「思い出の「筑波」号」によせて。

6月7日付けの本欄「思い出の「筑波」号」をご覧になった読者の方から、80年代になってヘッドマークが取り付けられてからの「筑波」号の写真をお寄せいただきましたので、今日は再びその姿をご覧に入れましょう。
▲特製のヘッドマークを掲げて12系6輌の「筑波」号を牽引するDD501。'83.5.3 P:幾代 裕
写真を送ってくださったのは東京都の幾代 裕(いくよ ゆたか)さん。前回私が後年のヘッドマーク付きの写真としてリンクをはった姉妹ブログ「わが国鉄時代」にご投稿いただいたご本人です。「実はこの写真、12系客車の編成が切れているので気になりつつも投稿したのですが、この土日にネガの整理をしていたところ、この2日前に同じ場所で撮ったきれいに編成が最後まで入っている写真を見つけました。また朝の真鍋機関区でヘッドマークを付けて待機しているDD501の写真もありました」とお送りいただいたのは1983(昭和58)年5月3日撮影の「筑波」号。いかにも手作り風の大きなヘッドマークには、筑波山と平仮名で「つくば」の文字が描かれています。
▲朝の真鍋機関区で晴れ舞台を待つDD501。エンドビーム下に枕木方向に抱え込んだマフラーがものものしい。'83.5.3 P:幾代 裕
クリックするとポップアップします。

▲ロッド式の足回りを持ちコンパクトにまとまった外観のDD501のプロフィール。同形機が西濃鉄道(もと日軽金蒲原)にもいた。'83.5.5 P:幾代 裕
もう四半世紀も前のことなので記憶が定かではありませんが、と断り書きのうえメールには「筑波」号との出会いも綴られていました。
「大阪生まれ大阪育ちの私が初めての転勤で東京に出てきて(結局そのまま東京に居ついてしまいましたが)、前から行きたかった筑波&鹿島鉄道へ出かけたのだと思います。非電化ローカル私鉄も好きですが、北丹はもちろんのこと、江若も間に合わず、かろうじて尾小屋、片上、岡山臨港、水島臨海、別府あたりを見た世代としては、茨城県の茨交を含むこれらの非電化ローカル私鉄を一度ゆっくりとみたいと思っていました。で、GWには「筑波」号も走ることだしと、まず5月3日に出かけたところ、期待通りの素晴らしさに、続けて5日も再訪したのだと思います。ネガを見ていますと、両日ともに午前中は筑波、午後からは鹿島に転戦したようです。鹿島ではこれまた見たかったDD901にも会え、好天に恵まれたこともありとても充実した撮影行だったはずです。」

▲「ぜひ見たいと思っていた北陸鉄道から来たバケットカー、キハ541もいました」と真鍋機関区で撮影したキハ541の写真もお送りいただいた。'83.5.5 P:幾代 裕
「筑波」号を、そして常磐沿線の非電化ローカル私鉄をゆっくりと楽しんだゴールデンウィークの一日が行間から伝わってくるようです。幾代さんは最後に「なお、構内での写真は許可を得て撮影しています。まぁ、許可といっても“すいませんー、写真撮らせて下さーい。”、“いいよー、でも気をつけてなー。”程度のことですが。昔はだいたいのところがそんなものでしたよね。」と記されていますが、そんな現代では考えられない“余裕”も含めて、「筑波」号の時代がなおさら懐かしく輝いて思えるのかも知れません。



