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2006年03月27日

32年前の“今日”へ。−1974年北海道の旅− (6)

3月28日
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疲れがたまっていたのか、すっかり熟睡してしまい、気がつくと517レ「大雪5号」はC58 391の牽くいわゆる“大雪くずれ”1527レとなって網走目指して走り続けているところでした。すでに車窓には朝日が…前夜一緒だった神戸の高校生たちは予定通り遠軽で下車したのでしょう、ボックス席は私ひとりになっていました。
▲期待した流氷はすでにほとんど沖合に去ってしまっていた。小さなトラスの架かる常呂川橋梁(156m)を行く1990レ。'74.3.28 能取-常呂

1527レの網走到着は7時56分。今日はこれまでの渡道でも足を踏み入れたことのない湧網線のたった1往復の9600の貨物を狙うつもりですが、何よりも気になるのは運行状況です。ボッと短笛を残して引き上げてゆくC58 391を見送るのももどかしく、網走駅の運転事務室へと向かいます。湧網線の今日の貨物運行を確かめようというわけですが、事務室へ入るとすでに同じ用件の先客が…。今年立教大学に受かったばかりという彼も湧網線の9600狙いだそうで、それではと一緒に8時15分発924Dに乗り込むことにします。彼は浜床丹-計呂地間の峠越えを佐呂間湖バックに撮るつもりとのこと。
話していると昨日の三重連5290レの話題になりました。彼は志文で撮ったそうで、岩見沢方から延々と煙がついてきて、通り過ぎる瞬間ナンバープレートが西日に紅く染まり、「奥中山の三重連よりよかった」と興奮ぎみに語っていました。年齢的に「奥中山」に間に合っているとは思えないのですが、この当時、「奥中山」の3文字は何事をも黙らせてしまう魔力に満ちていたのです。

105n.jpg924Dのキハ22 12から眺めていると、能取湖や網走湖は完全に氷結しているものの、オホーツク海には期待したほど流氷はなく、流氷バックに常呂川橋梁で狙おうというプランが次第に不安に思えてきました。それでも初志貫徹、計呂地へ行きませんかという立教の彼の誘いを断って、9時23分常呂駅に降り立ちました。マイナーな湧網線とはいえ、この日の924Dには10人近くのファンが乗り合わせていたでしょうか。常紋の補機DL化など、誰もが被写体をローカル線に見いださねばならない時代になっていたのです。
▲常呂駅構内を出てゆく1990レを200㎜で遠望する。オホーツクの海沿いに広がった常呂の町の一番海よりに駅がある。'74.3.28

常呂とはアイヌ語のトーコロからきた地名で、湖のある場所という意味だそうです。国定公園サロマ湖に隣接し、オホーツク海岸にへばりつくように続く家並は、ほとんどが漁業関係で生計をたてているようで、ことにホタテの名産地として知られるだけに、町のそこここに漁網やら漁具やらが見受けられます。
さて、今日の貨物は常呂駅11時27分の1990レと15時16分の1991レの1往復のみ。網走駅で買ったカステラと常呂駅で仕入れた“ミスター・ピブ”という怪しげな清涼飲料を朝食にして、能取側に少し戻った常呂川橋梁を見下ろす丘の上の海難慰霊碑付近にポジションを構えます。定刻、ワサフ1輌を従えてやってきたのは常紋の補機時代からお馴染の69644〔遠〕。下り込みだけに流氷バックとはいうものの、たいした絵にはならず、ちょっとがっかり。おまけに一緒に撮影していた人から、DLの不調で18〜20日にかけて常紋に9600補機が復活したという話を聞き、やはり神戸の彼らと一緒に常紋に行けばよかったかと、軽い後悔の念に取りつかれるのでした。

1991レまでは4時間近くありますから、ともかく駅に戻って昼食をとることにします。駅前の十字路角にある「常呂駅前食堂」で肉丼なる丼物250円也を食します。70円のみそ汁も50円におまけしてもらって、久しぶりにゆっくりと食事らしい食事です。味こそ多少濃いめながら、この肉丼、なかなか美味しく、まずは大満足。気をとりなおして、ふたたび常呂川橋梁にとってかえすことにしました。

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1991レはさきほどの海難慰霊碑よりさらに海よりのポジションで狙うことにします。湧網線は佐呂間〜計呂地間の25‰以外はほとんど勾配がありませんが、ここ常呂川橋梁の先は能取に向けて18‰の勾配があり、半逆光ながら一応力行する姿を捉えることができました。
▲半逆光に白煙が輝く。能取に向って常呂川橋梁上を力行する1991レ。'74.3.28

常呂から網走に戻るDCは17時50分までありません。キオスクのおばさんと世間話などをしながら時間をつぶします。名産のホタテの養殖は、現在の稚貝の殼に穴を空けてハリスを通して海中に吊るす手法が確立するまでは、大変な試行錯誤の連続だったそうです。胃が悪いというこのおばさんに、山仕事をしている知り合いが胃病に効くというサルノコシカケを差し入れにきたところで閉塞機の音が鳴り、帰りの927Dが接近。丸一日を過ごした常呂をあとにしました。

tokoro.jpg927Dに乗ると、計呂地へ行った立教の彼が乗っていました。それなりに収穫があったようで、網走で一緒に夕食をとることにします。駅前の食堂で「学生ラーメン」という奇妙な名前のラーメン(180円)とライス(60円)を食べ、20時33分発の「大雪5号」(北見までは普通1528レ)を待ちます。立教の彼は手持ちのトライXが残り4本になってしまったので、写真屋さんを探してフィルムを手に入れたいと落ち着かぬ様子です。もしよければお分けしましょうか…と申し出るものの、こちらのトライXは長巻を自分で巻き直したもの。「ハコに入っていないと…」と彼。まぁ、もっともな話です。逆の立場でも、旅先で出会っただけのファンが自分で巻いたフィルムを使う勇気はないでしょう。

この日も「大雪5号」は結構な乗車率でした。例によって遠軽までは先頭となる8号車(スハフ44 15)に乗車、明日は深川で降りて留萌本線へと向うつもりです。立教の彼は旭川(3時20分着)で下車して富良野線に入る予定とのこと。C58 213〔北〕に牽かれた1528レは定刻20時33分に網走をあとにしました。

投稿者 名取紀之 : 2006年03月27日 16:35

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