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2006年03月24日

32年前の“今日”へ。−1974年北海道の旅− (3)

3月25日
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目覚めると5時過ぎ。しまった! 4時45分着の苫小牧で下車するつもりだったのに寝過ごした…と思いきや、目をこらしてみると車窓にはまだ漆黒の海岸線が続いています。そう、この「すずらん4号」は函館を42分も延発しているのでした。ただ、定刻だと苫小牧から接続するはずの4721Dはすでに発車してしまったあと。やむなく次発の221レで今日の撮影地・栗丘に向かうことにします。
▲栗山隧道を飛び出してきたのは「団結」の文字も鮮やか(?)なC57 135〔岩一〕。まさかこのカマが最後の旅客牽引機となり、交通博物館に収まろうとは、もちろんこの時点では思ってもみなかった。'74.3.25 栗山−栗丘

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221レの牽引機は緑ナンバーのD51 260〔岩一〕。どこかで見たような…と思いきや、テンダー上の1500ℓ重油タンクで記憶が蘇りました。そう、新津にいたカマです。たしか会津若松の庫で撮影したことがあるはずです。久しぶりの再会にひとコマだけシャッターを切るものの、あとはオハ35 714のボックスに足を伸ばして続きの睡眠を貪ることにします。
▲苫小牧で発車を待つ221レのD51 260〔岩一〕。この時点ではまだデフは切り詰められていない。'74.3.25 

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栗丘には7時36分着。道内の無煙化も急速に進んできており、本数を稼げるという面ではここ栗丘が人気のポイントとなってきていました。221レからも60人ほどが狭いホームに降り立ちました。栗丘−栗山間は大した勾配もありませんが、上下線が大きく開いていることもあって撮影アングルにはことかきません。ただ、やはり順法闘争の影響でダイヤはあってなきがごとく。築堤斜面に陣取った面々は汽笛に合わせて終日右往左往することとなります。
▲栗丘“お立ち台”の賑わい。上り線は4‰に抑えられているとはいえ、新栗山隧道に向かう石炭列車はそれなりの迫力だ。'74.3.25 

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▲ギースルの排気音を残して“お立ち台”脇を通過してゆくD51 328。'74.3.25 

IMGP6207n.jpg結局夕方まで栗丘で過ごしたもののたいした収穫はなく、それよりも明日予定されているというストライキの方が気になりだしました。このまま“本線筋”にいてもまともに撮影できる確率はきわめて少なく、ならばと急遽予定変更、明日は夕張鉄道か北炭真谷地専用線を狙うことにします。栗丘駅でファンノートに記入し、230レのオハ62 106で追分へ。今日は夕張に泊まろうという腹積もりです。

IMGP6203n.jpgところが230レの車内で栗丘駅に手袋を忘れてきたのに気づきました。とりたててどうということはない手袋ですが、今後の行程を考えるとあるに越したことはありません。ちょうど追分駅で乗り継ぐ夕張線737Dが遅れている室蘭本線下り229レの接続待ちをしている間に駅事務室から栗丘駅に鉄電を掛けてもらい、一両日中に通りかかった際に引き取りに行くことにしました。
▲『道内時刻表』の室蘭本線のページ。「D以外は蒸機」の注意書きに注目!

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夕張に泊まるといっても別に宿の予約をしてあるわけではなく、結局、夕張駅で紹介してもらうことにしました。駅から電話してもらったのはその名も「夕張旅館」。駅員はすぐわかりますよ、と送り出してくれたものの、これがまったくわかりません。薄暗い炭住の間を通ってようやく行き着いたところが何と「夕張炭礦病院」の廃墟。さきほどホームから見たD51重連の白煙が駅方向にたなびいているのを目印に、ほうほうの体で逃げるようにその場をあとにしました。
▲時刻表では客レはすべて蒸機とはいうものの、無煙化は着々と進行しており、DD51の姿もちらほら見かけるようになっていた。'74.3.25 

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やっとの思いでたどり着いた夕張旅館は想像とまったく違う小さな商人宿で、おまけに2食付き2500円というではないですか。それならばと素泊まり1500円でお願いし、何はともあれ3日ぶりに畳の上で寝ることにします。赤々と燃えるオガライトストーブの上では鉄瓶が鳴り、駅の駐泊所から聞こえてくるD51の汽笛を耳に眠りにつこうとしますが、考えてみると、今日は追分で夕張行き737Dに乗る時に食べたパンとコーラ、それに夕張駅で仕入れてきたカステラ50円也しか口にしていません。床の間に掛けられた古びた掛け軸がいよいよ気分を暗くさせ、ケチらないで2食付きにしておけばよかったと、後悔の念が湧き上がってくるのでした。
▲給水温め器排気をまつわりつかせながら上り線をかなりの高速で駆け抜けるC57 38〔岩一〕。'74.3.25 

投稿者 名取紀之 : 2006年03月24日 10:31

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