕×〕
【2月20日】
ホテル発…坑外ナローが活躍する釧路コールマイン、炭鉱展示館、釧路製作所の8722号蒸機などを訪問…ホテル着・泊
〔食事:朝○、昼×、夕×〕
【2月21日】
出発までフリー(オプション1〈SL冬の湿原号〉体験乗車3,680円、オプション2レンタカー)
釧路駅16:17発?〈スーパーおおぞら12号〉(指定席)?南千歳駅19:42着(新千歳空港駅へは快速利用)?札幌駅20:13着
〔食事:朝○、昼×、夕×〕
※石炭列車、ナローは不定期運転だが、運転される場合は沿線撮影を優先し見学行程を随時変更
■旅行企画・実施:JR北海道釧路支社営業所
■問合せ・申込先 
 JR北海道旅行センター釧路支店(詳しくは→こちら
 TEL:0154-25-4890

旅行企画・実施はJR北海道釧路支社。厳冬期とはいえ、地元のベテランがエスコートしてくれるとあって初心者も安心して参加できます。締切定員まで残り少なくなっているようですので、参加ご希望の方はお早めに…。

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搬出を待つC61 20。

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▲「祝 C61 20復活記念」の看板も誇らしげに華蔵寺公園での最後の正月を過ごすC61 20号機。搬出に備えてか、テンダ横にあった桜の巨木は切り倒されて跡形もなくなっている。'10.1.2 華蔵寺公園遊園地 P:木村一博
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昨年12月8日に動態復活が発表されて以来、一気に注目の的となった群馬県伊勢崎市華蔵寺公園遊園地に保存されているC61 20号機ですが、復活を記念して、去る12月19日から1月6日まで、通常は開放されていないキャブ内が一般公開され注目を集めました。地元の木村一博さんが公開時の様子をお送りくださいましたので、さっそくお目にかけることにいたしましょう。

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▲キャブ内部の特別公開は親子連れで大賑わい。ひと組あたり3分ほどのインターバルで次々とお目当ての運転台へ…。'10.1.2 華蔵寺公園遊園地 P:木村一博
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C61 20号機は外観の傷みや欠品も少なく、その保存状態の良さが特筆されることはすでにお伝えいたしましたが(アーカイブ「祝! C61 20復活決定」参照)、キャブ内も非常に状態が良く、欠品どころか水面計の保護ガラスさえ割れずに残されているのは驚きます。屋根がない状態で四半世紀以上も経っているにも関わらずこれだけの状態が保たれている背景には、管理に当たっている財団法人伊勢崎市公共施設公社の弛まぬ努力があったに違いありません。

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▲財団法人伊勢崎市公共施設公社の手によって大切にメンテナンスされてきただけあって、キャブ内も驚くほど綺麗。水面計ガラスさえ割れていないのは驚き。'10.1.2 華蔵寺公園遊園地 P:木村一博
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▲機関士席(左)。缶圧力は母体のD51(14㎏/c㎡)より高い15㎏/c㎡で、ボイラ圧力計に赤線が示されている。写真右は助士席側で、焚口右下に並んだバルブはストーカーの噴射調整バルブ。'10.1.2 華蔵寺公園遊園地 P:木村一博
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▲C61の特徴でもあるストーカー(自動給炭装置)送りネジのカバー。今回の復活にあたってこのストーカーが活かされるのかどうかも注目。'10.1.2 華蔵寺公園遊園地 P:木村一博
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C61形のキャブは密閉式で外観的にはゆったりしているように見受けられますが、焚口中心とテンダの石炭取出口との間隔は1374㎜(C60形は1459㎜、C62形は1443㎜)と “ハドソン3兄弟”の中で最も狭くなっています(RMライブラリー、西尾恵介著『国鉄蒸機の装備とその表情』下巻参照)。

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▲テンダ(10-17S形)の石炭取り出し口付近。機炭間距離が接近しているのがよくわかる。'10.1.2 華蔵寺公園遊園地 P:木村一博
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動態復活に当たって注目されるのは、C61形の特徴のひとつでもあるストーカー(自動給炭装置)が復元されるかどうかでしょう。あわせてD51 498号機やC57 180号機のように重油併燃装置が追加されるのかどうか、それによってテンダ形式がどう変わるのかも趣味的には気になるところです。いずれにせよ、注目のC61 20は遠からず長年住み慣れた華蔵寺公園をあとに、本格的な修復へと向かうはずです。

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▲初走行を披露するデキ3021に牽かれて大胡車庫構内を走る“テ241”。短い区間ながら魅力的なシーンを見せてくれた。'10.1.3 大胡 P:木村一博
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2010年新春企画と銘打って1月3日に「上毛電鉄イベント」が大胡車庫を会場に開催されました。既報(アーカイブ「上毛電気鉄道は今」参照)のとおり、当日は昨秋“上電”の仲間入りをしたデキ3021が初走行するとあって多くの来場者が詰めかけましたが、実はもうひとつの大きなサプライズが用意されていたのです。

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▲全塗装を施されて見違えるように綺麗になった“テ241”。内外装ともに懸念されたほどは傷んでいなかったという。'10.1.3 大胡 P:木村一博
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それが東武鉄道の鉄製有蓋貨車“テ241”号の仲間入りです。テ241は1928(昭和3)年日本車輌製の鉄製有蓋貨車で、水を嫌う生石灰の輸送用として佐野線や会沢線(貨物線)などで活躍しましたが、昭和40年代に次々と廃車され、その中の何輌かが非常機材積載用として各地の車輌基地や工場に振り向けられました。

100107_mg_1251.jpgこのテ241もそのうちの1輌で、新設された七光台検修区で余生を送ることになりました。しかし、いつしか日常機材積載用車としての使命も失せ、単なる倉庫がわりとして、ほとんど忘れ去られた存在となってしまいました。そのうちに各地に散った仲間も櫛の歯が抜けるように解体されてゆき、最終的に残されたのがこの241号だけだったのです。
▲列車区詰所脇に留置展示された“テ241”。'10.1.3 大胡 P:木村一博
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私も十年ほど前に一度、このテ241を拝見しに七光台検修区にうかがったことがありますが、すでに車体は全体が錆色となってしまっており、遠からず解体されてしまうのでは…と思っていました。

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▲そのサイドビュー。車体側面の標記はこれから入れられることになる。'10.1.3 大胡 P:木村一博
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▲台枠部には東武鉄道の社紋(左)と形式番号標記(右)がレタリングされた。日本車輌の製造銘板も残されている。'10.1.3 大胡 P:木村一博
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今回の移籍の“仲人役”となった東武博物館の花上館長のお話では、デハ101やデキ3021とちょうど同じ年代生まれの貨車として仲介の労をとられたのだそうで、12月初旬に上毛電気鉄道の職員の皆さんと塗装業者さんが七光台に赴き、下地処理をしたのちに全塗装を施したそうです。

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▲デハ101と並んだデキ3021が“牽引”するテ241。デハ101とテ241は同じ1928(昭和3)年生まれ、デキ3021は一年違いの1929(昭和4)年生まれと、まさに同世代が大胡の地に集結したことになる。'10.1.3 大胡 P:木村一博
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長年住み慣れた七光台をあとにしたのは12月22日昼過ぎ。トレーラーに積まれたテ241が永住の地・大胡に到着したのはすでにとっぷりと日の暮れた17時過ぎだったそうです。今回の公開ではまだ車体標記が入れられていませんでしたが、今後はオリジナルに忠実な標記が描かれる予定だそうで、これからのイベントではデキ3021ともども、昭和初期の“貨物列車”の姿を再現してくれるはずです。

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▲二階スペシャルギャラリー入口に誂えられた第4回企画展「雪にいどむ」のエントランス。正面には交通博物館時代に開催されていた鉄道写真コンクールの秀作が大パネルとなって掲げられている。'09.12.25
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あらためまして、明けましておめでとうございます。本年もよろしくご愛読のほどをお願い申し上げます。
さて、昨年12月19日(土曜日)から鉄道博物館二階のスペシャルギャラリーにおいて、第4回目となる企画展「雪にいどむ」が始まっております。年末、別件の打ち合わせで同館を訪れた際に拝見させていただきましたので、さっそくご紹介いたしましょう。

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▲展示室内にはこれまでほとんど公開されたことのない1/8スケールの除雪車模型がケースに入れられて展示されている。'09.12.25
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明治の昔から、日本の鉄道は全路線の三分の一が雪との闘いを余儀なくされてきました。それだけに防雪・除雪に関するさまざまな取り組みが時代を超えてなされており、今回の企画展はその歴史を振り返るとともに、列車の安全運行と定時運転確保のためにどれほどの努力がなされてきたかを再認識させてくれるものとなっています。

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▲展示はまず「雪のしくみ」と題した日本の気象の理解から始まる。右は乾燥した雪と湿った雪の重さの違いを体感するコーナー。'09.12.25
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▲ジョルダン式雪かき車キ400形(のちのキ700形)の大型精密模型。なんと両翼を開閉することも可能な構造となっている。'09.12.25
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100106n2959.jpg展示室を入るとまず目に入るのが壁面に描かれた車輌断面と積雪量のスケールです。わが国の鉄道における最大積雪量は1945(昭和20)年2月14日に飯山線森宮野原駅で記録された7メートル85センチで、当然ながら天井を遥かに超える信じがたい積雪です。展示はさらに日本気象協会の協力を得た「雪のしくみ」、「雪の種類」と続き、被害の象徴例として“サンパチ豪雪”として今なお語り継がれる「昭和38年1月豪雪」の様子を数々の衝撃的写真で再現しています。車輌の屋根まで埋まり一面の雪原と化した操車場など、にわかに信じ難い光景には思わず息をのみます。
▲車体には「11-9 苗穂工」の手書きの標記が確認できる。'09.12.25
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▲両翼を開いた状態のキ400形ジョルダン式雪かき車(左)と、キ550形(のちのキ900形)マックレー式雪かき車(右)。ともに苗穂工場が戦前に製作したと思われる1/8スケールの精密模型。'09.12.25
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数多くの貴重な展示写真もさることながら、趣味的に必見なのがケースに入れて展示されている1/8スケールの巨大な除雪車模型です。交通博物館時代に収蔵されながらも一般公開されていなかったものだそうで、形式名や標記等から類推するに、戦前に苗穂工場で製作されたものと思われます。キ100形ラッセル式雪かき車、キ300形(のちのキ600形)ロータリー式雪かき車、キ400形(のちのキ700形)ジョルダン式雪かき車、キ550形(のちのキ900形)マックレー式雪かき車が展示されており、その精密さ重厚さは必見です。

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▲今なお語り継がれる“サンパチ豪雪”をはじめとした歴年の鉄道と雪との闘いが、鉄道博物館ならではの貴重な収蔵写真で甦る。'09.12.25
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また、展示室内のミニシアターでは3本の記録映画が上映されています。1本目は昭和初期に製作された「鉄道防雪陣」(理研科学映画・15分)、2本目は1961(昭和36)年製作の「雪にいどむ」(日映科学映画製作所・24分)、3本目は1986(昭和61)年撮影の「奥羽本線(院内~及位間)特雪664列車」(早坂和義さん・7分)で、いずれも見逃せない濃厚な作品です。

100106nyuki_001.jpgなお、この企画展にあわせて図録が製作され、ミュージアムショップで販売(価格:700円)されています。A4判40ページのこの図録には、展示資料・写真の数々がコンパクトに収められており、巻末に収録された「雪国の鉄道員の証言から」も必読のオーラルヒストリーとなっております。「除雪車に関する用語」、「DE15形式の番代区分と除雪装置の種類」、「DD14形式の改良経過」といったコラムも実に有用で、一冊は書架に置いておきたい図録と言えましょう。
▲オールカラー40ページの図録はミュージアムショップで販売中(価格700円)。下はその内容の一部で、車輌はもとより独特の除雪用語解説にも紙幅が割かれている。

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■鉄道博物館 第4回企画展「雪にいどむ」
会期:2009(平成21)年12月19日(土)~2010(平成22)年4月11日(日)まで。
※入場無料(入館料のみ)

※企画展会場内は撮影禁止で、小ブログの画像は鉄道博物館の許可のもとに撮影したものです。

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明けましておめでとうございます。本年も皆さんにとって、そして鉄道趣味にとって実り多い一年となることを祈念いたしまして、年頭のご挨拶とさせていただきます。
なお小ブログは6日(水曜日)より再開する予定にしておりますので、どうか本年もかわらぬご愛読のほどをお願い申し上げます。

2010年元旦
編集長:名取紀之 敬白

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