鉄道ホビダス―実物から模型まで日本最大の鉄道専門サイト sp sp
sp
TOP ショッピング 鉄道ニュース ホビダス・ステーション 今日の一枚 編集長敬白 RMMスタッフブログ ホビダスTOP

« 日本セメント上磯工場2号機との再会。(下) | メイン | おかげさまで“2810万分の1”。 »

2008年02月13日

日本セメント上磯工場2号機との再会。(補遺)

pc201a2.jpg
▲201と車体標記のある比較的大型の客車(人車)。ボギーかと思いきや、下回りは2軸で、しかも板バネの軸受にコイルバネを追加している。側面に出入口がなく、どうやら妻面の引き戸から出入りするらしい。'79.2.15
クリックするとポップアップします。

専用鉄道だけに日本セメント上磯工場は『私鉄要覧』にも記載されており、「目的外使用」として「従業員の家族輸送」が掲げられています。私が訪れた時点では既に“客車列車”は運行されていませんでしたが、構内には大小あわせて4輌の客車(人車)を確認することができました。

kamiisopc202n1.jpg№201〜204と車体標記のある客車はすべて形態が異なり、201号は一般的な貨車の足回りを流用したものらしくそれなりの長さがあるものの、残りの3輌はいずれも6t(8t)鉱車を人車に改造したもので、キュービック状をした超小型車でした。当時のフィールドノートをひもといても、これらの車輌に関する詳しい聞き取りは見当たらず、今さらながらに来歴を調べそこなったのが悔やまれます。専用鉄道だけに車輌竣功図も備えられていたはずで、事務所で古いアルバムなどを複写させていただいた折りにそこまで気がまわっていれば…とかえすがえすも残念でなりません。
▲4輌のなかでは比較的近代的な外観の202号。車内には吊り手も見える。'79.2.15
クリックするとポップアップします。

pc204a2.jpg
▲無双窓風の窓を持つ木造単車204号。側面に鉞のような手ブレーキを持ち、客車というよりは緩急車だったのかもしれない。'79.2.15
クリックするとポップアップします。

ところで203号と204号にはさながら鉞のような側ブレーキが確認できますが、ひょっとするとこの2輌は緩急車としての役割を担っていたのかもしれません。というのも『世界の鉄道』1969年版(朝日新聞社刊)所載の車輌現況表に「客車2、車掌車2」の記載があるからで、強引に当てはめてみれば201号と202号が「客車」、203号と204号が「車掌車」とも考えられます。

pc203a.jpg
▲203号も同様に側ブレーキを備える。出入口は逆側の側面中央にある。基本的には6t鉱車の下回りを利用したものだろう。'79.2.15
クリックするとポップアップします。

これらの客車(人車)による定期列車は1963(昭和38)年に廃止(本誌38号「専用線の電気機関車」)されたそうですが、その後も保線用等に使用されることはあったようで、私が実見した時点でも「昭和52年6月」の検査標記が見られました。願わくば2号機をはじめとしたB凸たちがこの珍妙な客車を牽く姿を目にしてみたかったものです。

kamisono9hensei.jpg
▲ヲキと国鉄払い下げのセキを連ね発車を待つ峩朗線下り列車。先頭に立つのは主力の9号機。'79.2.15
クリックするとポップアップします。

さて、貨車は1967(昭和42)年に2軸鉱車(函館ドック製等)からボギー貨車へと置き換えられましたが、この際に導入されたのが東武鉄道の「私有車」ヲキ1形とヲキフ1形です。「私有車」とは、いうなれば私鉄における「私有貨車」で、極めて特殊な存在です。この場合は東武鉄道車籍の日本セメント(埼玉工場)私有となっていて、国鉄線内への連帯輸送も可能な存在でした。(『トワイライトゾ〜ン・マニュアル 1』所収「東武根小屋線とヲキ1形」参照)

oki16a.jpg
▲ヲキ1形ヲキ16。1967(昭和42)年に東武鉄道から移籍してきた日本セメント埼玉工場私有車ヲキフ1形で、上磯入りに際して車掌室を撤去した部分がデッキになっている。'79.2.15
クリックするとポップアップします。

oki19a.jpgヲキフ1形は車端にウエハスのような狭い車掌室が設けられている特殊な形態をしていましたが、上磯入りに際して撤去されてデッキに改造されています。転籍してきた旧ヲキ1形14輌とヲキフ1形2輌を統合してヲキ1形と称していましたが、前者は荷重28t、後者は荷重26tと同一形式ながら荷重が異なる奇妙な状況となっていました。なお、このほかに国鉄からの払い下げ車を改造したヲキ2形16輌、セキ3000形10輌が在籍していました。(『トワイライトゾ〜ン・マニュアル11』所収「日本セメント上磯のボギー鉱石車」参照)
▲ヲキ2形ヲキ19.国鉄セキ600形を改造したとされる30t積み車。粘土運搬用のヲキ車には冬季の凍結防止用ヒーターが内蔵されていたというが確認はしていない。'79.2.15
クリックするとポップアップします。

touyoudenki5n.jpg
▲再び東洋電機製造㈱横浜製作所に保存されている2号機。冬の陽に輝く日本セメントの社紋と東洋電機の銘板に、再び遙か29年前の上磯に思いを馳せた。'08.2.2
クリックするとポップアップします。

「上(峩朗)まであがるんだったら次の便の機関車に乗って行きなさい」という温かいお誘いを断って上磯工場をあとにしてから29年、横浜の東洋電機で保存されている2号機との再会は、遠い日の上磯を熱く思い出させてくれたのでした。
上磯工場専用鉄道が廃止されたのは、2号機が横浜の地に保存されてから4年後、元号が平成に改まった1989(平成元)年秋のことでした。

投稿者 名取紀之 : 2008年02月13日 21:24

« 日本セメント上磯工場2号機との再会。(下) | メイン | おかげさまで“2810万分の1”。 »