« あの常紋に煙ふたたび。 | メイン | 近江鉄道ミュージアムを見る。(上) »
2008年05月16日
RMライブラリー今月の新刊は『鹿島鉄道 −鹿島参宮鉄道・関東鉄道鉾田線−』。

▲鉾田線蒸機の中で、最後まで残ったのはクラウス製の4号機だった。キハ201を加えたミキストが秋の鉾田線を行く。'63.9.21 P:高井薫平(『鹿島鉄道 −鹿島参宮鉄道・関東鉄道鉾田線−』より)
毎月ご好評をいただいているRMライブラリー、まもなく発売の第106巻では、昨年多くのファンに惜しまれつつその歩みを止めた『鹿島鉄道−鹿島参宮鉄道・関東鉄道鉾田線−』をお送りします。
鹿島鉄道の歴史は1921(大正10)年10月12日に免許申請が行われた行方鉄道に始まります。社名を鹿島参宮鉄道として常陸小川まで開通したのは1924(大正13)年6月、その後、浜、玉造町と延伸を重ね、鉾田までの全線が開業したのは元号が変わって1929(昭和4)年5月16日のことでした。ちなみに開業時の社名は鹿島神宮への参拝客輸送を意図したものでしたが、ご存知の通り、鹿島神宮はこの鉄道のはるか南東、北浦湖岸に位置しており、実際には途中浜駅から霞ヶ浦を行く航路に接続するルートでした。とはいえ、東京から見れば手前である日本鉄道(現・常磐線)土浦からの航路がすでにあり、また成田鉄道(現・総武線)佐原からの航路も開通していたため、決してメインルートになり得ることはありませんでした。この「名は体を表わさない」状態は1965(昭和40)年の関東鉄道発足により解消されましたが、今もこの「鹿島参宮鉄道」という名称の方が馴染み深い方も多いのではないでしょうか。
![]()
![]()
▲その営業距離の割りには鉾田線に足を踏み入れた車輌は驚くほど多く、そのバラエティーも豊かだった。(『鹿島鉄道 −鹿島参宮鉄道・関東鉄道鉾田線−』より)
クリックするとポップアップします。
また、この鉄道には開業時のコッペルや昭和40年代までファンに親しまれたクラウスをはじめ、元東横の流線型ガソリンカー、多数入線した国鉄キハ04・07、北海道生まれの気動車たち、そしてKR-500形まで、機関車・客車・気動車だけでも実に60輌以上の車輌が個性豊かな車輌が入線しては消えていきました。このこともこの鉄道の特徴の一つといえましょう。
![]()
![]()
▲気動車王国・関東鉄道の一翼を担っただけに、気動車も百花繚乱の様相を呈していた。ただ、自社発注車は少なく、1936(昭和11)年以降は1989(平成元)年のKR-501形まで実に半世紀も空白が続く。(『鹿島鉄道 −鹿島参宮鉄道・関東鉄道鉾田線−』より)
クリックするとポップアップします。
本書では会社創業に至る経緯から廃止までの歴史を、多くの資料と写真で振り返るとともに、この鉄道を走った全ての機関車、客車、気動車について詳述しております。執筆は沿革部分を中川浩一さんが、また車輌部分は白土貞夫さんが担当されました。また、「鳥瞰図に見る絵師のライバル対決」、「ベルトとプーリーで動力を伝えた石岡機関区付属工場」、「東横電鉄キハ1の思い出」、「パンダ号のこと」など6編のコラムも興味深いもので、この鉄道の魅力を改めて認識させられます。
▲長らく鉾田線の顔であった元東横のキハ1。2輌のうち1輌は1967(昭和42)年に切妻化されており、2輌が顔を揃えたショットは珍しい。'53.4.7 P:中川浩一(『鹿島鉄道 −鹿島参宮鉄道・関東鉄道鉾田線−』より)
クリックするとポップアップします。
廃止から1年あまり、完全に更地と化した石岡駅など、現地では早くもその痕跡が消えつつあると聞きます。在りし日の「かしてつ」をぜひお手にとってご覧下さい。
※今日のNHKラジオ「金曜旅倶楽部」をお聴きになった方から「何か尻切れとんぼだったが…」というメールを頂戴しましたので、少々弁明をば…。実は私がスタジオ入りした時点でも次のゲストの方がお出でになっておらず、オンエア中にあと10分話を繋いでほしいとの指示が。そこで柿沼アナが「音楽のあとも引き続いてお話を伺いましょう」と機転をきかせたのですが、幸いその直後に次のゲストさんが到着。結果として尻切れとんぼな印象となってしまったものです。今日のテーマは「0系新幹線」。実は予定していたプロットはすべて話し終わってしまっており、どう話をもたせようかと冷や汗ものだっただけに、こちらとしては正直なところほっとしました。期せずして「生放送」の大変さを垣間みた気がします。
投稿者 名取紀之 : 2008年05月16日 20:40

