2014年08月19日

大阪市電と無軌条電車が大阪市指定文化財に。(下)

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▲市営交通90周年に際して屋外に展示された3050号。屋根上に白く見えるのは雨漏りを防ぐビニール。P:宮武浩二
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3050号
先の3001号の試作車から数えて3年後の1956(昭和31)年に量産タイプの高性能車が登場しました。高加減速を可能にした間接制御装置、弾性車輪と軌道吸着ブレーキを内蔵した台車を採用、大阪市電最優秀車輌として活躍しました。当時としては始まったばかりの高性能車を一挙に50輌導入した勇気は当時の技術者の不退転の覚悟の表れではなかったのかと思われます。当初は初期故障に悩まされたようですが、幾多の苦難も克服して市電最後の日まで走り続けることができたのも大阪市だけだったといえます。

140818n506.jpg市電全廃に際して素晴らしい性能を生かすべく他都市の路面電車事業者に照会をかけましたが、価格が高価であったため鹿児島市交通局に引き取られた4輌以外は小学校や幼稚園に払い下げられるなどしました。保存車として残すにあたり、トップナンバーの3001号と日本で初めてトランジスターを用いた無接点制御装置を持つ3030号とラストナンバーの3050号が候補にあがりましたが、50輌という数字を将来に残すためにラスト番号の3050号を残すことに決定し、事故などの損傷を受けないよう他車に先駆けて一足先に引退しました。現在は緑木車両管理事務所内にある市電保存館に保存され、毎年秋の市営交通フェスティバルで見ることができます。
▲日立製3050号の台車。特徴ある軌道吸着ブレーキが見える。FS57台車より台枠が強化され、両軸箱間にアンカーを取り付けた車輌(住友製)もあった。釣り上げるためにワイヤを通している金具にアンカーが付けられるようになっていた。P:宮武浩二
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▲朝潮橋資料室からレッカー車で搬入された直後の255号。P:宮武浩二
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無軌条電車255号
大阪市営の無軌条電車の営業は1953(昭和28)年9月1日大阪駅前から十三を経由して神崎橋に至る路線を走ったのが最初です。一時は路面電車を無軌条電車に切り替えるなど将来の市内交通を担うものと期待されましたが、架線に制約される無軌条電車は、機動力に勝る市バスにはかなわず、市電の廃止から2年ほど後の1970(昭和45)年6月14日をもって無軌条事業すべてが廃止されました。その際に将来を見据えて1輌の保存車を残したのが255号でした。

140818n505.jpg255号は昭和35年に大阪車輌工業で製造、ワンマン化改造されて無軌条電車最後の日まで活躍しました。255号を残すにあたっては当時中心になって保存交渉にあたられた方にお聞きすると、当時は全く理解が得られずたいへん苦労されたそうです。保存車の選定については一番程度の良い車輌を現場で選んでもらったとのことです。そのご保管場所を転々としたあと森之宮車両管理事務所で現在も保管されています。
▲搬入直後の255号。隣の801号はまだ設置前。P:宮武浩二
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▲森之宮に保存されている1081形のアメリカ・テーラーRH台車。低床式のボギー台車では唯一の保存例。P:宮武浩二
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戦後、新しい市内交通の担い手として東京、川崎、横浜、京都で活躍した無軌条電車は機動性に富むバスに働き場所を奪われ、昭和40年代に姿を消しました。現在は黒部ダムと立山で活躍しているものを除き、都市部で活躍した無軌条電車としては川崎市の無軌条電車が公園で集会所として利用されているのみです。当時苦労して残すことに尽力された方は故人となられましたが、そのおかげで完全な姿の無軌条電車トロリーバスを現在見られることができるわけです。日本の都市交通の一部を担った無軌条電車の生き証人として255号はこれから注目を集めることになることでしょう。

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