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2007年08月31日
「RMインフォメーション」と「今日の一枚」にご注目。
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▲東大宮から湘南新宿ラインを南下、池袋を通過する京浜東北・根岸線用E233系1000番代第1編成の試9024Mをコンパクトデジカメでパチリ。まさに「今日の一枚」で、こういった速報性はウェッブならでは。'07.8.31 池袋 P:名取紀之
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昨日からこのトップ画面の右上に「RMインフォメーション」のバナーが登場したのにお気づきでしょうか。すでにご存知の方も少なくないかとは思いますが、編集部に毎日届く最新の鉄道各社のリリース、写真展の告知、DVDやオリジナルグッズ、本の発売情報などを、ただちにアップしているのがこのウェッブ版の「RMインフォメーション」です。実は従来お送りいただく情報の中には〆切のタイミングの関係から本誌に掲載できずに終わってしまうものもありましたが、このウェッブ版の「RMインフォメーション」ではそんな心配も無用です。


▲「RMインフォメーション」のトップ画面の例。どちらも画面をクリックすると最新の「RMインフォメーション」にジャンプします。
臨時列車の運転情報などはリリース発表後、即座に掲載。雑誌の発売前に最新の臨時列車の運転情報を見ることも可能です。しかも最近では関連する写真を掲載し、よりビジュアルでわかりやすい誌面、いや画面を心がけています。またインターネットならではのメリットを活かし、関連サイトや会社の公式ホームページへリンクを貼るなど、横方向の拡張性も図っております。どうか今後はこのウェッブ版の「RMインフォメーション」を毎日ぜひご覧になってみてください。
そしてもうひとつ、このところ人気急上昇中なのが「今日の一枚」です。皆さんからお送りいただいた鉄道に関するあらゆる写真を、撮影日ごとに分類し、カレンダー方式で展開しているブログで、投稿数は8月だけでも418件と膨大な数になっています。不具合がない限りご投稿いただいた翌日にはアップし、その日「鉄道」に起った出来事や走った列車、各地の天気までわかる実に楽しいブログです。本誌の「新世紀カレンダー」とも連携しているのも特徴です。一人ひとりの投稿が、みんなの想い出になるアーカイブ蓄積型の「夢」が詰まったブログですので、ご覧になるのみならず、ぜひともご参加なさってみてください。
▲こちらは「今日の一枚」のトップ画面の例。同じく画面をクリックすると最新の「今日の一枚」にジャンプします。
投稿者 名取紀之 : 16:32
2007年08月30日
京浜東北・根岸線用E233系1000番代登場。
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▲東急車輛を出て試運転で横須賀線を北上する京浜東北・根岸線用E233系1000番代の試9732M。'07.8.30 鎌倉−北鎌倉 P:後藤中也
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本日、京浜東北・根岸線用のE233系の最初の編成が東急車輛を出場、試運転を行いました。中央線用として続々と増備が続くE233系の京浜東北・根岸線投入計画に関しては昨年9月5日付けの本ブログでもお伝えしておりますが、ほぼ一年を経てついに現車が登場したことになります。
何と言っても注目だったのは“番代”です。昨年のプレスリリースによれば、中央線バージョンとの相違点は外観のラインカラーや優先席付近の客室内の色調程度で、さほど目だった外観の変更はなされないようでした。それだけに果たして番代区分がどうなるのかに関心が集まっていましたが、ご覧のように結局1000番代となっています。
▲生まれたての1000番代をひと目見ようと東急車輛の最寄駅逗子のホームにはファンの人垣が…。'07.8.30 逗子 P:後藤中也
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▲北鎌倉を通過する試9732M。見慣れぬ“京浜東北・根岸線の電車”の登場にホームで待つお客さんもびっくり。'07.8.30 北鎌倉 P:後藤中也
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▲1号車Tc2‐1001の車体標記(左)と1400番代となった8号車M3‐1401の車体標記(右)。後者の床下には検査機器の配線が見られた。'07.8.30 逗子 P:後藤中也
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中央線用0番代車との設計変更点などの詳細は後日、本誌誌上で発表される予定ですが、今日の公式試運転を見る限りでは、京浜東北・根岸線では不要な半自動スイッチの廃止、運行番号表示器の位置変更(前面方向幕横から運転台助士側窓下)、車内モニターのサイズ拡大などが確認できました。また、興味深いのは5号車M3‐1001がダブルパンタグラフとなっている点です。試運転時には片方は折りたたんだままでしたが、電気機器や保安装置などの主要機器を二重化し、信頼性の向上による輸送障害の低減を目指すのがコンセプトのE233系だけに、そのための装備なのか公式発表が待たれます。
▲客室ドア部のモニターは中央線用0番代車よりサイズが拡大されている。'07.8.30 逗子 P:後藤中也
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▲これが注目の2パンタ車=M3‐1001。画面手前側のパンタグラフは下ろされたままとなっている。'07.8.30 逗子 P:後藤中也
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■E233系1000番代第1編成編成図 ※クリックするとポップアップします。
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さてこの京浜東北・根岸線用E233系1000番代車、今後どんどん増備が続き、最終的には10連83本、実に830輌が投入される予定だそうで、中央線に続いて遠からず首都圏の通勤電車の風景は大きく様変わりしてゆくはずです。
投稿者 名取紀之 : 19:44
2007年08月29日
愛媛県総合科学博物館の“坊っちゃん列車”。
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▲常設展示場3階の最奥に愛媛県の交通の発達を伝えるコーナーがある。模擬ホーム横に展示されているのは驚くほど良くできた“坊っちゃん列車”レプリカ。'07.7.21
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先日ご紹介した「カラミ電車」を見に新居浜市の愛媛県総合科学博物館を訪れた際、館内展示場にも同県内の鉄道関連展示が豊富にあると聞いて拝見してきました。
愛媛県の博物館だけに、当然“坊っちゃん列車”にまつわる展示にはひとかたならぬ力が入っており、常設展示3階の科学技術館・産業館には極めて精巧に出来た実物大の“坊っちゃん列車”レプリカが鎮座しています。残念ながら詳しい出自はわかりませんでしたが、かつてこのブログでご紹介した1分の1のライブスチーム(松山市内の機械メーカー・米山工業製)のように、外観のみならず機能面でも実物同様に作り込まれている模様です。
▲クラウスのエージェントであった刺賀商会の銘板もそっくり複製されている。'07.7.21
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▲クラウスレプリカのサイドビュー。展示室にはこのほかにも腕木信号機や閉塞機、さらには模型で振り返る愛媛の鉄道車輌などのコーナーもある。'07.7.21
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機関車のうしろには2軸客車(ハ1形?)1輌も連結されており、模擬ホームから車内を見ることもできます。こちらも細部にわたってなかなか良くできています。それにしても愛媛県内には伊予鉄市内線で運行されているディーゼル機関車版2輌を含め、現在5輌もの“坊っちゃん列車”レプリカが存在していることになり、愛媛県民の『坊つちやん』への思いの熱さには改めて驚かされます。
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▲水面計などキャブ内までしっかりと作り込まれたクラウスレプリカ(左)と木製の鎧戸が目を引く客車内(右)。'07.7.21
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この愛媛県総合科学博物館の鉄道関連展示では、このほかにも地元・別子鉱山鉄道関連のものが見逃せません。創業期の上部軌道から説き起こして、地方鉄道としての運転、専用鉄道化、そして廃止に至る経緯が豊富な写真・資料によってわかりやすく展示されています。さらにこちらのコーナーでは別子鉱山のクラウス製Bタンク機の精密なモデルも見ることができます。
▲地元の基幹産業であった別子鉱山のコーナーでは別子鉱山鉄道にかなりのウェイトが割かれている。写真はクラウス製Bタンクのモデル展示。'07.7.21
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この愛媛県総合科学博物館はプラネタリウムや図書館も併設した巨大な博物館で、展示棟は3階が科学技術館・産業館、4階が自然館、さらに企画展示室や屋外展示場と実に盛りだくさんな施設です。ただ、クルマでは松山自動車道いよ西条インターチェンジから5分ほどと便が良いものの、電車の場合はJR伊予西条駅から1時間に1本程度のバスで所要20分とアクセスしにくいのが少々残念です。
投稿者 名取紀之 : 16:41
2007年08月28日
魚梁瀬森林鉄道跡をゆく。(下)
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▲「赤鉄橋」の通称で親しまれ、現在は遊歩道の一部として保存されている安田川線明神口橋梁。1929(昭和4)年に木製トラス橋から架け替えられたものという。'07.7.20
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田野貯木場から海沿いを西進し、安田川左岸に取り付いた魚梁瀬森林鉄道安田川線は、しばらく緩やかな川の流れに寄り添うように上流へと遡ってゆきます。現在、県道は右岸を通っており、通行量のない左岸の軌道跡は驚くほどはっきりと残されています。
かつての本線であったこの安田川線最大の遺構は、大河を思わせる安田川が次第に山深くなり渓谷と化した明神口に架かる明神口橋、通称「赤鉄橋」です。 『魚梁瀬森林鉄道』によればかつては木製のトラス橋だったこの明神口橋が鉄橋に架け替えられたのは1929(昭和4)年、つまりは奈半利川線が着工された年だったそうです。魚梁瀬森林鉄道は最終的には奈半利川線が輸送の中心となってゆきますが、この橋梁は安田川線の輸送力確保が急務だった時代の名残と言えるかもしれません。安田川線はこの明神口橋を渡ると県道と同じ右岸に移り、明神口停車場を経て馬路へと向かいます。
▲県道から明神口橋をのぞむ。この橋梁から下流側(画面右側)は県道の対岸に軌道跡がそっくり残されている。'07.7.20
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▲旧版地形図に見る魚梁瀬森林鉄道安田川線。田野貯木場から安田川を遡った軌道は馬路を経て釈迦ヶ生で奈半利川線と合流して魚梁瀬をめざす。左隅に位置するのが明神口橋。(地理調査所発行1:50000
地形図「馬路」昭和35年発行より加筆転載)
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河口付近(安田不動)からこの明神口橋までの軌道跡は農道(遊歩道)などに転用されており、比較的容易くトレースすることが可能です。ことに内京坊地区から明神口橋までの区間は線路を剥がしたそのままと言っても良いくらいくっきりと軌道跡が残されています。農耕車が通るのか轍跡もついていますが、さすがに一般車で通行するのは憚られる狭隘な山道で、途中には隧道もそのまま残されています。明神口橋から上流の馬路方が県道の改修工事などで痕跡が少なくなってしまっているのに対して、この付近が安田川線廃線跡探訪のハイライトと言えるでしょう。
▲内京坊付近まで安田川を下ると、険しい峡谷は緩やかな山里の風景へと変わる。軌道跡も河岸に寄り添うように海(画面前方)を目指す。'07.7.20
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▲現在でも当時のトンネルが3箇所ほど残されており、農道として一部は通行も可能。立派な石積のポータルがこの森林鉄道の規模を物語る。'07.7.20
ところで、この明神口橋を含む安田川線廃線跡のハイライト部分は行政区分とすると安田町に属します。同様に初回にご紹介した奈半利川線法恩寺参道跨線橋は奈半利町、次にお目にかけた立岡のコンクリート高架橋は田野町と、管掌自治体が複雑に入り組んでいます。もちろん線名でもある魚梁瀬は馬路村、さらに奈半利川線の大半は北川村と、いわば沿線自治体が5町村ある形です。日本鉄道保存協会の加盟団体でもある馬路村で保存活動の中心となってきた清岡博基さん(馬路村村議会議長)によれば、現在、これまでにご紹介してきたような森林鉄道遺構群を5町村共同で顕彰し、後世に残してゆこうという取り組みが始まっているそうです。
投稿者 名取紀之 : 18:16
2007年08月27日
速報! 「鉄道博物館」地元小学生に公開。 動画付き
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▲目の前にずらりと並ぶ歴史的鉄道車輌のホンモノに招待された地元小学生たちはもとより、引率してきた保護者の皆さんも大興奮。'07.8.26
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夏休み最後の日曜日となった26日、さいたま市の鉄道博物館で初めての“見学会”が行われました。招待されたのは、起工以来、毎日通学途上でその進捗状態を見守ってきた地元の大成小学校・東大成小学校の小学生とその保護者の皆さんです。
まだ開館準備中のため、シミュレータホールなど一部のエリアは非公開だったものの、歴史的鉄道車輌が並ぶヒストリーゾーンをはじめ、ラーニングゾーン、パークゾーンなど大半が本番さながらに公開され、招待された子どもたちは一般公開前の館内に大感激でした。そして子どもたちにも増して熱が入っていたのが引率役のお父さんお母さんたち。ヒストリーゾーンでは懐かしい車輌の数々に、ラーニングゾーンでは信号や閉塞などの体験型展示にのめりこんでおられる姿が印象的でした。
▲在来線本線側から見た鉄道博物館全景。とにかく想像を絶する大きさだ。'07.8.26
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▲中央のターンテーブルには鉄道博物館のシンボル的存在C57 135が周囲を見回すように鎮座する。この日はターンテーブルが回転する状態は見られなかったが、開館後はその様子も見られるはず。'07.8.26
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この日の来館者は1545名にのぼったそうですが、さすがに広大な面積を誇る鉄道博物館だけあってキャパシティーは余裕充分。どのゾーンも比較的ゆったりと見学することができたようです。また、初めて公開されたエントランスゾーン2階の模型鉄道ジオラマも大人気。あの交通博物館のパノラマ運転場が忘れられない者にとっては、規模も格段に大きくなったその“再来”に思わず目頭が熱くなる思いです。
▲見学者がまるで“乗客”のように見える上野駅特急ホームの再現スペース。485系は車内に入ることもできた。'07.8.26
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▲2階から見下ろしたヒストリーゾーンの全景。見学者が入り館内アナウンスが鳴り響くと一気に開館後の雰囲気となる。この臨場感はぜひ下記動画でご覧あれ! '07.8.26
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というわけで、私も参加者の皆さんと一緒にビデオ撮影をしてまいりましたので、今日はひと足早く動画で鉄道博物館をバーチャル体験していただきましょう(取材のついでの手持ち撮影ゆえお見苦しい点はご容赦のほどを…)。平面図とスチル写真ではこれまでにも何度もご紹介してきたヒストリーゾーンですが、ビデオで見ればその臨場感も格別! 10月14日のグランドオープンが待ち遠しい限りです。

▲動画の再生は上の案内図をクリックしてください。ホビダスTVにジャンプして再生が始まります(約12分)。
※音声付きですので、クリックする前に周囲の環境にご配慮ください。なお、Macでは再生できない場合があります。
投稿者 名取紀之 : 13:45
2007年08月26日
魚梁瀬森林鉄道跡をゆく。(中)
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▲奈半利川線立岡停車場付近に残るコンクリート高架橋の偉容。画面左前方が奈半利川で、高架橋と築堤で高度を稼いだ軌道は奈半利川を長さ168mの3連鋼製トラス橋で渡り奈半利貯木場へと向かっていた。'07.7.20
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奈半利川線の軌道は、昨日ご紹介した法恩寺の参道跨線橋の先で運輸事務所や工場のひしめく魚梁瀬森林鉄道の拠点・樋の口駅を通り、築堤をのぼって奈半利川橋梁へと至ります。1932(昭和7)年に架橋された魚梁瀬森林鉄道最大のトラス橋で、『魚梁瀬森林鉄道』によれば廃止後しばらく生活道路橋として残されていたそうですが、残念ながら現在ではその姿を見ることはできません。
ただ、奈半利川を渡った右岸側には橋台が残り、さらにそこから続く築堤には見事なコンクリート高架橋が残されています。奈半利川線の遺構としては最大の“見せ場”とも言うべきもので、田圃の真中を延々と横切ってゆく高架橋は、とても森林鉄道の遺構とは思えない不思議な景色を見せてくれています。先の『魚梁瀬森林鉄道』前書きページには、ポーター製蒸機改造のDLがこのコンクリート橋を渡っている写真が見開きで紹介されていますが、レールと枕木が撤去されただけで、半世紀以上も前に撮影されたこの写真と状況がほとんど変わっていないのに驚かされます。
▲1932(昭和7)年に築造されたというコンクリート製の高架は、半世紀以上の歳月が経っているとは思えないほど矍鑠としている。'07.7.20
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▲奈半利川河川敷方から高架橋を遠望する。来歴を知らなければ森林鉄道ではなく一般鉄道の廃線跡、もしくは未成線と思いかねない。'07.7.20
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このコンクリート高架橋の先に田野貯木場への短絡線・田野線とのジャンクションである立岡(たちおか)停車場があったそうですが、残念ながらその痕跡を見出すことはできませんでした。
奈半利川線はこの立岡から2キロほどは比較的開けた奈半利川右岸を走りますが、野友付近から急に山深くなり、右へ左へと急曲線を描きながら40キロあまり先の魚梁瀬を目指します。途中の小島地区に2連鋼製トラス+プレートガーダ−の小島橋梁が残存しているとのことでしたが、今回は残念ながら時間切れ。今度は安田川線の軌道跡を追って馬路村へと向かいます。
▲立岡方の築堤取り付け部。軌道はこの先で田野貯木場からの田野線と合流して奈半利川上流へと分け入ってゆく。'07.7.20
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投稿者 名取紀之 : 22:16
2007年08月25日
魚梁瀬森林鉄道跡をゆく。(上)

▲奈半利駅で発車を待つ土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線9640形普通車。魚梁瀬森林鉄道奈半利線が消えて実に40年以上の歳月を経て再び奈半利の地に出来た「奈半利駅」である。'07.7.20
わが国最初の官設森林鉄道である津軽森林鉄道に次ぐ歴史を誇る高知県の魚梁瀬(やなせ)森林鉄道は、その規模はもとより、全国に普及した「堀田式ブレーキ」をはじめとする独自の技術でも知られています。また車輌の動態保存など、魚梁瀬森林鉄道を核とした地域おこしも積極的に行われています。先月四国を訪れた際、この魚梁瀬森林鉄道跡を駆け足で巡ってきましたので、その様子をかいつまんでお目にかけましょう。
5年ほど前に土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」が開通して以来、魚梁瀬森林鉄道の起点であった田野・奈半利地区へも列車でアプローチすることができるようになりました。ただ、肝心の魚梁瀬地区は駅からさらに40キロ近く山奥に入らねばならず、いまもってそのアプローチは決して楽ではありません。それにしても初めて目にする「ごめん・なはり線」はその大部分が高架構造となっており、かつての土佐電気鉄道安芸線を思うと隔世の感があります。
▲終点の奈半利駅は高架駅。近代的な外観の駅前にはロータリーも備わる。'07.7.20
▲旧版地形図に見る魚梁瀬森林鉄道奈半利線。奈半利川河口の北側に田野貯木場、南側に奈半利貯木場があった。奈半利川線はその名のとおり奈半利川に寄り添うように北上し、一方、安田川線は田野貯木場から安田川を遡って釈迦ヶ生で奈半利川線と合流して魚梁瀬をめざす。“魚梁瀬森林鉄道”とは本線に相当するこの両線などを合わせた呼称である。(地理調査所発行1:50000
地形図「奈半利」昭和35年発行より加筆転載)
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“木曽森林鉄道”が王滝森林鉄道や小川森林鉄道などの総称(通称)であるのと同じく、“魚梁瀬森林鉄道”も安田川森林鉄道や奈半利川森林鉄道(のちに魚梁瀬森林鉄道)など田野貯木場・奈半利貯木場を集積地とする森林鉄道・森林軌道群の総称として使われています。まずはその中の奈半利川線を遡ってみることにします。
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▲奈半利川を渡ってきた軌道は奈半利貯木場に入る手前で寺の参道を横切る。軌道を敷設する際にその補償として営林局が設置したと伝えられる石積の跨線橋がぽつんと残されている。'07.7.20
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改めて申しあげるまでもなく、この魚梁瀬森林鉄道に関しては舛本成行さんの力作=RMライブラリー『魚梁瀬森林鉄道』があり、先ごろ再版も完成しましたので、来歴はそちらをご覧いただくとわかりやすいのですが、この奈半利川線は線路条件の厳しい安田川線を補完する目的で1942(昭和17)年に全通した魚梁瀬森林鉄道としては比較的新しい路線です。奈半利貯木場自体も昭和に入ってから開設されたものだそうで、すでにそれなりの市街を形成していた奈半利の中心部を線路が貫くのにはそれなりの紆余曲折もあったようです。その名残のひとつが法恩寺旧参道に今も残る石積の跨線橋です。
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▲参道橋上より奈半利貯木場方面をのぞむ(左)。熟練の石工によるものと思われる石積は度重なる天災にもびくともしていなかったという。'07.7.20
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▲参道跨線橋全景。新参道ができて裏口となってしまった今では利用する人はほとんどいないが、まだ通行止めとはなっていない。石積の階段は想像以上に傾斜がきつい。'07.7.20
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この古刹の参道と国道(旧道)の間に線路を敷設するにあたって、高知営林局はその補償として石積の立派な跨線橋を建設、参拝者が線路を横断せずにそのまま階段をのぼって境内へと向かえるように計らったのだそうです。民家と寺の間に忽然と残されたこの石積の参道跨線橋は奈半利市街では最大の遺構と言えるでしょう。
ちょうどこの参道跨線橋の横にお住まいの方からお話を伺うことができました。軌道があった当時はこの跨線橋側が正面の参道でしたが、自動車の普及とともに逆側に新参道が設けられ、いまではそちらが正面、こちら側がいわば裏参道となってしまい、ほとんど利用する人もいないとのこと。なおかつこの跨線橋を下りたすぐのところにある国道も今では新道が出来て、ますます廃れてしまったのだそうです。それでもこれまでに幾度となく当地を襲った地震や台風にも微動だにすることなく、最近ではこの遺構目当てに訪れる人もいるそうで、ちょっと自慢げにお話いただきました。ただ、訪問時にはちょうど防災工事として法面工事が始まろうとしており、果たしてこの歴史的参道跨線橋がこのままの形で残されるものなのかどうか、少々不安ではあります。
▲奈半利貯木場の一部は民間の鋼材会社のストックヤードとなってしまっている。'07.7.20
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投稿者 名取紀之 : 22:36
2007年08月24日
日本カーバイド工業1号機を訪ねる。
「はくたか」で富山へ向かう際にいつも気になっていたのが、新魚津駅上り方から分岐している日本カーバイド工業の専用線跡です。用途廃止となるとただちにレールが撤去される例が多いなかで、この専用線はしっかりとレールが残り、しかも好ましいカーブを描いて併用軌道風に日本海の方へと消えてゆきます。一見JR(国鉄)魚津駅起点の専用線のように見えますが、実は富山地方鉄道線からの分岐専用線で、『専用線一覧表』でも作業は富山地方鉄道機による旨が明記されています。
▲村木小学校はかつての専用線から目と鼻の先に位置する。側道を入ると一階から顔を出しているコッペルにちょっとばかり驚く。'07.4.29
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▲地形図に見る日本カーバイド工業専用線跡。珍しくレールが撤去されることもなく市街地に弧を描いて線路跡が残されている。すぐ南側に村木小学校がある。(国土地理院発行1:25000地形図=インターネット版より加筆転載)
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いつかは訪ねてみたいものと思いつつも、ついでと言うにはどうにも中途半端な位置にあってなかなか足が向かないでいました。そんななか、この春、黒部峡谷鉄道を訪問した際に、ようやくこの専用線跡の訪問がかないました。
日本カーバイド工業魚津工場専用線は、1960年代末までコッペル製のCタンク機が残されており、黒井の信越化学や日本ステンレス、青海の電気化学工業などとともに北陸本線沿線の専用線の蒸気機関車として知られていました。もちろん私の世代ではすでに実見することなど夢の夢でしたが、無煙化後も1990年代初頭までこの専用線は生き続け、専用線そのものの現役時代を垣間見ることは不可能ではありませんでした。
▲小学校ながらなかなかおしゃれな外観の村木小学校。'07.4.29
資料によればこの専用線で働いた歴代の機関車は蒸気機関車2輌、ディーゼル機関車4輌で、前者は1923(大正12)年コッペル製の26tCタンク機2輌(同形)、後者は1957(昭和32)年三菱製の35tC型機2輌と1969(昭和44)年三菱製の35tBB、同年製の日車製25tB型で、2輌のコッペルは地元魚津市の村木小学校に1号機が、滑川市児童館に2号機が保存されています。DLの方もDC351が滑川市の自然公園に保存されており、この手の専用線としては異例の“保存率”の高さとなっています。ちなみにこの三菱製の35tC型機、遊輪なし3軸のC型で自重が35t、つまりは単純計算で軸重12t近いヘビー級で、よくぞ小規模な専用線が導入したものと驚きます。保存されなかった方の片割れは、青海の日本石灰石開発田海(とうみ)工場に転じ、こちらは現役時代に見に行ったことがありますが、やはり軸重の重さゆえに本線では使えず、山元のヤード入換えに終始していたのを覚えています。
▲校舎一階での保存とはいえ、驚くほど状態の良い日本カーバイド工業1号機。もとを質せば鹿島参宮鉄道、つまりは今春廃止となった鹿島鉄道の開業時の1号機である。それにしても郷土の産業遺産としてしっかりと守り継がれているのが嬉しい。'07.4.29
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ところで、昭和30年代後半に鉄道友の会の機関誌『Rail Fan』(当時はB6判横開きだった)誌上をにぎわした連載に「専用線のSLを追って」がありました。その15回目がこの日本カーバイド工業魚津工場で、すでにこの時点で予備となっているものの、DLの検査時に月に数日は使用されること、その際には牽引力の関係で必ず1号2号の両機ともが稼動することなどが記されています。さらに「地方鉄道の車輌の増減に興味のある方なら、富山地方鉄道に蒸気機関車が2両在籍していることにお気づきの筈です。線内どこを探してもないのにと疑問を持たれた方もあるでしょうが、ここにご紹介する2輌が該当するのです。といいますのは、所有は日本カーバイド工業ですが、車籍が富山地方鉄道にあるからです」と興味深い記述もあり、ここで先述した専用線一覧表の“作業は富山地方鉄道機による”旨の意味が理解できます。ちなみにこれを書かれているのはあの三宅俊彦さん。時刻表や運転史に打ち込まれる前、まだ専用線を追っておられた頃のレポートです。

▲日本カーバイド工業側から専用線魚津駅方をのぞむ。国道部分(画面手前)で途切れてはいるものの、レールは工場構内を含めほぼ全区間にわたって残されている。'07.4.29
さて、専用線跡地に近い村木小学校に保存されている1号機は、1969(昭和44)年の廃車以来40年近くも経つにも関わらず信じられないほど良好な状態を保っており、小学校の教職員の皆さんや歴代の児童の皆さんの思いが伝わってくるようで、見ていて清々しい思いに包まれました。

▲魚津駅側から工場方(画面前方)を見る。夕方ともなると犬の散歩をする人も現れ、軌道跡は生活空間の中にすっかり溶け込んでいる。'07.4.29
訪れたのは4月とはいえ夏を思わせる暑い夕方のことでした。新魚津から気持ち良いカーブを描いて続く廃線は、折からの西日を浴びて海沿いの工場へと続いています。こんな情景の中をゆく1号機の姿を見てみたかった…毎度のことながらかなわぬ思いを抱きつつ、しばし佇んでいたのでした。
投稿者 名取紀之 : 12:55
2007年08月23日
一度かぎりの“インフラレッド”。
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▲九州には珍しいトレッスル橋の立野橋梁をゆくC12 208〔熊〕。赤外効果で背後の山並みもくっきりと浮かび上がって見える。'72.8.19 高森線立野−長陽
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オートフォーカスはもとより、デジタル全盛となってしまった今となってはその存在さえ忘れられてしまっていますが、かつて銀塩カメラのレンズには「赤外指標」と呼ばれるRマーク(被写界深度目盛上の点)が小さく刻まれていました。赤外フィルム(インフラレッド・フィルム)を使う際のピント補正指標で、いまさら思えば99%の人が一生使うこともないであろう赤外フィルムのための指標がほとんどのレンズについていたのも不思議ではあります。
赤外フィルムはもともと軍事、医学、鑑識等の目的で生まれたフィルムで、可視光線域に感光性をもつ一般のパンクロマチック・フィルムより感光性を長波長域にシフトさせた特殊フィルムです。青空や赤外線を吸収する水面などは黒く、雲や陽光を浴びた緑葉などは極端に白く描写します。擬似夜景効果と呼ばれるもので、山岳写真などではこの効果を逆手にとって使われることも少なくありませんでした。撮影には濃い赤色のRフィルターが必要で、なおかつ、赤外線は可視光線より屈折率が小さいために合焦点がファインダー像より後方にずれてしまうことから、ピントを合わせてからいちいちさきほどの赤外指標に補正する手間がかかります。まぁ、よほどの作画意図でもない限り一般には縁遠いフィルムということができるでしょう。
▲同じく立野橋梁をゆくC12の高森線上り列車。さながらコピーフィルムのようにコントラストは極めて強い。'72.8.19 高森線立野−長陽
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なにを血迷ったのかそんな赤外フィルムに興味を持ち、わざわざRフィルターまで購入して試用したのは今から35年も前のことです。しかもいくらでも撮り直しのきく地元の鉄道ならいざ知らず、よりによって豊肥本線立野のスイッチバックやら高森線の立野橋梁やらのいわば“晴れ舞台”で使ってしまったのですから、若気の至りと申しましょうか、われながら良い度胸です。
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▲有名なスイッチバックを推進で登る69680〔熊〕。こうやって見ると擬似夜景効果がよくわかる。現在でも業務用としては植生調査や水資源調査のための航空写真などに広く活用されているという。'72.8.19 豊肥本線立野−赤水
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結果はここにご覧に入れるような、とりあえずはそれなりの擬似夜景効果を得ることはできましたが、一度見たらもう充分…キワモノ的印象は免れません。結局、二度と再びインフラレッドに手を出すことはありませんでした。
ところで、当時でさえコンシューマ向け赤外フィルムはコダックとコニカが細々と生産していた程度で、しかも新緑を前にした需要期の春先、一年に一度生産されるだけという状態でした。モノクロフィルムでさえ種類が限定されつつある現在、それでは赤外フィルムはまだ手に入るのかと調べてみたら、なんとこの春から正規輸入が始まったローライモノクロフィルムのラインナップのなかにインフラレッドがしっかりとありました。フィルターなしでISO400までの高感度に対応する高解像度フィルムだそうで、36枚撮り10本パックで希望小売価格18,500円也。さすがにもう一度使ってみる勇気はありませんが、赤外指標もないAFレンズ機でいったいどうやって使うのか、ちょっと興味はあります。
▲かつては各種の赤外フィルムが市販されていた。コニカ赤外750(左)とコダックハイスピードインフラレッド(右)。
投稿者 名取紀之 : 14:28
2007年08月22日
100式鉄道牽引車健在。
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かねてより気になっていたのが陸上自衛隊朝霞駐屯地に保存されているはずの「100式鉄道牽引車」の消息です。かれこれ16年前、本誌100号にちなんで「100式鉄道牽引車ものがたり」を3回にわたって連載し、その際に国内での現存唯一と思われる朝霞の保存車を取材させていただきました。“取材”といっても駐屯地内だけにそう容易いものではなく、やれ企画書だの、申請書だのとややこしい手続きのために、当時は六本木にあった防衛庁の陸上幕僚監部に行ったのを覚えています。
▲輸送学校前庭に再整備されて展示された100式鉄道牽引車。上屋も設けられて保存状態はすこぶる良好ながら、一緒に保存されていた97式軽貨車などの姿は消えてしまっている。'07.7.23 P:岡田誠一
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▲後軸はゴムタイヤを取り外した状態となっており、鉄輪での軌道走行時の様子が理解できるようになっている。'07.7.23 P:岡田誠一
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この朝霞駐屯地内の輸送学校前庭には100式鉄道牽引車のほかにも、編成を組んで展示されている97式軽貨車、それに戦後、陸上自衛隊101建設隊で使用されていた協三工業製15tBタンク機(1946年3月製/製番15010)が保存されており、輸送学校校舎内の展示とともに小さな軍用鉄道博物館の様相を呈していました。
ところが本誌連載でご紹介してから数年後、この朝霞駐屯地内の輸送学校に保存されている車輌たちが散逸してしまったようだという情報が入ってきました。事実、101建設隊のBタンクはかつてこのブログでもご紹介したように茨城県内の廃材置場に放置されているのが発見され、すわ100式鉄道牽引車も放出されてしまったか…と案じられていたのです。朝霞駐屯地そのものには最近は見学施設もあるようですが、敷地の奥深くに位置するこの輸送学校の状況はなかなか伝わりにくく、つい最近までその安否ははっきりとしませんでした。
▲3位側から見た100式鉄道牽引車。外されたゴムタイヤが見える。'07.7.23 P:岡田誠一
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▲100式鉄道牽引車のもうひとつの特徴でもある空冷ディーゼルエンジン。被弾した際にウォータージャケットが破損して運転できなくなる恐れのある水冷を避けて特異な空冷ディーゼルを採用しているのは戦車と同様。オリジナルは排気量8ℓのいすゞDD‐10型だが、この個体はいすゞDA-6B型が搭載されている。'07.7.23 P:岡田誠一
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今回、客車・気動車の研究家としても知られる岡田誠一さんが陸上自衛隊の許可を得てこの輸送学校を訪れ、初めて100式鉄道牽引車の“無事”を確認してきてくれました。すっかり綺麗に化粧直しされた100式は、専用の展示上屋の下に説明看板を伴って保存されていますが、ふと気づいてみると編成状態にあったはずの97式軽貨車の姿がどこにも見当たりません。Bタンクとともに放出されてしまったのでしょうか…。まだまだ全国各地にその末裔を見ることできる97式軽貨車ですが、この輸送学校の個体はボギー状態で、しかもレール繰り出しローラーなどの付属品もすべて揃っていただけに、もし廃棄されてしまったのだとすると残念でなりません。
さて、この「100式鉄道牽引車」(紀元2600年=西暦1940年の制定形式。ちなみに97式は2597=1937年の制定形式)は旧日本陸軍が開発した軌陸車で、DMV(デュアルモードビークル)の祖先のような車輌です。その発端は1931(昭和6)年の柳条湖事件に遡り、南満州鉄道から中東鉄道(ソ連領)への侵攻に備えて配備された90式広軌牽引車がルーツと思われます。以後6輪化して装甲を強化した91式、92式(逆転機を追加装備)、95式(キャタピラ仕様)、97式(関東軍寒地用)、98式(97式の南方戦線メーターゲージ用)、この100式、1式(100式のメーターゲージ対応版)、3式(形式は制定されたものの実際に製造にいたったかは不明)と進化を遂げてきました。
▲搭載されたいすゞDA-6B型エンジンの製造銘板。製造年月は「昭和16年6月」と読み取れる。'07.7.23 P:岡田誠一
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▲新設された説明看板に記載されたスペックは、全長6.10m、全幅2.44m、全高2.45m、重量6.3t、速度60km/h(単車時)・25km/h(牽引時)、牽引力2,500t、機関:空冷ディーゼル(90HP)、燃費23km/ℓ(牽引時)、軌間幅:3段階の変更可能=1,067mm(日本)1,435mm(中国)1,524mm(ロシア)、転路:転路用ジャッキ使用により約5分。Rail Magazine1992年3月号(No.102)所収「100式鉄道牽引車ものがたり(下)」より。作図:常味真一
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この100式(1式)鉄道牽引車は、「戦場にかける橋」で知られるタイのクワイ河橋梁横のリバークワイ駅構内にも保存されていますが、日本国内ではもちろん唯一の残存車で、こういった形で末永く保存される態勢となったのはなんとも嬉しい限りです。
投稿者 名取紀之 : 15:20
2007年08月21日
驚異のD51運転シミュレータ。
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今日発売のRM最新号「大宮に鉄道博物館ができるまで」をご覧になった方は、最後の2ページで目が点になったのではないでしょうか。そうです、これまでいっさい伏せられていた「鉄道博物館」のサプライズ=D51運転シミュレータの全貌が明らかになったのです。
▲音楽館のスタジオで動作テスト中のD51運転シミュレータ。手前が開発にあたった向谷 実さん。
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▲普段は「SL甲組」の皆さんを取材する側の椎橋さんも、今日ばかりは「機関士席」でレギュレータを引く。後ろで厳しい眼差しを送るのは“指導機関士”役の交通博物館荒木副館長。
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このD51運転シミュレータ、交通博物館館内にあったD51 426のキャブを丸ごと動揺装置付きのシミュレータにしたもので、もちろん世界初! システム開発に当たっているのは、先週末の江戸東京博物館のトークショーでもご紹介した音楽館の向谷 実さんです。12年にわたるトレインシミュレータ開発で培ってきた第一人者のノウハウと、向谷さんならではの驚異的な拘りが注入されたこのD51運転シミュレータ、かねてからご本人よりお話はうかがっていましたが、実際に体験してみると言葉を失うほどのすごさ、まるでホンモノです。
このD51運転シミュレータをひと足早く体験すべく世田谷の音楽館スタジオにうかがったのは私と「SL甲組の肖像」でお馴染みの椎橋俊之さん。日本全国の「甲組」の皆さんの武勇伝を取材し、“耳学問”としては蒸気機関車の運転を知り尽くしているはず(?)の最適任者というわけです。スタジオ中央に設置されたシミュレータは鉄道博物館に搬入される直前の最終チェック段階で、微調整は残っているものの、あとは泣き分かれた426号機のキャブに戻されるばかりとなっていました。それにしてもすべての機器類が1940(昭和15)年日車製の実物そのままとあって、これまでのプラスティッキーなシミュレータとは比べ物にならない存在感です。
▲もちろん各種圧力計類も正確に動作する。しかも指針の微妙な“震え”まで再現されているのにはびっくり。
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▲この枠が四方センサーとなった火床(左)。模擬石炭を投炭しセンサーがその位置と量を感知する。投炭センサーに合わせて“火床”のランプ群が燃え方の状態をリアルタイムに見せてくれる(右)。もちろん現在は鉄道博物館のD51 426の火室にすべて組み込まれている。
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指導機関士役の交通博物館荒木文宏副館長がまずは模範運転を披露。このシミュレータの設定線区は釜石線の花巻〜遠野間で、43系旧型客車5輌を牽引している状況を再現しています。まずは花巻発車。事前に缶圧力計と水面計を確認し、ドレインコックを開け、出発信号機の進行現示を喚呼確認、リバー(逆転機)をフルギアに。汽笛ペダルを踏んで発車汽笛を吹鳴、ブレーキを緩解し、シリンダー圧力計を見ながらレギュレータ(加減弁ハンドル)を引き、ブラスト音に合わせてすぐにカットオフを調整し…はっきり言って“素人”には発車さえおぼつきません。
このシミュレータがすごいのは、とにかく何もかもがいっさいの妥協なしに実物同様に機能し、それを的確に操作しない限りは運転できない点です。たとえば缶圧力。ペアになった助士役がセンサーを組み込んだ火室に模擬石炭を投炭し、投炭量と位置をセンサーが感知して缶圧が上下します。水も同様で、インゼクタ、給水ポンプを駆使して缶水を作らねばなりません。インゼクタの特徴的な作動音はもとより、給水ポンプにいたっては、作動中の指針のプルプルした震え方まで再現する拘りよう…絶句です。
▲すべての操作機器は交通博物館から鉄道博物館に移設されたD51 426の実物が使われている。自動ブレーキ弁ももちろんまったく実物どおりに作動するが、これがまた難しい。
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▲画面は機関士側と助士側できっちりと分かれている。鉄道博物館では旋回窓付きのキャブ前窓から前方注視することとなり、実物の蒸気機関車の運転がいかに大変かを痛感できるはず。
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すでにこのD51運転シミュレータは鉄道博物館のシミュレータホールに設置されて10月14日のグランドオープンを待っています。曲線や分岐器ともシンクロさせた究極の動揺装置が仕込まれたキャブの“乗り心地”もまさに実物そのもの。ゲームとしてではなく蒸気機関車という近代化遺産を肌で感じ、そこに携わった人びとの苦労を手加減することなく後世に伝えてゆきたいという向谷さんの思いが詰まったこのD51運転シミュレータは、海外からも大きな評価を受けるに違いありません。開館の暁にはぜひご体験あれ。
ちなみに、D51運転シミュレータ初体験の椎橋さんが果たして運転、いや発車できたのかは、本誌誌上にて…。
投稿者 名取紀之 : 12:43
2007年08月20日
“鉄研の夢”実現までの道。
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▲さまざまな紆余曲折を経て実現にこぎつけたミステリートレイン。「ゆとり」展望車(スロフ14)からのぞむ牽引機“ロクイチ”の姿は格別なものが…。'07.6.17
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6月17日、梅雨の合間の青空の下、法政大学小金井キャンパス鉄道研究会・同OB会マイロネフクラブ・法政大学鉄道研究会・同OB会 合同主催によるEF58 61牽引の「ゆとり」がミステリートレイン=HOSEI UNIV. RAILWAY CLUB UNITEDミステリー号となって北関東を走りました。明日発売のRM本誌最新号では、「鉄研の夢…“ロクイチ”が走るまで」と題して、この記念列車運転が実現するまでの一年にわたる道のりをご紹介しています。
鉄研で列車を走らせたい、それもあのロイヤルエンジンEF58 61に牽かれた記念列車を…どのクラブの皆さんも一度はそんな“夢”を思い描かれるのではないでしょうか。ところがいざそれを実現するとなると、計画立案は、交渉は、資金は、はたまた実務は…と目前に立ちはだかる障害は並大抵のものではありません。そんななか、現役・OBが一丸となって企画したこの法政大学の記念列車は、集客の心配をよそに会員とその家族によって満員となり大成功。改めて「鉄研」が育んだ“絆”の強さが証明される結果となったようです。
▲いよいよ待ちにまった品川入線。多くのギャラリーに見守られながらEF58 61がしずしずと停止位置へと進む。'07.6.17
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▲駒込付近を快走する9611レ「お座敷客車ゆとりで行くEF58 61牽引ミステリー列車の旅」。ひさしぶりの“ロクイチ”登場に沿線各所にはカメラの放列が見られた。'07.6.17 P:栗原昭宏
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本誌では実行委員長を務められた法政大学小金井キャンパス鉄道研究会の橋本祐太さんが、JRとの交渉をはじめとした舞台裏を赤裸々に綴ってくれています。ことに、希望経路の変更か牽引機の変更か、という苦渋の選択を迫られながらの奮闘ぶりは、がむしゃらだった自らの学生時代に思いを馳せて共感される方も少なくないのではないかと思います。
鉄道事業者との交渉もさることながら、最大のネックはやはり「資金」でしょう。お座敷客車「ゆとり」はJR東日本に唯一残る14系の6輌編成で定員は160名。こういったチャーターの場合の責任人数は9割なので、最低でも144名は乗せなくてはならない、もしくは相応額を調達せねばなりません。JRへの支払い期限までにどうやって集客し、支払いを完了するのか、それが最大の難関となります。さらには当日の記念グッズの企画製作、弁当や飲み物の用意、車内でアトラクション準備、事務連絡等々、記念列車が走るまでの人知れぬ苦労は尋常ではなかったそうです。
▲事前に用意された記念グッズの数々。単に列車を走らせるだけでなく、こういった小物の事前準備にはたいへんな労力が必要。'07.6.17 P:橋本祐太
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▲法政大学の校章をあしらったヘッドマークを付けて横川駅に入線する回9125レ。帰路の9316レはEF64 39が先頭にたち“ロクイチ”は最後部となる。'07.6.17 P:橋本祐太
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団塊世代のリタイアといった紋切り型の背景のみならず、鉄研OB再結集の動きが各校で広がっています。そんななかで、この「鉄研の夢…“ロクイチ”が走るまで」は、必ずや多くの鉄研とそのOBの皆さんにエールとなって届くに違いありません。今回はホビダス連動で「ゆとり」展望室から見たロクイチの動画もあわせて配信しております。動画をご覧になりながらぜひ本誌最新号を捲ってみてください。
■動画「ゆとり」展望室から見たロクイチ
※上をクリックするとホビダスTVの動画がご覧になれます。音声付きですので、再生する際は周囲の状況をご確認ください。なお、Macでは再生できない場合があります。
投稿者 名取紀之 : 16:47
2007年08月19日
向谷さんと「鉄道を熱く語る」。

夏休み後半となっていよいよ賑わっている江戸東京博物館の「大鉄道博覧会」ですが、昨日は関連イベントとして向谷 実さんと私の対談「鉄道を熱く語る!」が行われました。なんとも面映いタイトルですが、ひとこと弁明させていただくと、これは博物館の起案したタイトルで、企画の詳細が決定する前にリリースを流さねばならなかった経緯によるものです。
▲たいへん多くの皆さんにご来場いただいた江戸東京博物館映像ホールでのトークショー。向谷さんならではのキーボード生演奏もあってあっという間の1時間半だった。'07.8.18 P:東京都写真美術館
さて、向谷 実さんは改めてご紹介するまでもないかと思いますが、日本を代表するフュージョン・バンド「カシオペア」のキーボード・プレーヤーとして30年以上にわたって精力的に活躍を続けられるとともに、鉄道趣味人としてはあの「トレインシミュレータ」生みの親として広く知られています。現在は株式会社音楽館の代表取締役としてシミュレータをはじめとした数々の鉄道趣味関連コンテンツを構築されています。
そんな向谷さんですが、これまでリリースされたトレインシミュレータのほとんどが「電車」とあって、根っからの電車ファンと思われがちです。ところが、実は少年時代からの熱心な蒸気機関車ファンで、「国鉄時代」さながらに蒸機撮影に飛び回っていたそうです。ことにご親戚がいる北海道は馴染み深く、今回は自ら撮影された留萌本線のD61 5、函館本線深川(!)のC55 30、そして釧網本線北浜-浜小清水間をゆくC58といった8ミリ映像に自ら曲を重ねるパフォーマンスもご披露いただきました。しかもキーボードにはブラスト音や汽笛も仕込まれているというスペシャルバージョン。ご来場いただいた皆さんも予想しなかった展開に大拍手でした。
▲生まれ育った世田谷・二子玉川園での“原点”=東急大井町線、玉電、そして砧線との出会いを語る向谷さん。'07.8.18 P:東京都写真美術館


▲向谷さんといえば「トレインシミュレータ」。12年前の第1作誕生から最新作の台湾新幹線(日本未発売)まで、“ライブ”でなければ聞けない“秘話”も飛び出した。'07.8.18 P:東京都写真美術館
もちろん“本題”は12年以上にわたって進化し続けるトレインシミュレータです。CD-ROMドライブが内蔵されているパソコンさえ少なかった1995年8月19日(ちょうど12年前の今日)の第一作発売(中央線201系・初期受注はなんとたった350本!)から、その後大ブレークしてコンシューマ用ばかりか鉄道事業者の乗務員訓練用シミュレータまで制作するようになるヒストリーはまさに波乱万丈です。そして今回は先般完成したばかりのトレインシミュレータ「台湾新幹線」版の開発秘話を未公開のメーキングビデオを交えてご紹介いただきました。台湾鉄路局の全面的な協力のもと、スタッフも日台協同で制作されていますが、ノンストップの撮影専用列車運転計画から撮影当日の様子、そして国際回線を使っての会議、CGの制作手順と、まさに“手の内”を公開していただきました。
さらに向谷さんといえば忘れてはならないのが「発車メロディー」でしょう。鹿児島(南)から吹く風をイメージしたという九州新幹線の発車メロディーはよく知られていますが、この6月から流れている向谷さん作曲の京阪本線の特急発車メロディーに隠された秘密には会場を埋め尽くした皆さんもびっくり。その秘密とは…各特急停車駅の特徴をイメージしたうえで、実は淀屋橋から三条へ続けて聞くと一曲になっている(!)のです。
▲ご本業(?)のキーボードを持ち込んでの発車メロディーの生演奏も…。'07.8.18 P:東京都写真美術館

▲1階特設会場では「大鉄道博覧会」にちなんで多くの作品が寄せられたフォトコンテストの入賞作品展示も行われている。'07.8.18
事前打ち合わせの際に用意していた“ネタ”はこれにとどまらずまだまだ溢れるほどでした。残念ながら限られた1時間半の枠に収めねばならないため、ショートカットしたり、まったくご紹介できなかったりといった部分も多々ありましたが、ご来場いただいた皆さんには概ねご好評をいただけたのではないかと思います。それにしても毎度のことながら、向谷さんの多彩ぶりには圧倒される思いの1時間半でした。
投稿者 名取紀之 : 21:40
2007年08月18日
急行「銀河」を想う。
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▲今から34年前、東京駅で発車を待つ最盛期の急行「銀河」。10系寝台を連ねたその姿は、名だたる特急に伍して充分に輝きを放っていた。'73.7.30 東京 P:名取紀之
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毎年この季節になると思い出すのが、夜行急行の発車を待つ上野駅や東京駅ホームの熱気と喧噪です。前者はもちろん「八甲田」「十和田」「津軽」といった面々、そして後者はやはり「銀河」や「紀伊」が瞼に浮かびます。ただ、どことなく“戦後”を引きずったままのような上野駅地上ホームに入線してくる旧型客車編成に比して、新幹線と肩を並べて発車を待つ10系寝台は、同じ夜行急行でもさすが華の東海道と思わせるに充分な存在感がありました。
1949(昭和24)年9月15日、戦後初の特急「へいわ」とともに誕生した急行「銀河」は、以来実に58年間に渡って夜の東海道を走り続けてきました。もちろん東海道本線のなかで歴代最長寿急行であるとともに、単独列車の愛称としては現存最古のものです。さらに今や全国を見回してもオール寝台の急行列車はこの「銀河」のみ。趣味的にもその存在感はひときわ際立ってきていると言えましょう。
▲多客期ともなると臨時の「銀河」が増発された。写真はEF58の牽引で発車を待つ「銀河51号」。'73.7.30 東京 P:名取紀之
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さて、来週発売のRM本誌(289号)では、昨今注目を集めつつあるこの急行「銀河」をもう一度見つめ直してみようと巻頭特集を組んでおります。ヘッドマークが付かないことや、運転時間帯からして日照時間の長い夏場でないと撮影が難しいこともあって、撮影派の皆さんにとってはいまひとつ食指が動かないようですが、相次ぐ客車夜行廃止のなかでこの急行「銀河」の去就もダイヤ改正ごとに取り沙汰されており、今から再注目してみる価値は充分にありそうです。
▲臨時の「銀河51号」は全席指定の座席車で運転されていた。'73.7.30 東京 P:名取紀之
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それにしても、最盛期には臨時を含めて4往復もの設定があったこの伝統の夜行も、今では残された1往復でさえ通常期6輌(ロネ1+ハネ5)とすっかり寂しくなってしまいました。先日ローランドのメモリーレコーダーEDIROL R-09で録音をしようと勇んで出かけた“ホビダス”の女性スタッフ曰く、「北口側の階段を上っていったら入線しているはずの「銀河」がいない…と良く見たら有楽町方にちょこんと停まっている。「銀河」って短いんですね」。う~ん、最盛期を知る者としては、なんとも残念な現状ではあります。
▲「銀河51号」の先頭に立つ浜松区のEF58 161。なぜか「浜」「松」と入れられた区名札がほほえましい。'73.7.30 東京 P:名取紀之
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▲東京駅12番線に急行「銀河1号・紀伊」のブルーの編成が長々と横たわる。この時代、急行「銀河」は「紀伊」(紀伊勝浦行き)と併結したこの1号のほかにも臨時を含めて3往復が夜の東海道本線を駆け抜けていた。'73.7.30 東京 P:名取紀之
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さて、そのローランドのメモリーレコーダーEDIROL R-09で録音した「銀河」を下記で無料公開中です。ぜひ一度ご試聴いただき、最後の寝台急行「銀河」に思いを馳せていただければと思います。
■銀河を聴く!
※上をクリックすると、ローランドのメモリーレコーダーEDIROL R-09 で録音した急行「銀河」の臨場感あふれる音をお聴きになれます。
東京駅10番線アナウンス/東京駅発車〜車内放送/平塚付近を快走/静岡駅到着/朝の車内放送再開/淀川橋梁〜大阪駅到着
投稿者 名取紀之 : 12:46
2007年08月17日
『JR全車輌ハンドブック』がますますパワーアップ。
毎年ご好評をいただいているイヤーブック『JR全車輌ハンドブック』の2007年度版が完成いたしました。JR全7社から提供された2007年4月1日現在の配置表・改造資料などをもとに、蒸機、電機、ディーゼル機関車、新幹線、電車、気動車、客車、貨車の8つのジャンルに分類、約2200種にもおよぶ膨大な形式・番代を鮮明な写真と適切な解説で紹介した、まさにJR車輌のバイブルです。もちろん例年どおり巻末には各形式番代の性能、主要寸法・台車形式などを網羅した諸元表、そして形式番号順の配置表も用意しています。
ところで今年は新形式・番代の“当たり年”で、その数101車種にもおよびました。ただ、新形式は14車種で構成されるE233系と3車種で構成されるキハE130系のみ。残りは新たに追加された番代区分車であるのも特徴です。なかには一年間になんと23番代もが誕生した313系もあり、この細胞分裂ぶりには改めて驚かされます。さらにバス用の行先表示器を搭載して車体形状が大きく変更された813系など、機能面や設備面を一新した車輌も多く、この番代区分車こそが、鉄道趣味をより深く、そして楽しませてくれているとも言えるでしょう。

一方で、長らく誌面を飾りながらも2007年版で脱落してしまった廃形式もあります。初代“のぞみ”こと300系9000番代、東京地下ホーム誕生でデビューを飾った183系0番代、E331系の母体となったE993系"ACトレイン"、ジョイフルトレイン14系“浪漫”と12系“わくわく団らん”、シキ670など50形式です。これらは昨年の『JR全車輌ハンドブック2006』での掲載が最後となりました。ところで、今年度版では、変化のない形式・番代に関しても最新の写真とすべく可能な限り差し替えを行っています。一例として300系3000番代、700系、E4系、923形、189系等々…先般このブログでも取材経過をお知らせしたとおり、1形式1輌という編集者泣かせの車輌もありました。
▲2007年度版のDVDからは2画面表示も可能となった。左はDVD画面のE233系、右は当ブログの「編集長敬白」で、このようにネットを見ながら「JR全車輌ハンドブック」での検索も可能となった。
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さらに、2005年版から付録としてご好評をいただいている「JR全車輌ハンドブックDVD」に今年度版からウィンドウのサイズ変更機能を追加しました。これはネットを見ながらデータベースとして検索をしたい、という多くの方からのご要望にお応えしたものです。これにより、さらに操作性が向上しています。
もちろんDVDにも本誌同様「諸元表」と「全車輌配置表」を収録しています。なかでも、「全車輌配置表」には本誌にはない6通りの検索方法から特定車輌をピックアップすることが可能です(「サンプル動画」参照)。例えばトップナンバー車は今どこに、という検索も瞬時に可能です。頁をめくる紙媒体ならではの従来からの楽しみ、データベース検索という機能をプラスして“実戦”に強いDVDとで、今のJR車輌を様々な角度から探ることができる『JR全車輌ハンドブック2007年度版』をぜひお手にとってご覧ください。
▲DVDの配置表から豊田電車区に配置される全車輌をピックアップしたところ。総配置輌数826輌、201系、E233系などが配置されていることも瞬時にわかる。
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■『JR全車輌ハンドブック2007』DVD付録付 A4変形国際判(本誌同寸)/708頁 定価6,980円(税込)
●付録DVD動作環境について
付属のDVD-ROMは、下記の動作環境でご利用いただけます。
Windows
・PentiumⅢ 500MHz以上のプロセッサを搭載したコンピュータ
・256MBのRAM
・DVDドライブ
・Windows 2000(Service Pack 4)またはWindows XP(Service Pack 2)
・Vistaにつきましては基本的に動作しますが、検証中のため保証するものでありません。
Macintosh
・PowerPC G3、G4、G5プロセッサを搭載したMacintoshコンピュータ
・Intelプロセッサを搭載したMacintoshコンピュータ
・256MB以上のRAM
・DVDドライブ
・PowerPCプロセッサ搭載機ではMac OS X 10.3.9、Intelプロセッサ搭載機ではMac OS X 10.4.5
*諸元表にPDFファイルを使用しているため、Adobe社のAdobeReaderが必要です。
*ゲーム機・DVDビデオデッキでご覧いただくことはできません。
投稿者 名取紀之 : 16:16
2007年08月16日
カラミ電車?
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新居浜市の愛媛県総合科学博物館に「カラミ電車」なるものが保存されていると聞き、かねてより一度訪ねてみたいと思っていましたが、先日ようやく現地を訪問する機会を得ました。
▲一見「列車」とは思えない異様な外観の「カラミ電車」編成。こちらサイドに機関車の窓はない。うしろは博物館本館建物。'07.7.21
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「カラミ電車」…なんとも聞きなれない言葉ですが、「カラミ」とは鉱滓(slag)のこと。新居浜沖約20kmの瀬戸内海上に位置する四阪島の銅の精錬所で、このカラミを運搬するのに使われていた電気機関車なのだそうです。四阪島の製錬所は別子銅山支配人の伊庭貞剛が計画立案、1905(明治38)年に操業を開始したもので、1976(昭和51)年の精錬終了までの71年間で実に220万トンにもおよぶ銅を生み出したと言います。
▲集電はさながら竿竹のように長いポール。'07.7.21
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▲キャブ窓のある側。実測によればゲージは2フィート6インチ、ホイールベースは3フィート(914mm)であった。側面の「6」の切り抜き文字はシリアルナンバーであろうか? '07.7.21
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博物館裏庭に展示された「カラミ電車」は何とも形容しようのない珍奇な形態の2軸トロリー電機で、うしろには鉱滓を積む鍋型転倒車が連結されています。
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▲コントローラーとハンドブレーキ程度しか装備のない極めてプリミティブなキャブ内。戦前、四阪島には日本輸送機が3t電気機関車を仕向けた記録があるが、本機との関連は不明。'07.7.21
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説明看板からその解説を引用すると、「1921(大正10)年から昭和30年代まで、溶鉱炉から流出するカラミを液状のままカラミ壺に受け、海岸の処理場までけん引して捨てていました。一列車にカラミ壺2〜3個を連結して、当時のカラミ運搬に活躍しました。別名お壺電車とも呼ばれました」とのことで、四阪島の崖っ淵から海へと灼熱の“カラミ”を落とす様が写真付きで紹介されています。海中から立ち上るもうもうとした蒸気…今ではとても考えられない豪快(?)な産廃処理風景です。
▲バッファーと呼ぶにはあまりにお粗末な緩衝器。連結装置はこれまた原始的なピン・リンク式。'07.7.21
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▲巨大な“鍋”は高温のカラミを入れるため肉厚のがっしりしたもの。転倒はギアによる手動。'07.7.21
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それにしてもこの「カラミ電車」、製造メーカーなどの詳細はいっさい不明で、いったいどういった経緯で保存されることになったのかもわかりません。ただ、現役時代はまったく顧みられるとのなかったであろうこういった産業車輌が、公的な博物館に収蔵・展示されているのはなんとも嬉しい限りです。なお、この愛媛県総合科学博物館には館内にもクラウス製蒸気機関車のレプリカをはじめ、いくつかの特筆すべき鉄道関連展示がありますが、こちらはまたいずれ機会をみてご紹介してみたいと思います。
投稿者 名取紀之 : 15:06
2007年08月15日
『鋼製雑形客車のすべて』まもなく発売。
今日は62年目となる終戦記念日。焦土と化した中を、それでも国鉄(正確には1949=昭和24年5月までは運輸省)は一日たりとも運転を止めることなく走り続けてきました。ただ、軍需産業として統制化におかれた鉄道車輌工業は壊滅的状況に陥っており、加えて戦中の罹災、そして戦後の占領国軍による接収と、車輌の需給は困難を極め、そのなかで正規の規格とはほど遠いさまざまな車輌が国鉄線上を走りはじめることとなります。RMライブラリーNo.95でご紹介した『特別職用車』もそのひとつと言うことができましょうが、同車のようなプリビレッジな存在の対極に、ほとんど貨車のような“客車”が誕生し、そして歴史の狭間へと消えていったことはあまり知られていません。今月お送りするRMライブラリーはそんな時代の落とし子にスポットを当てた藤田吾郎さんの力作『鋼製雑形客車のすべて』です。
1953(昭和28)年、国鉄は車両称号規定を改正、この際、標準設計によらない鋼製客車54輌を「鋼製雑形客車」として分類し、1000〜2999の番号を与えました。これらの客車は進駐軍軍用列車で部隊料理車(形式記号シ)や、販売車、酒保車(形式記号ミ、ミリタリーのミ)など様々な用途に使用されていた軍用貨車からの車種変更客車や、事業用として残っていた買収私鉄から引き継ぎ客車などでした。
▲とても「シ」の記号からは想像つかない外観のホシ1860形1867号。ご想像のとおり出自は貨車ワキ1形で、部隊料理車(Troop Mess Car)として雑形客車に編入されている。車内には冷蔵庫やフィールドレンジや流し、調理台などが備わり、天井には温水と冷水のタンクがぶら下がる。(『鋼製雑形客車のすべて』より)
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▲世にも不思議な“寝台冷蔵荷物車”(?)ホミ85形の成れの果て尾久客車区救援車ナエ2704(左)と、返還後の冷蔵荷物緩急車(!)オニ6320への改造手順(右)。(『鋼製雑形客車のすべて』より)
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▲買収私鉄の鋼製客車も「雑形」として編入された。相模鉄道からは将来の電化を想定して電車然としたスタイルのホ1形などが“国鉄客車”となった。(『鋼製雑形客車のすべて』より)
本書はこの車両称号規定改正以前に消滅した車輌を含め、ワキからの転用車38輌、私鉄買収車編入客車16輌、軍用車輌運搬車13輌、キハ42000改造車1輌の計66輌(2軸車および暖房車を除く)を鋼製雑形客車と捉え、その生涯を貴重な写真と図面で詳述したもので、客車ファンのみならず模型ファンにとっても驚きの連続、必見の一冊に違いありません。
▲中国鉄道買収車のホハ7・8はもと加藤車輌製のガソリン動車。最終的には移動診療車コヤ2600となって北海道で働いた。移動診療車の車内写真も…。(『鋼製雑形客車のすべて』より)


▲移動診療車コヤ2600への改造手順(左)。右はどう見ても乗客が乗れない「客車」チホニ1900形。ただの長物車=貨車に見えるが客車の仲間で、速度制限を受けることなく客車列車として運転できる利点がある。(『鋼製雑形客車のすべて』より)
このRM LIBRARYNo.97『鋼製雑形客車のすべて』(定価:1,050円)は来週には店頭でお求めいただけるはずです。既刊『関東省電の進駐軍専用車』、『特別職用車 −占領の落とし子 薄命の歴史−』と合わせてご覧いただければ幸いです。
投稿者 名取紀之 : 17:27
2007年08月14日
「鉄道博物館」ヒストリーゾーンの全貌。(下)
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▲東北新幹線開業以前、L特急全盛期の上野駅を再現したクハ481‐26の展示。手作業で行われていた「ひばり」と「あいづ」のヘッドマーク交換の様子がリアルに甦る。手前の少年ファンがオリンパスペン(!)を持って作業に見入っているのが泣かせる。P:RM(新井 正)
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かねてより噂には聞いていたものの、ヒストリーゾーンの大きな見所でもある“情景再現展示”の拘りようには改めて驚かされます。それぞれの展示車輌ごとに、その車輌がもっとも生き生きとしていた時代を設定、さらには綿密なプロットを立てて、まるで瞬間が止まったかのごとき情景を再現しています。
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▲上野駅名物だったワイヤーに引っ掛ける乗車口案内板も忠実に再現(左)。クハ181-45(「とき」)のデッキには車販のワゴンも(右)。P:RM(新井 正)
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今日はその拘りのいくつかを画像でご紹介してみようと思いますが、いちファンとしてなにより嬉しかったのは、クハ481‐26が上野に到着してヘッドマークが「ひばり」から「あいづ」に取り替えられようとするシーンです。なんとそこにはカメラを手にした少年ファンの姿があるではないですか。しかもそのカメラたるやお父さんから借りてきたと思しきハーフ判の「オリンパスペンEE」。こういったパブリックな博物館展示でファンの姿が“顕在化”するのは本邦初です。
ところで先週「鉄道博物館」の営業概要も正式に発表となりました。以下にご紹介してみましょう。
開館時間:10:00〜18:00
休館日:毎週火曜日及び年末年始(12/29〜1/2)
※開館初年は火曜日も営業いたします。
※火曜日が休日の場合は、翌日が休館日となります。
入館料金:一般1,000円(800円)、小・中・高生500円(400円)、幼児=3歳以上未就学児200円(100円)
※()内は団体割引料金および身障者割引料金
※団体割引は、20名以上の団体に適用いたします。
※身障者割引は、身障者手帳等の呈示により、本人1名につき介護者1名まで同様に割引いたします。
駐車料金:一般車500円/日、大型バス:2,000円/日
前売券発売:特典付の前売入館券の発売を開始いたします。
・発売箇所:JR東日本の主な駅のみどりの窓口、びゅうプラザ
・発売開始日:2007年9月1日
・発売時間:発売箇所の窓口営業時間内
・発売金額:一般1,000円、小・中・高生:500円、幼児=3歳以上未就学児200円
・特典:館内のレストランで利用可能なドリンク券付
(メインエントランスにて入館券と引換時にお渡しします。)
▲その車販ワゴンに究極の拘りを発見! 冷凍みかんはもとより、森永「チョコボール」はメーカーの協力を得て当時のパッケージを再現。“キョロちゃん”も昔のまんま! P:RM(新井 正)
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▲レムフ10000の“情景再現展示”。冷蔵車を連ねた山陽本線の特急貨物だろうか、寸暇を惜しんで鮮魚の積み込みが続いている。P:RM(新井 正)
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同時に鉄道博物館の会員組織、その名も「Teppa倶楽部」(てっぱクラブ)がスタートすることも発表されました。専用のカード(「鉄道博物館」プレスリリース参照)も発行されるそうで、今から要チェックです。詳細は以下のとおりです。
目的:鉄道が大好きな方、鉄道博物館で新しい発見や体験をしたい方など 鉄道博物館をより楽しんでいただくための博物館独自の会員組織です。 会員有効期間中(1年間)は何度でも入館できます。
名称およびロゴマーク:『Teppa倶楽部』(てっぱクラブ)
年会費:一般3,000円、小・中・高生1,500円、幼児=3歳以上未就学児600円
会員特典:1年間入館無料
メールマガジンの発行
鉄道関係雑誌の年間購読割引、鉄道模型購入割引
会員限定イベントへの参加(2008年度より実施予定)
特製会員証の発行(氏名・顔写真付)
申込手続き:募集開始=2007年8月20日(月)
申込方法:Webによる申込、開館後は郵送による申込みも可能(入金確認後に会員証送付)
▲そしてこれまたびっくり! トロ箱からは活きのよい(?)フグが顔を出している。この徹底的な拘りには思わず脱帽。P:RM(新井 正)
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▲システムとしての鉄道には検修部門の重要さも忘れてはならない。しかも当地は長い歴史を誇る大宮工場のお膝元。ED40は各種工具を配置してメンテナンス中を再現している。P:RM(新井 正)
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▲木製の作業台でメンテナンスに取り組む様子がリアルに甦る(左)。右は明治期のいわゆる“マッチ箱”客車の車内灯設置風景。電灯のない時代はこのように屋根から油灯(ランプ)を入れて夜間の運転に備えた。P:RM(新井 正)
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いよいよ夢の実現まであと一歩のところまできた「鉄道博物館」、本誌連載「大宮に鉄道博物館ができるまで」もいよいよ佳境となります。どうか次号にもご期待ください。
■これまでに「編集長敬白」でご紹介した鉄道博物館建設の歩み
・いよいよ「鉄道博物館」が起工。(2005年11月16日)
・「オハ31」大宮に到着!(2006年7月31日)
・松本電鉄ハニフ1が鉄道博物館へ。(2006年10月14日)
・一年後の「鉄道の日」には…。(2006年10月24日)
・再び脚光を浴びるC51 5。(2006年11月29日)
・いよいよ全貌を現した「鉄道博物館」。(2006年12月18日)
・「鉄道博物館」本線とつながる。(2007年2月17日)
・C57 135、いよいよ大宮へ!(2007年3月10)
・オープンまであと半年…「鉄道博物館」は今。(2007年4月16日)
・「鉄道博物館に続々と車輌が集結。(2007年5月28日)
・大宮で博物館展示車輌がそろい踏み。(2007年6月1日)
・必見!「鉄道博物館」完成間近。(2007年6月25日)
・注目!「鉄道博物館」速報。(2007年7月10日)
投稿者 名取紀之 : 13:18
2007年08月13日
「鉄道博物館」ヒストリーゾーンの全貌。(上)
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▲C57 135を中心に歴史的車輌がずらりと並ぶヒストリーゾーン全景。まさに鉄道博物館の檜舞台だ。P:RM(名取紀之)
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先週金曜日に「鉄道博物館」のメイン展示室となるヒストリーゾーン(これまで歴史ゾーンと呼ばれていたエリア)の一般報道公開が行われ、すべての展示車輌が開館時の状態でお披露目されました。それぞれの車輌は前照灯や室内灯が点けられ、それぞれの展示趣旨にあったフィギュアも配置されるなど、これまでとはうってかわって実に生き生きとした表情を見せてくれました。
ヒストリーゾーンの中心を占めるのはもちろんC57 135。新造された転車台はボタン操作ひとつで回転し、前照灯をともしたC57 135は今にも動き出さんがばかりの迫力で見る者を圧倒します。さらに驚きなのはそれぞれの展示車輌にきちんとしたテーマとプロットが設定されていることです。クハ181‐45の停まるホームは上屋の骨組みからコンクリートの質感まで忠実に新潟駅を再現したものとなり、片やクハ481‐26の方は上野駅での「ひばり」と「あいづ」のヘッドマーク交換の様子が再現されるなど、背景となる“時代”を浮かび上がらせる展示が感動的でさえあります。
▲C57 135が載った転車台はボタン操作ひとつで回転する。これまた圧巻!P:RM(新井 正)
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▲前照灯や室内灯が点いて生き生きとした表情のクモハ40。車内には等身大の乗客フィギュアが満員状態で載せられており、戦後の通勤ラッシュの様子を再現している。P:RM(新井 正)
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この“情景再現展示”と呼ばれる展示方法は、欧米の鉄道博物館では比較的よく見られる手法ですが、全面的に取り入れられるのはわが国ではこの鉄道博物館が初めてとなります。シロクマやアザラシの生き生きとした姿を“行動展示”という手法で伝え大人気を博している旭山動物園の例を挙げるまでもなく、展示はただ置いてあるだけでは感動を呼びにくいものです。その面でもこの展示方法には大きな拍手を送りたいと思います。明日はこの“情景再現展示”の数々をご覧にいれたいと思います。
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▲長さ75メートルに及ぶ日本の鉄道史を綴った大年表。その下には数々の貴重な実物資料や大型模型が展示されている。P:RM(新井 正)
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▲これが御料車の展示スペース。空調管理された巨大なケースの中に並ぶ
