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2008年05月24日
横浜にC58が走った日。
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▲山下公園の高島貨物線高架橋をゆくC58 1。マリンタワーとホテルニューグランドは当時の横浜の象徴的存在であった。'80.6
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今から28年前、1980(昭和55)年のちょうど今頃、首都圏のファンは高島貨物線で走るC58 1の話題でもちきりでした。横浜商工会議所が横浜港の開港120周年を記念して、高島貨物線の東横浜〜山下埠頭間にC58牽引の記念列車を6月13日(金曜日)から15日(日曜日)まで3日間走らせるというのです。
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▲“キリン”と通称されるクレーン群をバックに新港埠頭付近をゆく。現在のみなとみらい21地区も当時はまだ造船と港湾荷役の最前線だった。'80.6
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国鉄本線蒸機がその姿を消してから5年、前年には山口線で「SLやまぐち号」の運転が始まったとはいえ、多くの蒸機ファンにとって茫然自失とした日々は続いていました。そんな中での首都圏での蒸機復活ですから、期間限定とはいえ気運が高まるのも無理からぬことです。使用されるC58 1はC57 1の予備機として前年の7月から9月にかけて鷹取工場で全般検査を受けたばかりで、山口線仕様の集煙装置搭載は別としても、グリーンの形式入りナンバープレートも凛々しく戦列復帰を遂げていました。
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▲国鉄無煙化から5年、待望久しい蒸気機関車がほかならぬ首都圏を走るとあって、沿線各所にカメラの砲列ができた。もちろんデジカメなどあろうはずもなく、改めて写真を拡大してカメラのラインナップを眺めてみると、時代が鮮やかに浮かび上がる。'80.6.15
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C58 1は1972(昭和47)年8月まで20年以上にわたって北見機関区に所属した機関車で、いわゆる“SLブーム”のさなかに渡道したファンにとっては旧友のような存在でもあります。それだけに、ひさしぶりに取り出してきた愛機を構えるファンの姿も少なくありませんでした。
ただ、いかんせん東横浜〜山下埠頭間は撮影ポイントが限られているうえに、混乱を警戒した規制線が各所に張り巡らされており、決して満足のゆく写真が撮影できる環境ではありませんでした。
実はこの時、私はキネマ旬報社が発行していた『蒸気機関車』誌の学生バイトとして編集アシスタントを務めており、現地に集まったファンの皆さんにインタビュー取材をして回る役目を仰せつかっていました。C58の記念列車そのものより、蒸し暑い万国橋周辺を、慣れないネクタイを締め、テレコを下げてお話を聞いて回った記憶の方が鮮明に残っています。なお、この時の取材成果は同誌1980年9月号(№69)に2ページにわたって編集部名で掲載されております。
▲山下埠頭を出るC58 1。普段は観光客の姿も少ないこの地区にも規制線が張られ、“SL”を一目見ようというギャラリーが詰めかけた。'80.6
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▲東横浜を出る試運転列車。当時C58 1はC57 1の予備機として山口線で活躍していたため集煙装置を搭載していた。'80.6
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話が脱線ついでに、当時私は同誌の読者投稿ページと活版ページの一部を担当させていただいておりましたが、運転直前、5月発売の7月号(№68)活版ページで「C58 1はここを走る」と題した4段抜きの簡単なガイドを紹介いたしました。「両側が海なので景色もなかなかおもしろく」やら「ここからだと氷川丸もよい位置にはいる」やら、まさに今で言うところの“お立ち台”ガイドですが、この著者が誰あろう今『国鉄時代』を編集している山下修司でした。まさか28年後に同じ会社で机を並べていようとは…横浜港のC58の写真を見るたびに、そんな奇遇も思い起こされてなりません。
投稿者 名取紀之 : 2008年05月24日 22:02

