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2006年06月11日

忘れ得ぬ「ローライ35」。

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少なからずカメラには拘りを持って接してきたつもりですが、いろいろな意味で忘れられないカメラのひとつが「ローライ35」です。ご存知の方も少なくないと思いますが、ローライ35はカメラ設計の神様とも言えるハインツ・ヴァースケの手によって1966(昭和41)年に誕生した近代コンパクトカメラの最高傑作で、35ミリフルサイズとしては究極の小型化を実現した名機です。
▲わがローライ35SEと「元箱」。値段のわりに渡された箱の小ささに愕然としたのを昨日のことのように思い出す。

35SE2.jpg生来、コンパクトながらメカニカルなものに強く魅かれる性分だけに、昭和40年代からこのローライ35は憧れの的でした。レンズがかのカール・ツァイスから直接供給されるテッサーというのも、実際の性能はともあれ強く訴えかけるものがあり、いつかはわが手にしてみたいものと思っていました。しかし、平屋だった時代のヨドバシカメラでキヤノンFTbブラック・50ミリF1.4付きが48,000円の時代に、ローライ35は5万円を超えており、コストパフォーマンスから考えてもとても手の出せる代物ではありませんでした。
▲「SE」はブラック仕様を選んだが、概してローライ35の黒は表面処理が弱く、経年変化とともに梨地となってしまうのが難点。シンガポール工場製だが、巷間の評価とは無関係に実に完成度が高い。

35SE3.jpgいつも心の片隅にローライ35の影があったのですが、70年代も終わろうという1979年、ゾナー40ミリF2.8を搭載した究極仕様の「ローライ35SE」が発売されると、どこからともなくあれがローライ35のラストバージョンらしいという声が聞こえてきました。すでにこの頃になると国産コンパクトが市場を席捲してきており、一方で主力の二眼レフの不振もあってローライの経営状態はまさに火の車。たしかに「SE」は最後の大輪のようにも見えたのです。
▲こちらは本国製のオリジナル「ローライ35」。レンズはもちろんカール・ツァイスから供給を受けたテッサー。

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ただ、その時点でさえ5万円を超えるローライ35はとても現実的な選択肢ではありませんでした。ところが、バイトでためた虎の子を手に「一眼レフ」を買おうとカメラ屋に向かった私が抱えて帰ってきてしまったのは「ローライ35SE」でした。店頭でさんざん逡巡したあげく、えいやっとばかり買ってしまったのは実用性よりも長年の憧れだったのです。
▲裏蓋全体を取り外してフィルムを装填する(左)。決して操作性は良くないが、究極の小型化には絶対条件だったはず。右はレンズを沈胴させているところ。卓越した機械加工ならではのスムースな動きが心をくすぐる。

かくしてわが手に収まったローライ35SEでしたが、とにかく使ってみて腰を抜かさんばかりに驚いたのはその写りの良さでした。目測による距離調整というウィークポイントはあるものの、ポジフィルムでも入れようものならHFTゾナーの解像力は並の一眼レフを遥かに凌駕し、まさに目の覚めるような描写力でした。以後十数年に渡ってポケットにすっぽりと収まる“高性能機”として四六時中行動を共にすることとなります。その後仲間に加わったオリジナル「ローライ35」(ドイツ製の初期ロット)ともども、最近ではとんと出番がなくなってしまいましたが、今もって5指に入る愛機であることだけは確かです。

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▲その小ささと精密さ、さらにはインダストリアル・デザインとしてのまとまりは、同じドイツのコッペル製小型機を連想させる。ローライ35SEで撮ったジャワ島パキス・バル製糖工場のコッペル製1号機(1900年製)。'91.7.18

投稿者 名取紀之 : 2006年06月11日 20:46

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