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2008年05月13日
インドネシア国鉄蒸機の残影。
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▲機関支区というより駐泊施設だったのだろうか、簡単なピットを持つ建屋の横に放置されたC19は、近所の子どもたちの格好の遊び場と化していた。'90.7.17
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1990年代初頭、5月の声を聞くとインドネシアへの撮影ツアーの打ち合わせで忙しい日々が続いていました。JTB本社海外産業視察部との共催で1990年7月から開始したジャワ島の製糖工場蒸機撮影ツアー(Sweet Steam Tour)は、インドネシア国営旅行公社(NATRABU)とインドネシア国営製糖公社(PTP)の全面的な協力もあって毎年大好評で、このツアーがきっかけで海外蒸機の虜になった参加者の方も少なくありませんでした。
ただ、当時はあまりに情報が少なく、NATRABUに調査を依頼しても蒸気機関車の動向などほとんど雲を掴むような話で、実際に行ってみないとわからない部分が大半でした。これは国鉄線に関しても決して例外ではなく、急速に無煙化が進んだものの、まだどこかの支線で現役蒸機が生きているのではないだろうかという期待も残されていました。その期待のひとつが1970年代までスチームトラムが活躍していたジャワ島東部スラバヤ近郊の支線でした。
▲炎天下に置き去りにされた姿が哀れを誘う。状態からして比較的近年まで可動状態にあったものと思われる。'90.7.17
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▲ジェテの軌道はタッチの差で廃止されてしまっていた。赤道下のジャワでは使用休止となった線路は生活路となっている部分を除いてあっという間に草生してしまう。'90.7.17
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1990(平成2)年のツアーでは、あわよくば入換機でも現役蒸機の姿が…と目を皿のようにして探したのですが、結局望みは砕かれ、唯一“発見”したのが、スラバヤから東へ100キロほど行ったマドゥラ湾沿い、ジェテの街外れに放置されたCタンクの姿でした。
いかにも熱帯らしい上屋だけの庫はすでにもぬけの殻となっており、庫外にC1908のプレートを付けた機関車が取り残されていました。インドネシア国鉄の形式称号はわが国とほとんど同じで、Cは動軸3軸、49までの数字はタンク機を示しており、C1908はC19形の8号機ということになります。“PNKA POWER PARADE”によれば、C1908は1899(明治32)年ハルトマン(ドイツ/ザクセン)製(製番2426)で、国有化前の旧番は108。合計12輌存在したC19形は1970(昭和45)年の時点ではまだ8輌が現役機として活躍していたと記されており、26ページには1971(昭和46)年に撮影された、スチーム・ベルを備えた美しい現役時代のC1908の写真も掲載されています。
▲インドネシアの国鉄蒸機を語る際に欠くことのできない“PNKA POWER PARADE”(1974年)。すべての国鉄機(編入機を含む)のロスターが記載されており、製糖工場の機関車を網羅した“SWEET STEAM”(1981年)とともに今もってバイブル的な存在。ちなみに“PNKA”はインドネシア語の“Perusahaan Negara Kreta Api”=State Enterprise Railwayの略。
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▲C1908は車齢100歳近いドイツ製の20tCタンク機。“PNKA POWER PARADE”によればSemarang Joana Stoomtram Mijからの買収機とのこと。'90.7.17
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インドネシア国鉄の基本ゲージはわが国と同じ3フィート6インチ(1067㎜)。スラカルタ近郊のアンバラワには立派な鉄道博物館があり、現在は動態保存運転も行われていますが、もちろん国鉄線上で現役蒸機の姿を目にすることはできません。あと数年早く訪れていればと、赤道下に置き去りにされたC1908を見ながらそんな悔恨を覚えたのも、もう18年も前のことになります。
投稿者 名取紀之 : 2008年05月13日 17:52

