32年前の“今日”へ。−1974年北海道の旅− (10)
4月1日

3時39分、何とか深川で「利尻」を下車。今日は再び増毛へと向かうつもりです。稚内から一緒になった大沢先輩とその連れの中3と3人、待合室で留萌本線の始発を待ちます。例のFTbブラックの彼はそのまま「利尻」で札幌へと去ってゆきました。
▲増毛の転車台で転向する19609。ここ増毛のターンテーブルは機関車のエアーを利用して回転するタイプで、そのぎくしゃくした動きから“尺取り虫”と通称されていた。'74.4.1
深川駅待合室でうとうとしていると、やがて上り「大雪5号」が到着。4時13分、「大雪5号」から降りて待合室に入ってきたのは例の立教の彼ではないですか。とにかくこの時期、渡道している多くのファンが、「利尻」、「大雪」、「すずらん」、「狩勝」といった夜行急行を“寝床”として巡回していますから、こんな風に二度三度と出会うことは決して珍しいことではありませんでした。
4人となった私たちグループは、深川5時42分発の留萌本線始発羽幌線直通羽幌行1821Dで留萌へと向かいます。ただ、前回とはうって変わって、朝靄の彼方から太陽どころか、外は暴風雨になってきてしまいました。この分では雄冬連山も拝めそうもないな…と一同なかば諦め顔です。立教の彼は今日の「おおぞら3号」→「みちのく」の指定をとってあるのだそうで、この留萌本線が最後の撮影になります。
▲3日前の3月29日の絶景から考えると見る影もない増毛発7774レの姿。この写真ではわからないが、とにかくえらい風雨である。'74.4.1
7時03分留萌着。7時31分発761Dで増毛へと向かいますが、一応念のため今日の運行を駅案内所で確認しておきます。またしても助役が親切に鉄電で問い合わせてくれ、その面ではひと安心。ところが風雨は強くなるばかりで、増毛に到着してみると傘さえさしていられないほどの暴風となってしまいました。留萌港は“3大波浪港”として知られているそうですが、この日の増毛も結構な荒れようでした。
▲しかもやってきたのはしっかり「団結」の文字が浮き上がる19609。'74.4.1 増毛−箸別
ずぶ濡れになりながら待つことしばし、9時41分定刻にやってきたのは、こともあろうに今朝方深川で目にした「団結号」19609ではないですか! すっかりやる気をなくして駅前の雑貨屋に食料を求めて入ったものの、手にとった40円なりのサバの缶詰は2年ほど前に製造された埃をかぶったもの。どうもとことんついていません。仕方なくカップヌードルを買って、11時ちょうど発の762Dでひとつ手前の箸別へと向かいます。この期におよんでもまだ雄冬連山に未練があったのです。
結局、第二箸別のバス停小屋で風雨を避けながら7774レをなんとか撮影、バスで留萌駅前まで戻り、13時53分発736Dで峠下へと向かいました。留萌でD61が充当されることを確認した1792レを峠下を出た10‰で狙います。この頃にはようやく天候も回復基調で、半逆光ながら、峠下隧道に登りつめてゆくD61 4の姿をしっかりと捉えることができました。
▲峠下を通過するD51プシュプルの6783レ。結構なスピードで本務機がタブレットキャリアを投げ込んでゆく。'74.4.1

峠下16時15分発の826Dのキハ22 121で深川へ、9分ほど延着した604D急行「大雪3号」のキハ56 40で札幌へと向かいます。いつもなら日のあるうちに撮影を切り上げて札幌へ向かうなどありえないことですが、今日4月1日夜は渡道している鉄研仲間が札幌に集合する約束になっているのです。
▲運炭線区だけあって最急勾配は10‰程度に押さえられているものの、ふたつの隧道を擁する恵比島−峠下間は留萌本線最大の難所である。盛大なブラスト音を響かせて峠下を出る1792レのD61 4。'74.4.1
「おおぞら3号」に乗る立教の彼とコインロッカーの前で別れ、私と大沢先輩は集合場所の緑の窓口へと向かいます。すると、驚いたことにメンバー以外の懐かしい顔があるではないですか。去年の渡道の際、浜頓別で知り合い、我々鉄研の仲間とも行動をともにしてきた愛知県春日井市のU君です。一昨日、撮影地で同期の土屋君と出会い、行動をともにしていたものの、土屋君とは昨年会ってはおらず、まさか我々の仲間とは思ってもいなかったとのこと。それが翌日、去年一緒だったやはり同期の中山君と再会し、土屋→中山→名取のラインがはじめて結びついてびっくり。ならば是非…と今日の集合に飛び入り参加してくれたのだそうです。残念ながらちょうど今日帰路につくそうで、一緒に撮影することはかないませんが、皆で「どさんこ」でラーメンを食べ、駅地下街の喫茶店「みかど」でこころゆくまで語り合いました。教員になる夢を熱く語っていた春日井のU君や鉄研の仲間たちに見送られ、5番線から「狩勝4号」の1号車スハフ44 3に乗車、明日は今回初の道東へと足を伸ばします。


324レの勇知到着は8時37分。抜海方に戻った辺りで牧場のサイロをバックに朝日の中のC55をシルエットで狙おうというのです。チャームポイントである水かきスポークがうまく抜けてくれることを祈りながらシュート。それなりの手ごたえを得たものの、この324レと次の兜沼で交換する333Dで南稚内へ取って返し、天北線に乗り換えねばなりません。333Dの勇知発車は8時57分、気が付くともう10分ほどしかないではありませんか。
結局724Dに乗っていたファンの大半は小石で降りてしまい、浜頓別で降りたのは例のFTbブラックの彼を含めて5人ほどでした。11時45分発925Dのキハ22 23でまずは先行した1991レが到着しているはずの終点・北見枝幸へ。牽引機の9600が「団結号」かどうかを確かめようというのです。果たして39631〔名〕はキャブにこそ石灰の跡が残るものの、まずは大丈夫、折り返しの926Dで定番撮影地の斜内へと向かいます。
今年の斜内山道にはすでに流氷はなく、おまけに天気が良いこともあって、この時期のオホーツクとは思えないほどのどかな風景が広がっていました。斜内の海岸から打ち寄せる波を入れて北神威岬灯台をゆく1992レを狙いましたが、ちょうど列車に合わせて線路が翳ってしまい、ちょっと残念。一緒に撮影したFTbの彼と一緒にバスで浜頓別まで戻ることにしました。






車窓からロケハンをしながら増毛まで行き、折り返しの762Dでひとつ手前の箸別という乗降場に降り立ちました。暑寒連嶺と呼ばれる暑寒別岳を中心とした雄冬の山々が、大きく弓形を描く増毛湾のバックに聳え立ち、定期の蒸機牽引列車があれば結構な有名撮影地になったとのではと思われるほどの絶景ポイントです。国道のオーバークロス上から見渡すと、海にはウニを採る小船が浮かび、その上空を“ゴメ”と呼ばれるカゴメが盛んに飛び交っています。▲増毛駅で折り返しを待つキハ22 137。画面右手がすぐに海岸、左の本屋を出るとニシン御殿も散見される増毛の町である。'74.3.29
「第二箸別」と書かれたバス停の小屋で寒さを凌いでいると、バスを待つ地元のおばあさんが連れの小さな女の子に、ニシンで賑わった昔の増毛の様子を語り始めました。増毛に港が出来ていなかった頃はシケるとこの箸別辺りに船が座礁して、満載したニシンが海岸に散らばることがよくあり、自分たちもよくそのニシンを拾いにいったものだ…と語るおばあさんの話に、女の子はつまらなそうに耳を傾けていました。「ゴメたちもああやって昔を忘れられずに集まってくるんだよ」と上空のカゴメを指して語るおばあさんの姿が強く印象に残っています。
第二箸別から留萌へはバスで戻り、昼食がわりにゆで卵(100円)を買い込んで、13時53分発736D(キハ22 86)で深川へと向かいます。例の室蘭本線三重連5290レをリテイクしようというのです。途中、峠下でD51 4を先頭にした後部補機付き6783レと交換、深川からは15時33分発の816D急行「なよろ1号」のキハ56 203で岩見沢へ。わずか4分の接続で16時31分発230レに乗り込みます。車内では今朝方「大雪5号」で別れた立教の彼と再会。次の志文で一緒に下車しましたが、すでに5290レの三重連運転の情報はあちこちに流れたらしく、志文で下車したファンは20人以上に達していました。

924Dのキハ22 12から眺めていると、能取湖や網走湖は完全に氷結しているものの、オホーツク海には期待したほど流氷はなく、流氷バックに常呂川橋梁で狙おうというプランが次第に不安に思えてきました。それでも初志貫徹、計呂地へ行きませんかという立教の彼の誘いを断って、9時23分常呂駅に降り立ちました。マイナーな湧網線とはいえ、この日の924Dには10人近くのファンが乗り合わせていたでしょうか。常紋の補機DL化など、誰もが被写体をローカル線に見いださねばならない時代になっていたのです。
927Dに乗ると、計呂地へ行った立教の彼が乗っていました。それなりに収穫があったようで、網走で一緒に夕食をとることにします。駅前の食堂で「学生ラーメン」という奇妙な名前のラーメン(180円)とライス(60円)を食べ、20時33分発の「大雪5号」(北見までは普通1528レ)を待ちます。立教の彼は手持ちのトライXが残り4本になってしまったので、写真屋さんを探してフィルムを手に入れたいと落ち着かぬ様子です。もしよければお分けしましょうか…と申し出るものの、こちらのトライXは長巻を自分で巻き直したもの。「ハコに入っていないと…」と彼。まぁ、もっともな話です。逆の立場でも、旅先で出会っただけのファンが自分で巻いたフィルムを使う勇気はないでしょう。




夕張新砿近くのポジションを目指して歩き始めると、後ろからついてくるファンの姿が。真谷地は初めてとのことで、それならばと定番のポイントに案内して一緒に撮ることにしました。夕日を浴びながらヤマへと帰ってゆく22号機を見送り、神戸の高校一年生だという彼とすっかり意気投合、運用の関係からこのところ三重連になっているという室蘭本線の5290レを一緒に撮りにゆくことにしました。彼の「日南3号」や「高千穂51号」の撮影武勇伝を聞きながら目指したのは栗山。砂川から室蘭へ石炭を落とす5290レは栗山の到着が18時ちょうど。この季節としては晴天でもほとんど露出があるかどうかというところです。
昨日と同じ追分17時24分発の229レは、今日は44号機ではなく、ちょうどプラス100した番号のC57 144〔岩一〕が先頭に立ちました。客車はオハフ33 1032。栗山の到着は17時54分ですから5290レとほとんど交換です。229レが停車するのももどかしくデッキから飛び降りると、対向ホームの助役さんが「三重連が来るから早く撮りなさい」と叫んでいます。見ればもう彼方に前照灯が…。露出は開放(f2.8)でも1/125がやっと。しかもほとんど絶気状態で迫力もへったくれもありませんが、満載したセキ45輌を連ねたさまは室蘭本線を象徴する姿にほかなりません。
野幌までの所要時間は36分。しかしこの列車の揺れることといったらありません。とにかく今にも脱線するのではないかと思われるほどで、座席に座っていてもしがみついていないとならないありさまです。ことにスロットル・オフした時のTR29台車の飛び跳ねようは筆舌に尽くしがたいものがありました。それでも車内補充券を買ったのをきっかけに手持ちぶさたそうな車掌さんとすっかり意気投合、遊園地まであった錦沢のかつての賑わいの様子などを聞き、「もういらないから」と携帯品のダイヤまでもらってしまい、実に気分よく野幌に到着したのでした。
夕鉄車内で出会った、今度は高校三年生というやはり神戸のファンと3人で札幌へ向かい、定番の「宝龍」で味噌ラーメン250円也を食し、札幌22時15分発の517レ急行「大雪5号」のスハ45 6の20番ボックスを占領して深い眠りに落ちたのでした。
ストの関係で追分止めとなった3540Dは、その先の接続もわからないためか乗客もまばらでした。キハ22 221〔札サウ〕に揺られてとりあえずはストと関係なさそうな北炭真谷地専用線のある沼ノ沢へと向かうとこにします。ところがこれがアサハカの極みで、国鉄貨物が止まっているのに専用線が出炭するはずもありません。案の定、沼ノ沢から1キロほどの地点にポジションを構えたものの、待てど暮らせど列車はやって来ず、ついに断念。“素泊まり”ゆえ朝食もとっていないので、とにかく駅に戻って朝飯を食べることにしました。
沼ノ沢駅前には「かど蛯食堂」という駅前食堂があるだけ。選択の余地はなく、暖簾の出ていない引き戸をガラガラと開けて覗き込むと「今日はまだなんですよ」との声。まだと言われても、コンビニがあるわけでもなく「何かできませんかねぇ」と問い返してみると、ウチの食事でよければ…ということになりました。隣のテーブルでは店の子でしょう、高校生くらいの男の子が深刻な表情でベストセラー『ノストラダムスの大予言』を読みふけっています(もちろんこの時点で彼はこの大予言が“大ハズシ”になることは知るよしもありません)。ややあって出てきたのはしいたけやちくわなどが入った炊き込みご飯のようなもの。どうやら昨日の夕食の残りのようですが、贅沢は言っていられません。足の周りをゴロゴロと歩き回るネコを気にしつつ、まずは完食。お礼とともに200円也を払って「かど蛯食堂」を出ました。





結局夕方まで栗丘で過ごしたもののたいした収穫はなく、それよりも明日予定されているというストライキの方が気になりだしました。このまま“本線筋”にいてもまともに撮影できる確率はきわめて少なく、ならばと急遽予定変更、明日は夕張鉄道か北炭真谷地専用線を狙うことにします。栗丘駅でファンノートに記入し、230レのオハ62 106で追分へ。今日は夕張に泊まろうという腹積もりです。
ところが230レの車内で栗丘駅に手袋を忘れてきたのに気づきました。とりたててどうということはない手袋ですが、今後の行程を考えるとあるに越したことはありません。ちょうど追分駅で乗り継ぐ夕張線737Dが遅れている室蘭本線下り229レの接続待ちをしている間に駅事務室から栗丘駅に鉄電を掛けてもらい、一両日中に通りかかった際に引き取りに行くことにしました。

3月24日


申し遅れましたが、この1974(昭和49)年春は空前規模の「春闘」が行われた年で、4月11日には81単産600万人という史上最大のゼネストが敢行されています。この旅はこの一連のストの影響でたびたび予定を変更せねばならなくなるのですが、まずその第一弾がこの「千秋1号」でした。もともとは15時18分鷹ノ巣発の501レ急行「きたぐに」で青森に向かうつもりだったのですが、「千秋1号」が25分遅れているとのアナウンスから、これは大阪発の「きたぐに」はどれほどの遅れを持ってくるかわからないと踏んで、あえて先発の「千秋1号」を選んだのでした。11号車のキハ28 455に揺られること1時間半ほど、青森では予定より一便早い17時00分発青函連絡船25便に乗船することができました。予定通りの「きたぐに」を待っていては、果たしてどのような結末になったものやら…。



一昨年(2004年)の10月23日から12月19日にかけて「葛飾区郷土と天文の博物館」で開催された「帝釈人車鉄道 —人車のゆくえを追って—」をご記憶の方もおられると思います。大正初年、京成電気軌道の開業によって廃止となった帝釈人車軌道の“人車”が、茨城県の笠間人車軌道に転じて再使用されていたという言い伝えを検証する試みを軸として開催されたこの企画展は、宮城県松山人車、千葉県長南茂原人車、静岡県湯河原の豆相人車、さらには交通博物館の松山人車や千葉大学鉄道研究会が作った現代版人車と、実に5輌の「実物」が顔を合わせるこれまでにないユニークなものでした。









『Rail Magazine』本誌5月号(272号)が出来上がりました。今月号巻頭は車輌でも列車でもなく、あと50日あまりで閉館する交通博物館をフィーチャーするこれまでにない特別企画です。実はかなり以前からこの3月発売号では是非とも交通博物館への哀惜を形にしたいと、同館の菅館長にもご相談申し上げ、広田尚敬さんに特写をお願いして準備を進めてきました。各展示室はもとより、閉架書庫、資料収蔵庫、工作室といった一般には目にすることのできないスペースまで可能な限り撮影し、誌上に交通博物館最後の姿を記録したいという企画意図をご理解いただき、数日に及ぶ撮影・取材を実現することができました。 




定刻21時10分、「最後の出雲号発車です」のアナウンスとともにホームを滑り出す24系25形のブルーの車体。どこからともなく沸き上がる拍手に見送られて、あの深紅のテールサインは東京駅を去ってゆきました。幾度となく体験した名列車との惜別シーンですが、やはり万感迫る思いです。
ご覧いただいている「編集長敬白」も“ホビダス”に百種類以上もある「オフィシャル・ブログ」のひとつですが、2月からは読者の皆さんにも気軽にブログを開設していただこうと、会員登録さえすればブログ・オーナーとなれるシステム、その名も




そしてもうひとつ。毎回お楽しみいただいている付録DVDも驚きの連続の内容です。今回ご登場いただいたのはお三方。登場順に簡単にご紹介してみましょう。










































そこで東京駅に向かう丸ノ内線の中で一計を案じてみました。798M到着の4分後の11時23分に隣の7番線から小田原行の789Mが発車します。ということは、7‐8番線ホームで対向の9番線に入ってくる798Mを迎えうち、すぐに789Mに乗れば品川方面で折り返しの3757Mを捉えることができるはずです。さらに最後部に乗れば、E231系の広い正面窓を通して9番線に停車中の113系を撮影できるかもしれません。
さて、この“ありがとう113系湘南電車キャンペーン”には、ヘッドマーク掲出のほかにもいろいろと魅力的な“仕掛け”(?)があります。そのひとつがここに掲げた『小さな旅』小冊子「湘南電車物語 〜ありがとう113系〜」の発行です。B5縦半裁判32頁オールカラーのこの冊子、全般の12ページをさいてかなりマニアックな“湘南電車”解説を試みています。歴史年表や80系電車の紹介、さらには真鶴トンネル旧ルートの“トワイライトゾ〜ン”探訪や、果ては豆相人車鉄道の紹介にいたるまで、とてもタダでもらえるものとは思えない充実した内容です。しかも掲載されているお店を利用した際にこの小冊子を提示すると「湘南電車物語 〜ありがとう113系〜」記念シールがもらえる特典まであります。









越中電気軌道開業時、いかにこの路線が地域の期待を担ってスタートをきったかを物語るように、射水線の駅はどれもが個性豊かなものでした。なかでも一番目をひいたのは八ヶ山駅です。こんもりとした森の切り通しが急に開けたかと思うと、列車は対向式ホームの八ヶ山へと到着します。面白いのはこの駅の本屋が切り通し上にあることです。ホームから本屋へは屋根のついた階段が結んでいます。ちなみに、駅名に同じ“八”がつく五能線の八森駅は、逆にホームが高い位置にあり、築堤下の本屋との間がやはり屋根つきの階段で結ばれているのが対称的です。
射水線は難読の駅名が少なくありませんでした。新富山から富山北口くらいは平穏ですが、次が八ヶ山(はっかやま)で、続いて八町(はっちょう)、布目(ぬのめ)、鯰鉱泉前(なまずこうせんまえ)、そして車庫のある四方(よかた)と続きます。さらに打出(うちで)、本江(もとえ)、そしてまた難読の練合(ねりや)、海老江(えびえ)、射北中学校前(しゃほくちゅうがっこうまえ)、堀岡(ほりおか)、そして新港東口で終点です。四方や練合などは初めて訪れる者にとっては結構な難読度でした。














