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2007年11月05日

好評だった飯山線座談会。

iiyamashikawatari2n.jpg先週このブログでご案内した新潟県津南町の秋季企画展「飯山線が織り成す歴史と文化」(10月20日〜12月16日)の連動企画「座談会・蒸気機関車が走った頃」が11月3日(土曜日)に開催されました。飯山線で実際に蒸気機関車を運転された機関士OBの方3名から、現場ならではの貴重なお話をうかがえる稀有な機会とあって、遠路はるばる東京や静岡からお見えになった方もおられました。
▲信濃川につるべ落としの秋の陽が沈む。夜の帳に追いかけられるようにキハ110単行の142Dが信濃川橋梁を渡ってゆく。'07.11.3 越後田沢−越後鹿渡 P:名取紀之
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▲当日はまたとない秋晴れに恵まれた。写真左は「農と縄文の体験実習館 なじょもん」エントランス、右は前庭で開催されたライブスチームの試乗会。'07.11.3 P:名取紀之

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▲展示室入口(左)と企画展「飯山線が織り成す歴史と文化」会場。幻に終わった上越西線(現在の北越急行と同じ直江津〜越後湯沢間)の計画案など貴重な資料も展示されている。'07.11.3 P:名取紀之

会場は「農と縄文の体験実習館 なじょもん」で、聞きなれない「なじょもん」とは、地元津南の方言でぜひ何々をしてくださいという時に使う「なじょも」と、付近で出土される縄文式土器の“縄文”を掛けた造語だそうです。広大な敷地には縄文住居の再現などもあり、当日は地元の皆さんによる特産品などのバザーも開催され、結構な賑わいぶりでした。館内の展示室で開かれている企画展「飯山線が織り成す歴史と文化」では飯山鉄道開業時からの資料や写真、さらには鉄道部品などが展示されており、さらには教育委員会作成の立派な図録まで用意されているのには少々驚かされました。

tunanhyoushi.jpg今回お集まりいただいたのは塩崎栄一さん(80)、鈴木昭平さん(79)、樋熊貞男さん(67)のお三方。塩崎さんは1942(昭和17)年に飯山線の前身である飯山鉄道にお勤めになって以来、1982(昭和57)年に退職されるまで実に40年間にわたって飯山線の運転一筋にこられた方で、飯山鉄道の社型機にも乗務された経験がおありです。鈴木さん、樋熊さんは木曽福島機関区など他区での経験も豊富にお持ちながら、やはり長年乗務された飯山線に一方ならぬ思い入れがおありと伺っています。
▲カラー20ページの立派な図録も作成されている。外丸亜炭炭礦からの出荷の様子や、信濃川水力発電所(中津川第一、第二など)建設当時の電気機関車の写真なども収録されている。

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▲研修室で行われた座談会は補助椅子が登場するほどの賑わいぶり。地元の方はもちろん、遠来のファンの姿も少なくなかった。'07.11.3 P:金盛正樹

貴重なお話が連続するこの座談会のなかでもひときわ熱が入ったのが、ほかならぬ雪との闘いです。一里一尺…つまり豊野方から越後川口に向けて一里(約4キロ)進むごとに積雪が一尺(約30センチ)深くなると譬えられるだけに、飯山線を語る際に豪雪との闘いは欠くことができません。1945(昭和20)年2月12日に森宮野原駅で記録された積雪7m85㎝の記録は、今もってわが国の鉄道が“体験”した最大積雪量です。

IMGP4181n.jpgそんな飯山線だけに、「特雪」のレギュレータを握った皆さんの武勇伝は信じられないほど迫力に満ちたものでした。「“キマロキ”って言うけれど、キマロキなんていうのは天気が回復してから出るもので、降り続いている本当にどうしようもない時はロータリーを先に出して“ロキキマ”で突破するしかないんですよ」と塩崎さん。隧道に入って前方出口を見るとポータルが三日月型にしか見えない…斜面から滑り落ちてきた雪で大半が埋まってしまっている隧道出口に向け「いざっ!」とばかりローター全速で突っ込んでゆく様には、会場にいる誰もが身を乗り出さんばかりに聞き入っていました。
▲パネラーの皆さん。手前から塩崎栄一さん、鈴木昭平さん、樋熊貞男さん。ご高齢ながら皆さんすこぶるお元気。'07.11.3 P:金盛正樹

「ロータリーには大工さんや電気工さんも乗っていて、満員状態でした」と鈴木さん。なんで大工さんたちが…と思ってお話を伺うと、投雪角度が調整しきれずにどうしても沿線の民家の軒などを壊してしまうことがあり、そんな時はキマロキを停めて、乗っている大工さんたちが応急処置をするのだそうです。

IMGP4187n.jpg難航に難航を重ねて結局途中駅で石炭も尽きてしまい、村総出で暖房用の豆炭を運んでくれた話や、消防団の手を借りて消防用ポンプで川から給水する話…等々、まさに息つく暇もない座談会でした。そうそう、前から気になっていたC56 131に単式のコンプレッサーが2基(両側)付いているのは、フランジャーを作動させるエアーのためだったこと、十日町に複線用ラッセルのキ550形576が配置されていたのは、信濃川側に一方的に排雪する目的だったことも、今回のお話で初めて知りました。
▲この座談会のコーディネーターとして私が司会を務めさせていただいた。'07.11.3 P:金盛正樹

「あの頃は一閉塞先、ひと駅先でも線路を確保して不通区間をなくす、それが私たち鉄道マンの使命であり、誇りだったんです」そう語る樋熊さんの言葉が胸に染みた座談会でした。ちなみに本誌次号(11月21日発売)の連載「SL甲組の肖像」はこの飯山機関区の雪との闘いにスポットを当てます。どうかご期待のほどを…。