« 時ならぬ賑わいの東京駅。 | メイン | 知られざるもうひとつのレーティッシェ・バーン。(上) »
2006年02月18日
いまだ残る“茂原人車”。

人力で旅客車輌を運行する「人車鉄道」というシステムは、どうやらアジア、しかも日本とその支配下にあった台湾で独自に発展したもののようで、ひょっとするとその発想の原点は江戸時代の駕篭あたりにあるのかも知れません。
松山人車軌道の車輌が交通博物館に保存されているのはよく知られていますが、千葉県の茂原を起点とした千葉県営人車軌道庁南線の車輌が茂原市郷土資料館に保存されていると聞いて訪ねたのは、安保彰夫さんの南総鉄道の軌道跡調査にお供した時のことでした。茂原と庁南町台向の間約9キロを結んでいた千葉県営人車軌道庁南線は1909(明治42)年に開業しましたが、公設軌道にも関わらずなぜか軌道敷設に不可欠な「軌道条例」による特許を取得しておらず、いわば闇運行を続けていた摩訶不思議な鉄道です。この辺の経緯は白土貞夫さんの『ちばの鉄道一世紀』(1996年)や佐藤信之さんの『人が汽車を押した頃 〜千葉県における人車鉄道の話〜』(1986年/ともに崙書房刊)に詳しく、特に後者では関係者からの聞き取りを含めて、この軌道の運行状況が生々しく記録されています。
さて、郷土資料館に保存されている車輌ですが、全長2m弱のほとんど物置然としたもので、残念ながら輪軸は失われてしまっており、いわゆるだるま状態です。聞くところによれば、昭和30年代に市内の民家の庭で子供の勉強部屋となっていたのを発見されて“救出”されたのだとか。軌道の撤去が1926(大正15)年だと言いますから、木造のこの車体がよくぞ残っていたものです。それにしても現状のだるま状態では、載せられた台木とあいまって“神輿”の一種(?)にしか見えず、願わくば失われた輪軸を復元し、きちんとした車輌状態で末長く保存してもらいたいものです。
▲茂原市立美術館・郷土資料館に保存されている庁南線の人車車体。8人乗りとされているが、どう考えても6人乗るのが精一杯か…。'99.11.1
投稿者 名取紀之 : 2006年02月18日 00:04

