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2008年11月28日
北陸鉄道石川線部分廃止へ…。
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▲ありし日の金名線をゆくモハ3741。本数こそ少ないものの、金名線は私にとってお気に入りのロケーションの線区だった。ちなみにこの写真は1984(昭和59)年に9ヶ月間のみ仮復旧して運行されていた時のもの。この年の12月には再び不通となり、その後運行が再開されることはなかった。'84.5.6
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北陸鉄道は先月、国土交通省北陸信越運輸局に石川線鶴来~加賀一の宮間2.1㎞の廃止届けを提出しました。ご承知のように2000年春の鉄道事業法改正によって旅客鉄道事業の退出(つまりは廃止)がそれまでの許可制から原則一年前の事前届出制に変わっているため、来年2009(平成21)年11月1日をもっての廃止が確実となってしまいました。
鶴来~加賀一の宮間は1927(昭和2)年に金名鉄道が開業した区間です。金名鉄道はその壮大な名称が示すように、金沢と名古屋を結ぼうという荒唐無稽とも思える夢を描いていましたが、結局、白山下までの16.8㎞(実際は白山下が起点)を開業するのが精一杯でした。開業2年後鶴来~加賀一の宮間は金沢電気軌道に譲渡され、さらにその後、いわゆる戦時統合で他の石川県内の小私鉄とともに北陸鉄道に統合されて「石川線」の一部となりました。加賀一の宮から白山下までの旧金名鉄道部分が「金名線」、旧金沢電気軌道(石川鉄道)部分が「石川線」、旧能美電気鉄道部分が「能美線」を名乗ることとなり、なおかつこの3線をまとめて「石川総線」と通称するようになります。
▲「白山下」の方向板を掲げたモハ3761。石川線生え抜きの車輌である。'80.3.5 鶴来
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▲鶴来に到着した金名線からの直通準急野町行き。モハ3741はこう見えてもクロスシート装備であった。'80.3.5 鶴来
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▲「石川総線」と刷り込まれた北陸鉄道車内乗車券。能美線、金名線健在なりし全盛期のもの。
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通称と言えども、車内乗車券をはじめいたるところに「石川総線」の名称が用いられていました。一大ネットワークを端的に言い表したこの名称は、私鉄王国=北陸の象徴として、私たちファンの心に深く刻まれることになります。
そんな「石川総線」が崩れ始めたのは1980年代に入ってからのことでした。1980(昭和55)年秋には能美線が廃止となり、続いて1983(昭和58)年には橋梁の岩盤崩壊が原因で金名線が部分不通に…。結局、1987(昭和62)年4月に加賀一の宮~白山下間も廃止となり、この時点で残存区間は石川線のみとなって、残念ながら“総線”を名乗ることはできなくなってしまったわけです。
▲地形図に見る今回の廃止区間。(国土地理院・電子国土より)
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ほぼ時を同じくして離れ小島であった小松線も廃止され(アーカイブ「北陸鉄道小松線の春」参照)、以後、北陸鉄道は石川線と浅野川線の2線のみとなってしまいます。北陸鉄道がこのたび北陸信越運輸局に提出した届出では、廃止理由として「当該区間は利用者数が僅少であること」、「当該区間の老朽化した鉄道インフラ更新に関わる資金調達が困難であること」があげられていますが、金名鉄道が壮大な夢を描いて創設してから80年余、ついにかなわぬ夢の終焉となってしまうわけです。
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▲鶴来の車輌基地で休む[石川総線」の車輌たち。15m級の小型車モハ3732の姿も見える。'80.3.5 鶴来
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廃止区間終点の加賀一の宮駅は「神社前」という旧駅名からも知れるように、白山比咩(しらやまひめ)神社の最寄駅で、駅舎も実に風格あるものです。初詣シーズンはたいへんな賑わいだと聞きますが、それも一ヶ月後、来年の正月が最後となってしまうわけです。
投稿者 名取紀之 : 2008年11月28日 12:34


