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2006年02月20日
知られざるもうひとつのレーティッシェ・バーン。(下)

ゴッタルド峠を越えてレベンティーナ渓谷沿いをひたすら南下すると、街の様子は明らかにスイスと異なり、イタリア文化圏に入ったことを感じさせます。レーティッシェ・バーンのメインネットワークを構成するベルニナ線も、終点のティラノ(Tirano)でイタリア領内に入りますが、「ベルニナ急行」に乗ったことのある方なら、国境を越えた途端に街の風景が変わるのを体感されていると思います。ここで言う街の風景とは、建築様式とかではなく、言うなれば生活臭です。枯れた花を窓辺に出しているだけで条例違反となるほど国策として美観を重視するスイスに対して、かたやラテンの国イタリアです。路上にはゴミが散らかり、手入れのされていない鉢植えが放置され…ある面ではむしろほっとする光景が広がります。人為的に決められたボーダー(国境)を境に、かくも鮮やかなコントラストが見られるのです。同じスイス国内にも関わらず、たどり着いたベリンツォーナもティラノと同様に雑然とした人間臭さを感じる街でした。
▲唯一目にすることのできたベリンツォーナ・メソッコ線のレーティッシェ・バーン車輌。除雪車Xk8618(手前)と薬剤散布車Xk8609。'93.10.12 Grono
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▲スイス政府発行1:25000地形図に見るレーティッシェ・バーン・ベリンツォーナ・メソッコ線。クリックするとポップアップします
ティチーノ地方の州都でもあるベリンツォーナは紀元前ジュリアスシーザーの時代からの軍事的要衝で、カステルグランデ(大城という意味)を筆頭に15世紀頃に建てられたという古城が世界遺産にも登録されています。13年前の訪問時にはまだ世界遺産登録(登録は2001年)前で、ほとんど観光客も訪れないような田舎町でした。ベリンツォーナ・メソッコ線はこのベリンツォーナの街はずれのスイス国鉄アルベド駅から出ているはずですが、実際に訪れてみると、駅裏の貨物ヤードからメーターゲージの線路がヨロヨロと出てきて国道を渡り、小さな渓谷沿いに消えてゆくといったほとんど専用線状態。とてもかのレーティッシェ・バーンの線路とは思えない草むした軌道がこの路線の不遇を物語っているようでした。

所属車輌も合造電動車Bde4/4 491が1輌だけで、ランドクォートのレーティッシェ・バーン本社で分けてもらった全線のダイヤグラムにも記載がないため、運行状況はまったくわかりません。貨物荷役場にいた職員らしき人に聞こうにも完璧にイタリア語でお手上げ。彼方の荷扱い線にBde4/4 491の姿が見えたものの、間の悪いことにちょうど出発していってしまいました。たかだか12キロほどの路線ですから追いかければ当然どこかで再会できるものと甘く考えていたものの、結局二度と再び会うことは適わず、この邂逅がBde4/4 491との最初で最後の出会いとなってしまいました。
それにしても垣間見たBde4/4 491の汚れようはとてもレーティッシェ・バーンの車輌とは思えず、真紅の車体もさながらハンブロールの62番をスプレーしたごとく白茶けていました。車側の「RhB」のロゴが唯一のアイデンティティーで、もしあのロゴなくして写真を見せられたら、一体どこの車輌かにわかに判断できないほどの状態でした。
▲終点カーマとひとつ手前のレッジア(Leggia)の間で軌道は路側に乗り入れる。この付近の勾配は50‰。'93.10.12
アルベドから線路沿いにカーマへと向かう道路は、まるでイタリアの古城の中をドライブしているようなルートです。場所によってはトラック1台がやっと抜けられるような城壁の出口あり、石畳の小道あり、それはそれは魅力的なものでした。しかしその道のりの素晴らしさとは裏腹に、どこに消えてしまったものかBde4/4 491の姿を発見することは出来ず、結局、撮影できた車輌らしき車輌は途中駅グロノ(Grono)に留置されていた数輌の貨車だけでした。

▲ベリンツォーナ・メソッコ線唯一の動力車Bde4/4 491形式図。直流1500V出力676kWで、メソッコ付近の60‰に対応するための発電制動用抵抗器を屋根上に備える。なかなか好ましい形態の合造電車(定員20名・荷重5t)である。("Die Streckentriebfahrzeuge und Schneeschleudern der Rhatischen Bahn"より)
走行する列車の写真はおろか、電動車さえ撮影できませんでしたが、スケジュールの関係もあり、涙をのんでベリンツォーナ・メソッコ線を後にしました。恐らくはもう二度と来ることはないでしょう。帰りしな、昼食をとっていなかったことに気づき、アルベド駅付近で食事をすることにしました。ところが駅といっても貨物駅のようなもので食堂などなく、やむなく国道沿いにあった長距離トラックのための街道食堂のようなところに飛び込みました。メニューを見ても完璧にイタリア語。何がなんだかまったくわからず、やむなく唯一読めたプロシュート(生ハム)ピザを注文。出てきたクリスピー地のピザは直径40センチはあろうかという巨大なものでした。トラッカーの食事処とあって質より量なのだろうと高を括って口にしてみると絶句! 今もってあんなに美味いピザを食べたことはありません。
ちなみに、細々と貨物営業だけを続けていたこのベリンツォーナ・メソッコ線ですが、訪問から2年後の1995年からファンの手によるトリップトレインが運転されるようになったそうです。ただその後、レーティッシェ・バーンによる運行は2003年12月31日をもって廃止となったとも聞き、果たしてこの“知られざるもうひとつのレーティッシェ・バーン”が現状どうなっているのかはわかりません。
投稿者 名取紀之 : 2006年02月20日 17:05

