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2006年05月06日
“流改”のC55。

手もとに「C55流線形復元改造組立」と題した一枚の図面があります。国鉄車輌局動力車設計課・昭和25年9月22日の日付のあるこの組立図は、流線形で竣工したC55の2次型20〜40号機を、普通型と同様の形態に戻すための基本図です。
▲名寄で発車を待つ旭川機関区のC55 30。キャブ裾に特徴的な切り欠きが見える。'72.3
C53 43とともにわが国の数少ない流線形蒸気機関車として知られるC55の2次型ですが、“雲形定規”と形容されるその特異なシルエットの割には、残された写真はきわめて少なく、21輌にどんな個体差があったのかどうかを含めて、今もって謎の部分は少なくありません。というのも、この“流改”のC55に素朴な疑問を抱いたのは、旭川区のC55 30でした。何度も目にしているお馴染みのカマで、流線形改造機であることは先刻承知でしたが、ある時ふと奇妙なことに気付きました。キャブ裾の斜めの切り欠き(?)です。それまでずっと流線形のカバーリングを外すとこのような形が残る…とばかり思い込んでいたのですが、流線形時代の写真や組立図を見ても、どう考えてもカバーはこんな形を残して外れそうもありません。
ではこの三角形の“バリ”のようなものは何なのでしょう。C55の2次型は20号機が汽車、21〜33号機が川崎、34〜40号機が日立とメーカーが分れており、「汽車会社の1輌とその他の20輌とは完全に同じではなく…」(金田茂裕『形式別国鉄の蒸気機関車』)との記述もあることから、ひょっとしたら製造会社による違いかとも考えました。ところがこの切り欠きが確認されているのは、30号機をはじめとして20号機(汽車)、26号機、28号機(川崎)、さらには39号機(日立)等々と全メーカーに及んでいます。
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▲国鉄本社車輌局によるC55流線形復元改造組立図。斜めになっていた煙突などは普通型に改造しつつも、前照灯、汽笛、安全弁座などは流用する旨の指示がある。よく見るとキャブ裾には問題の切り欠きも描かれている。なお、余談ながら臼井茂信さんは著著『機関車の系譜図』のなかで“復元改造とは表現が適切ではない”と書かれているが、確かに“復元”ではなく普通型化改造とする方が的確かもしれない。
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それでは改造工場による相違なのかといえば、復元改造を施工したのは20〜23と29〜32が鷹取、24・25と36〜40が浜松、26〜28と33〜35が小倉で、現認できたものを当てはめても全工場に及んでおり、工場による違いでもなさそうです。
今回掲げた改造組立図の別注でもいっさい触れられてはおらず、結局この切り欠きの正体は何で、どういう経緯で残ったのかは今もってわかりません。ちなみに、空力ばかりが語られがちなこのC55の流線形ですが、国鉄工作局動力車課編纂の『日本における蒸気機関車の発達』(1956年/未刊)によれば、専ら「煙突から吐き出す煙が列車にからみ着くのを防ぐ実際的な利益」が狙いだったとのことです。
投稿者 名取紀之 : 2006年05月06日 01:05

